5ちゃんねる ★スマホ版★ ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50  

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

【天界と】エマヌエル・スウェーデンボルグ【地獄】

1 :名無しさん@3周年:2006/05/13(土) 19:12:22 ID:xHan7BLU
エマヌエル・スヴェーデンボリ - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%9E%E3%83%8C%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%B3%E3%83%9C%E3%83%AA
日本スウェーデンボルグ協会
http://swedenborg.web.infoseek.co.jp/
エマヌエル・スウェーデンボルグ
http://swedenborgian.hp.infoseek.co.jp/Swed..htm

2 :名無しさん@3周年:2006/05/13(土) 19:21:13 ID:xHan7BLU
素晴らしい神秘家ですよね。

3 :名無しさん@3周年:2006/05/13(土) 19:54:57 ID:IQWdqK1P
3クス!

4 :名無しさん@3周年:2006/05/13(土) 20:58:58 ID:12R54o/J
この人はスウェーデンを代表する学者でもある。

5 :名無しさん@3周年:2006/05/14(日) 10:20:05 ID:W267IUCd
電波か悪魔憑きか。

6 :名無しさん@3周年:2006/05/14(日) 17:58:21 ID:lGy4gzmB
人が少ないぜ。

7 :http://ex11.2ch.net05.tripod.com/log/1147446442.html:2006/05/14(日) 20:35:13 ID:OWj+r3SK
なんで聖書とか訳すとき変な古文で訳すの?


8 :ダイナミックハングドマン ◆kvdtCC39Bs :2006/05/15(月) 23:17:53 ID:OIZ/e1Jg
あげ

9 :名無しさん@3周年:2006/05/20(土) 14:36:27 ID:isLvRfgA
AGE 

10 :名無しさん@3周年:2006/05/21(日) 11:07:11 ID:EmuyBp/g
面白そうなおっさんなのに人気ないの?

11 :名無しさん@3周年:2006/05/21(日) 11:17:05 ID:e44zU/HE
丹波哲郎がパクってたのこの人ですよね。ちがったっけ?

12 :名無しさん@3周年:2006/05/22(月) 18:13:57 ID:9JcBuwo0
>>11
その通ーーーーーーーーーーーーーーーーりっっ!!(本人風に)

13 :◆GX3Eshj01M :2006/05/25(木) 09:50:44 ID:/akzOIyn
図書館で霊界日記を借りて読んでみようか
それとも先に聖書を読んでみようか。

14 :名無しさん@3周年:2006/05/25(木) 11:13:05 ID:iB4srcwp
偉大な禅の達人、鈴木大拙もスエーデンボルグを翻訳しているね。
「天界と地獄」、その他何冊かを・・・。
大拙先生の言葉。「彼(スエーデンボルグ)の宗教は善をなすにあり!」

15 :名無しさん@3周年:2006/05/26(金) 09:09:08 ID:V1Zrz+l1
>>10
どう面白いのか
自分の文章で説明してみろや

逃げるなよ

16 :名無しさん@3周年:2006/05/26(金) 09:39:46 ID:Q/EvRoiz
「エマニュエル・スウェーデンボギー.....その名は、スウェーデンの小鬼、若しくは、魔女を意味する」
W.Bが彼を批判するように、スウェーデンボルグは機械論的唯物論者でしかない。

17 :名無しさん@3周年:2006/05/26(金) 09:42:03 ID:75slhhPs
えーっ!キリスト教の神秘家じゃないの?

18 :名無しさん@3周年:2006/05/26(金) 10:24:18 ID:Q/EvRoiz
>>17
スウェーデンボルグの著書の有名なパロディーがあるので、それを読むとよい。
唯物論者と真の神秘家が天使と悪魔に置き換えられているが、痛烈にスウェーデンボルグの理論の矛盾について皮肉っている。
スウェーデンボルグの決定的な過誤がこれによって明らかになるでしょう。

19 :武庫川女子大学総長 ◆myPniVOfR6 :2006/05/26(金) 10:26:46 ID:b5LgoJ2e
いずれにせよ、キリスト教の範疇に封じ込めてしまってはいけないな。
スウェデンボルグの齎した諸体系は、キリスト教の物指しから、とりあえずは切り離せ!

アメリカに、彼の思想的系譜を引くキリスト教の宗派がある(スウェデンボルギアンとかいう)ことは知っているが、これはあくまでスウェデンボルグの思想を取り入れて立ち上げた一宗派というにとどまる存在。


20 :名無しさん@3周年:2006/05/26(金) 10:33:54 ID:Rv3ILbht
W.Bって何の略?スウェーデンボルグとパロディで検索してみたんだけど
見つからなくて・・・。

21 :名無しさん@3周年:2006/05/26(金) 10:56:15 ID:Q/EvRoiz
W.Bはスウェーデンボルグの元信者であったが、後に、彼は無能な唯物論者であるとして批判に転ずる。
そのパロディーは地獄の聖書を礎として著したが、同時代人の理解を得られず、胆石症の為世を去る。
画家としても異端者として知られ、変人と称された。

22 :名無しさん@3周年:2006/05/26(金) 12:44:53 ID:Rv3ILbht
W・B・イェイツという人なら知ってるけど「W.B」ってイェイツのこと?


23 :名無しさん@3周年:2006/05/27(土) 16:38:29 ID:bNC3atkg
なんだ、バビロンの住人のたわごとじゃないか。気にしない、気にしない。

24 :名無しさん@3周年:2006/05/27(土) 20:40:56 ID:yc3arkY5
嘘つきは裂いてです!(><)

25 :21:2006/05/28(日) 10:10:42 ID:TcYCgrWP
スウェーデンボリと言えば、ウィリアム・ブレイクを思い出してほしいんだが。
ブレイクは『天界と地獄』のパロディーの『天国と地獄の結婚』を著し、「天使は唯物論に屈した存在であり、スウェーデンボリはその天使に従い崇拝しているに過ぎない」と皮肉っている。
天使は、キリスト教に嫌われる偶像の象徴としてブレイクは扱っている。

26 :名無しさん@3周年:2006/05/28(日) 10:15:49 ID:IGkfcWip
http://shumpu.com/ohsui/geppou06-4.html
>そして、ブレイクもまた奥邃とおなじく、最後の審判に深い関心を寄せ、
>また、スウェーデンボルグの神学から大きな影響を受けた人物であった
>(ブレイクの『天国と地獄の結婚』はタイトルからしてスウェーデンボルグ
>の影響のもとにあるが、中身ではスウェーデンボルグを徹底的に批判している)。

27 :名無しさん@3周年:2006/05/28(日) 12:34:37 ID:y3U/I3aY
「天国と地獄の結婚」は、その一部を↓で読むことができます(英文)。
http://www.english.uga.edu/nhilton/Blake/blaketxt1/marriage_of_heaven_and_hell.html

ブレイクによれば、
「悪こそがエネルギーの直接の発露であり、善は理性への服従という受動的なもの
にすぎない」(プレート4)と悪魔の口を借りて言わせており、明らかにグノーシス
的な善悪二元論を説いています。

ブレイクは詩人であっても、別に「聖別された人」であるわけでもなく、スウェデン
ボルグと意見が違うからと言って、そのままスウェデンボルグが間違っていたこと
にはならないでしょう。むしろ、ブレイクの方がグノーシス主義という、キリスト教
公認の異端だということになる。

28 :名無しさん@3周年:2006/05/28(日) 13:20:19 ID:XcaxeizB
ブレイクの「天国と地獄の結婚」は、スウェデンボルグの誤読だと指摘する
人もいるようです。
http://www.meijigakuin.ac.jp/~gengo/bulletin/pdf/19niikura-blake.pdf

私がちょっと読んだ感じでは、ニーチェのキリスト教批判に一番近い気がしま
した。確かに、時代を先取りしている点では「たいしたもの」だと思う。
ただ、上の論考でも触れられているように、スウェデンボルグこそは、教会の
教条主義の支配から人間を解き放ち、自由意志によって自ら天界への道をたどる
方法を教えたので、ブレイクの批判は全く見当はずれとしか言えないでしょう。

また、さらにこの作品に対するアンチテーゼとして、「天国と地獄の離婚」という
作品が出されているそうです。
http://www.junkudo.co.jp/detail2.jsp?ID=0240062354


29 :名無しさん@3周年:2006/05/28(日) 14:33:37 ID:w7OYy44c
やれやれ、「スウェーデンボルグ」という名前が出てきた途端に
必ず決まって現れるのがス氏(以下このように呼称する)に対するネガティブな反応である

スウェーデンボルグのことを語るスレなどもってのほか!
閑散とした状態にしてさっさと落ちてもらわねばならん
彼に関心を持つ人間が増えては困るから、
ましてや正しく理解する人間が増えるなんぞ我慢ならんことだ!
さてそれとなく悪し様に中傷して悪いイメージを彼等に植えつけよう
そうしてスウェーデンボルグのことなど頭から離れるようにしむけよう・・・

そうやって豚どもが、善と真理から、すなわち神から人間を引き離そうと
そこはかとなく必死になっているさまは、滑稽以外の何ものでもなく、私にとってはどーでもいいことだが、
ものぐさな私でも以下のことだけは述べておかなくてはなるまい

30 :名無しさん@3周年:2006/05/28(日) 14:38:56 ID:x4fdlJJH
きんも〜☆

31 :名無しさん@3周年:2006/05/28(日) 14:39:37 ID:w7OYy44c
誰かがス氏のことを正しいと言ったからかれの書いてあることが正しいのではない、
誰かがス氏のことを間違っていると言ったから、かれの書いてあることが間違っているのではない
誰かが今どき太陽が地球のまわりを回っているだと言ったらその通りになるだろうか?

誰かがス氏の著作を徹底的に批判したとする
正しいのはス氏か? それともス氏を批判した者か?

正しいのはス氏でもなければ批判者でもない
真実のみが正しいのであって、引いては神のみが正しい

ス氏が真実をありのままに書いたのであれば、
全宇宙がそれは間違っていると叫ぼうと無意味である
逆もまた然り

ではス氏は真実を書いたのか、それともウソや妄想を書いたのか?
それは彼の著作を読んで判断するしかないが、読んでも正しく判断できるとは限らない
なぜなら真理を憎む人間は真理が述べられれば真理を憎みそれを否定する
だからス氏の著作が真理であれば、仮にそれが真理であると分かってもそれを憎み、
著作を否定するだろう


一つだけ間違いないのは、導かれる者は主によって導かれるであろう、ということ
その時認識は自ずから主から与えられるだろう

32 :名無しさん@3周年:2006/05/28(日) 14:41:07 ID:w7OYy44c
>30
ほっとていてくれ
どうせ最初からキモいよw

33 :名無しさん@3周年:2006/05/28(日) 14:42:08 ID:w7OYy44c
間違えた 
「ほっとていてくれ」ではなく、
「ほっといてくれ」、だなw

34 :名無しさん@3周年:2006/05/28(日) 14:45:44 ID:w7OYy44c
そしてブレイクに関して言っておくが、ブレイクは「天界と地獄の結婚」において
『彼(ス氏)は宗教的な天使たちとは対話したが、宗教を憎む悪魔たちとは対話していない。
彼の思い上がった考え方では、それができなかったからである。』

また、『いつも思うことだが、天使たちは自惚れていて、自分たちだけが賢いと言いふらす。』(※1)

などど書いているが、明らかな事実誤認である。
そもそも彼が悪魔や地獄のことを知らないのであれば、どうして「天界と地獄」という本が書けるのか?
地獄のことを知らなければ地獄のことは書けない

「・・・なぜなら誰一人善くないものをもまた知らなくては善いものを知らないのであり、
真でないものを知らなくては真のものを知らないからである・・・(天界の秘義5356より)

ブレイクは、ス氏は何も分かっていないのだと思い込みたいらしい

霊界日記は柳瀬訳で全九巻だが、天界よりもむしろ地獄の見聞に関する記事の方が多い
巻にもよるが、痛ましいまでの地獄の描写が続く、なぜならば、当時のヨーロッパでは
キリストを憎み、退ける人間の方が圧倒的に多かったからだ
(地獄について書くことについては、ス氏自身はきっとウンザリしてたであろうが
彼は趣味でこういうことを書いたのではなく、主の誡命で啓示されたことをそのまま書いたのだ)

ブレイクがス氏のどの著作を読み、どの程度理解していたのか、
あるいは内心で憎んで拒絶したのか、ワザとス氏を誹謗してるフリをして泥をかぶっているのか、
単にス氏に嫉妬してるだけなのか、本当に何も分かっていないで誤解してるだけか、
定かではないが、「天界と地獄の結婚」を読むかぎりでは、肝心なことは何にも分かっていないように見える。

ま、どおでもよい。

35 :名無しさん@3周年:2006/05/28(日) 14:46:13 ID:Sxan5ju3
頭は良かったのかもしれないが
異端は異端。
それだけのこと。

36 :名無しさん@3周年:2006/05/28(日) 14:46:34 ID:w7OYy44c
(※1)
人間が死後、善または真理は一つとして自分自身からは発しておらず、
凡ては主から発しており、自分自身から発しているものは凡て悪以外の何ものでもないことを
心から承認しない中は天界に入れられることはできないほどにも非常に重要なことである。
(天界の秘義5758より)

37 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

38 :名無しさん@3周年:2006/05/28(日) 15:05:06 ID:w7OYy44c
>35
確かに彼は諸科百般に通じた大科学者であったが、
頭がいいとかそーいう問題じゃないんだよ・・・

>>13
角川から霊界日記の抄訳が文庫本で出てる
現在一番手軽に読めるス氏の本といえるだろう
ISBN 4-04-277601-9

さて、消えるわ
皆さんごきげんよう

39 :武庫川女子大学総長 ◆myPniVOfR6 :2006/05/28(日) 15:07:39 ID:1iOc3pOV
>>29
それも悪霊の仕業だろうて。

40 :名無しさん@3周年:2006/05/28(日) 15:45:27 ID:1NA1I/yh
>>38
抄訳すぎだよね・・・文庫本一冊って・・・

41 :名無しさん@3周年:2006/05/28(日) 20:36:19 ID:w7OYy44c
>40
まあそう言いなさんな
なかなか勘どころを捉えて抜粋してある
ス氏へのきっかけとしては好適だ

もちろん「天界と地獄」やその他の著作を
読んでもらっても全然OKだが

42 :名無しさん@3周年:2006/05/30(火) 09:20:26 ID:32AXoVDb
日本で刊行されてる「天界と地獄」等もまた抄訳なのだった。

43 :名無しさん@3周年:2006/05/30(火) 18:43:13 ID:NmluZ2ER
ほう、それは本当か
静思社、アルカナ出版ともに?

44 :名無しさん@3周年:2006/06/05(月) 23:45:02 ID:1llBmy0V
うーむ、やはり閑スレになっとるなw
こんなことなら、変にもったいつけて予防線を張ったりしない方がよかったか・・・
まあどうせほっといたって人稲なのは同じだっただろうけど
このスレもこのまま放置しておけば静かに消えてゆくことになるのか

せっかくス氏のスレができても、ス氏に興味がある人は少ない
ましてや主要な著作をある程度読んだ人はもっと少ない
もちろん1で紹介してあるように、少数だが勇者は存在する(私ごときなど足元にも及ばぬ)
でもやっぱ少ないよなぁ・・・読んでてネットしてない人もいるんだろうけど

ま、読んだって税金免除されるってワケでもなければ、
空中浮揚ができるようになるワケでもない(あーくだらねぇw)

とはいえ、(自慢するつもりはサラサラないが)ある程度読んだ人間としては、
著作の内容をこのまま自分だけが多少知って理解するだけで終わらせるには、
あまりに、あまりにそれは惜しいことであると言わざるを得ない
(いやね、喫驚喫驚また喫驚の連続ですよ、ホントw)

とは言っても、では何を(この2chで)書くのか?
実はそのことでしばらくあれこれ考えていた
そもそも自分に的確に書くだけの力があるのか・・・


それに所詮2chだしねw
されど2ch.........か

45 :名無しさん@3周年:2006/06/05(月) 23:51:39 ID:1llBmy0V
もはやここを見る人間はごく僅かだろうが、考えた結果、
書いた内容が受け容れられないにせよ、そしていずれは落ちるにせよ、
その前に一つの事柄に絞って書いておくことにした、
というか、一つの真実について紹介することにする

それは、この板でも常に論争の的となっている事の一つである、
    『救われるのはクリスチャンだけか、否か?』である

このテーマ一つにしても、なんとばからしい書き込みの多いことw
ハッキリ言って、このことに関しては、「知ってるか、知っていないか」というレベルの問題だ
決して「理解できるか、できないか」という問題ではない(と思うのだが・・・そうでもない?)

ではさっそく霊界におけるキリスト教圏外(すなわち異邦人)の
人間の死後の運命について、ス氏の著作から、最初にまず、
このスレのタイトルにもなっている「天界と地獄」から、
異邦人について書かれた部分を紹介しよう

46 :名無しさん@3周年:2006/06/05(月) 23:54:07 ID:1llBmy0V
〔引用開始〕

     ○異教徒または天界の教会の外にいる人々○
           (「天界と地獄」318より)

教会の外に生まれて、異教徒、または異邦人と呼ばれている者は、
聖言を持っておらず、引いては主を知らず、主がいなくては救いはないため、
かれらは救われることはできないと普通考えられている。

しかしそれでも、かれらもまた救われることは、ただ以下のことのみからでも知ることができよう、
すなわち、主の慈悲は普遍的なものであり、すなわち、各々の者に及んでおり、
彼らも教会内の、比較的少数しかいないものと同じく人間として生まれていて、
彼らが主を知らないのは彼らの責任ではないのである。

何人でも何らかの明るくされた理性から考えるならば、
誰一人地獄のために生まれていないことを認めることができよう。
なぜなら主は愛そのものであられ、その愛は万人を救おうと願っておられるからである。
それゆえ主は凡ての者が宗教を持ち、その宗教によって神的なものを承認して、
内的な生命をもつように定められたのである(以下略)

〔引用終了〕

47 :名無しさん@3周年:2006/06/05(月) 23:59:43 ID:1llBmy0V
まあ、そういうことである
要するに「神的なものを承認して、内的な生命を持つ」ことが重要なのであって、
自分の名札にどの宗教の名が書かれてあるかは問題ではない

では「内的な生命を持つ」ということはどういうことであろうか?
あるいは、無宗教な人間はどうなるのであろうか?
そもそも救われるってどういうこと? 別に生活に困っているわけでもないが・・・

今更ながらに思うのだが、一つのことだけに絞って書くといっても、
実際にはあれこれと派生する事柄について説明が必要になってくる
完璧に説明しようとすればキリがない

上記の著述についてはス氏がウソを書いていない限り真実だが、
まだまだこれだけでは救いについて誤解を生みかねない
ではス氏の著作からボコボコと引用しまくればいいかといえば(ホントはそうしたいのだが)、
そんなことをすればもはや無断転載であり、しかも膨大な文書量になってしまう

さて、「天界と地獄」324の記事では更に、生前は偶像崇拝者だった異邦人が
天界に迎え入れられた事例すら紹介されている

と書けば、偶像崇拝OKなの?
ということになってしまうが、その辺の事情については実際に著作を
(できれば「天界と地獄」だけでなく他の著作も)
読んでもらうのが一番いいのだが、なかなかそうもいかないだろうから、
またの機会に、ある程度要約して説明することにしよう

(またの機会がいつなのか、あるいはその機会自体が存在するのか全く未定w)


今回はこれで終わることにする
ではごきげんよう

48 :名無しさん@3周年:2006/06/06(火) 01:19:50 ID:tA8NKwkV
ごっきげんよ、ぉ〜う!

つまるところ万人救済風味?

49 :火の洗礼を祈る小羊 ◆b45h8kER4c :2006/06/06(火) 07:15:47 ID:p/ewlrsj
>>48

というよりは、カールラーナー(カトリック)の包括主義に近い。信仰義認、すなわち、信仰のみの当時のプロテスタントよりは、行い・自己強制が伴うカトリックの方が、より救われる可能性が高い、とする。

47さん、こんにちは。私も、松本氏のMLなどに加入しています。ところで、ス氏著作の中で、ユダの死後どうなったかについての記述ご存知ですか。私のHP http://homepage2.nifty.com/ghp/jesus.htm


50 :名無しさん@3周年:2006/06/10(土) 01:59:34 ID:r8I2xKV9
>48
神は万人を天界に迎え入れようとしても、
本人が自らを深淵の底へ沈ませ、自らを悪魔にしてしまうのです
神は誰も地獄に落とさない、しかし人間が自らを地獄へ投げこむのです
(外観はいかにも神に叩き落とされるという風に見えたとしても)
糞尿の中で転げ回ることをこの上ない喜びとする連中にとっては、
天界こそがまさに地獄なわけですよw

地獄とはどういう所で、一体どういう人間が堕ちるのか
また機会があれば書くこともあるだろう

>49
ユダの件については、著作の全てを読んだわけでもなく、
厳密に精査したわけではないので断定はできないが、
おそらくどこにも書かれていないかと
もし書かれていれば、誰かが採り上げているでしょう
私よりずっと詳しい人は確実にいますから
(ペテロに関しては霊界日記421参照)

それと私は参加していませんが、そのMLのことは知っています
ス氏の著作を学べる非常に貴重な場といえるでしょう
今後も是非活用されたし

51 :火の洗礼を祈る小羊 ◆b45h8kER4c :2006/06/10(土) 13:56:10 ID:AWitPVYn
>>50

レスありがとうございます。角川文庫の霊界日記をみてみたのですが、見方がよくわかりません。
ペテロは結局どうなったのですか。


52 :名無しさん@3周年:2006/06/10(土) 19:23:10 ID:9rAsbDLB
>51
角川の抄訳には載っていないので静思社の霊界日記第1巻から引用します


〔引用開始〕

○以前よりも多くの者が、天界へ入れられるためにペテロを探し求めている○

421 ペテロが天界から投げ落とされたことが明白にわたしに示された。
その時以来わたしは今日までもかれについて何ごとも聞いていないが、
今は前よりもさらに多くの者がペテロのもとに来て、ペテロを崇め、
自分たちを天界に入れてくれるように求めていると、今日話された。・・・(以下略)

〔引用終了〕

53 :名無しさん@3周年:2006/06/10(土) 19:24:00 ID:9rAsbDLB
ペテロはなかなか見つからない場所へと投げ落とされたのでしょう
他界して間もないキリスト教徒の霊たちが、聖書の言葉を文字通り鵜呑みにして、
天界の鍵を持っているとされるペテロに頼めば天界に入れると思い、
ペテロを捜すが見つからない・・・

ペテロだろうと誰であろうと、誰かを自分の好みで天界に入れたやったり、
あるいは意地悪して天界に入れてやらなかったりできる権能など、
当然のことならがそんなものは誰一人持っていません。
(角川抄訳P150、パドアのアントニウスを参照)

使徒列伝では、死んだユダの代わりに適当な人物にくじを引かせて新たに
ユダの後任としましたが、霊界でも、誰かが本来の役目を果たせなくなった場合、
代理の霊が本人の役を務める、というより「本人に成り代わって本人になる」
ことは決して特別なことではありません

ペテロが投げ落とされたのは一時的なのか(天使でも一時的に天界から投げ落とされることがある)
それとも最終決定なのか、よく分かりませんが、多分ペテロの役割を果たす霊は
(たとえ元祖のオリジナルでなくとも)いるのではないでしょうか

54 :火の洗礼を祈る小羊 ◆b45h8kER4c :2006/06/11(日) 22:38:32 ID:7uYjdVyU
>>53

ありがとうございます。やはり、権力、一番上を望むことはダメなんですね。
勉強になりました。抄訳はいまいちですね。


55 :名無しさん@3周年:2006/06/17(土) 00:42:39 ID:JwD7JkAG
子羊さん、イマイチでしたかw 私はあの本好きですけどね

いささか私見を述べてみますと、霊界日記を始め、
ス氏の著作では歴史上実在した人物、あるいは聖書の登場人物等の
霊界での実態が紹介されており、誰でもそれは確かに興味深いものではありますが、
意外な人物の信じがたい末路が記されている場合も多く、
(もちろん全員がそうではありませんが)ちょっとショッキングではあります。

その代表例がパウロでしょう。パウロが実はとんでもないごろつきであったというのは
やはりス氏がウソを書いていない限り霊的事実ではありますが、
自分以外の──それが有名人であれ、見知らぬ町のAさんであれ──
他人の霊界での実態は、そのこと自体はどこまでも他人事にすぎません。

単なるのぞき趣味でそれを知りたいだけなら、
単なる事実を記憶に貯めるだけになってしまいます。
(といってもやっぱり気になるのが人情ですがw)

ス氏を読んでいる人で、パウロの実態を知っている場合、
どうしてもパウロの事跡を軽んじる傾向があると思います
しかしパウロの地上での功績は偉大であるのは議論の余地のないことであり、
また彼の書いたものも(彼の末路はどうであれ)それはそれで立派なものあり、
間違ったことは書かれていません。
(「信仰によって義とされる」に関してはさんざん悪用されたが)

56 :名無しさん@3周年:2006/06/17(土) 00:46:00 ID:JwD7JkAG
しかしならが結局彼の業は、すなわち彼があれほどに熱心だったのは、
彼の膨れあがった自己愛の産物であったからには、結局誰であれ、
どんな偉大な仕事も、それがどれだけ称賛されるべきものであっても、
彼の自己愛からそれを行っているのなら、かれ自身の永遠の生命には何の寄与もしない(※1)

パウロはそれが充分に分かっていたのです!(コリント書簡第一13章)
しかし分かっていても、つまり理解しただけでは意味をなさなかったのです!
そのことを我々は深く省察すべき、かと

というか、いやでも考えさせられざるを得ないでしょう
そういう意味では、パウロの件に限らず、他人の事例も他人事ではない、
ということになります

ああ俺はイエスを裏切ったユダのようでなくてよかった・・・
などと考えているのなら、ひょっとしたら(当然私も含めてですが)その人は
悪魔の罠にハマっているのかもしれません


(※1)単なる人間が神性を己に帰することは当然間違いですが、
例えば権力や富を追求すること自体が悪とは言い切れません!
当人がどのような目的でそれを追い求めているかが重要です


(さーて、いつになったら47の続きをやるんだかw)

57 :名無しさん@3周年:2006/06/17(土) 13:30:16 ID:4mreADSy
>56

>権力や富を追求すること自体が悪とは言い切れません!

実際問題として、権力や富を追求している人々の大部分が悪でしょう。
権力や富が「善をなす手段」だと言いたいのでしょうが、権力や富がなくても
善はなせます。もともと、権力や富を与えられていない状態が、すでに神様
の御意志なので、その与えられた範囲で善をなすよう努力すればよいはず
です。

それなのに、敢えて権力や富を得ようとすること自体が、すでに「悪」の
元である自己愛にどっぶり片足を突っ込んでいます。

58 :名無しさん@3周年:2006/06/19(月) 18:50:37 ID:FXHD63n6

スヴェーデンボルグの世界では…
十字架の贖いや復活は、どんな意味があるの?



59 :名無しさん@3周年:2006/06/19(月) 19:16:45 ID:PYSe4BCt
>>57
権力がないとでかい集団は動かせないよ。国と会社とか。
富がなければ橋をかけることができないよ。小銭では大きな事業はできない。
小銭を元手に小さい事業から初めて銭を増やさなければね。

60 :名無しさん@3周年:2006/06/19(月) 19:22:11 ID:Nmar8fuG
わ;あ;あ;あ;あ;あ
・・・・・・・ageちゃったのかw

>58
そりゃもうとてつもない意味が・・・
でも今はそんな話は無理

私は57のように考えるのは間違っていることを説明しなければならない
なぜなら天国に入るためには金持ちや権力者になってはいけないと
思っている人が結構たくさんいるようなので

で、準備して久しぶりにこのスレ探したら・・・
ありゃま探さんでもすぐ見つかったやんけw

ま、いいだろう
以下にかなりの量を著作から引用するが、
多くの人に知っておいてもらいたい内容である

61 :名無しさん@3周年:2006/06/19(月) 19:26:58 ID:Nmar8fuG
〔天界と地獄357、358、360、361、362より引用開始〕

          ○天界の富んだ者と貧しい者○

        
357 ・・・私は天使たちと再三話し合い、また交わることにより、
富んだ者も貧しい者と同じく容易に天界に入り、人間は豊かに生活しているために
天界から閉め出されることはなく、また貧しいために天界に迎えられもしないことを
確実に知ることができたのである。そこには富んだ者も貧しい者もおり、
富んだ者の多くは貧しい者よりもさらに大きな栄光と幸福とを得ているのである。


358 前以て以下のことを述べておかなくてはならない、すなわち、
人間は機会が与えられるかぎり、ずるく立ちまわって、他を欺きさえしなければ、
富を得て、それを貯えてもよいのであり、また美味しいものを、ただその上に己が生命をおかないかぎり、
食べても、飲んでもよく、己が境遇に従って壮麗な所に住んでもよく、
己が流儀なりに他と交わっても良く、娯楽の場所へ再三でかけてもよく、
世の出来事について話してもよく、献身者のように悲しい、沈んだ顔つきをし、
頭を垂れて歩く必要もなく、楽しく、陽気にしていてもよいのであり、
またその財産を、情愛から動かされないかぎり、貧しい者に与える必要もないのである。(以下略)


360 私は幾人かの者とその死後話をしたが、彼らは世に生きている間、
世を放棄して、ほとんど孤独の生活にふけったが、それは世の事に思いわずらわされないで、
敬虔な瞑想に充分ふけるためであり、そのことによって自分たちは天界の道へ入るのだと信じていたのである。

しかしこうした者は他生では憂鬱な気質を持っていて、自分のようでない者をさげすみ、
自分は他の者の幸福以上の幸福に値していると信じているため、
その幸福を得ないといって激しく怒り、他をかえりみず、天界と連結する手段となる
仁慈の業にも面をそむけている。彼らは他の者以上に天界にあこがれるが、
天使たちの間に迎えられると、不安をもちこみ、そのため天使たちの幸福は乱される。
そのため、彼らは遠ざけられるが、遠ざけられると、荒地に行き、そこで世に送ったような生活を送る。(以下略)

62 :名無しさん@3周年:2006/06/19(月) 19:27:57 ID:Nmar8fuG
361 天界における富んだ者の運命は豊かさにおいて他の凡ての者にもまさる底のものであって、
その中には宮殿に住んでいる者もあり、その宮殿の中では凡ゆる物は金銀で輝いている。
彼らは生活の用のために凡ゆる物を豊富に持ってはいるものの、
己が心をそうした物におかないで、用においている。

用を彼らは明らかに、また光の中に見るように見ているが、
金銀は用に比較すればあいまいに、蔭の中で見るようにしか見ていない。
その理由は、彼らは世では用を愛し、金銀はただ手段、
器具としてしか愛さなかったということである。
用そのものは天界ではこのように輝いており・・・(中略)

・・・それゆえ世における彼らの用のいかんに、、天界における彼らの豊かさは応じ、
また彼らの歓喜と幸福とが応じている。善い用は自分自身と自分のもの〔自分の家族〕に
生活の必要なものを供えることであり、また自分の国と隣人のために豊かな富を
ねがうことであって、富んだ者はその国と隣人とを多くの方法で貧しい人間よりも
さらに益することができるのである。(以下略)


362 しかし神的なもの〔神〕を信じないで、
天界と教会とにぞくしているものを心から斥けた金持ちの運命はその反対であって、
彼らは汚物、悲惨、欠乏の満ち満ちた地獄にいる。(中略)

・・・その用は彼らがその好むままに生活して、快楽にふけり、
邪悪をさらにほしいままにしようとする願いであるか、彼らの軽べつしている者を
見下そうとする願いであるか、その何れかである。(以下略)


〔以上、天界と地獄357、358、360、361、362より引用終了〕

63 :名無しさん@3周年:2006/06/19(月) 19:29:29 ID:Nmar8fuG
>57

>権力や富がなくても善はなせます

権力や富を駆使して善を為す方がもっと大きな善(用)を為すことができます
一人の人間が一人に対して親切にするのはそれはそれで善いことだが
一人の王が国家に対し、国民全体に対し善政を敷くことの方が遙かに大きな善である
(その逆だと大きな悪だが・・・)

もちろん実際問題としては大半が自己愛や所有欲が目的だろうが、
全員がそうとは言い切れない(ルイ14世の例など)


>権力や富を与えられていない状態が、すでに神様の御意志なので・・・

神の摂理は確かに秘かに働くが、あくまでも人間は自分の自由意志によって
(むろん選択肢が限定されているとしても)自ら人生の選択をしなければならない、
それがいわば神の意志であって、また自ら選択したものが自らの運命となるわけで、
そしてその(選択の)責任は神ではなく人間の側にある
なぜなら人間には自由が与えられているのだから

64 :名無しさん@3周年:2006/06/19(月) 19:37:05 ID:Nmar8fuG
古代や中世の厳格な身分や家柄の区分があった時代ならともかく、
現在では貧しく不遇な生まれから国家の要人になったり一代で財産を築いたり、
学問や研究で大きな名声を得たりする人もいる

もし例えば権力を目指すこと自体が悪ならば、政治家は全員悪人ということになってしまうだろう
あるいは貧しい家に生まれたらその人は一生ずっと貧しいままでなければならないのだろうか?
親が科学者でないと科学者になってはいけないのだろうか?
決してそのように考えてはならない

もちろん大半の人と同じようにひっそりつつましく平凡に暮らすのもそれはそれで当然OK
生前経済的に貧しかろうが豊かであろうが、王だろうが大統領だろうが小市民だろうが
天界に入る者は入り、地獄に堕ちる者は墜ちる


だが間違いないのは、生前に権力者であったり富豪であったりした者が
地獄ではなく天界に入る場合、彼は他に抜きんでた存在であり、
おそらく地上で生きた頃と同じように天界の一社会でふさわしい地位に就き、幸福に暮らす(※1)

なぜならば、著作から引用したように、
その人は富や権力を使って貧しい者にはできない公共の大きな善を為そうとしたからである(※2)
まあそういう人は稀でしょうけど

65 :名無しさん@3周年:2006/06/19(月) 19:39:54 ID:Nmar8fuG
(※1)
別に富や権力を志向せよと言ってるのではありません、本人の自由
なんつーても一番お気楽なのはペーペーですからなw

(※2)
(神から、すなわち主から、あるいは宗教的な動機から
善を為そうとすることを愛する情愛から善を為そうとしたがゆえに、ということ、
パウロの善はいかにも外見はそれらしく見えるが、残念ながらそうではなかった)


貧しい者でも、ホリエモンみたいなのは論外だが、
公正かつ誠実熱心に仕事をした結果富んだり顕職に就いたりする者を心の中で妬んだり、
自分のように清貧の生活をしない者を内心で軽蔑したりすれば、
彼の清貧はむしろ彼にとって呪いとなってしまうだろう

もう一度最後に述べておくが、人は正当な手段で富や権力を求め、
また豊かな生活をしても全然OKである、そのこと自体はその人の救いを妨げない
もしその人が宗教的仁慈から公共の善のためにそれらを求めるのなら誠に偉大である(ごく少数だろうが)
なぜなら権力や富を使った善は極めて大きな善であるから(悪用するのはやめましょう)

すなわち、権力も富も、あるいは清貧も、人によっては祝福となり、また呪いにもなる
金持ちの悪人もいるし貧乏な悪人もいる、逆もまた然り


ちなみに
小生も平凡でささやかな人生で充分ですハイいやアンタはエラいよ立派だよ派なわけだが・・・w

66 :名無しさん@3周年:2006/06/19(月) 19:58:29 ID:FXHD63n6
>>60
そうですかぁ・・・・・  んん....残念。。
んじゃ もうちょっと落ち着いたら おながいします。m(_ _)m

67 :名無しさん@3周年:2006/06/19(月) 20:43:25 ID:Nmar8fuG
>66
いや、おそらくこれ以上はこの件では書かないから
十字架や復活などについて説明することを試みてもよいですけど、
しかし、考えてみると私では到底力不足かも
58のような素朴な疑問は実はきちんと解答することが難しい

とりわけ主の十字架の真義、
こ、こ、これはいわば最高奥義であって、
私如きではまだまだ・・・・(弱)

ところでお宅は聖書を知らない人ですか?
それとも私など足元にも及ばぬ勇者だがそうでないフリをしてるとか?

ともかく、24時間このスレに常駐してるわけではないのでw
それなりにまとまった説明ができたとしても早くて週末ぐらいかな(多分無理)
ではまた

(よ、47の続きは・・・・・・・w)

68 :名無しさん@3周年:2006/06/19(月) 21:02:28 ID:9IJdUprM
>63

「大きい善」などありませんよ。その人の境涯に応じた善ならあるが。
天国は、人体のように、階層が違う霊達がそれぞれの職務を果たす。
『手』に配置された霊が、「自分はもっと大きい善をなしたいから、『頭』に
行きたい」と言ったなら、たちまち天国から排除されてしまうでしょう。

富める者や権力を持つ者も、天国へ行くことができるのは真実だが、その数で
言えば「暁天の星」のごとしです。また、神から許されていないにも関わらず、
身の程知らずの富や権力を求めることこそ、地獄愛以外の何ものでもない。
そんなこともわからんとは...ry)

69 :名無しさん@3周年:2006/06/19(月) 22:57:38 ID:oYyWDeBT
ところで、スウェーデンボルグ信者は、
水星人や火星人や金星人についての彼の奇妙な記述への見解を聞きたい。
「霊的事実」です、なんていうカルトの妄想にしか見えない発言はしないでよ。

私から見ると、そこら辺の変わり者の新興宗教教祖と同レベルの
外れ予言以外の何物でもないように思うのだが、あんた達はどう捉えてるの?

70 :名無しさん@3周年:2006/06/19(月) 23:01:45 ID:RZ1PG+Wj
>水星人や火星人や金星人

まるで六星占術だぜ。

71 :名無しさん@3周年:2006/06/19(月) 23:35:12 ID:FXHD63n6
>>67

勇者だなんて とんでもないっす^^;
聖書は多少は知ってますが。スヴェーデンボルグについては
初心者でして。「天界と地獄」を読み始めたとこなんですが、 
キリストの十字架や復活についての記述が見当たらないので…
その辺は、天界に於いては、どう評価というか解釈されてる
のか知りたいとおもいまして。

地上で知らされている解釈とは、また違うのでしょうか?
どうぞ。宜しくおねがい申し上げます。 m(__)m

72 :名無しさん@3周年:2006/06/19(月) 23:49:06 ID:oYyWDeBT
スウェーデンボルグ信者ではないが

>また、神から許されていないにも関わらず、

そんなことどうして判るの?

>身の程知らずの富や権力を求めることこそ、

身の程知らずとはどういう意味?
社会的に出世しようと努力するのは、常に善ではないか。
一部の共産国家であるように、民衆を虐殺して、とか
同僚を誣告して刑務所に送って、というなら問題だが、
普通の形態の努力なら、良いではないか。

73 :名無しさん@3周年:2006/06/19(月) 23:59:49 ID:oYyWDeBT
>>67
キリスト教の基本中の基本でしょ。
キリスト教であるなら、
他のものが説明できなくても、こういうところは
簡潔に整理できなくてはいけない。

これほどもったいぶってごまかしたりするところからみて、
要するにスウェーデンボルグは、自身の著書の中で
こうしたところの説明にあまり重きを置いていないんだね。
だから、支持者の人たちもよくは理解してはおらず、
すぐには説明ができないわけだね。

スウェーデンボルグが
キリスト教の中でよく異端と言われてしまうのは、
こうしたところに理由がある。

74 :名無しさん@3周年:2006/06/20(火) 00:03:03 ID:ljXOjjvD
>>71
こうしたスレに集う信奉者の変なレスから推し量って
スウェーデンボルグは、おそらく幸福の科学レベルの
「変わり者の教え」に過ぎません。
信じるだけ、時間の無駄ですよ。

75 :名無しさん@3周年:2006/06/20(火) 00:19:36 ID:ljXOjjvD
ちなみに私はカトリックね。

76 :名無しさん@3周年:2006/06/20(火) 00:23:41 ID:ljXOjjvD
>ところでお宅は聖書を知らない人ですか?
>それとも私など足元にも及ばぬ勇者だがそうでないフリをしてるとか?

議論からは外れるが、自分の無知を隠すために
こうした虚勢・・・
みっともないね。

スウェーデンボルグの信奉者は、取り立てて傲慢な場合が多いね。
聖書には、実から木を判断せよ、と言うが。

77 :名無しさん@3周年:2006/06/20(火) 00:45:39 ID:lydqh+Pz
「小さなヨハネ」なんてまさにそうだな。

78 :名無しさん@3周年:2006/06/20(火) 04:08:15 ID:ljXOjjvD
カトリックの教理などを使えば、問題なく説明できるが、
十字架や復活の意義について、スウェーデンボルグでは
説明は無理ではないかな。

彼の本は何冊かは読んだが、私の読んだ本の中には、
そうしたことについて、特段説明は殆どなかったぞ。
もしかしたら、どこかに僅かにあるかもしれないが、
仮にあるとしてもカトリックや、
主要なプロテスタント(ルーテル教会や長老派や福音派や
各国国教会系)の教理とはかけ離れた、新奇でオカルト的なものに
なっていると予測する。

79 :67:2006/06/20(火) 19:04:31 ID:Q4Ujvh1r
>>71
>「天界と地獄」を読み始めたとこなんですが、

おお、それは素晴らしい!
ただし、「天界と地獄」はス氏の著作の中では最もよく知られているのですが、
はっきり言っちゃえば、この本は基本的に霊界での事実を単に述べているだけであって、
もちろんそれでも凄いことですが、キリスト教の教義の説明がこの本の本旨ではない。
ス氏の著作で最初に読むのにはいいんですが・・・

> 地上で知らされている解釈とは、また違うのでしょうか?

上手く説明するのは難しいが、従来の教えとは全然違います
と言ってよいでしょう。それゆえ、私は慎重になっているのです
まあ焦らず行きましょうw

真のキリスト教とはいかなるものか、
それを知るためには是非ともス氏の著作の中でも
集大成的な存在である「真のキリスト教」を
将来もし余裕があれば読んでいただきたい

80 :67:2006/06/20(火) 19:07:01 ID:Q4Ujvh1r
ただ、天界と地獄の最初の部分、
すなわち、1、2、3をもう一度熟読しておいていただきたい
そして3に書かれてあるような(自称?)キリスト教徒が、
現代でも依然として多いと思われることに注意しておいていただきたい
3に書かれてあるような連中を信用しない方がよろしい

要するに、キリスト教において、すなわち聖書の神とはいったい誰のことなのか?
その宗教において、その宗教が何を信奉し、崇めるのか、その存在はその宗教にとって
最も重要であり、最初に正確に知っておくべき事柄です

だが現今のキリスト教ではおそらく正確に知られていないのです(トホホ)
そのことは黙示録に予言されているんですけどね
つまり天界と地獄の1、2に書かれてあることすらキリスト教界では
ほとんど知られていないのです

3の内容に関連して、主の神的人間性を取り扱った
78から86、とりわけ83以降もぜひ参考にされたし


ではまた

81 :名無しさん@3周年:2006/06/20(火) 19:26:57 ID:Q4Ujvh1r
つけ加えておきますが、
天界と地獄の1では、多少聖言についての解説がありますが、
聖書、すなわち主の聖言がなぜ存在し、それはどのような役割を果たしているのか

そのことに関しては、303から310までを読んでください
ついでに311もねw

82 :火の洗礼を祈る小羊 ◆b45h8kER4c :2006/06/20(火) 21:56:28 ID:8YMXo5w0
>>55

抄訳もよく読んでいないんですが、積読状態でして。
興味本位のところは削除してある、と書いてあったのですが、そういう週刊誌的なところが実は一番興味があったりしますよね、人間ですから。

めずらしく、レスすごいですね。

>>58

私もよく読んでいないが、贖いについては、新教会用語集によれば、当時のプロテスタント「刑罰代償的」、カトリック「賠償的」、新教会「主の人間性の完全神化」となっています。

私がス氏に注目したきっかけは、主が十字架にかけられている=我々の罪は贖われた=クリスチャンは天国行き決定、という論法がどうにもこうにも納得いかなかったから、ということがあります。

復活、再臨は、聖書みことばの中に、主は現れている、霊的な目で見える、というようなことだったような。

金と権力については、善のためといいつつどっちも求めてはダメでしょう。
手段としてならどうか、とも思うが、手段といいつつ、目的になりそうな、サタンの試みのようなものを感じる。
もともと持っていた、富と権力を不正なマンモンとして、全て処分するならいいとも思いますが。
いずれにしても、そのポイントに拘った時点で試みに落ちているような。






83 :火の洗礼を祈る小羊 ◆b45h8kER4c :2006/06/20(火) 21:57:42 ID:8YMXo5w0
>>69

最初、私も何だか変だよなとも思いましたが、霊体のこと、なので、地球人の幽霊がいるのであれば、宇宙人の幽霊を否定することもできないのかな、くらいに思っています。
それが本当かどうかは、この宇宙の全ての時においてに宇宙人が存在していたか、どうかを証明できない以上、わからない、というしかないのではないかと。
そこのところは、ス氏の本質的なところではなく、あまり拘るポイントではないと思っています。

>>75 >>76
私もカトリックは、カールラーナーとか好きですが、どんな派でも欠点はありますよね。
私の場合はカトリックの権威主義的なところがダメだった。確かにス派は傲慢な人が多いかもね。

>>78
十字架については、たしか、形を重視するということが、偶像崇拝のようなものにつながるということで、たしか重視していなかったような。隣人愛、善、悪を避ける、とかそういう実践的なものに重点が置かれています。


84 :名無しさん@3周年:2006/06/20(火) 22:05:27 ID:ezOV37rh
たとえば、個人が土地を占有するというのは罪だと思わないか?
そこに農作物を植えれば、世界中で餓死する人々のための食料を生産すること
ができるのに、柵を立てて遊ばせているとすれば、それは立派な罪だと思う。
もし、金が欲しければ、占有している土地を売れば得ることができる。

土地も富も権力も、持つことによって責任が発生する。
持たざる者には、最初から責任はない。
虐げる者は、それをやめることができるのにやめないから責任を負わされる。
虐げられる者は、自分からはやめさせることができず、責任を持たない。
その意味で、貧しいもの、社会的に虐げられる者は神から祝福されている。


85 :○つ門する弟 ◆i6C56gAdII :2006/06/20(火) 22:24:12 ID:7z3fmEns
やっぱ聖書は事前に読んどいたほうが良い?

86 :名無しさん@3周年:2006/06/20(火) 22:45:25 ID:iCNP5OOJ
>>79-81

67さま ありがとうございます!
今。やっと地獄界に入ったところです^^;
一般のキリスト教とはまた違う味わいですね。

>集大成的な存在である「真のキリスト教」

こんど挑戦したいと思います。(^^)
いろいろご教示賜りありがとうございます。


87 :火の洗礼を祈る小羊 ◆b45h8kER4c :2006/06/20(火) 23:09:12 ID:8YMXo5w0
>>84

真理ですね。私も宗教やるまえ、ぼんやりと縄文時代の人たちに憧れていた事があった。
その時代のほうが現代より、より幸せなはずだと。そのころは全体のために個人があり、個人のために全体があったはずだと。

ス氏著作のなかで、最古代教会の人たちが、もっとも上位の天的天使である、と記載を見たとき、やはりなあ、と思った。
稲作が始まり、所有が始まり、これ以上ないほど堕落したとき、神は見かねて、イエスさまとなり、降臨したのだと思う。



88 :火の洗礼を祈る小羊 ◆b45h8kER4c :2006/06/20(火) 23:11:39 ID:8YMXo5w0
>>85

何の?


89 :○つ門する弟 ◆i6C56gAdII :2006/06/20(火) 23:17:22 ID:qW3dryz5
>>88
図書館に霊界日記が9巻まであるので
それを借りて読む前に聖書読んでおいたほうが良い?

90 :○つ門する弟 ◆i6C56gAdII :2006/06/20(火) 23:43:19 ID:hxk/Ipi0
ところで
>水星人や火星人や金星人
ってどんな生き物?

91 :処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2006/06/21(水) 00:34:04 ID:epLujsus
http://www5e.biglobe.ne.jp/~petercat/picture/hansinsikyoku.jpg


92 :○つ門する弟 ◆i6C56gAdII :2006/06/21(水) 01:30:17 ID:keOGJ2be
>>91
ある意味「宇宙人」ではあるが・・・

93 :名無しさん@3周年:2006/06/21(水) 17:35:19 ID:5pLeiRZa
例えば月人とか火星人とか、スウェーデンボルグは他の太陽系の惑星にも、
人類が存在し、生息している、と書いているが、
これについては、支持者たちは、どう評価しているの?

彼の記述が本当に正しいのなら、このような致命的な矛盾的記載はありえないはず。
やはり、スウェーデンボルグは、幸福の科学の大川隆法やGLAの高橋なんとかのように
よく判らない変な教えを説いた一人程度の存在ではないの?
変な教えは、この世に沢山ある。
彼は、その中の一人程度としか見えないけど。

94 :名無しさん@3周年:2006/06/21(水) 17:47:59 ID:MpUqipUW
>>93
>例えば月人とか火星人とか、

霊的な存在としてでなく、マジで肉体を持つ生物として書かれてるの?

95 :名無しさん@3周年:2006/06/21(水) 18:20:15 ID:5pLeiRZa
>>94
霊的な存在、という説明書きは一切ない。

96 :名無しさん@3周年:2006/06/21(水) 18:28:22 ID:5pLeiRZa
以下引用
原著を持ってくるのが大変だから、ある人のコメントから引用します。

「彼がこの著作を書いている時代に於いて、「月には希薄ながらも大気がある」と
言及していたり、土星の環が板状ではなく太陽光を反射するモノの集合体である事も記している他、
太陽系の当時天文分野で確認されていた惑星、水星〜土星(土星よりも更に隔たった宙域にある地球に就いても記しているが・・)に
生息している他の人類の容姿と宗教観と生活に就いて少ないながらも書き記している。

その中で興味を惹かれる記述が、発音される言葉によらない会話方法である。
主に火星と木星の人類が行っているコミュニケーションであるらしいのだが、
彼らは発音される言葉によらない会話を持っていると説明されている。
現代で言う所のテレパシーの存在・概念を当時スエ氏はこの著作で書き記している。

なぜそれが発音されない言葉であるかに就いても仔細に亘り説明しいるが、
それは外耳を通らない言葉であると記している。
それは鼻からエウスタキオ管を通して内耳に響く、流れだと説明している。 」


97 :名無しさん@3周年:2006/06/21(水) 18:32:36 ID:5pLeiRZa
これは、物理的な存在として、
諸惑星に人類が存在している、とスウェーデンボルグが言及していたことに他ならない。

しかし、スウェーデンボルグの信奉者たちは、
他の点は盛んに吹聴するのに、このような箇所になると
どういうわけか不思議にも沈黙してしまう。

検証不可能な神秘的な記述については、信じて吹聴するが、
検証可能な致命的な矛盾点については、意図的に沈黙し、無視をする。
これでは、彼らは他のオカルト思想の信奉者たちと全く変わるところがない。

98 :名無しさん@3周年:2006/06/21(水) 18:44:29 ID:5pLeiRZa
言うまでもなく、月には大気など全くありません。
それとも、数百年の間に事情が変わったとでも言うのでしょうか?

こうしたところについては、スウェーデンボルグの支持者たちも
新教会や他の影響下の組織も、なぜか沈黙していますね。
証明可能な矛盾点が多数あるのです。
ならば、惑星以外の、例えば天界とか、他の箇所に関しても
嘘や間違い、事実矛盾が多数存在する、と想像しなくてはいけません。

こうした手続きは、何万とある宗教や神秘思想の真贋を図るうえでの
もっとも合理的でスタンダードな方法です。

99 :名無しさん@3周年:2006/06/21(水) 18:51:23 ID:79PcSKQW
>98
月にはナトリウムの希薄大気があるらしいよ

100 :名無しさん@3周年:2006/06/21(水) 19:00:12 ID:5pLeiRZa
>>98
月の大気密度は、地球近辺の宇宙空間の大気密度と殆ど変わりません。
だから、教科書にさえ、月には大気はない、と書かれています。

このようなものをわざわざ伝える為に、「月に大気がある」と言ったのでしょうか?

101 :名無しさん@3周年:2006/06/21(水) 19:10:40 ID:79PcSKQW
>>98って>>99のことだろw

限りなく薄いとはいえ、ナトリウム大気は月や水星独自のものだ
となれば月に大気は全く存在しないとは言えないだろう
そして、「希薄ならがも月に大気がある」という記述は間違いとまでは言えないだろう

102 :名無しさん@3周年:2006/06/21(水) 19:11:27 ID:5pLeiRZa
スウェーデンボルグが説く、「月に存在する人類」については、どうですか?
これは、彼の記述に嘘が含まれていることの、決定的証拠でしょう。

「彼はこの著作で更に、月の人類に就いても言及してるんですが、
彼が記したその月人の容姿は七歳の子供の様な身長であるが
屈強な身体つきをしており、彼らは胸部では無く腹腔部に溜めた空気によって
言葉を発すると言う、コレまたワケワカメな説明を遺している。
月の人がこの様な呼吸を持つのは月の大気が極端に薄いからだとも説明している。 」

言うまでもなく、物理的な存在として、月にも人類がいる、
とスウェーデンボルグは言っているわけです。
僅かなナトリウムを吸って生きるために、このような呼吸器官を持ったとでも
言うわけでしょうか?


103 :名無しさん@3周年:2006/06/21(水) 19:11:58 ID:5pLeiRZa
>>101

>>102に答えてください。

104 :名無しさん@3周年:2006/06/21(水) 19:16:16 ID:5pLeiRZa
「屈強な身体つきをしており、彼らは胸部では無く腹腔部に溜めた空気によって
言葉を発する」
という月人は、いったいどこにいるのでしょうね??

要するに、スウェーデンボルグは、不思議な文体と変わった説ではあったけれども、
検証すれば他の多数の不思議なオカルト思想と違わなかったわけです。

105 :名無しさん@3周年:2006/06/21(水) 19:21:16 ID:79PcSKQW
>103
さあ、彼は見たとおり書いたのだろうw 君がワケワカメなだけだ
薄い大気でも吸っちゃいかんのかねw
地球の科学レベルでは宇宙はおろか、太陽系内の惑星についても
大してよく分かっていないのが事実
自分の偏狭なモノサシで全てを測り通せると思い上がらん方がよい

それに一時期アポロが月へ行ったか行ってないかで議論になったが、
これは誰かが本当に知られたくないことを巧妙にぼかし、隠し通すために
いわばばらまいた演出である可能性も否定できない

106 :名無しさん@3周年:2006/06/21(水) 19:22:51 ID:B9H0idj6
>水星人や火星人や金星人

なになに 月星人もいるのか?
地球外生命体…  宇宙人の存在を認めてるってこと?

107 :名無しさん@3周年:2006/06/21(水) 19:41:12 ID:B9H0idj6

まあ。広大な宇宙のどこかに
地球人とちがう生命体がいても不思議やないけど

この地球は、いつか滅び去ってしまうとも言われてるが
人類は、そのとき他の星に移って命を永らえるのだろうか。。


108 :火の洗礼を祈る小羊 ◆b45h8kER4c :2006/06/21(水) 21:55:23 ID:znk1TJIE
>>104

「宇宙の諸天体」ですね。興味のある人は買ってみればいいと思うが、

http://www.arcana-p.com/

訳者あとがきに、「霊たちの記憶の眼をとおして、眺めた住民もいつ頃の住民なのかの言及もありません」とあるとおり、月人が何十億年前にいたのかどうか、などわかるすべもないであろう。

現時点という非常に狭い、宇宙全体からすれば1年のうちの12月31日23時59分59秒の時しか見えてない視点からすればそうなるのもいたしかたないが。

ちなみに訳者の長島さんという人は、上智大、同大学院、他海外神学校を出て、カトリックで将来を嘱望された人だったらしい。


109 :火の洗礼を祈る小羊 ◆b45h8kER4c :2006/06/21(水) 21:58:53 ID:znk1TJIE
>>89

オカルト的な興味で、ス氏を読むのはどうかとも思いますが、人それぞれ色々なイエスさまとの出会いがあるので、前後どちらでもいいので、マタイ福音書くらいは読んだほうがいいと思う。


110 :名無しさん@3周年:2006/06/22(木) 00:10:26 ID:eNy88Fdr
jjj

111 :名無しさん@3周年:2006/06/22(木) 00:16:27 ID:eNy88Fdr
>>99
>>101
あのー、あなた月に大気がないのは一般常識ですが。。。
ナトリウムの大気???
そんなオカルト的な知識、どこで仕入れたんですか?
信頼できるソースを提示しなさい。
ナトリウムは固体ですよ。
地球上だけではなく、月上でもです。
どうやって、それが大気を構成するんですか。

化学の一般常識もない人たちだったとは。。。

112 :○つ門する弟 ◆i6C56gAdII :2006/06/22(木) 00:36:31 ID:upqFCfN8
月ナトリウム希薄大気の構造と成因
http://pparc.geophys.tohoku.ac.jp/study/moon/moon.html
月ナトリウム希薄大気の構造と成因に関する研究
http://pparc.geophys.tohoku.ac.jp/study/abstract/kuroda-m.pdf

ナトリウム大気でぐぐったらヒットした。

113 :名無しさん@3周年:2006/06/22(木) 00:40:21 ID:vSwDcPCM
>>107
地球をダメにしてしまう人類が他の星に移ってから
うまく生きていけるとは到底思えないが

114 :名無しさん@3周年:2006/06/22(木) 11:46:53 ID:2D/QBE+j
>>108
> >>104
> 眺めた住民もいつ頃の住民なのかの言及もありません」とあるとおり、
>月人が何十億年前にいたのかどうか、などわかるすべもないであろう。

ちょっと、これ言ったら、オウムの麻原彰晃や、幸福の科学の大川隆法の
霊的メッセージですら、真実です、と言えてしまうよ。
事実関係の食い違いが証明されたら、即座に
数億年前(後)の世界のことかもしれません
と言えばいいわけだから。

こういう理屈にもならない言い訳をしてまで、信じてしまうのは、もう妄信の域、
カルト的兆候だよ。


115 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

116 :名無しさん@3周年:2006/06/22(木) 17:46:03 ID:EFUBY208
http://www.cults.co.nz/s.php

スウェーデンボルグ派は
cultの中でも、とりわけ危険となってるぞ。
デンジャーマークが付いている。

117 :名無しさん@3周年:2006/06/22(木) 17:48:12 ID:9Gh9uebV
スウェーデンボルグとかシルバーバーチって似たようなもん?
えてして。 キリスト教への批判が強いような気もするが…

神からの託宣なのか? 惑わしの霊によるものか?
真髄をついてるとこもあるし.....  敵も去るものよの^^; 

118 :名無しさん@3周年:2006/06/22(木) 17:51:19 ID:7zGksevY
>>116の一番したに書いてあるのをエキサイト翻訳してみた。

スェーデンボリ/「スウェーデンボルグ信奉者-主義」。 エマニュエルのスェーデンボリによって設立された
精神主義者カルト。 「本当のクリスチャンの宗教」であると主張しますが、キリスト教のすべての基本的な
信念を否定します。 詳しい情報に関しては、CARMのスェーデンボリ記事かWatchman Fellowshipの
スェーデンボリプロフィールを見てください。 または、1人の男性がどう彼の救世主としてCARMサイトで
キリストを知るようにスェーデンボリを置き去りにして、なったかを読んでください。

スェーデンボリ、エマニュエル。 スェーデンボリの創設者。 1688--1772を住ませました。

119 :名無しさん@3周年:2006/06/22(木) 17:53:06 ID:EFUBY208
カルト、と言っても、狂信的、精神的に不健全、という意味だろうけどね。
カルトの原義は、熱狂者集団、狂信的思想、と言う意味だから。
組織的な活動は原則していないはずだし
よって金銭や労働力の搾取もなければ、
社会への迷惑もないだろうから。

120 :名無しさん@3周年:2006/06/22(木) 18:02:01 ID:EFUBY208
>>117
取りあえず、最安全策は海外の批評サイトを徹底的に翻訳していくことだろうね。
日本では、スウェーデンボルグについて肯定的な情報しか入ってきておらず、
否定的な情報は殆ど翻訳・出版されていない状況だ。
その理由は、スウェーデンボルグ派が超少数派であるため、
他のキリスト教会が殆ど知っていない、あるいは無視している状態だから。

121 :名無しさん@3周年:2006/06/22(木) 18:44:06 ID:9Gh9uebV
>>120
肯定的な意見だけでは、危ないですね。
どなたか翻訳してくれると助かりますが^^;
情報の取り扱いには、充分気をつけたいですね。


122 :名無しさん@3周年:2006/06/22(木) 18:50:48 ID:EFUBY208
>>119は撤回。
日本では反社会的な組織がないというだけで、
ニュージーランドには、もしかしたらあるのかもしれない。
その意味での「カルト」という表記なのかも。
調べてないから、なんとも言えない。

123 :火の洗礼を祈る小羊 ◆b45h8kER4c :2006/06/22(木) 20:07:36 ID:+zCm7DX+
>>114 まあ、別に拘るわけではないので、どうでもいいが、

46億年前に地球及び月が誕生し、地球上では5億年前に魚類、1億年前に恐竜・原始霊長類でしょ。
月やその他の天体では、例えば1億年くらいずれた早い時期に人類のようなものが誕生し、そして絶滅していた、という可能性を否定も肯定もできないと思いますよ。科学的思考では、証拠がない以上わからない、というほかないのでは。

大体、人類の文明がこのまま歯止め無く進んでいった場合、加速度的に発展する科学と未熟な人間性により、1億年後、地球は廃墟となっている可能性はかなりあると思うが、如何か。



124 :火の洗礼を祈る小羊 ◆b45h8kER4c :2006/06/23(金) 03:43:46 ID:ZBsHrxNV
カルト、異端については、私も、ス氏に拘るわけではなく、英語が不得手だったりするので、どんどん調べてUPしてもらいたいが、その信仰の実としての実態に問題があるようなら、やはりその教えのどこかに問題があるのであろう。

ス氏の場合、三位一体の細かい点でニケア信条に反するなどで異端とされているが、ニケア信条を謳っている場合で、自身が正統派であるとことさら言っている場合でも、カルト性というのは、自称正統派教会にも多く見られることである。

例えば、カトリックであれば、教皇無謬性や超常現象(秋田マリア他)に対する信仰容認、プロテスタントであれば、イエスさま自身の山上の垂訓を否定し、ただ十字架の贖いにより、信じることでのみ救われる(信仰義認)とする教義など。



125 :名無しさん@3周年:2006/06/23(金) 09:26:30 ID:57BsOiJR
>118
試訳:
スウェデンボルグ/スウェデンボルグ主義
エマニュエル・スウェデンボルグによって設立された心霊主義者のカルト。
(自分達の教義のことを)「真のキリスト教」と主張しているが、キリスト
教会の信仰原理のすべてを否定している。より詳細については、CARMの
スウェデンボルグ記事や、(以下略)....を見なさい。

結局、「既存のキリスト教を否定している」から「危険」と言っているだけでしょ。
聖書にもあるように、木のよしあしは、どんな実がなるかで決まる。
スウェデンボルグ主義者が、一体どういう悪いことをやったのか、検証してから
批判すべきだよ。ちなみに、既存のキリスト教は、歴史的に悪いことしまくり
だから、「悪の木」であることはケテーイしているけど。



126 :名無しさん@3周年:2006/06/23(金) 10:07:12 ID:57BsOiJR
キリスト教は、もともと矛盾の塊なんだよ。
ユダヤ教までは、「よい行い」なかでも「隣人をわが身のように愛する」こと
が重要視されてきた。イエス自身もそのように何度も説いているし。
それをパウロは「人間には、生まれつきよい行いなどできない」とし、ただ
キリストの罪の贖いだけを信じればよい、人間の分際で、よい行いをやろうと
するのは冒涜でしかない、と説いた。

ここから、「いくら悪いことをやっても、あとで贖ってもらえるのだから、
死ぬ直前に罪を告白すればいいんだ」という安易な発想が出てきて、キリスト教
は愛を唱えつつ、権力者と結託して人殺しばかりやってきた。

スウェデンボルグによれば、人間は善霊と悪霊の影響を受けていて、そのどちら
に従うかが試されている。ただし、人間が独力で悪霊を退けることは不可能で、
キリストの力を借りるわけだが。この仮説から、イエスの「隣人をわが身の
ように愛せよ」と、「よいことができるのは神だけである」という一見矛盾する
言葉を説明することができる。つまり、元々のユダヤ教と、特にルター派の信仰義認
との裂け目を埋めてくれる「第三の道」なんだよ。

127 :名無しさん@3周年:2006/06/23(金) 14:08:28 ID:bJI28BNl
スウェデンボルグによれば
スウェデンボルグによれば
スウェデンボルグによれば

自派の経典の客観性を証明するのに、
自派の経典から引用してどうするの?

128 :名無しさん@3周年:2006/06/23(金) 14:27:48 ID:onbwY3so
>>126

>>102-114
はスルー?

耳障りの良い箇所だけを信じて、
不審なところには意図的に目を背けるその態度は
カルト信者のそれと似ていないかな?

スウェーデンボルグに限らず、シュタイナーなど
神秘思想系の著作には、ある程度耳障りの良い箇所があるものだ。
でも、それらが全て真実とすると、この世は言いようの無い矛盾に陥ってしまう。
だから、明白な矛盾点・不実記載が無いか見極めるのが
ごまんとある教えの真贋を見分ける上での一般的な方法だ。

129 :名無しさん@3周年:2006/06/23(金) 14:40:50 ID:onbwY3so
これは、オウムや原理講論(統一教会)など新宗教系の経典にしても同じことだ。
ある程度以上の労力を経て作られた経典なら、どれにも耳障りの良い箇所はあるものだ。

統一にしても、オウムにしても、ある程度教義は正しそう、、そのように書かれている。
でも、精査すると一割くらいおかしな箇所があるものだ。
統一にしても、オウムにしても、勿論、スウェーデンボルグにしてもだ。
スウェーデンボルグについて言うなら、惑星人の話がそれだろう。
地球については、主に現在の事象について書いているのに
諸惑星についてだけは数億年前の話?
スウェーデンボルグ自身断り書きも入れていないのに?
これは、少し無理な弁解と言うものだ。

信じやすいところだけを注目する人が、変な思想にかかりやすい。


130 :名無しさん@3周年:2006/06/23(金) 20:39:45 ID:7FwbPr5g
>128

それは、「諸天体の霊界」の話だろ?
スウェデンボルグが、「月面や火星の表面に宇宙人が居る」と言ってると
主張するんなら、ちゃんと原典を引用してくれ。

131 :名無しさん@3周年:2006/06/23(金) 20:45:17 ID:xr6XmZ+U
宇宙人に関する記述があるス氏の著作は

静思社から『宇宙間の諸地球』として、
たま出版から『スウェーデンボルグの惑星の霊界探訪記』

として刊行された。

132 :名無しさん@3周年:2006/06/23(金) 21:32:39 ID:7FwbPr5g
だから、「惑星の霊界」の探訪記だろうって。
どこに「惑星探訪」の話があるんだよ。

133 :名無しさん@3周年:2006/06/23(金) 23:22:50 ID:KHhpfkCj

* 教会の壁に子供を抱いた神父の影 (o^ д ')〜 ☆

チリの教会の壁に子供を抱いた神父の姿に見える影が浮かび上がった。サンチアゴの
クリスト・レイ・デ・トーメ教会には、 その姿を見ようと国中から人々が集まってきている。
彼らは これを生前貧困な子供たちの世話をし、 この月末に列聖することになっている
ウルタド神父の姿だと信じている。 地元の神父によれば、 この影は5週間ほど前から
現れだしたという。 エルナン・エンリケ神父は語る。 「 何が起こっているのか わかりま
せんが、どこからともなく現れたのは100%確かです。」

クリスト・レイ・デ・トーメ教会の( 洗礼志願者への信仰教育を行う部屋の )壁に子供を抱いた
神父の姿に見えるう不思議な影が浮かびあがり、それを見ようする人々が国中から集まって
きていると言う。 人々はこの影を生前、 貧しい子供たちの面倒をよくみていた、 この月末に
ローマ法王から聖人として認められることになっている、ウルタド神父の姿であると信じている。

http://amor1029.exblog.jp/i45
http://choxets.blog8.fc2.com/blog-entry-444.html


134 :名無しさん@3周年:2006/06/23(金) 23:32:56 ID:KHhpfkCj

ウルタド神父、聖人に。(o^ д ')〜 ☆

http://blog.livedoor.jp/lautaro/archives/50152460.html

135 :名無しさん@3周年:2006/06/23(金) 23:33:45 ID:2TkQaftN
スウェーデンボルグと何の関係が?

136 :名無しさん@3周年:2006/06/23(金) 23:44:49 ID:KHhpfkCj

あり スレちがい?
信仰の神秘〜ぃ ですよ。(o^ д ')〜 ☆


137 :火の洗礼を祈る小羊 ◆b45h8kER4c :2006/06/24(土) 10:21:39 ID:n16F4J2t
>>129

「宇宙の諸天体」を読んでもらえばわかるが、一言も現代の月に月星人がいるなどとは、書いていない。それらは、その惑星出身の霊と話した、ということ。数億年の話は、科学的根拠であれば、というのではなしただけ。

2億年前に月星人がいたかもしれないということを、肯定も否定もできない、というスタンスでないと、
死んだ後、霊体が残るとか、天国とか、地獄とか、精霊界とか、も同じように、考えられないのではないか、と思う。

1割の記載矛盾を突いたカルト判別法は、確かに使えないことは無いと思うが、前述した教皇無謬や信仰義認なども同じであり、
100%完璧な教えなど、福音書、それも原典のQ資料しかないと思う。
ただ、その解釈があまりに困難なため、いろいろな派があり、試行錯誤していると思う。


138 :名無しさん@3周年:2006/06/24(土) 11:14:20 ID:zx5foQQ0
スウェーデンボルグの著作におけるシェオルの扱いについて教えてください。

139 :火の洗礼を祈る小羊 ◆b45h8kER4c :2006/06/24(土) 12:18:51 ID:n16F4J2t
>>138

天界と地獄、霊界日記などにさまざまな様相が記載されているが、地獄も天国も、みな人の霊魂の行き先であるということ。
死ぬとまず、精霊界で、その人の外面的なものを取り外すため、しばらくそこに滞在したのち、その人の内面により、もっとも居心地のいいところへいく。
自己愛・世間愛にまさるものは、地獄へ。隣人愛・神への愛にまさるものは、天界へと行く。
地獄に居るサタン・ルシファーなどは、もっとも凶悪な太古からの霊(人類)の総称。
天界と地獄は、善と悪に相応し、様々な種類の様相を呈している。善があるところには、相応する悪がある、ということ。
例えば、結婚愛の結果としての性行為に真逆なものとして残酷な性行為があるように。
そうした、善と悪の様々な様相により、さまざまな天界と地獄がある。
地獄界については、地下であらわされるが、最深部へいけばいくほど、凶悪・卑劣・冷酷の度合いは増していく。


140 :名無しさん@3周年:2006/06/24(土) 14:38:00 ID:wHEyjn9t
最後の審判の日まで霊は陰府で眠り続けるのではないのですか?

詩篇 6:5 (6) 死の国へ行けば、だれもあなたの名を唱えず陰府に入ればだれもあなたに感謝をささげません。
伝道 9:10 何によらず手をつけたことは熱心にするがよい。いつかは
行かなければならないあの陰府には仕事も企ても、知恵も知識も、もうないのだ。

141 :名無しさん@3周年:2006/06/24(土) 17:20:44 ID:XX1fdauP
不完全性定理とスウェーデンボルグ神学の関係。「論理体型には必ず矛盾が生じる」
スウェーデンボルグ神学の矛盾。地獄の人間が、この世の人間を悪に誘い込むという
と言っているが、地獄は最初はなかったはずである。どうやって、地獄がないときに、
地獄に行った人が居るのか?「幼児は必ず天界に行く」・・・天界と地獄を選ぶ、
自由意志を尊重しておきながら、強制的に天界に行かせるのは自由意志がない。
幼児は霊界で成長してから、自分で天国が地獄を選ぶべき。
矛盾ではないが、天界の人数と、地獄の人数が天界の勢力、地獄の勢力であるというのは変。
天界の勢力=イエスキリストのみで十分。
矛盾があるからと、この神学を否定するつもりはない、神学の研究にも終わりはないことの証だから。

142 :名無しさん@3周年:2006/06/24(土) 17:57:46 ID:H0CChuZI
>矛盾ではないが天界の人数と、地獄の人数が天界の勢力、地獄の勢力であるというのは変。

意味がわ からない。

143 :名無しさん@3周年:2006/06/24(土) 19:37:46 ID:xE8N+DEV
>141

だから、最初の人間たちはすべて、生まれながらに天界とつながっていて、
死後はすべて天界へ復帰したらしい。
地獄ができてから、加速度的に地獄へ堕ちる人間が増えたということだろう。
特に、パウロが世に出て、偽物のキリスト教を広めてから以降はね。

144 :名無しさん@3周年:2006/06/24(土) 19:40:40 ID:xE8N+DEV
これはスウェデンボルグ本人が言っているわけじゃないが、別の霊能者
によれば、人間となって現世に生まれてくる魂は、一種の刑期を勤める
ような感じらしい。霊のままならば、肉体を保持するために利己主義に
走る必要も少なくなるだろうに、なぜ、わざわざ肉体をまとわねばなら
ないのか....。
夭折した幼児が直接天界に召されるというのは、一種の恩赦みたいな
感じだと思う。

145 :火の洗礼を祈る小羊 ◆b45h8kER4c :2006/06/24(土) 19:59:39 ID:n16F4J2t
>>140

詩編については、死の国を、地獄へ落ちるような人は、と読みかえればその通り。
コヘレトの言葉はス氏は、霊感を受けて書かれたとしていません。

>>141

最初に地獄へ落ちる人間は、自由意志を与えられていれば、たとえ流入がなくてもことかかないと思う。
「幼児は霊界で成長してから、自分で天国が地獄を選ぶべき。」たしか、その通りと記憶しています。



146 :火の洗礼を祈る小羊 ◆b45h8kER4c :2006/06/24(土) 20:04:29 ID:n16F4J2t
>矛盾ではないが、天界の人数と、地獄の人数が天界の勢力、地獄の勢力であるというのは変。
>天界の勢力=イエスキリストのみで十分。

唯一正しいのは、主のみなので、いいたいことはわかるが、神の意図として、たとえ不完全であったとしても、自分に似たものをつくりたいらしい。人間に自由意志を与えた結果、天界と地獄界が相応してできてしまった。


147 :名無しさん@3周年:2006/06/24(土) 20:17:31 ID:H0CChuZI
>>145
聖書に含まれる書で他にもス氏から霊感を認められていないものはありますか?

148 :火の洗礼を祈る小羊 ◆b45h8kER4c :2006/06/24(土) 22:10:43 ID:n16F4J2t
>>147

啓示によらないとされているもの

旧約 ルツ記、歴代誌、エズラ記、ネヘミヤ記、エステル記、ヨブ記、ダビデの詩以外の詩編、箴言、コヘレトの言葉、雅歌
新約 4福音書及びヨハネの黙示録以外の全て


149 :名無しさん@3周年:2006/06/24(土) 23:01:26 ID:VehA/v3+
けっこう多いんですね・・・驚きです。

150 :火の洗礼を祈る小羊 ◆b45h8kER4c :2006/06/24(土) 23:21:43 ID:n16F4J2t
>>149
そうですね。ただ、ス氏が啓示の書であるとする創世記〜は、「天界の秘儀」などにおいて、字義上ではない膨大な内意が記載されています。

(例)創世記1:11 青草、種をもつ草、実を結ぶ果樹   悔い改めにより善を行っても、自力でやったと考えれば、魂がこもっていない状態

151 :名無しさん@3周年:2006/06/25(日) 00:32:50 ID:kqpSt0Eo
図書館に『天国と地獄』あったから読んでみましたけど
興味が維持できなかったんで途中で止めました。
天界の様子やその秘儀などがくどくどしく説かれておりました。
言葉にすると退屈というか滑稽になり勝ちな世界のようですね、天国って。
彼は間違いなく体系家であって、神秘家ではないというのが私の感想です。


152 :名無しさん@3周年:2006/06/25(日) 00:47:19 ID:pRTqIGew
ヨブ記が啓示によらないというのは納得できない。
スウェーデンボリはどのようにしてこれらの文書が
啓示によらないと判断したのか教えてほしい

153 :火の洗礼を祈る小羊 ◆b45h8kER4c :2006/06/25(日) 07:49:31 ID:MYgSZQoi
>>152

書いてある内容の優劣ではなく、内的意味を持つみことばかどうかということなので、
字義上で読むのには、いいかと思います。
啓示によらないと判断したのかは、啓示によります。
啓示によるされたものは、字義上ではない意味が膨大です。


154 :名無しさん@3周年:2006/06/25(日) 11:25:58 ID:AfzZREVQ
ミカエルやガブリエル、ラファエルといった大天使
イザヤやエゼキエルなどの預言者は天界でどのような職務についていますか?

155 :名無しさん@3周年:2006/06/25(日) 12:00:35 ID:YB082NuJ
>>152
どのように、も何も
自分は霊視して見てきた、の一点張りだろ。
場所によっては、とって付けたような理由説明が加えられているけど、
そのようなものは、解釈次第で、どうにだって書ける訳だし。

どこかの教祖と変わらん。

156 :名無しさん@3周年:2006/06/25(日) 15:52:28 ID:5JuAhYc+
スウェーデンボルグ神学における矛盾はまだまだ沢山あります。
例えば、「自己改革」。悪人は自己改革をする事によって、善人に成れると
書いてあります。悪人が自己改革せずに死んだ場合、永遠の地獄に行くと書いてあります。
しかし、ここで矛盾が生じます。例えば、ある悪人が50歳で自己改革したとしましょう。
その悪人は、自己改革したので、天国に行けるわけですが、もし50歳以前に誰かがピストル
でその悪人を殺していた場合、その悪人は永遠の地獄行きになってしまいます。
この世の些細な出来事だけで、天国か地獄か決まってしまうのはスウェーデンボルグ神学に矛盾します。
しかし、スウェーデンボルグ神学を更に発展させた神学を構築する事は現世では不可能・・・。

157 :名無しさん@3周年:2006/06/25(日) 19:36:53 ID:tPQQSeDt
そのような「もし」が起こることを神が許しているのか?

158 :火の洗礼を祈る小羊 ◆b45h8kER4c :2006/06/25(日) 20:43:35 ID:MYgSZQoi
>>154
ミカエルやガブリエル、ラファエルという名は各天使社会の総称。人間への役立ちの為働いている。
各預言者は勉強不足でわかりません。

>>156
ス氏でなくても、クリスチャンであれば、共通のこととしてわかるはず。

マタイ 10:29 二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。



159 :火の洗礼を祈る小羊 ◆b45h8kER4c :2006/06/25(日) 20:46:39 ID:MYgSZQoi
>>156  こっちのほうが適切か

マタイ 25:10 愚かなおとめたちが買いに行っている間に、花婿が到着して、用意のできている五人は、花婿と一緒に婚宴の席に入り、戸が閉められた。

9 マタイ 25:11 その後で、ほかのおとめたちも来て、『御主人様、御主人様、開けてください』と言った。

10 マタイ 25:12 しかし主人は、『はっきり言っておく。わたしはお前たちを知らない』と答えた。

11 マタイ 25:13 だから、目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから。」



160 :名無しさん@3周年:2006/06/26(月) 22:38:19 ID:VAl5F6g9

>スウェーデンボルグは輪廻転生を霊界で目撃しています。アジアの兵士が敵城に夜間侵入した
>瞬間に首を切られ、 精霊界に飛び込んできたのです。 彼は自分が死んだはずなのに精霊界で
>「 生きている 」ことに呆然としていました。ところがしばらくして彼が精霊界にも霊界にも
>いなくなってしまいました。その後スウェーデンボルグは、アジアの国で前世を記憶している
>子供が出現して大評判になっていることを耳にしました。そしてその子供の話の内容が、首を
>切られた兵士が言っていた内容と全く同じだったのです。
 http://plaza.rakuten.co.jp/sailmssn/78000


 スウェーデンボルグは、輪廻転生も認めとるだね。 ( ̄ △  ̄) †

161 :名無しさん@3周年:2006/06/26(月) 23:37:02 ID:HlOUCvzs
スウェーデン負けちゃったね

162 :火の洗礼を祈る小羊 ◆b45h8kER4c :2006/06/27(火) 06:46:02 ID:N32FcpKt
>>160

私の知る範囲では、輪廻転生はスエーデンボルグの主要なテーマにはないです。私自身も、輪廻転生させてもらえるなら、どんなに楽なことだろう、と思うのですが、神の計画は、地獄にしろ天国にしろ、永遠を志向しているようです。
そのケースは、そのほうが本人の救いになる場合の神の慈悲の中でのレアなケースではないでしょうか。


163 :名無しさん@3周年:2006/06/27(火) 09:13:19 ID:PrHWGo86
>>輪廻転生
本当に書いてあるのだろうか?本当にスウェーデンボルグの本から
得られた知識なのだろうか。

164 :名無しさん@3周年:2006/06/27(火) 14:23:36 ID:hF7PElzQ
心配御無用

165 :名無しさん@3周年:2006/06/27(火) 19:49:07 ID:+XGIBMxB

【 輪廻転生とカタリ派 】

霊・魂・肉体の三要素から成る天使が堕天した際に、天界での肉体と霊は置き忘れられ
魂のみが悪魔の創った 「 忘却の衣服 」 ( =地上に於ける肉体 )に閉じ込められた。
修行によって徳性を高め、 天の霊との合一を成し遂げて初めて救済が得られるのだが
地上での十分な贖罪をしていない魂はすぐには帰天できない。現世をさまよい幾度とも
知れず、他の人間や動物の体に転生するとされた。 しかし、これは 絶対派の方にのみ
見られる考え方である。

http://k2yy2k.hp.infoseek.co.jp/majime/1-kyougigainen.html

166 :名無しさん@3周年:2006/06/27(火) 21:08:55 ID:vbl+r9Ru
ある矛盾をなくすために既成の理論をなくして、新たに理論体系
を構築する事なのか、それとも、既成の理論を使って、追加的に理論体系を構築
する事なのか?不完全性定理は単に「論理体型は必ず矛盾が生じる」と言っている
だけで、わからない。数学の集合論でパラドックスが生じて、それを克服する理論
体型が現れたという経緯があったような気がするので、集合論の勉強でもするかな。
ある矛盾を克服するために、既成の理論を壊す必要があるという事であれば、
スウェーデンボルグ神学を一部壊す必要があるとわかるから。

167 :名無しさん@3周年:2006/07/01(土) 14:59:56 ID:UMO0ARQp
輪廻転生があるとしたら
この世に生まれるのはカルマの解消つうことですか?
人間だけでなく 動物への転生もあるのでしょうか?

168 :火の洗礼を祈る小羊 ◆b45h8kER4c :2006/07/01(土) 20:42:55 ID:2oViY3CD
>>167

輪廻転生は無いでしょう。前述の例外も人間から人間でした。


169 :名無しさん@3周年:2006/07/01(土) 23:54:23 ID:Dw4I8n88
正典に啓示によらない書があるのとは逆に、
外典・偽典に啓示による書がある場合ってあります?

170 :ペガサス:2006/07/02(日) 00:47:04 ID:R6BSe/lK
信仰歴70年、カトリック、プロテスタントを含めて、聖書講解あるいは
神学等を渉猟したが、聖書解釈においてスエーデンボルグにまさるものを
知らない。精神界における巨人と言えよう。

興味本位では、「天界と地獄」が彼の著作として有名だが、彼の数多い著作
の中で本命というべきは、創世記と出エジプト記の講解である「天界の秘儀」
と言えよう。28巻に亙る大著であり、完読はできていないが、索引的に熟
読している。18巻の黙示録講解にも取り組んでいるが、容易に完読はでき
ない。

彼の信奉者は古来多くいるが、最も彼に傾倒したのはかの伝道者ヘレン・ケラー
女史であり、日本では禅の大家、鈴木大拙で、スエーデンボルグに傾倒し、2,3
の翻訳を出版して初めて日本に彼を紹介したのは昭和初年頃であった。

ちなみに、わたしは30数年前からサンダーシングを経て、スエーデンボルグ
の研究に入り、今日に至っている。絶えず天界に入り、天使たちと語り合った
彼の聖書解釈は、われわれの理性を納得せしめるに十分な素晴らしさを持って
いる。



171 :名無しさん@3周年:2006/07/02(日) 11:28:42 ID:1otqH3B4
イスラム教圏や他の宗教文化圏ではどのように受け取られてるのかな。

172 :名無しさん@3周年:2006/07/02(日) 12:30:43 ID:jwGOlxgo
>>167

人間は何十回も輪廻してきた。人間と地球にいる特定の動物、
および地球外知的生物として。

あらゆる動物としてうまれる(た)わけではない。

173 :名無しさん@3周年:2006/07/02(日) 12:35:40 ID:hMnrBu3t
>>172
それはスウェーデンボルグの教え?
特定の動物とはなんですか? 

174 :火の洗礼を祈る小羊 ◆b45h8kER4c :2006/07/02(日) 19:50:24 ID:epvZ+Gi9
>>169

ないと思う。

>>173

教えではないと思う。


>>170 著作あまり読んでいないので、教えてもらいたいのですが、ユダの取り扱いはどうなっていますか?






175 :名無しさん@3周年:2006/07/03(月) 15:20:10 ID:QfygnNkg
サンダーシングはスンダルシング

176 :名無しさん@3周年:2006/07/05(水) 12:35:31 ID:WTWyXaRz
>>174

わたしの知る範囲では、彼の著書に、ユダについての記述はありません。
あるとすれば、霊界日記、または夢日記でしょうが、全巻を持っていない
ので、ユダについての記述の有無は明言できませんが、抄訳では記述は
ありません。

177 :武庫川女子大学総長 ◆gqBBZUnUPk :2006/07/05(水) 18:13:19 ID:PW1VKpuJ
「信じる」だけでは、霊界は変えにくいことだろう?
いくら、ある程度の”主観”が認められている世界だとしても。

178 :火の洗礼を祈る小羊 ◆b45h8kER4c :2006/07/08(土) 23:36:24 ID:RbfIprk4
>>176

ありがとうございます。あと、どうもわからないというかいまひとつ納得できないこととして、
イエスさまが神だとすると、ゲッセマニや十字架上での祈りが、自作自演というか嘘っぽく見えてしまうのですが、
主の人間性の栄化だとしても、それを自分自身が神であるということに近いことをいっておきながら、
どうしてそんなに苦しまなければならないのか、その辺が今ひとつよくわからないのですが、おわかりでしたらお教えください。


179 :名無しさん@3周年:2006/07/09(日) 03:22:11 ID:dVVMC7ep
>>178

イエスの十字架における死の意味は、ご存知のように、イザヤへの(神の)
預言によります。代表的にはイザヤ書の53章がそれです。

あなたの言う「ゲッセマネや十字架上の祈り」はマリアからの受肉した人間
性に対する試練を克服する祈りであり、受肉を通して贖いが成就することが
神の手段であったということです。

イエスは十字架上でサタンと戦い、最後に勝利して、「事終わりぬ」といわれ
肉体の息を引き取られた。彼はわれわれのために黄泉の門を打ち砕かれたので
す、すなわち、われわれがイエスに従うなら、われわれは既にサタンに打ち勝
っている所以です。


180 :火の洗礼を祈る小羊 ◆b45h8kER4c :2006/07/10(月) 00:59:02 ID:/RJNQYIL
>>179
レスありがとうございます。

「マリアからの受肉した人間性に対する試練を克服する祈り」ですね。後もう少しでわかりそうな気はします。

あと福音書で、昇天後、「神の右に座し」とありますが、十字架後のイエスさま=神と考えると、頭が混乱するのですが、
これについては、どうお考えになりますか。


181 :名無しさん@3周年:2006/07/10(月) 23:22:05 ID:eqyPYBDA
>最近私は、よく思うのだが 新教会の人々はあまりにもスウェーデンボルグ書の世界
>にはまりすぎてはいないか、と。この様な人々は私の知る限り神との交流がおろそか
>になっている様な気がする。またスウェーデンボルグの神学により 自分の首をしめ
>ている様な感じをうける。一番重要なのは、神(主)への信仰及び愛である、と私は思う、
>みなさんいかが?
こんな文章がネットに。これってスウェーデンボルグ書を聖書に置き換えても言える事だと
思う。殆どの人は、何かの書物を基盤として、神を愛していると感じる。
基盤無くして、神への愛に辿り着ける人はいないだろう。

182 :名無しさん@3周年:2006/07/11(火) 00:30:10 ID:8m6yA5U8
>>180
>あと福音書で、昇天後、「神の右に座し」とありますが

マルコ福音書のことを言っておられるのでしょうが、当該箇所つまり
16章の9節以降は、括弧書きになっています。
それは、古い写本になく、新しい写本で加筆されたものと考えられて
いるからです。
また、当該9節以降の文の様式が、明らかに異なっていることは、後世
の加筆と考えられるからです。
以上の2点において、9節以降は信憑性に欠けています。
従って、わたしも、9節以降は考慮に入れることはありません。

>十字架後のイエスさま=神と考えると、頭が混乱するのですが、
これについては、どうお考えになりますか。

イエスの言葉に
「わたしと神は一つである」
また
「わたしを見たものは神を見たのである」
とあります。

イエスを信ずるものは、あなたの言うように イエス=神 なのですが、
神が人間を贖う手段として、受肉した神=イエス なのです。
遠藤周作も書いたように、イエスはガリラヤ湖畔で人間として「立小便」
したに違いないと。つまり、マリヤから受け継いだ人間としての肉体を
持っていた神だと理解してよいでしょう。

あなたの言う「ゲッセマネの血の汗の祈り」も「なんぞわれを捨て給うや」
の十字架上の祈りも、自作自演でなく、肉体を持てる人間としての真実の
戦いであり、これなくして人間の救いはないとされた神のとられた手段で
あったと、スエーデンボルグは解き明かすのです。

183 :名無しさん@3周年:2006/07/11(火) 08:15:36 ID:udSpjh3H
一般的なキリスト教の教えと 大きく違うのはどんな教義?

184 :火の洗礼を祈る小羊 ◆b45h8kER4c :2006/07/11(火) 18:46:42 ID:FiMPv1wf
>>181

どこのネットですか。いろいろお伺いしたいので、さしつかえなければ、検索ワードなどお教えください。


185 :火の洗礼を祈る小羊 ◆b45h8kER4c :2006/07/11(火) 18:50:50 ID:FiMPv1wf
>>182 いつもありがとうございます。私もマルコの補遺であれば、人が下から見て、神の右も左も無いだろうと思ったのですが、

マタイ 26:64 イエスは言われた。「それは、あなたが言ったことです。しかし、わたしは言っておく。あなたたちはやがて、/人の子が全能の神の右に座り、/天の雲に乗って来るのを見る。」

マルコ 14:62 イエスは言われた。「そうです。あなたたちは、人の子が全能の神の右に座り、/天の雲に囲まれて来るのを見る。」

ルカ 22:69 しかし、今から後、人の子は全能の神の右に座る。」

詩篇 110:1 わが主に賜った主の御言葉。「わたしの右の座に就くがよい。わたしはあなたの敵をあなたの足台としよう。」


イエスさまの言葉として、またダビデの詩編にもあるんですよね。Q資料とは異なるという解釈になるのでしょうか。




186 :火の洗礼を祈る小羊 ◆b45h8kER4c :2006/07/11(火) 19:16:05 ID:FiMPv1wf
>>182

>自作自演でなく、肉体を持てる人間としての真実の
戦いであり、これなくして人間の救いはないとされた神のとられた手段

なるほど。神であれば、神ではない人間としてのイエスさまを人間界に送り込むことは造作もないことなんでしょうが、我々人間にはなかなか理解しがたいことですね。

>>183

キリスト教大辞典のスエーデンボリの説明によると、三位一体、原罪、信仰義認、予定説を否定とあります。
ただ、信仰義認、予定説は、「一般的な」キリスト教であるカトリックや正教でも否定するでしょう。
問題は三位一体ですが、これを「一般的な」クリスチャンで自分の言葉できちんと説明できる人はほぼ皆無ですので、
「一般的な」クリスチャンと対話していても、頭から異端と決め付ける人以外は、同じ土俵の上での対話が成り立ちます、
というより、オカルト的なイメージとは裏腹にキリスト教(イエスさま)そのものです。
ただ、旧約の預言書やイエスさまの福音書を重視し、使徒文書を軽視するということはあります。




187 :名無しさん@3周年:2006/07/11(火) 23:45:52 ID:udSpjh3H
>>186
ふぅ〜む。予定説は賛否両論いろいろありますね。ルターの信仰義認もボツか
原罪の否定ということは、アダムから受け継がれている全人類の罪はないと?
十字架の贖罪はどうなるのだろ(T_T)? 三位一体もちゃうと。。

天界と地上の理解は とてつもなく離れてるのですね
あちらに行ってみんことには、なかなか分らん世界っすね。。


188 :火の洗礼を祈る小羊 ◆b45h8kER4c :2006/07/12(水) 07:16:34 ID:6zMJtX4g
>>187  ス氏の三一性は、これですが、これが三位一体とどう違うのか、と思います。

宗教にとって最も重要な自明の理は、「神が存在し、その方は一人である」という命題です。三一性についての伝統的なキリスト教の見解は、この自明な理に反しており、それゆえ「神性の奥義」と呼んできました。
すべての教えの中で最も重要なものに混乱とあいまいさがあったのです。再臨された主イエス・キリストによって啓示された最初の真理は、「主は唯一の神であり、主の中に三一性がある」というものです。
「父」によって、主の神的な目に見えない霊魂が意味され、そしてこれがなぜ主が「父は自分の中におられる」(「ヨハネ」14:10)と言われたかの理由です。
「子」によって、主の神的人間性が意味され、また「聖霊」によって、主から発出する愛と知恵の聖なる力が意味されます。その霊はまさに主のいのちの息吹です(「ヨハネ」20::22)。


原罪は、遺伝悪です。

遺伝悪は前に〔さかのぼって〕長く続く両親と祖先から誘導され、増大し、積み重ねなれている。そして信じられているように、最初の人間が知識の木から食べたことのためのものではない。

 遺伝悪は自己と世への愛の悪である。それは人間が自分自身を神よりも、世を天界よりも愛すること、また隣人をなんら価値のない者とすることである(694, 4317, 5660番)。
そしてこれらの悪は天界の善に反し、また神的な秩序に反しているので、人間はまったくの無知の中へ生まれるしかない(1050, 1902, 1992, 3175番)。

189 :火の洗礼を祈る小羊 ◆b45h8kER4c :2006/07/12(水) 07:19:14 ID:6zMJtX4g
>>187

「あがない」は長くなるので、またあとにします。


190 :火の洗礼を祈る小羊 ◆b45h8kER4c :2006/07/13(木) 23:11:12 ID:dVUW3cZ6
>>187

十字架の贖罪について、ネットで検索したのですが、きれいにまとまっているものがないので、ス氏の要点を抜粋すると、

・あがないそのものは、神が人間として受肉されないかぎり、成立しなかった。
・十字架の苦難は、主が最高の預言者として耐えられた最後の試練であると共に、主の人間性が栄化されるため、おん父の神性と一致合体されるための手段であったが、あがないではなかった。
・父なる神が怒り、罪の宣告をし、その刑罰をおん子に受けることを、父なる神が望まれたとの考えは、おん子の悲惨な身姿を見て、初めて哀れみを感じられるなど、哀れみこそ神の本質であり、ご自分の本質に逆行する。


マクグラス神学入門の4つの十字架の主要なテーマ(犠牲、勝利、赦し、道徳的模範)のうち、道徳的模範に近いと思った。

その範疇であるなら、一般的キリスト教とも言えるものであると思うが、ス氏はルター、カルヴァン、カトリック教皇主義の強烈な批判をし、膨大な啓示があることから、カト・プロ双方から異端との烙印を押されてしまったのであろう。

いずれ、HPにもまとめようと思います。



191 :ペガサス:2006/07/14(金) 09:39:25 ID:yiRbvOqw
>>188
> ス氏の三一性は、これですが、これが三位一体とどう違うのか、と思います。

三位一体とは、アタナシオス信条にあるように、神、子、聖霊という三つのペルソナ
(人格)が一体であると考えるのであるが、ス氏は、それでは口で一体と言うが、心
では三神をあがめている、と言う。

ス氏は、神、子、聖霊は一つのペルソナつまり一つの人格であると言う。
その考え方は、神は「人間の最高のもの」であるという考え方からくる。
(創世記に神は、神に似せて人間を創った。逆に言えば神は人間に似て
いて、しかも最高の人間と言える)
人間は、こころと肉体を持ち、働きをする。最高の人間として、神も同
じく、こころと肉体と働きがあり、一つの人格を形成している。
つまり、神の「こころ」の部分がいわゆる神であって、「こころ」は見る
ことはできない。そして神の肉体の部分が、子つまりイエスであり、神の
「働き」の部分が聖霊である。
すなわち、ス氏の考えは、父、子、聖霊の三つは本来一体のものであり、
神として一人格を形成していると言う。つまり三一なのである。

たしかに、イエスは語った。「神とわたしは一つである」と、一体ではなく
一つであるのだ。
またイエスは語る「わたしを見たものは神を見たのである」(ヨハ14:9)と。
私たちは霊である神を見ることはできないが、肉体の神イエスをみることはできる
のである。


192 :名無しさん@3周年:2006/07/14(金) 09:51:43 ID:RVOE2nOn
東京と仙台にスヴェーデンボリ系教会があるね。地元の正統派教会とは結構
仲良くやってるらすぃ。

193 :火の洗礼を祈る小羊 ◆b45h8kER4c :2006/07/14(金) 19:58:14 ID:LnHrC69r
>>191

まあ、そうなんですが、三神をあがめている人にあうことは稀ですね。エホバさま、イエス様、聖霊様なんていっている人はみたことがないですし。
何がいいたいかというと、ス派のみが真理の体現者ではなく、一般のクリスチャンでもみなさんおなじような感覚ももっているのではないか、ということです。
信仰義認にしても、たとえ悔い改めない殺人鬼であっても信仰のみで救われると断言するクリスチャンはほとんどいませんし。
ス派のみが真理の体現者であると強調することは、かってのカトリックの犯した過ちを犯すことになると思います。


194 :名無しさん@3周年:2006/07/15(土) 15:50:51 ID:WFMkT6Kn
ふえーい。。。。。ワールドカップの見過ぎで眠いッス(半分ウソw)

子羊さん、そしてペガサスさん、わたしがサボっている間に
このスレをしっかりと回していただきありがとうございます
私は47の続きを書くべく、ぼちぼちと著作を調べたりしていますが、
(果たしてここに載せるに至るかどうか定かではありませんけど)

しかしながら、子羊さんの193に関しては、
私としては質問をする必要在りと思われるのでよろしく♪


>三神をあがめている人にあうことは稀ですね。
>エホバさま、イエス様、聖霊様なんていっている人はみたことがないですし。

そうでしょうか? では、カトリックでは、あるいは(一般的な?)プロテスタントでは、
誰を神としているのでしょう? いずれも天の父、すなわち父なる神(エホバ)を
神とすることに異存はないでしょう

ならば、キリストとは、イエスとは何者ですか? そして、聖霊とは何ですか?
この答えに彼らはどう答えるでのでしょう?
相変わらず昔と変わらない答えが返ってくるのではありませんか?
そうでないのならいいんですけど。。。

195 :名無しさん@3周年:2006/07/15(土) 15:53:27 ID:WFMkT6Kn
依然として大半のクリスチャンが認識し、また営々と教えられもしているのは
それは、父、子、聖霊のそれぞれに人格があるとする「三人格の三一性」です。
そこからは、あなたの言うとおり露骨に三神を告白しないとしても(それは聖書に反することであり、できない)、
(しかし)心の中でそれぞれの人格を個別に神として考えざるを得ず、どうしても三神へと帰結してしまうのです

(三人格の)三位一体という謎めいた詭弁については、実際「よく分からん」 という人がほとんどであり、
分からない、あるいはあまり考えていないうちは充分見込みがあるのです。三人格三一性については、
あまりよく考えないようにしておくのが主の摂理でもあるのです。
なぜなら間違った誤謬から考えても正しい認識に到達するのはほとんど不可能であり、
変に理解しようとすると霊的な病を致命的なまでに亢進させることになりかねないから。

三一性を理解できないと救われないということではありません。
だが聖書を信奉するのなら、聖書の神について間違って認識するよりは
正しく認識するほうがいいに決まっています。

ス氏の時代では、まさに教会は最後の時を迎えていたのであり(今もそう?)、
神的三一性について信者が正しく把握することは極めて困難であり、
むしろ理知的な(あるいは単純素朴な)異邦人のほうが、かりに生前は全く聖書に縁がなかったとしても、
死後容易に主を唯一の神と認めるのです(そりゃバカな異邦人もいるでしょうが)。

196 :名無しさん@3周年:2006/07/15(土) 16:02:24 ID:WFMkT6Kn
で、今はどうでしょう? 子羊さんは正統説の怪しさに薄々気付いているようですが、
依然として三人格の三位一体が正統説の主幹として、疑うことを禁じられるままにのさばっている中で、
クリスチャンはみな主に直接近づいているのでしょうか?
そうだといいんですけどねぇ。。。。

「キリスト教は一神教ということですが、ではキリスト教の神とは誰のことですか?」
との問いに、多くのクリスチャンが依然として天の父(父なる神)が神様であると答えるのでしょうけど、
「では天の父とはキリスト、すなわち十字架にかかり3日後に復活し昇天したイエスのことですか?」
と言う問いにはやはり多くの者が口ごもって考え込むか、否定するのではないでしょうか
ちょっと無理して頑張って「そうだ」と答えても(偉い!)
「じゃイエスキリストがエホバ御自身なんですね」という問いには沈黙してしまいそうな・・・(無理もない)

そうでないのならいいんですけどねぇ。。。。
まあそうだとしても、宗教的動機から悪を避けて生活することを守っていれば、
充分見込みはあるんですが

あと、もういちどこれだけは述べておきますが、
プロテスタントだから、カトリックだから、あるいはムスリムだから異邦人だから無宗教だから、
あるいはス氏の著作を完璧に読みこなしているから、それゆえに救われるとか
救われないとか断言できるはずがありません(しかし誤謬は誤謬、真理は真理です)
このことは、46に少し示しておきましたが、今はこれ以上書かないことにしましょう


ではでは

197 :火の洗礼を祈る小羊 ◆b45h8kER4c :2006/07/16(日) 07:08:10 ID:kX1s/h9c
>>195

そうですね。わたしも三一についてはよくわからないです。ただ、
>>185 で書いたように、神の右に座し、とある以上、正統派のクリスチャンがそう信じるのは、当たり前のこととなるのではないでしょうか。
そして、彼らが祈りを捧げるのは、イエスさまに対してであり、エホバさまや聖霊さまに直接の祈りをささげることはないと思います。

ス氏著作で「神の右に座し」についての記述ご存知ですか。

>三人格三一性については、あまりよく考えないようにしておくのが主の摂理でもあるのです。

なるほど。私は祈りが得意ではないので、イエスさまがなぜ、神に祈られたのか、そのあたりを最近考えています。
三一、祈り、贖いは、共通した真理があるのではないか、と思い。


198 :余所者:2006/07/16(日) 18:06:52 ID:vXWTp7iU
突然、割りこんですみません。

「三位一体論」は、『天界と地獄』の冒頭に取り上げられているように、
スウェデンボルグ神学において「誰を神として崇拝すべきか」が最重要で
あることは否定しようがありませんが、では、「主」を知らない異邦人は
最初から不利ではないか、とか、>>178のように、すべてが神の自作自演で
はなかったのか、という疑問が出てくるのは当然だと思います。

しかし、スウェデンボルグ神学は、彼自身がクリスチャンであったことあり、
キリスト教的な視点から説かれたもので、たとえば仏教徒が「主」を見れば、
それはイエスではなく釈迦として見えるのではないかと私は想像します。

釈迦もまた人間であり、イエスと同様にガンジス川で小便もしたでしょう。
しかし、イエスも釈迦も、神の意図によって「神の全権」を担われたので、
いわば支店を通じて航空券を買うような感じだと思います。ただそれを信じて
「内なる人」を浄化できた人は、ちゃんと天国行きの便に一緒に乗れるので、
イエス支店のチケットも釈迦支店のチケットも結果的に変わりは無いのです。

たとえば、イスラム教においてはバハイ教が説かれていて、その教義は非常に
スウェデンボルグに近いです。
ttp://www.geocities.jp/oneworld_international/library.htm

199 :名無しさん@3周年:2006/07/16(日) 18:16:40 ID:/YtMKkgq
「自作自演」だと何か問題があるのでしょうか。

200 :余所者:2006/07/16(日) 18:35:26 ID:vXWTp7iU
>199

自作自演だと、他宗教の人には「信じるに足らず」ということになるのでは
ないでしょうか。普遍性がなくなると言い換えてもいいですが。

たとえば、「他人を自分自身と同じように愛する」という教えは、キリスト教
ばかりではなく、仏教やイスラム教でも説いています。しかし、「キリストが
人類の罪を贖うために十字架についた」という教えは、そうではありません。
釈迦などは「人間の死後の行き先は、自身の行動だけで決まり、(ヒンズー教
のように)祭祀や供養で変えられるものではない」と断言しています。そこへ
「贖いの十字架」を出せば、(ヒンズー教のような)誤った教えだと判断される
でしょう。

私自身、自作自演では、心の底から信じることなどできないでしょう。
ユダヤ教やイスラム教が、イエスを「キリスト」と認められない理由もまた、
「贖いの十字架」というご都合主義に胡散臭さを感じているからだと思います。

201 :余所者:2006/07/16(日) 19:09:32 ID:vXWTp7iU
これは私見ですけど、「神の化身が身代わりになって死ぬことで罪を贖う」
という発想は、キリスト教固有で、大多数の宗教から見て納得がいくものでは
ありません。実際に、キリスト教はイエスの死を誤解したが故に、彼が説いた
天界の真理がすっかり隠蔽されてしまいました。それを再び復活させたのが
スウェデンボルグです。「贖いの十字架」がキリスト教の「病根」になって
いることを注意すべきです。三位一体というややこしい教義がでっちあげられた
のも、「贖いの十字架」を「神の子」ひとりに背負わせようという目論見があった
からです。

だから、ユダヤ教、イスラム教、多くの現代人という「大多数の人々」が
感じた「贖いの十字架は胡散臭い」という直感は、かなり的を得たものだった
と言えるでしょう。たとえ、贖いの十字架がなくても、スウェデンボルグ神学
が少しも揺るがないのが、その証拠です。

しかし、17世紀末のヨーロッパに生まれたスウェデンボルグは、どうしても
「贖いの十字架」に対して、教会から求められるままに、クリスチャンに納得
のできる「弁解」を作り上げざるをえなかった。「弁解」しなければ、即刻、
キリスト教会から迫害を受けたでしょうから。

21世紀のわれわれは、幸いに「真理」をそのまま口にしても迫害を受ける
心配がありません。だから、「弁解」のために付け加えられたスウェデンボルグ
の教えを一字一句忠実に鵜呑みにする必要はないと思います。

202 :名無しさん@3周年:2006/07/16(日) 20:36:46 ID:QNIh1zaA
>197
やや、子羊さんこんにちわ、と思ったら余所者さんもようこそ
子羊さんの197のレスは問題の核心を簡潔に衝いたものだと思います
(それと正統説の贖いの教義を疑問視する余所者さんも鋭い)

>そして、かれらが祈りを捧げるのは、イエス様に対してであり・・・

いやー、そうだといいんですけど、私の書き方が舌足らずだったこともありますが、
結局正統説に従い、みんな神の子より偉大?とされる天の父に祈っている(祈らされている)のであり、
主イエスに祈っているのではない、すなわち正統説では主の祈りすらも、
主に近づくことを妨げてしまっているのではないか、と危惧する次第なのです(杞憂だとよいのですが)

ということで、しばらく神的三一性について書いてみたいと思います
ただこのことに触れるには、どうしても贖いについても正しい知識があったほうがいいと思われるので、
実は贖いについては「真の基督教」に詳しいのですが、私は贖いの教義に触れるには
時期尚早だと思い、静観してたのですが、「真の基督教の増補」(以下「増補」と略)から、
贖いについて書かれてある部分を、すなわち主の神的慈悲からス氏を介して
主より我々に啓示されたアルカナを、意を決してここに少し載せることにしましょう


〔増補21、22より引用開始〕

21 主が世におられたとき、主により成就された贖いは、諸々の地獄の征服であり、
諸天界を秩序をもって配列したことであり、そのことにより新しい霊的な教会に対し
備えをしたことであったことは・・・(中略)

一。敵から救い出すことが聖言の中で贖いと呼ばれているものである。

二。従って、それは諸々の悪と誤謬から救い出されることであり、その悪と誤謬とは、
それらのものは地獄から発しているからには、霊的な敵である、
なぜならそれらのものは自然的な的なが身体を殺すように、霊魂を殺してしまうからである。

203 :名無しさん@3周年:2006/07/16(日) 20:40:17 ID:QNIh1zaA
三。ここから、主により成就された贖いの最初のものは悪い者を良い者から分離し、
善い者を天界の御自身のもとへ引き挙げ、悪い者らを御自身から地獄の中へ
遠ざけることであった、なぜならかくして善い者たちは悪い者らから自由にされたからである。
この贖いの最初のものが最後の審判である

四。贖いの第二のものは諸天界における凡ゆるものを整合〔調整〕し、
地獄における凡ゆる物を従属させたことであり、そのことにより善い者たちは
悪い者らからさらに明確に分離され、自由にされたのであり、
これが新しい天界と新しい地獄である

五。贖いの第三のものは新しい天界から諸真理を啓示し、そのことにより地上に新しい
教会を起こして、確立することであり、そのことにより善い者たちは悪い者らからさらに遠く分離され、
自由にされたのであり、将来も分離され、自由にされるのである

六。贖いの究極的な原因は、主が、その神的な全能から、人間を再生させ、
そのことにより救われることができるというその可能性であった、
なぜなら人間は再生しないかぎり、救われることができないからである

(中略)
一〇。贖いのゴールは、また贖われた者の賞品は霊的な平安である
一一。贖いはまた現今主により成就されたのである、なぜなら現今主は予言に従って
再び来られたからであり、(以下略)

しかしこれらは大要にすぎないのであり・・・(以下省略)

204 :名無しさん@3周年:2006/07/16(日) 20:48:54 ID:QNIh1zaA
22 さらに主の十字架上の受苦は贖いではなくて、父の神的なものとの──
その神的なものから主は出て来られ、またその中に帰られたのであるが、その神的なものとの──
もっとも内なる結合の手段であったことを・・(中略)

すなわち、十字架の受苦が贖いそのものであるという信念は現代の基督教会の根本的な過誤であり、
この過誤は、永遠から存在する三人の神的人格にかかわる過ちとともになって、
全教会を、その中には霊的なものが些かも残っていないほどにも歪曲してしまったのである
(以下省略)

〔引用終了〕


果たして従来の伝統的なキリスト教のどの宗派が、かくのごとき偉大なアルカナについて、
僅かでも知っていたのでしょうか?これは間違ってもス氏個人の私見、推測、仮説の類ではありません
人であられる天地の唯一の神主イエスキリスト御自身の啓示以外の何ものでもありません、
むろんそれを否定したければその自由はある、それ以上は言うまい

子羊さんが190で少し触れていることですが、正統説では、
十字架の受難こそ主の贖いそのものであるとしており、なんだか一見正しいように思えますが、
それは間違っているのです。こう書くと「十字架が贖いでないだと! 怪しからん異端だ!」
との誹謗の嵐が降りかかってきそうですがw・・・まあ(十字架も)当然救いの一環ではあるんですけどね

(贖いその他、キリスト教の教義の真義についてはやはり詳しいことは、機会があれば是非
「真のキリスト教」を精読されたし)

それから余所者さん、ス氏は確かに1700年代の人であって、それ以上でもそれ以下でもありません。
しかし彼を選んだのは主です。そもそもス氏の教えとかそんなものはないのです。
あるのは主の啓示のみ。彼のペンを通して主が我々に啓示なさっているのです。
確かに彼は当時の教会から多少疑われたが、主が彼を庇護したからには、
この啓示を何者も妨げることはできず、著作は決して後代の人間にとって無意味なものではありません。
もしそうなら、聖書も仏陀の言葉も今となっては古びた陳腐なもの以外の何ものでもないでしょう。

205 :名無しさん@3周年:2006/07/16(日) 20:58:16 ID:QNIh1zaA
さて、「右手」の話に戻しましょう
子羊さんの148にあるとおり、四福音書は啓示で書かれています
それは「連続した相応」によって書かれているともされています
ヨブ記について言えば、おそらく古代聖言のスタイルと相応の知識に精通した
賢人によって書かれたものと思われますが、ヨブ記も相応で書かれているのです

だから啓示によらないとされる文書も、(相応で書かれていようといまいと)それぞれ多様なスタイルで、
それなりに示唆に富む内容を秘めており、価値があるから収められているわけです。
では連続した相応とはどういうことかということになるが、
ちょっとそれは今は(今後も?)勘弁してくださいw 

再び話を戻しますが、聖書で右、ないしは右手と書かれてある場合、神的真理について関係があります
すなわち、神の父性として神的本質は、神的な愛と知恵の二つ
ないしは善と真理の二つです(とりあえずどちらも同じ意味と考えてよろしい)
(神的善(愛)のみを父性とする考え方もあり、この点では私もまだはっきりしていないのです
だが一応上記の如く、善と真理そのものを父性としておきます)

つまり善そのもの、真理そのもの、と書いてもいまいちピンと来ないかもしれませんが、
神は存在するもの、存在者であるのですが、顕現と顕示の二つセットで一つの存在なのです
顕現=善(愛)の相応は熱であり、顕示=真理(知恵)の相応は光です。
また心臓は意志→善(愛)に相応しており、肺は思考→真理(知恵)に相応しており、

人間は心臓だけでは、あるいは肺だけでは人間として活動できないのはいうまでもなく、
太陽からは熱と光が発しており、熱だけでも、光だけでも生命を存在させることはできません

206 :名無しさん@3周年:2006/07/16(日) 21:00:39 ID:QNIh1zaA
神の神性そのものは無限であり、全知、全能、遍在ですが、
それらは「神的愛から発する神的知恵(真理)の属性」(「真の基督教」より)であります

よって、神(エホバ)の右手により、無限の神的真理、すなわち主の全能が意味されているのです。
右手の内意に関しては、真の基督教136に述べられていますので
ここに引用しましょう

〔引用開始〕
「右手に坐する事は文字通り右手に坐することを意味するのでなく、
神が世に取り給うた人間性による神の全能を意味します。
神は此の人間性によって始めから終わり迄凡ゆる物の中に在り給います。
彼は是によって地獄に入り、之を破り、之を征服し給いました、
彼は是によって諸天界を秩序ある排列にもたらせ給いました。
従って彼はこれによって人間と天使を贖い、かれらを永久に贖い給いました、
若し貴方方が神の聖言を尋ね、照らされることが出来ますならば、
貴方方は右手は全能を意味することを理解されるでしょう(以下略)」
〔引用終了〕

右手に神の子が座る、または御霊が鳩のように下り、天から「私の愛する子」という声が聞こえる、
あるいは黙示録に書かれてあること等は、すべて霊的なビジョンとして啓示されたものであって、
当然何か深い意味が秘められているのです、ですから単純に見たままを記されたままを
鵜呑みにするだけでは、到底真実に到達することはできません

話を変えますが、主が地獄を征服し、秩序に服させるためには、
神御自身が受肉することがどうしても必要でした。
受肉されなければ、地獄と闘うことも、十字架を受けることも出来ません。
このことをここで詳しく説明するのは困難ですが、「新しい教会の教典」という著作より、
幾らか三一性の解説を含めて引用すると

207 :名無しさん@3周年:2006/07/16(日) 21:03:05 ID:QNIh1zaA
〔引用開始〕
主の祈りのすべては、初めから終わりまでこの時を、すなわち、
父なる神が人間の形の中に拝される時を目指しているのである。(P32)

主に直接近づかないかぎり、真理は一つとしてそれ自身の光の中に現れることができない(P33)

神は神的真理によらなくては、その人間的なものの方面で、公正となられ、
かくて贖い主と救い主になられることはできなかった、なぜなら神的真理により、
初めから、作られた物は凡て作られたからである。
神的真理は地獄と闘うことができ、試みられ、冒涜され、非難され、苦しみをなめることができた。
それで神エホバは神的真理の方面で降られて、人間的なものを着けられた(P72)

マリアに臨んだ『聖霊』は神的真理〔神の真理〕を意味し、
彼女の上に影った『至高者の力』はかの神的真理が存在する源泉である神的善
〔神の善〕を意味している(P73)

神的善は霊魂を、神的真理は身体を形成しているが・・(P74)

主エホバの人間的なものは『世につかわされた神の子』である。
神エホバは御自身を世につかわされて、そのことにより人間的なもの〔人間性〕
を着けられた〔取られた〕。(P75)

神エホバは、この人間的なものが神的なものと合一することにより、
その全能を高揚されたのであり、そのことが『神の右手に座られたこと』により意味されている(P79)

208 :名無しさん@3周年:2006/07/16(日) 21:19:30 ID:QNIh1zaA
イエスキリストの中には、永遠から存在される神的なものと
時間における人間的なものとは人間における霊魂と身体のように結合している
従って神と人とは、すなわち、神的なものと人間的なものとは一人格である
父(エホバ#)の神的なものはすべて同時に主(イエスキリスト#)の人間的なものの中に存在している
(P80)(#付きのカッコは小生の注釈)

彼は『最初のものと最後のもの』、『初めと終わり』、『アルファとオメガ』、『全能者』であられる。
彼は『永遠の父』、『救い主であられ、贖い主であられるエホバ』、『万軍のエホバ』であられる。(P80)

神が受肉されないなら、神を信じることは不可能であり、受肉された神のみを信じることができる
また神は天使たちにより御自身を古代人の目に人間の形の下に示され、
その形は受肉された神を表象するものであった。
神が受肉されなくては、かくて贖い主と救い主であられる主によらなくては
救いは存在することはできなかった、その救いとは絶えず購うことである。
ここから主イエスキリストを信じる者たちは永遠の命を持つが、主を信じない者らは
その生命をもたない(P93-94)

人類の救いは神の三一性に依存してあり、神の三一性は同時に単一性である(P106)
『子』によりそこでは父の人間的なものが意味されている。(P109)
世が創造される以前には一人の神の三一性は存在しなかった。(P110)
一人の神の三一性は、世が創造された後に、実際には時が満ちて、
主イエスキリスト、救い主であられる受肉された神の中に存在するようになった。(P113)

〔引用終了〕

209 :名無しさん@3周年:2006/07/16(日) 21:26:31 ID:QNIh1zaA
地上にいた時の主が神的真理を表象するものであったことは、ヨハネ伝1:9に証明されています
(つまり彼は受肉した神的真理だった)
真理は地獄から攻撃され、それは聖言が、ユダヤ教会によって、すなわち当時のユダヤ人によって
完全に不善化、誤謬化されたことを現しますが、主は壮絶な試練に耐え、地獄を征服し、
そのことで教会を再建し、十字架の最後の試練により完全に父性すなわち神的善と合一し、
マリアから受けた地上の人間性を脱ぎ捨て、神的な原質による神的な自然的人間性を取り、
完全な人であり神(アルファとオメガ)となられ、永遠に贖い主、救い主となられました。
(今はこのように書く以外に書きようがないです、これでも完全な説明にはほど遠い)

確かに主は地上では処女であるマリアから産まれたのです(断言します)
そのことを信じない者は聖書を否定する者です(否定したきゃ好きにすればいいですがw)
しかしマリアから受けた地上の人間性はもはや主には全く存在しません!
よってマリアを主の母とするのはこの点(主の神性)において間違っているのです
しかしマリアは聖言の中では主の教会を現し、表象する存在なので、聖言の方面(内意)においては
あくまでもこの点(聖言の方面)に限定された意味で主の母であるともいえます

一つ確かなのは、マリアは確かにキリストを産んだが、彼女自身は全く我々と同じ人間に過ぎず、
彼女本人を少しでも神格化することは絶対にすべきではありません
それはなにより彼女本人が望んでいることです

210 :名無しさん@3周年:2006/07/16(日) 21:41:13 ID:QNIh1zaA
さて、長々と書いてきましたが、上記のレスから重要なことが浮かび上がってきます
すなわち、三人格の三一性など存在せず、正しくは、

       □□  ▲◇ 一人格の三一性 ◇▲  □□

これこそ神的真理なのです、すなわち、一つの人格をもった一人の神(神人)のうちに、
父、子、聖霊の三つの本質が存在するのです
もっと正確に言えば、子であられる人となられた神である主イエスこそが
この方こそ真理(ヨハネ14:6)であられ、つまり聖霊であられ、父エホバその方であり、
ゆえに「天においても地においてもいっさいの権限が与えられている」(マタイ28:18)唯一の全能者なのです

それは一人の人間の中に、霊魂があり、身体があり、また活動があるのと同じことです
そして一人の人間の中に二つも三つも人格は存在しません
分かってしまえば何でもないことなんですけどね

ここから三人格の三一性を頑なに支持する者は、主の贖いを、主の神性を、
引いては主の存在そのものを否定していると言ってもあながち言いすぎではないでしょう。
本人はそのつもりではないのでしょうが、三人格の三一性を無理矢理確認すればするほど、
彼は主からどんどん遠ざかっていくのです。全能者(エホバ)とその人間性(子=キリスト)を
分離して別々の独立神とすることで、全能者に祈るのならそのとき神の子に祈ってないのであり、
神の子に祈るのなら全能者は外に置かれています、いくら本質において同質とかなんとか
ごまかしても人格を分けてしまうことで独立した個別の神を空想せざるを得ないのです

(一つの人格を持つ)全能者と、(また別の一つの独立した人格を持つ)神の子にも
同時に祈っているのだ、と言うのなら、複数の神に同時に祈っていることになります
ハイ、多神教の出来上がりw それくらいならよく分からん方がマシ、というわけです。

これでもまだまだ不十分な説明ですが(例えば聖霊についてなど)、
すげー長くなったのでこれで終わりにします、とりあえずこれくらいで勘弁してくらはいw

しばらくサボりたいのでみなさんあとお願いします(さーて遊ぶぞ〜 ←バカ)

211 :余所者:2006/07/16(日) 22:07:34 ID:vXWTp7iU
>本人はそのつもりではないのでしょうが、三人格の三一性を無理矢理確認すればするほど、
彼は主からどんどん遠ざかっていくのです。

これはその通りですが、恐ろしいことに、クリスチャン本人は「自分の崇拝している
神は三位一体で、決して三人格ではない」と言い、本人もそのように信じている
にも関わらず、死後にそうではなかったことが暴露されるのです。

だから、すでに三位一体という厄介な概念に汚染された不幸な人はともかく、
非クリスチャンがわざわざ三位一体に手を突っ込む必要などないと思います。
三位一体を理解していない人(非クリスチャン)だって、天界へちゃんと
行っているのですから。

212 :名無しさん@3周年:2006/07/16(日) 22:16:11 ID:QNIh1zaA
余所者さん、
あの、できたらsage進行でまったりとしたレスにしたいと思いますが・・・

それとあくまでも私がここに書いたことは、聖書を信奉する者に
適用されるのであって、それ以外の信条(宗教)を持つ人には
そちらを守ればいいのです

あなたの言うとおり、三一どころか聖書に生前縁がなかったとしても
それと救いとは関係がない それについては46を見てください
ただ、どうしても聖書の真意を知りたいと思えば、啓示によるしかないということです
知りたくない人には、聖書に興味のない人には、このスレは何の意味もないし
見る必要もないでしょう

213 :名無しさん@3周年:2006/07/16(日) 22:17:41 ID:QNIh1zaA
失礼、
「まったりとしたレス」ではなく
「まったりとしたスレ」でした

214 :余所者:2006/07/16(日) 22:23:29 ID:vXWTp7iU
参考までに、三位一体の教義がキリスト教に導入されたのは、2世紀
後半だとされており、325年のアタナシウス信条以降も、アリウス派
などの異説が出て、しばらく統一されることはありませんでした。
ttp://www.geocities.co.jp/Bookend-Ohgai/6832/tri.html

アリウス派は、「イエスは最も神に近い人間であった」と主張し、
ちょうど現代のリベラル派に近い立場を取っていましたが、それならば
「み言葉」を素直に受け取ることが可能で、今のキリスト教のような
迷信にはまることもなかったでしょう。
ちなみに、アイザック・ニュートンはアリウス派に所属しているという
説があります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%82%B6%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%B3
スウェデンボルグがニュートンに最高の賛辞を与えていることは
御存知の通りです。これは一体何を表すのでしょうか。

215 :余所者:2006/07/16(日) 22:31:52 ID:vXWTp7iU
失礼。ちょっと遅かったようです。

ちょっと「乱入」に近い形になってしまいましたが、私が言いたかった
のは、スウェデンボルグが説いている教義のうち、キリスト教独自の
部分は「弁解」のために、「書きたくもなかったこと」を付け加えさせ
られた可能性があり、しかも「み言葉」とは直接関連していません
(三位一体は聖書には出てこない概念です)。

現代人の私としては、聖書も仏典もコーランも説いている普遍的な真理
を通じて「み言葉」をくみ出すべきで、キリスト教臭さ、仏教臭さ、
コーラン臭さは、不幸な歴史が生み出した「偏見」にすぎず、これから
時間をかけて根絶していくべきものだと考えています。

216 :名無しさん@3周年:2006/07/16(日) 22:40:38 ID:QNIh1zaA
やれやれ、遊ぼうと思ってたけどまあいいっしょw

余所者さん、あなたの言う「キリスト教独自の部分」
というのはどういうところを指すのですか?
もう少し具体的におっしゃってもらえませんか

ひょっとして私が書いた一人格の三一性のことや
贖いの真義のことですか?

217 :名無しさん@3周年:2006/07/17(月) 00:10:46 ID:o0Qt1L5K
おっとっと 202の最後の行を訂正だ

誤 自然的な的なが身体を殺すように
正 自然的な敵が身体を殺すように


遊ぶと遊ぶと言っておいて何か常駐しちゃってるなw
とりあえずもう寝るか

218 :名無しさん@3周年:2006/07/17(月) 00:31:11 ID:ExQ2SPXw
>>215
要はつまみ食いってことですか?

219 :余所者 :2006/07/17(月) 08:37:01 ID:CuxabA45
>216

特に「贖い」の部分についてです。もちろん、「贖い」に対する誤解から、
「三位一体」という不毛の議論が出てきたわけですが。
「贖い」については、こういうことです。
人が「神のため、隣人のため」を思ってその役に立つこと、そして、それが自分
自身ではなく、主の力によって行われることを正しく認識すること、が最も重要な
ことです。「贖い」というのは、いわば「どのように罪が清算されるか」と
いうメカニズムの説明にすぎず、どのようにでも言い換えることができます。

たとえば、仏教では、悟った瞬間に「罪障が消滅する」と説きますが、もしも
「贖い」にこだわるならば「十字架にかからなかった釈迦は贖ってくれない。
よって仏教での罪の消滅は無効だ」、という結論になります。

卑近な喩えになりますが、東京から名古屋まで高速道路で行くのに、東名を
使おうが、中央を使おうが、結果は同じという感覚です。

220 :余所者 :2006/07/17(月) 08:45:38 ID:CuxabA45
ス氏は、天界で多くのアフリカ人や、中国またはインドの瞑想僧にも
出会っていますが、彼らは「イエス」を知らず、十字架にかかったこと
すら知らない者が多数含まれていたはずです。

また、昨日にも書いたように、ニュートンはアリウス派で、「イエスは
人間だった」と考えていましたし、「ただの人間が十字架にかかっても、
他人の罪は贖えない」のは当然ですが、ス氏はニュートンが天界にいる
のを目撃しています。

「贖い」という概念は、枝葉末節にすぎないという証拠ではありませんか。

「私にむかって、主よ主よと言う者が天国に入るのではなく、ただ天の父の
御心を行う者だけが入る」

221 :火の洗礼を祈る小羊 ◆b45h8kER4c :2006/07/17(月) 10:35:13 ID:hFAktGhc
名無しさん、神の右、他についての引用ありがとうございました。私の本棚にも読まれていない著作がたくさんあり、本のコレクターに近い状態で、疑問の時に参照するという使い方になっています。

余所者さん、私も神道出身なので、贖いの考えをみた時、こんな自分勝手な解釈が成り立つのか、と思い、正統派と言われるキリスト教には嫌悪感を覚えたものでした。
ただ、その贖いについても、当然のことですが、多くのクリスチャンは、信仰義認の教義と同じように、キリストが自分たちの罪を贖われた=救われていると短絡的に考えるクリスチャンは少数なのではないか、と思っています。
贖われたから何してもOKではなく、贖われたからがんばろう、とかなっていて、それはそれで、救いの一形態ではないか、と思っています。


222 :名無しさん@3周年:2006/07/17(月) 10:46:02 ID:o0Qt1L5K
余所者さん、あなたは神の単一性が理解できないのでそんな風に考えてしまうのですよ
あなたは主はキリスト教だけの神だと勘違いしている
彼は地上に来る前から全人類の神であるし、そして今も後もそうです
ひょっとしてあなたは無神論者か?

釈迦は偉大な人物であったが、彼はあくまで人間であり、神ではありません
釈迦は大いに真理を説いたが、罪を赦す権威など単なる人間である彼にありませんよ
罪を赦す権威のある人は宇宙でただ主一人のみ
神の贖いは人類全体のものであることはどうやらあなたには理解できないらしい
もし主が贖わなければ、地獄の力はますます増大し、人類は滅んでいたのです
あなたには理解できないだろうが・・・

宗教といってもいろいろあって怪しいカルトも多いが、
まともな宗教はすべて一人の神が設立したのです、例えばイスラム教だってそう
仏教だってまず間違いなくそうですよ、真理の源泉は釈迦にあるのですか?
釈迦は処女から生まれましたか? 真っ白に輝き栄光の姿に変わりましたか?
盲人の目を、あるいは足なえの足を癒しましたか? 死後3日後に甦りましたか?
釈迦が宇宙を創造したのですか? 釈迦から凡ゆる真理が発しているのですか? 
釈迦は無限、永遠、全知、全能、遍在ですか? もちろん違う、
釈迦は真理の源泉から幾らかを受けたに過ぎないのです、それでも凄いことですけどね

釈迦が「盗んではならない」と言ったのでそれを守ったらその人を贖うのは
釈迦ではなく、唯一の神です、主こそ真理であり、彼に反対しない者は味方ということです
彼に反対しないというのは、あなたが書いたとおり、主の誡命を守る者のことです
主を知っているかどうかということではありません あなたは部分的に分かっているようだが、
部分的には何にも分かっていない、釈迦が十字架にかからなかったから、
仏教徒は救われないなんて、朝から笑かすことを書かないでくださいw
釈迦が人類を贖う必要はありません、そもそも釈迦は自分が神だなどとは言わなかったはずです
当然ですけどね

223 :名無しさん@3周年:2006/07/17(月) 10:53:57 ID:o0Qt1L5K
それとも釈迦が単なる人間で、イエスが天と地の神であることが不満ですか?
私は釈迦の言葉も大好きですけどね、人の子を罵りたければ大いにどうぞ
それでも主は赦してくれます、ただ聖霊を汚すのなら保証はしませんが・・・

人間の死後の運命はあくまでも彼の本当の本性(生命)によるのであって
生前のうわべの外見印象風評など関係ありません、ニュートンが生前内心で
どう考えていたのかは知らんが、彼は死後は主を唯一の神であると認めているのです、
それが彼の真の生命です、彼が根っからのアリウス派なら、死後も彼は主を否定したでしょう、
しかしそうではなかった、彼は単に正統説の怪しさに気付いて、色々研究していただけなのでは?

そもそも彼が生前アリウス派だっというのは単なる説でしょう
あなたは214でそう書いておきならが、実際ニュートンの生前の思想(本音)について
確証を持っているわけでもないのに、どうして220で既定事実に変化するのです?
ニュートンが生前どんなことを考えていたのか、それは主のみが知ることです

霊界のニュートンも認識しているとおり、生命の、真理の源泉はただ一つ
つまりただ一つの真の生命があり、ただ一つの真の知恵があり、その源泉とは主であり、
人間各々が多様にそこから受け容れ、ある者は多く、あるいは他人と違うものを受け容れ
あるいは違う風に受け容れ、またある者は少なく受け容れ、ある者は斥け、
そこから外観の多様さ、というか彼らのポジションが生まれるのです

主の摂理は、あるいは彼の聖霊は、キリスト教徒だけに働いているのではありません
気付かないとしても、何も知らなくても、全人類を彼は導いています
神の単一性まだ理解できず、生命と知恵の流入という概念のないあなたには信じられないのでしょうが・・・

224 :名無しさん@3周年:2006/07/17(月) 11:09:21 ID:o0Qt1L5K
また訂正かw

223の最後の行

誤 神の単一性まだ理解できず
正 神の単一性をまだ理解できず

225 :名無しさん@3周年:2006/07/17(月) 11:19:50 ID:0yqw7oZX
神であるイエスが、自分が神であることを否定する宗教をつくる・・・・?

226 :名無しさん@3周年:2006/07/17(月) 11:29:44 ID:o0Qt1L5K
それは、いや「そり」はどんな宗教?
イスラム教のことかな?

227 :名無しさん@3周年:2006/07/17(月) 11:54:18 ID:8EAw+nL8
そのとうり

228 :名無しさん@3周年:2006/07/17(月) 12:20:24 ID:iPCTyizL
>>222

>釈迦は処女から生まれましたか? 真っ白に輝き栄光の姿に変わりましたか?
>盲人の目を、あるいは足なえの足を癒しましたか? 死後3日後に甦りましたか?

そんな迷信を抱えたままで、真理にたどり着くことはほとんど不可能だろう。

229 :名無しさん@3周年:2006/07/17(月) 13:09:49 ID:o0Qt1L5K
>>221
子羊さんこんにちわ、人間はどうせ有限の被造物であって、
完全な知恵に至るなんてことはありません、一見もの凄く完全に見えてもです
ス氏の著作を全部読むのは実際かなり困難であり、読まないと救われないなんてことはありえない
まあそれぞれのペースでぼちぼち歩みましょう、針の穴を通る駱駝のように

たとえ知っている真理(宗教的な教え=信仰の諸真理)が僅かであってもそれを守って生きることが大切です
誰かより知恵があるとかないとか、知識が多いとか少ないとか取るに足らないことです
持っている者はより多く望むままに教えられ、与えられます、心配ご無用です 死後驚くべき知恵を獲得します
持っている者とは、生前信仰の諸真理を宗教的動機から守って生活した者のことです
いくら知識があっても生命が悪ならダメです、そういう人(俺のことかw)は、持っていても剥奪されます

>ただ、その贖いについても、当然のことですが、多くのクリスチャンは、
>信仰義認の教義と同じように、キリストが自分たちの罪を贖われた=
>救われていると短絡的に考えるクリスチャンは少数なのではないか、と思っています。
>贖われたから何してもOKではなく、贖われたからがんばろう、とかなっていて、
>それはそれで、救いの一形態ではないか、と思っています。

ああ、こんな風に考えることできる子羊さんの方が、
たとえ私の方が知識ではあなたに勝っていたとしても、
あなたの方がよっぽど私より天使に近い気がしてなりません
私ももう少し善意に物事を解釈しないといけませんねw

230 :名無しさん@3周年:2006/07/17(月) 13:40:27 ID:o0Qt1L5K
まあ、ある瞬間に突如贖われ、救われて、そしてそれ以後は常に救われている、
というよりもじっさいには主の摂理は永遠にその人を導くのです
主の贖いというのは、主の贖いの業によって人間の救いの可能性を残したということです
いくら主が地獄を征服しても、天国より地獄のほうがいいという人もいます
そういう人はいくら主でも救えません 主は勧めはしても強制はできませんなら

主の贖いによってすでに人は再生しているのではなく、主の教えを受け容れる人が再生するのです、
ひとには天界、地獄、そのいずれを目指す自由があります、主が贖われたからこそ、
その自由があるのです、主が贖われなかったら全員が自らを最低の地獄へ向けてまっしぐらに落とすでしょう

あくまでも再生した者のみが救われるのであって、それは信仰の諸真理を
理解することではなく、もちろんいくらか知り、理解することは必要でしょうが、
あくまでその教えを、単なる道徳からではなく、宗教的、神的な動機から
守る生活(生命)によってのみ達成されるのです、いわばそれが本当の信仰です
なぜならそこにこそ主が居られるからです、たとえ主を知らなくとも、
つまり、信じているのが阿弥陀であろうとアッラーであろうと天之御中主神であろうと・・・

なぜなら主の教えを守る者は、主を知らなくても主を愛する者だからです
彼が宗教的な良心から公正を愛し悪を避けるのなら、死後彼は主を否定することはできません
なぜならその良心は主から発しているからです(ただ主は彼らの信じているスタイルに応じて現れるのかな)、
もしそうでない(偽善や自己愛等)のならその本性は暴かれるでしょう、
パウロのように・・・です、外見は凄く善人のように見えても

地上におけるキリスト教の洗礼の儀式は、それだけでは単に水の洗礼に過ぎず、
あくまでもキリスト教徒になったという印、記念にすぎず、洗礼を受けたから、
そこで主を告白したから、それですでに救われているということではないということを、
みんなが分かっていてくれれば、私はもう何も言うことはないんですけどね
口で告白してもちっとも悪を避けないのなら、実際には否定していますから

231 :名無しさん@3周年:2006/07/17(月) 13:43:08 ID:o0Qt1L5K
でも子羊さんの言うとおり、程度の差はあれ、
彼は良心的な意志を主に向けたからこそ教会へ赴いたのでしょう
きっとそういう人には洗礼は祝福になるでしょうね


>>227

(^^)

232 :名無しさん@3周年:2006/07/17(月) 13:50:09 ID:4P0ZkF7o
(・∀・)

233 :火の洗礼を祈る小羊 ◆b45h8kER4c :2006/07/17(月) 19:22:08 ID:hFAktGhc
>>229

そうですね。お互いがんばりましょう。謙遜合戦してもしようがないのですが、私などまだまだですよ。というのは、超党派の掲示板で多くの派の人と語り合ったけれど、私より遥かに救われている人ばかりで、狂信的な人は少なかったです。
ですので、ルターの信仰義認、三一とは別のところの基本、特に祈りがしっかりしている人は救われる度合いが高いのかな、と。
私も理論先行派で、神に委ねる、とかできないんですよね。
私のHPに、松本さんのMLで入手した旧約のギブオン人の「水を汲む物」という説教、真理を求めるが実行しないもの、を掲載しましたが真理を求めることは好きなのですが、善とは切り離されているようです。http://homepage2.nifty.com/ghp/jesus.htm


234 :ペガサス:2006/07/18(火) 01:46:44 ID:H5TlmEwj
スエーデンボルグ(スエーデン語の発音ではスエーデンボリであるが)の
研究にかかって既に40年、漸く彼の聖言理解をなんとか理解できるように
なった。
旧制中学でヒルティ、旧制高校で内村鑑三に私淑し、教会はバックストンの
弟子であった柘植不知人の流れの福音系の「活水の群れ」であった。
戦後、東京聖書神学校の初代校長金井為一郎が傾倒し、日本に初紹介した
サンダーシングの著作に触れ、珠玉の聖徒の導きを得たのであるが、その
著作の中で、彼はスエーデンボルグの著作を読む機会を得て、「スエーデン
ボルグは誠に偉大な聖徒」であると、彼の入神体験から評している。

そのことから私はスエーデンボルグの膨大な著作群に挑戦、漸くスエーデン
ボルグの言う真理を理解し始めたところです。
ちなみに、私はキリスト教に入信以来70年、生まれは大正、年齢は84歳。

私はプロテスタント系(福音系、アセンブリ系、単立系)、聖公会系、カト
リック系等などの教会を、長短の期間はあるが参道し、ロシア正教系のベル
ジャエフの著作に傾倒したこともありました。

が、最後に辿りつけたのはスエーデンボルグであり、聖書の理解において
彼にまさるものを知りません。

私の経験では、「プ」「カ」「正教」その他を選択するにおいて、いちばん
重要なことは、それぞれの教義を「神の言葉」「主の言葉」によって検証す
ることです。
たとえば、三一性の問題について、その2で検証してみましょう。



235 :ペガサス:2006/07/18(火) 03:52:56 ID:H5TlmEwj
初回に負けたが、2度目のニカヤ公会議でやっと
アリオス派に勝利したアタナシオス信条によって漸く三位一体が正
当性を主張して、今日に至るが、簡単に言えば神、子、聖霊の三つ
のペルソナは一体であるということでしょう。

これに対しスエーデンボルグは三つのペルソナ(人格あるいは位 格)
でなく、一人格であると言う。
彼は言う、口では三位一体を唱えながら、心では三つの神を拝んでいる
と。確かにわれわれは、あるときは神さまといって祈り、ある ときは
イエスさまと言って祈る。そしてペンテ派では聖霊様とよく祈る。

では、スエーデンボルグが神、子、聖霊が一つという意味は、どう
なのか?
彼は言う、創世記に神は「神に似せて人間を造った」と、逆に言えば
「神は人間に似ている」つまり「最高の人間が神」であると。

そこで、人間である神は、一人格として人間と同じく心と肉体を持ち、
働きをする。つまり一人格として、「こころ」の部分が「神」 であり、
「肉体」の部分が「イエス」であり、「働き」の部分が 「聖霊」であ
って、三人格でなく一人の人格であると 。

では、彼の言葉をイエスの言葉で検証してみよう。 彼は神は「最高
の人間」と言う。だから、イエスは神に呼びかけ「アバ父よ」と、
人間として呼びかけ、かつ主の祈りでも「天にまします父よ」と祈れ
と言う。神を最高の人間としての父と して祈ってこそ、正当である
ことをわれわれに示している。
これはスエーデンボルグの考えが主の言葉にまさしく適合している
ことを示している。

長くなるので続きはその3にて。



236 :ペガサス:2006/07/18(火) 04:27:40 ID:H5TlmEwj
その3

次に、イエスことば、マルコ3:28によって検証してみよう。
主曰く「その犯すすべての罪も神を汚す言葉もゆるされる。しかし聖霊を
汚す者は、いつまでも許されず、永遠の罪に定められる」と。
神も子も聖霊も同じく一体なら、なぜ主は聖霊だけを特別扱いにするのだ
ろうか?これは多くの神学者も正当に解き明かすことはできなかった。

スエーデンボルグは、アタナシオス信条の言う、「聖霊は一つのペルソナ
(人格)でなく、(神の)「働き」の部分であると言う。
つまり、人間が神を汚し、主を誹謗し反対しても、神はなんら痛痒を感じ
ないが、聖霊という神の「働き」を阻害するなら、神はこれを許さないで
あろう。当然のことを主は言われたのである。つまり、イエスはスエーデン
ボルグと同様、聖霊は神の「働き」であると解していることが分かる。
使徒行伝で再臨のイエスが、息を吹きて言いけるは「汝ら聖霊を受けよ」と。
弟子たちは聖霊の「働き」により、愚かさから俄然多くのことを悟ったこと
が示されている。

スエーデンボルグの聖書のすべての解明は、イエスの言葉による検証に耐え
得るものである。

更に検証を続けよう。


237 :火の洗礼を祈る小羊 ◆b45h8kER4c :2006/07/18(火) 07:01:34 ID:WfChEZrv
>>236

84歳でパソコンとはすごいですね。続きが楽しみです。


238 :名無しさん@3周年:2006/07/18(火) 11:22:55 ID:Vz51SZtt
神は最高の人間である、ってaoiみたいだな。

239 :名無しさん@3周年:2006/07/19(水) 01:42:48 ID:FtFJ+lhu
質問なんですが、旧約聖書では「豚を食べる者は、主に対して罪を犯す」と
ありますが、この事についてスウェーデンボルグは何と言っていますか?
文章通りそのまま「豚を食べてはいけない」としているのでしょうか?

240 :名無しさん@3周年:2006/07/19(水) 01:49:00 ID:vAhCX33p
オカルトきんも〜☆




241 :名無しさん@3周年:2006/07/19(水) 02:27:21 ID:EExZbzqx
なんだか電波が...

242 :名無しさん@3周年:2006/07/19(水) 14:33:57 ID:8wmha7x8
ス氏において納得いかないのは、パウロ、ルーテルへの評価の低さである。
彼らの「人は信仰のみで救われる。」という信仰義人説にス氏は意義を唱えて
パウロにおいては「地獄に居る」とまで著述しているようであるが信仰義人説
が果たして間違いであろうか?ダマスコ途上で光に打たれ失明したパウロ、
幽閉され明日をもしれぬ命のルーテルに「信仰」以外に何ができたであろうか?
そうして両人とも救われ命がけで主を伝えたのである。

ス氏は「信仰」の重さを理解していない。パウロ、ルーテルの内面的精神(霊)
のすべてを賭けた文字どうり「全身全霊」の信仰は内面の劇的変容をもたらし、
人は内面の思いからすべての行動をとるのであるなら自ずと「行動」も主の
御心にかなったものになるのである。

「信仰のみ」と言う言葉で糾弾されるべき信者は、心の一部を主に明け渡した
者のみで、教会での二、三時間での礼拝の後、さっさと主のことは忘れて
俗な営みに現をぬかしているものが{信仰しています」と告白しているような
あさはかな信仰に適用されるべきものである。ス氏にはその断りがない。

ス氏の教義には俗な生活との妥協が目立つ・・・「結婚愛」にては結婚する意志のない
愛人との肉体関係を肯定し、売春まで肯定する始末・・・

自身もそのような生活をしていたし、若い頃の発明には兵器もあり、暴君の国王とも
蜜月の関係があった・・そのような生活の悔い改めはなんとする?



243 :名無しさん@3周年:2006/07/19(水) 14:42:49 ID:8wmha7x8
242続き・・・
またパウロが「第3の天」まで引き上げられたとき、パウロは慎み深く
その世界の記述を割愛し、「誇ることのないように・・」まるで他人の
体験のように扱い、そのような霊的恵みの体験は主を信じる生活から
自ずと開かれるものとして信者をいたずらにあの世?に関心を抱かせる
現実から遊離した生活を戒めたに対して、ス氏は霊の世界を饒舌に語り
過ぎるほど語る・・・これは最近のカルト新興宗教のモデルとなり
大変な被害をもたらしている。

照応思想など、ス氏は見るべきところもあるがやはり異端として
退けるのが適当な思想家であり、今後もたいした勢力にはなるまいと思う。


244 :名無しさん@3周年:2006/07/19(水) 14:52:12 ID:8wmha7x8
また言わせていただければ、ス氏の霊示はレストランで「ぱくぱく」?
飯を食べていたときの「食べ過ぎるな・・・」と言う主が来たという
大変お間抜けなものである。もともとよい気質のあったパウロが
間違い、ダマスコ途上で主が光の中、死ぬほどの懲らしめをしたとか、
幽閉され死を覚悟したルーテルのもとに悪魔が現れインクビンを投げつけた
とかいう格調高い劇的なものとは違う・・・食事中にカエルとはお間抜けなり。
パウロ、ルーテルにはその暇さえなかったろうに・・・

ス氏の肖像画も小太りで、お間抜けで、俗以外の何者でもない。

245 :名無しさん@3周年:2006/07/19(水) 18:34:37 ID:KMbDjttC
>>242-244

パウロの策略は、決して人間技ではない。
悪魔の首領がからんでいるから、そうやって世界中の人間が騙されるのも
致し方ない。

246 :名無しさん@3周年:2006/07/19(水) 19:03:14 ID:IHsJdiYX
245・・・私はありのままに考えるべきではないかと思う・・・
ス氏の食事中その前に現れたイエスらしき?霊的人物は「薄暗い中で氷の上に腰掛て
・・」ス氏に「食べ過ぎるな・・」と言ったのである。
真理は熱と光でありそれはス氏も書いてある通り正しいと思うがそうすると
先の霊的人物はまったく逆の「サタン・・・」ではないのか?
サタンは真理を知っておりそれが正しいと知りつつ信仰できない、行えないのが相場である。

すなわち、イエスらしき人物に変装しつつも光や熱を発せられないのである。

ス氏にキリスト教を改革する重大使命があるとすれば、ス氏が天上界に旅立つたびに
キリスト自ら現れ指導してもよさそうなものである。しかし、ほとんどその記述がない。
弟子の足を洗っていただけるほどのイエス様が・・・?信じられない。
変装がばれるのがいやでわざとでなかったのではないか?
ス氏の示した真理は正しい面を示しつつ、巧みにサタン的教義をまじえて
強固なキリスト教真理を突き崩そうとしたサタンの懐柔策ではないのか?

247 :名無しさん@3周年:2006/07/19(水) 19:10:56 ID:IHsJdiYX
ス氏はロリコンなのか?恋愛関係にもない15歳下の女性(15歳)
に彼女の兄を通じて婚約を」とりつけ、逃げられたりしている。
当時の人間は早熟としてもあまりに常識からかけ離れているのではないか・
そのご結婚の意志のない愛人と暮らし、生涯結婚できず晩年に「結婚愛」
などという著述をなし、アムステルダムの官庁の人間は仕事が成熟するのが
遅いから売春婦を買うのも仕方ない・・・などという自己弁護とも取れる
記述である・・・サタンの懐柔策としか思えない。
当時のキリスト教が異端として退けたのは適切である。

ギロチン覚悟で地中海を命がけで走り回ったパウロとどちらを信じるべきか
は読んでいる方におまかせしようと思う。

248 :火の洗礼を祈る小羊 ◆b45h8kER4c :2006/07/19(水) 19:31:01 ID:4q2KBcAx
>>246

それもありうるかもしれませんね。私もス氏の著作を全部読んでいるわけではないので、詳しい方に教えてもらいたいが、それとしても、出典と通しNOを教えてもらえればと思います。
私が読んだ範囲では、主は天界の太陽のようであり、一般の霊体は近づけないはず。
食べ過ぎるな、との教えは天使からで、毛穴から蛆のようなものが這い出てくるイメージというのは読んだ気がしますが、主ではなかった。
国王との蜜月は、啓示前の出来事では?
信仰義認については、悔い改めを伴うものは、そもそも信仰義認ではないのでは、と思います。ルターについては、詳しくないですが悔い改めなしの信仰のみを極論することはあやまりだと思います。



249 :名無しさん@3周年:2006/07/19(水) 19:45:04 ID:IHsJdiYX
248>信仰とは精神の作用で「悔い改め」とはセットのようなものです?
私にはわかりません。いったい自分のなかの悪を肯定しつつ、悔い改めもなしに、信仰なんてできるのかな?
そんな二面性、二重人格は、単純な私も、ルーテルも、パウロもわかりませんね!

聖書をしっかり読んで信じる・・・そこには(肉体行動を除いた)
信仰のすべてが含まれていると思いますが・・・どこにも悔い改めるな?
ないんてかいてませんよ。

250 :名無しさん@3周年:2006/07/19(水) 19:46:42 ID:IHsJdiYX
ス氏肯定者は、セフレでもいっぱい作って楽しんだらよろし(^^

251 :名無しさん@3周年:2006/07/19(水) 19:56:03 ID:IHsJdiYX
出展ですがめんどくさい・・ココはス氏関連のスレッドなので探してください。
読むと頭がいたくなるのでもう本をひらくのもいやなんです。
偽装したなら自称天使だろうが主だろうが氷の上に座って薄暗い人間はサタンに決まっている。
本当の天使、主ならわざわざ光らないように配慮する必要なし。

もううんざりだ。

252 :名無しさん@3周年:2006/07/19(水) 20:01:01 ID:IHsJdiYX
くだらない中世の生活を美化したような天上界の御伽噺を読むのはやめて、
しっかり聖書を読んで信仰したらよろしい。そうすれば聖霊の力で行動も整ってくるでしょう。
ス氏の天上、地獄描写に意味なし。現代人が死んだ後あんな生活をしているものか!
くだらない!

253 :火の洗礼を祈る小羊 ◆b45h8kER4c :2006/07/19(水) 20:05:13 ID:4q2KBcAx
>>249

それはそれで、全然問題ないですよね。お聞きしたいのですが、こういう教えは、なんと言う名前で、主な神学者は誰ですか。

「罪はイエス様が贖われた。我々クリスチャンのみが、イエス様をしんじるだけで、救われている」



254 :火の洗礼を祈る小羊 ◆b45h8kER4c :2006/07/19(水) 20:26:53 ID:4q2KBcAx
>251

出典は諦めます。霊界日記あたりですか。あれを全巻買うのは勇気がいりますね。

>食事中にカエルとはお間抜けなり。
カエルを食べていたということですか。食習慣が違うんだからしようがないのでは。日本人がタコを食べるようなものでは。

>自称天使だろうが主だろうが氷の上に座って薄暗い人間
イエズス会の創設者イグナチオは、光の固まりのような悪魔に付き添われたといってますよ。
その薄暗い人間は、煉獄あたりの先祖の霊か何かでは?

>現代人が死んだ後あんな生活をしているものか!
現代人は、自身の思考が違うでしょうから、する人はパソコンゲームでもしているんではないでしょうか。



255 :名無しさん@3周年:2006/07/19(水) 20:48:28 ID:2KmEv+xy
書名ぐらい出すのが普通。

256 :火の洗礼を祈る小羊 ◆b45h8kER4c :2006/07/19(水) 21:04:28 ID:4q2KBcAx
ググっていたら、比較的よくまとまったサイトがありました。伝記の記載があり、確かに一度結婚が破談になったようなことが書いてありました。


http://swedenborg.bufsiz.jp/index.htm

257 :名無しさん@3周年:2006/07/19(水) 22:29:03 ID:ikCIkQEr
>>256
全訳っぽくてすごい!

258 :名無しさん@3周年:2006/07/19(水) 22:33:09 ID:zPMrrKNd
まあまあ・・・・心配するにはいらないでしょう。
ス氏没後だったか生誕だったか200年たつそうですから、聖霊の働きがあるなら
そろそろ・・というかトウの昔に一大センセーションを巻き起こしていそうなものですが
それも永遠にないでしょう。
出展は「結婚愛」451 459(本人の付加の章番号)です。451は
ある程度売春を認めたものであり重罪と思います。459はセフレの肯定です。
全体にわかりきった普通の道徳でとくにス氏に言われるまでもないですね。
普通に聖書を読んでいればすべて悪いことはわかります。(姦淫など)」

ス氏は広まらないでしょう。本人が命がけの布教でなくいいかげんですから、現代人の一部が
頭で納得し、自慰するのみで苦難を乗り越えるなんらの力も得られません。
俗世の中で恵まれた家に生まれ、鉱山技師、セフレ、国会議員、とやりつくしたあと
ちょこちょこしたり顔で新しい聖書なんぞ書かれてもこっちは何も感じません。
天晴れな俗物でございます。

>253クリスチャンのみが救われるとは聖書のどこにも書いてないし私にはわかりません。主のみ言葉「聖書」
をしっかり読み、真剣に信仰するなら教会に行かずとも救われると思います。
ヤコブの手紙には行動も重要と書いてありますし、安直な信仰を戒めた
ものでしょう。別に行動の重要はス氏の専売特許でもありません。
ルーテルも内村鑑三も基本的に同じ考えだとは思いますが・・’(聖書のみ)

>255・・この板はある程度わかっているもののためにあると思いますが?
いちいち出展を出すためにあなたのために本棚あさる義務もないしわからないなら
来るなといいたい。
私が怒るのは世の中全体が、真剣な信仰をすてて笑いものにし、サタンのボデーブロが利いてきたごとく
(特にス氏がもとになった新興宗教がひどい)どんどんひどくなる一面があるということ。

しかし、やはり全体的には認められていないので人間の良心は偉大だなあと思うのです。

259 :火の洗礼を祈る小羊 ◆b45h8kER4c :2006/07/19(水) 23:46:42 ID:4q2KBcAx
>>258

開きたくも無い本開いていただきありがとうございます。結婚愛は、友人に貸しっぱなしで参照できないので、かなりの後日見させていただくこととしますが、
記憶では、抑えられない性欲(犯罪に走るよりは)を売春で解消することは、やむをえないというような内容だったでしょうか。

>クリスチャンのみが救われるとは聖書のどこにも書いてないし私にはわかりません。主のみ言葉「聖書」
をしっかり読み、真剣に信仰するなら教会に行かずとも救われると思います。

これは、私もまったく同感です。

ただ、内村鑑三は、http://swedenborg.web.infoseek.co.jp/uchimura.htm

我は「スヱーデンボルグ」の著述の或るものを読みて大なる喜びを感ず。彼の教説の多くは受くるゝ能わずと雛も、彼は聖書の最も難しき個所の多くを解明するに大いに我を助けくるなり。
彼は偉大なる人、愛すベき人、疑いなく力強き思想家なり。彼は多くの者には神秘的なり。然し彼の精神を理解する人々には、1メジスト牧師の我に述ベる如くに、「気狂ひ」 a crazy にはあらず。 (1885年4月19日付書簡)

とありますよ。

私は、ス氏の来世感は、かなり納得できると思うのですが、あなたの天国感など、ご披露いただけたらと思います。

260 :火の洗礼を祈る小羊 ◆b45h8kER4c :2006/07/20(木) 00:10:12 ID:ceMjHnMy
>>258

>私が怒るのは世の中全体が、真剣な信仰をすてて笑いものにし
それは、ス氏のせいではなく、いつの時代でも、真理が曲げられる、善と悪が織り成されている、ということはあるとおもいます。
前掲のサイトの伝記を読んだ限りでは、ス氏の時代は、教会の暗黒時代だったような記述もあり、現代より中世ヨーロッパのほうが堕落の程度は大きいと思います。
また、クリスチャンであるならば、怒るのは、どうかと思います。笑いものは、彼らは「知らない」わけですから、しようがないと思いますし、私は一般の人でクリスチャン(私)より、真剣な信仰を持たず、救われている人もいると思いますよ。
殉教、死を賭する信仰については、私も惹かれたこともありますが、現世で最小のものとなることにより、天界で最大のものを目指す場合があり、殉教=天国行きとはならないケースもあるのではないかと思っています。


261 :245:2006/07/20(木) 08:25:56 ID:EBm8wFBd
>>246

ですから、悪魔は「私は悪魔だYO〜」と、誰にでもわかるような姿で現れたり
しません。むしろ、聖者や賢者の姿をまとって現れ、人間の弱みにつけこんで
支配する。人間は、権威と教権と奇跡に弱い。主のみことばに含まれた真理では
なく、教会や聖書の権威にひれふす。また、復活という奇跡にひれふす。

本当に「みことば」の真価を理解できる人間には、権威も奇跡も必要ありません。
いや、かえって真価を味わう妨げになるだけでしょう。

あなたがス氏を導いたのは、悪魔ではないか、という発想を抱いたことこそが、
あなたの信仰が迷信の泥土の上に建っていることを暴露しています。
説くものが天使の姿をとろうが、悪魔の姿をとろうが、真理と感じるものを取り、
誤謬と感じるものは捨てる。それこそが真の求道者の姿だと思いますが。
どうせ、天使の姿を取っていても、悪魔の偽装でない証拠は何もないのですから。

262 :名無しさん@3周年:2006/07/20(木) 08:41:54 ID:3q33cxuv
>260 言っていることがさっぱりわからないのであるがたんに勉強不足であろう。

ス氏で救われるならそれでいいよ。聖書にイエス様が怒った箇所をしらんか?
別に、殉教を美化してるわけでなくス氏の本でお前さんが人生の苦難を乗り越えられるなら
それでいい。自分の恵まれた境涯をなげうって貧しい人や弱い人に人生をささげる気になるならそれもいい。
もうめんどくさい。内村なんぞでいちいち言葉尻をとらえるな!

パウロ、ルーテルを冒涜するな!スよ・・お前が何ぼのもんじゃい!
行いが大事といいながらお前さんがやったことはなんぼのもんじゃい?

立派な教養諸氏が納得することと、人生の糧として支えになることは別物・・

すくなくとも俺は吐き気がする・・・
>260 あんた学生だね?スは学生、教授など頭でっかちすきだからなあ・・
とかくとヘレンケラーでも持ち出してくるか?きりないけどね。
もうかかねえよ。へどがでる。

263 :名無しさん@3周年:2006/07/20(木) 10:41:16 ID:N4+4+GT1
ここまで好みが分かれるとは、スウェーデンボルグというのは
本当にクセのある味わいを持つ男なんだなぁ。

264 :ペガサス:2006/07/20(木) 12:45:43 ID:6HDkHsis
>262

ここでへどを吐かないでくれ


265 :ペガサス:2006/07/20(木) 12:53:08 ID:6HDkHsis
>264

そういう見方もあるんだろうね。
ただ、ス氏の素晴らしいところは、聖書の難解なところを
解き明かしてくれるところなのだ、内村鑑三の言うように。



266 :ペガサス:2006/07/20(木) 13:04:15 ID:6HDkHsis
>261
>本当に「みことば」の真価を理解できる人間には、権威も奇跡も必要ありません。
いや、かえって真価を味わう妨げになるだけでしょう

然り、イエスは言う「(奇跡を)見ずして信ずるものは幸いなり」と。


267 :ペガサス:2006/07/20(木) 13:22:28 ID:6HDkHsis
>260

信仰義認について誤解があるようだが、ス氏は否定しては
いない。
彼はルーテルの著作について、全半は「信仰義認」であったが
後半に至って、「信仰のみによる義認」に変化したという。
ルーテルが業(わざ)を言うヤコブ書を「藁のふみ」と嘲笑した
ことは有名である。
ス氏は「信仰のみによる義認」を否定したのである。これはカト
リックにおいても同じである。

268 :名無しさん@3周年:2006/07/20(木) 16:15:06 ID:N4+4+GT1
我さんは「イスラムは行為義認だから〜〜〜だ!」とか言ってたな。

269 :火の洗礼を祈る小羊 ◆b45h8kER4c :2006/07/20(木) 21:09:04 ID:ceMjHnMy
>>262

あなたの言わんとしていることは、なんとなくわかりました。心に留めておきますので、もっとわかるようになる日がいずれ私にもくるかもしません。
ちなみに、私は、残念ながら学生でも教授でもありません。人それぞれイエス様の導かれる道があり、ス氏の指し示す道以外にもその人にあった多くの道はあると思います。

270 :名無しさん@3周年:2006/07/20(木) 23:45:41 ID:r9snSaUm
ルーテルは天界にいるらしいよ。
彼は信仰義認に漬かっていたけど、
天界で考え方を改めたのです。


271 :名無しさん@3周年:2006/07/22(土) 08:31:20 ID:lZinHDQK
『真のキリスト教』の796に記事がありまつね。

272 :名無しさん@3周年:2006/07/23(日) 09:18:13 ID:r3U2qQ/5
そう真のキリスト教にあり。

ネ申は、どの環境にいる人間にも信じる、信じないを
自由に選択できるよう配慮している。。
どちらにもかたよってないところがミソ

奇跡や魔術はその均衡と崩してしまうので許されてない。


273 :名無しさん@3周年:2006/07/28(金) 08:34:57 ID:PcT3qXk6
>270
ルーテルが改心できたとしても、生前のルーテルが残した誤謬に染まった
信者たちは、依然として地獄の霊とつながっているので、むしろ、そちらの
方が「由々しき問題」ではありますまいか。

274 :名無しさん@3周年:2006/07/28(金) 21:21:54 ID:E4PR3zr1
ルーテルに限ったことではないが、
天界に入ったからといって、その人が犯した罪が消えるわけではない。
遠くに退けられるだけ。

また、誤謬に染まった信者が天界に行くことができなかったとしても、
それはその信者の問題であって、
ルーテルのせいでいけなくなったわけではない。


誤謬に染まってようとなかろうと、
地獄の霊はだれにでもついている。天界の霊とセットで。
それだから、均衡しているといえる。

275 :名無しさん@3周年:2006/08/03(木) 09:50:55 ID:cjzhEVUJ
>274
しかし、カトやルーテルの誤謬に犯されなかった異邦人、中でもアフリカ人は
天界では一番よい場所に席を占めているというではないか。
誤謬を放置する行為そのものが、地獄的と言える。

276 :名無しさん@3周年:2006/08/03(木) 21:33:02 ID:WBF9q5e5
>>275
幼くして亡くなった純粋無垢な子供は天界にいるともいうね。
これを不公平と考える?
幼いときに死んだ方がよかったと考える?
アフリカ人はラッキーと考える?
マフィアの子供はアンラッキーだね。生まれたときから悪を教えこまれて。
ルーテルの誤謬にまどわされた人はアンラッキー!
あー、アダムとイブが罪をおかさなければよかったのに!
あー、最古代教会時代に生まれてたらよかった〜!
ひがむ?

これらをどう受け止めるか、自由。
地獄的なことに心を奪われてもよし、そうでないと信じるのもよし。

信仰的なことをひとつ付け加えるのなら、
誤謬が放置されているのも神の配慮のもとでのこと。
神が許されずに放置されてる誤謬はなにひとつない。

(いちどは誤謬に染まった)ルーテルが改心できたように、
誰であっても救いの機会は与えられていると考える。


277 :名無しさん@3周年:2006/08/03(木) 21:47:50 ID:IU5WuMoB
>>276

結局は、自分が行動を起こさずに静観していることを正当化してるだけだよな?

278 :名無しさん@3周年:2006/08/03(木) 21:48:45 ID:IU5WuMoB
そういう奴のことを「白く塗った墓みたいな」って言うんだよ

279 :名無しさん@3周年:2006/08/03(木) 21:58:58 ID:IU5WuMoB
行動こそが、「愛と信仰」の完成だよ。

わざとか行いは、信仰や愛が完結していく究極の場で、この完結部がなかった
ら未完成で、実在にまでいたらず、人間のなかにもないことになります。
考えたり欲したりするだけで、おこなう機会があっても行わないなら、器の
なかにとじこめられた炎のように消えていきます。または砂地に落ちたタネの
ように生えでず、発芽のチャンスを失って、死滅していきます。(天界と地獄、475)

280 :小人:2006/08/03(木) 22:18:56 ID:yZgKI4/q
神様の近くにいれば怖いものなどない。神様の慈悲深い愛を私達人間の魂も備え持っているというのに…ほとんどが悪魔の甘い誘惑に屈し墜落の一途を……嗚呼…情けない…私は知らない…何も知らない…だけれど放ってはおけない…私は観自在菩薩…救わねば…

281 :名無しさん@3周年:2006/08/03(木) 22:24:28 ID:WBF9q5e5
>>278
そうなんだ


282 :小人:2006/08/03(木) 22:29:30 ID:yZgKI4/q
絶対真理…創造主の愛と知恵、私達は今こそ霊的真理を学び直し 霊的視点からこの世のものを眺め下ろし、無知なこの世の人間に真実を教えてあげよう…その際 悪魔に要注意。私達に好意的でない人間を愛しなさい…真の神様の護加護が在りますように…ありがとうございます

283 :小人:2006/08/03(木) 22:34:36 ID:yZgKI4/q
イエスキリストのように生きたい…イエスキリストのように生きたい…ありがとうございますありがとうございますありがとうございますありがとうございますありがとうございますありがとうございますありがとうございます

284 :名無しさん@3周年:2006/08/03(木) 22:42:27 ID:WBF9q5e5
>>277
行動を起こさないのは死んでるのと同じ

285 :小人:2006/08/04(金) 02:09:36 ID:BdXVIch4
すべての事に感謝しなさい…今生かされている意味について心を無にし良心に従いあなたの魂の声に素直に耳を傾けなさい…頑固という事は何も良い事などありません…脳も使ってあげなさい 私は無意識な物など造りません。脳を愛しなさい

286 :名無しさん@3周年:2006/08/06(日) 13:36:00 ID:OTvMzkca
>284
「義を見てせざるは勇なきなり」ですか、
私なんか小心者なんで耳の痛い言葉ですわ

行動は最後の結果であって、その中に行いは完成するというのは真ですが、
そこに至る最初のプロセスとして最初はまず知ることから始まるというのも真でしょう

もちろん最終的に行動することが目標なのですが、
では我々は何をすべきなのか、あるいはすべきでないのか、
ということ知らないと行動のしようもないわけです
例えば行動といっても他人に何かをするということだけではなく、
自らが自らの悪と内面的に闘うのも行動といえましょう
(これが結構大変だったりする)

仁慈(行い)の教義は真のキリスト教の根幹ともいえる重要なものですが、
ス氏の著作を知っている人も訪れているようなので、
今後ゆっくりまったりぼちぼちと議論が進むことを期待しつつ、
この場はこれ以上書かずにしばらく静観するとしましょう


(47の続きようやく書いたがこれまたひでえ長文なので載せずにしばらく様子を見ることにしよう)

287 :名無しさん@3周年:2006/08/06(日) 14:40:19 ID:pU2Dy2rv
行いというのは、結果であって、重要なのは「愛のもつ情愛」です。
行いの結果をいろいろと考えて、「より多くの善を隣人にもたらすにはどう
すればよいか」と思う悩むことはあっても、「隣人に対して善を望む」という
情愛を持つ妨げになりません。むしろ、「情愛」を持つか持たないかで、結果は
すでに決まっているのです。「何をすべきなのか、すべきでないのか」は、その人
の立場や考え方によって違うでしょうが、隣人愛をもって行う限り、その行いは
必ず実を結びます。

第二には、人間は「愛のもつ情愛」からではなくては、何ひとつ自分のものに
することができないということです。それ以外のものの場合、人のなかに入って
いくことはできても、せいぜい思考のなかまでで、意志のなかまで入っていきません。
人の意志にまでいたらない場合、本人のものになっていないのです。とういうのは、
思考力は自分の考えを記憶からひっぱり出しはしますが、意志はみずからの
「いのち」そのものから出てくるものです。(天界と地獄、598)

288 :名無しさん@3周年:2006/08/06(日) 21:20:19 ID:vzhUmrc5
要は、
自分以外(他人、神、自然現象など)のセイにするな!
てこと。
常に、善と悪の均衡のなかにいる。
どちらも等しく選択できる状態におかれている。

人間いは遺伝悪が備わっている。
遺伝悪によって罪を犯すこともあるわけだが、
遺伝悪による罪でその人が裁かれることはない。
悪霊がついていたがために地獄におちることはない。
天界の道と地獄の道は自由に選択できる状態にある。
どちらを選択するかはその人の意思であって、
他のものがその選択を強制することはできない。


289 :名無しさん@3周年:2006/08/16(水) 22:29:09 ID:yinsorL3
スウェーデンボルグ君の本を読んでいても、出てこない罪があるね。
堕胎とか、麻薬とか。自殺した人の地獄とロリコンの地獄は霊界日記で
発見したけれど。ポルノに関しても、述べていないね。
もっとも「結婚愛」という本で、もてなくて発狂しそうな人物なら、買春しても
良いという記述があるぐらいだから、スェーデンボルグにとって、ポルノは特筆する
事象ではないという事なのだろう・・・と思うが、調べてみるかな。

290 :名無しさん@3周年:2006/08/16(水) 22:58:30 ID:qN/bwf+1
霊界は自分で体を抜けていけば体験できるよ。一旦入り口でも経験すれば
信じるではなく、包丁で手を切れば血が出るくらい当たり前の事になる。
しかし、何にも知らずに、恐怖、喜怒哀楽を味わっている人生の方が
スリルが有って良いのでは?  霊界は、あまり気負うほどのものでは
ないよ、この世で生成した心の成果が現象化する世界だと思えばよい、
神が恩寵として天国に入れるとか入れないとかは誤りだ、天国の心を持っ
ている人は霊界に行けば周りに天国を作っている、それが真実だ。

291 :名無しさん@3周年:2006/08/19(土) 14:41:54 ID:1C1bByX6
愛は無限の形に変わる、それに対する罪も無限にあるだろう。

なお、スウェーデンボルグさんは、地獄より天界の記述を多くしてる。


292 :名無しさん@3周年:2006/08/23(水) 08:34:03 ID:miZHqRd+
>289

多分、「肉体的欲求」は地獄霊の影響から来るが、本人がそれを「悪」として
退ける気持ちを失わず、「悪のよろこび」を積極的に受け入れない限り、死と
共に地獄霊は去るから、「肉体的欲求に従うという行為だけで地獄へ落ちる
ことはない」だということじゃないかな。

ただし、スウェデンボルグは『天界の秘義』の中で、主によって善と真に心を
開かれていく段階に応じて、肉体的、世間的欲望は薄らいでいき、最後には完全
になくなると言っているので、ポルノや買春に心を奪われている限り、地獄の
影響下にあるという証拠になるだろう。

293 :名無しさん@3周年:2006/08/23(水) 08:54:07 ID:miZHqRd+
女性の場合だけど、記事があるよ。

霊界日記230「淫猥な霊魂の状態」(静思社版から要約)

世では信仰に全く無関心で、放埓な、淫猥な生活を送った女達は、あの世では
理性を欠いて発狂している。美についても、またつつましさについても何ひとつ
知らず、真の結婚愛に属するあらゆる事実を、とくに好色によってゆがめてしまう。
かれらは、(天国で味わうべき)他生での歓喜がどういうものかを理解しないので、
不幸な生活を送っている。こういう者の数は非常に多い。

294 :ペガサス:2006/09/07(木) 01:58:14 ID:DR+JREEe
わたしは40年余りスエーデンボルグに親しんできたが、私にとっての彼の
エッセンスは、

・まず悪から離れなさいということだ。彼は言う、十戒をみなさい。十の内
 「父と母を敬え」以外はすべて、「するな」である。しろと言うのは難しいが
 盗むな、殺すな、偽証するな などと、「するな」はやさしいと。。
 で、しなさいというただ一つの父母とは彼によれば「信仰と愛」が父と母
 のことだと言う。つまり、信仰と愛を尊重しなさいということだ。彼は、
 先ず悪を離れよと言う。そうすれば、隣を愛することができるようになる
 と言う。非常に実際的なのだ。
・そしてこれが重要なことなのだ。イエスは隣人とは?という法学者の問い
 を利用して、隣人を愛せよという最高の命題にたいして、隣人は単なる
 隣り人ではなく、隣り人を限定したのだ。つまり有名な「善きサマリヤ人」
 の話のところだが、よく読むと「隣り人」とは「善きサマリヤ人」にんって
 いる。スエーデンボルグに言わせると隣とは善きサマリヤ人であり、つまり
 サマリヤ人の善が隣り人であると言う。つまり、私たちは、だれでも彼でも
 愛せよでなく、「隣の善」を愛せよということなのだ。
 暴力団、でも殺人者でも隣として愛する必要はない。隣利」を愛するの
 ではなく、(隣りの中の悪を憎み)隣の中の「善」を愛せよと言うことだ
 と彼は説いているのです。それなら実際的に楽ですね。われわれにもでき
 ます。(クリスチャンは「隣を愛せよ」にみんなつまずくのです。)

 


295 :名無しさん@3周年:2006/09/07(木) 02:31:17 ID:+gYP2WiS

          ,,,,,,,..........,
       ./"´:;;::;;;: ::::;::"ソヽ
       / ,ヘ〜-ー'´⌒``ヽ:ヽ
      / ノ 彡:三:三:三:ミ |: \
      | |. __,,;;ィ  t;;;;,,,_ :ヽ |
       | |シ ,ィェィ') (.ィェィ、 ミ| |         
      !r、|  ''''''. | | ''''''  Y )   イエスの説かれた 「 汝の敵を愛せよ 」とは…
      ヽ{ ヽ. (r、 ,n)  /:: };ノ   悪に屈せず 悪に打ち勝つということだな!
       し}  : 、___二__., ;:::::jJ
        !、.:. ´ ..::::... `ノ::::ノ
        _,〉、ゝ '""'ノ/:|
      __,,ィ';;;;ト `ニニ: ::..ノ|ヽ、_
 -ー''''"";;;;;;;;;;;;ヽ \::::::::/ /;;;;;;;;;;;`''ー-、,,,,__
 ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ヽ   ><  /;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;"''
 ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ヽ /|;;;jヽ、/;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;



296 :名無しさん@3周年:2006/09/07(木) 11:47:41 ID:f0h5AsSa
>294

>隣人は単なる
>隣り人ではなく、隣り人を限定したのだ。

その解釈はちとおかしいと思います。
暴力団や殺人者は、悪霊のそそのかしに乗っているだけで、彼らが誘惑に
打ち勝って、「悪」から顔を背ければ、主の導きで救われるのです。
程度こそ違え、彼らもまたわれわれと同じ境遇ではないでしょうか。

297 :ペガサス:2006/09/07(木) 12:43:59 ID:DR+JREEe
>>296

あなたは理解できていない。
スエーデンボルグは「隣り」とは「隣り人の中の善」を意味すると語っているのです。
つまり、暴力団のなかの(悪でなく)善を愛せよということなのです。
たとえば暴力団の親分でも、自分の子にたいしては立派な人間に育てようと
言う良心が残っている場合もある。これを聖書では「残りのもの」と言う。
そしてスエーデンボルグは、その「残りのもの」によって「救い」が残されて
いると言う。その「残りのもの」さえ失われるとき、絶望なのであると。

スエーデンボルグの言うように、隣人とは?と言う問いに対してのイエスの答えは
法学者に誰が隣人だと思うか?というイエスの問いに、法学者はサマリヤ人ですと
答えが正解だとイエスは言っている。つまり、イエスは隣人とは「善き」サマリヤ人
であるとしている。つまり、隣人とは誰でも隣人ではなく、「善いものを持った
隣り人」が隣り人と、隣り人を限定している。それは当然のことであって、
サマリヤ人の悪い部分を愛することは却って悪であるからである。
たとえば、きみに子供がいるとして、子供が盗みをしたとしてそれを愛する
かね? きみが、それも善しとして子供を愛するなら、それは甘やかしであって
きみは悪を行っていることになる。
だから、スエーデンボルグは、隣り人とは隣人の中の「善」であって、その善
を愛しなさいということをイエスは言っている と言っている。



298 :ペガサス:2006/09/07(木) 12:48:37 ID:DR+JREEe
>>296 続き

でさらに彼は言う、最高の善は神である。だからわれわれは「隣の善」を
愛すべきであり、そして「最高の善」である神を尚更愛すべきであると言う。
つまり、創世記に言う「神に似た人間」を作った、つまり神は人間に似ている
のだ。そして最高の人間が神なのであると。

なるほど、イエスは「アバ父よ」と神に呼びかけ、神を人間としての父として
考えているし、イエスは、われわれの祈りに、「天にいますわれらの<父>よ
と祈れ と教えている。つまり神を「最高の人間」であると考えよ ということ
である。実に、スエーデンボルグは真実を語っていると思う。




299 :296:2006/09/07(木) 13:43:59 ID:f0h5AsSa
>たとえば、きみに子供がいるとして、子供が盗みをしたとしてそれを愛する
かね?

私は、どんな時にも子供を愛し、自分が役にたつことならば、何でもやって
あげたいと考えます。

私が憎むとすれば、それは子供ではなくて、子供をそそのかす悪霊に対して
です。仮に、子供が悪霊の誘惑に負けて悪いことをしたならば、もちろん
叱りますが、憎しみの心からではなくて、哀れみと誘惑に負けないでくれという
期待を込めてのことです。


300 :296:2006/09/07(木) 13:48:06 ID:f0h5AsSa
自分自身、過去に何度も悪霊の誘惑に負けたことがあるし、今もそれは
変わりません。もちろん、「自分の敵を愛する」などという主の慈愛に
習うことは到底及びませんが、自分が心の中に書き溜めた「呪うべき悪人」
のリストに記された名が、一人でも多く消えてくれるよう、主のご加護を
祈り求めています。

301 :名無しさん@3周年:2006/09/07(木) 23:11:26 ID:rZc9bfr3
悪事を行う者への愛(仁慈)とは、
懲罰、訓戒、説諭、矯正、更生など

私憤で厳しく当たるのはもちろん良くない
しかしダメなことはダメだと教えないのはむしろ無慈悲である
怒りが悪から発しているのか、あるいは愛から発しているのか、
外見ではなかなか判断しづらい

302 :名無しさん@3周年:2006/09/08(金) 01:52:02 ID:9lWLMiGK
マリアワルトルタ等の新啓示書を読みたいが、図書館にない。
スェーデンボルグの本は宗教書だけど、一般人から見ると哲学書にも見えるので、
必ず図書館に置いてあるが。
イエスキリストは「私の書物に著作権はない」と言っていた。
新啓示書を読むために、高い金を本屋に払わなければいけないなんて・・・・。
主よ、その言葉が嘘じゃないなら、新啓示書の全文をインターネットに載せていただきたい。

303 :武庫川女子大学総長 ◆gqBBZUnUPk :2006/09/08(金) 03:45:00 ID:0Wr74Qh8
>>295
それは、自らが「善」の立場であってのみ成り立つわけなんだがねえw
果たしてブッシュは本当に「善」なのかい?

おいらは「単細胞で悪人の愚か者」としか映らないよ?

304 :296:2006/09/08(金) 08:27:08 ID:2ESIy5Tr
>301

「天界の秘義」には、たとえ悪霊に対する懲罰であっても、主や天使が望まれる
ことはなく、すべて悪霊同士が行うと書いてあります。今、手元にないので
ページまではわかりませんが。

305 :296:2006/09/08(金) 12:08:22 ID:2ESIy5Tr
たとえば、Pott訳にはこうあります。

967. When the evil are being punished, angels are always present who moderate
the punishment and alleviate the pains of the sufferers, but cannot take them away.

つまり、天使が悪霊の懲罰に臨席するのは、懲罰が行き過ぎないようにブレーキを
かけたり、懲罰の苦しみを和らげるためです。

306 :名無しさん@3周年:2006/09/10(日) 00:34:36 ID:pOMwFdVE
>>305
霊界日記4421(角川抄訳ではP142)を見よ

305に書かれてあることは、あくまでその場に居合わせた天使は
その悪がそれにふさわしい報いを超えた懲罰にならないように調節しているだけで
懲罰自体を否定しているのではない、もしそうなら懲罰自体を止めさせるだろう
そんなことをすれば悪を野放しにすることになり、それ自体大きな悪である
誰が悪を罰するのかという問題ではない、摂理が正しく行われているかどうかだ

確かに天使自身が誰かを憎むとか罰するということはなく、悪それ自身が罰を伴っているが、
だからといって天使や善霊が悪や誤謬に対して反感や嫌悪を持っていないと
思っているのなら大間違いだ

296よ、君は真理を軽んじているという以上に識ろうともしない
という風に思えてならないが、それは私の勘違いかな・・・だといいが


もし霊界日記を所有しているなら4311も見よ

307 :名無しさん@3周年:2006/09/10(日) 08:57:32 ID:3LHl4UX4

悪が存在しないことは自由がなくなることとなるため、
必要に存在している。
しかし野放しになっているわけではなく、あらゆる悪も
有用(善に)に活かされている。
懲罰によって悪人が更正することがあるのもその一つの例だろう。
むしろ、悪人は懲罰を彼らの誤謬によって歓迎している。
懲罰がなければ彼らの社会が維持できないことを悟っているから。
これは誤謬であるのだが、善から物事を考えないため、
懲罰が社会の秩序を維持することを真理と考えている。

308 :名無しさん@3周年:2006/09/11(月) 12:13:03 ID:Opj5C8lQ
世の終わりに起こるといわれるキリストの再臨、携挙、千年王国についてはどうでしょ?
スウェーデンボルグは、どのように解釈されてるのでしょう?ご教示お願いいたします。


309 :名無しさん@3周年:2006/09/12(火) 21:57:11 ID:mBrZurbl
なんと驚くことよ。
みことばの意味が明かされることが再臨であった。



310 :名無しさん@3周年:2006/09/13(水) 00:15:21 ID:W8BTvbpf
>308
君は聖書についてある程度知っているのか
それとも何も知らないのかな
まあ何も知らないならおそらく質問箱へ行くだろうが・・

>309
yes!!

311 :名無しさん@3周年:2006/09/13(水) 09:08:30 ID:xLoDNHhC
こっちでも盛り上がりそう

主イエスは父なる神スレ
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1157415660/



312 :名無しさん@3周年:2006/09/13(水) 09:11:34 ID:lacQBqv1

そのとき、人の子のしるしが天に現れるであろう。またそのとき、地のすべての民族は嘆き、
そして力と大いなる栄光とをもって、人の子が天の雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。マタイ24:30


イエスは彼に言われた、「あなたの言うとおりである。しかし、わたしは言っておく。あなたがたは、
間もなく、 人の子が力ある者の右に座し、 天の雲に乗って来るのを見るであろう」。 マタイ26:64


そのとき、大いなる力と栄光とをもって、人の子が雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。 マルコ13:26


イエスは言われた、「 わたしがそれである。 あなたがたは人の子が力ある者の右に座し、
天の雲に乗って来るのを見るであろう 」。 マルコ14:62


見よ、彼は、雲に乗ってこられる。すべての人の目、ことに、彼を刺しとおした者たちは、
彼を仰ぎ見るであろう。また地上の諸族はみな、彼のゆえに胸を打って嘆くであろう。
しかり、アァメン。  黙示録1:7

313 :296:2006/09/13(水) 13:30:23 ID:BphfPPIN
>306

ちょっと誤解があるようです。
私は、悪や虚偽を懲らしめることを否定しているのではありません。ただし、
その懲罰はもっぱら地獄の霊の復讐心や憎悪を「善用」して行われるのだと
いうことを言っているのです。もし、天使自らが懲罰に手を下すと書いてある
場所があるのであれば、その場所を明示してください。

霊界日記の4421も4311も、悪や虚偽を懲罰によって直すことが慈悲であること
と言っていますが、「天使が自ら懲罰に手を出す」とは書いてありません。
それに、悪霊同士の懲罰を程よくコントロールしているのは、もっぱら主の
御慈悲とみ力なので、そこに天使が自主的に介入する余地などありません。

314 :武庫川女子大学総長 ◆gqBBZUnUPk :2006/09/13(水) 17:10:11 ID:R00uGsr8
>>308
>キリストの再臨、携挙、千年王国についてはどうでしょ?

そんなものはない。
さもなくば別の惑星の介入がある事象だと解釈したほうがスッキリする。
聖書も、意味を履き違えたら精神を蝕む阿片と同じ値打ちしかなくなるので注意が必要。

315 :名無しさん@3周年:2006/09/13(水) 17:12:39 ID:IEGrEaEd
>>314
君はクリではないな。
まっとうな信仰ではない。




316 :名無しさん@3周年:2006/09/13(水) 17:49:26 ID:iEVdNYZz
>>315
だいたいスウェーデンボルグ自身、クリスチャンとは言い難いですから。
彼の思想に賛同する者が「クリではない」のは当然かと。

317 :名無しさん@3周年:2006/09/13(水) 19:41:38 ID:W8BTvbpf
>313
おい、俺は別に霊界では天使自らが地上の法廷のごとく
悪霊に対して刑罰を自ら執り行うなどとはどこにも書いてないぞ
301や306のどこにそんなことが書いてある?
悪自身が罰を伴っていると書いた部分は無視か?
ホント都合のいい奴だな

しかも305では起こった刑罰に対しては天使がそれを調節していると己で書いておきながら
「そこに天使が自主的に介入する余地などありません」とは無茶苦茶だな
天界の秘義967では刑罰を監視して加減する役割の天使がいることが書かれている
とすれば実際に刑罰をコントロールするのはその天使の仕事ではないのか?
その天使は黙って見学してるだけか? それとも何の意志も思考もない操り人形なのか?
笑わせるなw

天地全てにおいてあらゆることで主が見通しているとしても
だからといって天使は毎日何の職務を行わずひたすらボーッと過ごしているとでも思っているのかw
そもそも竜と闘ったミカエルとは何者なのだ?


> 霊界日記の4421も4311も・・・

どうして「も」なのだ? ちゃんと4311を読んだのか?
4311は刑罰の話ではないだろうが、そこに書かれてあるのは
知性を欠いた盲目の情愛の危険性についてではないのか?
お前読解力ゼロだな

まあどうして4311を読むように勧めたのかお前には分からんだろうな

318 :名無しさん@3周年:2006/09/13(水) 20:13:38 ID:W8BTvbpf
さて、どーでもいいことは実際どーでもよい


黙示録はあくまで霊界で起こることを予言したものであり、実際それは成就した。
つまり決して過去に地上で起こったこと、あるいはこれから地上で起こることを
予言した書ではない、よって携挙なんざバカバカしいことこの上ない妄想であり、
主の再臨とは最も簡潔に述べれば309の通りであり、312は誰がいかなる意図で
載せたのか、ともかく主の再臨とは字義のごとく、キリストが孫悟空みたいに
雲に乗って地上にやって来て、しかもそこで千年王国を打ち立てる(プハハハハh)
という代物では絶対にないということはここに書いておく

更につけ加えると、だからといって黙示録は我々にとっては必要のない書ではない
断じてそんなことはない、むしろ非常に重要だ、
ただし真に理解されなければ単なるヘンな書に過ぎないが・・・

で、黙示録はこれ以上封じてはならないので主が来られたのだ


これらのことを、私はあなたがたにたとえで話しました。もはやたとえでは話さないで、
父についてはっきりと告げる時が来ます。その日には、あなたがたは私の名によって求めるのです。
(ヨハネ16:25-26)


いや〜感動的ですな

319 :296:2006/09/14(木) 09:13:47 ID:7MtFF8Ti
>317

あなたが書いた

>怒りが悪から発しているのか、あるいは愛から発しているのか、
>外見ではなかなか判断しづらい

というのに疑問を感じたので、「主や天使が刑罰に手を下すことはない」と
書いたまでです。
天使は主の似姿ですし、主は決して悪人に対して「怒り」を発せられないことは
ご承知でしょう。悪人から見ると「怒り」を感じるというだけです。だから、
たとえ義憤であろうとも、天使が「怒り」を感じることはないと思いますが。

もちろん、不快感を感じて顔を背けるというのはあるでしょうけど、相手を
自分の手で矯正しようとは思わないでしょう。それは「自分の意見に従わない
相手を服従させる」という自己愛に直結するからです。天使は誰もが、すべての善
が主から来るもので、自分の中にはひとつも善がないことを理解しています。
そういう存在が、どうして「怒り」をもって他人を裁こうとするでしょう。

>

320 :296:2006/09/14(木) 09:23:44 ID:7MtFF8Ti
私の表現が舌足らずで、気分を害してしまったのならば謝ります。

私は、「天使はたとえ義憤であっても、相手に対する怒りを発することはない」
とこれまで信じてきたので、もしもそれが間違いであったら、是非原典を引用
する形でご教示いただきたいと思っているだけですので。

321 :名無しさん@3周年:2006/09/14(木) 10:14:48 ID:5HShDVyL
なんだ。 スウェーデンボルグって  復活も再臨も信じてないのか...
クリスチャンでもなんでもないじゃん。www 

322 :アリオッホ:2006/09/14(木) 21:43:40 ID:DdPvfHuW
>>314
・・・

むこがわさんはまともだと思ってたのに残念だ。

323 :小さなヨハネ:2006/09/14(木) 22:02:53 ID:9JYtWvwA
2CHにスウェーデンボルグスレッドが出来ているとは頼もしい
限りです。私もスウェーデンボルグ読者の一人として過去に宗教
板に参加したことがあります。最近また参りました。宗教板も色々
な宗教・宗派のスレッドが増えたようで、当時とは隔世の感があ
ります。どうぞよろしくお願い致します。


324 :名無しさん@3周年:2006/09/14(木) 22:12:05 ID:k9E9/53I
>>323
宗教板は終わってるわ。簡単に言うと、信仰や宗教の目的は完成された
人間をつくる事。最後は神性に近づくのが目的ならば、神=愛、これは
どこの宗教でも言ってる共通点だから、信仰に入ったり、教書を読み
腹に入ったのなら、こんな醜い論争や酷い叩きは、無くなるはず。
神様に近づけば近づく程、暖かく、波動が細かくなっていく筈でしょう。
この宗教板に限っては、どの板よりも、叩きが酷いし。荒い荒いものを
受ける。まだ、このスレはましだけど。他は酷いよ。何のための信仰だというの。
何のための、お教書だというの?

325 :武庫川女子大学総長 ◆gqBBZUnUPk :2006/09/14(木) 22:16:15 ID:QpRn4JJu
>>322
うん、そりゃ残念だw
>>315
まあ最初は、心霊主義の方向からスウェデンボルグにもアプローチ。
私の場合はむしろ東洋の思想が主体なんですよ・・・・

326 :名無しさん@3周年:2006/09/14(木) 22:21:19 ID:k9E9/53I
スウーデンボルグの霊界物語は読んだけど、結局、その霊のいける
所までの情報しかわからないのと。仏教徒やキリスト教徒や他の信仰
をしている人達の想念どおりの所にゆくのだと思うヨ。無神論者は無神論
者の想念界に入るのだと思う。だから、どれが、間違ってて、どれが正しい
って事は無いのと違う?

327 :名無しさん@3周年:2006/09/14(木) 23:50:37 ID:lE/+/+y/
地獄に住んでいる者にとっては地獄が天界にみえている。


328 :名無しさん@3周年:2006/09/15(金) 00:30:46 ID:c4tvixsW
>>320
よいかね、悪は善を憎悪する、善に憎悪は存在しない
しかし悪への反感は当然ある、なぜなら善と悪は対立するから
(もし反感、悲しみ、恐れ等がまったくないのならその悪に同意している)
悪は憎悪から怒る、善は憎悪から他を怒ることはない
ましてや天使ともなれば、誰かを憎むなど無い
しかし善への熱意が昂じて怒りの外観を取ることはある(天秘4164)

無論怒りを推奨したりはしないが、しかし悪や不正に対する正当な怒り、
反感というものは地上だけでなく、霊界にも存在する
また善霊が(内的な善から)刑罰を執行することもあるのである
霊界日記1494、1838、3028、5050を見よ

とりあえずこれだけ書いておく

329 :296:2006/09/15(金) 08:22:37 ID:qzVr2wBB
>328

どうもありがとうございます。
今、手元に霊界日記がないので、今晩さっそく調べてみます。

330 :296:2006/09/21(木) 09:07:50 ID:nByp+mE8
すっかり返事が遅れましたが、確かに霊界日記5050には、刑罰を行う者の中には、
内的天使が含まれることすらある、とありますね。

たいへん勉強になりました。御礼申し上げます。

331 :ペガサス:2006/09/24(日) 02:34:09 ID:orIuS6E3
ス氏の霊界についての話は、われわれにとって、それほど意味あるものとは
思えない。
ス氏のエッセンスは聖言の解釈であって、従って主著は「天界の秘儀」に
尽きる。その合理性は、他のすべての解釈に勝って、驚嘆すべきものである。

彼の説く究極は、ス氏の研究家、高橋和夫氏の語るごとく、極めて平明で、
「イエスの遺言「互いに愛し合いなさい」を守ることに尽きる。

彼は言っている、
天国は、
キリストを信仰するが、イエスの教えを守れない者よりも、
キリストを知らないが、イエスの教えを守れた者のためにある、と。

キリスト教は山上の垂訓、「八福の教え」がある。
仏教では、「八正道の教え」がある。

イエスを知らなくても、八正道を行う仏教徒は、天国であると、彼は言う。
彼は言う、天界にあって、その仏教徒はイエスを知るようになると。



332 :名無しさん@3周年:2006/09/24(日) 08:23:26 ID:v14AtrT5
確か、ノアで表象される「霊的教会」は、アジア諸国へ広がっていったと
ありますね。仏教(今は堕落しまくってキ教と似たりよったりだが)が、
かつてそのひとつであったことは間違いないでしょう。

333 :名無しさん@3周年:2006/09/24(日) 22:33:56 ID:kuEyRo0R
カトリックのピオ神父様は、煉獄の魂のためにも祈っておられましたが
死んだ方々のために祈ることは霊界(天界?)においても効力ありますか?

334 :ペガサス:2006/09/25(月) 01:46:51 ID:RmEXgaVW
(スエーデンボルグの)霊界の事象の解き明かしに興味を持つ人は、
インドの聖者と言われるサンダーシングの著書を研究するがいい。
両者は時代において200年くらいの差があるが、その霊界の事象を
説くところ、殆ど同じであると言ってよい。

サンダーシングは週に2,3度は、望みの如何に拘らず、天界に入れ
られたと語っている。
そして、ある人がスエーデンボルグの著書をサンダーシングに見せた
ところ、霊界見聞において、自分と全く同じである、そしてス氏を
偉大な聖徒であると語っている。

サンダーシングは、なぜ自分が天界に招かれるか根拠を聖書に求めた
ところ、 ゼカリヤ書3:7を教えられたと言う。すなわち
「万軍の主は言われる。わたしはここに立っている者ども(聖徒たち)
の中に行き来することを得させる」と。

ちなみに、サンダーシングは日本に来たこともるが、教派に属すること
なく、一円の金も持たず、一冊の聖書を携えるのみで、世界に伝道し、
最後はチベット伝道ゆえのヒマラヤ越えの徒爾、神に取られた。




335 :名無しさん@3周年:2006/09/25(月) 08:31:05 ID:5YXHE7y1
>334

サンダーシングの教義は、スエーデンボルグと完全に一致していますか、
それとも矛盾点(食い違い)がありますか?

336 :名無しさん@3周年:2006/09/25(月) 10:42:27 ID:qJAZTf0V
サンダーシングはスンダル・シング

337 :名無しさん@3周年:2006/09/25(月) 13:12:13 ID:s5BewYne
みなさま。禅で数息観を行い、雑念を継がぬよう勤めるようですが、
スエーデンボルグ的に解釈すればどのような意味があると考えられますか?

338 :名無しさん@3周年:2006/09/25(月) 22:39:48 ID:ToNDauhN
天国に行くにしろ、地獄に行くにしろ、要はその人間の内面の状態によって自ら行く所が決まってしまうと思われる。
この世界では、内面(心で考えている事)と実際の行動を偽って生活していく事が可能だが、霊の世界ではそれは
許されていない。その者の心の内面の状態により行く団体が決まると思う。地獄に落ちるのではなく、自ら好んで行くのは
自分にもっとも適している所(団体)に行くに過ぎない。天国に行くのも、基本的には同じ考え方である。

339 :名無しさん@3周年:2006/09/25(月) 23:53:10 ID:B4U9bs55
>>335
詳しくは知りませんが、完全一致ではありません。
しかし似ている部分があるのは確かです。
サンダー(スンダル)・シングの話では、パウロは天界にいます。

スンダルがキリストの福音を伝道したのは、
「魂の真の救済は、キリストによってのみ成される」
ということを確信していたからでしょうし、そのようなことを著しています。

信仰義認だが、彼の言う「信仰」とは
洗礼を受ければ救われる、というようなものではありません。
説教の中で、キリスト無きキリスト者への警告を 繰り返し説き、
非難を受けることもあったようです。

ミルトスという出版社から著作集が出ているので、
興味があればどうぞ。

340 :ペガサス:2006/09/26(火) 02:17:58 ID:pFL86Twf
>>335

イエスを神と見る信仰において、スエーデンボリとサンダーシングは
同じである。

働きにおいて、スエーデンボりは聖言の真理を人に伝えることが主眼であり、
サンダー・シング(sunder singh) はイエスによる救いを人に伝えること
が主旨であったという違いがある。

私の受ける印象では、スエーデンボリ(スエーデン語の発音)は巨人であり
サンダー・シングは聖徒といった感じを受ける。
たとえば、ス氏は哲学者カントと同時代の人であるが、精密な望遠鏡のない
時代に星雲説を始めて唱えた人であり、さらに驚くことは、当時にあって、
人間の右脳と左脳の働きの違うことを既に明言していることである。
今日のわれわれが、数十年前にやっと知り得たことである。
彼は当時の先端を行く科学者であって、潜水艦の設計も手がけている。
彼は瞑想により天界に入り、天界を科学したと言える。まさに巨人の感
がある。



341 :名無しさん@3周年:2006/09/26(火) 16:59:38 ID:NHOjYcUZ
スウェーデンボルグ信奉派の丹波哲郎さんも とうとう大霊界へ旅立たれましたね
あちらでス氏とも楽しい語らいのときがもたれますよう。 ご冥福お祈りします( -_-)人

342 :名無しさん@3周年:2006/09/29(金) 00:19:01 ID:jshmYUDL
丹波さんは、長年の霊界研究と霊界の宣伝マンとしての功績の功労なのか
大往生でしたね、眠るように亡くなられたそうで良い死に方でした。


343 :名無しさん@3周年:2006/09/30(土) 18:21:25 ID:tzqn8CHn
スウェーデンボルグの著作のなかで釈迦やムハンマドなど他宗教の聖人が出てくるところがあったら教えてください。

344 :名無しさん@3周年:2006/09/30(土) 21:56:39 ID:kKamhZXX
>343
釈迦は見たことありませんね。ムハンマドは何度か見ました。

たとえば、「結婚愛」のn.344には、

「...ムハンマド自身は姿を現さないが、彼の代理者が居て、新しく天界に来た
人びとが『ムハンマド』に会いに来れるようにする」

という記事があります。彼らは、概して(当時の)キリスト教徒よりも善良ですが、
一夫多妻制を正しいと思い込んでいるので、天界においてそれが是正されるようです。

345 :名無しさん@3周年:2006/09/30(土) 22:32:59 ID:bDgQ+tQ0
釈迦のことはスエーデンボルグが知らなかったので、会っても分からなかった
か、会おうとしなかったので結局、会わなかったのかも。

346 :名無しさん@3周年:2006/10/01(日) 00:15:01 ID:zIH/s3VC
スウェーデンボルグは、異言や預言などの
いわゆる霊的賜物について、何か言及していますか?

347 :名無しさん@3周年:2006/10/01(日) 01:48:18 ID:lHd+RvTO
スェーデンボルグ神学に対しては「肯定」か「否定」の意見しかなく、
エマアソンみたいにスェーデンボルグ神学を信じつつ、客観的に分析する人が少ない。
このスレの上の方で矛盾とか、不完全性定理との関係等を指摘しているのはオイラだが、
ブログにする必要あるかな。読みたい人は読めばよいだろう。

348 :名無しさん@3周年:2006/10/01(日) 02:14:13 ID:ahMje7FU
あちらでルターはス氏に改宗したそうで、 カルヴィンは受け入れなかったとか。
天国?天界にいけば宗派も教派もないのかと思ってたら そうでもないのね..(^^;

349 :武庫川女子大学総長 ◆gqBBZUnUPk :2006/10/01(日) 07:35:54 ID:/RIZE/wJ
>>348
まあ、霊界は「棲み分け」が非常によくできている世界のようだからねえ。
この世的にいえば「派閥」あるいは「類は友を呼ぶ」のような世界なんだろう。

350 :名無しさん@3周年:2006/10/01(日) 14:02:49 ID:ahMje7FU
>>349
上位の方にいくほど....  それも薄れるそうですわ。
低位なるにつれ人間界に近い深層が現れるようっす(^^ゞ

351 :名無しさん@3周年:2006/10/02(月) 19:01:52 ID:nZI/auHq
スエーデンボルグの著書は、繰り返し読めば以前は分からなかったことが、
分かってきそうな気がする。

352 :ポポイ:2006/10/03(火) 00:12:26 ID:oPbSD8MD
文章を作成しているけど、なんか、難しいな。オイラの言っている事は
スェーデンボルグの本を読んだ上じゃないと、何を言っているのかわからないし、
安易に抜粋すると、出版社から訴えられそうだ。
それに何か、微妙な人からコメントされそう・・・。

353 :名無しさん@3周年:2006/10/03(火) 18:08:16 ID:fwJPcW/I
>>352
是非参考にさせてください。

354 :名無しさん@3周年:2006/10/10(火) 20:01:45 ID:zZu5Qe8W
age

355 :名無しさん@3周年:2006/10/10(火) 20:18:35 ID:zZu5Qe8W
sbはあまり知られていないみたいですね。
何故だろう?
難解だからだろうか?
既成仏教のほうが難解な気がするが。
第一 煙に巻くようで最初から説明する気がないとしか思えない。

356 :小マリア:2006/10/15(日) 12:51:26 ID:ltdrHee3
無功徳・・。
ある芸能人が座右の銘として口にしていたけど誤解するといけないので。
碧眼禄の言葉で、ある王様が仏教に多大な貢献をしてきた、そこで彼は何らかの見返りを期待していた。
そこへ達磨が与えた言葉で、「そんなもの、なんにもありゃせん!」といった。
そこで彼は愕然とし、新しい境地が開けたという。
でも、そこに至るまでに骨身をけずって彼は仏教にささげてきたし、経文にかかれているさまざまな恩恵も信じていた。
人間、なにか期待感を持たなければ努力しないもの。
だから、釈迦も方便を説いたし、イエス様も天国を説きました。
それを期待するのは決して間違っていないし、汚れた動機ではなく、スウェデンボルグも言ってるように清い動機なのです。
泣きながら撒く者は、笑いながら束を刈り取る。
良い芽も悪い芽も、自らが撒いた種であるし、茨もあざみも、いちじくも、ぶどうも自ら刈り取るものです。
これが聖書の、また宗教普遍の真理でもあります。

357 :小マリア:2006/10/15(日) 12:52:23 ID:ltdrHee3
考えて見れば、善人が報われることなどほとんどありません。
歴史を見てみれば、孔子はどれほど苦労して悲惨のうちに死んだでしょうか。
菅原道真は?
親鸞は?
むしろ善が報われることのほうが少ないのです。
清くて優しい善人ほど長生きしない。・・・
アウシュビッツである人の身代わりになって死んだコルベ神父もまた然り。(私はこの話を聞いたとき、涙が止まらなくなりました。)


358 :小マリア :2006/10/15(日) 12:52:58 ID:ltdrHee3
無功徳?
いえいえ、善は必ず報われる、良いことをした人は報われなければならないし、そうなるように私たちは努力しなくてはならないのです。
<<善は報われる>>、困苦の淵にある人こそそう信じなければならないし、絶望していても呪文のように聖句を口にして、自らに言い聞かせて、絶えず良いことをしなくてはならないのです。
たとえ休み休みでも。
それが信仰だと思います。
はじめから何もしないうちに、無功徳なんて言ったら、誰も良いことをしなくなるでしょう。
期待感の無いところには無気力が支配して、悪が優勢となります。

359 :小マリア:2006/10/15(日) 12:58:02 ID:ltdrHee3
無功徳・・。
きっと王様は祝福に包まれていたことでしょう。
彼の足跡があったから、この言葉が良薬となって、蒙昧を去って、新境地が開けたのです。
これが無功徳の真意ではないでしょうか。
博学な皆さまへ。どう思います?


360 :名無しさん@3周年:2006/10/15(日) 16:41:40 ID:CYV90zYd
一言で言えば、それは「功徳」の中身が違うということでしょう。
普通の人にとっての「功徳」とは、「権力をふるって他人を支配し、富を手に
して物質的に何不自由しない生活を送ること」でしょう。

孔子の弟子達は、みな大国の宰相に迎えられることを目的としていたし、
イエスの弟子達も天国でイスラエル十二氏族の長として権力を振るうことを
期待していた。

ところが、スウェデンボルグが天界で目撃した通り、天使の願いは「最も小さき
者として、他人に仕えることを何よりも楽しみにする」こと以外にないので、
こういう「功徳」など手に入れても喜ぶどころか、忌まわしいものとして遠ざける
のではないだろうか。

達磨大師が言った「無功徳」というのは、「そんなものは功徳でも何でもない」
という逆説を含んでいると思う。

あなたの言う「善人達」は、結果として世の中をよくするという役立ちに貢献
できたので、本当の意味で「功徳によって報われた」のです。

361 :ポポイ:2006/10/18(水) 21:02:41 ID:xvFqboWb
一時的にブログを作ったけど、やっぱり止めた。やっぱり、著作権との関連がある。

スウェーデンボルグ派キリスト教徒は「悪人が改善する」という話が好きなような気がする。
いや、一般的なキリスト教徒もそうだろうか。
だが、「冤罪」ではないのか!?。善人が殺人罪の冤罪になった場合、その人に普段から接して
いた人はその人が「冤罪」であると認識できるが、一般人から見ると、いきなり「殺人犯」という
レッテルを貼られるという事なるので、あたかも「改善」したように見えるケースが多い気がする。
あれっ!この人、殺人犯(実は冤罪)だけど、会ってみたら良い人だ!って感じ。

362 :ポポイ:2006/10/19(木) 00:09:52 ID:mKSI/Wb3
オイラのスェーデンボルグに関するネタはこのスレで尽きちゃったので、
もう撤退。ネタはブログを書くほどの量ではないし、このスレを代用しました。
さらば〜。

363 :名無しさん@3周年:2006/10/21(土) 22:23:43 ID:NrLyzBcd
消化不良?でないかい?
>普段から接していた人
でも、「免罪」になった当の人の内面:思いの面・内なる思考は良くわからないのでは?


364 :名無しさん@3周年:2006/10/21(土) 22:26:10 ID:NrLyzBcd
>>361
出典を明らかにして引用すれば、問題ないと思われ・・・
しかも2チャンネルだし・・・

365 :武庫川女子大学総長 ◆gqBBZUnUPk :2006/10/22(日) 07:25:54 ID:P+2nSB7p
>>360
まあ、一重に「功徳」といってもその次元には人によって大幅な差異があることだろう。
ただ、基本としては、功徳を受けられるときには素直にお受けする。
そうして、その功徳をいかに自他に貢献できるかを念頭に置きながら運用することを考えていくのが要諦なんじゃないのかな?

366 :小マリア:2006/10/22(日) 15:29:24 ID:leQCrjla
ところで総長さんはWMの関係者?

367 :武庫川女子大学総長 ◆gqBBZUnUPk :2006/10/23(月) 00:23:27 ID:eooSPNw5
>>366
(・3・)ブー

368 :名無しさん@3周年:2006/10/27(金) 18:43:44 ID:ZaLVmV2M
>>367
( ̄3 ̄)チュー

369 :名無しさん@3周年:2006/11/09(木) 23:47:28 ID:dSGTrUft
 ところが二年経っても、スウェーデンボルグが新刊書の中でカントの質問に答えた形跡
もなく(おそらく単純な失念と思われる)、またスウェーデンボルグの著作を送るという前述の
友人の約束も果たされなかった。苛立った(いらだった)カントは八巻もの分厚い『天界の秘義』を自ら
買い込んで読み、一七六六年にスウェーデンボルグヘの枇判書『視霊者の夢』の出版に踏み切ったのである。
 カントの批判の痛烈さは、次のような言葉に反映している。「この著者の大著はナンセン
スに満ち」「完全に空で理性の一滴も含まない」。実際、カント学者K・フィッシャーは『視
霊者の夢』を評して、カントにとって形而上学とスウェーデンボルグは「一撃でぴしゃり
と殺されるべき二匹のハエ」だった、と述べている。
 しかしカントは、表面上はともかく、スウェーデンボルグの心霊能力や思想に対しての
みならず、霊的な存在一般に対して終始、両面価値的(アンビヴアレント)な態度を見せている。

370 :小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. :2006/11/11(土) 12:11:53 ID:EsAmX20e
ワトソン:ここもブルネルスが立てて自作自演した可能性が高いな。

ホームズ:確かに。

371 :小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. :2006/11/11(土) 12:12:52 ID:EsAmX20e
ワトソン:小さなヨハネはすっかり騙された。

ホームズ:はははは。

372 :名無しさん@3周年:2006/11/12(日) 00:36:04 ID:zomR34eW
                            ___
..⌒ヽ           ⊂⊃         /.|:::::::::::|
乂乂||          ∧_∧ +.        |  |:::::::::::|
乂乂||      +  ,ヘ(゚ー゚*)ヘ.       |  |:::::::::::|
乂乂||        /'''と と ヽヾ ゝ ___|_|:::::::::::|____
乂乂||.         ~''''~ ヽ  .ノ''~~/|:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::|
 ̄ ̄             U^U   i  |:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::|
      _____         .|/ ̄ ̄ ̄../|:::::::::::| ̄ ̄ ̄/
      ⊂⊃ | L L ||        ̄ ̄ ̄ ̄|  |:::::::::::| ̄ ̄ ̄
     ∧_∧ | L L ||               |  |:::::::::::|
 +  ,ヘ(*゚ー゚)ヘ__L ||_________.|  |:::::::::::|
==//と   つヾゝ _l================ i  |:::::::::::|
二 ~'''''と、 ./''~~+  iヽ二二二二二二二二i  |:::::::::::|
:::::::::::::::: ~U:::::::::i   ヽ|     ______i  |:::::::::::|
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\  ((( )))_______|  |:::::::::::|
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|......( ´Д`)_______|  |:::::::::::|__
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: |  /  (S)::::::i\  .........|.  |:::::::::::|  \
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| .\ ....\|:::::::::::|    \

373 :名無しさん@3周年:2006/11/23(木) 20:27:42 ID:scwPdHoB
あげませんと

374 :名無しさん@3周年:2006/12/19(火) 08:58:58 ID:uoCfIRpD
関係ないわけでもないから、ここでやらせていただくね。保存を兼ねて、ということなので、オフトピだがご勘弁。
私はいわゆる主義者であったことは一度もないのだが、ネット上でなぜか主義者(もどきも含む)とからむことがあってね、それで『結婚愛』『天界と地獄』くらいなら柳瀬訳で読んだ、そういうものです。
宗教板には、批判的にせよ信者にせよ、スウェーデンボルグを系統的に読んでその神学を明快に説明できる書き手がいなかったのですが、このスレが出来たことでちょっとは変わるかな、と思っている。だがいまはみなさん忙しいようだね。

さて、オフトピというのは、しばらく小さなヨハネ観察日記を書くからなんだが、まあスレ保全に協力と思っていただければ嬉しい。

375 :名無しさん@3周年:2006/12/19(火) 09:01:54 ID:uoCfIRpD
小さなヨハネは、2001年の5月か6月頃から、ちらほら宗教板に出没するようになったんだが、最初はスウェーデンボルグについてはほとんど書いていなかった。
彼が本格的に活動し始めるのは2001年の12月頃か。
初代父スレ(あのスレッドは当時そう略称されていた)を立ててからだ。
詳しい経緯は、いまある新・父スレ3のはじめのほうにリンク集があるので、
それをご覧いただきたい。

376 :名無しさん@3周年:2006/12/19(火) 09:09:35 ID:uoCfIRpD
そこで、当時はスウェーデンボルグをきちんと読んでいる人というのはいなかったので、反応は主に伝統的キリスト教のほうからきた。
たいていすぐに匙を投げてしまうのだが、そこで比較的彼にまじめに相手している数人のコテハンがいた。特にマリアというコテハンと、ブルネルスというコテハンが、継続的に相手をしていた。

マリアは元カトリック信者で「ちいヨハは相手のいうことを聴かずに自分の好きなことを述べている」「スウェーデンボリを信じるのはいいが、教会の伝承とは矛盾することを認めなさい」等々、ちいヨハにとってはかなり痛いところをついていた。
一方ブルネルスのほうは、特定の教派には所属しないがキリスト教史全般に詳しく、これは伝統的キリスト教の三位一体について、ちいヨハが誤解しているということを納得させようとがんばっていた(いまもやっているが)。

377 :名無しさん@3周年:2006/12/19(火) 09:17:54 ID:uoCfIRpD
さてブルネルスのほうがこの三人のなかで最初に千日手に飽きてしまい、
「自分が信じてもいない三位一体を説明するのはしんどい」
ということを言い出した。【これはどうも小さなヨハネには「敗北」と受け取られたらしい。】一方、マリアのほうはそういうことはなくて、延々と押し問答が続いた。

ところが、小さなヨハネと関係のないところで、父スレは妙に盛り上がってしまい、三位一体全般を語るスレッドに変質していった。ちいヨハはあまり面白くなかったらしいが、それでもこまめに顔は出していた(w
事態が変わってくるのは父スレ3のときで、ここでちいヨハがふたつ【明らかな矛盾を自分で書いたのだ。】
ひとつは「スウェーデンボリはパウロ書簡も有用な書と認めていた」「スウェーデンボリはパウロが地獄にいるといっていた」で、これをブルネルスに質問というかつっこまれた。
もうひとつはスウェーデンボリの「聖言の書」の範囲で、それをいうために引用を出した直後に、「新約聖書全般を認めた」という発言をして、これもつっこまれた。
つっこまれた後、いまだと単に相手を罵倒して逃げようとするのだが、当時は気弱に「ヴァッスーラはすばらしいです…」というようなことをいって、そして、気力が続かなかったのか、しばらくこなくなった。
時期があいて戻ってきたとき、【ちいヨハの頭にはある妄想が生まれていた。】それが「ブルネルス=おかま巫女」説である。

378 :名無しさん@3周年:2006/12/19(火) 09:30:14 ID:uoCfIRpD
筆者思うに、おそらく彼が本当に煙たく避けたかったのはマリアのほうだったのだろう。
マリアはヴァッスーラやワルトルタについても多少知識があり、それがカトリック内でも公的には認められないたぐいの幻視体験であることを知っていた。
そして教会の伝承と(ス氏も最近の幻視も一緒にしたうえで)幻視一般という形で、ちいヨハの表象世界を整理した。
そしてちいヨハが後者をもとにして、よく理解しないままで教会の伝承を「裁いている」ということを指摘していた。
いっぽう、ブルネルスのほうは、ワルトルタを「たんなるお話」と蹴ったくらいで(これも当時のちいヨハにはだいぶこたえていたようではあるが)、
幻視一般についてマリアほど徹底した批判は行わなかった。
また全般にブルネルスのほうがマリアに比べてやや態度が丁重だったともいえる。しかもおそらく自分から「もうやめたい」的な発言をしたくらいなので、ちいヨハには「組みし易し」と思われていたようでもあった。

また、重要なのは、ブルネルスが現実世界の誰かということは、当時スレッドのみならず板の共通了解であったので、しかもそれは本人が自分でさらしたようなものなので、あのちいヨハですら知っていたらしい、ということである。
マリアのほうは、元カトリックでやくざの女房でいまは神道の巫女をしているが、おかま、という眉唾な設定である。
対してブルネルスは上にも書いたように正体が割れているので、どちらかが自演かということになればマリアが自演だという結論は比較的出やすいように思われる。
もっとも、この二人の芸風は相当ちがっているので、そんなこと考えたのはちいヨハだけであることはいっておかなければならない(w。

379 :名無しさん@3周年:2006/12/19(火) 09:35:03 ID:uoCfIRpD
さて、マリア=ブルネルス説を展開して、自己満足した後、ちいヨハは去っていった。
あるいはこれは実質的には逃亡だったのではないか。そして、いまの「反論できなくなると相手をののしる」ちいヨハの原型は、ここにあるように筆者は思う。

ここで指摘しておきたいのが、ちいヨハが再び宗教板に戻ってきて新シリーズ2の中盤まで、彼は一度もブルネルスというコテハンについては触れていないということだ。おそらくすっかり忘れていたのではないだろうか。
そして、この名前が出てきたきっかけは、ペガサス氏が別のスレッドである書物に触れたことがきっかけだと思われるのだ。
http://c.2chx.net/test/-/life7.2ch.net/psy/1160998301/703-712


380 :名無しさん@3周年:2006/12/19(火) 09:42:17 ID:uoCfIRpD
>ブルネルスとやらはきみの疑心暗鬼、怖ろしいのだな。

これは、ペガサス氏のことばだろうか。筆者も同意する。ちいヨハのブルネルスは彼の疑心暗鬼の象徴、妄想の産物であって、コテハンのブルネルスともその背後にいるある哲学者とも関係がない。
しかしちいヨハは「恐ろしい論敵」をすべてそのこの「ブルネルス」に投影しており(だとしたら、そりゃあ恐ろしいよね)、彼にとっては、こちらの「ブルネルス」が実在なのだ。妄想患者にとって妄想が恐ろしいのと、同じような構造を筆者はここに見出す。

なお、あまたある論敵のなかでなぜこの名が選ばれているかについていえば、それは>>378に書いた二つの要因によるのではないかと筆者は考えている。

381 :名無しさん@3周年:2006/12/19(火) 10:15:37 ID:uoCfIRpD
なお、この同定が行われたのは、ちいヨハの折衷主義では一緒にされているサンダー・シングとスウェーデンボルグが、実際には排他的であるという指摘がペガサス氏他から行われているさなかのことであった。
ブルネルス=マリアの同定が、同じような矛盾の指摘に呼応して出てくることとあわせて考えると興味深い。
どうも結果から振り返ると、このときの指摘は彼にとって最後の一藁になったのではあるまいか。だれもかれもブルネルスというゆがんだ世界観はこのあたりから顕れるようになるからだ。

ところで、彼は実際には少なくとも最初の段階ではそれらの人格の区別がついていないわけではなかった、と筆者は思う。
ただ、一連の彼の発言をみると、彼は「自分がこうであったらいいのに」と思うことと「それがまことにそうであること」の区別が容易につかなくなるらしい。
だから、最初は、これとあれが別人でなくひとりだったらいいのに、と思っているうちに、区別がつかなくなってくる、そして本当の妄想になる、ということではないかと思っている。

このスレッドの住民の方なら、あるいはご覧になったかもしれないが、新・父スレ1で彼が複数の匿名スウェーデンボルグ信奉者から、ワルトルタとスウェーデンボリは両立しえないことを指摘され、弾劾されたとき、
彼はその場では「みな同じ人間がやっている」とは主張しなかった。
面白いことに、固定ハンドルを使わないときには彼は他人の発言を文体などから同定できないのだが、
固定ハンドルを使えばそれは敵が自演しているということになるのだ。
筆者には、ここにちいヨハの貧弱なペルソナ観が露呈しているように思われるが、
しかしここはあくまでもスウェーデンボルグのスレッドなので、ちいヨハ観察はこのくらいにしておきたいと思う。
筆者がちいヨハに望むことは、しばらくネットを離れて、できれば医者にいってほしいということだが、しかしそれは彼の相手をする人がいる限りは、ありえないことのようにも思われる。

382 :ブルネルス:2006/12/19(火) 15:09:30 ID:Oz8Wchrw
>374-381
なるほど、よく分かったよ。ありがとう。
そういうことなら、小さなヨハネがあちこちにブルネルスの指名手配書を
貼りだしてから、私が気付いたのまでにそう長い時間があったわけでは
ないんだね。

383 :小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. :2006/12/19(火) 21:44:52 ID:abdkaExB
何を言っているのか・・・。自作自演ご苦労様。

384 : ◆B7fGtozJis :2006/12/20(水) 01:49:58 ID:+m1sTtLg ?2BP(0)
おや、>>379 のリンク先が見えなくなっている。閉鎖だって。
昨日ふと思いついてグーグルしなければ、当分アリアドネの糸を見失うところだった。ニコライさんの贈り物かな;p



385 :377 ◆B7fGtozJis :2006/12/20(水) 10:06:42 ID:CtIogPFM ?2BP(0)
>>377
訂正。時系列が違っていた
*スレッドの流れが変わって、主導権を握れなくなったちいヨハがつまらなくなってきたらしい
*「「マリアさん」という/のはブルネルスさんではありませんか? 」という発言がちいヨハから出た(3,300)
*あうぐすちのという人が出てきて末さんへの疑問状を掲載した
*その応答の中で、末が認める新約聖書の範囲でちいヨハがちょんぼした(3,862)
*ギャラリよりきびしいつっこみ(3,882以下)
*ちいヨハ、突然の終了宣言(3,979)

そこで逃げるかなと思うが、相手をののしって論点回避しようとするよりはましな行為だったのかもね。

386 :小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. :2006/12/20(水) 22:34:30 ID:TTkFvMe1
どういう神経なのか分かりません。投了したのはブルネルスの方だったのに
よくそんなことを言うものです。
具体的に反論するならどうぞ。

387 :小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. :2006/12/20(水) 22:35:29 ID:TTkFvMe1
しかし、名無しで書くところが痛々しい・・・。

388 :小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. :2006/12/20(水) 22:40:29 ID:TTkFvMe1
dendo、マリア、ふらんちぇすこ、あうぐすちのなどという援軍がいないと
名無しで書くのですか・・・。自作自演は不便ですね。今さらそんな援軍を
出してくる訳にいかないでしょうし。

389 :名無しさん@3周年:2006/12/25(月) 22:44:44 ID:vqHN5tzn
今日文庫版の霊界日記を買ったんだけどマジで薄いね。
安価の文庫版で全訳出して欲しい。

390 :小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. :2006/12/30(土) 13:17:53 ID:nEDUhuaW
2chに住み着いた不信仰の蛇よ、出て来なさい。

391 :小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. :2006/12/30(土) 13:19:50 ID:nEDUhuaW
恥知らずのサタン・・・。

392 :小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. :2006/12/30(土) 13:21:05 ID:nEDUhuaW
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち]

「いつまでも永らえると、誰が言ったか?
もう十分長く 鷲のように舞い上がり、星々の間に巣くい
刺となった。
さあ、戦いに出てきて 私と顔を合わせなさい。 
顔を合わす相手は アベルでない。 
おまえの剣を 叩き落す。
 
おまえは我が家を荒し、最も尊いものを そこから盗んだ。
心ゆくまで盗み取った。 
我が民の門を通過し 民の目を見えなくさせた。 
その闇の王国を広げ 私の民を誤った道に連れ込めると
まだ信じてはいるが、
今や、おまえの時は終わった。

もうやめよ。
今にも 義は水のように流れ出し 
我が霊は 止めどない流れのように 溢れ出す・・・」


393 :名無しさん@3周年:2007/01/01(月) 07:19:42 ID:DUDT7IL9 ?2BP(222)
ぐぐったらこんなのが出てきた。

ちなみにイエス・キリストが父なる神ご自身であるという考えは、スウェーデンボルグが初めてではなく、325年のニケア会議以前の原始キリスト教(使徒的教会)にみられ、 また原始キリスト教の教えをよく残しているといわれるギリシャ正教には現代も ...
swedenborgian.hp.infoseek.co.jp/swedvol2.htm

この「ギリシャ正教ではイエス・キリストが父なる神」ってのは私からすると
ひどい誤解以外の何者でもないんですが、ちいヨハが以前同じことをいって
いたので(ある正教神父が「イエスは唯一の神」と書いた箇所を引いて、そう主張していた)
これは
*このページ作者やちいヨハがそう考えているだけ、スウェーデンボリはそうは考えていない。
*ちいヨハのみならず、スウェーデンボリとその信奉者はギリシャ正教をそのようなもの(=御父受難論)として理解している
*その他
のうち、どれなんでしょう。識者のご教示を求む。

394 :名無しさん@3周年:2007/01/02(火) 11:42:07 ID:4fG9hCIr
>>393
ああこの人のHPね、この人は相当凄いのだけど、ちょっと何でもかんでも食べ過ぎかなと・・

君の質問は、一人格の三一性が理解できないと解説が困難なんだよね〜
しかも聞き手も一人格三一性を理解していないとワケが分からない
まあそれでも書いてみると、

私は正教信者ではないので詳しくは知らんが、(ギリシャ)正教も三位一体の教理についてはカトリック、
ないしは従来のキリスト教の教理と基本的に変わらないはず。ス氏の読者は比較的正教には好意的な人が多く、
ゆえにこんな書き方になってしまったのだろう。原始教会の件は、おそらく様態論の事だと推測する。
様態論も詳しくは知らんけど、三人格三一性よりは優れていると思われるが、
結局様態論は斥けられてしまったのは多くの人が知るところ。
ただ原始教会もアタナシオス信条が制定される依然は神の単一性は重視されていたようだが。

さて、イエス・キリストは父なる神ご自身、という表現は、父とはエホバのことであるとするならば、間違いではないが、
イエス・キリストは父なる神である、という表現だと、細かく突っ込むと、では御子と聖霊は誰なのか?
という話になる。

要するに、より正確には、主であられるイエス・キリストは時間の中に受肉されたエホバ御自身であり、
彼は、すなわち主は同時に父・子・聖霊である、が正解。一般のキリスト教徒には受け入れがたいかもしれないが、
新教会教義ではこれ以外にありえない

まあ結局のところ、父、子、聖霊とは何か? ということになってしまうのだが(ここでは詳述しないが)

だがこれでも不十分である、なぜなら聖書を読めば、父に直接近づくのは不可能であり、
人となられ神となられた御子にのみ、父なる神の(可視的)人間性とも言える御子キリストのみに
我々は直接近づかなければならない、そのことが述べられている箇所を聖書の中から
いくらでも見つけることができるはず、見つけたいと思うのなら

395 :名無しさん@3周年:2007/01/02(火) 11:44:55 ID:4fG9hCIr
父に直接祈ったり、御子に間接に、例えば預言者、使徒、諸聖人、マリア、教皇等その他を介して間接に(彼らの執成で)
御子に近づいても無意味である、いずれも交流は遮断される、ましてやマリアに祈ってどないすんねんw
(マリアカルトはマリアの執成で間接に御子に近づくことを要求する→キリスト教の破壊が目的)

人間の霊魂と肉体が一つとなって一つの人格をもつ一人の人間を形成するように、
神の可視的人間性である受肉した御子のうちに父が一つなのであり、この方を主と認めなければならない

あの糞バカが御子が主であると言わず、父なる神などと称するのは、
御子の神性を否定しているからである、奴にとっては、今現在そして後も御子はあくまでもマリアの子でなければならぬ
御子をマリアの子とすることは御子の神性を否定することである
とりわけ復活後の御子はもはや完全にマリアの子ではなかったのだが、奴は絶対それを認めない

こうして奴はイエス・キリストを唯一の神とは口先では承認するが、
あくまでも神の子性は否定した上での不完全な承認である、こうして聖書に真っ向から反逆している
地獄でも唯一の神を父なる神として崇められているが、御子としては激しく憎悪されている
奴の神礼拝の正体もこの地獄の父信仰に他ならない

こう非難すれば、奴はひょっとして御子の神性も認めるとほざくかもしれない、
私はイエス・キリストは主であると言っているとすらほざくかもしれない
しかし奴は決して「御子はマリアの子である」とすることは決して譲らない、しかも復活後の御子でさえもだ
これはすなわち、マリアに神性を付与することである(奴が口ではどうほざこうとも)、
マリアに神性などこれっぽっちもないのなら、マリアの子がどうして神であろうか?
こうして奴の脳内本性では口先ではどうほざこうと、マリアが必ず御子の上位に君臨するのである

396 :名無しさん@3周年:2007/01/02(火) 11:50:39 ID:4fG9hCIr
何と愚かなことであろうかw マリアはおろかアブラハムよりも以前から私は存在すると
自ら証言した御子御自身が、どうしてマリアごときから神性など分けてもらう必要があろうかw
被造物であるただの人間にひとかけらでもその人間自身から神性が発しようか?

奴は(主イエス・キリストが唯一の神であることを認めないと真のキリスト教ではない)とほざく
奴は「主」については深く考えずにこう書くのだ、奴にとって主イエス・キリストとは父なる神であり、それ以外ではない
要するに神の子性を否定した父オンリー信仰なのだ、奴は口でイエスを唯一神と認めておきながら
拝するのは御子ではなく、父である、実に狡猾卑劣な奴だ コイツにとって実在の神とは
マリアであり、ひいてはマリアを奉る己である、それが自己愛というものだ
だからあくまでも見えない神性である父は崇めるが、本物の実在の見える神である御子は否定せねばならないのである
御子は悪魔にとって憎むべき最大の敵である、だからああして十字架に懸けたのだ

で、結論だが、

△まず(ギリシャ)正教の神観については正教でお尋ね下さい
△新教会教義に則れば、イエス・キリストは御子であられ、神的人間であられ、人となられた神であり、
  この御子が唯一の全能の神、すなわち主であられる、主は同時に父、子、聖霊である
  ゆえに主は父であるという表現は間違いではないが、神の父性のみを不自然に強調して誤解を招く可能性があり、
  濫用すべきではない、なぜなら我々は聖書にあるとおり、父は見えず、御子にのみ近づきうるのであって、
  御子にのみ直接かつ真接に近づかねばならず、キリストの完全な神性を否定ないしは歪曲するいかなる企ても
  唾棄すべきである

397 :名無しさん@3周年:2007/01/02(火) 11:58:58 ID:4fG9hCIr
見たまえ、あの組長先生大パウロ様がこうおっしゃっておるのだw

キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。(コロサイ2:9)


ただ他のス氏の読者はどう思っているのか、ハッキリ言って不明である(あの悪トルタオタクは論外として)
私の認識はひょっとして少数意見なのかもしれないのだ

大切なのは御子キリスト(神的人間性)をどのように見ているか、これに尽きると言っても過言ではない
少なくとも奴は御子をマリアの子とすることで御子の神性を否定、ないしはマリアを神格化している
これは唾棄すべきである!こんなものは新教会教義にはない、それだけは書いておく

逃げ口上だが、私は私が正しいと信じることを書いた、これは保証するが、
私は神でもなければ仏でもない、私が完全に正しいとは限らない、
もし私が間違っているのなら、神ではなく私を呪ってくれ、全能の主は無謬なのだから



(あーあ、パウロについて準備してたら、なんか年明けから忙しいねぇw)


398 : ◆xGAtZtjybY :2007/01/02(火) 15:51:49 ID:WbcLWqLS ?2BP(222)
トリップをいれたよ。解説ありがとう。

なるほど、そうすると、彼らの単純な誤解ということでいいようだね。
ひいきのひきたおしともいう。
単一性を主張するのは西方の理解でね、東方は位格独立性の意識のほうが
強いのですよ。三位一体といわず、「聖三者」というくらいでね。
そちらにむしろ好意をもつ、というのはだから非常に意外。
そもそも「アタナシウス派」というのはアレクサンドリアとアンティオキア
を拠点とした東方教会内の理論家グループのことなんだしねえ……

上に書いたスウェーデンボリ的理解は、地上のイエスを伝統的三一論(あなたのいう三人格三一性)は子の位格のうちに神性と人性が結合すると解するのだ
が、スエはイエスおける神性を、子の神性としてではなく、神そのものの神性
であり、従って三つの位格すべてが子の人性に直接結合しているとみたということだろうか。だとすれば、この立場は歴史的には様態的モナルキア主義に
確かに近いね。

(パウロ評価についても、期待しておりますよw よいお正月をお過ごしください)

399 : ◆xGAtZtjybY :2007/01/02(火) 15:55:46 ID:WbcLWqLS ?2BP(222)
あ 構成ミス 一応直しておこう。第2段落を……


地上のイエスを伝統的三一論(あなたのいう三人格三一性)は子の位格のうち
に神性と人性が結合すると解するのだが、いっぽう、上で説明されたスウェー
デンボリ的理解は、イエスにおける神性を、子の神性としてではなく、三つの
位格をもつ神そのものの神性とみて、従って三つの位格すべてが子の人性に直
接結合していると主張するということだろうか(神性は分割されない、という
主張がここには隠れているように思うが、そのことはここでは踏み込まない)。
だとすれば、この立場は歴史的には様態的モナルキア主義に確かに近いね。

400 :名無しさん@3周年:2007/01/02(火) 18:21:24 ID:WbcLWqLS ?2BP(222)
>>395-396
ちいヨハが旧父スレ2あたりでいっていたことと照応すると面白いね。
彼は最初、キリストをたんなる人としてしか理解できなかったのだそうだ。
そのときスウェーデンボルグに出会い、「キリストは父なる神」であることを
知り、その神性を認めたのだそうだ。

私は最近スレを読み直してそのことに気づいたのだが、そしてこれはどういう
ことなんだろうと心に留めていたのだが、あなたの言うように「彼は子の
神性、子なる神を認められない」という要素を加味すると、少し分かる気が
する。

まあ彼がスウェーデンボルグからみれば鬼子ということは分かったよ。
だけれどスウェーデンボルグが伝統的教説をかなり独自な仕方で理解した
ことも否めないので、ま、彼がスウェーデンボルグの代理で叩かれるのも
当分続くんだろうね。 いまの彼を構う元気のある人がいればの話だが。

401 :名無しさん@3周年:2007/01/02(火) 20:58:47 ID:WbcLWqLS ?2BP(300)
あと気になったのでこれはつっこんでおこう。
>>196
「キリスト教は一神教ということですが、ではキリスト教の神とは誰のことですか?」
との問いに、多くのクリスチャンが依然として天の父(父なる神)が神様であると答えるのでしょうけど、
>>197
そして、彼らが祈りを捧げるのは、イエスさまに対してであり、エホバさまや聖霊さまに直接の祈りをささげることはないと思います。

なわけない(苦笑)。
伝統的キリスト教の神は基本的に「父と子と聖霊」なる「主」だ。祈りは基本
的に主なる神に対してなされる。特定の位格について祈るというのと、それは
また別の話。
いっぽうで、とりたてて父に祈ったり子に祈ったり聖霊に祈ったりすることも
するんだけどね。だから、「父なる神」に祈ることもあるが、つねにではない
し、イエスや聖霊に祈る祈りもある(カトリックには「来たりませ聖霊」なる
祈りがあるね……これ古い祈りでルター派でも使われる。バッハのコラールに
もあるね)。

他教が何を信じているかについてきちんとした知識をもっていないなら、
憶測であやふやなことをいわないほうがよいと思うよ。これは老婆心から。

402 :名無しさん@3周年:2007/01/03(水) 00:08:11 ID:MbEnTuhg
>>399
うーむ、子の人性というか、
むしろ唯一の神の(原理的根源的?な)人間性というべきかな

確かに一人格三一性はいわゆる天父受難説とよく似ているのかもしれないけど
実は父とは神の二つの本質の内の一つである神的善、子とはもう一方の本質である神的真理という意味もあって(※1)、
受難したのは天の父でなく、あくまで御子としての、神的真理としての神キリストである、
なぜなら、神的善に悪は近づくことができないが、真理は攻撃することができるから。
(※1) 例えばヨハネ第1章全般、あるいは17:5など参照)

神のことを「アルファにしてオメガ、初めにして終わり」と表現することがあるが、
エホバ御自身が処女から取った地的な自然的人間性を復活後に脱ぎ捨ててその自然的人間性までもを
あくまで神御自身のお一人の力で完全に神的に栄化させ、その栄化させた自然的な神的人間性を
オメガ、ないしは終わりと表現したわけで、ですからこの御子の内に、すなわち終わりの内に初めである父の神性の全てが
同時に内在しており、御子から、つまり(エホバなる)神の神的人間性(子性)から神的全能は発動する

つまり受肉から様々な試練および最後の十字架の試練を経て3日後に復活したこれらの業は、
オメガ、あるいは終わりを完成させるためだったといえる
(そうなると受肉から復活するまでと、復活後はどう違うのかということになるけど、ちょっと今は勘弁してくらはいw)

403 :名無しさん@3周年:2007/01/03(水) 00:12:23 ID:MbEnTuhg
これは聖言の自然的意義(字義)のうちに、霊的意義、天的意義が同時に内在しているのと同じといえるでしょう
聖言(神的真理)はオメガである文字の意義によって完全であり、聖く、言い尽くしがたい力を発揮する
ただし決して聖書を字義のみで解釈すべきということではない、なぜなら力の源泉は字義ではなく内意によるから。
でもその内意も字義が在ってこそその中に居場所を確保できるわけで、そういう意味で字義は必要である
だがもし聖言の内意が知られないならば、文字の意義はまさに死んだ文字にすぎない
だから主はこの内意を啓示する時が来ることを予告したのであり、これが再臨の真義といことなんだけど
まあこれ以上は書かないこととしよう

>>401
忠告ありがとう、ただ伝統的なキリスト教では、カトリックであれプロテスタントであれ三人格三一性が基本だから、
父、子、聖霊に同時に祈るとなると、理屈なんだけど3人の神に祈ることになってしまわないかな?
私は一般論で言ったのだけど、「もちろん同時に父、子、聖霊であられる一人の主」である方に祈るというのなら、
それが基本だったら私はもちろんそれ以上細かいことを言うつもりはない
私もバッハはおろか、モンテヴェルディの晩課だって聞くしね、晩課は音楽的には不滅の傑作だ
バッハのコラールで聖霊がどうのこうのとか、別にそれはいいんですよ、そんなことにケチ付ける気はないッス

だいたい他宗派が聖書をどんな風に解釈しようがもちろん自由で、
まさか向こうから喧嘩でも売ってこない限りこっちが弁明して相手を論難するなんてことはないッスよ
いや、万が一叩かれても極力おとなしくするようにいたしますです(トホホ→アイツが代わりに叩かれればいいw)
大切なのは主の戒めを行うことだから、細かいことはホントはどうでもいい

404 :名無しさん@3周年:2007/01/03(水) 00:15:38 ID:MbEnTuhg
それにマリアが聖言の内意では主の教会を表象しているという限りにおいては、
彼女は主の母であって、他の弟子たちはマリアによって表象される主の教会の様々なもの(仁慈とか信仰とか)
を表象したのであって、あくまでその限りにおいてはマリアは主の母なんだよね(母や女はしばし教会を意味する)
もちろんだからと言ってマリアだろうと使徒たちだろうと彼ら自身はただの人間なんだけど

私のマリアに対する言い回しは相当一般のクリスチャン(特にカトリック)の心証を悪くしているだろうが、
アイツの場合マリアカルトを崇拝することでマリアを実際の意味でも御子の母にしてしまっているので、
厳しく原則論的に書くしかなかったのだよ(今後もそうなると思うが)

蛇足ながらつけ加えておくと、「救い主であるキリストの功績によりキリストが父なる神へとりなし、それによって父なる神が
心動かされてそれによって我々は救われるから、その御子の功績に対する信仰から父なる神へ祈らなくてはならない」
という風にだけはならないようにお勧めしたい、つーか一部のカルトを除いて今どきそんな教会はないか・・・


ところでパウロの件はしばらく待ってねw
俺も少しはこの正月遊ぼうと(ry

とりあえずス氏の著作の成立年代の詳細に関しては
日本スウェーデンボルグ協会のHPの文献目録を参考にしていただきたい

405 : ◆xGAtZtjybY :2007/01/03(水) 02:02:48 ID:2KpEc8Bv ?2BP(300)
いやーお付き合いいただき申し訳ない。急に体調を崩して実家に帰省が叶わ
なく、実に暇なのですよ……
>>403
真摯なお返事をありがとうございます。
これは訳語の問題もあるのだろうけど(ラテン語には量詞というものがない
から「三人の神」という言い方が厳密にはありえない。ギリシア語も然り)、スエ系の人は、伝統的キリスト教の神観念を「三人格」というよね。そこに
ひとつの誤解の根があると思う。
キリスト教の術語では、ペルソナを「人格」とは訳さない;人間の人格とは
それはおのずから違うもので、その誤解を避けるために「位格」という語を
あてている。なおペルソナも訳語で本来はギリシア語でヒュポスタシスと
いう。あえて訳せば、基体、基盤、「そのもとにあるところのもの」くらい
の意味だろうか。

もし、人間が「三人格」であるとすればそこには三人の人がいるだろう。
「三人の神がいるのではないか」という問いはその類推上にあるんだろうね。
だが、キリスト教内部の考えでは、神と人のありようの違いから「三人の神」
は否定される;無限な存在である神においては、三つのヒュポスタシスは互いに重なりあうことができる。神のヒュポスタシスは三つだけれど、ある
のはただひとつの神、主なる神だということになる。同時に、というか、
永遠の相においてひとつである神にね。
元ネタはこちら: http://www.newadvent.org/fathers/2905.htm Gregory of Nyssa, "On Not Three Gods"


406 : ◆xGAtZtjybY :2007/01/03(水) 02:27:53 ID:2KpEc8Bv ?2BP(300)

なおご懸念の点に関しては、
>>402
歴史的にはしらず、現代のカトと正教は強力なスルー体質をもっているので
他教派やましてや他教から何かいわれても、それほど気にならないんじゃない
でしょうかねえ。キリスト教内部でもマリア崇敬捨てたところは相当多いし
ね。ただ、イエスの母だが神の母でない、ではエフェソス公会議決議
(テオトコス教義)の否定だから、「キリスト教/仲間じゃない」という
印象は相当与えているでしょうね。しかしそれは好悪とは関係のないことでは
ある。
>>403
三つの位格はひとつの本質、ひとつの意志を共有
するので、そういう発想は薄いんじゃないかな。そもそも誰かの功績による
とりなし、というのはカトリックに固有な発想だと思うし、「天なる大祭司と
しての人たるキリストがつねに神の前に犠牲を捧げている」(←ヘブライ書)
というのは逆に現代のキリスト教で忘れられがちな観念だと思へり。

たいていの人は素朴に「主が推奨している祈りだから」ということで父に
祈るんだと思いますよ。主の祈りは簡潔なよい祈りだしね。じゃ、また。

407 :名無しさん@3周年:2007/01/04(木) 19:04:12 ID:OSDc1egB
さて、みなさんちょっと遅いが賀正頌春近眼信念(ん?)

おさらいってわけでもないですが、久しぶりにパウロやその他のことについてちょいっと書きます
ってまたかなり長くなるんだけど・・


ス氏がパウロは地獄にいると報告しているのは(一部の人には)よく知られていることです
しかしまあ、一般のプロテスタント及びカトリックのクリスチャンには受け容れ難いことでしょう
「初期キリスト教伝道の最大の功労者ともいえるパウロが地獄にいるワケねーだろ!
コイツは何フザけた事ほざいているのか、許せん!」、てなもんでしょう
で、当然ス氏異端決定、と・・・w

そうですな、俺が逆の立場でもやっぱりそう考えるんだろうなぁ・・・

ス氏がパウロのことに言及しているのは専ら霊界日記の中でのことあって、
私の知るかぎりでは他の著作ではパウロの霊界の消息については触れられておりません
もしそういう箇所を過去に読んだとしても、失念しております(どなたかご存知でしたら訂正されたし)

一応、ス氏がある人物へ1760年に書いた手紙の中で、
パウロと1年もの間話し合ったこと、その中で例の「信仰によって義とされる」
すなわちローマ書3:28についても話し合ったと書かれています(神学論文集P71)

しかし彼がパウロと話し合ったその1年ぐらいの期間というのがいつ頃のことなのか、
そしてパウロは地獄にいるのか否か、については言及しておりません
だからパウロの死後の消息については、基本的に霊界日記のみに書かれていると考えてよいでしょう

408 :名無しさん@3周年:2007/01/04(木) 19:08:05 ID:OSDc1egB
さて、この霊界日記ですが、静思社からは全9巻にわたって刊行されたいわば大著でありますが、
しかしながら霊界日記はあくまでもス氏自身にとっては霊界メモであり、決してこのメモ自身は
出版して世に問うものではなく、むしろ出版すべく執筆した他の原稿に活かすためのものでしかなかったわけです。
つまりこの膨大な備忘録は、決して彼の最晩年に書かれたものではないが、最初っから遺稿にしかならないものだったのです。
もちろん自分の死後に公にされるであろう事は薄々考えていたかもしれませんが

そしてパウロについてはこの霊界日記にしか書かれていない。
ちなみにルター、メランヒトン、カルヴィンについては霊界日記以外の著作としては真のキリスト教の末尾に、
あるいは最後の審判とバビロンの滅亡、及び最後の審判と霊界の諸相(あるいはその他の著作)、で触れられており
私としてはルターとカルヴィンの記述が最晩年の真のキリスト教で逆転してるのがむしろ興味深い

まあ話をパウロに戻しましょう、パウロについては、
霊界日記4321、4322、4412、4413、4561小、4562小、4631小に書かれており、(※1)
更にパウロ書簡については4824に書かれている。特定の個人としてはかなり取り扱われていると言っていいでしょう。
(角川抄訳には4412、4824が載っている)

※1 小とは小霊界日記のこと、6巻巻末4544から7巻4545の間に4545小〜4792小が
    7巻冒頭に収められている

409 :名無しさん@3周年:2007/01/04(木) 19:13:01 ID:OSDc1egB
で、パウロの死後の実態について、いちいち霊界日記を書き写すのは大変なので、
かいつまんで要約すると、


彼(パウロ)は彼が布教活動をする以前の自己愛に布教活動後も依然として捉えられていたのであり、
死後もそれは全く変わらなかった。彼が生前あれほどの危険と困難を顧みずに布教活動をしたのは、
その功績ゆえに自分が最大の者となって世的な栄光を受けようと欲したからであった。
彼はその自己愛に自らをたきつけて騒乱の場を求め続け、凡ゆる事を自らがイスラエルの全種族を
裁く最大の者となる目的から行ったのである。

彼は死後も万事この調子であって、彼は幸福を得ることもできたのだが、
機会が与えられる度に絶えず諸真理に反したことを語り、持ち前の性癖から騒ぎを起こそうとするので、
霊界にいる他の使徒たちから排斥され、あちこちぶらつきまわっているうちに彼を導いていると称する最悪の悪魔の一匹と結託し、
自分らが神にならんと欲した。そしてついに自らのために奈落の天界を作ろうとしたが、
そのため彼は更に悪いものとなり、投げ落とされた。彼が投げ落とされた場所は黒い地獄に変わった。

彼は己が業に功績を求め、自らが敬虔な者として尊重されたいとの思いから、聖言の内意を無視し憎んでいる。
その激しい憎悪の結果、彼のもとには偽善者どもが引き寄せられている。

彼はペテロを徹底的に嫌っており、私は奴より働いたのだから、奴から天国の鍵を盗んで独り占めしたい。
アイツは何一つ分かっておらず、全く力がない、とス氏に語った。(そんな天国の鍵なんぞありはせんのだが)


とまあ、こんな感じである、一般のキリスト教徒にはにわかに信じ難い話だ
信じる信じないはお任せしよう、といってもこうやって抜き出して書いたところで信じていいのか否か
判断材料がないでしょうけど・・・まあもし信じるとしても、パウロは地獄に堕ちたという単なる知識でなく、
なぜ彼はこんなことになってしまったのか、ということが大事なのです。

410 :名無しさん@3周年:2007/01/04(木) 19:21:31 ID:OSDc1egB
上に載せた霊界日記のパウロに関する記事は、1749年から1751年くらいの間に書かれたらしい
黙示録の予言が霊界で成就され、バビロンと竜が放遂され、古い天が廃棄されて新しいエルサレムが設立された大事件、
いわゆる「最後の審判」が霊界で起きたのが1757年、その1年後に「最後の審判とバビロンの滅亡」刊行、
1762年に書かれた「最後の審判と霊界の諸相」は刊行されず遺稿となる
そして最後の集大成的著作「真のキリスト教」が世に出たのは83歳の1771年(この71年に彼は他界)

スウェーデンボルグ協会のHPにある文献目録によると結局生前出版せずに遺稿になってしまったものが多いのが分かる
この遺稿の中には、その原稿を単独の著作として刊行するつもりで書いたが、様々な理由で未刊行となったものよりむしろ、
例えば「新しい教会の教典」のように「真のキリスト教」を書くための準備段階の草稿、ないしはデッサン、
すなわち本当に刊行したい原稿ための下書き、という性格のものの方が多い気がする(私が勝手にそう思っているだけだが)

あるいは内容が他の原稿と部分的にダブってしまって、結局一方は刊行したがもう一方はお蔵入りというケースもあるだろう
ということで遺稿となってしまった理由は様々だろうが、やはり自分の身の安全ということも、
主要な理由の一つとして考えなわけにはいかないだろう

考えてみると霊界日記が彼の生前に公にされちゃったらそらエラいことになっていたであろう
生前著名だった人物のことが何人も書かれており、で、実際不名誉なことが書かれている場合が多く、
当然遺族から猛抗議を受けたであろうし、そもそもパウロの記述だけでも十分火あぶりものだw
だいたいスウェーデン国民から尊敬されたカール12世の、パウロも顔負けの壮絶な実態も克明に記録されており、
いくらなんでも公表できるわけないじゃんw  って感じ〜てなもんです

411 :名無しさん@3周年:2007/01/04(木) 19:29:53 ID:OSDc1egB
それでなくとも、刊行した著作の内容だけでも当時のキリスト教界から相当睨まれていたであろうし、
そもそも「最後の審判とバビロンの滅亡」だって当時のカトリックや改革派の霊界での実情、
あるいは例の改革派の3人のことが多少取り扱われており、当時としてはリスク満載の内容だ。
実際スウェーデンの改革派教会から異端扱いされそうになり、どうにか免れたものの母国での名声は失墜し、
晩年は英国で過ごすこととなった

しかし、私はス氏がウソを書いたとは決して思わない。諸科百般に通じた当代一流の名士が、
どうしてウソを書いてまで身の危険を冒さなければならなかったのか。
別に彼はイスラエルの12部族を裁く野心なんぞ誰かと違ってこれっぽっちも持っていなかったのだ。
ただ彼は主から命じられたとおり、必要であるものはことごとく生前世に送り出した。
そして我々は彼の生前は他の人が知ることのできなかった遺稿も知ることができる。
全ては主の慈悲と深慮よるもの、と書いておこう

ちなみにあれだけ膨大な著作群を、遺稿も含め時系列的に追いながら重箱の隅をつつくような読み方をすれば、
もちろんツッコミ所も出てくるわけで、その一つがルターとカルビンの記述だろう(メランヒトンに関しては変化していない)
この二人の評価は晩年の著作では逆転している(だからといって著作の価値が些かも減じるものではないと思う)

パウロのみならず、改革派の3人、とりわけルターに関しての死後の実態もおそらく諸氏の興味を大いにそそることだろうが、
ルターに関してはまたの機会に気が向けば書くとして(こればっか)、パウロに関して私見を最後に私見を述べさせてもらうと、
彼については、霊界日記以外に死後の実態の記録がないので、結局霊界日記をアテにするしかない
もしス氏が他界する前にパウロの状況に変化があったなら、おそらく彼はそれも記していたと思う
だがそれがないことを見ると、少なくともス氏が他界するまでの間に、彼の変化はなかったのであろう

412 :名無しさん@3周年:2007/01/04(木) 19:36:54 ID:OSDc1egB
ス氏が他界して200年以上経つ、実際ス氏のような人は主が再臨の約束を果たすために
選ばれた例外中の例外であって、私は現代の誰かが霊界のことを書いたとしても興味を持たないことにしている
今や霊との直接の交信はいろんな意味で危険なだけであり、それは宗教を確立するよりむしろ破壊する
私は霊界日記でス氏を信じたのではない、ス氏も霊界の誰それがどうのこうのという
野次馬的知識が本当に伝えたかったことではない、まあそれ以上は書かないこととしよう

要するに現在のパウロはどうなのか、見たものはいない、とするべきである(どうでもいいし)
もしパウロの現在が、霊界日記とは逆転した状況ならば、私は彼に平謝りに謝らねばならぬが、
しかし、あれだけの状態に堕してしまっては、それを真実だとするとすれば、

ちょっと改心は難しいのではないか・・・


ということでパウロに関しては霊界日記の記述から現代も大きな変化はないと私は考える
なぜなら死後永遠に続くのはあくまで人間の内的本性であり、それを死後に変えるのは極めて困難であるから。
しかし、100%絶対かというと、もちろんそう断言できるほどの権威は私にはない、とだけ最後に書いておきます

まあ、どうせ人間はいずれみんな他界するんだからそのとき分かるさ♪(ぉぃ)

413 :名無しさん@3周年:2007/01/04(木) 20:04:16 ID:OSDc1egB
410を訂正

誤  主要な理由の一つとして考えなわけにはいかないだろう
正  主要な理由の一つとして考えないわけにはいかないだろう



それと遅レスですが、

>>389
そうですね、なかなかそこまで一般的に認知されてないですね
まあ抄訳もなかなか要点をまとめて抜粋してありますから、じっくり読んでみてください

それから古本屋で探せば見つかるかもしれません
実際私も霊界日記の大半は古本屋のネット通販でゲットしたものです
また、静思社のス氏著作新品もネットの本屋でその一部を購入できるかもしれません

414 : ◆xGAtZtjybY :2007/01/04(木) 20:46:56 ID:ExjVYBQu ?2BP(300)
乙ー♪
ふむー、すると
*(いったんは天国へいった。彼もまあそれだけのことはしたと認めている)。
*だが勝手に地獄へ落ちた。
といったところでしょうか。
#「奈落の天界」というのがいまいち分からんかった。奈落の底で天界ごっこ? しかしそうするとそこはもう地獄かのう?

執筆時期が不明なことは了解しました。
福音書あるいは十二弟子系統とパウロを調和しないものとみている視点が
面白いです。実際パウロはエルサレムグループとは仲悪かったようですしw

ルター評価が動くという話は面白そうですね。そこんとこ、もちょと詳しく。
以前ちいヨハ情報から類推していたときには、スエさんのパウロ評価には
スエさんのルター評価等も影響してるのではないか、とわれわれは邪推してた
んですがね。

415 :名無しさん@3周年:2007/01/04(木) 23:19:08 ID:OSDc1egB
>>414
>奈落の底で天界ごっこ? しかしそうするとそこはもう地獄かのう?

まあそんなとこですね、奈落というか、ニセ天界です
偽物は所詮偽物なわけでして

それとパウロとルターの評価については関連はないです
二人が霊界でつるんでいるとか、そんなことはどこにも書かれていません

ちなみにパウロがあんな感じだから、パウロ書簡はス氏の読者の中では人気がありません
実際ス氏も霊界日記4824では、「・・パウロは主からの一つのたとえも、一片の教義すらも取り出して、
それを説明し、明らかにすることは許されなかった、彼は全て(の教え)を彼自身から得たのである・・」
と、なかなか手厳しく書いています。

でも間違ったことが書かれているわけではないし、何の先入観も無しに読めば、立派なことが書いてる。
「信仰によって云々…」の部分も解釈によって間違いにもなるし正しくもなる。
要するに彼の書いたものはあれは彼の建前にすぎなかったのだが(悲)、
私が397で採り上げたように、利用できるものは利用すればよいかと。



やっぱ気になりますよね、ルターのこと・・・
そうですねそうですかそりゃそうだよな


ちょっと待ってねw

416 :名無しさん@3周年:2007/01/05(金) 11:00:10 ID:VuCfDLsI
エマヌエル・スゥエーデンボルグの考えに立てば、人は死後悪魔になるか天使になるかを自由に選ぶ権利を有するという。
彼の悪魔や天使はキリスト教のそれとは全く異なる存在だが、その点に於いては正しい。
しかし、ウィリアム・ブレイクが中英語で「Tigre(発音はタイガー、但し、正音はチグレ)、チグレ、汝は..................」と謳うように虎を悪と見做す旧約聖書的な誤謬を取り入れるのはよろしくない。

417 :名無しさん@3周年:2007/01/05(金) 19:55:13 ID:96QuXg8K
さーてルターの件について書きますが、不十分とは思うができればこれでしばらく打ち止めとさせて頂きたいw

ス氏が生前刊行した著作の中では「続最後の審判」(「最後の審判とバビロンの滅亡」から5年後に刊行)、
にすこし載っており、その他では真のキリスト教の末尾にある程度まとまって紹介されいます

で、遺稿からは霊界日記と、「最後の審判」と「続最後の審判」の間に執筆され、
未刊行となった「最後の審判と霊界の諸相」に書かれています

「続最後の審判」は、静思社から出た「最後の審判とバビロンの滅亡」の中に収められており、
そこにちょこっとだけルターのことが書かれているので、ちょっと引用してみましょう

〔引用開始〕
ルーテル(ルター)の運命は如何ようであるかは他の所で語ろう。なぜなら私は再三彼の言葉を聞き、
また彼に会ったからである。ここでは私はただ以下のことのみを告げよう。彼は再三「信仰のみ」から
退こうと願ったが、徒労に帰した、それで彼は天界と地獄との中間に在る霊たちの世界に依然いて、
そこで時々苦しみをなめているのである、と。(P124)
〔引用終了〕

書かれてあるのはこれだけであり、あとは真のキリスト教のみですが、
その「真キ」に書かれてあるのを読むと、なんかこう、ルターに関してはあまり不名誉ことは
書かないように気を遣っているように思えちゃうんだよな〜(単なる個人的邪推ですが)
というか、そこでス氏があくまでも強調したかったのは、「信仰のみ」が間違っているのを、
ルター本人が認めたんですよ〜、ということなんでしょう。

418 :名無しさん@3周年:2007/01/05(金) 20:06:13 ID:96QuXg8K
遺稿となった著作におけるルターの記述ですが、世間に気を遣う必要がないからか、
ハッキリとその実態が赤裸々に綴られておりますw
とにかくそれらを要約してみましょう

ルターは口論屋であり、彼は死後も四六時中神学論争に明け暮れ、
自分に同調しないものを罵倒し、ひたすら「信仰のみ」を支持し、群衆(というか群霊ですな)をたぶらかし、
そして地獄の偽善者どもを刺激してパウロと同じようにしょっちゅう騒ぎを起こすので、
パウロと同じようにやはり地獄に落とされる。

そこはルターと同類の口論屋どもの地獄であって、ルターはそこでやはり口論や
取っ組み合いの喧嘩に明け暮れ(藁)、そうして厳しい拷問(罰)を受けるのである(アホーw)

彼は持ち前の強圧的かつ説得的話術で彼に反対する者をやりこめることを激しく欲すると共に、
誰も自分に楯突いて反論してはならず、私だけがしゃべって他の者はおとなしく私の言うことに
従わねばならぬという、とにかく高慢がそのまま皮を被ったような男であり、
一見どう見てもルターもパウロ同様の典型的な地獄逝きコースなんだが、
ルターはどうやら(パウロのように?)内的に悪ではなかったらしい(外的には極悪非道なようだがw)

419 :名無しさん@3周年:2007/01/05(金) 20:15:42 ID:96QuXg8K
ルターは説得の熱意が治まって冷静さを取り戻すと、彼はス氏と話し合い、
「信仰のみ」が間違いであることを認めるのである、しかししばらくすると「信仰のみ」に戻ってしまい、
騒ぎを起こしてはまた罰せられる、またス氏と話してス氏に賛同し、「信仰のみ」を罵りさえする、
しかしまた「信仰のみ」に戻ってまた・・・ということを繰り返していたようです

かれは仕舞いには真剣に「信仰のみ」を己から取り除こうと神に祈るのだが、
その度に徒労に帰し、非常に苦しむ、それだけ外的?にではあっても生前強烈に
確認してしまった誤謬は取り除くのが容易ではないのです

だが天使はス氏にこう告げる、「それでも彼には幾らか望みがある」、と

こうして何度も彼は状態を変化させ、「信仰のみ」と「仁慈の業(&信仰)」との間を
行ったり来たりして長い間剥奪を受け、ようやくス氏が「真のキリスト教」を執筆する頃には
安定しだしたということなのでしょう

真のキリスト教では、ルターはス氏にこのように弁明しているので引用しよう

〔引用開始〕
「私が信仰のみによる義認の教理をその中に含められている他の教理と共に宣べ伝えたことを、
例えば霊的な事柄に於ける自由意志の否定、仁慈の霊的本質の否定と共に宣べ伝えたということを
怪しまないで頂きたい。何故なら、私の目的はローマ・カトリック教徒から分離することであり、
私は此の目的を他の方法によっては貫徹することが出来なかったからである。それ故、
私は自分が誤ったことを怪しまない。然し、私の切に怪しむことは、一人の狂人は他の多くの
人々を同じく狂人にし、そのため彼等はこの教義に含まれている聖書との明白な矛盾を見ることが
出来ない点である。」(796より)
〔引用終了〕

420 :名無しさん@3周年:2007/01/05(金) 20:28:53 ID:96QuXg8K
ルターは改革を始める以前の青年期は仁慈の重要性を内心では認めており、
信仰のみを振りかざしたのはあくまでカトリックと対峙するためだったということらしい
どうやらパウロ?と悲惨な末路をたどらずに済んだようで、めでたしめでたし・・・


で終わってもいいのだが、果たしてルターの改心が永続的なものであったのか
また元の「信仰のみ」に戻ってしまうようなことはなかったのか、それは定かではない
真キ796では、ルターは天界に上げられた、とまでは書かれていません

私はス氏の著作は全面的に信頼はしているが、このルターの話だけに限っては、
正直に言えば今のところほんの少しだが腑に落ちないという気持ちを内心ぬぐい去れない
すなわち、彼は(ルターについて)知っていること全てを書いたのだろうか、と

まあしかし、霊界の見聞全般について、霊界日記全9巻ですら、
彼が知り得たことを逐一100%書き記したわけではないのはいうまでもなく、
そしてそのことでス氏を責めるのはお門違いでしょう
我々が知らねばならぬことは漏らさず彼は彼の著作で書いたのであって、
そして書かれた文章の中で我々は推論するしかなく、
それ以上については分からないものは分からない

繰り返すが、特定の個人がどうのこうのというのは本質的なことではありません
そしてもちろんルターが幸福な生活をしていることを願うことにもやぶさかではない
(パウロについては・・・知らんw)



てことでこれにて解散 ε=ε=┌|>.<|┘

421 :名無しさん@3周年:2007/01/05(金) 20:41:16 ID:96QuXg8K
あークソまた訂正だw

420を訂正

誤   どうやらパウロ?と悲惨な末路をたどらずに済んだようで、
正   どうやらパウロ?と同様の末路をたどらずに済んだようで、


422 :ブルネルス:2007/01/05(金) 21:22:30 ID:olLbV4Yk
>419-420
で引用されている文章のよりよい理解のために、蛇足を一言:

ここで「仁慈」と訳されているのは、ルターの日本語訳としては、「善行」とか「善き業」とか
訳されるべき単語と思われます。
邪推すれば、これは原語からの訳ではなく、英訳からの和訳ではないでしょうか。つまり英訳で
beneficence となっているのを、英和辞典を引いて、仁慈という訳語を見つ
けたのでしょう。
beneficence はラテン語の「善い行為」に対応する英語なのですが、英語とし
ては、benevolence と
同じ意味になることがあって、英和辞典ではそれが中心に出てたりして、混乱が生じてます。

「仁慈」を「善行/善き業」と置き換えて、上記引用を読めば、まさしくルターの「人は善行
ではなく信仰によってのみ救われる」という主張の話をしていることが分かります。

*beneficence は医療倫理の世界でも使われますが、その場合は「益を与える」「益となる
ようにする」というような意味になるのです。しかし、しばしば日本語訳では、「仁慈」と
か「善行」などという頓珍漢な訳になって登場します。

423 :名無しさん@3周年:2007/01/30(火) 20:21:19 ID:aTOEwgsO
保全カキコ
ヴュルテンベルク州立図書館スウェーデンボルグ・コレクション(ドイツ語)
http://www.wlb-stuttgart.de/archive/swedslg.html

スウェーデンボルグ著書・研究書のコレクション、自称ドイツ語圏最大。
書誌データだけでなく、どの本の何ページで言及されているかが分かる便利ページです。

424 :名無しさん@3周年:2007/01/30(火) 20:33:17 ID:aTOEwgsO
ところで信仰義認については、カトリックとルーテル世界連盟は「お互い言ってることは結局同じだよね、わはは」(超意訳)という共同声明を前世紀末に出しましたね。
http://www.elca.org/ecumenical/ecumenicaldialogue/romancatholic/jddj/index.html
ルターがこれをみてどうのたまうかは、あしの知ったことではないのですが、
スウェーデンボルグがいうような事情でルターが信仰義認を言ったのであれば、それはなんとも惨ない幕切れのような気がしますが、さて。

425 :名無しさん@3周年:2007/01/30(火) 22:08:09 ID:tjhIh/En
d(`・ω・´)age


426 :名無しさん@3周年:2007/01/30(火) 22:09:08 ID:tjhIh/En
q(`・ω・´)sage

427 :聖霊の洗礼を祈る小羊 ◆b45h8kER4c :2007/02/04(日) 11:35:53 ID:t/ZurNBu
正月にすごい詳しい人が来られたようですね。三一の理解は、私はこれでいいと思っているのですが、ICFに書いたものコピペ。
もし、見られているようであれば、レスお願いします。


異端と言われ、キリスト教大事典では「教会の」三位一体を否定と言われているスエーデンボルグも「使徒教会の」三位一体は肯定しています。

聖書的な根拠は既出なので、置くとして、スエーデンボルグの三位一体とは、


・父子聖霊の三一性は、1人の神にある3つの本質的なもので、それは人間の場合では、霊魂・肉体・活動のように一つになっている。

・この世が創られるまえには、この三一性はなかった。世界の創造のあと、神が受肉されると同時に、イエスキリストのうちに、その三一性がもくろまれ、実現された。

・使徒教会の使徒信条では、「永遠のむかしからましますおん子」などとはいったことはない。


一方、ニケア公会議以降の「教会の」三位一体を否定とは、

・父なる神は、「世界の創造以前:永遠のむかしから」おん子を産み、聖霊は父子の両者から出て、しかも以上3者はみんなそれぞれに、「永遠のむかしから」「それ自身として」、神である、
という考えは、一つの胴体に三つの頭、一つの頭に三つの胴体、三頭政治、三神一体論のようなものでありメチャクチャである。

・しかしこれでは、理性にピンとこないので、以上の三位それぞれに、永遠、無辺、全能、栄光などの一つの本質があるとし、
奥義と言われているわけですが、このような三一性では、三つの神の三一性になってしまいます。


428 :聖霊の洗礼を祈る小羊 ◆b45h8kER4c :2007/02/04(日) 11:45:59 ID:t/ZurNBu
また、最近は、1人で行なう限界を感じ教会へ行き始めたりし始めているんですが、もし、私のHPなどご覧になっての感想などもあれば忌憚のないところでお知らせください。 http://homepage2.nifty.com/ghp/jesus.htm

429 : ◆xGAtZtjybY :2007/02/04(日) 22:01:42 ID:lhIfXOpO
お目当ての方はしばらく来ないようなことをおっしゃっていたけれど?
*使徒信条が十二使徒に遡るという伝承はありますが、現代は支持されませんね。いいとこ2世紀半ばまでしか遡らないように思います。
*そのことを別にすれば、使徒信条と父子の本質を同一としない説は、矛盾しないというのはご指摘のとおりでしょう。
*三位一体については、申し訳ないですが、相手の主張を理解できていないという印象がぬぐえません。
こんなところで。

430 :聖霊の洗礼を祈る小羊 ◆b45h8kER4c :2007/02/06(火) 19:37:24 ID:h2r4HkCy
>>429 レスどうもです。ス氏の解釈だと、

原ニケア信条

主の存在したまわざりし時あり、生れざりし前には存在したまわず、 また存在し得ぬものより生れ、
神の子は、異なる本質或は異なる実体より成るもの、造られしもの、 変わり得るもの、変え得るもの、と宣べる者らを、
公同なる使徒的教会は、呪うべし。

ニケア信条
主は神のひとり子、 すべてに先立って父より生まれ、

が三神ではないか、と言うことだと思うのですが、正統派の解釈だと世界の創造以前に3人の神がいたという解釈にはならないのですか。

431 : ◆xGAtZtjybY :2007/02/06(火) 20:57:49 ID:HZrsAXKF
そのような解釈にはなりません。
ヒュポスタシスにおいて3つですが
ウーシア(本質と訳す)においてひとつですから、
いわゆる正統教理ではこれを○人というような別個の存在とは考えないのです。

432 :名無しさん@3周年:2007/02/09(金) 21:43:39 ID:Yo7NwFsR
>431 の説明には多少ひっかかるところがあって、
なにしろ、ペテロ、ヨハネ、マルコといれば、私たちは3人というけれど、
グレゴリオリオス@ニュッサ的にはね、3人といってはいけないくて、人としては一つなん
だよね。
30億人ではなく、それだけいても、人は一つだ。
だから、この限りでは、人間だってウーシアは一つなのであって、○人というようには
考えないことになるわけ。
だからその限りでは、私とあなたが異なるように、父と子は異なってかまわないのね。
私とあなたが異なるようには、父と子は異ならないで一つなんだ、というのは、
ウーシアが一つだからという理由ではなく、別の理由によるのです。

あ、コテハン書き忘れた(といいながら、書かずにアップ)




433 :432:2007/02/09(金) 21:47:33 ID:Yo7NwFsR
あ、>431 に釣られたような

434 :431:2007/02/09(金) 22:53:34 ID:90m6s8RN
むむむ。persona を人格性と解釈する末/柳瀬路線に引きづられた、と
見苦しく言い訳しておこう。異なる人格は異なる存在として存立すべき
という主張が、どうもここにはあるみたいなので。

ところでなんでペテロ・ヨハネ・マルコなんです?
元ネタはペテロとヤコブとヨハネだったような気がするんだけど……
(ネタ帖:http://www.newadvent.org/fathers/2905.htm)と

ところで以前にギリシア正教は末さんと近いうんぬん、という話が出ました。
本筋譲る必要はいまでもないと思うのですが、御父受苦論については案外
ロシア系に留保付きだけど理解のある人がいる(とくに18世紀以降)という
ことを断っておかなかったのは公平を欠くと思うので、この機会に付け加えて
おきます。大御所だとベルジャーエフが
「キリスト教の最も深い思想が御父受苦論のなかにはある」
という趣旨のことをいっています。もちろん彼自身は伝統的な三位一体の神を
信仰しているのですが。

435 :名無しさん@3周年:2007/02/13(火) 14:59:58 ID:SVyfTAmz
生まれたときには/人間もろばの子のようなものだ。
しかし、愚かな者も賢くなれる。(ヨブ11:12)

436 :名無しさん@3周年:2007/02/13(火) 15:00:36 ID:SVyfTAmz
誤爆したすまん。。

437 :名無しさん@3周年:2007/02/14(水) 18:02:18 ID:luamv78y
スェーデンボルグはルターの義認の問題については取り上げるけど、
ウェスレーに続く聖化の問題には手をつけてないね。
ルターは、信仰があれば、自ずと行いもよくなるといったわけ
でしょ。聖書で、キリストはその人の表面的な行いだけではなく、
その心を見ると言っているわけで。
結果論ではなくて、まず動機が重要なんですよ。
信仰のみを批判するけれど、どれだけの人が、神に対して
自分の心を完全に開くことが出来ると思いますか。
神は、そこを見ておられるんですよ。
どんなに行いが立派でも、死ぬ間際まで、神に対して
心が開かれなくて、頑なであれば、自分で神の救いを拒絶
することになります。


438 :聖霊の洗礼を祈る小羊 ◆b45h8kER4c :2007/02/14(水) 22:12:08 ID:pclQRACo
>>431 レスどうもです。仕事が忙しく、超遅レスとなります。

ところで、ス氏の三一とはこれですか。

サベリウス主義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: ナビゲーション, 検索
サベリウス主義は3世紀にキリスト教において異端とされた思想。サベリウスという人物が唱えたことからこう呼ばれる。
系統的にはモナルキア主義(唯一神論)に属し、父なる神と子なる神は互いに独立したものでなく、どちらも唯一の神の様態の違いであるとした。このため正統派の唱える三位一体論から外れることになり、異端とされた。

他にサベリウス主義のような様態的モナルキア主義を唱えた人々として、3世紀初頭のスミルナの司教ノエトス、架空の人物ではないかともいわれる同時期の小アジア出身のプラクセアスなどがいた。
様態的モナルキア主義の影響はリビアとエジプトで長く残り、ヒッポのアウグスティヌスですらこの思想に影響を受けていた。




439 :聖霊の洗礼を祈る小羊 ◆b45h8kER4c :2007/02/14(水) 22:14:58 ID:pclQRACo
>>437

ルターは、信仰があれば、自ずと行いもよくなるといったわけ
でしょ。

ルターがもしそういっているのであれば、ス氏と同じことを言っています。
最近、プロテスタントの色々な本を読めば読むほど、ス氏との共通項というか、いろんな派であっても
みんな同じようなことを言っている人たちのグループがあることに気づき始めた。

440 :武庫川女子大学総長 ◆gqBBZUnUPk :2007/02/21(水) 01:16:48 ID:YcISIok+
ここ、キリスト教の範疇には属さないと思う。

441 :名無しさん@3周年:2007/02/27(火) 14:30:33 ID:vlxHFKS/

  ( ´・ω・)
〜  (_ ゚T゚         
   ゚ ゚̄        



  ( ´・ω・)
   (_ ゚T゚         
   ゚ ゚̄ キッ   



  ( ・ω・`)  AGE
   (_ ゚T゚         
   ゚ ゚̄    



442 :名無しさん@3周年:2007/03/13(火) 07:01:15 ID:BNyNqwc3

  ( ´・ω・)
   (_ ゚T゚         
   ゚ ゚̄ キッ   



  ( ・ω・`)
   (_ ゚T゚         
   ゚ ゚̄    



          ( ´・ω・)   age
        〜  (_ ゚T゚         
           ゚ ゚̄        



443 :イーグル:2007/03/13(火) 10:37:24 ID:RRUNPJrk
>>1
今の時代に、読まなくてもよろしいのです。

444 :神も仏も名無しさん:2007/03/20(火) 11:47:33 ID:ZCY7xnf0
スウェーデンボルグとキリストって、どっちがすごいの?

445 :神も仏も名無しさん:2007/04/01(日) 08:58:15 ID:yX41IJrA
age

446 :神も仏も名無しさん:2007/04/21(土) 01:54:22 ID:84SVtVaD
天界の秘義って本を書店で見つけたが、高いなあ・・・
古本屋にもないだろうしなあ。

447 :神も仏も名無しさん:2007/05/03(木) 21:15:23 ID:1g0sC5cv
( ・∀・)っ─∞∞∞∞∞∞∞∞∞age

448 :武庫川女子大学総長 ◆gqBBZUnUPk :2007/05/04(金) 21:04:43 ID:2iwpQlcp
スウェデンボルグって、恵心僧都(えしんそうず)の生まれ変わりだったんだと、大川隆法が言ってたよw

449 :名無しさん@3周年:2007/05/05(土) 13:24:44 ID:n64I+vTA
> 437

スウェーデンボルグの真骨頂は、

「人間は(自分の中から)悪を避け(=追い出さ)ない限り、真の(=純粋な)善
を行うことはできない」

です。そして、

「主とともに自分の中の悪と闘って悪を追い出すに応じて、純粋な善が
主から天界を通じて流れ込んできて、自分もより善的存在になっていける」

ということです。
この点の認識がルターは全くできておりません。
その他のキリスト教、いやその他のほとんどの宗教(日本仏教なども)も甘いです。
これができているのはイスラム教やアジアの仏教ぐらいではないでしょうか。

450 :名無しさん@3周年:2007/05/05(土) 13:53:29 ID:n64I+vTA
>446 :神も仏も名無しさん:2007/04/21(土) 01:54:22 ID:84SVtVaD
>天界の秘義って本を書店で見つけたが、高いなあ・・・
>古本屋にもないだろうしなあ。

水道橋駅前通りと靖国通りの交差点からの近くにあるキリスト教古書店「友愛書房」
には、静思社の「天界の秘儀」がかなり揃っていたと思います。
ただ、「天界の秘儀」は、スウェーデンボルグが聖書の中の聖書と言っている
創世記および出エジプト記の内意を扱ったもので、永年「新教会人」
(=スウェーデンボルジャン。つまりスウェーデンボルグ派キリスト教徒)
をやっている人にとっても難しい著作です。
それよりは、「ぶどうの木」集会のサイト
http://www.geocities.jp/xxviii66/index.htm
に掲載されているアメリカの
新教会の牧師の説教集の日本語訳を読まれた方が、よっぽどスウェーデンボルグ
と聖書の真価がわかります。

また、英語をお読みになれる場合は、ハワイ大学教授 James Leon 教授のサイト
http://www.soc.hawaii.edu/leonj/leonj/leonpsy/instructor/gloss/abbrev.html
に、英訳のスウェーデンボルグのほとんどの著作がアップロードされております。


451 :名無しさん@3周年:2007/05/05(土) 13:58:17 ID:n64I+vTA
>450

それよりは、「ぶどうの木」集会のサイト
http://www.geocities.jp/xxviii66/index.htm
に掲載されているアメリカの
新教会の牧師の説教集


左側フレーム内にある「説教アーカイブ」をクリックしてください。

452 :名無しさん@3周年:2007/05/05(土) 14:25:03 ID:n64I+vTA
>450、451

「ぶどうの木」集会は「ジェネラルチャーチ東京グループ」という名前になったようです。


453 :神も仏も名無しさん:2007/05/05(土) 14:48:04 ID:NTj2CgkN
>446

もし、東京近辺在中ならば、国会図書館へ行く手がありますよ。
http://opac.ndl.go.jp/index.html
↑で検索してみると、ちゃんと全巻揃っているようです。
ちなみに、日本国民ならば誰でも無料で利用できます。

454 :神も仏も名無しさん:2007/05/05(土) 22:40:32 ID:Jl8XZ8Zf
>>450-453
皆様、ご丁寧にありがとうございます。>>446です。
残念ながら当方は大阪在住なので、教えてもらった古本屋に行く旅費の方が
高くついてしまいますね・・・

図書館繋がりで、大阪の公立図書館で検索してみると、こちらにも28巻まで
あるようなので、連休明けにでも立ち寄ってみます。

あと、ぶどうの木と英訳サイトはなかなか興味深いですね。じっくり読んでみます。

455 :名無しさん@3周年:2007/05/08(火) 23:11:21 ID:B2BCARLu
>454

なあに、このネット時代です、古本サイトがあるじゃないですか。
amazonにも中古本はありますし、
オークションだってあるじゃないですか?

MSN オークション: http://auction.jp.msn.com/

Yahoo! オークション:http://auctions.yahoo.co.jp/jp/

いずれも、欲しい書名や著者名などをキーワードとして登録しておけば、
出品者が現れ次第、メールで通知してくれます。
ただ、入札競争者がいますので、やはり純粋な古本サイトの方がいいかもしれませんね。


amazon以外の古本サイトには、次のものがあります:
「日本の古本屋」: https://www.kosho.jp/index.html

456 :名無しさん@3周年:2007/05/08(火) 23:21:51 ID:B2BCARLu
>454

をっと、「天界の秘儀」が全巻あってよかったですね。
しかし、私でも途中で挫折しております。「天界の秘儀」は、最初の6巻まで
読まれたら、あとは他の短い(「天界の秘儀」よりは(笑))著作を読まれた
方が、スウェーデンボルグの全体像が掴みやすいかと思います。


457 :武庫川女子大学総長 ◆gqBBZUnUPk :2007/05/26(土) 00:39:03 ID:6EbNt8C3
スウェデンボルグが見た霊界って、クリスチャンにとっては都合が悪いことばかりなようだね。
ということは、今のキリスト教は霊界のお眼鏡には適っていないことが判明しちゃったわけだね。

パウロがキリスト教の値打ちを下げて伝道に携わったせいだろう。

458 :神も仏も名無しさん:2007/06/23(土) 22:01:11 ID:MX1xDqeM
|∀・) ジー


459 :神も仏も名無しさん:2007/06/23(土) 23:06:18 ID:BiEcYOy0

(ΩωΩ.)<この宗教イタすぎるお…こんな宗教よりまだ一人でもってけ!セーラーふく聴いてる方がマシだお…
http://www.youtube.com/watch?v=QtkQdOP2rt8
http://www.youtube.com/watch?v=bd6U515OylE
http://www.youtube.com/watch?v=GPRwo3SeKwk
http://www.nicovideo.jp/watch/sm126886


460 :神も仏も名無しさん:2007/06/29(金) 08:45:34 ID:ILjsIsJg
>パウロがキリスト教の値打ちを下げて伝道に携わったせいだろう。

キリスト教がパウロ神学のおかげで広まったのは、イエスからの直接の教え
よりも「口に甘い」からでしょう。スウェデンボルグの処女作だった『天界の秘義』
は、ほとんど売れなかったそうです。本当によいものは、そういうものです。
黄金の輝きを放つ真理が書かれた本ほど、ほこりをかぶって古本屋の片隅に放置
されている。聖書が世界中に広まったのも、パウロ的な「口に甘い解釈」があった
おかげだろうと思います。

しかし、世の人の大部分は「口に甘いもの」しか求めたがらないので、やむなく
神慮によってそういう「まがい物」の横行が許されているということでしょう。

461 :イカワ:2007/06/30(土) 09:32:16 ID:vRzhdI2z
日本も、北欧化したほうが良さそうですね。

462 :神も仏も名無しさん:2007/07/03(火) 09:05:38 ID:Voa6YlcJ
ルター、パウロともス氏によれば散々のようですね。「信仰のみ・・・」
がネックですか・・・しかし信仰の深さがス氏に指摘されていないのが気になります。
信仰には、程度があると思います。・・ちゃリン・・・とお賽銭を投げ入れて
「志望校に合格させてください・」と神を信じて願うのも信仰です。
24時間テレビに「世界が幸福になりますように・・・」と信じて1円募金するのも信仰アリ
でしょう。しかし、パウロ、ルーテルの信仰はどうだったでしょう?
ダマスコ途上で目が見えなくなり命がけで・・・あるいはカトリックに訴追され幽閉され
死を賭して・・・の信仰だったはず。つまり全身全霊命がけ、すがるしかない
ぎりぎりの信仰だったはずですね。そのような信仰に対して果たして行為は二次的、三次的
といっても遜色ないのではないですか?頭の中、全身全霊が信仰なら、行為もそれにもとついた
ものになるのは当たり前だと思いますが?
はて・・・ここで行為行為というス氏自身がいかなる行為をしたのかなといいたいですね。

463 :神も仏も名無しさん:2007/07/03(火) 09:13:37 ID:Voa6YlcJ
続きです。ス氏は鉱山技師のサラリーマン。若いころの自動小銃の
発明の図面も残っていますし、評判の悪い王様におもねた時期も
あったようですね。年配になっていきなり「食べ過ぎるな・・・」
という氷の上に座ったイエスらしき人に出会い霊界行きが始まると言う。
イージーですね。しかもその後もボツボツサラリーマンを続けておりまして、
結婚愛という著書はあれど結婚できず、性欲我慢できずセフレもずっといたようですし
・・・15歳に求愛とはなんともこまったロリコンです。
少女にはその気持ちもなかったのにねえ・・・・。
私はス氏は信じませんね。当時の教会批判としてみるべきものはありますし、
パウロ、ルーテル批判も見るべきものはありますが、やはり俗人ですね。
霊界訪問は妄想を反映した夢でもみたか、」捏造ですね。
この流派から偉大な人物は永遠に出ません。
なんせ始祖がサラリーマンでそれで天国へいけるのだからだれも無理しませんよね。

464 :神も仏も名無しさん:2007/07/03(火) 09:18:58 ID:Voa6YlcJ
自らの与えられた仕事に忠実で世の中に貢献すれば天界ですか?
めでたいですね。まあそういうこともあるでしょう。しかしですね。
ナチスのゲシュタポも、日本の軍人も自らの正義と大望に忠実で
一生懸命仕事しましたし、当時の人々に多大な貢献もしましたけど?
わからんねえ・・・。

465 :神も仏も名無しさん:2007/07/03(火) 14:39:25 ID:xGFKEyzs
行い・・行い・・・たしかに重要ですよ。ただし行いをしようとしても行えない人は
なんとなりますか?寝たきりの障害者や高齢者は?かつての若き折、カリエスで寝たきりだった
三浦綾子さんや星野富弘さんは?お二人とも著作はすばらしいですが、もし病気や脊髄損傷が
治らないまま、著作をしなかったら救われなかったとも思いますか?
それとも思考(思い)のなかでイエスを信じ、悔い改めることも行いのうちと言ってしまえば
それまでですが、それこそ(信仰)であるとは考えられないでしょうか?
信仰のみといったパウロ、ルーテルが伝道にかけては命がけで行っていたような感じですが?
ス氏はお部屋に横になってゆうたい離脱して霊界へ行っていたようですが
端から見たら寝ているだけですし、伝道もおっかなびっくり最初は
匿名で本を書いたりとのことだそうですが?
弟子は師を見習うものです。天幕張りしながら地中海を命がけで伝道したパウロと
お部屋で眠って霊界へ行き、本ばかり書いたス氏を心に思い描き
個人的に何をやりたくなるかが問題ですね。どうですか?
どちらが行わずに理屈ばかり述べたくなりますか?



466 :神も仏も名無しさん:2007/07/03(火) 15:13:05 ID:xGFKEyzs
奇妙なことに・・・「行いが大事」と言っているス氏の著作が行わず(傍目からは)
眠って霊界に行った折の事ばかり書いてある。「信仰が大事」といったパウロ、ルーテル
の実際が命がけの行いで伝道である。パウロ、ルーテルの使途行伝や伝記を読むと
迫害にめけず頑張って何かやろうと言う気になってくる。
ス氏の著作を読むと「俺も霊界を見てみたい・・・」と寝るのが楽しみになり
昼寝ばかりしたくなる・・・妙なものです・・・お粗末。

467 :神も仏も名無しさん:2007/07/03(火) 16:42:32 ID:xGFKEyzs
聖書を読めばいいと思います。病人や障害者、罪びと・・・がイエスに癒してもらったときです。
彼らはイエスに対してなにか行いましたか?いいや・・イエスを心から信じ、悔い改めただけです。
それで救われました。その後の行いは・・・自ずと知れたものでしょう。
そこからは個人それぞれあると思いますけど・・・
悪いがス氏の教義は明らかにイエスご自身の態度を否定するものですね。

468 :神も仏も名無しさん:2007/07/03(火) 17:16:57 ID:VUAtr086
「イエスを心から信じ、悔い改めただけ」というのは
キリスト教的には究極の「行い」じゃないの?

469 :神も仏も名無しさん:2007/07/03(火) 20:48:00 ID:Bs1YL17G
>>468
詭弁でしょう?行いと言うと普通肉体を通じてのものですよ?
思考に関するものを普通「行い」といいますか?それに信仰と悔い改めは同じ
思考に関するもので「信じているが悔い改めていない。」などというわかわからない
ことをいうのであればもうさじを投げざるを得ない。普通じゃない。
聖書には旧約からづーっと信仰と悔い改めはセットであり、単に「信仰」と表記される。
ましてやパウロ、ルーテルがそれをいちいち気にしていたわけがない。
信じればよい、悔い改めなどいらない・・というのは馬鹿馬鹿しい。
パウロもルーテルもそんなことは言ってないし考えもしない。
自明すぎる自明だからです・・・思考を「行いのうち」などとする意見は
それこそス氏のいう地獄の理屈ですね。わけがわかりません。
ス氏は思考を行い・・・というひとなのですかね?
またイエスと一緒に十字架につけられた囚人が「お前は神をも恐れないのか?
同じ刑罰を受けているのに我々は自分のやったことの報いを・・(中略)」
の箇所がありますが、正直囚人は十字架につけられ行いなどできない。
信仰告白と悔い改めをしたのです。その結果はご承知の通り・・・

ス氏」のいうことを鵜呑みにすればもはやこの人物も地獄確定であるなら
聖書のこの箇所も捏造になる。その自覚はス氏にあったのか?

470 :神も仏も名無しさん:2007/07/03(火) 20:58:31 ID:Bs1YL17G
私の結論・・・人は信仰のみで救われる。信仰と悔い改めはセットでいちいち
論ずるまでもない常識である。救われれば当然行いもよいものになる。
行いが悪いのは信仰が悪いのである。
ス氏は信仰がない!晩年にもなってセフレや売春を肯定すると言うことは自らの罪を
悔い改めていないのである。よって過去に自分のさまざまの悔い改めが出来てない
ス氏は救われようと行いに走る。行いへの逃避である。
が、救われていないので行いは悪い。ゆうたい離脱だの、霊界訪問だの実のない
行いで悪魔に見せられたビジョンである。
教会批判は当たり前の評論で現在の我々が政治や社保険庁の体制を論ずるのと
同じであろう。リッパな文化人であるが霊界訪問という悪魔の諸行で身を持ち崩した
異端派であり、その派から聖人は永遠に出ない・・・以上。

471 :神も仏も名無しさん:2007/07/03(火) 21:05:55 ID:L1xePn+V
別に強制する人など、この板には居らん罠。
どうぞ、お口に合う食べ物をご賞味くださいませ。

472 :神も仏も名無しさん:2007/07/03(火) 21:11:20 ID:Bs1YL17G
>>471
そうさせてもらうよ。別に貴殿が問題ではなくス氏が問題なのでね。
お気にさわるなら誤ります。
もうス氏がなくなって二世紀・・・マスコミが発達した近代でやっぱり
ブレイクの兆しがないとすれば・・・やっぱ聖霊の後押しがないと思うが・・
いかがか?
二世紀ないなら三世紀、四世紀ないような気がするしね。

473 :神も仏も名無しさん:2007/07/03(火) 21:14:40 ID:Bs1YL17G
駄目押し・・・科学が発達した現代で、金星人やら木星人やら
その霊がどうたら、こうたらいっているので、・・・もう敗北は必死。
絶望した方がよいですね。

474 :神も仏も名無しさん:2007/07/03(火) 21:41:07 ID:L1xePn+V
駄目押しも何も....ス氏はどこにも「金星人や木星人」が居るなんて話しと
らんですよ。金星の霊界や木星の霊界の話をしとるだけで。
何ですか、パウロが上げられたという「第三天」というのは鵜呑みにして、
それを「第三惑星」と解釈して「地球の天界」と呼び替えただけで、非科学
的になるんですかいの。

475 :神も仏も名無しさん:2007/07/03(火) 21:44:04 ID:L1xePn+V
そういうのを「目くそ鼻くそ」と言いますんです罠。
物の順番を表わすのに、「甲、乙、丙」とつけると非科学的で、
「α、β、γ」とつけると科学的になるというような、子供騙しにしか
見えんのですけど。

476 :神も仏も名無しさん:2007/07/03(火) 21:56:42 ID:L1xePn+V
ス氏の著作は口に苦い。甘いものなどひとつだってありません罠。
だから、苦くとも心の栄養を求める求道者だけが口にすればよい。

ス氏の苦味は、「いくら口先で神を信じていると言っても、行為が伴わない
限り、心の底から信じているわけではない。そういう人間は死ねば悪魔の
正体を現して、地獄へ自らの意志で行く」と、信仰深き者の偽善性を容赦なく
暴いていることから来る。それは直視するにはあまりに恐ろしい。だからこそ、
誰にでも進められるような食物ではありません。これを正面から受け止められる
人はそう多くはないだろう。

477 :神も仏も名無しさん:2007/07/04(水) 01:14:18 ID:CbJRaTH8
ス氏の生き方自体が甘い・・というか腐敗。
セフレ、権力おもねり、売春許可・・・こいつこそ地獄行きである。
もう二世紀もたった・・・だれも弾圧もしていない・・・いい加減世界的に
認められたらどうかね?
どうして自己の生き方が厳しい人間があんなに太って
一週間も眠って職場ほったらかしであの世にいけて
30過ぎ照るのに15の娘に言い寄るかね?わけわからん・・・
論外だろう?>。457あんたがたが子供だまし・・・明確に金星に人間がいると
言ってるだろうて・・・本気か?
苦くても効果があればみんな認めるよ?世間はそんなに馬鹿じゃない。
認められないのは・・・奴さんがセフレにかまけて普通の結婚もできなかった
ばかりかロリで食いすぎで、デブで、口先だけだったからだ。

こいつがパウロやルーテルにたいしてなんか言えるか?

食いすぎるな・・・肖像画をみたらなるほど食いすぎだ・・W

こいつのどこが求道者だね?わけわからん・・・
くやしかったら伝道して一大ブームでも起こしてみなさいって・・パウロみたいに
絶対無理だけど・・・だってロリじゃん(^^

478 :神も仏も名無しさん:2007/07/04(水) 01:15:58 ID:CbJRaTH8
また一ついうが・・著作なんて口先を文字にしたもの。
口先だけ辛くて生き方は甘い・・・っていうかセフレでロリ・・・
そんなのありかね?

479 :神も仏も名無しさん:2007/07/04(水) 01:20:39 ID:CbJRaTH8
ロリでセフレ・・・15の娘を傷つけたり、
その後の女の体だけ頂いて結婚しないような男は罪深くないか?
官庁のやつらが売春婦を買うのも認めてたよな?警察へ行けよ!
なにがキリストだよ?言うしかくがあるか?
ざんげの値打ちもないよね?
本ばかりで頭でっかちがこいつを信じるんだよ!!

480 :神も仏も名無しさん:2007/07/04(水) 01:24:34 ID:CbJRaTH8
本ばかりで感心する学者崩れがこいつを信じる。生き様にはなんの感動もなし。
よってご本がお好きな、文字ばかり辛口の学者さんが支持するばかりで、
一般の常識人は気持ち悪がって読まない・・・つーか読めない。
長すぎてわけわからんし・・・

481 :神も仏も名無しさん:2007/07/04(水) 01:32:14 ID:CbJRaTH8
よけいなお世話かも知れんが目を覚ませ。こいつか辛口なのは著作
の上ばかりでのことだ・・・私生活は、ロリ、でセフレで美食家で
大食漢でデブで、旅行好き、社交界好き、最初は匿名で本書いた
臆病者・・・・霊能力も当て物ばかりで、病人を癒したとかはなし。
金持ちこそ金があるゆえに社会に貢献できると無条件に富を礼賛。
ああ・・・腹が立つ。

482 :神も仏も名無しさん:2007/07/04(水) 08:17:02 ID:59Ra0EW7
何が言いたいのか分からん。
面接なら不採用

483 :神も仏も名無しさん:2007/07/12(木) 05:27:17 ID:BRAoIQMM
ロリでデブという点で、ますます親近感を持った。
まあ単なるデブロリだったら、鉱山監督官なんかになれんよな。

つうか、主の養父ヨセフも心ならずも炉理。故にその聖徳をたたえます。

484 :神も仏も名無しさん:2007/07/25(水) 02:14:35 ID:y1vrD3fW
スは31歳で15の娘の父親と結婚の密約を結んだ・・・本人にはないしょ。
これはちょー有名な話ですお。人身売買なり。
また、晩年「性欲が我慢できずに愛人(セフレ)がいた」とも告白。
なんで、パウロの悪口言えるかね。こんなんで?

485 :神も仏も名無しさん:2007/07/25(水) 02:16:13 ID:y1vrD3fW
地獄でリカちゃんやバービーちゃんとセックスしてまふね。
絶対w

486 :神も仏も名無しさん:2007/07/25(水) 16:10:04 ID:2o58KGkT
「相応の理」
「天の法則」

487 :神も仏も名無しさん:2007/07/25(水) 23:20:46 ID:eDfWwGSW
「天の理」


488 :神も仏も名無しさん:2007/07/27(金) 15:05:38 ID:rQIdE13T
あのね・・・昔は女の人が14歳ぐらいで嫁に行くのがフツーだったの。
夫と10以上年が離れてるのも珍しくなかったの。
寿命も短かったから、大人になるのも早かったんですよ。
家が貧しいから学校に行かないで働いてる子も多かったし。

489 :神も仏も名無しさん:2007/07/27(金) 20:55:10 ID:RsZ5SDSC
平均寿命が短かったのは病気や戦争でしょ?
大人になるスピードは関係なし。むしろ栄養状態が悪いから
身体の成長も初潮も遅かったはずです。
とくに乳幼児の死亡率・・・
本人最初は20過ぎたか近い姉さんをすすめられたはず。
14歳の少女に知らせず父親を言いくるめて裏で契約結んで「成長を楽しみにしていた」んだよね?
やっぱロリだよ。ロリがどうしてキリストの僕なのさ?

490 :神も仏も名無しさん:2007/07/27(金) 20:58:04 ID:RsZ5SDSC
>>482スの信者は読解力ないらしい。いかなる試験も不合格。

491 :神も仏も名無しさん:2007/07/27(金) 21:03:34 ID:RsZ5SDSC
14で嫁に行くのは後進国のしていたことだね。とくに丁稚奉公の日本。
18世紀のヨーロッパがそうだったとは聞かないなあ?

492 :神も仏も名無しさん:2007/07/27(金) 21:23:02 ID:RsZ5SDSC
>>486
なんでこんなに怒っているかお分かりか?
スは、理ばかり振りかざして、命がけで伝道したり人を救っている人間を冒涜しているからだ。

この人物のろくでもない書物は「行い」を言っているのにそれ自体口先にすぎず
読者はいつの間にかあの世の「理」や「描写」に魅せられてしまう。そしていやに悟りきった
現実に汗水たらさない、ろくでなしのカルト宗教家を大量生産してきたからだ。

新興宗教で被害を出しているもののうちほとんどの原型がこの人物の書物に
見られるのだ。
しかも、二世紀たっても現実の「実」は一つも実らないと来ているのだ。
「行いが大事」といいながら本人は書物だけという始末に終えない状態なのだ。

493 :神も仏も名無しさん:2007/07/27(金) 21:40:31 ID:RsZ5SDSC
ス氏の苦味は、「いくら口先で神を信じていると言っても、行為が伴わない
限り、心の底から信じているわけではない。そういう人間は死ねば悪魔の
正体を現して、地獄へ自らの意志で行く」と、信仰深き者の偽善性を容赦なく
暴いていることから来る。それは直視するにはあまりに恐ろしい。だからこそ、
誰にでも進められるような食物ではありません。これを正面から受け止められる
人はそう多くはないだろう。

その通り・・・そうしてそう言っているス本人がそういう人物なのだ!!
ここに悪質きわまれるトリックがある。裏の裏である。

つまり、放火する消防士、殺人を犯す警察官、詐偽の手口を明かし
次にその通りの詐欺をする詐欺師。

カルトの原型である。

494 :神も仏も名無しさん:2007/07/27(金) 21:59:00 ID:RsZ5SDSC
>>476
>>信仰深き者の偽善性を容赦なく
暴いていることから来る。それは直視するにはあまりに恐ろしい。だからこそ、
誰にでも進められるような食物ではありません。これを正面から受け止められる
人はそう多くはないだろう。

しかり、ここに既に被害が出ている。つまり、うぬぼれ、選民思想である。

495 :神も仏も名無しさん:2007/07/28(土) 11:45:25 ID:2zEvHyJv
wikipediaの
>月人は月の大気が薄いため、胸部では無く腹腔部に溜めた空気によって言葉を発するなどといった、

これはどの著書にある記述?

496 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 01:12:49 ID:wcdJgpP3
本当に心から損得抜きで平和のため、困った、貧しい人々のため、行いをしてみろ。
そして理屈ぬきでノーベル平和賞でも受賞するような人物をこのス派から
出してみろ。命がけの人物を・・・だ!
無理なのだ。絶対無理なのだ。なぜならス本人が理屈屋の学者のロリの
サラリーマンの権力におもねりの人物だからなのだ。本人がやってないからなのだ。
>>495
そんなのあったのね・・・シドイね。


497 :神も仏も名無しさん:2007/08/04(土) 21:22:30 ID:fwxxQRQP
>>495
宇宙の諸天体という著作。読んだことはないが……。

498 :神も仏も名無しさん:2007/08/04(土) 23:13:34 ID:FP1duTP2
天国と地獄どっちかしかないのだろうか、、、?

499 :神も仏も名無しさん:2007/08/07(火) 22:48:18 ID:PnF2g4HX
>>498
イエスご自身はそれを明言しているし、ス氏の著作にもそう書いてある。
イエスの左右に共に十字架刑に処された2人の強盗はそれを表している。
1人は自分の罪に対して死に、もう1人は自分の罪の故に死んだ。

500 :神も仏も名無しさん:2007/08/19(日) 10:53:03 ID:SNf1Mxyr
31なのに14の娘に恋をして求婚・・・
もうここでヘンタイの素質アリ。どうして神の国が見えよう?
素質なし・・・ヘンタイの素質アリ。

501 :神も仏も名無しさん:2007/08/23(木) 11:47:33 ID:OgrLdpWn
えらいアンチがいるな。サラリーマンがそんなに悪いのかい?

502 :神も仏も名無しさん:2007/08/23(木) 23:23:49 ID:Xpn8fUw1
サラリーまんでも、ロリでもよかよ!
一般人奈良ね。ただし、なんでそんなのがキリスト
だの霊界の実相だの語る資格があるかってよ?


503 :神も仏も名無しさん:2007/08/24(金) 01:11:28 ID:+818z0y0
ある意味、ヘンタイの方が天国を見てると思う。

504 :神も仏も名無しさん:2007/08/25(土) 22:55:41 ID:KcBfRldK
スエデンボルグは自分の主張のせいで自国にいられなくなってロンドンに移住したんじゃなかったっけ。
これは弾圧されているわけだろ。信仰のために苦労してんじゃん。
スエデンボルグの影響を強く受けた出口王仁三郎の大本は戦前戦中にひどい弾圧されたぞ。命がけの後継者(?)いるじゃん。
それとな〜、なんか特別な苦行経験がないと認めねえなんてのはな、それは個人的な思いこみにすぎんだろう。
スエデンボルグが凡夫だったとしても、特別な使命を受けていたんだったというなら、それでいいじゃない。

505 :神も仏も名無しさん:2007/08/28(火) 19:28:22 ID:9A6crCH0
「結婚愛」ってなかなかいい本だよ。
本人は結婚していないのにここまで書けるのはすごいね。
その中に2ちゃんを思わせるような霊界の様子が書かれている部分がある。
おしゃべりが天界の喜びだと信じる霊がいく場所で、無数に区切られた部屋がある建物で、
その中でそれぞれテーマにのっとって喋ったり議論したりしている。最初は楽しいんだけど、
そのうち飽きてきて最後にはいやになってしまうというw

506 :神も仏も名無しさん:2007/09/04(火) 08:55:36 ID:0YLYMyQB
スエデンボルグの言うことを信じれば、彼はキリストの忠実な僕で、「霊界の
実相を語れ」と命じられたからそれに従っただけだろう。

それに、パッケージの立派さだけに目を奪われるような輩は、本質については
何もわかっていない「真理オンチ」と昔から相場は決まっている。

イエスが、宝石をちりばめた王様の衣装ではなく、汗と血にまみれたみすぼらしい
姿で真理を説いているのは、その種の「真理オンチ」を遠ざけるためのカモフラージュ。
スエデンボルグもこれと同じだと考えればよい。パッケージだけ関心のある奴は、
大伽藍が立派で中身が空虚な大教会へ行けばよい。類は類をもって集まるだからな。

507 :神も仏も名無しさん:2007/09/12(水) 22:53:25 ID:i9OKlaLu
スウェーデンボリのスレがあったんですね。
よろしく^^

508 :神も仏も名無しさん:2007/09/12(水) 23:54:41 ID:T7omSK9s
すべての預言者と使徒たちが命を賭けて地上を駆け巡ったのに、
スウェデンボルグがやったことといったら、ただ本を出版するだけ・・・
しかも無駄に多く、高い・・・・・・
こんな預言者いねーよ。


509 :神も仏も名無しさん:2007/09/12(水) 23:58:08 ID:T7omSK9s
あと、スウェデンボルグは、ヘブライ文字についても間違いおかしてるね。
ヘブライ文字の母音記号がはるか昔からあるように書いているが、実際は紀元後に作られたものである。
結局は、スウェデンボルグの思い込みで書いてるだけなんだな。


510 :神も仏も名無しさん:2007/09/13(木) 10:55:27 ID:D69HlQ9i
ん? それは致命的な問題なのかね?
もう少し、気に入らない点を整理してみてはどうか。

511 :神も仏も名無しさん:2007/09/14(金) 09:46:31 ID:0U3E3hFR
>>508
同意ですね。

スエーデンボルグが活躍した19世紀にはもう東洋では仏教、儒教が隆盛を誇って
いた。スエーデンボルグはさまざまな著書の中で、中国人について言及
しているが彼らが信じていたはずの仏教、儒教は出てこない。
仏教やヒンドウーの説く「輪廻転生」の存否は霊界探検家ならぜひとも言及しないと
いけない大問題のはずである。
これはおかしい!また他の宗教(マニ、ゾロアスター、ヒンドゥー)も
皆無である・・・なぜなのだろう。たぶん彼に(現世の)知識がなかったのでは
ないか?つまり現世の知識がないと来世は書けなかったのである。

512 :神も仏も名無しさん:2007/09/14(金) 09:59:16 ID:0U3E3hFR
>>506それに、パッケージの立派さだけに目を奪われるような輩は、本質については
何もわかっていない「真理オンチ」と昔から相場は決まっている。

パッケージじゃないと思う。心から15の娘を愛していたから
結婚まで考えたのであろう。娘の気持ちも考えず・・・

彼の著書によれば死後は本人の愛そのものになるはずだから
私は「死後はロリをやっている。ロリのセフレをもっているはず。」
と言ったのである。

ス氏の理論はカント哲学に似ている点が多い。カントは理性を重んじた。
また行為の結果よりも動機の純粋性を重んじて外的な「傾向性」
(欲望)を排除し、評価しなかった。
たまたま外的な行為が道徳的(義務)と合致していても
評価できないという態度である。また、物自体という道徳の根源、
あるいは物質の根源のような形而上的理想の世界を想定した。

要約すれば人間の「本性」がいかにあるかということにおいて
(善か悪か)の哲学を構築した人である。

どうも私が解説するとうまく行かないから各人で勉強されたし。

ス氏はカントのパクリ・・・といってしまうと「真理は一つ、
似通ってしまうのは自然の事」と反論されると思うが各人に
判断はゆだねるしかない。



513 :神も仏も名無しさん:2007/09/14(金) 17:01:28 ID:c4/pxY5U
>ただし行いをしようとしても行えない人は
>なんとなりますか?寝たきりの障害者や高齢者は?かつての若き折、カリエスで寝たきりだった
>三浦綾子さんや星野富弘さんは?

まあこういう例を考えられる思考回路があるのなら
よくキリスト教なんていう理不尽宗教信じられるよね。
幸福でほどほどに生きた善人と地獄のような人生生きた人が
等しく「永遠の天国」にぶち込まれるという不平等。


514 :神も仏も名無しさん:2007/09/14(金) 21:00:30 ID:nSQBlv0v
>>510
 ヘブライ文字に関する無知は致命的でしょ。
 後代にできたにすぎない母音記号についても、聖なる内なる意味がある、といったんだから。
 結局、他の事に関しても、適当に書き散らしてるだけという証拠だろ。

515 :神も仏も名無しさん:2007/09/14(金) 21:14:41 ID:MhjEdEas
正しい。。。じゃなくて ただし・・・BUT・・・
>>
幸福でほどほどに生きた善人と地獄のような人生生きた人が
等しく「永遠の天国」にぶち込まれるという不平等。

>>514
わたしもそう思います。なんと霊界が間違えたということになる。
これは致命的!

いやわからん?どこにそんなこと言ったっけ?聖書にもないけど。

516 :神も仏も名無しさん:2007/09/14(金) 22:20:22 ID:6xa7OrJO
>>509

>あと、スウェデンボルグは、ヘブライ文字についても間違いおかしてるね。
>ヘブライ文字の母音記号がはるか昔からあるように書いている

 どの著作の何番で、「ヘブライ文字の母音記号がはるか昔からあるように書いている」のかい?
公刊されている著作では、読んだ事がないのだが。


517 :神も仏も名無しさん:2007/09/19(水) 13:00:46 ID:oU0FFsJp
気にするな。バビロンの主人が放った工作員が出没しているだけだから。

518 :神も仏も名無しさん:2007/09/19(水) 13:26:28 ID:bMYVFbVU
ゲイビデオにもBabylon Stageというシリーズがあるしな。
以前にある野球選手がシリーズの一本に出演したせいで
あやうく本人の選手生命を絶たれるところだった。

519 :神も仏も名無しさん:2007/10/05(金) 22:48:12 ID:nOZnH5uH
サティやイトーヨーカドーで幼児をトイレに連れ込みいたずらする事件が相次いでいるようです。
男の子はお尻にボールペンを入れられ、
女の子はもっとひどくて三歳で子宮を全摘出しなくてはならないほど。
口には粘着テープをされたらしい。
ママと買い物していて子供だけ男子トイレに入ったときや
ママと別の個室に入って一人で出たところを狙われたらしい。
もしお子さんを一人でトイレに行かせているのなら気をつけてあげてください!

520 :神も仏も名無しさん:2007/11/03(土) 19:20:22 ID:GqZiiRgA
>>500

当時の時代背景を調べたうえで言ってるのかね。
スピリチュアルの鏡理論によれば、他人をそのように断罪する者は、
自分の中にそのような欲望があるからこそ、
「他人も自分と同じような欲望、思考、感じ方をするはずだ」
と思うんだよ。

521 :神も仏も名無しさん:2007/11/03(土) 19:23:55 ID:GqZiiRgA
>>520

イエスも、
マグダラを断罪した連中には「罪のない者は裁くがよい。」と言い、
マグダラには「私もあなたを裁かない」言った。

522 :神も仏も名無しさん:2007/11/03(土) 21:42:53 ID:GqZiiRgA
520、521 に追伸。

私の言いたかったのは、

「クリスチャンが俗人やパリサイ人や律法学者と同じような判断しか下せないん
じゃー、2000年前から少しも進歩してないってことだろ」

つーことです。

523 :神も仏も名無しさん:2007/11/03(土) 21:46:25 ID:SLWwleYV
セラフィタセラフィトスはオモロイ本

524 :神も仏も名無しさん:2007/11/05(月) 18:53:02 ID:UX0kg3tw
バルザックの小説?

525 :神も仏も名無しさん:2007/11/30(金) 15:32:06 ID:x/smk03o

        _,,..,,,,_   _,,..,,,,_
     _,,..,,,_/ ・ω・ヽ/・ω・ ヽ,..,,,,_
    ./ ・ω_,,..,,,,_  l _,,..,,,,_/ω・ ヽ
   |   /   ・ヽ /・   ヽ    l
    `'ー--l      ll      l---‐´
       `'ー---‐´`'ー---‐´


526 :神も仏も名無しさん:2007/12/10(月) 00:12:23 ID:3sGhRWSI
>>525
バルザックの小説に「セラフィタ」というのがあるんですよ。

527 :神も仏も名無しさん:2007/12/10(月) 03:33:10 ID:30sxU6x+
私もそうですね・・もう死んでるのかもしれないです。いや、死にたい。
何も楽しいことがないです。

528 :武庫川女子大学総長 ◆gqBBZUnUPk :2007/12/10(月) 21:59:40 ID:BBkloozL
>>527
ま、「浮世も心次第」だというじゃないか。
何も楽しみを見出せないままに霊界に戻ったって、やはり楽しいことなど見出せないぞ?

生きているうちに楽しいことを見出しておかないと、たとえ高級な霊界に足を踏み入れてみたって、そこの太陽がまぶしすぎて耐えられんぞ。
そして、とどの詰まりは薄暗い霊界にとどまっては「楽しくない 楽しくない」と言い続ける同じ階層の霊界仲間と愚痴ばかりを永遠に言い続けるところに落ち着くことになる。
・・・・まずは「物事を、今までより深く識る」ことに心掛けてみられてはいかがだろう?

529 :素人A:2007/12/11(火) 16:14:36 ID:v2PYm560
>>528 と言う事はこの世界で心高めれば同じ階級仲間も自動的に上がるのですか
    

530 :武庫川女子大学総長 ◆gqBBZUnUPk :2007/12/11(火) 20:34:58 ID:byQBQvZy
>>529
いや、おそらく基本的には「個人(個々の霊)」単位での霊格の向上と相成るのを原則としているのだと思います。
ただ、同じ霊系の霊界の住人らとて、「中心霊」や同じ霊界村の住人の大立者の登場によって、その大立者の所属する霊界村の住人らが一斉に触発されることで、
丸ごと高次元霊界に引き上げられるなんて事象が霊界では存在してもいるらしいのです。

ま、階級仲間というよりも、大いに心を高められた霊の存在する「霊界の一村落」単位での霊位の向上ぐらいならば割りに頻繁にあるのではないでしょうか?

531 :素人A:2007/12/12(水) 08:23:36 ID:EA3or30m
有難うございました。霊界は心の中に存在するというか輪廻転生も心の中
だと思うのです。ま直感で思うだけですが。正法眼像の法華転法華で
道元さんによると心悟れば法華を転ずると虚空からも仏が次々と湧き出して
くるとあるのでああいう感じと勝手に妄想するのですが。
私間違っても気にしません。

532 :神も仏も名無しさん:2007/12/13(木) 21:28:24 ID:5VLnGC6Q
http://life9.2ch.net/test/read.cgi/psy/1196016310/l50
ここから飛んできますた。

上記スレのネヨという名無しが主張する「天的天使のおしえ」って
ほんとうにスウェーデンボルグ的なんですかね?
それともスウェーデンボルグが使う用語をつまみ食いしてるだけ?

533 :神も仏も名無しさん:2008/01/19(土) 15:42:03 ID:gKd8sTH4
宗教団体のスタッフがやる霊能まがいのものは全部芝居です。
あそこにキツネが座っていて講義をウンウンとうなずきながら
聴いていたから除霊しといたとかいうのも全部嘘です。
絶対にありえません。教団の若いスタッフもこの嘘を本気で信じていますが、
さまざまな文献を研究すれば霊的に見てもありえないということはわかるでしょう。
信者の著名人や医者、弁護士もこのトリックに引っかかっています。



534 :神も仏も名無しさん:2008/01/20(日) 10:18:04 ID:hH6H0j/E
スウェデンボルグは、スウェーデン国名の元となっている方ではないですか?
優秀な科学者で行政の立場でも手腕を発揮していたようです。
私はキリスト教信者ではありませんが、体脱(幽体離脱?)の世界観に興味があり読みました。
ただ、自分の現世利益のために神を利用した宗教屋(神父?)が死後に苦しむ姿は妙に納得できました。
通信が貧弱な時代に遠方の火事をリアルタイムで察知(千里眼?)したり、死者しか知りえぬ情報を正確に肉親に伝えたことは驚異です。
現代のインチキ霊能者には無い力を持っていたのでしょう。

535 :神も仏も名無しさん:2008/02/26(火) 07:56:36 ID:iHLQq4lB
>スウェデンボルグは、スウェーデン国名の元となっている

どこにそんな珍説が?

536 :神も仏も名無しさん:2008/02/28(木) 15:07:30 ID:46Xrtvgs
スンダル・シングが天において見た三位一体は
スウェーデンボルグのそれと同じだ(似ている)が、
スンダルはどのように考えていたのだろうか。
彼の書籍を読むと、刑罰代償的な贖罪を説いていないが。

537 :神も仏も名無しさん:2008/03/08(土) 16:13:18 ID:1e1hsq3B
もう誰も見ていない?

538 :神も仏も名無しさん:2008/03/08(土) 16:46:34 ID:Nag/vct6
(`・ω・´)見てます

539 :神も仏も名無しさん:2008/03/11(火) 11:32:09 ID:TpVpjYkT
アメリカのニューチャーチに疑問を送ったら、
親切に答えてくれたので翻訳転載する。

540 :神も仏も名無しさん:2008/03/11(火) 13:33:45 ID:TpVpjYkT
Q3.
救いに向けた再生は徐々に行われるとありますが、イエスと共に磔にされた罪人はどうなのでしょうか?
イエスは彼に、「今日、あなたは私と共にパラダイスにいるであろう」と言われましたが……。
また、死を目前にした人の改心について、新教会はどのように教えていますか?

A3.
「あの十字架上の盗人は悪人だったが、彼が死を前にして言ったことばで救われたのだ」と、言う人がいますが、
本当に彼は内心から悪人だったのでしょうか?もちろん、彼は盗みのために罰せられていましたし、彼自身が自分の過ちを認めていました。

スウェーデンボルイの著作はこのように教えています。
「人は理性的な確信に従い、状況と偶然性を考慮に入れて、ある人を許すことがあっても、
 判事が裁判の席で法律に基づいて許せないことがある。
 また、死後に断罪される身の人を、判事が許すこともある。
 その理由とは、判事は事実に基づいて判決を下すが、人は死後において
 本人の意思による意図 や それによる理解力によって裁かれるからである。」 結婚愛485

541 :神も仏も名無しさん:2008/03/11(火) 13:37:29 ID:TpVpjYkT
天界と地獄358、471、472は、ある2人が見かけでは同じことを行いつつも、
彼らの性質がまったく異なっている事を明らかにしています。

あの盗人がイエスに話しかける前に言った事から、
彼の性格(性質)をうかがい知ることはできないのでしょうか?

所謂「死の床での悔い改め」というのは誤った信念です。
というのも、「いかなる悪を喜んで行いながらも、
死ぬ前に良いことを言えばよい」ということを示唆するからです。
まさに死のその時に救われる、と考える人がいますが(天界の秘儀4730、7779)、
人の「いのち」の状態が一瞬で変わるとか、
悪い人がたちまち良い人になると考えるのは誤りです。(神の摂理279:4)

542 :神も仏も名無しさん:2008/03/11(火) 13:43:31 ID:TpVpjYkT
実際に死にそうになると簡単に恐怖に影響され、自分の本当の意志を示しません。
エルサレムと天界の教義168によれば、
「自由な状態での悔い改めは有効なものであるが、強制状態のものはそうではない。
強制された状態というのは、差し迫った死などの、理性の働きを奪ってしまう恐怖の状態のことである。
悪にある者は、強制状態において悔い改めを約束するものの、
自由の状態に戻ると、以前の<悪のいのち>に戻ってしまう。
It is otherwise with good. (← “そうでなければ、善とともにある”?) 」

その時点にのみ 悔い改めのことばを言っても、人は改革されません。
しかしながら、「神の摂理142」は病死しそうな人について特に言及しています。
「ただ、病気になる前に改革されていれば、それで強められる事は可能です。」
このことばで終わっていますが、唇ではなくて心の問題である、ということです。

あの盗人の救いは、即座の救いではありません。
イエスは彼の魂を、彼の心が良きことをご覧になられました。
人は突然には改心しません。そのいのちの中に、あの盗人は既に天界を受け入れていたのです。
「天界へと受け入れられる人々というのは、自分の中に天界を受け入れた人々のことです。」

543 :神も仏も名無しさん:2008/03/27(木) 14:55:29 ID:fLPhwQda
hosyu

544 :神も仏も名無しさん:2008/04/25(金) 01:59:03 ID:1qBi7RBW
マッケンロー

545 :神も仏も名無しさん:2008/05/11(日) 21:53:03 ID:rdHGyF78
73 【 天界へ入る生活の容易さ 】

天界に入る生活を送ることは、一般に信じられているほど難しいものではない。自分では不正直で不正だと
知っていても、その方向に心が動いてゆくとき、それは神の教えに反しているから行ってはならない、と考え
さえすればよいのである。そのように考えることに慣れ、その慣れから習慣を確立するなら、人間はしだいに
天界と結合してゆく。そして天界と結合すれば、心のより高い領域が開かれ、そこが開かれるにつれて、不正
直や不正が何かが見えてくる。悪が見えれば見えるほど、それを追い払うことができる。どんな悪も見えるよ
うになってはじめて追い払うことができるからである。

人間は自由にこのような状態に入ることができる。実際そうであることを、誰が自分の自由から考えられない
であろうか。 人間が糸口を作れば、 あとは主が人間に内在するあらゆる善きものを活気づける。すると人間
は、悪が悪として見えるようになるだけでなく、その実行を思いとどまり、ついにはそれから離れるようになる。
これが「わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽い」( 「 マタイによる福音書 」11章30節 )という主のことば
の意味である。

しかし知っておかなければならないのは、そのように考えたり、悪に抵抗したりする困難さは、人間みずから
意思して悪を行う度合いだけ大きくなる、 ということである。 なぜなら、 それだけ人間は悪が見えなくなって、
ついには悪を愛し、愛する喜びから弁解し、 さまざまな偽りによってそれを正当化して、それは許されたこと、
善いことだとさえ公言するようになるからである。 これが、青年期の初期に無鉄砲に悪に飛び込み、心から
神的なものを拒絶する者たちの運命である。

546 :神も仏も名無しさん:2008/05/11(日) 21:53:55 ID:rdHGyF78
74 天界に通じる道と地獄に通じる道

天界に通じる道と地獄に通じる道が、 かつて私に表彰された。 左のほう、 ないし北に向かう一筋の広い道があり、
多くの霊たちがそこを進んでゆくのが見えた。やや遠方に一つの大きな石があり、そこでその広い道は尽きていた。
その石から道が二手に分かれて、 一本は左へ、もう一本は反対の右へ伸びていた。 左のほうへ伸びた道は、細く
て狭く、西から南に通じて天界の光の中へ入っていた。右のほうへ伸びた道は、広々としていて、下のほうへ曲がり
くねって地獄へ通じていた。最初は誰もが、二本の道の分岐点になっている大石のところまでは、同じ道をたどるよ
うに見えた。しかしそこで二手に分かれた。善霊たちは左へ曲がって、天界に通じる細い道に入ったが、悪霊たちは
その石を見ないで、その上に倒れて傷ついた。起き上がると、彼らは地獄に通じる右手の広い道を走りつづけたの
である。

以上のことが何を意味するかについて、私はのちに説明を受けた。最初の道は広く、そこを善霊も悪霊も一緒になって
友達のように話し合いながら共に歩いていった。彼らのあいだには、一見してそれと分かるような相違は何もなかった。
これは、人々が外見では、正しく正直に生きており、お互いに何の違いも見せていないことを表象している。悪霊たちは
二本の道の分岐点となっていた隅の石にぶつかって、そこから地獄に通じる道へ駆け込んでいったが、この石は主の
神的な真理を表象している。 それは地獄のほうへ向いた者たちに拒絶される。 最高の意味では、 この石は主の神的
人間性を表している。神的な真理と主の神性を承認した者たちは、天界に通じる道を選んだのである。

以上のことから分かるのは、外面的には悪人も善人も同じような生活を送り、同じ道をどちらもたやすく歩んでゆくが、
心から神を承認した人々、とりわけ主の神性を承認した教会内の人々は天界に導かれ、承認しなかった人々は地獄
へ導かれる、ということである。


547 :神も仏も名無しさん:2008/05/11(日) 21:54:38 ID:rdHGyF78

人間の意図や意思から発現する思考は、他生では道によって表象され、道はそこでは、意図から生まれる諸思考に
正確に一致した形で、 目に見えるように示される。 またそこでは、誰もが意図から発現する思考に基づいて歩いてい
る。 したがって霊たちの性質や彼らの思考は、歩む道によって知られている。 このことはまた、次のような主のことば
の意味を明らかにする。

狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。
しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。( マタイ7章13〜14節 )

生命に通じる道が細いのは、それがむずかしいものだからではなく、ここで言われているように、それを見出す者が
少ないからである。隅に石があり、そこで広い共通の道が終わり、そこから二本の道が相反する方向へ通じている
のが見えたが、その石は次のような主のことばで説明されるものである。

それでは、こう書いてあるのは、何の意味か。
「 家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。
  その石の上に落ちる者はだれでも打ち砕かれ ・ ・ ・ ・ ・ てしまう。  ルカ 20章17〜18節  」

「 石 」は神的な真理を( また 「 イスラエルの石 」は主の神的人間性 )を意味している。
「 家を建てる者 」は教会に属する人々であり、「 隅の親石 」は、二本の道の分岐点に
なっている場所である。「落ちる」とか「打ち砕かれる」とは、否定して滅びることである。

548 :神も仏も名無しさん:2008/05/14(水) 19:11:32 ID:aHJSb5D3
>>545-547
乙です。

「青年期の初期に無鉄砲に悪に飛び込み……」のくだりは耳に痛い。
今でもやはり罪の残果をひしひしと感じることがある。
でも、カナン目指してえっちらおっちら。

549 :神も仏も名無しさん:2008/05/27(火) 09:09:41 ID:z5TG5T70


550 :神も仏も名無しさん:2008/05/28(水) 20:49:04 ID:jNUX/yqP
「真の基督教」上下巻を探しているんですが…
何処かに売ってませんかね?出版社にも在庫が無いみたいだし(orz

551 :神も仏も名無しさん:2008/05/30(金) 15:33:53 ID:KfgkTsOP
>>550
アルカナ出版は?

552 :神も仏も名無しさん:2008/05/30(金) 21:36:13 ID:EJAa3K2t
レスどうもです。
欠品も多々有りますが、スエデンボルクの膨大な著作を抱える静思社のをコレクションしようと思いまして。
本棚には極力、統一性・整合性を持たせたい神経質で損な性格です。。。

553 :神も仏も名無しさん:2008/06/22(日) 17:41:44 ID:F9brMeCK
>>102
シュタイナー説 ↓


「アストラル界を観察すると、そこに或る種の存在が
 ―そこにいる多くの存在の内の一種類ですが― いるのに出くわしますが、
我々がふつう目にする物質界の存在のもとには、一見、全然姿を現わさないように見えます。
しかしその存在は、実は我々の物質界と関わりをもっているのです。
我々がアストラル界で出会うその存在は、ある種の明確な意志、
明確な意図をもったアストラル的存在です。
我々が座を占めている世界の内側では、そのような存在は、いま述べたように、
アストラル界で出会えるような在り方をもっているわけです。
しかしその存在は、今日空にかかる月に棲んでいる或る種の存在と同じ起源をもち、
それと同族であるのです。
その月に棲む存在は、今日の月上で或る種の物質的在り方すらもっています。
この月上の存在を霊視によって真近かに見ることのできる者は、
これが月上に生息する、或る意味で人間に類似した存在ではあるが、
人間と比べると小人のような者であるということを知っています。
なぜなら、それは6歳ないし7歳の子供の背丈にも達しないほどの大きさしかないからです。
その月上で彼らは独特な活動の機会をもっています。
月上では自然の条件が全く異なっています。
たとえば大気も全く異なっていて、その結果この存在は、
いわばその自分の住みかに戻ると、そこでとてつもなく大きな声で吠える能力、
物凄く強烈な、恐ろしい音声を発する能力を獲得するのです。
この小人状の存在は我々の世界にアストラル的存在として滞在することができます。」
(全集102番「霊的諸存在が人間に働きかける作用」15ページ、1908年1月6日講演)
ttp://www.higusumi.com/japanisch/steiner/ongaku/ototaiken/tsushin/ototaikentsushin15.html

554 :神も仏も名無しさん:2008/06/24(火) 17:20:59 ID:YnwW5MSM
            ↑

これが狼男のモデルとなった月人なんですね!
やっぱりNASAっていろいろ隠してるんだなぁ‥

555 :神も仏も名無しさん:2008/07/26(土) 02:03:42 ID:aYnkp7KY
政府は宇宙人の存在を隠ぺい?=元NASA飛行士が「証言」(時事通信)

宇宙人は「奇妙で小さな人々」と呼ばれているなどと語った。
ttp://dailynews.yahoo.co.jp/fc/science/space_exploration/?1216971527



やっぱりアメリカ人はすでに月の小人に遭遇していたんですね

556 :おてんば私立学院総長 ◆gqBBZUnUPk :2008/07/26(土) 02:45:38 ID:xFqqZ14e
>>555
月面には「サンタクロース」まで存在してるんだって。

557 :神も仏も名無しさん:2008/08/29(金) 16:17:06 ID:CRRA9AeZ
アトランティス信者のシュタイナーの主張が何かの正しさの証明に使えるんかな。
人智学の世界観はキリスト教的な唯一神教じゃないし、ルシファーを人類の進化に
関わる存在だとしている。「アカシャ年代記より」では「日の神々」のグループの
名前であり、リーダーの名前ともされていた。
http://www.bekkoame.ne.jp/~topos/steiner/yucca/yucca-S4.html
に引用された言葉には「聖霊とは変容し復活したルシファーである」というものまである。

スウェーデンボルグとしてもこういう人の説を引き合いに出して欲しくないのでは。

558 :神も仏も名無しさん:2008/09/22(月) 12:45:36 ID:aQAdewNC
>>557
「引き合いに出して欲しくない」どころか、
地獄に由来する迷妄として完全に退けるだろうね。

スウェーデンボルグの著作では、霊界への出入りや交流よりも、
「イエス・キリストこそが、万物の創造主にして保持者なる主である」
ということが重要なのは明らか。
霊界での見聞録は、その統治を補足説明するものに過ぎない。

559 ::2008/09/23(火) 00:50:42 ID:BR1uF4Vj



>>558

>霊界での見聞録は、その統治を補足説明するものに過ぎない。

そのとおり、彼の主著は天界の秘儀であり、聖言の解釈が本旨だ。
そして、聖言を解釈するに聖言をもってするその手法には驚嘆させ
られるほどの合理性を持っている。

スエーデンボルグの霊界についての記述はインドの聖者サンダーシング
と全く軌を一にしている。サンダーシングは人に勧められてスエーデン
ボルグの著書を読み、彼を評して、「最高の聖者」と記している。
サンダーシング自身はエノクのごとく、ヒマラヤの雪のなかに神にとられ
たする記録が残っている。












560 :神も仏も名無しさん:2008/09/23(火) 13:28:51 ID:Rqee7N9C
おお、レスがついてる……。もう人がいないかと思った(笑)

>>559
でも、サンダーはあんまり著書を読んでいなかったようです。
というよりも、読む暇が無かったのかもしれません。
「天界と地獄」は間違いなく読んだでしょう。

しかしながら、サンダー自身が著作の真正を認めていますし、
霊界でスウェーデンボルグと会っています。
サンダーの霊界見聞が、特に救済論においてス氏のそれと
ほぼ一致しているのは、非常に興味深いことだと思います。


561 :神も仏も名無しさん:2008/09/23(火) 13:56:48 ID:Rqee7N9C
ついでに……

"Sadhu Sundar Singh and the New Church"
ttp://www.baysidechurch.org/studia/studia.cfm?ArticleID=113&VolumeID=50&AuthorID=41&detail=1



562 ::2008/09/24(水) 02:19:43 ID:giyhrg+n
>>560

私が驚いたのは、スエーデンボリの記述で、右脳と左脳の機能の違い
(今日ではわれわれの常識ですが)を明確に記述していることでした。」のを読んだ
カントと同時代の彼が脳波による研究法も知らない時代に、左右の脳の機能の差異を
知っていたことは驚異でした。

彼は当時において先端的科学者であり、今の日本で言う科学技術庁長官を
演じ、多くの鉱山土木の設計、潜水艦の設計さえもしている。
その科学性をもって霊界の探究に入った結果が、彼の膨大な著書であろう。

スエーデンボルグの研究者である精神科医ウイルソン・ヴァン・デュセンが、
多くの患者の憑依現象を実験台として、精神病理学からスエーデンボリの霊感の
シンリック性に迫っており、非常に興味深い。
過日、コリン・ウイルソンもその著書で注目して取り上げている。

「霊界の存在」を科学的に確かめるのは簡単なことです。
昔で言う「精神分裂症」患者は絶えず自分の中の他者と対話します。
私もゆえあって、患者が自分の中の他者と語り合っている状態を確認
しています。
そして、患者の信頼する医者は、患者の中の他者と対話できるのです。
その対話において、患者の履歴を徹底して調査したうえ、その患者の
絶対知りえない高度の学術的質問に対して、患者の中の他者が応答
できるのです。つまり、精神分裂ではなく、実際に他者が憑依している
ことがわかるのです。ヴァンデュセンは多くの患者にたいして、多くの
精神科医たちの立会のもとに実験しています。
したがってヴァンデュセンにあっては憑依現象は当然の事実なのです。
つまり、霊が憑依するということは、霊の世界の「存在」を示すことです。




563 :神も仏も名無しさん:2008/09/25(木) 15:27:34 ID:0iCEnaTs
>>562
おお、興味深い。
ある人が幻覚と幻聴に悩まされるのを実際に見たことがありますが、
それは凄まじいものでした。軽いトラウマです。
精神病の人は、悪霊からの流入が大きいのでしょうか。

ス氏の科学者としての業績は異常ですね。
物質界に対する観察眼があるからこそ、
相応の秘儀について記すことを許可されたのでしょうね。

質問なのですが、ス氏の科学者としての著作などは読まれましたか?
アメリカ新教会のブックストアを見ると、
「動物界」や「植物界」といった、科学者としての本もあるようですが。


564 :研究生:2008/10/12(日) 23:55:18 ID:IN0RETzE
何も知らない人のために

スウェーデンボルグの神学の特徴は三位一体説の独自の解釈によります。
イエスが日ごろ用いていた表現、自分とは他社である父と自らである子、そしてその後使わされることになる聖霊という存在、そこから三人の人格があるとされ三世紀のアタナシウス信条によって、三人格でありつつも一人格の神という信条が正統派とされることになりました。
そこには三人格の明確な区別がありつつも一人格というパラドックスが残されたままとなり、その後のキリスト教の歴史に大きな影響を与えることになります。

565 :研究生:2008/10/12(日) 23:55:54 ID:IN0RETzE
絶対者である父と、取り成す子、そして理解しがたい聖霊という存在、明確に区別された存在からそのような構図が生まれ、代理贖罪論や、予定説、いくつもの教理が生まれることになりました。
代理贖罪論とは、信ずる者は救われる、というよく聞くプロパガンダ。
でも、逆を言えば信じないものは救われないのです。
不公平ですよね。
善悪に関わりなく、愛があるか、冷たいか、その人の性質にはまったく関係なく、信じるだけで誰でも天国に行けるというのだから。
そこから当然生まれたのが予定説。
キリスト教を信じるものは天国にいけるし、その他のイスラム教や仏教、神道、ヒンズー教、さまざまな土着のシャーマニズム、アミニズム、または無神論、それらを信望する人はキリスト教を信じてないのだからみんな地獄に行くことになる。

566 :研究生:2008/10/12(日) 23:57:01 ID:IN0RETzE
だから、うまれながらに天国に行く人と、地獄に行く人が決められている、という教理。
これが元来のカルビン派の理論だし、ルター派から必然的に生まれた理論なのです。

スウェーデンボルグが提唱したのは、神的三一性。
三人の人格があるのではなく、イエス・キリストという一人格の中に集約された3つの要素を父、子、聖霊と呼ぶのです。

福音より〜
「ピリポ、こんなに長い間お前といるのにまだお前は分からないのか?」
「私を見るものは私の父を見るのに等しいのだ。」

福音に述べられているように、御子としてのイエスは同時に絶対者である父、無限偏在であるゆえ、内包しているのです。
聖霊とはそこから発出するもの、原因なくして結果はありえず、父とは原因であり、御子とはその結果、聖霊はその効果と考えることができます。
無限偏在で影も形もない父なる存在、ありてあるもの、しかし普通の人にはまったく分からない、その人間的姿がイエスなのです。
そこで登場するのが、神人という概念。
イエスはマリヤによって人間性を取得し、生涯に渡る過程でそのもろさを克服し、十字架は最後の試練でした。


567 :研究生:2008/10/13(月) 00:00:15 ID:FAM9lPLV
そこで人間の固有性とも呼べる罪に陥りやすい弱さを剥奪され、栄化、つまり神的なものとしたのです。
それらが復活によって表現されています。
(スウェーデンボルグによれば復活は、イエスの霊が使徒たちの前に現れたということです。そこにはもちろん目に見えない世界の一大転換があったのですが。)

贖いとはいってもそこには含みがあり、イエスが取り成してくれるのだから、人間はなにもしなくていい。
彼が成り代わって死んでくれたのだから、という安易な信仰は成り立たなくなります。



568 :研究生:2008/10/13(月) 00:02:57 ID:FAM9lPLV
人間の固有性、罪の根は深く、人間自身のいかなる努力によってもそれは取り払われないと言われます。
それはスウェーデンボルグによれば、福音のなかで、イエスが弟子の足を自ら洗ったという出来事によって表現されています。
これは象徴であって、悪い習慣、悪に陥りやすい習慣、天の理にかなわないさまざまな悪事、社会的には罪に定められなくとも、それらは人間の努力によって取り払われず、神的な作用によって取り払われるということを意味してます。
ですが、それは悔い改めを伴っており、形式的なものではなく、実生活において点検し、改善することによってのみ作用するものなのです。
全てが人間的努力の結晶であって、血と涙、汗の結果といえるのです。
ときには嫌でも行わなければならないし、自分を強制してでも良いことならば行わなくてはならず、その積み重ねの中で神的な作用が起り、根源的な罪が除かれるというものです。
起点から見れば全的な人間的努力ですが、終点から見れば全的な神的恩寵ということができます。
私たちは自らの努力として行っても、それは神の恩寵であることを確信しなくてはなりません。


569 :神も仏も名無しさん:2008/10/13(月) 00:03:16 ID:mJORTa1/
スンダル・シングも胡散臭いけどな。
胡散臭い奴が、胡散臭い奴を認めてどうにもなるわけない。

570 :研究生:2008/10/13(月) 00:05:18 ID:FAM9lPLV
しかもそれは謙遜ではなく、真理なのです。
贖いとは、自力と他力との相互作用であり、完全な他力と結論することができます。
だから贖いとは、悪を避け、善を行うことにってのみ成就します。
イエスの掟を守ることもそうだし、各々の宗教に定めるところの教えに従って生きること、仁愛の生活を行うものが何よりも自らを救うのです。
そうして生活に中に生きた善が死後、顕わになって本人の内部の幸福が明らかになります。

福音によれば
「天国は芥子種のようなもの、最初は小さいが育っては空の鳥が巣を作る。」
「隠されているもので顕わにならないものはない。部屋でつぶやいたことが、屋根の上で言い広められる。」
ということになります。


571 :研究生:2008/10/13(月) 00:07:18 ID:FAM9lPLV
信条や信念、信仰だけでは足りず、仁愛によって生きること、その宗教の教えを生活の中で生かすことが必須の条件となります。
天国は、週末は善人になり残りの日は悪魔になる、という人のものではないのです。(週末は教会にいって敬虔に礼拝や、ミサに参加して、寄付もする。でも仕事では人殺しや、あくどいことばっかりやってるような人のこと)
その宗教に関わりなく、良い生活を送るものは天国にいるし、仁愛が自らを救うのです。
これがスウェーデンボルグの神学の特徴といえると思います。(続く)

572 :神も仏も名無しさん:2008/10/13(月) 11:31:28 ID:lpJYSp+P
>>569
スンダル・シングが胡散臭かったら、
世界中の宗教者(聖人)なんて、みんな胡散臭くなってしまわないか?

逆に、胡散臭くない人物って誰だろう? って考えると、
<みことば>にまします主イエス以外にない、ということになってしまうが。

573 :神も仏も名無しさん:2008/10/13(月) 13:38:48 ID:Xw7Gz4Fq
スンダル・シングは謎が多いよな。
個人的には彼の生涯と言葉には感銘を受けた。3年くらい前だが。

574 :神も仏も名無しさん:2008/10/13(月) 15:35:22 ID:Xw7Gz4Fq
スウェーデンボルグには3年前に傾倒していた。
彼の著作こそ完璧な真理を示すものだと信じて疑わなかった。
というか、もともと私が求めていた教義が彼の著作にあったので、一気に引き込まれたといったほうがよい。

今では、彼のいうことがあまりにも合理的で説得力があるところにかえって疑問を感じる、あるいは物足りなく思うかな。
人生も神の御業ももっと非合理的なもんじゃなかろうかと。
あと聖書を象徴的にとらえすぎててつまらない。

575 :おてんば私立学院総長 ◆gqBBZUnUPk :2008/10/13(月) 16:16:35 ID:RDJzyz4O
キリスト教の物差しでは真実の霊界やスウェデンボルグをはかり切れるもんじゃあないんだよ、きっと。

576 :神も仏も名無しさん:2008/10/13(月) 19:08:36 ID:lpJYSp+P
>>574
ス氏の著作は、あくまで「霊的・天的な意味(教義)を
理性で受け止められるようにした」というものだから、
そういう "物足りなさ" "つまらなさ" みたいな感覚は、
自発的にバランスを取っていくしかないんだろうね。祈りつつ。

私は そういう時には、普通のキリスト教の聖人伝や牧師の本を読んでる。

577 :研究生:2008/10/19(日) 23:10:19 ID:VhUyPMIG
わたしは今わたしの幼少期について記しましょう。わたしは四歳から十歳に至るまで絶えず神、救い、人間の霊的な情愛について考えにふけりました
。幾度もわたしはいくたの事柄を明らかにしましたが、そのことで父と母とは大変驚いて、天使たちが私を通して話しているに違いない、と言いました。
六歳から十二歳にかけわたしは信仰について、教職者の方々と話し合うことに喜びを感じることが常であり、信仰の生命は愛であり、生命を与える愛は隣人に対する愛である、と言いました。
また神は全ての人に信仰を与えられますが、しかしその愛を実践するものたちのみがそれを受けることができる、とも言いました。

578 :研究生:2008/10/19(日) 23:11:10 ID:VhUyPMIG
当時わたしは、神は自然の創始者、維持者であられ、人間に理解と善い気質とを与えられること、そこからつづいて起ってくるほかのいくたの事柄以外のいかなる信仰も知りませんでした。
当時わたしは以下のことを教えているところの、かの学ある信仰については何一つ知らなかったのです。
父なる神は誰にでもその御子の義を帰せられ、そうした際には、その好まれるままに、悔い改めもしないし、その生活を改良しなかったものにすらも御子の義を帰せられるというかの学のある信仰については何一つ知らなかったのです。

579 :神も仏も名無しさん:2008/10/19(日) 23:11:43 ID:VhUyPMIG
そしてそうした信仰について聞いたとしても、そのことは今のように、わたしには理解できなかったことでしょう。わたしは情愛と友情との一切をささげ、あなたの最も従順な僕、友としてとどまります。

エマニュエル・スウェーデンボルグ
1769年11月14日
ストックホルムにて。

尊い、極めて学殖豊かな博士、導師、ガブリエル・ベイエル殿へ。

580 :神も仏も名無しさん:2008/10/21(火) 13:49:56 ID:Wi1AaxSN
>>577-579
これは何からの引用?

581 :研究生:2008/10/25(土) 19:08:38 ID:ASclz6uN
神学論文集。

人柄が伝わってきて乙だったので、うpしますた。

582 :研究生:2008/10/25(土) 19:13:47 ID:ASclz6uN
トマス・ハートレイ牧師に寄せたスウェーデンボルグの返書


私は貴方が手紙の中で明らかにされている友情を喜んでおり、その両方のものに対して、衷心から感謝してますが、とくに貴方の友情に感謝しています。
貴方のお褒めになる言葉で私は圧倒されますが、私はその言葉を私の著作に含まれている、いくたの真理に対する貴方の愛の表現として受け取り、それをその源泉であられる方として、私たちの救い主、主に帰しまつります。
主は真理それ自体であられるため、主から真のものがことごとく発しているからです。
私はお手紙の終わりに記されているお言葉を主として考えましたが、そこで貴方は以下のように貴方の考えを述べられています。
「もしかして、貴方が英国から去られた後で、貴方の書かれたものが議論の対象となり、その著者であられる貴方を、ある悪意をもった中傷家に対して弁護する必要が起りますなら、
その中傷家は虚妄のくもの巣により貴方の名声を損なおうと欲するかもしれませんが、真理を憎悪しているものらはそうしたことをやってのける慣わしをもっていますが、そうした中傷家らを斥けるためにも、貴方自身について何か特殊な事柄を、大学における貴方の学位を、
貴方が携わってこられた公の任務を、貴方の名声を確立するに役立つほかのいかなることでも、私のもとにに残しておかれ、そのことにより、質の悪い偏見が取り除かれることが貴方にとり良くはありませんでしょうか。」
私はそのことについてよく考えてみた後で、貴方の友情に満ちた忠告を受けるように導かれました。
それで今貴方に私の生涯について若干の細々したことを伝えましょう。
それは簡単に言って以下のものです。


583 :研究生:2008/10/25(土) 19:14:20 ID:ASclz6uN
私は1689年1月29日にストックホルムで生まれました。
私の父の名はエスパ・スベドベルイであり、父は西ゴートランドの監督であり、その時代では有名な人物でした。
父はまた福音をひろめるために英国協会の一員として選ばれ、登録されました。
なぜならば父はペンシルバニアのスウェーデン教会を治める、またロンドンの教会を治める監督として、王チャールズ12世により任命されたからです。
1710年私は外国へ行きました。
私はまずイギリスへ行き、オランダ、フランス、ドイツへ行き、1714年に故国に帰りました。
1716年にまたその後スウェーデン国王、チャールズ12世と幾度も話し合いましたが、国王は非常に私に好意を示されて、私は同年鉱山協会の監査役に任命され、その官職を1747年まで勤め、1747年にそこを辞任しましたが、しかし生涯にわたってその官職の俸給を受けております。
辞職いたしました私のただ一つの目的は、私が主により命じられました新しい任務にさらに多くの時間を捧げるためでした。
当時私は名誉あるさらに高い官職を提供されましたが、それを決定的に固辞しました。
私の心が誇りのために損なわれることを恐れたためです。
1719年に私はウルリカ・エリアノラ女王により貴族に列せられ、スウェーデンボルグと名づけられ、そのときから私は国会の3年ごとに開催される会期の騎士団の地位の貴族の間に議席を得ております。
私は招待により、ストックホルムの王立科学院の特別会員であり、またその一会員でありますが、決して他の場所におけるいかなる学問上の協会へも入れられることを求めたことはありません。
なぜなら私は天使の社会へ入れられており、そこでは天界と霊魂に関わるような事柄が話し合われる唯一の主題となっているからです。
1734年に私はレイプスイクでフォリオ版で3巻の書籍として「鉱物界」を出版しました。
1738年にイタリアへ旅行し、ベニスとローマに1年滞在しました。


584 :研究生:2008/10/25(土) 19:15:10 ID:ASclz6uN
あらしじゃないです。

585 :研究生:2008/10/25(土) 19:23:57 ID:ASclz6uN
私の家族関係については、私には4人の妹がおりました。
その中の一人はエリック・ベンセリウスと結婚しました。
ベンセリウスは後にウプサラの監督長となり、彼を通して私は2人の彼の後をつぐ監督長たちと親類関係を持つにいたりましたが、
この2人はともにベンセイウスの家族に属しており、エリックの弟でありました。
私の2番目の妹はラルス・ベンセルシュティエルナと結婚し、彼は県知事となりましたが、この2人は何れも無くなっています。
しかしながら私と親類関係にある2人の監督は依然生きており、その中の1人はフィレニウスといい、
東ゴートランドの監督でありますが、今はストックホルム国会の教職院の総裁として務めており、病んでいる監督長に代わっております。
彼は妹の娘と結婚しており、他の一人はベンセルスティエルと名づけられ、ベストマンランとダレカルリヤの監督であり、私の一番目の妹の息子であります。
名誉ある地位を占めている私の親類関係にあるほかのものたちのことは触れずにおきましょう。
さらに私の故国のあらゆる監督は、彼等は数では10人に達しておりますが、また16人の上院議員と最高の公務についているものたちの爾余のものたちは、
私に対して優しい感情を抱いており、彼等はその愛情の年から私を尊んでおり、私は友の中の一人の友として、親しい間柄のものとして彼等とともに生活しておりますが、そのことの理由はかれらは私が天使たちと交わっていることを知っているということです。
王と王妃すらも、その3人のプリンスとそのご子息たちも私に非常な好意を示されており、私はまた王と王妃からかつて招待され、
ご当人自身の食卓で食事をともにしましたが、そうした栄誉は最高の任務についているものたちにのみしか通常は与えられはしないのです。
その後で皇太子が私に私のその同じ名誉を示されました。
彼等はすべて私が故国へ帰ってくることを望んでおられます。
そのため、私は私の国で貴方が恐れられておられるそうした迫害を、それに対して貴方が、極めて友情に富んだ態度で接しようと望まれていますが、
そうした迫害をさも恐れてはおりません。
もしかれらが他のところで私を迫害しましても、そのことも私には何らの危害を加えることはできないのです

586 :研究生:2008/10/25(土) 19:24:28 ID:ASclz6uN
しかし私はこれまで述べましたすべてのことを比較的たいして重要なことであるとは考えておりません。
なぜなら、そのことは主の以下のご配慮のもとに起っている些少事に過ぎないからです。
すなわち私は主ご自身によりき聖い任務へ招かれたのであり、主は極めて慈悲深くも主の僕である私の前に1743年に現れたまい、
その際主は霊界に向かって私の目を開かれて、私に霊たちと天使たちと話すことを与えられ、その状態の中に私は現在に至るまで続いておかれているのです。
かのときから私は、私から見られ、啓示された色々なアルカナを印刷に附し、公刊することをはじめました。
すなわち天界と地獄、死後の人間の状態、神を真に拝すること、聖言の霊的な意味、さらに私たちに救いと知恵とを得させるほかの多くの最も重要な事柄にかかわる秘義として、
そうしたアルカナを印刷に附し、公にすることを始めました。
私が外国へ数度にわたり旅行した唯一の理由は、私自身を有益なものとし、私に託されたアルカナを他に知らせようとする願いでした。
さらに私は私が必要とするこの世の富を十分に得ており、さらに多くのものを求めもしないし、望みもしません。
私は貴方が言われるように、「悪意をもった偏見が取り除かれるために」貴方のお手紙を拝読して、こうした細細したことをことごとく書き記すようになりました。
ではこれにて失礼します。
私は心から、貴方がこの世においても、また次の世においてもあらゆる幸福を得られますようにと望んでおります。
もし貴方が主を見上げ、主に祈られますなら、そのことを得られますことを私はわずかも疑っておりません。


エマニュエル・スウェーデンボルグ


587 :神も仏も名無しさん:2008/10/26(日) 07:35:32 ID:OOtGnSWO
他拋棄了那種認為基督是上帝之子和三位一體的教義。
認為創造是持續進行的、宇宙中每一事物都屬於一個系列,每個系列都有三個不同的度,這三個度由目的、原因和結果聯繫起來。
每一結果都是下一較低系列的目的。
創造的最後目的只能通過人來完成。
他的想像力和宗教思想一直是巴爾扎克、波コ萊爾、愛默生、葉芝和斯特林堡這些傑出作家靈感的源泉。

http://zh.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E6%9B%BC%E7%B4%90%C2%B7%E6%96%AF%E5%A8%81%E7%99%BB%E5%A0%A1


・・・・・異端的。


588 :研究生:2008/10/26(日) 15:07:33 ID:xdomOJ30
罪を取り去ることの意味について今若干述べよう。
罪を取り去ることは人間を贖い、人間を救うことと同じ事を意味している。
なぜなら主は救いを人間に可能にするために世に来られたからである。
彼が降臨されなかったなら人間は一人として改良され、再生し、かくして救われることはできなかったであろう。
しかしそのことは主が悪魔からその全ての力を剥奪されて、その人間的なものを栄化された日に、すなわちそれを主の父の神的なものに結合された後に可能となったのである。
もしこれらの事柄が為されなかったなら、誰一人永久にいかなる神的な真理を受けることはできず、ましていかなる神的善を受けることはできなかったであろう。
なぜなら悪魔は前にはその力はさらに強かったため、それを人間の心から抜きとってしまったであろうから。
以上述べたことから、主は十字架の苦難によって罪を取り去られたのではなく、主を信じるものたちの中に主の戒めに従って生きることによってその罪を取り去られる、すなわち遠ざけられることが明白である。

(『イエス・キリスト』エマニュエル・スウェーデンボルグ著)



589 :研究生:2008/10/26(日) 16:02:38 ID:xdomOJ30
この(アタナシウス)信条のあらゆるものは三人格の三一性に代わって一人格の三一性が理解されるなら、その言葉の表現に関する限り真であることは、もし私たちがこの後の三一性をそれにおきかえてそれを再び書き写してみるならば認められるであろう。
一人格の三一性とは以下のものである。
すなわち、主の神的なものは父であり、神的な人間的なものは子であり、発出する神的なものは聖霊である。
この三一性が理解されるとき、その人間は一人の神を考えてそれを口にすることもできるが、もしそうでないと三人の神を考えないわけにはいかないことを誰が認めることができないか。
アタナシウス自身そのことを認めたのであって、それが以下の語が挿入された理由である。
このことは結局、キリスト教の真実性によって三人の神、三人の主を承認し、また考えることは許されてはいるものの、それでもキリスト教信仰によって、一人以上の神、一人以上の主といったり、また名指したりすることは許されていないということとと同一である。
それでも人間を主と天界とに連結させるものは承認することと考えることであって、単に言うことではない。
さらに一つのものである神的なものがいかにしてその各々が一人の神である三つの人格に分割されることができるかを把握することはできないからである。
そしてその三つのものを本質的または原質を通して一つのものとすることは三人の神の考えを除きはしないで、単に三神の合意性を考えさせるにすぎないのである。

(『イエス・キリスト』エマニュエル・スウェーデンボルグ著)

590 :研究生:2008/10/26(日) 16:47:04 ID:xdomOJ30
十字架上の苦難が実際上贖罪であったことは教会の根本的な誤りである。
この誤りは永遠から存在する三人の神的人格に関わる誤りとともに全教会をゆがめ、ために霊的なものは何一つその中に残されていない。
現今いかなる教義といえども以下の教義ほどに、すなわち父なる神が人類を怒り、これを斥けたのみでなく、さらにこれに刑罰の宣告を与え、
これを破門したが、しかし恵みと慈悲があるため、その御子を説得し、あるいは強要してこのふりかかってきた呪いを彼自身に負わせ、
そうすることによってのみ父は人類を恩恵をもって見ることが出来たというほどに正統派の著作に見られるものはなく、またその教義ほど学校に熱心に教えられ、説かれるものはない。
またこの教義によればこれは子によって為されたのであり、彼は人類に宣告された呪いを自分に負い、自らユダヤ人に鞭打たれ、ついには神に呪われた者として、十字架につけられるのを許したのである。
さらにこのことが為された後、父なる神はなだめられ、その子を愛することによって、刑罰の宣告を取り消したのであるが、しかもそれは子が取り成しをするものにのみ取り消されるのであり、かくして彼は永久に父の御前に調停者となったのである。
こうした、またこれに類似した教義が現今教会に述べ伝えられ、その壁から反響し、列席者すべてのものの耳に満ちている。
しかし健全な理性を持ち、聖言に照示されているものはすべて神は愛そのもの、善そのものであるゆえ、慈悲そのもの、憐れみそのものであり、それが彼の本質であることを理解することができるのである。
それゆえ、慈悲そのもの、あるいは善そのものが人間を怒りをもって見、その破滅を決定しつつも、なおそれ自身の神的本質を保留することができるということは矛盾である。
こうした事柄は正しい人間、あるいは天界の天使にもほとんど帰せられることは出来ず、むしろ邪悪な人間、あるいは地獄の霊に帰せられ得るものであり、それゆえこれを神に記することは神を涜すことである。

(『真のキリスト教』エマニュエル・スウェーデンボルグ著)

591 :神も仏も名無しさん:2008/11/24(月) 22:14:03 ID:ibOV9aIy
読みにくいので、改行を工夫してもらえると助かります。

592 :神も仏も名無しさん:2008/11/25(火) 20:07:59 ID:WcnI8IsE
このスレ汚い!

593 :神も仏も名無しさん:2008/12/05(金) 18:37:21 ID:T7w5YVle
スウェーデンボルグの若いころってつり目で結構イケメン

594 :神も仏も名無しさん:2008/12/29(月) 21:03:23 ID:Lg5wN9jd
スウェーデンボルグの夢日記を読んだけれど、
かなり壮絶な悔い改めを経験しているではないか!
これは多分に予想外な一面だった。

595 :おてんば私立学院総長 ◆gqBBZUnUPk :2009/01/10(土) 23:38:23 ID:W1YJ5C3F
>>594
霊界における「限りない純化」の法則の大局を充分に把握できないままに
一般大衆に誤った霊界のことを紹介してきてしまったのが原因とか?

596 :神も仏も名無しさん:2009/01/14(水) 13:15:54 ID:ns+7tYZU
肉体の欲、貴族としての高慢、学者としての名声欲・知識欲などと
彼は徹底的に戦い、殲滅せねばならなかった。

罪に汚染されている状態では、
事実を都合よく捻じ曲げる恐れがあったからではなかろうか。
神のペンとなるには、それに相応しい性質を持たねばならなかったのだろう。

597 :神も仏も名無しさん:2009/01/14(水) 16:37:47 ID:KTNfDn3c
柳瀬氏がコンペンツアルからジェネラルチャーチ系に移ったのも心境の変化がうかがえて面白い。
コ派とジェ派がどう違うかというと仏か釈迦かというのに等しいくらい違う。
聖書をあくまで聖典としてスの批判的研究もするコ派と聖書もスの著作もともに聖典とするジェ派。
いずれが真か偽か議論すること自体西欧的な発想で多神教の日本人からすればどちらも真で可。

598 :神も仏も名無しさん:2009/01/14(水) 16:52:02 ID:KTNfDn3c
ス派の教会の欠点は教会から神秘を取り去ってしまったこと。
フランシスコが戦乱を止めるために風を吹かせたとか。
エゼキエルや、エリヤがとんでもないことやったような神秘的な要素を近代的なアプローチで取り除いてしまったこと。
子供がマリア様見たとか。
その結果、教会から祈りが消えてミサが下手なカルチャーセミナーに陥ってること。
内村鑑三が最後に十字架にたどり着いたのもそんなところから。
教会から十字架まで取り去ることないじゃん。

599 :神も仏も名無しさん:2009/01/14(水) 16:53:35 ID:KTNfDn3c
カトリックの欠点はス派のような近代的アプローチを否定してしまってること。
とくに神父が独身なのはとても気持ち悪い。


600 :神も仏も名無しさん:2009/01/14(水) 17:00:51 ID:KTNfDn3c
そもそもスは新しい分派を作ることが目的ではなく、キ教の啓蒙、意識改革が目的だった。
だから鈴木大拙がいつまでも仏教者であったように、それぞれの宗教をもったままス的アプローチを試みる、
というのが最も本質的、かつ合理的。
宗教と言う枠組みでとらえようとすること自体がナンセンス。
ス派になりたければ赤十字だっていいはず。



601 :神も仏も名無しさん:2009/01/14(水) 20:57:34 ID:P04/Uh3t
キリストのキはキ印のキ

602 :神も仏も名無しさん:2009/01/15(木) 14:48:34 ID:lh0QdF5c
>>597
上手い事 言いますなあ。
でも西欧的ではなくて、良い意味で合理的だと思うよ。
ス氏本人が「主から直接に啓示を受けた」と言っているんだから。
聖書と同列ではなくて、第二聖典とすべきなのでは、と思うけれど。

>>600
同意する部分もあるが、それは違うと思う。
というのも、「死後にイエス・キリストを唯一の神として
受け入れない者は、誰も天界には入れない」と書いているから。
神はイエス・キリストとして認識されるのをお望みである、
というのは、聖書と彼の著作から確かなこと。

603 :神も仏も名無しさん:2009/01/16(金) 15:40:11 ID:sAzOz52r
イエスキリストを内的に受け入れるとは宗教を限定するものではないから。すべての真理はイエスキリストに関わりを持つというところからたとえ生前イエスキリストを知らなくとも善良な異教徒は内的に主を認めているというし、それは唇の信仰とは区別しなくてはならないから。
天国はさまざまな宗教の人々から成りたっていると『天界と地獄』には書いてあるし、差し支えなければ貴方の『主はイエスキリストと認識されることを望んいる』というのはどの著作のどの部分からでしょうか?
浅学な私の勉強のために教えていただけませんか?




604 :神も仏も名無しさん:2009/01/16(金) 15:45:09 ID:sAzOz52r
後、レスくださってありがとうございます^^


605 :神も仏も名無しさん:2009/01/20(火) 22:51:16 ID:mLKLqefj
AGE

606 :神も仏も名無しさん:2009/01/24(土) 21:56:34 ID:dgto2xUO
宗教と言う枠組みでとらえようとすること自体がナンセンス

と言ったのは、カントの「この実在的宇宙は感性界から区別されねばならない英知界である」
の英知界ということ。

といっても僕はカントの英知界は知らない。

607 :神も仏も名無しさん:2009/01/24(土) 22:24:08 ID:/diQuilf
スウェーデンボルグも結局、キリスト教徒しか天国に入れないって言ってるの?

608 :神も仏も名無しさん:2009/01/24(土) 22:26:14 ID:/diQuilf
鈴木大拙って地獄に落ちたの?

609 :神も仏も名無しさん:2009/01/24(土) 22:43:30 ID:/diQuilf
新しいエルサレムとは宗教の枠組みを超えた、つまり感性界から区別された英知界による
アプローチによって出現する新しい方向性のことだから、分派どころか宗教の区別もなし。

本当の意味でのスウェーデンボルギャンとは、そんな風に宗教の本質を理解し、
無信教であってもス的アプローチによって生命の問題を捉える人々のこと。

そういう人たちだけが新しい時代を作ってゆきます。

610 :神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 20:39:33 ID:knOEey7J
>>603
遅くなりました。どうか謙遜なさらず・・・。

仰る通り、内なる信仰は唇の信仰とは区別されます。
私が言いたいのは、
この世でイエスキリストを信じなければダメ、という意味ではないのです。

どこに書いてあるかは失念していますが、
著作は「主は、より充実した善と真理に人を導いておられる」
と繰り返しているはずです。
何より、主イエスの神性を受け入れることは
何にも増して大きなメリットがあります。

しかしながら、このあたりの議論はややこしいものになりそうですね。

611 :神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 20:50:28 ID:knOEey7J
「善良な異教徒」という表現もけっこう曲者で、
「内なる命を保つ異教徒」と言う方が適当だろうか。

「天界と地獄」を読むと、肯定的な記述が多いような気がする。
この著作は、主の愛と知恵が 如何に霊界と住人を統治しているか、
ということの見聞録のように思える。
肯定的な雰囲気が感ぜられるのは、そのせいだろうか?

612 :神も仏も名無しさん:2009/01/31(土) 16:34:37 ID:EdV9vlle
>>598

>その結果、教会から祈りが消えてミサが下手なカルチャーセミナーに陥ってること。
>内村鑑三が最後に十字架にたどり着いたのもそんなところから。
>教会から十字架まで取り去ることないじゃん。

私もス派で受洗しましたが、近所に教会はないので、一人です。
最近、ス氏の膨大な、しかし同じ内容の著作 善 隣人愛  悔い改め、主へより頼むこと、などなど確かにそうだと思う反面、自分の霊性がいっこうに上がっていかない、と思い、他のもう少し方法論として実践的な教会へ移ろうかとも考えています。特に祈りの部分に関して。

十字架についてもよくわからないところで、おそらくとてつもない奥義なのだろう、と思うのですが、ス氏の著作を読んでもピンときませんでした。

その内村鑑三が十字架にたどり着いたというのはどういう意味ですか。また、著作名などわかればお教えください。



613 :神も仏も名無しさん:2009/02/01(日) 13:51:59 ID:xv7+amvT
>>612
(598氏ではありませんが)
私は普通の教会で受洗して著作を知ったのですが、逆に、著作を読んで
「十字架」の秘儀が ほんの少し開かれたように感じました。
信仰の折り合いが付かないので、その教会を離れて今は1人です。

「天界にいけるのか」「十字架って何だろう」と
考えているあいだは、答えも霊性も得難いように思います。
主の御摂理に参加しようと、みことばを行なっていくこと、
それこそが十字架を垣間見る上で、最も確かな道となるのではないでしょうか。

614 :神も仏も名無しさん:2009/02/01(日) 18:48:17 ID:lvbDYU3i
その何故なるかを知らず
ただ心底深きところに大なる平安の宿るを認む
他人の幸福を羨まず
過去の不幸を悲しまず
ただ今日あるを感謝す
前に希望の横たわるあり
後ろに恩恵の残るあり
救済は確かめられて日々故郷に近づくの感あり
こを思い彼を想いて両眼の感涙にただようを覚ゆ

内鑑

この言葉にとても感じたことがあります
内の一端が見える気がします。
本人も十字架信仰と言ってたはず。



615 :612:2009/02/02(月) 21:05:37 ID:RLENzvfS
>>613
、みことばを行なっていくこと、

この部分ですが、ス氏の著作でも、自ら行わないこと、というのが明記されており、
結局、信仰義認とどう違うのか、最後にはよくわからなくなってくるのです。

>>614
どうも


616 :神も仏も名無しさん:2009/02/04(水) 08:44:58 ID:FYwHRLiJ
>>615
私は逆に、「あたかも自分が行なうように行なえ」
というのが大原則だと感じました。
真のキリスト教に「愛は形相(かたち)を通して働く」とあります。
自発的に何でもしてみればよいのではないでしょうか?

・思い・ことば・行いを点検し、落ち度があれば、しばらく主に祈る。
・聖書、特に福音書を読む。
・主に感謝すべきことを考える。
・誰かのために祈る。
・困っている人を助ける。
などなど、いろいろと思いつくことをやってみればいいのではないでしょうか。
山上の垂訓のことばに一歩でも近づけるように、とも言えるかもしれません。

617 :神も仏も名無しさん:2009/02/04(水) 11:22:04 ID:oq48Qvbj
スウェーデンいい国。。
納税は良質の投資と言ってたけどスの<仁慈の義務>が根底にあると思われ。
天国は有用性の王国というように誰もが亡くなるまで働くことが出来るのが本当の福祉だと思うのですが。
スはスウェーデンに影響力の強い人だったから今の福祉王国ができたらしい。
でもこの形だけを日本に持ってこようとしても失敗すると思います。
メンタリティが全然違うから。
どう皆様?
消費税25%


618 :おてんば私立学院総長 ◆gqBBZUnUPk :2009/02/04(水) 23:26:37 ID:CeQ3l58b
>>617
世界に冠たる高福祉の国を作り上げられた一方で、かの国における自殺率も高水準となってしまったがために、
改めて生き甲斐というものの再認識を迫られることとなったがためにスウェデンボルグという、自国の誇る偉大な科学者・哲学者もが再評価されつつあるろいうのも歴史のアイロニー?

619 :神も仏も名無しさん:2009/02/05(木) 17:38:24 ID:isCe/3yN
「スウェーデン人は理解力が優れていたために、
真理をより酷く歪めてしまった」ってどこかに書いてあったような。
スウェーデン人であっても、ス氏なんて殆ど誰も知らない気がする。

「死ぬまで何か用を果たせる社会」っていうのは本当に大事だろうねぇ。

620 :615:2009/02/05(木) 20:47:59 ID:RvtQ9sGg
>>616

あたかもの法則ですよね。
それが、そうではない気がする。
論理的な矛盾が多分あります。

大前提
1 我々は、悔い改めなければならない、大罪人である。

その罪人が、自分の力で、あたかも自分の力でやっているように、なにかできるでしょうか。
そして、行いを正したとき、その行いの功績を自らに帰した、として責められるわけです。

うまくは言えませんが、読みけれないほどの難解な著作、そして上の矛盾点、
論理的な勉強に専念させて、本来の単純な信仰を失わせるようなものを感じます。

621 :神も仏も名無しさん:2009/02/06(金) 11:30:20 ID:QiDQBFpR
継続的秩序における同時的生成といっても誰にも分からないのと同じ。
スの観照は常人を越えてたから。



622 :神も仏も名無しさん:2009/02/06(金) 15:49:10 ID:xMAqAM7f
>>620
行いを正して、さらに内部(性質)の変化を祈り求めなければなりません。
外部だけでは内部は変わりません。

例えば私は、ある依存症なのですが、
主に祈ると確かに明るいエネルギーを与えられ、邪念から遠ざけられます。
しかしそれで清められるわけではなく、
「悲哀」や「荒野」のような状態を通過させられます。
このとき、かなり苦しみます。(でも希望がある)


623 :神も仏も名無しさん:2009/02/06(金) 16:18:11 ID:xMAqAM7f
依存症のみならず、性格的にも
このプロセスを経て自分が改善されていく事を体験しています。

1. まず、悪い行い・思いを止める。
2. 自分の魂から、悪を除いてくださるように主に求める。
3. 試練/誘惑に耐える。
4. もしも功績感が生じたら、
  今度はそのような悪から救ってくださるように主に求める。

これを何度も繰り返します。
悪の種類にもよるでしょうが、1度くらいでは滅びません。

624 :神も仏も名無しさん:2009/02/06(金) 16:20:03 ID:xMAqAM7f
著作の量(内容)に関しては、ヨハネ福音書の最後の節にある通り。
私は著作を読んでいたのですが、ある時、
「何のために読んでいるのか」という事について考えはじめました。
結局、頭に詰め込むだけなら
エジプト人、ペリシテ人になってしまいます。
著作を水とするならば、祈りや奉仕はパンではないでしょうか。
どちらも適量が必要です。

だから、ある程度 著作を読んだならば、
あとは聖書と祈りに専念したほうが良いのではないでしょうか。
再び知識を得るべき好機は、主が用意してくださると思います。

625 :神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 10:27:45 ID:cHSKEGVK

死後の世界はありません。

おわり。

626 :神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 11:41:52 ID:hHXOHKH6
感覚的迷妄。
地球に生きてる人達が地球が太陽の周りをまわってるのに気付かなかったのと同じこと。
紫外線も見えないくせに視覚を信じるのはコペルニクスを迫害したカトリックとある意味似てるんじゃない?
宇宙人だって日本政府が信じようとしてる時代に。
死後の命は可能性を残しておくのが賢明な態度でないのかな。



627 :620:2009/02/07(土) 22:54:59 ID:7soy70/s
>>624

ありがとうございます。やはり、祈りと試練のプロセスなんですね。

私は、読書派で祈りの時間は、皆無なんです。

それで、そういう意見もでるわけです。

ある程度、祈りの習慣のある方には、どの派であっても、一定の常識的理論体系があればそれでいいのかもしれませんね。


628 :神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 15:39:57 ID:Zcmo5hJi
>>627
おお! 私の書き込みが何か示唆になったのなら、これほど嬉しい事はありません!
あなたの祈りが祝福されるように、主にお祈りし続けます。

祈りもまた 戦いと学びですが、主が導いてくださります。
依存症で七転び八起きな私が言うのですから、間違いありません。
仰る通り、本当の意味で祈りがしっかりしている人は、派閥に限らず
思慮ある良い信仰をお持ちの方が多いような気がします。
祈りの人になりたいものです。

629 :627:2009/02/09(月) 22:00:02 ID:7gzDf586
>>628

ありがとうございます。やはり、理論的な話より、その方の実体験に基づくお話は説得力があります。
うすうす感じていたことが、明確になりよかったです。
祈れるようになれるように、主に祈ってみたいと思います。
ただ、これだと、祈れない人は永遠に祈れないような・・・。


630 :神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 05:59:46 ID:hMaVviJI
天界か

631 :神も仏も名無しさん:2009/02/12(木) 13:45:07 ID:o4KYwljl
>>629
"祈らない"と"祈れない"では、少し異なる気がしますが、
端的に言うと、自己責任なのです。

ルカ11章にあるように、祈ることは主の命令(みこころ)です。
「求めよ、さすれば与えられる」と言うとおり、
祈りは主との絆となっていくことでしょう。

ただ、霊的な幸福と同じく 辛酸も味わって、
「自分がいかに可能性を与えられ、前進できるか」
「実際は自分がいかに無力で、些細な事に翻弄されるか」
ということも少しずつ教えられています。
これぞ"あたかもの原理"ではないでしょうか。

一筋縄ではいかないもので(特に私は……)、
「信じなさい」とひたすら繰り返しておられるのも頷けます。

632 :629:2009/02/16(月) 20:23:05 ID:mFMjY8Bu
>>631

そうですね。自己責任、神は義であり、愛である、お方ですから、自己責任において、タラントにおいてそれを使わなかった僕には厳しいのでしょう。甘えるのもいい加減にしろ、という感じですか。愛と義の神というのは、本当に理解が難しいです。


633 :神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 18:05:49 ID:zpKILRz3
「甘えるのもいい加減にしろ」というより、
「勘違いしてはいけない」という方が適当かも。

「聖書は私について証している。」
「律法の一点一画も過ぎることはない。」
「十字架を負いなさい。」
と言われるている事からも、まるで入場券のような救いを期待するのは、
主の慈悲に対する勘違いなのです。
ただ、律法的になるのも勘違いなのが難しいところです・・・。

634 :神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 22:12:17 ID:aIappGmL
スはカテキズムを引用してるから信仰態度はカトリックと同じなんじゃない?
主に直接近づきまつることと言ってるから権威主義的なものや形式主義的なものを取り去ったもの という感じがするけど


635 :神も仏も名無しさん:2009/02/28(土) 10:18:46 ID:C3BblzmJ
取り去ったわけではなく、
権威や形式は、内的なものを表す器として役立つように用いなさい、
という感じなのでは?

一言にカトリックといっても、実際的な信仰と迷信的な信仰では、雲泥の差がある。
ス氏はルーテル教会の牧師の息子だったから、
ス氏個人の信仰生活にはその影響があったかもしれない。
著作からはそんなカトリックのような雰囲気は微塵も無いように思うけれど・・・。

636 :神も仏も名無しさん:2009/02/28(土) 17:22:14 ID:clzDOgz+
「権威や形式は、内的なものを表す器として役立つように用いなさい、」

舌足らずでごめんなさい。カトリックの権威的または形式的なものについて言いました。



637 :神も仏も名無しさん:2009/02/28(土) 17:51:06 ID:clzDOgz+
「著作からはそんなカトリックのような雰囲気は微塵も無いように思うけ・。 」

スは三位一体性やコンスタンチノ−プル信条を否定しているのではなくより明確にしています
だから修正キリスト教と呼ばれているしス自身カトリックから(おそらく権威主義、形式主義から)離れれば救われると言ってます
どうしても救われないのは信仰のみによる救済を文字どおりに確認した人々(そんな人実際にはカルトしかいません)
スは死後の救済は生前の行いにあって教皇が決めるものではないし、隣人愛を否定したところの信仰によっても救われないと言ってるようです



638 :神も仏も名無しさん:2009/02/28(土) 19:27:19 ID:clzDOgz+
信じるのみでは誰も救われない。仁愛の生活を送るものが救われる。

ジェネラルチャ−チの説教
これどちらかというとカトリック的だべ。


639 :神も仏も名無しさん:2009/03/01(日) 10:37:14 ID:X+Nn4IOn
>>636-637
なるほど。仰るとおり、著作は否定するのではなく
"訂正と明確化"に主眼を置いていますね。
「アタナシウス信条」という本は特にそうだと思います。
おかげで新しい見方を発見できました。ありがとう。

>>638
カトリックでも、教義の食い違いがあるだろうから定義は難しいでしょうね。
このスレのどこかに書いていた人がいたけれど、
カール・ラーナーに似ていると思います。
宗教界の状況は、まるで士師記の最後のよう。

640 :神も仏も名無しさん:2009/03/02(月) 20:33:27 ID:54t1vhIy
>>638

しかし、主により頼むことなしに自力で仁愛の生活を送ることはできない。

となり、結局は、ルターの信仰義認へと戻っていくのです。

よって、カトでもプロでも悔い改め、信仰のみに生きる人は救われるが、自力で仁愛に生きようとする人は救われない。

となります。


641 :神も仏も名無しさん:2009/03/03(火) 23:07:00 ID:z70Y168m
ルタ−自身は祝福された人々のなかにいるとスはいってます
卓上語録や他の論文を総合的に研究した人達は行いの重要性をみとめていてスはカトリックもプロテスタントも教理の点では結局のところ同じだといってます
小さな子供はもし先生が好きならそのいいつけを守るし守らないなら先生を嫌ってるということになりませんか?
いろんな言い訳をして守ろうしないのはやっぱり嫌ってるからだと思うのですが。
好きならばなんとか失敗しつつも守ろうとするものですよね。
そういう子供を見て先生はどう感じるでしょうか。




642 :神も仏も名無しさん:2009/03/03(火) 23:20:34 ID:z70Y168m
主により仁愛の生活を送ることは信仰義認かどうか
行いは音調を汚すからかえって行ってはならない、義認、転嫁など。
信仰義認とか代理贖罪論はそういうもんだから。

643 :神も仏も名無しさん:2009/03/07(土) 08:59:18 ID:Pk6fxdMS
「黙示録を読む」
メールマガジン:
http://archive.mag2.com/0000007108/index.html


644 :神も仏も名無しさん:2009/03/10(火) 19:53:15 ID:atfdXp4f
>>641

小さい子供は自力で行おうとしますよね。
しかし、我々は自力で行うことはできない。
ここに気づかないと、ス派の行いという迷宮に陥ってしまうこととなる。




645 :神も仏も名無しさん:2009/03/10(火) 19:54:55 ID:atfdXp4f
>>642

行ってはならない、ではなく、自力では行えない、ということです。


646 :神も仏も名無しさん:2009/03/15(日) 15:11:31 ID:DirFcwCu
>>645

自力で行えない、というのは行ってはならないということとどう違うのですか?

あなたはどういう人ですか?

647 :神も仏も名無しさん:2009/03/15(日) 18:11:20 ID:5TNKC1lk
公教要理

第二部 守るべきこと
185* 救霊(たすかり)を得るには、天主の御教(みおしえ)を信ずるだけで足りますか。
  救霊(たすかり)を得るには、天主の御教(みおしえ)を信ずるだけでは足りません。罪を避け、徳を修め、すべての御掟を守らねばなりません。
    汝若し生命に入らんと欲せば掟を守れ」(マテオ 19:17)(マテオ 7:21)
霊なき肉体の死せるが如く、行いなき信仰も亦死せるなり」(ヤコボ 2:26)

361* 人は自分の力だけで教を信じ、掟を守り、救霊を得ることができますか。
人は聖寵に依らなければ、教を信じ、掟を守り、救霊を得ることができません。
「我を離れては汝等何事も為す能わず」(ヨハネ 15:5)(エフェゾ 2:8、フィリッピ 2 :13)

366 助力の聖寵が与えられれば、それだけで直に救霊を得ることが出来ますか。
   救霊のためには、助力の聖寵が与えられるだけでは足りません。之に力をあわせることが必要であります。


648 :神も仏も名無しさん:2009/03/16(月) 09:46:55 ID:HrFDqI+z
age

649 :神も仏も名無しさん:2009/03/16(月) 23:07:48 ID:swKFyAhQ
>>646

意味がぜんぜん違います。

ちょうどいいので647さんのコピペをすると、

「我を離れては汝等何事も為す能わず」(ヨハネ 15:5)

これが自力では行えない、ということであるし、

信仰義認のいきすぎた解釈として、さらに

642さんのコピペすると、

行いは恩寵を汚すからかえって行ってはならない、

これが行ってはならない、とする誤った解釈です。

私は、信仰義認の教えが納得できず、ス派で十選しましたが、ス氏の教えでは救われないのではないか、とおもい正統派に戻ろうとしているものです。


650 :神も仏も名無しさん:2009/03/19(木) 19:21:27 ID:7ctZuuw+
ありがとうございます。
でもちなみに
『之に力をあわせることが必要であります。 』
というのは自力のことではないですか?
ス神学では自力で行うことも本質的な意味ではすべて他力なのです。
ただその表現が難しいのでカテキズムをあげてみました。
大差はないようですね。。
勉強になりました。


651 :神も仏も名無しさん:2009/03/22(日) 22:16:10 ID:TF8JDcf7
霊界はない。
完。


652 :神も仏も名無しさん:2009/03/25(水) 09:35:28 ID:zUGsQTMW
a

653 :神も仏も名無しさん:2009/03/27(金) 01:13:29 ID:+WN9cBUT
人は亡くなると最大三十年中間の世界に行きます
生前と変わらない生活をするうち本性をあらわにして天国か地獄に行きます。回忌供養が必要なのも三十年。それを過ぎると必要ないです。てもお盆とかハロウィンになると地獄に堕ちた人も子孫のところに帰ってきます
なのでちゃんと供養して下さい。お骨をひもろぎにして帰るのですが散骨してしまうと現世に帰りにくくなるらしいので近い人は気をつけてください。また脳死は死ではないので臓器移植考えてる人は心臓止まるまで待ったほうがいいです。

654 :神も仏も名無しさん:2009/03/27(金) 01:14:26 ID:+WN9cBUT
ペットにはペット専用の天国があるし子供向けの天国もあります。いわゆる水子地蔵 保母の天使もいます。なので安心です


655 :神も仏も名無しさん:2009/03/27(金) 01:15:17 ID:+WN9cBUT
あの人と一緒のお墓はやだという人もいるかも知れません でも死んだら霊の世界に行くのでお墓は関係ありません 地獄に行った人は天国の人に近づくことすらできない別世界です 家柄も身分もこの世だけのもの


656 :神も仏も名無しさん:2009/03/27(金) 01:26:07 ID:+WN9cBUT
霊界では照応した姿になります 純粋な人は子供に 悟りのある人は老人に よこしまな人は化け物になります

657 :神も仏も名無しさん:2009/03/27(金) 01:26:58 ID:+WN9cBUT
だいたい普通の人ですと20代から30代くらいの姿になってほぼ止まります 個人差はありますがこの間死んだおばあちゃんも時間が経つと若返ってることが多いです

658 :ポポイ:2009/04/12(日) 17:52:53 ID:WxUMhBvv
浪々ポントスさん、あなたのホームページをあなたの死後も利用させていただきます。
ちょっと言わせていただければ、ホームページがカトリック主義に傾いています。
ヴァッスーラの本の中で、プロテスタントも含めて、三本の柱とイエスは言っています。
私は最近、主イエスキリストと会話できるように成りつつあります。そこで、聖母崇拝の正しさを
かなり理論的に証明します。スウェーデンボルグ補完みたいな感じで。かなり将来的ですが・・・。
皆様、ウィキペディアに書いてあるスウェーデンボルグの「最後の審判」に対する批判はこう考えては
どうでしょうか?ヨハネの黙示録で、ヨハネは「未来の天国の情景」を見せられています。
スウェーデンボルグも「未来の天国」を見たのではないのでしょうか?
「最後の審判」の年代は間違っているとは思いますが・・・。
「悪人の子は悪人、善人の子は善人」それでは自由意志はどうなるのでしょう?と
私はイエスに尋ねましたが、イエスは答えてくれませんでした。
問い自体は正しいけれど、スウェーデンボルグ的に書けば「神的摂理により現世
で、知る事は許されなかった」という事になります。
スウェーデンボルグ主義者のHPでは、「天界の秘義」からの引用ばかりで、
それではまるで「スウェーデンボルグ教徒」みたいです。
それはそれで私は「救われる」と思いますが、一般人からは
外見的に「キリスト教徒」にあまり見えないと思います。

659 :神も仏も名無しさん:2009/04/23(木) 23:36:40 ID:/v1t1B3B
あげ

660 :神も仏も名無しさん:2009/04/24(金) 07:13:45 ID:mgYzL8L/
ヴァッスーラは個人的には怪しいと思ってる。
差しさわりの無いことばかり言ってるし、スウェーデンボルグも含めて
夢想家というか神秘家は、ものごとをあまり建設的な方向には向かわせない。
イエスは、極めて世俗的な例えで神の概念を語った。
現実から遊離してしてしまった宗教家は狂信者とあまり変わらない。


661 :660:2009/04/24(金) 07:16:07 ID:mgYzL8L/
あ、神秘的なものとか奇跡とか否定してるわけでは無いです。
ただ、それに重点を置きすぎると超心理学とかムーとかオウムになってしまう
と言いたいだけ。

662 :神も仏も名無しさん:2009/04/24(金) 11:04:50 ID:d9+Kyie7
スウェーデンボルイ教徒
とはどうちがいますか」

663 :神も仏も名無しさん:2009/04/25(土) 12:49:59 ID:D8Zmwle0
>>660
ヴァッスーラは、
「新しい主の祈り」「マリヤを天の皇后として云々」とか言っている時点で怪しすぎる……。

イエスの譬えには、その中に目も眩むほどの深さがあります。
ス氏の著作は、神秘と極めて世俗的なもの(現実)が別たれたものではなく、
表裏一体のものであることを証しています。
神秘と実際が異なるように見えるのは、捉えている側がそれを分離させているにすぎません。
心を動かす建設的な神秘は、普段の生活のうえで十二分に確認され得るものです。

>>662
崇拝対象はイエス・キリストなので、その呼び方は相応しくないでしょうね。
便宜上、Swedenborgian(スウェーデンボルグ派)と言われているようですが。

664 :神も仏も名無しさん:2009/04/25(土) 18:02:32 ID:seJX3Cgy
伊勢神宮とは働きが違うから一概に言えません
国家という単位で働かれるのが伊勢の神様。
それぞれの個性や役割があって得意分野があるのが神社の神様です。
特に個人的な開運なら産土神社で十分ですし、皇大神社の場合は神仕組み(神様のみ心)が成就することをお祈りするのが通例になってます。
でも諸願成就祈願もしてくれるので普通の神社とあんまり変わりません。
ただ個人的な体験から言うと支部の末社にしばらく祈っているだけで憑き物がとれたようにすっきりすることはよくあります。

〉おてんば学長さま。


665 :ポポイ:2009/04/26(日) 06:58:50 ID:QDfBXuEQ
私の所に、キリストが現れて、「ヴァッスーラの後継者になってほしい」という事を
言われましたが、東アジアから後継者とは茨の道ですな・・・。

パウロが地獄に行ったという事はないと思います。キリストは「恐怖の宣言」
をよくしているからです、された本人は気づいていませんが・・・。
キリストは全知全能なので、誰が最終的に地獄に行くのか?知っているのです。(予定説ではないですが・・・)
ケリオットのユダに最初に会ったときは凄く悲しい表情をしています。シュンマイと
いう律法学者には「あなたは私を今後知る事は決してないでしょう」と言っています。
でも、パウロに「恐怖の宣言」をしていません。
これでも、納得できない。つまり、パウロが地獄に行ったと思う場合、ある人が名誉欲から
「正しい教え」を述べたとした場合、その教えは間違っていますか?
誰かが名誉欲から十戒を教えた場合、その十戒自体は間違っていますか?


666 :神も仏も名無しさん:2009/04/28(火) 20:09:07 ID:fV/D2kL9
666

667 :おてんば私立学院総長 ◆gqBBZUnUPk :2009/04/29(水) 06:54:41 ID:lGxeVQz5
>>664
    -------- ̄ ̄ ̄--------___
ヽ ̄ ̄                  --
 ヽ_________________________________________/
  |          ☆       |
   ̄-二二二二二二二二二二二---
  |    ̄---______________________-- ̄
  | ____ ______________》  《___________|
 /⌒ ̄ /  ________ |=/ ________ ヽ  
 | 6  |    ●  |ミ |   ●  |
 ヽ   ヽ    ̄  |ミ  丶  ̄  .ノ|  
  ヽ_    ̄ ̄ ̄ ̄ミ   ヽ ̄ ̄  |  
   |        /(     _)   |  
    |      /   ⌒ -  ヽ  |  
     ヽ   / iiii|||||||||||||||ii_ 丶|
     |    《   ̄------ ̄ ..》|    <承知!
  / \.\       ̄ ̄    |
 /   \ \          //\ 
/   / ヽ \  ̄------- ̄/へ  \
   / ☆ ヽ \     // ☆\ \
    ヽ ☆ ヽ \  //  ☆ /
      ヽ ☆ ソ  / ヽ \ ☆ /
       ヽ / /  ヽ  \/


668 :神も仏も名無しさん:2009/05/01(金) 22:36:15 ID:pAT/u8wD
南無観世音菩薩


669 :エレミヤ:2009/05/03(日) 11:18:33 ID:s/zCootM
召命された年齢がエレミヤに似ているので、エレミヤに変えました。
ヴァッスーラにメールか手紙を送りたいのですが、どうすれば良いのでしょうね。
正確にはイエスは「ヴァッスーラが病気に成った時に後継者に成って欲しい」と
言いました。本格的に私に啓示が来る時期はハッキリしています。
ある意味、一番楽かも知れないですね。日本から預言者というのは。
カトリックや正教会の事に触れて、ヨーロッパや北米から批判や罵倒が来ても、
私は英語がほとんど読めないので(w。

670 :エレミヤ:2009/05/04(月) 12:39:55 ID:pj7oqwbD
今は別に私を狂人だと思っていても、構いません。
しかし、本当に啓示を受けた時は、「奇跡」か「未来の預言」が起こります。
それが印になると思います。というも、人々が傲慢なので、「教え」のみ
だったら、誰も信じないし、人々は後世にそれを「残さない」のです。
私はプロテスタントの人なので、むしろ「キリスト教の一致」に貢献できます。
マリア崇拝をしているのは、正教会とカトリックです。
プロテスタント陣営がマリア崇拝をしなければ、プロテスタントは
正教会とカトリックと合体できないのです。
プロテスタント陣営から、マリア崇拝の正しさを述べる事で、キリスト教の統一に貢献できます。

671 :神も仏も名無しさん:2009/05/05(火) 15:09:13 ID:cR8HoONT
預言者は神の言葉を預かる者。
迫害必須で人びとを正しい道へ叱咤し連れもどすのが役割でした。
予言は将来起こることを言い当てること。
予言すれば結果に執着するようになります。
外れれば恥をかくし、名誉も信頼もなくします。。
悪い未来なら尚更外れなければならないのに、予言する人は自分の名誉を守るために予言が当たることを願うようになります。
そしていつしか魔物の使いとなり、正しい人びとも惑わし地獄へ道連れするようになります。
もしも正しい予言なら予言はしないし、悪い予言なら外れるために努力するはずですが、彼らの多くはたいした実力もお金もない人達なので影響力もないし、逆に予言を売り物にしてお金儲けする人達ばかりです。


672 :神も仏も名無しさん:2009/05/05(火) 15:09:53 ID:cR8HoONT
ジャンヌがミカエルの予言を唄っていたとき、誰もそれを本気にしなかったし、動かされる人はいませんでした。
人びとが動かされたのは、ジャンヌ自ら剣をとって先陣に立ってしかも勝利を重ねるようになってから。
マホメットも当初、預言を信じたのは面倒見のよい年上の奥さんだけ。
誰かのお告げです、と言っても人びとは動かないし、世の中は何も変わりません。


673 :神も仏も名無しさん:2009/05/05(火) 15:12:26 ID:cR8HoONT
スウェーデンボルグは十分なお金も名誉もあったし、だから自費出版することもできました。
神様のご用に使われるのは、まずしっかりとした社会基盤に根差して自分のことはもちろん人の面倒すら見れる人ではないでしょうか?
スウェーデンボルグ信者というのはまずスウェーデンボルグ自身の人格が高潔だったのはもちろんもともと立派な人だから彼の言うことを信じたし、彼自身の存在で多くの人びとを感化したのです。
キリストとの出会いも亡くなるまで明かにしませんでした。
何故ならキリストの予言です、と言っても何も変わらないからです。
結局、本人の社会基盤や実力に応じて、本人の力と言葉においてのみしか影響力はないのです。


674 :神も仏も名無しさん:2009/05/05(火) 15:19:59 ID:cR8HoONT
霊能には多くの落とし穴があって、普通の人はたちまちこの穴に落ち込み、そして二度と上がってくることはありません。
スウェーデンボルグの根幹は、有用性、役立ちですから、予言、霊能は必要ないのです。




359 KB
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

★スマホ版★ 掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50

read.cgi ver 05.04.00 2017/10/04 Walang Kapalit ★
FOX ★ DSO(Dynamic Shared Object)