5ちゃんねる ★スマホ版★ ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50  

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

☆ 卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ パート25

1 :神も仏も名無しさん:2010/02/11(木) 09:43:15 ID:9x9SQyr3
Category:仏教
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
仏教に関連するカテゴリ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/Category:%E4%BB%8F%E6%95%99


仏教に関するよろず質問スレッドです。
知識を有する有志によって仏教に関する疑問・質問に答えます。

主に参学の途にある方々の知識によって対応しますので、
明確な答えは出ないかもしれません。
皆で協力し合って何かの参考になるスレッドを作っていきましょう。

初心者には優しく接してください。
可能であれば出典などの根拠を示していただきたいです。
質問者がどのような書籍を参考にするかの目安になります。

明確な出展なく自説を述べる場合は、
その旨をはっきりさせると
無用な論争の防止になるでしょう。

無駄な荒廃や論戦の紛糾を防止するため、
皆様の御協力をお願い致します。


【前スレ】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1263374686/

856 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/03/01(月) 12:12:06 ID:Aq5Xwz8F
>>855
やはり書き込み規制が恐くて、連続AA貼りは恐いか?
根性なしだなw

やるなら徹底的にやれよw

857 :血祭り魔王w:2010/03/01(月) 12:20:58 ID:ic0B9qTo
机も、これほど、おとなしくなると、しばらく休業やなあ、と、とりあえずw

858 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/03/01(月) 13:03:29 ID:Aq5Xwz8F
アクセス規制らしいw
連続書き込みしたからだろう?

859 :神も仏も名無しさん:2010/03/03(水) 20:42:29 ID:VfWSKWLU
アビラウンケン ボローンキリク

860 :閻魔大王  :2010/03/03(水) 22:26:49 ID:viaNeSnK
閻魔大王が修復してやったぞ。

おもろいゲームやったなw

さて、平常心是道でいこか!

861 :神も仏も名無しさん:2010/03/04(木) 02:24:49 ID:bJRj3TbH
オイコラ!

仏道とはなんぞや
一言でいうてみぃ
いいそこのうたらぶん殴るで!


862 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/03/04(木) 07:20:17 ID:FYb+jFA9
>>861

_________無________

     <机龍之介・花押>            




863 :神も仏も名無しさん:2010/03/04(木) 08:00:22 ID:riKryKb/
ドコモ規制とけた

864 :けちゃっふ゜ ◆R8t/xUtH.k :2010/03/04(木) 08:30:20 ID:riKryKb/
机さん、アビダンマでは、色・心・心所・涅槃の四つだけが勝義諦で、
それ以外はすべて世俗諦といいます。
机さん、これについてどう思う?

865 :神も仏も名無しさん:2010/03/04(木) 09:28:11 ID:svXSkV7+
>>861
>仏道とはなんぞや

小乗と大乗のどっち?両者は、本質的に異なった宗教。

866 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/03/04(木) 09:53:14 ID:FYb+jFA9
>>864
>机さん、アビダンマでは、色・心・心所・涅槃の四つだけが勝義諦で

アビダンマにおける勝義諦と、中観における勝義諦は、その意味合いが全く違う。
前者の勝義諦は、本質論の意味。
後者は、そもそも本質なるものは無し。→これが勝義諦。

#、ちなみに、けちゃっぷ氏は坊主です。
(たぶん、浄土宗西山派か?これは私の推測)

あと、LB氏という真宗坊主(北陸在住)のコテがいますけど、
けちゃっぷ氏とLB氏は、考え方が少し違うようです。

私は、けちゃっぷ氏は禅宗に近いような気がします。
真宗大谷派、これも禅宗に近いですね。

867 :神も仏も名無しさん:2010/03/04(木) 10:01:09 ID:FK6iIWdj
あのな・・
なぜ「勝“義”」「勝義・“諦”」と言われるか(≒訳されるか)、ちったぁ考えろ。

868 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/03/04(木) 10:12:48 ID:FYb+jFA9
>>867
無我を、どういうふうに論理体系付けたらいいか?
と発展した哲学と、
そもそも論理とは何ぞや?で構築された哲学との差異。

869 :神も仏も名無しさん:2010/03/04(木) 10:26:22 ID:svXSkV7+
身近な親類の葬式に行ってきた。
火葬が終われば、細かく砕けた骨と灰。来世があろうとなかろうと、故人には
もはや認識は一切不可能。「来世」は、生者の死への恐れと生への執着から空想
した架空の世界。
どんな豪華な葬式をやろうと、故人にとってはもやは知ったことではない。
元素になって、自然に帰り、自然の一部として循環するだけ。
しかし、人が死んでも、この世界は残る。住み慣れた我が家も、見慣れた街角
もそのまま残る。故人のDNAは、子孫に永遠に承継されて生き続ける。そして、
故人の想い出は、残された愛する者たちの心の中に残る。これが素晴らしい
死後の世界だ。
葬式は、故人のためより、むしろ生者の死に対する恐れ、生への執着を満足させる
ものだろう。
葬式は、宗教者の生活のための手段。一方、人の嫌がる死後の始末をやって
くれる。大変、金が掛かるが、遺族は、葬式の準備、会葬者の接待、坊さん
や葬儀社への支払いに忙殺され、しばし悲しみを忘れることが出来る。葬式は、
社会的機能を充分に果たしている。しかし、戒名は不要。自分の名前がなくな
ってしまう。親から貰った生前の名前の前に「故」をつけるだけでよい。
読経は、意味が全く分らないところがよい。キリスト教の神父や牧師のようい、
訳知り顔で説教などされて、遺族の悲しみがなくなるか。
葬式は、むしろ、生者に対して生への意欲を与える儀式。読経は、音楽。特に
天台・真言系の声明は素晴らしい芸術だ。浄土真宗でも、巧みに小節を効かせて、
聴く者の心を慰めているようだ。
葬式は、今後次第に簡素化され、やがて消滅するだろう。宗教は、死後のこと
より、「生きることの技術」に変身すべきであろう。

870 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/03/04(木) 10:29:50 ID:FYb+jFA9
>>867
セブン氏よ、貴殿は論理的には私より優れて才能があるんだから、
それを少し別な方向性を模索したらイイんじゃないか?

言語をどう訳するか?ってのは二義的なもの、
そればかりに拘っていても、本質的(非本質も含む)な部分を見逃す。

871 :神も仏も名無しさん:2010/03/04(木) 10:43:04 ID:V1AlXEgq
【島田裕巳】日本人の葬式を考える
http://www.youtube.com/watch?v=Y4GvuRfU6Ko&feature=youtube_gdata

近著『葬式は、要らない』をご紹介いただきながら、
日本における 葬儀様式の変遷や、そこから読み取れる日本人の死生観、
これから の葬式の在り方などについてお聞きしていきます。


872 :けちゃっふ゜ ◆R8t/xUtH.k :2010/03/04(木) 12:34:50 ID:riKryKb/
>>866 ご紹介ありがとうございます。
所属は浄土宗(総本山知恩院)ですが、異端児です。
たとえば色(物質)が勝義諦だと言う場合、
少なくとも物質といわれる何かが存在するのは認めましょうということでは。
しかし、その物質を私達が知るときには、
視覚だったり聴覚だったり、いろんなチャンネルを通してしか知るすべがない。
また、物質は、いろんな姿形で現れる。
まぁとにかく、物質的な刺激の軍団を総称して色と言う、
その色が在るのはまぁ認めましょう、無いとは言わないよ、と。
しかし、色のさまざまな状態に名付けた概念は、それは概念にすぎないよ、と。
ほほに当たる風の刺激がある。
物質的な何かがそこにあるのは認めるが、
しかし、それに「風」と名付ける概念は、それは仮の名前にすぎないよ、と。

873 :神も仏も名無しさん:2010/03/04(木) 12:51:32 ID:riKryKb/
>>869
何年も前に聞いた話でうろ憶えなんだけど。
人は死んだらゴミになると言ってた人がいたんだが、
その人が、いざ自分の子供が不治の病になって、
「おとうさん、私が死んだら天国に行ける?」等と言われたときに、
「ゴミになるだけだ」とは言えなかったそうです。


874 :神も仏も名無しさん:2010/03/04(木) 13:04:46 ID:svXSkV7+
>>872
>しかし、それに「風」と名付ける概念は、それは仮の名前にすぎないよ、と。

仮であろうと、何であろうと、言葉とは、共同体における成員間の意思の疎通
のための「手段」。その意味では、もはや仮ではない。

手段である言葉を以って言葉を論評してみても無意味。その論評の言葉自体に
そのまま跳ね返ってくるのだから。その意味で、言語論・意味論は不毛。

「意味の意味」という米国の言語学者の有名な本があるが、すでに意味のある
言葉でいくら意味を論じてみても無意味ではないか。




875 :神も仏も名無しさん:2010/03/04(木) 13:11:43 ID:svXSkV7+
>>873
不治の病のわが子に、死後を語ることほど残酷なことはない。

医学が日々進歩しているのだから、必ずよくなると、最後まで希望を
持たせること。人は誰でも、最後まで生きたいのだから。

876 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/03/04(木) 15:35:22 ID:FYb+jFA9
>>872
先ず、アビダンマ哲学っていうのは、
三世実有という時制においての「無我」の位置づけで論を立てましたから、
最初から本質的なものを想定しておったわけです。
つうか、そうでなければ論は立てられない。
(哲学といっも原始的です)

時制においての無我は、刹那滅論でどうにか体系付けましたけど、
これは丁度「ドミノ倒し」の発想ですよね。
(このシステムが、いわゆるアビダンマの勝義諦といわれるものと解釈してます)
色・心・心所・涅槃ですね。

そこから時代が新しなり、中観思想が登場すると、
ありとあらゆるものが「色」となりますね。
物質・思考・感受・あの世・オバケ。幽霊・世界・ets・・・
勝義諦は全く意味合いが違くなってくる。

原始仏教においても、空思想の萌芽はありましたが、
これはアビダンマとは全く違う系譜です。

877 :神も仏も名無しさん:2010/03/04(木) 21:25:21 ID:riKryKb/
>>874 共同体における共通認識としては嘘ではないですね。
それを世俗諦といいますね。
「諦」とつくということは、真実でしょう。
世俗の中では真実です。

878 :血祭り魔王:2010/03/05(金) 02:44:00 ID:Uq9YMPLO
しかし、最近気づいたのだが・・
文献学者、机、南方仏教原理主義者にしろ、
天台、華厳、真言、禅の把握は難しいやろな、
まあ、インドサンスクリ原典やっても、中国大乗仏教は空間、世俗把握が別物なんで、
文献学路線だと、スレタイには合い難い、
インド仏教の主流、論理説明可能中観派の文献レベルで、把握可能なのは、南方仏教、唯識、浄土教、日蓮宗が限度やな、

何せ、世俗諦、勝義諦が同時視点があるからなあ、
中国大乗の天台、華厳、真言、禅場合は・・・

むろん、空と色の形式と言う嘘つきマヌケの机には全く理解されるのは不可能の代物で・

879 :紅音矢 ◆R/kUipgeiA :2010/03/05(金) 02:45:11 ID:CRayiPff
>>873
現代社会においては、「人は死んだらカネになる」が正しいんだけどなw

880 :血祭り魔王:2010/03/05(金) 02:47:42 ID:Uq9YMPLO
世俗諦、勝義諦など、文献論をベースにしても、
日本の現在で仏教を質問、回答形式になると、
やはり、文献レベルじゃだめなんだわw
修行で、中国大乗の天台、華厳、真言、禅の世俗諦、勝義諦が同時視点のややこしい禅定的把握をマスターしないと、
文献学レベルじゃ、質問箱のスレでは役に立たないやろな

ケチャップでも、
中国大乗の天台、華厳、真言、禅の世俗諦、勝義諦が同時視点のややこしい禅定的把握をマスターは無いからな。

881 :神も仏も名無しさん:2010/03/05(金) 04:01:29 ID:3ncrkKHt
>>877
>世俗の中では真実です。

「世俗の外の真実」とは、一体何を基準・基盤としているのですか。

1個人である開祖や教祖の独善・思い上がり・妄想なのではありませんか。
その「真実性」は、誰が、どうやって検証したのですか。検証されていない
ものは「真実」とは言えません。

「世俗の中の真実」は、衆生心・現実界という、確固たる検証基準と基盤が
存在します。

882 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/03/05(金) 07:17:44 ID:hApZEY/C
>>880
>禅の世俗諦、勝義諦が同時視点のややこしい禅定的把握をマスターしないと、

ドアホウがぁ〜!
禅の(色→空→色)は二相のことだよ。
何を勘違いしてるんだか・・・

しかし真言宗の場合は違う。
祈祷するから二相という訳にはいかない。
理趣経がそのシンボル。
如来というのは「如」、すなわち男女交合(陰陽和合)を意味するのでは?
世俗的にはそうであろうが、
金剛界・胎蔵界という二界は(色→空→色)の最後の「色」と推測。
そうすると、(空→色)が真言宗教義における根幹なんだろう?


883 :けちゃっふ゜ ◆R8t/xUtH.k :2010/03/05(金) 08:05:50 ID:fV6Gfuxi
>>880 そうですね。お手上げです。
今ふとよぎったのは「空・仮・中の三諦」という言葉ですが、
このスレをたまに見てますが、
ではあまりその言葉は出てきませんね。
しかし、机さんが言いたいことは空・仮・中の三諦と
同じ意味なのかもと思ったりしますが、どうなんでしょう?
質問スレなので、どなたか、空・仮・中の三諦について
上手く説明できる方、お願いします。

884 :神も仏も名無しさん:2010/03/05(金) 08:26:43 ID:ge8Or3tb
>>883
]http://www.nicovideo.jp/watch/sm6723592

885 :けちゃっふ゜ ◆R8t/xUtH.k :2010/03/05(金) 08:28:25 ID:fV6Gfuxi
>>881 仏教は出世間の教えですからね。
世間(世俗)の価値感は悩み苦しみの原因であると理解するのが四諦。
で、理解した上で、悩み苦しみを軽減したいなら、
世俗の価値感から心を解放してやるのが一番いい方法なんだ、と。
まぁしかし、四諦を理解した上で、うまく悩み苦しみとつきあって
生きて死ねばいいや、という考え方もありますね。

886 :神も仏も名無しさん:2010/03/05(金) 08:53:41 ID:zCHazAgx
>>881
だから、勝「義」だと言っとろうが・・w

887 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/03/05(金) 09:28:12 ID:hApZEY/C
>>883
>しかし、机さんが言いたいことは空・仮・中の三諦と
>同じ意味なのかもと思ったりしますが、どうなんでしょう?

そうですね。
私はアビダンマ哲学の最大の欠点は、空・仮・中においての時制については
未達であったことかと思います。
恒常(時制)においての刹那滅論ですから、これだと空・仮・中にはなりませんね。
(つまり、時制が恒常的であるならば、刹那滅も恒常的である、ってことになる)

中論の最大の功績は、時空の、空・仮・中にまで完成させたことです。
これは西洋論理学にいう「存在と時間は不可分である」を、
空・仮・中にまで昇華させたとこにあるんじゃないかと思ってます。

ですから、よくスレで話題になる輪廻転生論ですけど、
これも空・仮・中で何ら問題にもならんですね。

888 :神も仏も名無しさん:2010/03/05(金) 10:04:15 ID:zrdQJN7x
春ちかし 我が者どもが 夢の中

889 :血祭り魔王:2010/03/05(金) 10:10:09 ID:Uq9YMPLO
机の嘘つき無知垂れ流しの程度の低さはたまらんなあw
まあ、天台の理事無碍法界、華厳の事々無碍法界すら、理解できぬカスが、わめく・・とほほ・・
インド仏教の中論の次元で、すでに机は落第、
机がまともに理解できているのは、南方仏教のグレードだけやろなwそれも、まともか怪しいが・・

臨済宗の悟りなんていうのをマスターしたのは随分後の方で、マスターした時、まあなんて、やくざな、と思ったよw
ほんと、血祭り魔王て表現したくなるくらい、全部説明不可能で、一部を提示できるのみだw
まだ、禅でも、曹洞宗の方が、坐禅をベースにしちょるんで楽や・・
最初の頃、臨済宗の悟りをマスター困難だったので、空間把握を言語化した、
密教を我流でやっていたなあw
真言密教の感応はあったもんでw
でも、合わない感覚があったんで、
チベット密教へ、しかもテキストがないんで、空間把握、禅定感覚把握のテキストとしてのみに、空海著「即身成仏義」をネタに、
空間把握と禅定感覚把握に役に立った、禅の空間把握と、禅定感覚把握にね、
まあ、机のマヌケな、空と色の形式なんていう嘘の感覚は当然、存在せずw
密教、禅(臨済宗でなく道元禅)にしろ、言語化を無理にやると華厳の事々無碍法界で、
世俗の肯定的眼差しがあるんだわ、

嘘つき机のお間抜けな空と色の形式の妄想なんて関係無いw



890 :血祭り魔王:2010/03/05(金) 10:27:19 ID:Uq9YMPLO
中国大乗の天台、華厳、真言、禅の内、
一番説明好きでイージーなのは、天台やろな、ケチャプドンでも解りやすいかもなw

嘘つき机の説明の証明してみよかw

天台の、天台小止観で説明してみるか、
嘘つき机の妄想の空・仮・中の世界があらわになるw
まあ、天台小止観ていうのは、論理好きな説明好きな天台で、禅よりの説明嫌いなワシには書き込むのが苦痛でww
システム的には、止観がゆえに、南方仏教に通じる手法から始めて、すなわち、観察、滅する方向から段階的に始める、
まあ、インド主流の論理立て可能中観派ていうのも、唯識など、色々な要素も統合したらしい、
で、その影響を受けたチベット密教ゲルク派は南方仏教の手法も混ぜ合わせた修行システムも採用と、
天台も、そういう面があるんやろな、

説明するのがめんどくせえwまったく、天台三昧やっている方がマシだww
で、修道システムとしては、
空・仮・中から立てるのだが、
最初に、仮(世俗から)→空(滅する)
次に、空(滅する)→仮(世俗へ)
次にこの両方の方向を同時にやり悟りを得て、生活する、これを中、中道と言う、
まあ、一番説明しやすくイージーな天台で、嘘つき机の空と色の形式なんていうマヌケさで終了するものでない、
この時点で、机は落第w
もっと、ややこしい、華厳の事々無碍法界の要素を含む、禅、真言が、嘘つき妄想王机に理解できるはずもなしw

891 :血祭り魔王:2010/03/05(金) 10:34:39 ID:Uq9YMPLO
まあ、天台の
最初に、仮(世俗から)→空(滅する)
次に、空(滅する)→仮(世俗へ)
次にこの両方の方向を同時にやり悟りを得て、生活する、これを中、中道
まあ、この流れで、二番目のゾーンで、空と色、空と仮の融合が始まっているわけなんだが・
この方向を、理が空で、事が、仮で互いに妨げなく交じり合うと言う事で理事無碍法界と言う学問的説明がなされる訳だw

低脳机は嘘つき妄想を恥かしげもなく垂れ流す、こういう事すら知らずに、真言、禅の説明しているw
アホだなw

892 :血祭り魔王:2010/03/05(金) 10:41:46 ID:Uq9YMPLO
天台の空・仮・中が、
すでに、インド主流の論理立て可能中観派と別物であることは理解されるんだが、
ま、このような天台解釈の流れは、在家で実用主義的志向があるんだろな、
日常の世俗解釈を実用的に、という視点が、真言、禅と展開したんだろう。

インド主流の論理立て可能中観派時点で、悟りを説明しようとして、「最高真理としては」とか定型句をつける時点で、
如来蔵的シンボル化が生まれる要素が出てくるw
密教なんか、特に、悟りを説明しようとして、「最高真理としては」とか定型句をつけたくなるし、
そこが、チベット密教ゲルク派に影響を与え、合併できた部分かもなw


893 :血祭り魔王:2010/03/05(金) 10:46:54 ID:Uq9YMPLO
881はゴ・インキョー将軍様なんだろうなあw
ある意味、嘘つき机よりも、意見としてはまともなんだなあw

具体的提示さえできれば、簡単に論破できるが、文献、学問レベルだと、無理だポ。

894 :ライヤー机妄想情報処理宣伝w:2010/03/05(金) 10:50:07 ID:Uq9YMPLO
六祖慧能は、四句の偈も、まともに理解できないで、論点もへちまもないw
まあ意味も知らず知ったかぶり嘘を貫くライヤーデスクw

仮説、机の脳の情報処理システムw
机君の脳の情報処理を分析してみよう。
机脳は次の様に情報処理がなされる。

A机の虚栄心欲望の発生
       ↓     
B机のいい加減な禅知識・仏教用語→C虚栄心に犯された机の禅用語・仏教用語の書き込み
                  ↓
            的確な机の禅知識・仏教用語知識と悟りの否定
                  ↓
           D虚栄心による哀れな防衛心が発生
                  ↓
                  1理解できない仏教用語・禅用語を無理やり繋げて知ったかぶり風
                  2優位妄想のために余裕を見せ見栄はる、全て知っていると根拠無き勝利宣言。
                  3無視する
                  4別の話を付け加えて増幅させて話をごまかす
                  5黄門様印籠方式、禅用語で終わる。
                  6嘘の内容と禅用語をつないぎ逃亡。
                  7嘘の上塗り、嘘の大量生産を繰り返す、ごまかしのために。


895 ::2010/03/05(金) 10:54:20 ID:asaEHxyo
犬色分幸 祝死 笑慈


896 :神も仏も名無しさん:2010/03/05(金) 11:05:01 ID:D9/ax90H
>>885
世俗はウザイから、世捨て人になれということですか。安直な考えですね。
それでは、人生そのものの放棄です。

世俗の価値感には、苦しみもあれば(あればこそ)喜びがある。そして、
苦しみよりも喜びのほうが大きいから、人類は、現在まで存続している。

苦しみに執着し過ぎる釈迦は、明らかに鬱病。少しも悟ってはいませんね。
一切衆生(生活者)は、その他者との係わりの中での生存努力という
「大修行」において、「苦あれば楽あり」「楽あれば苦あり」を悟り、
ひたむきに生きているのです。

釈迦は、生活という「大修行」が欠けている。だから悟れなかったのです。
というよりも、現代の精神医学の観点からは、その「心の病」が原因ですね。

897 :神も仏も名無しさん:2010/03/05(金) 11:27:20 ID:zCHazAgx
>>896
それは、《「人生観」としてはアリ》だが《「仏教」ではない》、
ということに好い加減気付こうねw

898 :神も仏も名無しさん:2010/03/05(金) 11:56:29 ID:D9/ax90H
>>897
仏教とは、「現実逃避」「厭世観」「離人症」「うつ症状」の別名か。

それでは、人間にとって何の価値も無い。むしろ大いなる害悪。

釈迦の鬱病の感染(感応精神病)なら、治療の対象に過ぎない。

釈迦もイエスも、世俗と現実界に100%依存しない限り一瞬も生存できない
哀れな存在であることを、すっかり忘却している。

すべての創唱宗教は、開祖の精神病の感染(感応精神病)であることを、いい加減
気付こうねw。基地外を有難がって崇めている姿は、滑稽そのもの。

苦に執着し、苦を苦にしすぎた釈迦は、明らかに鬱病。現代なら、精神病院で入院
治療の対象。贅沢三昧、あらゆる欲望の満足に不自由しなかった故の贅沢病。

自分と家族の生活のために一生懸命働き、帰宅して家族の顔を見れば、苦など
吹っ飛ぶものだよ。釈迦には、その家族がいなかっただけの話。それも、釈迦が
己の家庭を棄てたという悪業の結果である。まさに、悪因悪果の典型である。

899 :けちゃっふ゜ ◆R8t/xUtH.k :2010/03/05(金) 12:44:18 ID:fV6Gfuxi
>>896 世俗の価値観から見たらおっしゃるとおり。
仏教は涅槃寂静の思想です。
涅槃(色でも心でも心所でもないこと、つまり身も心も滅ぶこと)が
究極の平安だと考えるわけです。
「たとえ悩み苦しみにさいなまれつつでも生きることはすばらしい、
滅びたくない、死にたくない、私は私でいたい」
…という考えは、生命が先天的に持ってる「勘違い」なのです。
この「勘違い」こそが、あらゆる煩悩の親玉である無明です。
この、生まれながらに持ってる「勘違い」(無明)を消したら、
仏教の悟りの完成です。
普通の生きもの達にとっては、
「アホか!とんでもない教えやないか!」です。

900 :けちゃっふ゜ ◆R8t/xUtH.k :2010/03/05(金) 12:46:35 ID:fV6Gfuxi
たいがいの生命は、悩み苦しみをなくしたいのです。
平安・幸せになりたいのです。
しかし、生命達は、無明の煩悩を捨てることは嫌なのです。
悩み苦しみの原因が無明なのに、
その無明こそが、生命達の一番の大好物なんですね。

901 :けちゃっふ゜ ◆R8t/xUtH.k :2010/03/05(金) 12:53:47 ID:fV6Gfuxi
>>898 はい、仏教ほどの害悪はないですよね。
ただ、仏教は、悩み苦しみをなくす教えだと思いますから、
仮に、あくまで仮にですよ、仏教の目的が全人類の入滅だとしても、
そこに至る過程は、できるだけ他人の悩み苦しみを
増大させない方法であるようにする。
それも、無駄な悩み苦しみをなくすための慈悲としては、重要だと思います。

902 :神も仏も名無しさん:2010/03/05(金) 12:56:11 ID:zCHazAgx
☆ 卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ パート26
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1267761169/

903 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/03/05(金) 13:06:47 ID:hApZEY/C
>>899
>涅槃(色でも心でも心所でもないこと、つまり身も心も滅ぶこと)が
>究極の平安だと考えるわけです。

非常に禅と相似性がありますね。

「身心が滅ぶ」。これを、「大死一番」とか「大いなる死」とか禅では言います。
(円相の位相のことです)
ここで全てが破壊されますから、つまり・・・
断見とか常見とかの意味も全く無くなるんです。
(時制の崩壊と、その属性である輪廻転生論は見事に寂滅します)


904 :神も仏も名無しさん:2010/03/05(金) 14:51:33 ID:wdG9Ck8Y
>>899
>…という考えは、生命が先天的に持ってる「勘違い」なのです。
>この「勘違い」こそが、あらゆる煩悩の親玉である無明です。
>この、生まれながらに持ってる「勘違い」(無明)を消したら、
>仏教の悟りの完成です

それはあくまで釈迦の鬱病の症状としての「勘違い」であることを忘れないでください。
当時は、精神医学がなかったから、釈迦が精神病であることが分らなかっただけです。
精神病者は希少だったから、有難がられ、それが信者に感染した。現代の精神医学では、
精神病は感染することが知られています(感応精神病)。

純粋に精神的苦悩は、自己中心主義から生じるもので、自我を離れて、家族などの
身近な他者に心を移すことにより、軽減・除去されます。人間界が、本質的に共同体性
である所以です。

釈迦は、その「心の病」故に、その自明の真理に思い至ることが出来なかっただけです。

905 :神も仏も名無しさん:2010/03/05(金) 15:37:49 ID:wdG9Ck8Y
>>900
そもそも、煩悩とは、種属としての生命の維持を含め、生命を維持するソフト
として精神の働きです。案じるべきことを案じなければ、生命を維持することは
できません。

煩悩は、「生きていることの証(あかし)」です。「煩悩を去れ」ということは、
「死ね」ということ、「生命の否定」にほかなりません。

釈迦の「苦悩除去法」は、方法論的に誤り。

苦悩は、自我を去り、他者に心を移すことにより、軽減・除去される。このこと
により、初めて、社会が維持されるのです。人間を初めとする如何なる生物も、
「独りでは生きられない」からです。

一切衆生は、意識的・無意識的に、この自覚を基盤としているから、共生が可能
なのです。

大乗仏教は、「真如としての衆生心」や「相互依存性・関係性」の原理の発見に
よって、このことに思い至りました。釈迦には、その片鱗も見出せません。
だニアの章からだけでも、明らかです。

501 KB
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

★スマホ版★ 掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50

read.cgi ver 05.04.02 2018/11/22 Walang Kapalit ★
FOX ★ DSO(Dynamic Shared Object)