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【疑問】スレ立てるまでもない質問 2【戦国時代】

1 :人間七七四年:2007/11/20(火) 23:08:28 ID:YrKBAzRU
分からないことがあるときは、スレッド建てて聞く前にこのスレで質問してください。
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【疑問】スレ立てるまでもない質問【戦国時代板】
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150022967/

2 :人間七七四年:2007/11/21(水) 02:40:01 ID:px5pU1zb
2get

ていうか、前スレ1000いったの? それとも落ちたの?

3 :人間七七四年:2007/11/21(水) 13:10:27 ID:hPldUciR
980を超えると書き込みがないとすぐ落ちるんだよなあ
油断してた…

4 :人間七七四年:2007/11/22(木) 04:28:39 ID:NnluUB8M
内堀ってどこの周りを囲んでいるんでしょうか。
本丸?
それとも城によって違う?

5 :人間七七四年:2007/11/23(金) 22:34:49 ID:t+aiTA/q
戦国武将がたくさん書かれている辞典ってないでしょうか?

6 :人間七七四年:2007/11/24(土) 04:29:44 ID:Y5zlg2Yy
  

7 :人間七七四年:2007/11/24(土) 14:54:15 ID:cfhQ7zmr
>>5
新人物往来社 戦国人名事典

8 :人間七七四年:2007/11/24(土) 14:58:58 ID:DcUfp0Ak
新人物往来社の書物はマジで危険だよ。
俺は「天下取り採点戦国武将205人」という本を昔買ったんだけどマジで損した。
俺の1500円+税が・・・

9 :人間七七四年:2007/11/24(土) 15:48:11 ID:vHGkOYV0
まさかとは思いますがフットボールアワーの後藤輝基はあの又兵衛と縁があるのかな?

10 :人間七七四年:2007/11/27(火) 16:39:15 ID:bszyIJ2k
ないでしょ

11 :人間七七四年:2007/11/30(金) 15:37:35 ID:NjsUAwh5
名古屋城の殿様誰ですか?駿府は徳川だよね

12 :人間七七四年:2007/11/30(金) 16:30:21 ID:IEITzYsM
>>11
近世名古屋城は尾張徳川家。

中世那古屋城は織田家。

13 :カキコ:2007/11/30(金) 22:27:19 ID:4YMYrp9v
・なぜ、今川氏や武田氏の本拠地は「○○館」と呼ばれているのに北条氏や
長尾氏、織田氏や徳川氏の本拠地は「○○城」と呼ばれているの?

・あと、徳川氏はの本拠地(岡崎城と浜松城)は、武田氏の躑躅が崎館や今
川氏の駿府館のように豪華でもないし、北条氏の小田原のように堅固で
もないし、織田氏の清洲城や岐阜城のように栄えてもいないけど、どう
やって20年もの間今川や武田の軍勢に対抗できたの?この地の利点は、
一体何だったの?

 

14 :人間七七四年:2007/12/01(土) 01:22:34 ID:KY7MB71/
>>13
>・なぜ、今川氏や武田氏の本拠地は「○○館」と呼ばれているのに北条氏や
長尾氏、織田氏や徳川氏の本拠地は「○○城」と呼ばれているの?

躑躅ヶ崎館(武田氏)や駿府館(今川氏)の存在の主眼は、領国統治。
つまり政庁としての役割が大きいわけだ。
ただ、守るのには適していないから後背地の山に詰めの城がある。

躑躅ヶ崎館で言えば、北方の要害山城。

まとまらなくなってしまったが、政治する所っつー箇所に重点が置かれているため、
「館」だと思われる。

まぁ、鎌倉時代や室町前期みたいな「武士の館」の延長が発展したからではないかな。

15 :人間七七四年:2007/12/01(土) 12:02:29 ID:KY7MB71/
>>5
吉川弘文館『戦国人名辞典』をお勧めする。

16 :人間七七四年:2007/12/01(土) 18:28:04 ID:fIeiD+ML
片親しか愛情がなかった人物に英雄が多いけどなんで?

17 :宇喜多直家信者 ◆W.uAGfax.c :2007/12/01(土) 19:10:49 ID:d9ALDAI+
仁愛の大切さを身をもって知ったから、とか
しかし性格が歪む場合もあるかも

18 :人間七七四年:2007/12/01(土) 23:33:17 ID:GwvpDBbP
普通の環境からは、普通の奴が育つからだろうよ。

19 :人間七七四年:2007/12/02(日) 00:15:36 ID:ufGEYiOm
>>1718
そういうことだろうね

20 :人間七七四年:2007/12/02(日) 20:09:50 ID:U7NkxaSV
岐阜とか歴史資料館みたいなのないんかな?
関ケ原の戦いで残った物なんか。

21 :人間七七四年:2007/12/06(木) 02:55:08 ID:rqgR41nc
犬山城って誰が住んでたん?

22 :人間七七四年:2007/12/06(木) 10:15:41 ID:eXV9RCoQ
真柄直隆って強かったんでしゅか?

23 :カキコ:2007/12/07(金) 19:46:48 ID:43ARpPC2
・三河一向一揆に敗れた本多正信が松永久秀に仕えたとき、「徳川の侍を
見ることは少なくないが、多くは武勇一辺倒の輩。しかしひとり正信は
剛にあらず、柔にあらず、卑にあらず、非常の器である」と評している
けど、徳川家と松永久秀はそれほど縁が深い関係だったの?あと、三河
武士は「裏切り者」を嫌うのに「裏切りばかりをする主君」に仕える事
に抵抗を感じなかったの?


24 :人間七七四年:2007/12/10(月) 21:31:52 ID:1F3gVwd8
>>23
縁らしい縁は殆ど無い筈。

福島で上杉氏(本庄・須田)と伊達政宗が戦った、松川合戦についてですが、
あれは結局どういった戦いだったのでしょうか?
ネット上の記事や小説の類いでは本庄・須田の勝利とする記事が
多く、梁川町史などでも上杉が勝ったとしているようです(ぐぐった限りだが)
一方wikipediaや2chでは伊達方が勝ったような感じで説明されてまし
た(殆ど伊達家の記録でしたが)。結局本当のところはどうだったのでしょう?
上杉、伊達スレではその話題で荒れていて話になりませんでしたが・・・

25 :人間七七四年:2007/12/11(火) 01:17:46 ID:e2kuTMoj
あげます

26 :人間七七四年:2007/12/12(水) 00:28:11 ID:9MDG4bHk
この時代の渡辺さんって了とか糺とか照とか名前がやたら多いんだけど、
氏族的に近しい人たちなの?

27 :人間七七四年:2007/12/12(水) 00:28:57 ID:9MDG4bHk
訂正
×名前がやたら多いんだけど
○一文字の名前がやたら多いんだけど

28 :人間七七四年:2007/12/12(水) 01:06:38 ID:x+mKHwxJ
>>26
渡辺綱の子孫と称している連中ではないか?
松浦氏などもそうなんだが、彼らは嵯峨源氏にあたるはず。
(嵯峨、仁明源氏の子孫には一字名の人物が多い)

29 :人間七七四年:2007/12/12(水) 17:44:04 ID:cDKFi5Fr
>>28
ありがとうござんした。

30 :人間七七四年:2007/12/13(木) 02:03:15 ID:hFoeax7G
偉大な三代目といえば誰がいますかね?
例えば徳川家光や足利義満みたいな家系や幕府の3代目でもいいし、
真田幸村や毛利輝元みたいな有名な武将の三代でもいいです。

31 :人間七七四年:2007/12/14(金) 02:56:04 ID:ubVmoRAQ
当時の人の体型ってどんなんでしょ?
ムキムキになるような食生活とも思えないし

32 :人間七七四年:2007/12/14(金) 04:47:39 ID:HAsBY03v
>>30
長宗我部元親の孫。
江戸期の由井正雪の乱に加担した丸橋忠弥その人。
あくまでも「伝」だけど。
でも「偉大」とはいわないか(笑)

33 :人間七七四年:2007/12/14(金) 07:14:12 ID:+SM2CPmk
>>20
関ヶ原町に資料館があったはず。

>>21
尾張徳川家付家老の成瀬家。

その前は織田氏かな?

34 :人間七七四年:2007/12/21(金) 05:09:21 ID:hP4fVIVE
昔の人はフェラチオはしなかったって本当ですか?
テレビか本か何かで聞いたんですけど。

35 :sage:2007/12/21(金) 07:31:31 ID:5Ixdm+oI
>>24
>「ネット上の記事や小説の類いでは本庄・須田の勝利とする記事が多く、
 梁川町史などでも上杉が勝ったとしている」のは、慶長6年4月26日にあ
 ったとされる「松川合戦」のこと。内容は講談と軍記物と地元の伝承
 (「常山紀談」「東国太平記」「武辺聞書」)が入り交じった創作だよ。
 史実的には存在しない架空の与太話。政宗との一騎討ちのエピソードが必ず出てくるw
 それに、梁川町の資料は「明暦年間」のものだ。

>一方wikipediaや2chでは伊達方が勝ったような感じで説明されてました(殆ど
伊達家の記録でしたが)。

これは慶長5年10月6日に実際にあった小競り合いで、上杉軍は伊達に敗北している。
伊達軍は梁川城の攻略を主目的にしていたので、内応工作が失敗したとみると即座に
撤退している。


36 :人間七七四年:2007/12/21(金) 09:41:13 ID:tW7IqyfQ
>>35
合戦の経過自体を記している資料が「伊達治家記録」とかで、
こっちに政宗との一騎打ちを否定する文言が出てくるが、こいつ
が元禄頃に編纂が始まったらしい資料なので聞いてみた。
まあ、流石に一騎打ちはないと思うがw

この合戦についての信頼出来るスジの著書ってないかい?
また、学者の見解も分かるとありがたいんだが。

37 :人間七七四年:2007/12/23(日) 13:17:36 ID:7RaQFHDo
最近、北条家に興味を持ったんだけど、早雲〜滅亡までを描いたような、いい小説とかない?

38 :人間七七四年:2007/12/23(日) 19:08:03 ID:ooAOZMkj
 

39 :人間七七四年:2007/12/23(日) 23:07:29 ID:rMiHnges
漁夫の利ばかり狙うこそ泥早雲なんてつまんないよ。
それより古河公方足利成氏・関東管領山形上杉顕定・扇谷上杉定正・長尾景春・太田道灌・越後守護代長尾能景・越後守護上杉房定の方が面白いよ。


40 :人間七七四年:2007/12/23(日) 23:09:09 ID:rMiHnges
訂正
×山形
○山内

ちなみに山内上杉顕定の実父が上杉房定ね。

41 :人間七七四年:2007/12/24(月) 00:02:47 ID:iGO+OYsE
>>39
で、作品は?

42 :人間七七四年:2007/12/24(月) 13:39:03 ID:04yOinvc
2ちゃんスレ

43 :人間七七四年:2007/12/27(木) 09:57:18 ID:xOcG0cVB
>>41
小説ではないが、黒田基樹著戦国北条一族なんかは五代の流れを掴むのに最適だと思うぜ。

44 :人間七七四年:2007/12/27(木) 17:53:54 ID:WYCtmWWo
城の構造や機能、もしくは戦国時代の戦術・戦略について詳しく説明してある
本もしくはサイトありますか?

45 :人間七七四年:2007/12/27(木) 18:34:28 ID:PqRGi8Ww
図とイラスト重視なら、学研の戦国の堅城を勧める。
あくまで入門に毛の生えた程度だけど、
視覚的に訴えてくるので、その理解しやすさは群を抜いていると思う。

46 :人間七七四年:2007/12/27(木) 19:39:37 ID:WYCtmWWo
>>45
ググってみたら、かなりよさそうな本ですね。レスありがとうございます。

47 :人間七七四年:2007/12/27(木) 21:02:46 ID:Vs1RDazk
全国的にマイナーな城も出てるからね

48 :中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y :2007/12/27(木) 22:31:05 ID:b55aZ5qP
北条っつったら黒田しかねぇよな

ついでに
「相州兵乱記」「豆州記」「河越記」「深谷記」「北条五代記」「さゝこおちのさうし」
「なかおゝちのさうし」「小弓御所御討死陣物語」etc.....

49 :人間七七四年:2007/12/28(金) 16:27:39 ID:vxEuYt/E
村上義清の正室の名前ってわかりますかね。

50 :人間七七四年:2007/12/31(月) 00:31:01 ID:4bKqImuF
歴史学者の中では本能寺の変は、光秀自身が計画実行して
信長は本能寺で自害した可能性が高いということになってるんですか?
朝廷や秀吉黒幕説とかありますが。

51 :人間七七四年:2007/12/31(月) 01:13:31 ID:Pv4WrB0N
そもそも黒幕がいたらもっと綿密な計画を仕掛けていて秀吉にあっさり倒されるわけが無い

52 :人間七七四年:2007/12/31(月) 05:14:57 ID:kX+tXk+f
だから秀吉黒幕説がささやかれるんだろ。

53 :人間七七四年:2008/01/01(火) 10:26:57 ID:yffdBOIf
>>43>>>>48
サンクス

>>46
日本城郭研究会の創設者、井上宗和先生の本はどうよ?

54 :人間七七四年:2008/01/01(火) 15:42:24 ID:Ps6DK0wE
あけましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします。

ところで、架空戦国小説の登場人物なんですが、同じ人ばかり出ている気がしませんか?
天下人三傑(信長、秀吉、家康)のifや、武田上杉、真田や伊達が天下取る話ばかり。

戦国時代はたくさんの魅力的な人物がいるんだから、ぶっちゃけもっと
色んな人が出た方が面白いと思いませんか?
佐竹や大友が天下狙ったり、毛利や浅井が暴れたり、二階堂や内ヶ島が活躍する
架空戦国小説がないのはおかしくないですか?

55 :人間七七四年:2008/01/02(水) 01:08:51 ID:ym15Bwhb
ないことはない

56 :人間七七四年:2008/01/02(水) 12:36:43 ID:5tLE1FJw
いっそ、俺たちで土佐一条や大友、山名などが天下を取る
話を作ってはどうだ?

57 :人間七七四年:2008/01/03(木) 01:22:52 ID:vDZCC0xS
戦国時代から400年遡ると鎌倉時代辺りで400年先だと現代なんて、
同じ400年でも進み方が全然違うもんだね。


58 :人間七七四年:2008/01/03(木) 21:09:06 ID:RhaKDe6x
>>56
>土佐一条が天下を取る
俺がよく信長の野望でやってるよw

59 :人間七七四年:2008/01/04(金) 21:54:26 ID:tLa+kXiH
>>51
光秀=天海

60 :人間七七四年:2008/01/06(日) 19:45:32 ID:L839MrfS
養子で他家乗っ取りを最初に始めた人は誰ですか?

61 :奇矯屋onぷらっと ◆/6/o/w/o/6 :2008/01/06(日) 20:12:46 ID:bnEUtUvT
藤原長良。

62 :人間七七四年:2008/01/08(火) 22:10:17 ID:Cp8RhxC7
いろいろな合戦の経過に詳しい本が欲しいのだが
なにか良い本はないだろうか?

63 :人間七七四年:2008/01/09(水) 02:37:13 ID:kVpfGrBn
あぁ日本史板で質問してた方ですね。戦国板で質問した方がいいよと言った者ですw
あなたがどの程度のものを希望してるのかわからないので・・・とりあえず
最近だと少し重量あるもので吉川弘文館の戦争の日本史ってシリーズの
12西国の戦国合戦
13信長の天下布武への道
14一向一揆と石山合戦
15秀吉の天下統一戦争
17関ヶ原合戦と大坂の陣
以後続刊で未発売
10東国の戦国合戦
11畿内・近国の戦国合戦
16文禄・慶長の役(08年1月発売)
がかなり良さそうです。

個々の大名を知りたければミネルヴァ書房の出版物なんかよいです。
例えば戦国板で上杉謙信を語りたいなら史実準拠で200ページないので「上杉謙信」これを押さえておいた方がいいです。


完全に入門レベルでしたら
戦国史の流れの大枠を体系的に知りたい素人でしたら宝島社の戦国クロニクル又は日本文芸社の戦国史新聞あたり。
戦国の流れを少し突っ込んで知りたいなら日本文芸社の面白いほどよくわかる戦国史。
学研の歴史群像シリーズの戦国合戦集や新紀元社戦国合戦ガイド、
毎月出版される月刊誌である歴史読本の戦国特集の時に購入。

PHP出版の各大名ごとの小説を読んでおくと流れがわかる。
ここのは1冊完結方式なので大作というわけでなく負担になりません。

また人名が暗記できない等の場合は超初心者の場合は
講談と史実がグチャグチャですが
コーエーの信長の野望シリーズのゲームから入門するというのも手です。
コーエー出版物の武将FILEは見やすくてかなり便利です。

コーエー出版物の武将FILEや戦国クロニクルを片手にPHP出版の各大名ごとの小説を読んでいかれるのが一番良いと思います。



64 :中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y :2008/01/09(水) 07:20:02 ID:O5Pk5nFj
クロニクル絶版じゃんよ

往来社の戦国合戦大事典の一択だろjk

ただし小和田が書いたとこは武功準拠でかなり注意が必要だが

65 :人間七七四年:2008/01/09(水) 17:32:47 ID:kVpfGrBn
クロニクル絶版なの?うちの近所じゃふつうに見かけるが・・・
小和田氏の場合は偽書認定されてる資料の引用があるから講談的な面白さがあるね。
ネタ本として認識して読むぶんには面白い。

66 :人間七七四年:2008/01/09(水) 22:58:24 ID:KH7cWJaL
>>63-64
ええと、その人じゃないです(^_^;
情報ありがとう。とりあえず教えてもらったのを片っ端から探してみる。

67 :人間七七四年:2008/01/16(水) 21:51:40 ID:0TV4Yqpk
家紋、幕紋、旗印の違いと使い分けはどうなっているのでしょうか。
また複数の印を使っていたのは何故なんでしょうか。

68 :人間七七四年:2008/01/31(木) 00:56:36 ID:wvhaaKlt
雑賀衆のことを雑賀集っつって書くこともあるらしいと知ったのですが、これはどのくらい
世間で認知されてるの?一部地域だけ?全国レベル?

69 :人間七七四年:2008/01/31(木) 00:57:48 ID:wvhaaKlt
ageわすれちゃった。

70 :人間七七四年:2008/02/07(木) 11:19:38 ID:saz/Y0MV
織田信長が本能寺の変で死なければ実際に天下統一はできたのでしょうか?

71 :人間七七四年:2008/02/07(木) 11:39:57 ID:sfqyvieF
>>56
小説とはまず商品ですので
「土佐一条氏が天下をとる話し」
を書いたところで、
アナタと>>58さんとワタシの3人しか買わないのでは困るのです。


72 :人間七七四年:2008/02/08(金) 13:55:13 ID:/JEi1xSX
なんで悲劇の瓜生島に関するスレが無いんだろ
秀吉半島征伐軍の母港じゃないの?

73 :人間七七四年:2008/02/08(金) 14:22:53 ID:OHBBPF7P
>>63
三国志は吉川英治の小説や横山光輝の漫画を読みコーエー三国志をプレイすればとりあえず2ちゃんで語れるくらいにはなれるが
同レベル程度の知識だと戦国板ではクソ厨扱いにされる敷居の高さがあるよな。
もっとも知識が三国志止まりで終わった厨は中国英雄板ではスーパーワンダー厨扱いなんだが…せめて春秋戦国時代くらいは大まかにマスターせんと。
だがそれすらも横山漫画の史記と項羽と劉邦で終了しちゃうヤツが勘違い知識を持ち出してきてバカにされるんだが。


74 :人間七七四年:2008/02/08(金) 17:13:48 ID:p8IG470R
現在豊臣って名字はあるのですか?

75 :人間七七四年:2008/02/08(金) 19:13:34 ID:D81hmF96
そもそも苗字ではありません

76 :人間七七四年:2008/02/10(日) 10:40:28 ID:rYgXlyoP
小牧・長久手の戦いで堀秀政が2000丁の鉄砲を持っていた、佐竹義重が3000丁の鉄砲を
持っていたというのは多すぎてそれぞれ嘘だと思うのですが、実数はどれくらいだった
のでしょうか?

77 :人間七七四年:2008/02/10(日) 15:02:41 ID:ZF7xOADO
佐竹は嘘じゃないんでない?
関東一の鉄砲量とか言われてたし数で圧倒的に劣る対北条への切り札でしょ。

78 :カキコ:2008/02/10(日) 22:29:18 ID:O4OLxyEd
・大河ドラマ「風林火山」の中で武田家は海野家や諏訪家を滅ぼして
その跡を二郎(後の海野信親)や四郎(後の武田勝頼)に継がせたけど、
長尾景虎(後の上杉謙信)のように1代で自家(長尾家)と他家(関東管
領上杉家)の当主を兼任した戦国大名は他に誰がいたのでしょうか?

79 :人間七七四年:2008/02/11(月) 01:46:30 ID:1pb8717e
武田信玄の跡を四男勝頼がつぐわけですが、なぜ次男、三男が跡をつがなかったのですか。というか、次男、三男の詳しい経歴を教えてください。

80 :人間七七四年:2008/02/11(月) 02:18:52 ID:9ZFxUI/e
>>79
次男は海野信親。母は三条氏。盲目だったために初め出家し、後に海野氏の
家督を継いだため半俗半聖の暮らしをおくり、「御聖道様」と呼ばれていた。
盲目だったため武田氏の後継者候補からは外れていた。

三男は西保三郎信之。母は三条氏。早世した。死んでるので後は継げない。
なお、伝承では上総の武田氏を相続したとも。

ようするに、武田義信が廃嫡された段階ですでに次男・三男は上記の理由で
家督継承候補から外れていたわけ。で、その次の勝頼に回ってきた。
もしどっちかが健康な状態で存命していたら、勝頼は武田氏を継ぐことは無かったと思う。

81 :人間七七四年:2008/02/11(月) 21:22:45 ID:1pb8717e
長篠の戦い後の武田家ですが、有能な武将はかなり討ち死にしました。しかし、だいたいは老将の域?に達する者がおおかった。なので後継者も多数いたと思うのですが、その者達は無能だったのですか?

82 :人間七七四年:2008/02/11(月) 22:13:46 ID:YCIv3xd3
質問です。
織田信長は何ですか?

83 :人間七七四年:2008/02/12(火) 00:50:17 ID:8bReE+2J
山県たちの後釜ということ?
勝頼時代には真田昌幸などが新府築城など大きな役割を果たしている。
ただ、全体的に目立たないというか、小粒な印象はあるな。

84 :人間七七四年:2008/02/12(火) 01:45:55 ID:qhaB1Fz+
>>81
無能というよりは、長篠の戦いでの大敗が大き過ぎたんじゃなかろうか。
まあ、勝頼の外交戦略でのチョンボもあると思うが。

85 :人間七七四年:2008/02/12(火) 02:12:43 ID:cT/VYUBK
>>81
後継者を補佐する予定の家臣も死んだり使い物にならなくなったのが多かったからじゃね?

86 :人間七七四年:2008/02/13(水) 11:49:06 ID:LR/GcyeH
政治(内政)A
   (外交)A
戦略A
戦闘(個人戦も部隊戦も)E
情報収集(状況判断)A
 
大部隊を指揮する。

上記に一番近いのはだれですか?
キャラの名前にしますんで宜しく。

87 :人間七七四年:2008/02/15(金) 02:42:38 ID:JNOexItA
関ヶ原でなぜ島津は動かなかったんですか?
島津が早く動いていたら西軍が勝った可能性はありますか?

88 :人間七七四年:2008/02/15(金) 13:03:34 ID:HeEk5GdO
>>87
長文すみません

諸説ありますので、私が読んだものを一つ

・当初、島津は時流を読んで徳川に味方するつもりだった。
・そこで精兵千五百(異説あり)を引き連れて上京。徳川方の城である伏見城へ入城しようとした。
・伏見城の城将は鳥居元忠は、家康東征時に三成が挙兵するであろうことを聞かされており、自分はその軍勢をできるだけ多く引きつけて、最後には城兵二千と共に玉砕することを覚悟していた。
・元忠は武勇の誉れ高い島津の精兵が自分達と玉砕する事を望まず、家康の側で役立ってもらいたかった為、島津軍の入城を拒んだ。
・しかしどういう行き違いか、元忠の意志が島津軍首脳部にはうまく伝わらず、島津軍には自分達が家康に味方すること自体を拒まれたと誤解が生じた。
・三成に積極的に味方する気もなかったが、徳川から攻められれば目にもの見せてくれる、という心づもりで行きがかり上、島津軍は西軍に参加。
・関ヶ原当日、動かない島津軍に三成から伝令が来るが、下馬もせずに命令口調で攻撃を指示する伝令に憤り、完全無視決定。
・西軍崩壊後、島津軍、東軍を正面突破して戦場離脱。

開戦直後から島津軍が赫々たる戦果をあげていれば、金吾中納言も東軍寝返りを思いとどまって、西軍惨敗はなかったかもしれませんね


89 :人間七七四年:2008/02/16(土) 00:34:33 ID:Cbdxtj6F
>>88
詳細なレスどうもありがとうございます。
すみませんだなんてとんでもないです。
とても参考になりました。

90 :人間七七四年:2008/02/16(土) 00:48:35 ID:zdpAtQlp
山県昌景って相撲で対戦したら普通の一般現代人でもかてるかな?

91 :人間七七四年:2008/02/16(土) 04:45:54 ID:/08r45FO
鉄砲伝来から江戸初期にかけての硝石の相場を教えてください。
あと、各大名家の家臣の石高に対する人員及び鉄砲の数の割り当てを教えて欲しいです。

92 :人間七七四年:2008/02/16(土) 12:21:09 ID:xRopvj85
>>91
まじめに考えてみたが60年もあれば
相場なんてすごく変わる気がするし

各大名家ってのもいくつぐらいまで
絞り込めばいいか判らんので

考えるだけで挫折してしまった

93 :人間七七四年:2008/02/16(土) 17:19:45 ID:/08r45FO
>>92
相場なんてあって無きがごとしで、時代によっても、相手によっても違うと思います。
ただ、硝石がいかに貴重であったかをイメージしやすいよう、数件の例挙げてくだされば
ありがたいです。値段の推移が分かる程度に挙げてくださるならなおありがたいと思います。

大名家に関してですが、これは鉄砲の割り当てに関する資料はそれほど残っていないだろうから
絞り込むほどは無いだろう、と私が勝手に思い込んであいまいな書き方になってしまいました
申し訳ないです。数件の例を挙げていただければ十分です。もし、武田家をはじめ内陸国と海外との
交易の拠点を押さえていた織田家との比較が出来る程度に挙げてくださればなお幸いです。


94 :宇喜多直家信者 ◆W.uAGfax.c :2008/02/17(日) 04:09:24 ID:bdD23fUE
>>74
わずかですがあります。
ただ、秀吉との関係はないようです

ソースは森岡浩先生の本
(確か『日本人の名字なるほどオモシロ事典』だったと思います)

95 :人間七七四年:2008/02/17(日) 09:15:21 ID:4gMQSYyu
質問ですが
100石というと今で言う年収800万くらいと思っていいのでしょうか?

96 :人間七七四年:2008/02/17(日) 09:47:02 ID:EM9ECxEB
日本史板とここの違いは?

97 :人間七七四年:2008/02/17(日) 10:38:03 ID:xtA0xspJ
日本史板は厨房隔離板

98 :人間七七四年:2008/02/17(日) 13:24:53 ID:ueD9WnZe
>>93
この参考文献は
http://dspace.lib.kanazawa-u.ac.jp/dspace/bitstream/2297/7429/1/AA11430153-33-2-itagaki.pdf

99 :人間七七四年:2008/02/17(日) 15:54:28 ID:CRoNDgsG
>>95
100石取りといっても一年の収入はその半分くらいかと。
50石×180×(現在の平均米価)で求めて下さい。

100 :人間七七四年:2008/02/17(日) 15:57:16 ID:CRoNDgsG
>>99
間違った。
1石=180l=150kgだった。
180を150にして下さい。

101 :人間七七四年:2008/02/17(日) 19:25:10 ID:4gMQSYyu
>>100
それだと200万くらいになってしまいますがいいんでしょうか

102 :人間七七四年:2008/02/17(日) 22:40:56 ID:3yJKopT3
>>101
米の価値が現代と江戸時代では段違いです。
もう少し言えば江戸初期と江戸末期でもかなり差があり、一概にこの値段だとは言えません。
米価換算を用いる場合は時代や豊作・凶作、地域差でブレが出ることを念頭に考えて下さい。

他に賃金換算、物価換算という考え方もあります、詳しくは
http://www.imes.boj.or.jp/cm/htmls/feature_faq.htm で。

賃金換算の場合は、
おおよそ一両が30万ほど、一両が0.9石なので、一石=27万円となるので、
百石取り(五公五民の場合)では、1350万円の年収になります。
同様にに物価換算の場合は、年収540万円となります。

103 :人間七七四年:2008/02/17(日) 23:02:38 ID:4gMQSYyu
>>102
丁寧なレス有難うございます
そうですよね。何で換算するか、景気、年貢率等諸条件ありますもんね
なかなか難しいです

104 :人間七七四年:2008/02/18(月) 03:05:06 ID:1fFR3ivY
>>98
興味深く読ませていただきました。参考文献がなかなかよさそうでした。
今度、読み漁ってみます。

論文自体も時代は下り、硝石の国産化がなされていた時期が主でしたが
なかなか表に出てこない事柄について述べられていたので、面白く読む
ことができました。ありがとうございます。

105 :人間七七四年:2008/02/18(月) 12:28:08 ID:kZkcaT1N
豊臣五大老スレってもしかしてありませんか?

106 :人間七七四年:2008/02/18(月) 12:30:24 ID:kZkcaT1N
あげ忘れ

107 :人間七七四年:2008/02/18(月) 23:09:44 ID:z8dPPXG+
>>105-106
『五大老総合』みたいなスレはないっぽいが、毛利輝元以外の各大老は個人スレがある。
五奉行スレはあるね。

108 :人間七七四年:2008/02/19(火) 06:22:10 ID:2mj7HtRz
>毛利輝元以外の各大老は個人スレがある
輝元…(´;ω;`)ブワッ
>>107
ありがとう。五大老の序列や秀吉からの信頼度とか警戒度みたいなのを語れる場が欲しかったんだが、
ないならしょうがないね

109 :人間七七四年:2008/02/19(火) 11:29:23 ID:6FTqeJa7
>>108
輝元は毛利一族スレがあるから立たないのかもしれん。
元就は単独スレあるけどww

そういう話をしたくてスレがないなら五大老スレを立てる、という方法もある。

110 :人間七七四年:2008/02/19(火) 19:20:25 ID:EhL9Mucc
関ケ原で西軍に属したのに所領が安堵されたのは島津家だけですか?

111 :宇喜多直家信者 ◆W.uAGfax.c :2008/02/19(火) 20:09:27 ID:tRwcqs8Q
対馬の宗家とか

112 :人間七七四年:2008/02/22(金) 03:27:25 ID:9bVZxUnr
大勢が決した後に寝返った組ならそこそこの人数はいる。

113 :人間七七四年:2008/02/22(金) 12:07:23 ID:r5Pp1niJ
有力大名が〇〇守と名乗っていますが、なぜ多くが自分の領地と関係のないところの守を
名乗ったんでしょうか?
ただのハク付けだったのでしょうか?


114 :人間七七四年:2008/02/22(金) 23:23:39 ID:9bVZxUnr
>>113
代々名乗っていたり(あるいは先祖が名乗っていたり)した場合もあるが、戦国時代の場合はほぼそんな感じ。
ただし、あえてその国の国司の位を手に入れてその国の支配を有利に進めようとした例もある。
今川義元などは、三河守に叙任されているしね。

115 :人間七七四年:2008/02/22(金) 23:34:59 ID:+cTCIXcI
今川は三河で興った家だしな
殿様総理大臣とか言われた細川元首相も先祖の地三河に来たとかニュースになってたな
室町が興る頃の足利のメイン蔵入れ地だった

116 :人間七七四年:2008/02/23(土) 09:13:06 ID:pGY31Vhr
>>113
羽柴筑前守とか惟任日向守とか
仕えている大名が
「これから征服してやるぜ」みたいな
意思表示として名乗らせたという
説もあるらしい

117 :人間七七四年:2008/02/23(土) 12:36:55 ID:gsWQlMaJ
>>114-116
ありがとうございます。
先祖から受け継いだり、征服への意思表示からきてたんですね。
前から不思議に思ってたものが解決しました。


118 :人間七七四年:2008/02/25(月) 23:44:58 ID:ngA1z7vG
新田次郎の武田信玄を読んでいるんだけど、史実を確認しながら
読み進めたい場合、おすすめの本ってあるかな?

119 :人間七七四年:2008/02/26(火) 00:53:20 ID:X03blx5i
>>118
信玄個人の事跡を追いたいのならば「ミネルヴァ日本評伝選 武田信玄」なんてどうだ?
信玄の領土拡大の過程などもさりながら、信玄の内面についての考察も多い

120 :人間七七四年:2008/02/26(火) 22:58:02 ID:vgTIYlMp
>>119
ありがとうございます。
面白そうなので、早速読んでみます。

121 :人間七七四年:2008/02/26(火) 23:24:57 ID:JbGt30So
何で応仁の乱は数年も続いたのに関ヶ原は一日で終わったの?
それと十年も続いた応仁の乱とあっという間に決着がついた関ヶ原は
歴史上の戦いとしてはどっちが異質なの?

122 :人間七七四年:2008/02/27(水) 20:35:13 ID:mY1uZAoq
関ヶ原に関しては、実際の武力衝突は確かに一日で決したが、
だからといって、一連の流れが一日で完結したと見るのは間違いだろう。
上杉征伐のために軍を発した1600年六月をその始まりと見るほうが自然だし、
西軍諸大名の処遇が決したのをその終わりと見るなら、
関ヶ原だって数年単位で決着したものだと見ることもできる。

123 :人間七七四年:2008/02/27(水) 21:37:42 ID:3E5NbdX2
どうして中国で主流になっていた弩が
日本も同じように弓から弩にしなかったんでしょうか?

124 :人間七七四年:2008/02/27(水) 22:10:32 ID:wal/Z6SQ
>>123
盾・弩は何故日本で普及しなかったのか 2
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1199439541/

125 :人間七七四年:2008/02/28(木) 18:25:23 ID:KCrZO/nD
>>121
応仁の乱にしても一年中戦闘しっぱなしってわけじゃないからなぁ。

126 :人間七七四年:2008/02/29(金) 20:18:41 ID:HLOELXoj
長巻と薙刀ってどこが違うの?


127 :人間七七四年:2008/03/02(日) 08:31:40 ID:DP3ohVPz
ググったら解決するはずだ

128 :人間七七四年:2008/03/04(火) 07:21:33 ID:sI5cywFn
長宗我部盛親は大阪の陣で温床として
土佐一国を所望したとある本で読みましたが、
典拠を教えてください。

129 :人間七七四年:2008/03/05(水) 08:16:58 ID:wq3MrOoL
http://momisage.sakura.ne.jp/mki/siokara.php?res=1236
誰の兜ですか?

130 :人間七七四年:2008/03/08(土) 00:53:05 ID:TAgfWMxr
長槍での打撃はどのくらいの威力があったんですか?

131 :人間七七四年:2008/03/08(土) 09:22:35 ID:D5tJcq0P
>>130
難しい質問だな

本多平八郎が渾身の力で振るったとき
kg/平方センチとかか?

俺には武器の威力を
一般的な単位で表現することは
困難に思える

ゲームみたいに
A+とかBとかランク付けなら
楽なんだけどなw

132 :人間七七四年:2008/03/08(土) 12:27:23 ID:zLkm0iaH
>>121
関ヶ原は徳川家康という、当時圧倒的な力を持っていた人物がおり、
しかも、そちら側が戦で勝ったから短期間で勝負がついた。
応仁の乱の時には、家康ほど圧倒的に有力な立場の人間はおらず、
対立構造も将軍家の跡目争いに、有力守護大名の対立がいくつも重なって複雑になり、
強いリーダーシップを取れる者がいなかったので、だらだらとながく続いた。

歴史上ではどちらの場合もよくあるので、どっちか異質だとかは言えない。

133 :人間七七四年:2008/03/09(日) 13:13:47 ID:tbg8/HPr
徳川四天王の本多忠勝が関が原後、伊勢10万石を与えられましたが
福島50万石、藤堂20万石、細川40万石、黒田52万石と彼らとかなり差があるのはなぜでしょうか?


134 :人間七七四年:2008/03/10(月) 23:11:50 ID:YZLGMs8d
譜代と外様だからです。

豊臣政権の失敗から、権力と国力の双方を同時に与えることはさせず、
幾ら石高が高かろうと外様は政権を担えず、
政権を担当する譜代大名の石高はなるべく抑えられています。

135 :人間七七四年:2008/03/15(土) 00:18:23 ID:kAz3oPq1
10歳くらいの女の子と結婚した武将が居るって聞いたんですけれど、
誰でしょうか?

136 :人間七七四年:2008/03/15(土) 09:26:23 ID:2KoWkj3l
>>135
八丈島から泳いできたやつとかじゃないか?w


137 :人間七七四年:2008/03/16(日) 00:50:13 ID:u+FEOMPp
>>135
前田利家は22歳の時、12歳のまつと結婚しました。
ちなみに双方数えなので、まつの年齢は満年齢で考えると10歳〜11歳になります。
どう見ても小学生です、本当に有り難うございました。

138 :人間七七四年:2008/03/16(日) 09:22:07 ID:8xSVzhUv
俺の記憶では確かその1、2年後に
初子が生まれてたと思う

又左w

139 :人間七七四年:2008/03/16(日) 11:15:58 ID:6FoYqiwa
>どう見ても小学生です、本当に有り難うございました。

この言い回しを書きたいだけだろ、こいつ
まだ言ってる奴がいるとは

140 :人間七七四年:2008/03/16(日) 12:32:29 ID:Vcqf1IQZ
ま、いいんじゃね?
未だに小一時間問いつめたいやつも
いるようだし

141 :人間七七四年:2008/03/17(月) 16:20:46 ID:JZ2c6bxI
福島正則って確か秀吉子飼いの大名だったよな
本来秀吉の遺命を率先して守り違反するものを咎めなきゃいけない立場なのに
堂々と家康からの縁組を受けてるのはなんでだ?

142 :人間七七四年:2008/03/19(水) 15:01:21 ID:kC+q/8dk
石田三成が嫌いで徳川家康に懐柔されたからでね?

Wikiにはその結婚が豊臣、徳川和平のためになると確信していたとあるが、
それを補強するような文献があるかどうか自分はわからないけどね。

143 :人間七七四年:2008/03/19(水) 22:30:58 ID:Pb6CMKFX
あくまで推測だが
福島正則は、豊臣政権という枠組み内での家康を首班とした体制こそが
豊臣の安定には最善とふんだんだと思う。

もし家康が家臣筆頭で満足すれば、確かにこれ以上の体制はないだろう。
しかしそこは家康の老獪さにしてやられたというか、正則の頭の中がお花畑だったというか…。

144 :人間七七四年:2008/03/20(木) 13:35:48 ID:gMJusqs3
堺屋太一氏の「巨いなる企て」の
表現に倣って書かせてもらえれば

正則は本社とは比べものにならない
小規模な支社の支社長。

家康は正則の10倍以上の収入がある
本社副社長。
正則との仲は悪くない。
支社の業績が悪化してたときも
正則はかばってもらったことがある。

本社には「社長のご子息を守るのは俺!」
と居丈高で正則と仲の悪い
秘書課室長の三成。

で、副社長から

「先代の遺命も無論大事だが、
豊臣グループの結束を固めるために、
先代の縁類でもある貴殿と、
儂の家を縁続きにしてはいかがかな」

とかニコニコしながら勧められたら、
いかに剛の者の福島正則と言えど
10倍以上の勢力をまともに敵に
回せないとおもうなあ

長文スマソ

145 :人間七七四年:2008/03/20(木) 13:41:05 ID:DxMlRRdR
わざわざ例える必要あるんかそれ


146 :人間七七四年:2008/03/20(木) 19:27:43 ID:nXYOasr5
まあ、最初っから解ってるやつに
例え話なんて必要ないし、
中には例え話で、なんとなく
イメージできるやつもいるだろ

147 :人間七七四年:2008/03/21(金) 08:47:46 ID:Ek4RZ7G+
戦国時代の役職がどんなものかイメージしづらい初心者層にはありがたいよ、俺とか

しかしこうやって見るとお花畑と評されても仕方ないくらいあからさまだったんだな

148 :人間七七四年:2008/04/01(火) 05:30:36 ID:vdASZFK7
秀吉が死んだ後に
利家と家康の間で対立があったそうですが
家康派だった大名と利家派だった大名を詳しく教えてもらえないでしょうか

149 :人間七七四年:2008/04/01(火) 08:26:47 ID:HBdRV4Ul
秀吉の遺命に背いて、大名間の
姻戚関係を増やしたりした家康と、
三成にせっつかれてそれを咎めた
利家の、
小さな不和の種はあったと思います。

でも、利家存命中は豊臣家がまっぷたつに
分かれて対立するなんてとこまで
行ってなかったと思いますよ。

150 :人間七七四年:2008/04/01(火) 09:59:48 ID:xFwW+PXT
>>149
嘘つくなよ

151 :人間七七四年:2008/04/01(火) 10:01:22 ID:vdASZFK7
wikipedia読み漁ってたら
前田利家の項に
>利家はこれに反発し、諸大名が家康・利家の屋敷に集結する騒ぎとなった

と書いてあったのでそれぞれの屋敷に集結した大名を詳しく知りたいなと思いまして

152 :中山幸盛 ◆c1ZKiGzz62 :2008/04/01(火) 14:45:44 ID:VE/A9EUf
102 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 11:11:33 I
加藤清正は早々と兵を率いて徳川屋敷に駆け付けたじゃないか
あと細川幽斎・忠興親子、加藤嘉明、浅野長政・幸長親子も徳川屋敷を警護したよ
他にも大谷吉継、蜂須賀家政、京極高次、山内一豊、脇坂安治なども徳川屋敷に駆け付けた

この板の前田家スレにあったので参考までに張ってみました
利家派については分かりませんでした。
多分、関ヶ原で西軍として戦った反家康派が、親利家派だと思いますが、詳しいことは分かりませんでした・・・

153 :人間七七四年:2008/04/01(火) 20:53:15 ID:vdASZFK7
>>152
ありがとうございます
そのレスでは両加藤と細川、浅野親子が徳川方?であると思うのですが

wikipediaには
>利家には、上杉景勝・毛利輝元・宇喜多秀家の三大老や石田三成、
>また後に関ヶ原の戦いで家康方につく事となる細川忠興・浅野幸長・加藤清正・加藤嘉明らが味方したが

と書いてあって

また
ttp://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q108246750
では
徳川方に福島正則、藤堂高虎、黒田如水、毛利勝信(勝永の父)、大谷吉継
利家生存中はその陣営に、加藤清正、細川忠興らがいた

ttp://www.hokkoku.co.jp/kagakikou/meoto/meoto_33.html
のサイトでは
家康方に福島、池田、黒田などの大名が結集した
利家側には大老3人、石田三成ら豊臣家の官僚に加え、細川、加藤、浅野、佐竹、小早川などの有力大名が味方した

と書いてあり
どちらが正しいのでしょうか

154 :中山幸盛 ◆c1ZKiGzz62 :2008/04/02(水) 13:27:28 ID:nIuyuYBp
もしかしたら、徳川屋敷に駆けつけただけで
両加藤と細川、浅野親子は厳密には、徳川方ではなかったかも
しれませんね

ちょいと暇ができたら調べてみます
すいませんね明確に答えれなくて・・・

155 :中山幸盛 ◆c1ZKiGzz62 :2008/04/02(水) 16:38:23 ID:nIuyuYBp
加藤清正は、秀吉死後に家康の養女を嫁にもらってますから
家康派もしくは中立だとおもいます
浅野親子も上司にあたる利家と仲が悪いなんて分けには
いきませんから、利家派だと思います(これは想像)
両者とも、徳川屋敷に駆け付けたのは、政治的判断かもしれませんね

あとは良くわかりません
あまり力になれなくてすみません

156 :人間七七四年:2008/04/02(水) 17:00:27 ID:cyQovsTd
自分が前に見たのだとこうなってた(秀次スレか秀長スレだったかな?)

266 :名無しさん@お腹いっぱい。 [sage]:2006/10/23(月) 01:29:53 ID:50RVn+VP
(略)
利家側
毛利輝元、上杉景勝、宇喜田秀家、細川忠興、加藤清正、加藤嘉明、浅野幸長
佐竹義宣、立花宗茂、小早川秀包、小西行長、長宗我部盛親、浅野長政、前田玄以
増田長盛、長束正家、石田三成

家康側
伊達政宗、福島正則、池田輝政、黒田長政、藤堂高虎、森忠政、織田有楽
黒田如水、有馬則頼、金森素玄、新庄直頼
(略)


個人的に記憶に残っているところでは
・家康以外の大老と五奉行は利家側(浅野長政も利家側)とするものが多い
・細川忠興はこの時点では前田家と縁戚なので板ばさみ状態で両者の和解に動いていた
・清正は利家側とされているものが多いけどたまに徳川側にされてるのもある

157 :人間七七四年:2008/04/02(水) 17:17:55 ID:VRkOdxSD
 

158 :人間七七四年:2008/04/07(月) 13:16:47 ID:EQ+r42WX
1565年に正親町天皇が「大うすはらい」を出し
宣教師を追放したそうなのですが、
1570年にオルガンティーノが来日してます

どこかで勅命を撤回したんでしょうか?
それともキリシタン嫌いとされる
松永久秀あたりが勝手に勅命を捏造(?)でもしたんでしょうか

ついでに松永久秀について詳しい本などありましたら
教えて下さい




159 :人間七七四年:2008/04/09(水) 05:34:11 ID:viCfR6by
難攻不落の城ベスト5を教えてください。

160 :人間七七四年:2008/04/09(水) 05:55:44 ID:PrfClOR+
大阪城
小田原城
熊本城
名古屋城
月山富田城

161 :人間七七四年:2008/04/09(水) 10:16:04 ID:KzAPPLuC
>160
それはお前の個人的意見

162 :人間七七四年:2008/04/09(水) 13:54:28 ID:f63UEpcy
くそう、七尾城もどっかに入れたいぜ

163 :人間七七四年:2008/04/10(木) 10:29:07 ID:cIllSwRN
携帯から失礼します
戦国ヲタの皆さんは、どういったところから知識を得てるんでしょうか?図書館などにお世話になっておられるのですか?それとも職業柄でしょうか?
よろしければ、皆様の知識を得たいきさつなどお聞かせねがえればと思います

164 :人間七七四年:2008/04/10(木) 10:59:05 ID:gavwrITD
自分は神保町の古本屋街が情報源
かなりヲタクな町だけどマニアックな本も結構ある
忍者史料探しに行ったのがきっかけ

165 :人間七七四年:2008/04/11(金) 11:42:54 ID:COQaV4RT
随分昔だけど、あるテレビ番組の企画で諏訪湖の底を調査してた
発見されたのは水中でも中身がこぼれないように工夫されたあとがある茶碗だけだったかな
それが信玄を沈める時に一緒に御供え物として沈められた物かも、って言われてたんだけど、それ以降だれか諏訪湖を調査した人いるのかな?

166 :人間七七四年:2008/04/11(金) 12:57:17 ID:B+FxhjJd
戦の後は誰が片付けてたの?

167 :人間七七四年:2008/04/11(金) 20:07:17 ID:XrPoPaHT
家康が関ケ原に行かずに上杉と戦ってたらどっちに分がありましたか?
脇坂、朽木、小川、赤座が裏切らなければ
西軍が勝つチャンスはまだありましたか?

168 :人間七七四年:2008/04/15(火) 12:10:26 ID:moe9kbPy
上杉・佐竹で
東軍を分断後家康を包囲しうちとる策が
立案されてるね

徳川にとって決戦態勢でなく政略パフォーマンスだった点
三成周りと違って内通が出にくい環境
そして地の利
上杉有利と考えられる

169 :人間七七四年:2008/04/15(火) 12:26:45 ID:moe9kbPy
>脇坂
彼らが対小早川で機能する事が大谷の計算上にあったからね

小早川側も松野が戦闘拒否してる状況があるし
日没まで持久して立花らの増援を待つ道はあったかと
もしくは畿内拠点への総退却戦。

170 :人間七七四年:2008/04/15(火) 20:27:37 ID:AjkZNbnR
如水って関ケ原の勝者と決戦するんじゃなかったんですか?
さすがに勝てないと感じたんでしょうか。

171 :人間七七四年:2008/04/15(火) 20:32:43 ID:yVZ6BFPz
>>170
だろうな
大坂城に入城した徳川軍の内訳は、関ヶ原時の7万5千、小早川・脇坂らの2万、前田の2万、秀忠の3万5千で合わせて15万、毛利を入れれば18万はいる
如水が断念したのは当然


172 :人間七七四年:2008/04/20(日) 23:38:32 ID:PVCyvz8c
お侍さんて平時は何してたの?
いろんな役目があるんだろうけど、平時はほとんどやる事ないってのもあったと思うんだけど。
毎日お城に行って井戸端会議でもしてたの?

173 :人間七七四年:2008/04/23(水) 03:09:14 ID:kaT9g9+r
武士のフィギュアがあったら私の持ってるケンプファーと合わせてリメイクしたらカッコイイとおもうんですが、
やった奴いませんか。
イメージ的には滝川かずますがいいと思います。


174 :人間七七四年:2008/04/27(日) 22:57:27 ID:xg93MRyC
戦国時代初期の名門といえばどこですか?
3つくらい教えてください。

175 :人間七七四年:2008/04/27(日) 23:04:01 ID:d2gu78Zc
足利・細川・畠山

176 :人間七七四年:2008/04/28(月) 01:23:00 ID:3n/NhHUl
吉良家はどうですか?

177 :人間七七四年:2008/04/28(月) 12:05:23 ID:xV832K+N
>>166
合戦には必ず坊主を何人か連れて行った。
死体は経を上げた後、形見になるもの(髷や刀など)を名前を書いた紙と一緒にまとめ、
後は小者達が一箇所にまとめて埋めた。
(双方使者が出て休戦する)

合戦が始まるという噂が出ると、農民や物取り、一般庶民などが遠巻きに見物に出かけ、
彼らの何人かは、供養が始まる前に、死体からの略奪を始める。
処理に当たる小者の役得でもある。
墓を掘り起こして金目のものを剥ぎ取るということもある。
(黒澤監督の映画に、これを生業にしている婆さんの物語があった)

何千人も死者が出る時は主だったものだけ供養して、後は野ざらし。
できる限り埋めるが、鳥や野犬なんかが後始末。

〜こんな答えでいいか?〜

178 :人間七七四年:2008/04/28(月) 12:29:45 ID:xV832K+N
>>172
情報集め、他国武将との交際、武芸鍛錬、合戦訓練、子作り、子作り
子作り、子作り子作り、子作り

179 :人間七七四年:2008/04/29(火) 06:25:56 ID:qJki9/zl
>>178
ありがとう
すごくゲームチックな日常だったんですね
太平の世になると子作りしかやる事なかったんですね

180 :人間七七四年:2008/05/10(土) 19:53:25 ID:ucAxct3r
当時の農民の生活について質問なのですが
主食とされている粟、ヒエ、黍は農民が米とは別に作っていたのでしょうか?
それとも、年貢から残った米を売ってできた貨幣で買っていたのでしょうか?
粟等が米より安かったというのは知っているのですが、出所がわからなくて

181 :人間七七四年:2008/05/11(日) 13:40:46 ID:uxTq4hJC
古代より日本人の主食とされた五穀というのは
「米」「麦」「粟」「黍」「豆(大豆・小豆)」のこと。
「黍」のところに「ひえ(稗)」が入るという書もある。
当然農民によって作られていた。

今じゃ鳥の餌としてしかお目にかかれないんだけどさ。

182 :人間七七四年:2008/05/13(火) 16:59:34 ID:WbCenBNx
子作りしてるだけで生活できるなんてサムライってうらやましいすなあ


183 :人間七七四年:2008/05/15(木) 13:21:45 ID:+BaLtNyK
うらやましいなんてこたアない。
乳児死亡率30%以上の時代だぞ。
血筋は男親のもので、母親は腹を借りただけという考え方があるから、
なんとしても男子を育てなければならない。
金のある限り側女を養ってそれこそ必死でやった。

だから子の元服の儀式は父親にとって人生最大の喜びだった。



184 :人間七七四年:2008/05/15(木) 23:38:06 ID:6jLbTVBF
そうか
それはそれで大変なのはわかるが、やっぱうらやましいすなあ
俺も金のある限り愛人囲って子作りに励んでみたいもんだのう

185 :人間七七四年:2008/05/16(金) 10:19:18 ID:J4tb9i2/
愛人同士の骨肉の争いが起こりそうで怖いです><
ヒス起こされて殺傷沙汰とか俺にはとても耐えられないです

186 :人間七七四年:2008/05/16(金) 22:26:03 ID:EYvMymAq
戦国時代は他国侵攻に際して宣戦布告とかしてたんでしょうか?

187 :人間七七四年:2008/05/17(土) 02:37:21 ID:148K85Lg
>>184
カネがある限りって、カネさえあれば現代でも出来ると思った俺ってオhル?

188 :人間七七四年:2008/05/17(土) 02:45:57 ID:eQWe+lrJ
それで暮らしていけるってのが羨ましいんじゃないか?
何を隠そう俺だって羨ましいw

189 :人間七七四年:2008/05/19(月) 22:08:31 ID:M+ZmhpUa
戦国時代に使用されていた武器というと、鉄砲・弓・槍・刀などがあると思います。
(その他も多々あるとは思いますが…)
戦国時代が終わり江戸時代になると刀の道場が圧倒的に多いように思えます。
鉄砲は規制されたのでその後、名を聞かないのはわかりますが、他はどうしてでしょか。
刀以外も盛んに道場があったが、私が知らないだけなのか。
本当に江戸時代以降、弓・槍不遇の時代になったのか。だとしたら、戦場では役に立たない刀が何故持てややされたのか。
もしよろしければお教えいただけますでしょうか。

190 :人間七七四年:2008/05/19(月) 23:43:08 ID:Ac8xUW0h
>>189
槍は宝蔵院流、
弓は・・・六角?

191 :人間七七四年:2008/05/20(火) 10:47:18 ID:RqJeFlhc
>>189
一見すると剣術道場と言えば剣術だけを教えているように見えるかもしれませんが、
実際には様々な武器をも扱っているものですよ。
現代の剣道クラブと混同しないでね。

鉄砲を扱う技は「砲術」と言い、れっきとして伝わっています。
規制されたといっても、全面禁止になったわけではなく、
その点では刀剣についても同じです。規制を受けたという点でね。

刀剣の技が相対的に盛んになったのは、武士は日常的に刀を備えることができるからです。
しかし槍や弓や鉄砲は、通勤で持ち歩くわけにはいきません。
その日常の中でいざというとき、護身に役立つのは刀剣なのです。
戦場では刀が役に立たないとは言いすぎですが、戦場で用いるための剣ではないことを覚えておいて。

また道場というか流派によって、扱う武器の重視具合が異なるため、
江戸時代において武芸十八般に精通したとされるような猛者は、複数の道場で学んでいます。

>>190
弓術の流派で特に人気なのは日置流かな。
戦国時代の六角家当主も日置流を学んだと。

192 :妄想は続く・・・:2008/05/20(火) 16:29:28 ID:7zutOrLU
>>186
今みたいにいきなりミサイルで破壊なんてことはできないから、
軍勢を動かせば自然に物見の知らせで迎撃体制を取る時間はある。
城攻め前に使者の口上などはあるが、それが宣戦布告となるのかな。

織田が朝倉攻めをしたときは大義名分を公にした。
これが宣戦布告になるのかな。
いずれにしろ、軍勢を国境に動かす、他国に進入することは戦争行為だから、
それが戦線布告ということだろう。

信長が義昭を奉じて軍勢を引きつれ上京した時は、周辺の国に「大儀名分」の書状を送り、
戦争意思は無いことを知らせ、「貴殿の領土を通るがこれに妨害しないよう」に要請している。



193 :人間七七四年:2008/05/22(木) 15:03:03 ID:GCZBlBwL
ちょっと教えてください。
織田信秀の正妻が武田信虎の娘ということなんだけど、娘というのは実子?それとも養子?
実子なら信長と信玄は血のつながった従兄弟ということになる・・・・
こういう解釈でいい?

194 :中山幸盛 ◆c1ZKiGzz62 :2008/05/22(木) 15:24:37 ID:lHJr0Skl
信秀の正妻は、同じ織田家の人の娘だったと思うけど・・・
んで、信長を生んだのは継室の土田御前(土田氏の一族?)だと思うんだ

195 :190:2008/05/22(木) 20:08:19 ID:mw7YAPeL
>>191
サンクス。
豊臣秀頼の弓術師範が土岐だか六角だかだと思って。

196 :人間七七四年:2008/05/22(木) 21:34:09 ID:l+C1f+Pp
そうだね。
秀頼は何人かの弓術師範を招いたけど、
その中で特に「元の家柄」が格式高いのは、六角義治。
その親父さん、六角義賢は大名ながら武芸に熱心で、
弓術や馬術は免許皆伝だった。
そんな父に教え込まれた義治も、弓は達人の域に達していた。
が、六角流を名乗ったわけではない。

197 :人間七七四年:2008/05/22(木) 22:51:59 ID:giLgkyJ5
難攻不落

小田原
鳥取
岩村
大坂

198 :人間七七四年:2008/05/23(金) 08:12:35 ID:RJMJ+i/t
名前だけなら稲葉山城も

199 :人間七七四年:2008/05/23(金) 13:16:33 ID:9/6/tfqQ
岐阜城はあっという間に陥落したけどなw

200 :人間七七四年:2008/05/23(金) 20:37:22 ID:oEE4Ya/x
戦国時代の兵士は一般的にどのぐらいやる気があったの?
正規兵はともかく、雑兵たちの士気をどうやって高めたの?

201 :人間七七四年:2008/05/24(土) 12:17:41 ID:YVVhVx5Z
質問が抽象的すぎる。
答えようがない。

202 :人間七七四年:2008/05/24(土) 13:15:10 ID:35VK1a9N
質問なのですが、
脇坂家伝記などの文書がうpされてるところはないでしょうか?
よろしくお願いします<(_ _)>

203 :人間七七四年:2008/05/25(日) 01:20:28 ID:516iKydK
>>200
一般的かどうかは知らんが、
臨時雇いは士気が低いので嫌われる傾向にあり、
軍役は正規雇用を義務付けるところが多かった。

臨時雇いをする場合は、相応の見返り(給与や褒賞、罪科の免除)で釣った。

204 :大納言 ◆KUGEvA53Uk :2008/05/25(日) 12:07:51 ID:uHYzkxf4
>>200
一口に兵士といっても様々な階層があるので・・・
最下級の兵士=足軽についていうと士気は全くなかったと思います。
年貢の代わりの兵役ですからやる気などおきるはずもないでしょうw
 では、どのように士気を高めたか?というと「食事の回数を増やす」
「酒を飲ませる」「次回の兵役を免除する」「略奪、強姦の許可」など
が有効な方法として用いられていたようです。

>>202
Googleで検索してみては。

205 :人間七七四年:2008/05/25(日) 12:42:01 ID:cgl7mVB9
やっぱり雑賀衆や僧兵などの傭兵集団を雇って防衛すんのが一番やでby堺の引越屋

206 :202:2008/05/26(月) 00:13:57 ID:PJIHefuY
ググってみましたが良い結果が得られないのでこちらにカキコさせて頂きました。
ちなみに朝鮮遠征で2人の家臣が死んだ下りの記述しか発見できませんでしたが。


207 :人間七七四年:2008/05/26(月) 00:31:19 ID:E2NcO2BO
黒田長政は後藤基次を他家にも仕官できないようにしたけど
(結局最期は豊臣所属だったけど)
そういう武将を登用するとダメなの?
ただ単に黒田を憚って登用しなかったの?


208 :人間七七四年:2008/05/26(月) 03:29:33 ID:czc4CGOY
忍者を使って、敵の城に潜り込んで、城主を暗殺する事は聞いた事ないのですが、何故しなかったのでしょうか?
忍者ならたやすいと思うのですが

209 :人間七七四年:2008/05/26(月) 03:36:28 ID:RoMUSSQS
ヒント:相互確証破壊

210 :人間七七四年:2008/05/26(月) 04:07:40 ID:yEuzBCm7
上杉家ってなんで会津に天封されたんだろ?
いくら加増とはいえ故郷の越後を召しあげられて奥州なんかを与えられちゃったりして

211 :人間七七四年:2008/05/26(月) 07:21:42 ID:INvUZi3a
>>208
作家の隆慶一郎は「人間の格」の問題だと書いていたな
つまりたかが忍と一流の武将とでは人間としての器量が違いすぎて、
ビビってしまって殺せないとかなんとか

212 :人間七七四年:2008/05/26(月) 10:22:35 ID:Mp4axPfr
>>208
忍者ならたやすいという、あなたの考えが、そもそも誤認と言わざるを得ない。
潜入なんて非常に困難。

また、ある程度の潜入までは成功しても、警備の者に発見されて討ち取られた話もある。

213 :人間七七四年:2008/05/26(月) 11:36:56 ID:8b4U3bjr
>>208
ちゃんとしてる城主なら暗殺されるようなスキは見せないし、
逆に暗殺されるようなボンクラならそのまま城主でいてくれた
ほうが良い、ということらしい。


214 :人間七七四年:2008/05/26(月) 12:52:30 ID:ebLK2rFM
>>212
>忍者ならたやすいという、あなたの考えが

ガチの外人でサムライよりもニンジャが好きという奴に理由を聞いたら
「ニンジャの方が強いから」という答えか帰ってきて呆れたのを思い出した
忍者万能のイメージってやっぱアニメやゲームから来てんのかね・・・

215 :人間七七四年:2008/05/26(月) 13:52:12 ID:Mp4axPfr
立川文庫が原因かと思うけどね

216 :人間七七四年:2008/05/26(月) 14:22:51 ID:LA+WFh8L
刺客を放っての暗殺なんて成功例は滅多にないだろ。

三好長慶だって何回か殺されそうになっているし、実際進士賢光に
手傷を負わされているけど結局失敗に終わったし。
遊佐長教が時宗の坊主に殺されたくらいじゃないか?


217 :人間七七四年:2008/05/27(火) 09:55:21 ID:/4PX10RB
暗殺ネタなら三村家親は挙がると思ったんだけど

218 :人間七七四年:2008/05/27(火) 11:37:36 ID:07fs4xSH
呼び出してのだまし討ちとか、遣わされた使者が突然襲っての暗殺なら結構あるだろうけど
忍者はな・・・

219 :人間七七四年:2008/05/27(火) 19:48:34 ID:877n48Vf
第3回 2ちゃんねる全板人気トーナメント二次予選
<<戦国時代>>板は6/4日出陣
http://2ch.gepper.net/tour/t2/a9.html

詳しくは選対スレへ
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1211037643/

220 :人間七七四年:2008/05/28(水) 22:43:03 ID:1Iq6y1Zd
戦国時代の武将の説明が詳しく乗っている本ってありますか?
その他、当時についてかなり勉強になる・面白い本がありましたら是非紹介して下さい。
お願いします。

221 :人間七七四年:2008/05/29(木) 00:57:30 ID:qyowc3Rp
読み漁れ、以上

222 :人間七七四年:2008/05/31(土) 15:02:26 ID:TrB2zFwY
自分が戦国時代の農民だったとして、一番住みやすい場所ってどこだと思います?

戦が少ないイメージの東北とかだと逆に土地がひどそうだし。

223 :人間七七四年:2008/05/31(土) 17:19:51 ID:e8wcQ8RQ
そうだなぁ、北米大陸のチェロキー族の集落なんていいかもな

224 :中山幸盛 ◆c1ZKiGzz62 :2008/05/31(土) 19:49:06 ID:c6J0kuhp
>>207
登用するとダメってわけじゃないけど
もし、登用したら黒田家と全面戦争になりかねないからね・・・
まぁ、それそうおうの覚悟がいるね(武将一人のために戦争やしたくないしね)


225 :人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/05/31(土) 22:54:28 ID:s+JJaxVX
>>222
農民からすれば北条の関東一円かと思うな。


226 :人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/01(日) 00:26:02 ID:vgYpgNKq
>>225
先生!!関東管領とかいうのが越後からやってきて妻子を拉致っていったのですが

227 :人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/01(日) 00:45:30 ID:gzCAl0p7
>>226
御館様に身代金の代替りをしていただくようお願いしてみるがよろし

228 :人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/01(日) 03:57:08 ID:u6BNcyr4
>>226
といっても、河越以南が侵されるのって、氏康以降で三回だけ、
そのうち二回は落城無しなんだがなあ。

北関東あたり、特に上野は本気で泣きそうだけど。

229 :人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/01(日) 19:08:51 ID:ZmWgEohl
山形の天童藩織田家に伝わったという信長の南蛮具足は、現在は岐阜市歴史博物館に
あるそうですが、どういうものかわかるでしょうか。
それを元に復元したというこのフィギュアと
http://syoubuya.com/?pid=3703782
ここの画像の南蛮具足とは全然違うんですが、
http://www.iloveshiro.com/shiro/gifu2/

どちらが正しいんでしょう

230 :人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/01(日) 23:41:03 ID:NM9Pince
利家とまつを見ています。
で、今利家が能登21万石をもらったところです。
おねとなかはそれを聞いて「秀吉に比べるとすくにゃあな」とか行ってました。

確か長浜時代は秀吉は12万石だったはず。
この頃は鳥取城を兵糧攻めにしてるので姫路辺りをもらってるんだと思います。

この頃の秀吉の支配領はどことどことどこで、何万石くらいだったのでしょうか?
できればこの頃の織田家の中心人物の禄高が知りたいです。

231 :230:2008/06/01(日) 23:43:56 ID:NM9Pince
うお!
いまいきなり言い出した^^;

光秀は34万石
佐々は38万石
秀吉は50万を越えておる

って、え?光秀は確か変の直前では秀吉とワンツー重臣だったと・・・
まあ石高ばかりが評価基準ではありませんが。

権六は越前で80万石くらいはもらってたのでしょうか?

232 :人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/02(月) 13:15:49 ID:ONITAO9S
っしりいまああ

233 :人間七七四年:2008/06/03(火) 13:54:51 ID:HHVzofo1
ゴン六越前は54万石くらいかな
石高は評価の違いじゃなくて織田家内の身分の違いだろうな
光秀秀吉ツートップなんて存在しない

234 :人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/03(火) 14:39:29 ID:iSARIMK4
元々織田家に従属していたわけではない、いわゆる新参者の中では
光秀と秀吉の両者は、とりわけ地位を駆け上った代表格として見られるということではなかろうか。
それぞれ伸し上がった時期に微妙な違いはあるが、一益も絡めて評されると面白そうなのだけど。

235 :人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/03(火) 16:43:02 ID:N6d7mRPq
京都周辺の34万石は、
数字以上に評価されていると思うんだが。

236 :人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/05(木) 21:07:37 ID:K0GrGnWP
すみません伊達政宗についてなのですが
伊達政宗のスレッドが多くてどこで聞いていいのか分からないので
ここで質問させていただきます

Wikipediaをみていたのですが
「外記(正重)言はれぬ事を被申候。政宗程の者が御成を申自身御膳を上るうへ。
 おにする(毒見する)所にてはなきぞ御膳に毒を入るるは、早十年前の事なり十年前にも。
 日本の神かけて毒などにて。殺し奉るべきとは夢々思はぬぞ。一度は乗寄てこそとは思ひ候」
と激怒して返答したと書いてあるのですが
これは現代風に言い直すと、どういう意味になるのですか?

237 :人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/05(木) 21:31:55 ID:0VGVwxIJ
その次の行から現代語で解説されているのは無視ですか?

まあいいや。
「俺の手料理にいちゃもんつけんな、ばーか。
 大体この俺様が例え往時の乱世でも毒殺なんかするわきゃねーだろ。
 天下取るなら喧嘩で取る、うわ、俺カコイイ(意訳)」

238 :人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/05(木) 23:38:05 ID:K0GrGnWP
>>237
分かりやすくて理解できました
ありがとうございます

> その次の行から現代語で解説されているのは無視ですか?
現代語で解説されているのはすぐ下の行に書いてあるので読みましたが
"現代風に言い直した形"が知りたかったので質問しました
要は意味じゃなくて、理解しやすく謙った形が知りたかったということです
分かりにくくてすみませんでした

239 :人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/08(日) 01:26:23 ID:IN/SOm5m
本能寺の変直前の秀吉の石高ってどれくらいですか?
よくよく考えると100万以下は確定なわけで、武田や上杉、まして毛利以下の状態からいきなり数年で天下人ってマジですごくないっすか?

もちろん何百万石の織田家の後継の地位を得られたからでしょうけど。

240 :人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/08(日) 02:56:23 ID:IN/SOm5m
秀吉が後継の地位を確定させる前段階
シズガタケなどの時にすでに10万以上の兵を動員してるということはやはり経済的に秀吉だけ特別に豊かだったのでしょうか?
権六はその頃前田など与力を合わせても3万程度だったんですよね?

としまつの数字なのでイマイチあてにならないかもしれませんが。

241 :人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/08(日) 04:52:02 ID:/igl/+l2
石高の方は、播磨・但馬・因幡+近江長浜・東伯耆で七十万石強、
これに宇喜多領の備前と美作半国約三十万石を加えて
ようやく百万石くらいかな。

賤ヶ岳の戦いは経済力ではなく秀吉の外交戦略の勝利だろう。
清洲会議の四重臣だけで見ても三対一、滝川を加えてもまだ柴田側の不利。
近江長浜は勝家に譲ったとはいえ、旧明智領を吸収してるから、
与力・同盟者除いた石高だけでも秀吉側が圧倒してる。
こういうのは何だが、順当勝ちではないかと。

242 :人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/08(日) 07:32:08 ID:u7W9Ilxh
秀吉は淡路島や讃岐の三好氏も支配下に置いてたんじゃないか?
三好は丹羽の四国派遣予定の部隊に指揮が移ってたんだっけ?

243 :人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/08(日) 08:45:14 ID:/igl/+l2
確かに秀吉は淡路島や阿讃を攻めてるし、
後に秀次が三好康長に養子入りしたりしてるけど、
康長や十河存保の領地はさすがに秀吉の分には認められないだろう。
というか、むしろ織田領というより、同盟者(といっても織徳間よりさらに
差があるけど)である阿波三好氏領と見たほうがいいかも。
でも、淡路の洲本城には仙石秀久が入ってたから、秀吉領と見ていいか。
なら、淡路一国で六万石ほどプラスか。

244 :人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/08(日) 13:34:29 ID:IN/SOm5m
ところでその頃の何万石っていう評価は米の収穫量のみなんですか?
例えば今でいう東京。石高はしょぼいですが経済力はハンパなく税収はものすごい力になりますよね?

昔も税収を米の価値に換算していたんでしょうか?

245 :人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/08(日) 13:39:04 ID:IN/SOm5m
でもそれにしては京都などは石高低く、濃尾の石高が注目されがち
おかしなはなしだ
所詮は濃尾など田舎でしかない
いくら肥沃な大地でも

246 :人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/08(日) 13:49:01 ID:u7W9Ilxh
その辺は諸説紛々
純粋に米の生産量という人もいれば
他の食物や特定の特産品みたいなものの生産も含めたものって人もいるし
経済力もある程度課税し含めたものって人もいる。
石高自体がいい加減なのが原因で実際にはよくわかってない。
徳川期なんかは石高が大名格式とされはじめて実際の石高との差が大きく狂ってくるし。

247 :人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/08(日) 19:49:48 ID:IN/SOm5m
なるほど。
では濃尾納めた時点で織田は大大名なんていう図式は必ずしもってわけじゃないんですね。

しかし秀吉って何者なんでしょうかね。
今で言えば中卒で英語もできないやつがマイクロソフトの後継者になるくらいの話ですか?



248 :人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/08(日) 20:32:31 ID:OrfxX/uf
名古屋城って立派なお城ですが城主は誰ですか?
織田信長は安土城なので違うでしょうし

249 :人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/08(日) 20:39:19 ID:IN/SOm5m
城主?
作った人ですか?
wikipediaとかどうですか

250 :人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/09(月) 00:24:41 ID:Y+NjFWMS
「名古屋」に限るなら、
尾張徳川の当主だけなので
尾張徳川家の歴代当主を調べればいい。

251 :人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/09(月) 06:24:39 ID:ZY7OuB8e
>>240
北陸方面軍は全軍動員できれば5-6万だが
2が来れなかったので少ないのよ

252 :人間七七四年:2008/06/10(火) 23:26:36 ID:U5+3tVEk
>>251
No2って佐々が2番目?
なるほど越中は40万近くあるんでしたっけ?
そう考えると信長からの評価は高いんですね佐々。
確かにあの上杉軍を一応防いだわけですし。

としまつ見てるとどうしても前田が強くあって欲しくなっちゃいますが。
実際前田はケチだからか全然兵を雇ってなくて単独で戦をするには向かない性分の大名ですよね。
人望や秀吉とのつながりのおかげで2強みたいなところまであがりましたけど。

そういえば晩年のとしいえって実は権力や出世という意味では信長越えをしていたんですかね?
そこまではいかないのか?

253 :奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2008/06/11(水) 02:16:25 ID:gC+46czq
前田利家の大老格は豊臣家の家宰的立場に拠るもの。

254 :人間七七四年:2008/06/11(水) 11:30:15 ID:ZnUEt3D6
偉大なるイエスマンって感じかなw

無能とは思わないが、
あくまでそれは補佐役・調整役として或いは官吏や武将として才能であって、
独立勢力のトップとしての才能は無いよ。
光り輝く恒星があって、初めて自分も輝けるタイプ。

255 :人間七七四年:2008/06/11(水) 13:06:22 ID:QJVwnHHc
>>254
イエスマンなんですか?利家は。
かなり秀吉に反抗的だったような描写でした大河では。
なんていうか物言う部下っていう感じの。
あれだけ主人公万歳の大河ですら能力的にはさすがに一流には劣るという描写でしたから能力的には1.5竜〜残念ながら2竜がいいところかと思ってました。
ま、好きなんで1.5流でお願いします。

確かにカリスマというより秀長タイプなんですかね。いや違うな。
人間を釜茹でにするような鬼畜な一面も持っていたわけですから。

よくわかりませんよね。
そこらへんのヤクザよりずっとずっーと怖いんですよね。昔の大名って。
例えば佐々の切腹とか本当にやったんですか?
実際はどの程度だったんでしょうか?
その時代の殺しとか自殺とかの実情って。

256 :人間七七四年:2008/06/12(木) 16:30:28 ID:PHOeQvhj
同じ敵の大軍を引きつけ本戦に参加させなかった功績があるのに
何故真田の足止めは賞賛されて京極の足止めは多く語られる事がないのでしょうか
また同じ主家の石高を大幅に減らした大戦犯なのに
吉川は裏切者と罵られ、(元就の遺言を忠実に守ったのに)
直江は智謀の将だったと語られるのですか

257 :人間七七四年:2008/06/12(木) 17:36:42 ID:Nq35WIae
真田と直江は一貫して西軍、京極と吉川は中途の寝返り・内応

これに対する印象の差じゃね?

258 :人間七七四年:2008/06/12(木) 17:48:56 ID:mZL8OWHH
吉川は独断でやったのであって主家に相談してのことじゃないんじゃなかった
っけ?だから山に布陣した秀元に「なぜ軍を動かさないのか?」と言われたが
「輝元様にそう言う風に言い含められた」みたいな言い訳をしたんじゃない?
小説の話なのでマジかわからんけど。
直江は景ちゃんも承知でひと暴れしたから本望なんじゃない?

関係ないけど改易のところ30万石だけ領有を許されたのは謙信公が家康の
同盟の提案に快く応じてくれたことへの恩返しだとか、景勝が同じ豊臣家の
大老のとき、同格でありながら年長の自分を立てて丁重な物腰で自分に対して
くれたからその景勝への感謝の気持ちの表れとかいわれてるね。
本当のところはどうなんだろか。


259 :人間七七四年:2008/06/12(木) 22:46:15 ID:8aoXxIRG
>>258
吉川広家が家康へ出した誓紙は、家老衆との連署。
つまり独断ではない。
むしろ評定を無視して輝元本人にも事後承諾で、
勝手に西軍参加を決めた恵瓊の方が独断というか暴走。

まあ吉川派からも恵瓊からも事後承諾で追認した輝元の空気さ加減が全ての元凶かと。

260 :人間七七四年:2008/06/13(金) 11:11:45 ID:ACruAvxm
長篠の戦いの歴史的意義を説明しなさいという課題、難しいよね

261 :人間七七四年:2008/06/13(金) 23:09:23 ID:qx0rQ0lO
>>260
う〜ん。
戦争における武器の革新とかか。
まあ鉄砲の大量使用をうまい事言葉をみつくろえばいいだけだろ。
それを自分で考えるときに脳を使う。
それが勉強というものだ。自分で考えろ。
社会に出て人にきいてる暇はないんだぜ?

262 :人間七七四年:2008/06/13(金) 23:31:33 ID:hPGqkUtO
大規模野戦築城戦術の先駆け、じゃないかなあ。


263 :人間七七四年:2008/06/15(日) 08:10:36 ID:ldi9gQd6
なんか城攻めの時に美しい笛の音についつい出てきた武将が弓で射られたとかって
話を聞いた事があるんですが、これって何の話でしたっけ?

264 :人間七七四年:2008/06/15(日) 08:52:34 ID:YByyIH1l
お前の話

265 :人間七七四年:2008/06/15(日) 09:15:52 ID:KbIqiJ5y
>>264
もうちっとまじめに答えてやれよw
信玄が家康を攻めてたときの
逸話が有力、とかさ

266 :人間七七四年:2008/06/15(日) 09:21:12 ID:3/jjEmcM
笛に惹かれて出てきたんじゃなくて自分で吹いてたほうなら、
尼子政久のことだと思ったけど、違うかな?

267 :人間七七四年:2008/06/15(日) 09:38:00 ID:ldi9gQd6
>>265
>>266
ありがとうございます。

俺が聞いたのはどうも>>266のお話の様です。
お手数おかけしました・・・・



268 :人間七七四年:2008/06/15(日) 12:43:25 ID:S6Gd2lE0
>>260
>>262
[大規模野戦築城戦術の先駆け]
うーんそれでもいいか・・・
ただし本陣に強固な囲い(砦)を作ることは以前からあったし・・・
開戦から暫くの間、全軍がその中にいて飛び道具だけで敵を狙い打つ戦法がやはり新しいのか・・
「信長公記」にも「御人数一首もお出しなく」(誰一人陣から出て戦うものはいなかった)
とあるように。
長篠の戦いの実態はだんだん解明されてきているね。
・鉄砲総数は1500(500は別働隊)
・三段撃ちはなかった。
で、最新の研究では、別働隊が本隊から離れたことで、連合軍本隊の兵数を勝頼がカン違いして
力押しで勝てると考え総攻撃を仕掛けたが、実際は遥かに多い26,000が待ち構えていた、
こんな感じ。

こうなると歴史的意義といってもナントモハヤだね。



269 :人間七七四年:2008/06/15(日) 14:56:21 ID:YByyIH1l
>>268
>長篠の戦いの実態はだんだん解明されてきているね。

>>260読めよ。お前はバカか。

270 :人間七七四年:2008/06/16(月) 21:59:34 ID:cmUcxwM6
大坂冬の陣夏の陣の参戦武将
各々の詳細な兵数が載ってるサイトがありましたら教えて下さい

271 :人間七七四年:2008/06/17(火) 21:34:11 ID:lKq5evy7
サイト教えてっていわれると
説明してって言われるより萎えるのは
俺だけかね

272 :奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2008/06/17(火) 23:37:54 ID:IJfhlGXn
そこはグーグルのアドレスを貼るのが優しさだと思うんだ。

273 :人間七七四年:2008/06/18(水) 09:13:32 ID:0A72b66O
>>272
すまん、ワロタw

274 :人間七七四年:2008/06/19(木) 02:09:41 ID:sJiTCvS4
田丸直昌が吃音だったというのは史実でしょうか?

275 :人間七七四年:2008/06/19(木) 12:38:42 ID:M5X5N5Ih
>>264 >>269

真性のアホキタ〜

276 :人間七七四年:2008/06/19(木) 15:45:31 ID:9vbMTbvS
賤ヶ岳七本槍って7人だから七本槍じゃないんですか?

277 :人間七七四年:2008/06/19(木) 16:26:54 ID:pWdiiSXJ
小豆坂七本槍にかけただけ

278 :人間七七四年:2008/06/24(火) 08:20:01 ID:jFJ40XhC
質問です。
小田氏治は将軍足利義晴の従兄弟に当たると思うんですが、
古河公方家や同じ将軍の従兄弟の足利義栄に比べて、
その権威を利用しようとしている人が少ないと思うんですが、
小田氏治に将軍の親戚的な権威はなかったんでしょうか?

279 :人間七七四年:2008/06/27(金) 22:57:07 ID:Vp19AlpX
>>278
その質問の中に答えが出てると思うんだけどもしかして君ってバカなの

280 :人間七七四年:2008/06/28(土) 12:36:51 ID:xUUOVraW
>>279
日本語を知らないやつだなあ、
「何故」そうだったのかと聞いているのが分からないのか???

281 :人間七七四年:2008/06/28(土) 15:54:23 ID:bX8jSv/H
>>280
わからないな。
消えろ。

282 :人間七七四年:2008/06/29(日) 12:46:53 ID:wl/ZpQFb
 >>280 \○  <<281
 WIN ‖\

283 :人間七七四年:2008/06/29(日) 18:15:42 ID:SLy1z1l2
>>282
だから消えろって。

284 :人間七七四年:2008/07/03(木) 18:33:28 ID:jdoXm5tL
武田信玄とか大友宗麟とか法名を持つ武将って
家臣や他大名との書状では、実名と法名のどちらを使用したの?

「武田信玄」?「武田晴信」?
「大友宗麟」?「大友義鎮」?

285 :奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2008/07/03(木) 23:14:51 ID:6AGQ4Se9
どっちも。

286 :人間七七四年:2008/07/06(日) 17:05:59 ID:zEjiO+Ko
日本国政府の紋章が秀吉と同じ桐の紋なんだけど
秀吉が天皇からもらっただけで、
別に秀吉の紋が使われてるわけではないですよね?

287 :人間七七四年:2008/07/06(日) 19:17:58 ID:p7UTs0jv
桐紋は下賜用と言っても過言ではないかと。
逆に菊紋は下賜されない。

288 :人間七七四年:2008/07/07(月) 01:08:47 ID:sVDY8ogc
>>284
信玄の例をとると、出家するまでは「晴信」、出家して以降は「信玄」。
織田信長の「のふ」(信。寧子への手紙で知られる)のように省略することもある。

289 :人間七七四年:2008/07/07(月) 14:41:02 ID:uf3yRE1E
長篠の戦いのとき、織田軍は雨が降っても鉄砲が使えるような対策はしていたのですか?

290 :人間七七四年:2008/07/07(月) 17:18:32 ID:o8dPaDXY
多少濡れても燃え続ける火縄を普及させるという工夫はあった。
他の鉄砲先進勢力に較べても、それほど遅れをとっていたわけではない。

そもそも雨は織田軍だけを狙い撃ちにするわけじゃないし。
天候の有利不利はお互い様。

鉄砲に依存しない戦いの算段を、しっかり踏んでいたよ。
そのおかげもあって勝ったわけだし。

291 :人間七七四年:2008/07/08(火) 11:22:59 ID:O52vvvqu
三段馬防柵がいつのまにやら三段銃陣に

292 :人間七七四年:2008/07/08(火) 11:39:52 ID:9NkoO+x6
鉄砲の工夫が進められって話はあるあけど撃ち方なのか
機械的改良なのか材質なのか何なのかまったくわかっていない

293 :人間七七四年:2008/07/08(火) 12:21:50 ID:COCtWxkf
>>288
大友宗麟の方はわかりますか?
秀吉に援軍を求める書状なんかには何て署名してたんでしょうか?

294 :人間七七四年:2008/07/12(土) 19:38:29 ID:TAaNtMbP
和田惟政の死について質問です
信長と足利義昭の対立が深まり、信長に背いたことで信長方の荒木村重らに討たれたという説
信長には背かず信長の配下として三好松永らと戦い、三好松永に属していた荒木らに討たれたという説
以上の二つの説を目にしたのですがどちらが正しいのでしょうか?


295 :人間七七四年:2008/07/13(日) 15:44:56 ID:xCfIiYck
サラリーマン大名と切り取りで大きくなった大名はどちらが格が上ですか。

皆さんが好きな方も教えてね。

296 :人間七七四年:2008/07/14(月) 14:43:47 ID:INEJa3iz
>>294
この時の村重は明確に信長に敵対している。
信長から疎まれそうになったが信頼回復し、その後も織田の為に極めてよく働いている。
信長はこういう働きをする人物を重用する。
↓これに書いてあるのが史実に近いのでは。
http://s-mizoe.hp.infoseek.co.jp/m234.html

297 :人間七七四年:2008/07/14(月) 15:41:00 ID:wwsR7QzV
>>296
返答ありがとうございますm(_ _)m
ご紹介のサイトもとても参考になりました

298 :人間七七四年:2008/07/15(火) 00:13:04 ID:AqWFCDtL
>>294
多分、どっちも正確には正解じゃないかも。
明確に信長に敵対していたわけじゃないけど、
足利義昭との関係で、立場が弱くなり、疎まれはじめていた和田氏と
摂津の実質上の権力者となり、信長の寵愛を受けつつあった荒木とが
摂津の覇権を巡って争った。結果・名目上の守護・池田氏を担いだ
荒木が和田を攻め滅ぼした、と。
まあ、後に松永と同じく裏切るわけだが。

たぶん、信長は言う事聞いてくれる荒木が
実権持った方が良かったんで、黙殺したんじゃないのかね。
織田が援軍出したとかいう記録も見たことないし。

299 :人間七七四年:2008/07/15(火) 02:45:51 ID:nyz0lwRe
>>298
なるほど。詳しく分かりやすいご説明、本当にありがとうございます
確かに>>298さんの言う通りだとすると色々と納得できることが多いですね
 
いわば信長にとっては身内同士(少し誇張ですが)の戦いであったのに、村重を止めることも惟政を助けることもしなかったのは、信長にとって村重の価値>惟政の価値 であり 村重と信長の仲>惟政と信長の仲 という背景があったからなのでしょうね。

長くなりましたが、お二方とも本当にありがとうございましたm(_ _)m

300 :人間七七四年:2008/07/15(火) 12:10:15 ID:SpK5vE5s
織田信長の娘の「秀子」が筒井定次に嫁いでいますが、彼女は光秀の実娘で信長の養女にしたとする系図が
歴史群像に載っています。
その本では光秀の「秀」の字が娘の名前だって理由付けしているのですが、この真偽について教えてください。


301 :人間七七四年:2008/07/15(火) 15:34:13 ID:7suNzUSn
正室は信長の娘。
側室は光秀の娘(光秀の側室の子):光秀には側室がいた。

302 :人間七七四年:2008/07/16(水) 12:13:22 ID:d+m9FLXM
織田信長は家臣に九州の名族を姓を与え、明智光秀には「惟任」・丹羽長秀には「惟住」と名乗ります。
そこで質問なのですが、「惟任・惟住」は本当に九州の名族の苗字として存在したのでしょうか?
一説には「惟任」は「惟宗」の訛伝だといわれていますが、その真偽も含めて教えてください。

303 :奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2008/07/17(木) 00:01:50 ID:sIqW+Bix
答えではなく簗田広正の別喜右近大夫というのも戸次の訛りという追加。

304 :人間七七四年:2008/07/18(金) 21:53:15 ID:4Tdq7QLx
黒田勘兵衛が秀吉に「うまくやりなされ」って言って野心を見抜かれたとか、長政に
「空いてる手はなにをしてた」って怒ったりしてますが、彼に天下を取るチャンスは
本当にあったんでしょうか?

305 :人間七七四年:2008/07/18(金) 22:14:03 ID:IkIK0aDZ
ない。

306 :人間七七四年:2008/07/19(土) 19:01:42 ID:WyMQa0A2
まあ、ないだろね。
秀吉絡みで過大評価されてる部分も多いし。
黒田官兵衛も竹中半兵衛も小禄だしね。

307 :人間七七四年:2008/07/22(火) 19:57:30 ID:Fr2Q2E0I
長文駄文失礼します。

ウチの親父は趣味で絵を描いてるんですが…
どうしても知りたい事があるらしいんです。
昔本屋で見たらしく(?)探しているのですが情報不足で見当たらず。
ちと困り果てています。

内容としては武士の大名屋敷の門について知りたいらしいんです。
昔の武士の階級毎に作れる門が決まってたらしい?
主に石高毎にそれが決まってるらしいんですが
その石高毎に作れる門について知りたいそうなんです。

検索してみてもぜんぜんヒットしないし本屋を探してもそれっぽいものが見当たらず。

知りたいことは
・石高毎に作れる門の詳細と絵や写真?らしいのです。

新参なのでここで聞くのも間違ってるかもしれない内容ですが
詳しいサイトや本など情報があったら教えてください!


だいぶ下がっていたのでsageませんでしたが問題ありましたら失礼しました。

308 :人間七七四年:2008/07/22(火) 23:37:52 ID:Fr2Q2E0I
親父本人に色々問いながら進めていった結果なんとか結論に辿りつけました。

どうやら大名には色々な屋敷のタイプがあったということ。
石高で分かれるのは主に旗本であったこと。
石高によっては門や瓦に畳も使えなかった事等わかりました。

ググったりしても一向にヒットしなかったのですがwikiで武家屋敷と調べてみたら
カナリ詳細なモノがのっていてそこからの知識で補完しつつ検索をしていたら
なんとか画像も見つかったのでそれで満足してもらえそうです。
いきなりの駄文失礼しました。


309 :人間七七四年:2008/07/23(水) 11:55:55 ID:MYHVFdIZ
それは戦国時代の質問だったのか?

江戸時代のネタとしか思えないのだが

310 :人間七七四年:2008/07/23(水) 14:52:24 ID:15GBVPXy
今本屋にいるんだけど、岡谷繁実が書いた「名将言行録」の現代語訳って文庫だけ?
岩波文庫のところになかったから、文庫じゃない固い表紙の方で探してるんだが中々見付からない

311 :人間七七四年:2008/07/26(土) 02:29:12 ID:y6T4rfxG
これは戦国時代だけではないかも知れませんがなぜ大名など偉い人は
正室に何人もの男の子がいても側室を娶るのですか?ぎゃくに男の子
が増えたら争いになるかもしれないのに...。

312 :人間七七四年:2008/07/26(土) 02:36:55 ID:KqRMhl4s
一に予備、二に外交戦略要員。

この時代の幼児死亡率の高さで無事成人できる可能性は現代とは比べ物にならないくらい低い。
また医療などが未発達のため、成人しても病や怪我が悪化してあっさり死ぬことも有る。
そういう場合に備えておく必要がある。
あと毛利の両川や北条の氏照・氏邦らのように、
他家に養子に出してその家を乗っ取るのは常套手段。

313 :人間七七四年:2008/07/26(土) 18:19:22 ID:vmru+1Ug
すいません
黒田長政スレって無いんですか?

黒田・長政のどっちで検索しても引っ掛からなくて、
まさか隠語みたいなのでスレタイになってると困るなあと質問です

314 :人間七七四年:2008/07/26(土) 18:48:39 ID:+ZFyvZs3
>>311
増えすぎた男子を仏門に入れて、家督争いを未然に防ぐ方法もある。
例:今川家・足利家

315 :人間七七四年:2008/07/26(土) 23:26:13 ID:y6T4rfxG
>>312 >>314 ありがとうございます。生存率のことが頭から完全に
抜けていました。ファンタジー小説の読みすぎだなと思いました。


316 :中山幸盛 ◆c1ZKiGzz62 :2008/07/28(月) 08:16:25 ID:fpmLJDxF
>>313
たったよ

黒田長政だ!
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1217114128/1-100

317 :人間七七四年:2008/07/29(火) 20:25:28 ID:m8SmvsIH
武田・上杉・北条・今川の政策についての差異性と共通性を教えてください。
できれば各氏の中央政権との関係もお願いします。

318 :人間七七四年:2008/07/30(水) 09:11:23 ID:DYptmby9
>>317
なんだその夏休みの宿題みたいなのはw

319 :人間七七四年:2008/07/30(水) 14:07:05 ID:cfUR4bJS
>>317
スレを立てろ。
1スレくらいなら埋まると思われる。

320 :人間七七四年:2008/08/03(日) 06:15:04 ID:VJaquGsg
家康が関東に入府したとき江戸一帯は原野に近かったそうです。
家康の所領の石高が公称240万石というのが嘘だと思うのですが。
毛利と上杉足したぐらいあったとは思えない、

321 :中山幸盛 ◆c1ZKiGzz62 :2008/08/03(日) 10:57:01 ID:uhpnBppl
    太閤検地
下野  374,082
上野  496,733
武蔵  667,126
下総  373,255
上総  378,892
相模  194,204
伊豆  69,832

計 255万4124

まぁ、実高300万こえてたんじゃない?

322 :人間七七四年:2008/08/03(日) 11:41:52 ID:yhAuYTru
相模が異常に少ないが、これは鎌倉要塞と関係あるの?
周辺にあんまり人を住まわせなかったとか・・・
開発をしないようにして原野のままにしておくことが、防衛上優先されたとか・・・

323 :人間七七四年:2008/08/03(日) 16:51:23 ID:SHgvavRI
役帳で奥三保に田は存在しない事を考えてみれば、
相模の耕地は少なかったと見ていいんじゃないか。
ただし、奥三保や伊豆は山林資源の宝庫だから単純な石高では計れない価値があるけどね。

324 :人間七七四年:2008/08/03(日) 20:31:01 ID:/QWJVsx6
表高と実高では倍くらい違ったんじゃないか。
勿論、実高が高いのが欲しい
軍役の割り当ては表高で当てるから

325 :人間七七四年:2008/08/14(木) 02:13:31 ID:5Xh73/I6
薩摩って慶喜を将軍にしようとしてたのに何で最終的に慶喜と対立したんですか?

326 :人間七七四年:2008/08/14(木) 03:18:32 ID:lwCGj/t5
ですので慶喜が晩年こんな趣旨の事を言っています。
「最初から倒幕を掲げていた長州は、今は恨んでいない。ある意味立派。
 しかし薩摩は途中で寝返りやがってマジむかつく。死ね、氏ねじゃなくて死ね」

327 :人間七七四年:2008/08/14(木) 16:35:24 ID:5Xh73/I6
攘夷やら倒幕やら開国やらごっちゃになってよくわからないです。
幕府は開国しようとしてたから倒幕=開国でもないですよね。

328 :人間七七四年:2008/08/14(木) 20:09:22 ID:dFPWTl9R
攘夷 ⇔ 開国 が対立概念
佐幕 ⇔ 倒幕 が対立概念
それぞれベクトルが異なる思想。
組み合わせによって、倒幕開国思想とか、佐幕攘夷思想とかもある。
倒幕派の一部が看板に掲げた名目が尊王。
武家主導の政治制度を作り上げたいけど、徳川家には引っ込んでもらって
他の有力大名家の議会で行こうという雄藩連合思想というのもある。
朝廷の重鎮(公家)と武家を織り交ぜた議会で政治を行おうという、
公武合体思想というのもある。


329 :人間七七四年:2008/08/15(金) 02:41:30 ID:l6YIvCQv
井伊大老が暗殺されたのは攘夷対開国の流れから?

330 :中山幸盛 ◆c1ZKiGzz62 :2008/08/15(金) 10:41:32 ID:uB+d5t3w
攘夷開国なしにただの怨念からかも

井伊直弼は攘夷派に対して酷いことしたよね(´・ω・`)

331 :人間七七四年:2008/08/15(金) 11:05:54 ID:L4F5vuIW
暗殺の動機は、井伊が行った弾圧に対する報復でしょう。

攘夷派と倒幕派という別々の思想集団が、
アンチ井伊という共通要素を得て手を結び、
倒幕攘夷(あるいは尊王攘夷)という新たな運動が産まれたと言われています。

332 :人間七七四年:2008/08/15(金) 18:12:00 ID:l6YIvCQv
結局は尊王開国みたいな感じになったんかな。
尊王攘夷と言っても実際に天皇が政治をするわけじゃないでしょ?

333 :人間七七四年:2008/08/16(土) 06:18:14 ID:oJp5mau3
戦国の兵制についてお聞きします

1、一騎の騎馬武者は禄高に応じて、旗何本、弓いくつ、槍いくつと平素から家来を養い軍役を
果たした、と聞きます
この場合、たとえば家来の槍足軽は戦いでも、つねに主人の馬側で行動するのが自然に
思えます

2、いっぽう合戦においては、軍勢は兵種ごとに分かれ、まず鉄砲・弓隊による射撃戦、
槍足軽隊による白兵戦、最後に騎馬隊が突入して雌雄を決した、という記述がみられます
ドラマなんかでも鉄砲足軽はそれだけで集団を作り、槍足軽も槍だけの集団を作って
いますよね。この場合の足軽は、主人の騎馬武者とともに行動していません

この違いは何でしょう
考えられるのは

A、1と2の足軽は別物。とくに騎馬武者の主人を持たず、槍なら槍隊を形成する足軽たちと、
 騎馬隊に混じって馬上の主人を護衛する足軽の、2種類がいた

B、1と2は同じ。主人に率いられて戦場までは来るが、いざ合戦というときには
 「行ってまいります」とばかりに主人から離れる。
 それらの足軽たちを集めて、槍なら槍隊の集団が形成される

C、しょせん本もドラマも後世の類推なので本当のところはまったく分からない

どれかしかないと思うのですが、どれなんでしょう(Bでは手順が煩雑すぎか)

つまらないことを長文で書いてしまいましたが、ずーっと気になっていたもので・・・
詳しい方教えてください または考えを聞かせてください


334 :人間七七四年:2008/08/16(土) 12:48:02 ID:g6vGR0CM
戦国では備という戦術部隊で行動します。
大名とされる一万石以上というのは、自前で備を出せる目安ということになります。
逆に言えば一万石に満たない中小武士は寄り集まって一つの備を形成せねばなりません(いわゆる寄親寄子制)。
そのようなより集めの備でも、大名の備と同様に諸足軽が居なければ集団戦闘ができないので、
諸足軽を皆で出し合う必要があるわけです。
また軍役を見れば分かりますが、御槍持や口取りなどは記載されていません。
つまり武士達は軍役とは別に家臣(自分と共に行動する郎党や中間)を従えていたわけです。
軍役の兵力を放出したとしても武士の周りには家臣たちが居た訳です。

よってBが正しいと思われます。

335 :人間七七四年:2008/08/16(土) 13:01:41 ID:FMd4dGZC
降服とかで頭を丸めると許されるのはなぜですか?
髪なんか禿じゃなければほっときゃそのうち生えてくるし
そもそもサカヤキそってるから
頭頂部はもともと生えてないしで痛くもかゆくもないでしょ?
髪に痛覚神経通ってるわけじゃないし
今はハゲは侮蔑の対象スケベの代名詞ですが
当時の僧侶はそれなりに尊敬さる対象だったはずで
剃ることが欠点にはならないでしょうし

336 :中山幸盛 ◆c1ZKiGzz62 :2008/08/16(土) 13:16:13 ID:U8bV46cU
頭を丸めて僧侶になることで、「私はもう野心はありません」っていうことを示すからかな
まぁ、反省の意味を込めて頭を丸めるんだよ

337 :人間七七四年:2008/08/16(土) 14:28:03 ID:uCS34IGM
まげというのは元々兜の穴に通して兜を固定する為に始まった髪型
足軽として駆り出される農民にもその後広まったが、
武士にとっては「いつでも戦える状態にある」という象徴的な意味合いもあったと思われる
元服の際に前髪を上げて(切って)正式にまげを結うという儀式が行なわれていた事からも
一人前の武士の象徴として重要な物と考えられていた可能性が高い
それを落とすという事は、大げさに言えば「誇り」を捨てるという感覚もあったのかもしれん

338 :人間七七四年:2008/08/16(土) 14:52:16 ID:oJp5mau3
>>334
わかりやすい回答ありがとうございました。

武士達は軍役とは別に家臣(自分と共に行動する郎党や中間)を従えていた
軍役の兵力を放出したとしても武士の周りには家臣たちが居た

という説明は、長年の疑問が氷解する思いでした

軍役用に動員された兵は戦場に赴く前に、主君(?)からは離れて兵種ごとに集合
させられていた感じでしょうか・・・

339 :人間七七四年:2008/08/16(土) 23:22:47 ID:9l09EUUY
なるほど。武将は命じられた兵数を集めるが、
常にそれを連れて来た武将が指揮するのではなく、
兵種ごとにこれを集めて、誰かが動かすってことかいな?

俺は武将の引率する小隊が中の人はそのままで槍や鉄砲に持ち替えるのかとばかり思っていた。

340 :人間七七四年:2008/08/18(月) 22:17:24 ID:5/7Cyrz8
>>334
大名が雇った足軽隊を侍大将の指揮下に置いたり
国人に上層の大名が足軽用の槍を供与したりしているのでAが正しいと思う

Bのような郎党の供出があったという資料を自分は知らないので、よかったら
教えて欲しい。自分、備の研究者なもんで

341 :人間七七四年:2008/08/18(月) 23:24:02 ID:lnIlshBU
あとさ、よく野戦は弓鉄砲投石で遠戦して、
相手が弱れば槍合わせすると言うけど、
相手が弱るってどういうことなんかね?

被害が増える、陣が乱れる、将が負傷するなどがありそうだけど、
そこへ好機とばかりに槍を進めてもすぐ立て直されたらダメじゃない?

342 :人間七七四年:2008/08/19(火) 06:39:39 ID:MwQF7Dm9
>>341
直ぐ立て直されないほどの損害を与えるか
立て直す前に迅速に敵陣に乗り込むか
要はスピードとタイミング

343 :人間七七四年:2008/08/19(火) 08:48:37 ID:ZPLXIcih
>>342
遠距離戦で「直ぐ立て直せないほどの損害を与える」まで圧倒できるのかが疑問。
結構な距離があるだろうに歩兵がわーっと鑓を前に突撃できるのかどうかわからない。
三段撃ちじゃないけれど、そう常にうまくは出来ないんじゃないか。
常用できる用兵術とは思えないんだよね。

344 :人間七七四年:2008/08/19(火) 09:31:46 ID:7nemmroc
当時の遠戦は大体、50〜100m程度なので、火力密度か下がれば突撃による突破は可能

345 :人間七七四年:2008/08/19(火) 09:59:49 ID:S8buBw0L
実害(死者による兵力の減少)もあるが、士気の低下による混乱というのもある
こっちは一度大きな混乱状態になったら簡単には修正が効かん
兵数で圧倒的に勝る軍が寡兵に打ち破られる例がいくつもあるが、
混乱で兵の統制が取れなくなって崩壊というのは少なくない

346 :人間七七四年:2008/08/19(火) 16:45:23 ID:bEJ77z3/
>>334
郎党を出すとは書いてはいませんが。
確かにまずい書き方をしているのは認めます、
郎党が軍役に入っていないような書き方ですから。

自分の部下の足軽の指揮権を委ねるのは、
岡本何某への着到状を見ていただければその一端はわかるはずです。
また名前は忘れましたが騎乗三名を除き他は全て鉄砲足軽という極端な動員例もあり、
彼は自分の出した兵力で鉄砲足軽隊的な位置にいたことがわかります。
また同じく北条の着到状には
知行を受ける本人だけではなく足軽の軍装(足軽用の長槍の長さは二間半に統一しろなどまで細かく指定して、
それを間違いなく用意して来いといっています。
これらのことから大名が一元的に足軽を出していたわけではなく、
中小武士達が動員してきた足軽たちも足軽隊として運用していたと考えられると思います。
また一万石の大名、といっても千石前後の家老を筆頭に陪臣を当然抱えているわけで、
それらの兵力を当てにしなければ足軽を揃えることは不可能かと。

もちろん幕府で言うところの町奉行所の同心や八王子千人同心といった足軽達を幕府が直々に抱えていたように、
大名が足軽を大量に直接抱えていたのはおっしゃるとおりで、異論の余地はありません。

347 :人間七七四年:2008/08/19(火) 21:10:30 ID:ZPLXIcih
340へのアンカーミスしてない?

348 :人間七七四年:2008/08/19(火) 23:01:34 ID:MwQF7Dm9
>>346
う〜ん、自分としては自分の家臣である足軽を貸し出すという構図が納得できないのです
そういう事は近世の備では行われず、陪臣は陪臣でそれぞれの侍に仕えるという形なのです
自分は備の成り立ちは旧来の武士団に大名が編制した足軽組を付属したのが始まりと
考えてるので、そういうそれぞれの武士からの供出には首を傾げているのです

旗の統一も部隊識別(合印)と考えれば直臣・陪臣の区別なしとなるでしょうし、現に井伊の
赤備は直臣・陪臣ともに赤で、直臣は名前書きで陪臣は主君の紋を入れるという区別だそうで

それに軍装の統一も相手を威圧する為と軍役状に書いてあったと思います
自分としては封建制を壊す主従関係を飛び越えた人の供出(特に下から上)はあるとは考え
にくいのです

349 :人間七七四年:2008/08/20(水) 00:29:28 ID:lN/5ytWV
>>348
根拠を出せ、といわれたから出したまでです。
ミクロな寄親寄子制の例。
大名が武士に足軽隊をつけたことへの反論として、
軍役そのものが鉄砲隊という軍役の人員が衆の足軽隊として使われていた例。
そして大名が一手に足軽の武具(槍)を貸し出していたということへの反論。

封建制を壊すといわれますが、北条をはじめ一部の大名は直臣の封建制の一部を否定してますよ。
それは江戸時代に入るとより顕著になります、藩にもよりますが。
武士達の領主たるを保証するのは一通の安堵状と藩からもらえる給米くらいなもの。
自分の領地に行ったら処罰、勝手に領民にあったら処罰、
都市に住むことを強制され、必要なことは全部藩がまとめて代行、
これではとても封建領主とはいえません。
この走りは戦国中期頃から徐々に見られるようになってきていると思います。

>>347
ミスってます、申し訳ない。

350 :人間七七四年:2008/08/20(水) 01:32:08 ID:ngVSz8dO
なるほど。この議論は面白い。
そうすると謙信が自軍の中を馬で突っ切り、
青竹で「ここから右側の足軽は全部何某の、逆側は何某の指揮下に入って戦え」
と指揮した逸話もあながち出鱈目ではなく、
可能性として否定しきれないことになりそうでんな。


351 :人間七七四年:2008/08/20(水) 07:21:39 ID:Tva3DI5U
>>349
一応、私も議論の為の反論としてお受け下さい

果たして武士それぞれの軍役下にある足軽が足軽隊のとして抽出されたかが大きな問題と思います
私の感じる限りでは武器・装具の統一以外でその様な事を示す傍証は内容に思ってます
つまり、自身で動員した兵を差し出すということが一般的に行われたか否かで
これは主従関係を壊すことになりかねないと思います

同様の施策は幕末の幕府歩兵隊で一時行われていますが、あまりにも人材にばらつきがあるので
直ぐに金納に変更したという話もあるのです
なので、抽出はあまりないのではと考えています

後、大名から国人への武器供与はあくまで与えたという意味で、これは備を編制するのに経済力が
足りない国人に対する援助と考えています

352 :人間七七四年:2008/08/20(水) 13:25:42 ID:ngVSz8dO
>これは主従関係を壊すことになりかねないと思います

素人が横からですみません。
これについては戦国中期から解体がはじまっているのではないのかな?
足軽雑兵の類を供出する惣村の地侍は些細なことで領主をころころと変えられ、
一つの村を分割で支配されたり、複数近接する村が遠方の領主に飛び地としてあてがわれたりしている。
これではご領主様への忠誠心も何も育つわけではなく、ただ段銭を集めるように足軽を集めて、
奉行にこれを提出するがごとく動員をかけた大名に連れてきているのではないですかね?
これにより国人領主は合戦では自由に出来る直属の兵を多数抱える豪族ではなく、
一族郎党ほか小物などを引き連れた程度の一部将一家臣と化し、
あからさまな軍役拒否や独断的な軍事行動を取れなくなっていったと思うのですが。

353 :人間七七四年:2008/08/20(水) 20:20:29 ID:Tva3DI5U
>>352
足軽が農村からの徴集かどうかは疑問があると思います
小荷駄などの陣夫は地下人からの徴集なのは間違いないですが、
足軽や槍持といった戦闘要員もしくはそれに近い者達は自発的な参加と考えられています

この場合、彼らは雇い主と契約を交わしているので、そこで抽出されて足軽隊に編入となると
契約的にややこしくなるのです
寄親寄子制も同様の問題がありますが、この場合は知行安堵や恩賞は本来の主君によって
なされますが、足軽の場合はかなり問題がややこしいかと

何より寄親寄子制はその資料が豊富であるのに対し、武士の足軽を主君に供出するという
資料は私は見たことがないので、どうも疑問に感じています

近世では備の足軽隊とその足軽は全て大名の直臣なので、なおさらそう感じてしまうのです

354 :人間七七四年:2008/08/20(水) 20:47:58 ID:tfFp4krb
「自発的」の意味がよくわからないのですが、別に村や寺社が供出=地下人の供出とは言ってませんよ。
彼らが雇用するなりなんなりして、農産物を換金して納税するように、軍役を提供したのではと仮定しただけです。
契約云々はよくわからないのですが、
工事現場に口利きが人足を出すように、
大してややこしくはないんじゃないでしょうか。

ただ、大名に供出するという表現は僕もおかしいと思いました。
換言すれば、軍役に従って人数を連れてくる武士は、
それを自らのものではなく、親の統制下に入ることがある事を前提に連行しているのではないかと。
しかし、これにしても鉄砲隊や騎馬隊の指揮官はどのように選抜されるのかよくわかりませんね。
本当に謎です。

355 :人間七七四年:2008/08/20(水) 20:54:44 ID:lN/5ytWV
片棒担いでいるので強くは言いませんが、
そろそろスレ違いでしょう。

あと主君に供出するとは書いていません。
寄子は足軽ともども寄親の指揮下に入る、
その際、寄子の足軽は寄親の指揮下に置かれると言っています。
その例に付いては既に挙げ、一切の反論もないので言を重ねません。

356 :人間七七四年:2008/08/20(水) 22:18:43 ID:tfFp4krb
いや、あなたは書いていませんよ。
僕が納税を例にそのように取られる話にしてしまったとしただけです。
丁寧にご説を下さるのはありがたいのですが、
もう少し相手の話を理解してから返答するよう努めたほうがよろしいかと存じます。

357 :人間七七四年:2008/08/20(水) 22:31:46 ID:Tva3DI5U
>>354
つまり
領主に対する後方任務の陣夫提供は地下人の義務ですが、
足軽という戦闘任務は各々の自由意志によるものなのです

一応、非常時には地下人の戦闘任務への動員もありますが、
これは本当の非常時で、食料賃金支給、恩賞あり、出身地勤務
とかなり気を使ってます

そして口利き方式は上が雇い、下に預ける形(江戸時代の武家
奉公人がこの形)ですが、逆に下が雇ったものを上に預けるか?
こういった例が資料であれば即解決なんですけどね

一応、手詰まりと思うのでここまでにします
ありがとうございました

358 :人間七七四年:2008/08/20(水) 23:22:30 ID:tfFp4krb
いろいろありがとうございました。

359 :人間七七四年:2008/08/22(金) 17:38:11 ID:eRuwQIm1
519 名前:世界@名無史さん 投稿日:2008/08/22(金) 17:34:43 0
>>480
教科書に載ってるかどうかは知らないけど
秀吉の家は清州織田家の織田達勝に仕えていたということが最近の定説らしい
もともと中村一帯の広大な土地を所有する豪農で
いくさになると足軽たちを動員し指揮を執る格式的にそれなりの在地武士
ここ数年で親父さんの名前で織田信秀の村方相談役になってる資料も見つかって
神社にも親父さんが代表者として記録されてる資料が出たとかで有力な名主クラスだったことは間違いないみたい
大政所も百姓じゃなくて(階級は低いものの)武士の娘だということが判明したそうだ

だから極貧の最下層貧農の出ってのは少なくとも嘘っぱちもいいところなんだと

びっくりだね。立身には幼少期からそれなりのバックはいるってことか



これマジなん?ずっと水飲みの貧農の出で
実力だけで家柄やバックもなしに超出世した凄い人だと思ってたんだが騙されてたのか?

360 :人間七七四年:2008/08/22(金) 18:01:18 ID:vStky/Df
水呑の豪商ってのもいるしなぁ

361 :人間七七四年:2008/08/23(土) 00:06:11 ID:eTdmRa9R
>>359
だいたいそんなもんだよ。俺もそこまでは知らんかったが、
ただの貧農が武将にはなれんわ、やっぱ。

362 :人間七七四年:2008/08/23(土) 00:39:22 ID:gBYxVndw
戦国時代は石高イコール動員力みたいだけど
米さえあれば、OKなんて信じられないのですが。

363 :奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2008/08/23(土) 00:48:30 ID:7Edjv6q/
>>359の説を全肯定するつもりはない。
でも前田利家と仲がいいと言われているだけで、なんとなく納得できるな。

364 :人間七七四年:2008/08/23(土) 00:58:22 ID:eTdmRa9R
>>362
武家に与えられる知行地は収入の高低を示す。
主君から収入を多く与えられている武家はそれだけ大きな責任があり、
たくさん兵を連れてくる義務がある。
米があるからたくさん兵数を連れてこられるんじゃなくて、
それだけ実入りが大きいから兵を連れてこなくちゃいけないわけです。

>>363
でもどのみち低身の出身であるのには変わりないから、
秀吉のイメージが根本から変わるわけじゃないよね。
つかこの説って大河の秀吉でもある程度は再現されていたよな。

365 :人間七七四年:2008/08/23(土) 00:59:09 ID:qEHHHbUT
天皇がいる限り天下統一なんて有り得ないよね?

366 :奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2008/08/23(土) 01:02:51 ID:7Edjv6q/
>>364
士農工商に振り回される観念がまずいんだよ。
戦国時代の身分制度なんて曖昧なものなんだし。

367 :人間七七四年:2008/08/23(土) 01:05:18 ID:eTdmRa9R
>>366
だあね。
しかしこの場合、秀吉がそれを分けた張本人であるのは面白いw

368 :人間七七四年:2008/08/23(土) 04:12:58 ID:h7wt9dmF
>>364
>武家に与えられる知行地は収入の高低を示す。

つまり、米が通貨ですか?
何で、米ごときが。

369 :人間七七四年:2008/08/23(土) 07:39:51 ID:8gCDVcdi
>>398
それがないと死ぬから
主食舐めるなよ

370 :人間七七四年:2008/08/23(土) 08:07:20 ID:aWHRV5tW
つまり、米さえあれば生きてゆけると?

371 :人間七七四年:2008/08/23(土) 08:21:58 ID:8gCDVcdi
>>370
後、味噌があればいくつかのビタミンなど除けば生きていける
衣食住の食は基本的にこれで充足される

米の栄養価の高さを舐めてはいけない

372 :人間七七四年:2008/08/23(土) 09:32:34 ID:aWHRV5tW
脚気になると思う。

373 :人間七七四年:2008/08/23(土) 09:36:11 ID:8gCDVcdi
>>372
精米してなきゃならない

374 :人間七七四年:2008/08/23(土) 09:59:22 ID:gJDYt8iy
ID:aWHRV5tW

ここでの回答がそんなに納得いかんなら、納得いくまで自分で調べたら?

375 :人間七七四年:2008/08/23(土) 11:01:45 ID:11u92mQi
実際問題として、白米を食う江戸では脚気はかなり流行ったんだけどね。
それでも、社会を構成していた要素として米は欠かせないだろう

376 :人間七七四年:2008/08/23(土) 11:04:27 ID:cBN4may8
戦国時代の食事4膳目のスレでは
米=主食説は少数派だけどな。

377 :人間七七四年:2008/08/23(土) 11:21:31 ID:eTdmRa9R
>>370 >>372
米は通貨の代わりだったの。
江戸時代が近づくまで年貢はお米じゃなくてお金だった。
納税者はこれをお金に換えてから納めていた。
でもこの当時、良質の金銭があまり流通していないから、
一部領主は「いくらかは現物(農作物や工芸品などの生産物)のまま納税してもいいぞ」
となり、いろいろあって江戸時代には農民は米だけを納めるようになって、
換金は武士がやるようになった。
だからお米だけで生きていけるとかそういうもんではないですよ。

378 :人間七七四年:2008/08/23(土) 15:23:07 ID:qEHHHbUT
>>365
天皇がいなかったら、たとえば戦国時代は内戦ではなく、諸外国の戦いとなり、
織田領と毛利領はそれぞれ「別の国家」となっていたことになり、天下統一はありえない。
なぜならば「天下」という概念がないからってね。
中国みたいに王朝を破壊して、皇帝になろうとしない武将がいないだけで、国の秩序維持の「義理」高さがあったよね。

379 :人間七七四年:2008/08/23(土) 15:39:24 ID:WXXQC586
足軽についての俺のイメージなんですが、俺のなかでは足軽というと二通りあって
「笠と胴丸をつけて槍でつつきあってる」のと「派手な飾りはないけど甲冑である程度かためてる」

の二通りがあるんですが前者は雑兵、後者はある程度の士分ってことでいいんですか?

なんか日本語も変ですみません

380 :人間七七四年:2008/08/23(土) 20:50:24 ID:dcRzMhHl
377を現代に例えると、
ある警備会社の支社が多大な年商をあげていた。
それをみて本社が「大規模な短期警備の契約が来た。支社全部から人を貸して欲しい。供出人数は年商で決める」とか言い出した。
仕方ないので年商の割に人数の少ない支社は新規登用をしなくてはならなかった。
こんな関係が石高と軍役の実態、だと思う。

381 :人間七七四年:2008/08/24(日) 22:39:32 ID:bQx7JVXK
戦国時代じゃないんですけど江戸時代に改易されそうになって
家康の感状幕府に出して(もう徳川幕府も何代目か)今回だけは許すとなった藩の祖(感状貰った人)分かりますか?

神君 感状 改易 免除
あたりでググッても分かりませんでした。

382 :人間七七四年:2008/08/25(月) 02:45:21 ID:2EhXlxtq
>>381
感状かどうかは知らんが、榊原家に似たようなエピソードがある。
あと、改易されるところを「先祖の功績をもってとくに・・・」と家存続を許されるケースも
ある

383 :人間七七四年:2008/08/25(月) 07:06:10 ID:z8caIPac
黒田家じゃない?
黒田騒動の顛末そのままだと思ったけど。

384 :人間七七四年:2008/08/25(月) 08:41:36 ID:2+uAR//x
>>381です>>382-383さんありがとうございます。
神君の書付をもって改易今回は許してやるっての結構多いみたいですね
時代劇で下賜された扇子が盗まれて大騒動とかそんなのが幕府に知られた日には(((( ; ゚Д゚)))ガクガクブルブル

黒田家ググリました、黒田騒動でよく取り潰されなかったもんだ…

385 :人間七七四年:2008/08/25(月) 08:45:00 ID:2+uAR//x
あ、すみません件の用件は榊原家でした、喉のつかえが取れました。
ありがとうございます。

386 :人間七七四年:2008/08/26(火) 12:29:25 ID:sPVRH2nr
信長公記は色々な出版社から出ているのに、太閤様軍記之中と太田和泉守記がほとんど書籍化されていないのは何故?

387 :人間七七四年:2008/08/27(水) 13:48:56 ID:WpZrE5MP
>>386
太閤様軍記は原本も写本も残っていないし、「中」も全体通して秀吉への論評だから面白くないんだろ。
太田和泉守記は「関が原軍記」として書籍化されている。
大きな図書館に行けばあるだろ。

388 :人間七七四年:2008/08/27(水) 14:33:12 ID:HH2N0/Gm
>>387
ありがとう
後者は名前違ったのか

389 :人間七七四年:2008/08/27(水) 17:17:55 ID:io16Hf3l
質問です。長尾晴景は定説では永正九年生まれとされますが、
異説に大永七年生まれもあります。
後者は実隆公記で同年六月十日に為景に男児が生まれたので
太刀などを贈ったという記述があることが根拠となっています。
たしかにいくら羽振りのいい大名でも守護代風情でしかも次男相手に
柿本人麻呂の和歌に賛を施し、香炉、祝いの太刀、宸筆、緞子まで
贈呈するのはなかなかないように思います。
だからこれは長男への祝賀で、晴景の誕生と見るということになっています。
しかし同年、晴景こと童名道一宛ての書状で、
将軍足利義晴より晴の一字を名乗ることが許されているとともに、
弥六郎の通名を名乗るようされています。
まだ生まれて半年もならない赤子に一字拝領などあるのかどうか疑問です。
実際、こういうことはありうるのでしょうか?
お分かりになる方、お考えのある方がおられれば教えてください。

390 :人間七七四年:2008/08/28(木) 09:51:25 ID:dN3ZDmAy
>>386
>太閤様軍記之中
「たいかうさまくんきのうち」のこと?
それなら翻刻版が『戦国史料叢書』に載っている。
大学の図書館で閲覧した。


391 :人間七七四年:2008/09/02(火) 02:11:09 ID:Nm48Ad3I
1553年頃の柴田勝家の周辺国での知名度ってどれくらいだったんでしょうか?

392 :人間七七四年:2008/09/02(火) 14:10:07 ID:8zzjCoal
>>391
織田信秀の重臣の地位にいたから、信長の代(1551年)になっても三河、美濃、伊勢あたりには
当然知られていただろう。
ただしその後10年以上、干されて、窓際族で、戦に参戦していないから、忘れられた存在だったと思う。

393 :人間七七四年:2008/09/02(火) 14:31:40 ID:CtuXBWQy
前田慶次朗参上!

394 :391:2008/09/02(火) 15:41:37 ID:CIZlqKlk
>>392
ありがとうございます
やはりその頃だと「重臣」ってイメージだけで
後の鬼柴田やら掛かれ柴田と呼ばれた印象とは別なんでしょうか……?

395 :人間七七四年:2008/09/03(水) 00:59:43 ID:Vz0EPiv9

武功夜話とか名将言行録、常山紀談あたりの雑多な逸話をまとめた書籍で
いいのありませんか?

ちなみに小学生の時、桑田忠親の「戦国武将100話」を読んで戦国好きに
なってしまい、ああいうのでもうちょっと網羅してるようなのが読みたいなと。

396 :人間七七四年:2008/09/03(水) 15:18:42 ID:oWH8X3Xu
>>392
信秀の代から「武辺者」として高名だった、と読んだことがある。
「鬼柴田」は越前戦あたりからの呼び名。
若い頃は「匹夫の勇」、後年有能な指揮官として認められた。

397 :391:2008/09/03(水) 21:50:47 ID:4Va4+oUu
>>396
個人的な武勇(?)は昔から、
指揮官としての才は後々になって知られるようになったってことですか……。
ありがとうございました。

398 :人間七七四年:2008/09/04(木) 11:07:54 ID:1NHg0sgh
質問です
陶晴賢は次男らしいのですが、
ある本やサイトでは兄の名は興昌で戦死、
また、別の本やサイトでは兄の名は義清で父の興房によって毒殺、
というように名前も死因も全く違うのです
ここまで違うと同じ人物とは考えにくいし、かといって晴賢が三男だったという記述も見当たらず、
どっちが正しいのか気になっています

399 :人間七七四年:2008/09/04(木) 19:30:41 ID:SCy1vu4g
あの…、ここで聞いても良いのかと思いましたが、質問というよりは相談です。
場違いでしたら申し訳ございません。

本題に移りますが、最近になって戦国時代に興味を持ちました。
ですが、元々日本の歴史に疎い私ではまず何から学べば良いのか分からず困っています。
何かおススメの書籍等ありましたらお教えいただけると助かります。

どうか宜しくお願いします。

400 :人間七七四年:2008/09/04(木) 20:17:05 ID:IwO4y0pE
>>399
何がきっかけでもしくは戦国時代の何に興味持ったの?
それに関することから本読むなりググるなりして調べていけば?

401 :人間七七四年:2008/09/04(木) 20:51:28 ID:SCy1vu4g
きっかけは地元の熊本城に行ったときが最初です。
無知であるがために加藤清正という人物自体を知らなかった自分には衝撃でした。
その後、新渡戸稲造の「武士道」を読み感銘を受け更に興味を持ちました。
「もっと彼ら戦国武将について知りたい」と純粋に思いました。
自分は現在高校生ですが、周りに戦国時代に詳しい友人がいなかったのでこちらで聞かせていただきました。

関することからということは、やはり加藤清正ですか?彼は全国でどの程度の知名度なのでしょうか?
それとも織田信長のような有名人物から知るほうが良いのでしょうか…

402 :人間七七四年:2008/09/04(木) 21:16:08 ID:6PKkhzKZ
新渡戸の武士道と、戦国時代の武士の考え方はというか、
戦国以前の武士と江戸以降の侍は別の存在。
結構ギャップがあることに付いてはまず、知っておいたほうがいい。

で、清正が好きなら清正を中心にして、
秀吉政権や後釜に座った細川、あるいは九州の在地勢力なんかから調べ始めればいいと思うよ。

403 :中山幸盛 ◆c1ZKiGzz62 :2008/09/04(木) 22:09:33 ID:P8/bqfY0
>加藤清正の知名度
漫画もでてるし虎刈りで有名なので、多分歴史をかじっている人なら誰でも知ってると思う
こんなのもあるし
ttp://item.rakuten.co.jp/datenashopping/10001758/

参考になるかも?
ttp://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1217952137

404 :中山幸盛 ◆c1ZKiGzz62 :2008/09/04(木) 22:16:26 ID:P8/bqfY0
歴史をかじっている人なら誰でも×
一般人でも○

405 :人間七七四年:2008/09/04(木) 22:30:49 ID:eCmM0t6e
高校生ぐらいでしたら、別に史実の細かで地味な事跡とか追いかけなくても、
講談などにあるような血沸き肉踊る物語から入るほうが有効だと思うので、
まずは小説やゲーム、漫画みたいな軽い所から入ってもいいんじゃないかと思う。
とりあえずwikipedia(http://ja.wikipedia.org/)で好きな項目を適当に調べたりしてはどうかな。
加藤清正はなかなか魅力的な武将ですよ。

406 :人間七七四年:2008/09/04(木) 23:08:23 ID:SCy1vu4g
皆様、貴重なご意見感謝します。
清正は人気があるみたいで誇らしく思います。
先ずは最初なので、やはり基礎知識をつけれるような、割と簡単な本を探してみることにします。
そして少しずつレベルを上げていければと思っています。

本当に貴重なご意見ありがとうございました。

407 :人間七七四年:2008/09/05(金) 00:05:40 ID:+D0IGOBQ
講談と史実の見極めが大事だよ

408 :人間七七四年:2008/09/05(金) 04:19:33 ID:GJaR7XWZ
>>407
十代にそれを教えなくてもいいんでね。お前らみたいに自分で悟ると思うよ。
高校生の割りに賢そうだし。

409 :人間七七四年:2008/09/05(金) 12:01:44 ID:/D2kfXQX
>>395
地道に本屋に(コンビにでもいいよ)足を運ぶんだね。
それしかないと思うんだけどな。
で、今日「戦国合戦・敗者達の言い分」というのを買ってきた。
通説と史実を比較して合戦を敗者の立場で解説している。

410 :人間七七四年:2008/09/12(金) 10:46:13 ID:F2PBbMCg
早世や病弱等、最初から担ぐ人がいないのは除いた上で、
家督争いで兄と弟が戦って、弟が勝った例はありますか?


411 :人間七七四年:2008/09/12(金) 14:41:48 ID:qveS+LyW
謙信

412 :人間七七四年:2008/09/12(金) 14:44:09 ID:WQ2m7aNk
有名な例は今川義元かな
それとちょっと違うけれど、長尾景虎

413 :人間七七四年:2008/09/12(金) 15:54:06 ID:F2PBbMCg
>>411-412
ありがとうございます
こんな有名な武将がそうだったなんて全然知りませんでした

414 :中山幸盛 ◆c1ZKiGzz62 :2008/09/13(土) 16:01:48 ID:S3f5fthY
土岐頼芸も

415 :人間七七四年:2008/09/13(土) 20:06:48 ID:bHMB1MEW
丹羽「五郎左」長秀 

柴田「修理」勝家

とかの「」みたいなとこの名前?ってなんですか?

416 :人間七七四年:2008/09/13(土) 21:30:02 ID:kTYnol1X
>415
「五郎左」はあざな
「修理」は官名の修理亮
柴田勝家の「あざな」は権六または権六郎

ドラマでは信長様などと呼んでいるが
親しい間では「あざな」、公では官名で呼ぶのが普通。

417 :人間七七四年:2008/09/13(土) 23:45:14 ID:aeHJ86EZ
現代で上司に向かって名前+さんで呼ぶことが無いのと一緒だよな。
大抵は苗字+役職名、或いは役職名で呼ぶように、当時も上司は官職名などで呼ぶ。

418 :人間七七四年:2008/09/14(日) 09:10:56 ID:gq09TgiD
猿とか犬ってのは例外だよねぇ

419 :人間七七四年:2008/09/15(月) 23:55:13 ID:/c9bFgfx
犬は幼名“犬千代”からだから、幼なじみ同士であったかも。

猿は小説だけだろう
あだ名っぽいのは“禿げ鼠”だけど 多分無し。
秀吉はやっぱり藤吉郎でしょう。

420 :人間七七四年:2008/09/16(火) 00:05:44 ID:Tjtq05ot
武士の名前は、本姓・苗字・官途・通称・本名で構成されるからね。

北条氏康なら、
平(本姓、姓)・北条(苗字、名字)・左京大夫(官途、官名)・新九郎(通称、仮名、通名)・氏康(本名、実名、諱)

官途はない人もあるし、時期によって異なる場合もある。
通名は一族の地位を示す場合が多く、嫡男は代々同じ通名を使うことがある。
実名は一字拝領や偏諱で主君に名前を一文字もらって変更することがある。

421 :人間七七四年:2008/09/16(火) 00:09:13 ID:wSZa8k2W
柴田勝家は、
源(違うかも?)・柴田・修理亮・権六郎・勝家
丹羽長秀は、
源(違うかも?)・丹羽・越前守・五郎左衛門尉・長秀
かな。

422 :人間七七四年:2008/09/16(火) 00:13:32 ID:wSZa8k2W
官途や通名は一部分を略されることがある。
例えば、「修理亮」を「修理」と記すことはざらに見られる。
「権六郎」も「権六」や「六郎」と短縮されることも少なくない。

だから文書集やぐーぐるで「芹沢弥五郎」の関連のものを探すときは、
「芹沢五郎」と書かれているものが目に入ったらそれも弥五郎のものだと思って注目しないといけない。

423 :人間七七四年:2008/09/16(火) 00:18:59 ID:9tfTwIBj
立花宗茂も何度となく諱を変えているしな

>>422
羽柴三左衛門(池田輝政)→羽三左
本多上野介(本多正純)→ 本上野

のような略し方も多いよな


424 :人間七七四年:2008/09/16(火) 02:17:26 ID:s1vGCDVy
あと官職名は唐の制度に当てはめて言うこともあるよな。
黄門とか内府とか金呉とか相国とか

425 :人間七七四年:2008/09/16(火) 02:19:20 ID:7Wqt2z4v
官位(国名でも使うけど)の略し方なら、
伊豆守→豆州 伊予守→予州 みたいなのもあるね。
丹州とか野州とかになると、どっちやねんって話になりそうだけど。

426 :人間七七四年:2008/09/16(火) 15:51:56 ID:mjBK0uIx
丹州は知らんが、野州は下野が
上州(上野)に対して下州と呼ばれるのがイヤでそう略すと聞いたな

427 :人間七七四年:2008/09/17(水) 00:20:28 ID:wMHkqOhY
各年代における大名の勢力図がなるべく詳しく書かれた本ってないでしょうか?


428 :人間七七四年:2008/09/17(水) 01:46:50 ID:au/rQVs3
学研系の本をあさってみれ。

429 :人間七七四年:2008/09/17(水) 14:30:48 ID:Mi14N+E3
>>427
太閤立志伝の攻略本に、1549、1560、1568、1575、1582、1598年で
詳しく書いてアルヨ(笑

430 :人間七七四年:2008/09/17(水) 18:55:41 ID:wMHkqOhY
>>428
学研系の本ですか?
今度調べてみます

431 :人間七七四年:2008/09/18(木) 18:26:11 ID:PiYlMwDz
小早川秀包の誤読ってある?

432 :人間七七四年:2008/09/22(月) 01:46:38 ID:oIFDSHvA
質問をさせてください。

1."御館の乱"は、なんと読むのでしょうか?
2."御館の乱"で武田家が北条家を裏切りますが、名目はなんでしょうか?
  いくらなんでも、金をもらったから裏切りましたでは示しがつかないので
  それなりの名目はあったと思いますが、調べても見つかりません。

433 :人間七七四年:2008/09/22(月) 02:50:50 ID:4YRUBBHI
>>432
それぐらいの疑問に対する返答ならwikipediaにのってるよ

434 :人間七七四年:2008/09/22(月) 14:10:13 ID:yITZo+vN
>>432
出兵した隙に家康に攻められた。
それに対抗するために戻りたかっただろうし、
長篠で負けたあとだから金も不足していたので、
金をくれて一時休戦できるとなれば勝頼にはうれしいことじゃないか。



435 :人間七七四年:2008/09/22(月) 15:50:05 ID:Tn5Wvnsw
穴山梅雪が信長に送った20億円には遠いが、10億円は魅力だ。
それで、いい話か悪い話か分からないが、謙信が死んだ時、春日山城の金蔵には、
27億円相当の金銀があったそうだ。
義の将・謙信にしてはかなり溜め込んだと思うね。

436 :人間七七四年:2008/09/22(月) 21:44:02 ID:n8XDeNoe
>>432
軍事力背景に調停して、景勝・景虎双方に恩を売れたし、お土産もらったし帰るかー、って感じかと。

勝頼の何が問題かというと、その和睦が片手落ちで景勝に良い様に利用されてしまったこと。
また北条からみれば援軍を頼んだのであって、片手落ちの和睦なんて頼んでない訳で。

強かなのはいいんだが、外交能力が伴わないのが不味かった。

437 :人間七七四年:2008/09/22(月) 22:47:50 ID:Z2NNPIs/
つか、景勝の外交が神懸かりすぎだな。
武田と北条の進攻を食い止めたばかりか、両者を離間させている。
これで南方からの驚異は回避できた。

438 :人間七七四年:2008/09/23(火) 02:49:26 ID:YXQhv8ZC
勝頼にしてみれば、北条と敵対するつもりなんてさらさらなかったろうになw
約束どおり軍は出したし、上杉の内乱も収めたし、めでたしめでたしだとか思ってそうだぜww

439 :人間七七四年:2008/09/23(火) 12:23:19 ID:GnJC92w3
影虎が氏康の子供でなかったらなあ・・・

440 :人間七七四年:2008/09/27(土) 03:08:54 ID:xc62ZoIZ
浅井久政の時代は南近江の六角氏に従属状態だったと聞きます。
では当時の浅井氏と朝倉氏の関係はどうだったんでしょうか?
浅井=朝倉ラインができたのは

六角氏に従属する前
従属しながら同盟
六角氏と手を切ったあと

どれ?

441 :人間七七四年:2008/09/27(土) 12:42:43 ID:5w6H9/Bv
現在復元された城とかは堀とか浅くてショボイけど
当時は水堀の深さはどれくらいあったのでしょうか?

442 :中山幸盛 ◆c1ZKiGzz62 :2008/09/27(土) 14:27:24 ID:/Ilvd0QE
>>440
浅井亮政の時には浅井氏と朝倉氏は縁があったので
「六角氏に従属する前」が正解になるのかな?

443 :人間七七四年:2008/09/27(土) 15:18:43 ID:oaS8MYcK
太閣蔵入地の代官に任命された者は豊臣家の家臣になるということなんですか?

444 :人間七七四年:2008/09/27(土) 23:10:55 ID:rkEZ1QJu
○○守とか○○太夫など官位は誰が与えるでしょうか?
戦国時代は大名はもちろん家臣の殆どがついているんですが…。

445 :人間七七四年:2008/09/28(日) 00:11:25 ID:dMAs1gU5
>>444
任命するのは天皇。
戦国時代のやつは「自称」が多いよ。
信長もはじめのうちはは「上総介」を名乗っていたが、これも自称だった。

446 :人間七七四年:2008/09/28(日) 01:33:46 ID:MVuS56m/
戦国時代に興味を持ったので一通りのことを勉強したいのですが、初心者に
オススメで間違いの無い入門書ってありますか?よろしくお願いします<(_ _)>

447 :人間七七四年:2008/09/28(日) 02:11:15 ID:h+KTAndT
当たり外れあるから図書館いっておもしろそうなの借りてくれば?
もしくはブックオフ100円コーナー漁りか

俺は
・司馬の功名が辻(ドラマ化されたので入りやすい)
・名将言行録(エピソードがある)
・戦国武将○○エピソード
(だいたいこんな感じのタイトルの武将エピソード本おもしろエピソードとか書いてあたりする)

ここらあたりか?
図書館コースからはじめたらいいと思うよ(タダですし)
自分にあいそうなの適当に選べ(w

448 :人間七七四年:2008/09/28(日) 13:09:54 ID:TMKlEIsr
よくある戦国とか三国志ものの漫画やドラマの軍議のシーンで
武将達が、駒とか地図を使って、合戦のシミュレーンをしているのを見ます。

ああいう合戦シミュレーション盤みたいなのって、実際に使っていたのですか?
あの合戦シミュレーション盤の正式名称とか、あれば教えてください。

449 :人間七七四年:2008/09/28(日) 13:31:39 ID:dMAs1gU5
>>448
盤もくそも、石と地図があれば戦略なんて説明できるじゃないか

450 :人間七七四年:2008/09/28(日) 17:27:06 ID:KJ7IOnTc
地図やら略図やらを用いるだけではなく、
立体模型でやった奴もいるらしいぜw

当事者の性格がもろに反映されて面白いぜ。

451 :人間七七四年:2008/09/29(月) 19:31:23 ID:W4KYBzsh
豊臣家にヘッドハンティングされた武将を教えてください

452 :人間七七四年:2008/09/29(月) 20:15:23 ID:errtkO7I
石川数正

453 :人間七七四年:2008/09/30(火) 13:04:18 ID:1ZEOGcPm
安国寺恵瓊は…微妙か

454 :人間七七四年:2008/10/05(日) 19:06:54 ID:H9SlsDGQ
竹中半兵衛

455 :人間七七四年:2008/10/06(月) 19:04:51 ID:ZKfJ8yZq
竹中半兵衛は秀吉の部下ではありません

456 :人間七七四年:2008/10/07(火) 18:30:52 ID:zR8RYs5s
>>451
近江衆とか清正とか正則とか

457 :人間七七四年:2008/10/08(水) 20:13:57 ID:9Qd6ASaw
関が原で豊臣200万石から60万石までおちたってよくいわれますが
領土の再分配は家康がやらせないでおく方法はなかったのですか?
ていうか堺・金銀山なんかまでなんでなくなったの?
西軍のは豊臣直轄地にするぜって言えなかったの?
秀頼の名の下で

458 :人間七七四年:2008/10/09(木) 00:38:43 ID:7SwSLS+E
>>446
漏的におススメ本は
・八幡和郎『戦国大名 県別国盗り物語』(PHP新書)
・黒田基樹『百姓から見た戦国大名』(ちくま新書)

あと講談社の日本の歴史シリーズ『一揆と戦国大名』『織豊政権と江戸幕府』はちょっと難しめだけど、理解が深まると思われ。

459 :人間七七四年:2008/10/09(木) 01:45:22 ID:ZrJKyjBL
>>446
横山光輝

460 :人間七七四年:2008/10/11(土) 12:18:12 ID:FqKJwoT/
>>457
そんなことしたら家康に攻撃されるに決まってるだろ
周りがもう家康を天下人だと認めてしまうような状況になったわけだし

461 :人間七七四年:2008/10/11(土) 19:01:13 ID:sFbqp9EH
>>460
関が原終了直後で?

462 :人間七七四年:2008/10/12(日) 01:44:07 ID:RXUZJ7In
質問です。
私の家系の家紋は武田信玄と同じ丸に四つ菱なのですが、
これは武田家の一門の流れなのでしょうか?
また同じ家紋の場合、本家、分家で家紋が区別されているのですか?
回答よろしくお願いします。

463 :人間七七四年:2008/10/12(日) 04:22:35 ID:Jj70H0/P
>>462
家紋云々以前に菩提寺にいって過去帳や江戸時代以前の墓に彫られてる家紋を見て来い。
菩提寺や墓が幕末〜明治までしか遡れない場合は明治時代に家紋を設定しただけだから、
武田信玄とは無関係だと思っていい。
つか祖父母や親戚から明治以前の話を聞いたことがないなら十中八九元百姓。
広島の北部なんて「一文字に三つ星」(毛利家の家紋)の家紋の入った墓がそこらじゅうにある。

本家と分家で家紋が違うというのはよくあるが(葉の数が違うとか、上下左右が逆とか)、
「丸に四つ菱」など「丸に〜」系の家紋もいわゆる分家筋の家紋。

464 :人間七七四年:2008/10/12(日) 06:41:37 ID:EXpxDs3j
僕の名字は武田なんですが、武田氏の系譜なんでしょうか?
と同じレベルだな

465 :人間七七四年:2008/10/12(日) 08:44:08 ID:qIiEUXK7
すみません、最近歴史(戦国時代)が好きになったばかりの者なんですが・・・。
本能寺の変について、幾つか疑問点があるので、教えて下さい。

★1.信長は館に火をかけさせ自害したようですが、なんでこの事が後世に
    伝わっているのでしょうか?
→信長が自害するのを見ていた人物(Aとします)がいて、その人物Aが信長の最期を
 書物に書いたのでしょうか?
 だとしたら、Aは本能寺から脱出した事になりますよね。
 1万3000?もの明智軍に囲まれて、どうやって逃げたんでしょうか・・・。

★2.皆さん、本能寺の変の首謀者は誰だと思いまつか?

   イ.光秀の単独犯。
   ロ.朝廷(足利氏)
   ハ.秀吉
   ニ.その他の者

★3.信長の自害の方法について
  
  イ.切腹(介錯なし)
  ロ.切腹(介錯あり)
  ハ.自分で首切り
  ニ.その他

介錯ありのロの場合、介錯人は蘭丸なんでしょうか?


466 :人間七七四年:2008/10/12(日) 09:06:42 ID:wwRe/5IF
>>465
★1=記録に残されているのは信長公記。この著者が本能寺の変の時、
どこにいたかは知らんが、本能寺にいたわけではなさそうである。
たぶん近江辺りにたんじゃないか。この著作は彼が編纂した信長の一代記であり、
伝聞に拠るところや彼の想像に補われるところが多いようである。
きっと本能寺から逃亡に成功した女人の体験談などからこうだと考えて記録したのだろう。
★2&3=該当するスレッドをお使いください
 ■■■本能寺の変徹底考察スレ■■■
 http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1217563231/

467 :人間七七四年:2008/10/12(日) 11:48:41 ID:qIiEUXK7
>>466
おお!
良く分かりました!
ありがとう。

468 :人間七七四年:2008/10/12(日) 18:23:57 ID:hDGo2L/m
何という自演

469 :人間七七四年:2008/10/12(日) 22:17:25 ID:BGxR8igN
岩井三四二さんの作品に近江国菅浦惣庄で起きた合戦を基にした小説があるのですが、
その中に日野裏松家の家人(雑掌)松平益親の名が見えるのですが、他の本には京極氏の家人も務めていたように
書かれているようです。
近江松平氏について詳しい方、恐れ入りますがご教授ください。三河と同族ということだけしかわかりません。

470 :人間七七四年:2008/10/13(月) 09:06:21 ID:wMnspnbc
>>469 近江松平氏については、確かに不明な点が多いよね。京極の雑掌だったのは事実だね。
もちろん、三河松平氏と同族だよ。つまり、家康の遠い親戚筋ということだな。

471 :人間七七四年:2008/10/13(月) 11:20:37 ID:vMBOVL1w
質問です。
室町から戦国時代の間に関してです。
身分の高い侍の子供はたいていお寺で教育されたようですが、
お姫様の教育を行う教育機関はなかったんでしょうか?
参考になる書籍でもあればお教えください。

472 :人間七七四年:2008/10/13(月) 13:04:43 ID:R84Rk5dY
お姫様は基本的に家からは出ないよ。
たま〜に出る時は輿で行く。
身の回りの世話、読み書き、歌、古典の解説などを行なう女中が複数つく。


473 :人間七七四年:2008/10/13(月) 13:44:05 ID:vMBOVL1w
ふむふむ。
家宰を取り仕切るために必要な教養はすべてうちのなかにあるのですね。

474 :人間七七四年:2008/10/13(月) 18:52:34 ID:OxTbLMLQ
親子二代で有名な武将もいますが、親が優れていたけどこの子どもはてんでダメ、
というケースもあると思います。特に親と比較してダメな武将として
有名だった人っていえばどんな人がいますか?よければ教えてください。
政治の面や武功など、どんな方面でもよいのですが。

475 :人間七七四年:2008/10/13(月) 19:09:26 ID:LV6nA7hO
昌幸と信繁

476 :中山幸盛 ◆c1ZKiGzz62 :2008/10/13(月) 20:54:41 ID:uTuX8Ygc
織田信長と織田信雄

477 :人間七七四年:2008/10/13(月) 22:02:24 ID:dYdhRTDd
今川義元と氏真

478 :人間七七四年:2008/10/13(月) 23:02:49 ID:x75odK9v
>>463
詳しい回答ありがとうございます。
広島なので、他の墓にも同様の家紋がありました。

479 :人間七七四年:2008/10/13(月) 23:24:46 ID:lnlCbmnV
>>478
家紋で家系は辿れないよ。
使うにあたって誰の許可もいらないし、家伝が無いならただのあやかりです。

480 :人間七七四年:2008/10/13(月) 23:33:58 ID:x75odK9v
>>479
回答ありがとうございます。
家系図が昔あったみたいなのですが、原爆で駄目になりました。

481 :人間七七四年:2008/10/14(火) 17:36:35 ID:PUA7RwMe
家康以前は大体親が名を残すと、比較して子供はだめだな。
足利や徳川みたいに3代目が勝負のわかれどころか。

482 :人間七七四年:2008/10/15(水) 08:31:05 ID:R97cOZyP
評価は分かれるけど、徳川の三代目も十分ぼんくらだと部類だと思う。
家康と秀忠が一生懸命蓄財し、家綱以降の将軍幕閣達が必死に立て直そうと気張った幕府の赤字財政は、
家光一人で作ったといっても過言じゃない。

250年間の財を一人で使っていれば、そら派手に色々できるがな。

483 :人間七七四年:2008/10/15(水) 12:05:27 ID:aiHY28mz
財政に関しては難しいとこだけどね。
倹約して質素にすれば徳川の世が250年続いたか、というと
またそれは違う話だろうし。
生まれながらの将軍、というのが登場してそれが新時代の構築
という面でプラス面に働いた、というのがおもろいとこかな。
ま、家光はボンクラでその家臣たちがすべて支えた、とはよく聞くけど。

484 :人間七七四年:2008/10/15(水) 22:37:51 ID:sGHYYgfj
質問です。
南光坊天海は明智光秀・秀満なのですか?

485 :人間七七四年:2008/10/15(水) 22:42:21 ID:Fs6YPnNI
外様大名や譜代大名から幕府は税金を取ってたんでしょうか?
室町幕府のように段別銭とか徴収した?

486 :人間七七四年:2008/10/15(水) 23:57:02 ID:phggOHD9
戦国時代に殺人罪はあったの?

487 :人間七七四年:2008/10/16(木) 01:55:05 ID:BZpVj76M
>>484
それを立証するのは不可能です。

>>485
そういえば吉宗が参勤交代を軽減する代わりに諸大名から金を巻き上げていましたね。

>>486
あります。戦国時代といえど人を殺して許されるのは戦場だけ。

488 :人間七七四年:2008/10/16(木) 14:03:16 ID:cExroWy9
>>484
ほんとにそうなら、光秀は136歳まで生きたということになる。
う〜ん、アリエナイ・・・・・・・・

489 :486:2008/10/16(木) 14:20:52 ID:SN0MILNu
>>487 殿様は治外法権ということですか?
また、例えば利家が捨阿弥を殺した際は出仕停止処分というように
現代よりは罪の雰囲気は軽かったのでしょうか?

490 :人間七七四年:2008/10/16(木) 15:17:17 ID:cb96jviZ
>>478>>480 広島で武田っていうと、あながち「あやかり」ではなさそうかもね。
武田山は、甲斐源氏の武田氏の本拠銀山城だったわけだし。たしか呉の某私立高校は経営者が
周防(安芸)武田と関係ありそうじゃん。

491 :人間七七四年:2008/10/16(木) 15:57:40 ID:0x/cIik+
太閤検知で日向一国でどのくらいの石高があったのでしょうか?

492 :人間七七四年:2008/10/16(木) 17:15:48 ID:E3RUt/29
>>490
回答ありがとうございます!

493 :人間七七四年:2008/10/16(木) 22:03:21 ID:rczjjl0N
>>489
利家の場合は勝家とかが信長に説得したから死罪をまぬがれたと聞いたことがあるような
あと、信長なんかはかなり厳しい軍律をしいてたらしい
窃盗なんかしたら余裕で死罪

494 :中山幸盛 ◆c1ZKiGzz62 :2008/10/16(木) 23:52:34 ID:5Ega1+fc
>>491
120,087


495 :人間七七四年:2008/10/17(金) 02:16:35 ID:uSHtYz8Y
>>490
いやいくらでもあるよ。
山梨に行けば菱紋だらけだよ。

496 :人間七七四年:2008/10/17(金) 14:04:28 ID:zSsbiq/R
チョンマゲって何時まで結いっぱなしなの?

497 :人間七七四年:2008/10/17(金) 14:22:08 ID:xG44PoLz
甲を被るか、出家するまで。

498 :人間七七四年:2008/10/17(金) 14:24:19 ID:GfOrXohR
豊臣秀吉は筆が上手て本当ですか?

499 :人間七七四年:2008/10/17(金) 14:39:47 ID:cgFFH17R
佐竹義宣が国宗の切っ先を落として脇差にしたら義重に嘆かれたのに対し、
本多忠勝が蜻蛉切の柄を短くしたことは何も言われていないのはなぜなんでしょうか?


500 :人間七七四年:2008/10/17(金) 22:39:05 ID:yiA0usC9
>>494
それは諸県郡(日向国内の島津領)だけの石高

501 :人間七七四年:2008/10/17(金) 22:47:34 ID:27eZJnWx
オールスター軍団で臨みながら李舜臣一人の活躍によって
敗れた戦国武将たちになぜそこまで魅力を感じるのか?
戦国ファンの皆さんに聞きたい

502 :人間七七四年:2008/10/17(金) 22:58:27 ID:xG44PoLz
>>498
どういった書を上手いと呼ぶかによると思う。
個人的見解としては小学生の様な基礎ができていない下手くその典型、
TVで好意的評価する人が言うには自由闊達で型にはまらないのが魅力的。

503 :人間七七四年:2008/10/17(金) 23:39:49 ID:GfOrXohR
>>502
詳しい回答ありがとうございます!

504 :人間七七四年:2008/10/18(土) 00:27:05 ID:MyxcUsyq
>>491
秀吉九州平定後の知行割り
国・郡・禄高・大名・旧領地
日向臼杵/宮崎 5万石 高橋元種(県) 豊前香春
日向那珂 2万8千6百石 島津豊久(佐土原) 所領安堵
日向那珂 3万6千石 伊東祐兵(飫肥) 日向宮崎
日向児湯 3万石 秋月種長(高鍋) 筑前秋月
日向諸県>>50012万石 島津義弘
合計23万4千6百石といった処でしょう
諸県郡は隣国にまたがっているのでその分は差引きになるかも。
某資料にて太閤検地日向一国>>49412万87石、さらに17万石とも。


505 :人間七七四年:2008/10/18(土) 15:22:22 ID:rMxwbTsy
>>499
国宗は大名の差料としても最上級。長刀を脇差にするのはいかにももったいないからだろう?
本多忠勝が蜻蛉切の柄を短くしたのは晩年。
さすがに往年の力は無くなり、使いやすいように短くした、というのを読んだことがある。
刃の部分はそのままだから、価値にあまり変わりはないように思うが・・・・

506 :中山幸盛 ◆c1ZKiGzz62 :2008/10/18(土) 23:09:52 ID:iVd//8F5
>>500
>>504
すまんかった

507 :人間七七四年:2008/10/20(月) 21:51:07 ID:F3PITGVB
素朴な疑問なのですが、
戦国時代の沖縄はどの大名が統治していたのでしょうか?

508 :人間七七四年:2008/10/20(月) 22:37:32 ID:9Uq+ueAJ
大名なんていない
琉球の王が支配していた

509 :人間七七四年:2008/10/20(月) 22:44:30 ID:F3PITGVB
>>508
ずっと大名が統治してたと思ってました。

回答ありがとうございます!



510 :質問です:2008/10/22(水) 23:11:34 ID:GJzwkIMD
テレビゲームによる元親の人気について、どう思われますか?
わたしは問題意識を感じるのですが…

511 :人間七七四年:2008/10/22(水) 23:50:43 ID:GYstk5vD
>>510
特に感想はない。
似たような前例は多数ある。

君がどのように問題意識を持つのかが不明だが、
多分生理的に合わない人が土足で君の趣味の領域に踏み込むのが不愉快なんだろう。
もしそうなら連中を制止するのは不可能だから、
対策としては、自らが確かな知識と発言力を身につけることしかない。
そうする事でネットや出版界に自分の考えを発信して、
にわか連中を牽制したり、誘導していく。

512 :質問です:2008/10/22(水) 23:55:01 ID:GJzwkIMD
>>511
ありがとうございます。
<m(__)m>
知識をもっとつけて、自分の考えを発信していきたいと思います。

513 :人間七七四年:2008/10/24(金) 11:15:54 ID:Oiq+Q+uW
ミラオタみたいに史跡を荒らして歩くのは論外

514 :人間七七四年:2008/10/24(金) 21:44:25 ID:+X6B754z
対馬が韓国固有の領土なら
対馬を拠点にしていた倭寇はチョン寇じゃないのか

515 :人間七七四年:2008/10/25(土) 16:58:07 ID:ouEI4Spq
安土城に登って、生じた疑問なんですが、秀吉たちも自分の屋敷から大殿に
会いに行くにはあの石段をてくてく登ったんでしょうか
乗馬したままとかだと無理ですよね
途中で心臓麻痺を起こした家来などもいたんじゃないでしょうか

516 :人間七七四年:2008/10/25(土) 18:24:37 ID:mbvNnfY7
>>515
寺の方を回るのが本道という説があり、あっちはまだ傾斜が緩い

517 :人間七七四年:2008/10/25(土) 22:02:13 ID:N0sUBvdx
筑後の国人・西牟田氏について知りたいです。

http://members2.jcom.home.ne.jp/sengokubusyou/nisimutasi.htm
西牟田鎮豊
西牟田家周
西牟田統賢
西牟田親家
西牟田家知

彼らの生没年を知るヒントになる事績、もしくは生没年に関する資料はありますでしょうか?
あれば教えて下さい。
(〜の合戦で討ち死に、とか何年に家督を譲った、的な事績をお願いします)

現在、統賢が沖田畷で戦死した事以外、よくわかりません。

また、この質問をするにあたって該当するようなスレはありますか?

518 :人間七七四年:2008/10/25(土) 22:52:28 ID:NBkO1BGW
手持の資料はこれだけ 間違っているかも

西牟田播磨守鎮豊 筑後國 三潴郡生津城主 舊西牟田城主 西牟田親氏ノ子
右近太夫 龍造寺ニ加勢シ戸原勢トノ河内城合戦ニ参陣ス 龍造寺幕下ニテ知行壱千町
西牟田伊豆守家周 西牟田鎮豊ノ弟 筑後三潴郡生津城主 龍造寺勢ノ攻略ニテ落城
城島城ェ落延ビル
西牟田紀伊守統賢 西牟田鎮豊ノ子 沖田畷合戰ニテ西牟田主従十七人全員奮戰ス
西牟田孫左衛門家親 西牟田統賢ノ長男 大友勢トノ生津城合戦ニテ落城
其後筑後城島城主 新介 筑後戸原勢トノ河内城合戰ニテ先陣
西牟田次郎兵衛家和 西牟田統賢ノニ男 大友勢トノ生津城合戦ニテ落城
西牟田但馬守 西牟田統賢ノ弟 沖田畷合戰ニテ奮戰ス
西牟田彈正忠 西牟田統賢ノ弟 沖田畷合戰ニテ奮戰ス


519 :人間七七四年:2008/10/26(日) 00:19:00 ID:iJgzqlm9
>>518
ありがとうございます。

沖田畷に一族の多くが参戦した事と
最終的に龍造寺に攻められて落ち延びた事以外は
個別の事跡はよくわかってないんですかね・・・

520 :人間七七四年:2008/10/26(日) 15:17:27 ID:XYLfQ1BS
なぜかかっこいいイメージがついている政宗ですが実際は方言・なまりとかひどかったんですか?

521 :人間七七四年:2008/10/26(日) 15:42:15 ID:kfP8PhSw
そりゃそうだろ

522 :人間七七四年:2008/10/26(日) 16:26:23 ID:giZFXYBG
最上だったか誰かは忘れたけど上洛したときは
馬鹿にされるとかでほとんど口をきかなかったらしいからな

523 :人間七七四年:2008/10/26(日) 19:27:23 ID:XYLfQ1BS
「そげなこといわれても、おらすらねぇだべさ〜」
とかあったのか・・・

524 :人間七七四年:2008/10/26(日) 19:34:29 ID:1nkY0l00
東北人が都会に出て訛りが酷くて馬鹿にされるって構図は昭和初めくらいにもあったな
戦国時代からずっとそうだったのか…

525 :人間七七四年:2008/10/26(日) 20:33:17 ID:0nyo2v+/
侍言葉みたいなのは使ってなかったのかな「〜でござる」みたいな奴
当時の一番カッコいい言葉はやはり京都弁ですか?

526 :人間七七四年:2008/10/26(日) 21:55:25 ID:4ebexxvs
ある程度の家なら教養として京言葉を習ってたとは聞いたけどなあ。

527 :人間七七四年:2008/10/26(日) 22:25:17 ID:KEcxyjzc
>>524
現代でもあるじゃん

528 :人間七七四年:2008/10/27(月) 01:40:48 ID:Iskp9D1a
池波正太郎さんの本(小説、というより真田信之を書いたエッセイ)で
大阪の陣の前、徳川家康の計らいで真田之村、信之二人は再会した、
という事が書いて在るのですが、これは本当の事なのでしょうか?

529 :人間七七四年:2008/10/27(月) 10:17:22 ID:GI+kb6hF
>>525 横レスすまんがそれ俺も気になる
大河とかでのような言葉はつかってなかったの!?

530 :人間七七四年:2008/10/27(月) 16:24:00 ID:/E5Y3272
>>519
龍造寺家臣団より抜粋したんだけど筑後衆は深く調べていないんですな。
必要性は感じるんですが

531 :519:2008/10/27(月) 22:40:00 ID:Q4l8k/+W
多分、該当するスレがないので再び質問。

・筑後・星野氏の一族について

1・「筑前戦国史」という本だったと思うのですが
その本に書かれていた記述で
島津勢が高橋紹運の守る岩屋城を攻めた、所謂「岩屋城の戦い」で
島津勢に属して「岩屋城攻防戦」で戦死した星野氏の一族として
「星野重種」「星野正重」なる人物がいるとあったのですが
この人物が同時代の星野氏の中でどういう続柄であったのか
わかりませんか?

「重種」は当時の当主・星野鎮胤(吉実)の別名の1つとしてあるようですが
彼は岩屋城攻めではなく、島津勢撤退後の籠城戦で死んだはずであり
別人かと思われ、(記述されていた本でも別項に籠城で死んだ吉実は出てくる)
「正重」については何も情報がありません。

2・1586年に高鳥居城に籠城し、立花勢に討ち取られた
星野吉実・吉兼兄弟の生年がわかりますでしょうか?
ハッキリわからなくても推定できるような事績があれば教えて下さい。

532 :人間七七四年:2008/10/28(火) 00:14:07 ID:+VptbYyu
>>531
このサイト見られましたか?

http://www2.harimaya.com/sengoku/html/t_hosino.html


533 :人間七七四年:2008/10/28(火) 01:29:11 ID:zxS6Ii26
>>532
当然の事ながら。
でも、そこの家系図には「重種」「正重」なる人物は出てこないので
誰かの別名なのか、直系でない庶流の人物なのか・・・

また吉実・吉兼兄弟の死没年はわかっても
この時に壮年であったのか、老年であったのか、若武者だったのか
推定できません。

534 :人間七七四年:2008/10/28(火) 02:36:15 ID:+VptbYyu
>>533
名を4〜5回改名した武将もいるので
重種、正重もほかに名があったかも知れませんね。

天正八年の龍造寺幕下帳を見ると星野親忠が当主ですから
吉実は父、吉兼は小父と考えるとある程度の年齢はあったと思われます。


535 :人間七七四年:2008/10/28(火) 04:10:10 ID:gqC1FCTv
>>526
ありがとうございました。伊達家だと愛姫が京に行ってたから
政宗に京言葉教えてたりしたら面白いんだけどなあ…

536 :人間七七四年:2008/10/28(火) 09:33:30 ID:qMN2pUif
政宗の教育係ともいえる虎哉和尚は中央にもいた教養人だから、
家族に教えてもらうまでも無く一通りの教育は受けてるだろ。

537 :人間七七四年:2008/10/29(水) 12:15:55 ID:0fq0r3jx
立花の浪人話で雨が降って荷物取り込まなかったとかおかゆはいらないのエピソード聞きますが
これは世間のことしらない殿様ってことでむしろ北条氏政の汁かけごはん・稲刈りしたのを
すぐ食べようとしたetcのうつけエピソードの類と同じに思うのですがなぜ評価されているのでしょうか?


538 :人間七七四年:2008/10/29(水) 13:00:14 ID:zmAcs/CC
>>537
大名→浪人→大名と返り咲き、かつ戦歴も輝かしいものがある宗茂、(おまけに晩年は秀忠・家光に重用された)と
結果的に家を滅ぼし切腹した零落の大名(勝者側に情けない男だから討伐されたと印象付けられる)という違い。

同じような事やっても、幕府(権力者)のお気に入り人物だったり
敵役として「こんなに強かった(でも俺には敵わなかったけどね)とか書かれる人物以外は
貶めて書かれるもんだよ。

539 :人間七七四年:2008/10/29(水) 22:34:37 ID:0fq0r3jx
>>538
なるほど
氏政も最大版図きづいてたから討伐なかったらすごい評価されていたんでしょうに・・・

540 :人間七七四年:2008/10/31(金) 03:27:36 ID:7Wtv4eZq
戦国好きでオフしたりはしないんですか?
してるなら是非参加したいのですが

541 :人間七七四年:2008/10/31(金) 10:54:39 ID:Qe754YaT
>>540
2ちゃんでオフ会を誘うと後が怖いから私は外部でやってるよ
桶狭間オフや浜松城オフ、関ヶ原オフなどだけど

542 :名無しさん:2008/10/31(金) 12:58:23 ID:PayfnYFJ
封建時代のトノを家臣たちは命を張って守るが現代の大物を庶民は命を張って守らない。まさか現代の大物って封建時代のトノよりたいしたことない奴なの〜?

543 :人間七七四年:2008/10/31(金) 18:10:30 ID:7Wtv4eZq
>>541
外部というとmixiとかですか?

544 :人間七七四年:2008/11/02(日) 03:51:01 ID:zLm51zZ2
>>542
俺(庶民)はその大物とやらに
知行もらってないし
「お前の死後の家族の世話は任せろ」
みたいな言質ももらってないから
命懸ける気なんぞさらさら無いわな

545 :人間七七四年:2008/11/02(日) 23:26:05 ID:9EtF9w8X
>>540
都内にも、いろいろ著名な武将のお墓や
城跡があったりするから、オフ会企画した事はあるけど
やっぱ人が集まんないね。

ちなみに第1回は「今川氏真のお墓参りオフ」だったんだが

546 :人間七七四年:2008/11/03(月) 00:20:16 ID:8Zx1ZJA3
それは人が集まらないw

547 :人間七七四年:2008/11/03(月) 15:32:17 ID:xI8psWCM
戦国時代の書状などでの一人称はどんな言葉が使われていたのでしょうか。
大名クラスになると「予」とか、家臣クラスだと「某」とかですか?
「拙者」という言葉はあまり使われていませんかね。

548 :人間七七四年:2008/11/03(月) 22:19:04 ID:/Gz/rE2C
自分の名前を書いているのが目立ちますね

549 :人間七七四年:2008/11/04(火) 11:17:45 ID:VEcOPbDM
仲が良い者同士や親しみを感じさせる場合だと諱や、諱を短縮して書いたりも
(例・信長、信、のぶ等)

550 :人間七七四年:2008/11/05(水) 01:51:31 ID:knzaty8g
>>548-549
ありがとうございます!

551 :人間七七四年:2008/11/06(木) 04:29:10 ID:5ispua8K
天地人読んで戦国時代が面白いと思った初心者の者ですが。
これだけは読んどけっていう本ありますか?

552 :人間七七四年:2008/11/06(木) 07:18:21 ID:k27RFqAp
織田家の【弓衆】ってどれぐらいの身分だったんですか?
士分未満の足軽?
それともお目見以下だけど、とりあえず侍階層の下士(徒士)あたり?
或いは騎乗・お目見の許された立派な士分?

ちなみに弓衆で最も有名なのは安土で火事出して叱られた福田某ですよね。

553 :人間七七四年:2008/11/06(木) 12:48:03 ID:ChWFcxbC
俺が織田家で弓と聞いて
一番に連想するのは
ねねと長政の親父かな

太閤立志伝やりすぎか

554 :人間七七四年:2008/11/06(木) 15:42:03 ID:1P9ZvMKV
>>552
家族で安土へ移住って命に服さないで尾張に妻子を残してた人ね

名前が与一なんで覚えやすいね

555 :バカは氏んでも名乗らない:2008/11/06(木) 21:27:19 ID:k27RFqAp
彼には福田という「苗字」もあるし、自分が住んでいる安土の外、岐阜にも
屋敷があってそこに家族を住まわせていたわけでしょ?
完全に兵農分離が進んでいたかどうかは別にして、薄給だったせいで半士半農で
家族は岐阜で自分の田畑を耕作して生計を立てていたのか、住み慣れた岐阜を
離れるのが嫌だったのかは別にして。
足軽階層には尚更そんなもの(自分の田畑)があったとは思えません。

一応、侍階級なんだけど馬廻みたいに騎乗を許されるほどの身分じゃない下士
(徒士の侍)あたりと考えていいものなんでしょうかね。
朝倉宗滴の17ケ条にも「侍は弓を持て、弓が下手なら槍を持て」というのがあり、
殿様から武器をメインウエポンの弓・槍・鉄砲を貸し与えられ出陣する足軽階層ではなく、
騎乗が許されるほどの身分と財力が無くっても自分の弓や槍を持つことにできる侍階層は
存在していたわけで。
(さすがにmy鉄砲&弾薬を持って出陣できる階層はそうそういないでしょうが・・・)

556 :バカは氏んでも名乗らない:2008/11/09(日) 06:48:52 ID:j1xNDnDV
でも、待てよ。
北条家ではわずか25貫の身分(土豪クラス)の侍でさえも軍役では
【自分は騎馬、槍持ち+旗持ちの雑兵2人連れて】いかなきゃいけないし。
「騎馬で出陣」する身分・財力のハードルはかなり低かったのかな?

おまけに織田家には明確な軍役の基準ってのは明智家法が出るまで
無かったから、(人数は多ければ多いほど、装備も良ければ良いほど
『武者』『武辺』道では忠節という扱い)ってことも鑑みると・・・

そうなると、やっぱり足軽は無論、それに毛の生えた下士層が自分で
弓矢を調達して出陣するってのは無理かもしれない。
主君から装備を貸与される下士層だったのかな?


557 :人間七七四年:2008/11/11(火) 19:40:41 ID:fT6gxDLe
肥前・松浦党の質問をしたいのですが
該当するスレはありますか?


558 :人間七七四年:2008/11/11(火) 19:52:59 ID:gAMMRpOO
>>557
唐津史
http://web.people-i.ne.jp/~harebare/90.tyusei/85,index.htm
東松浦郡史
http://www.geocities.jp/tamatorijisi/higasimatuuragun.html


559 :人間七七四年:2008/11/13(木) 19:15:10 ID:m88ETLQR
最近読んだ戦国系の本に上杉謙信には養子が3人か4人(本によって違うことがあるので)
がいたと書いてありましたがそれならなぜ謙信の死後の御館の乱で越後が二つにわれたのですか?
後継者指名していなかったので養子の数だけ勢力があるとおもうのに。
来年の大河とも関係ありそうなので気になったもので

560 :人間七七四年:2008/11/13(木) 20:00:32 ID:Uy3F28Sc
>>559
ただ単に景勝と影虎を支持する勢力が多かったからじゃないのか?

561 :人間七七四年:2008/11/14(金) 08:29:45 ID:OAFBPd+T
>>560
一般に謙信の養子は上杉景勝、上杉景虎、上条政繁、山浦国清といわれる。

そのうち上条と山浦は上杉の本家ではなく、上杉の分家を継がされていたから、
上杉政繁、上杉国清などと呼ばれず、その庶流の姓を称している。
庶流は上杉本家の家督を継ぐ資格は基本的にはなかった。

つまり上杉の本家を名乗っていたのは景勝と景虎だけ。
だからこの二人で家督争いが起こった。

562 :人間七七四年:2008/11/14(金) 19:30:45 ID:BNxpLiRZ
>>561
ほー
景勝と影虎以外の養子ってあんまり良く知らなかったんだけど、勉強になったわ。
養子っていっても謙信が死んだ当時には後者2人はもう別家の人物になってたのね。

563 :人間七七四年:2008/11/14(金) 19:54:30 ID:fkxVqpIR
>>559 です。ありがとうございました。名前までは載っていなかったので
養子といっていたから全員本家の上杉を名乗っていたのかと思っていたので
とっても勉強になりました >>561 の方ありがとうございます。

564 :人間七七四年:2008/11/18(火) 06:19:18 ID:Bpk7jfhi
東国に興味ある人には割かし常識なんだけど、
三傑ばかり語られる昨今じゃあ、あまり知られてないんだろうね。

天地人で少しは理解が広まればいいが。

565 :人間七七四年:2008/11/18(火) 15:54:20 ID:3j/pRmPH
対馬の宗氏について。

少弐氏の支援のもと、何度か九州侵攻を試みるも、失敗。
後に少弐氏が滅亡すると、大友・龍造寺・島津の三つ巴に介入できず
完全に九州進出の道は絶たれる。

秀吉の九州征伐に参加して本領安堵。

・・・とあったのですが、島津・龍造寺・大友の三つ巴時代
(秀吉の九州征伐前の龍造寺・大友が北九州を支配していた時代。1580年以降〜)は
対馬・宗氏はどこに属していたのでしょうか?

1・龍造寺
2・大友(立花)
3・島津
4・その他
5・どこにも目つけられてなくて独立状態。

少弐氏との関係から、龍造寺との関係はよくなかったと推測したんですが・・・
どうだったんでしょう?
どこかの大名に従属状態だったのか、独立した勢力として存在していたのか・・・

566 :人間七七四年:2008/11/18(火) 16:10:25 ID:X87yY4Yq
>>563
余談だが朝倉義景の娘と能登畠山の畠山義隆の息子も
謙信の養子に入ったとされる。
(どうもこの他にも謙信の養子に入って別家に入った子はいるようだ)
まあ上杉的に重要なのは政繁・国清・景虎・景勝くらいだから
関係ないといえば関係ないが。
ちなみに景虎以外の残り二人の養子は景勝支持に回って動いてるので
景勝派家臣扱いで養子の件は大河でスルーされる可能性もなきにしもあらず。

567 :人間七七四年:2008/11/18(火) 16:24:05 ID:/e8+kEEX
景勝以外の3人はイケメンのイメージがある

568 :人間七七四年:2008/11/18(火) 16:30:56 ID:T6YbHpGN
イケメンイメージは三郎景虎だけだろう。
景勝は田舎武士のイメージが強い。
実際はもっと洗練された人物なはずだが。

569 :人間七七四年:2008/11/19(水) 23:37:18 ID:DZ5/C8hR
>>564
ふむふむ
確かに東国の戦国大名についてはあまり調べたことないな
3傑についてや西国の大名については結構調べたりするんですけどね

北条やら伊達やら最上やら上杉やら東国についても今度いろいろ調べてみようかなと思います


570 :人間七七四年:2008/11/21(金) 00:05:31 ID:wLFcOzvN
>>565
1・龍造寺



571 :人間七七四年:2008/11/21(金) 17:12:28 ID:6vFUqtWf
>>568
一応上条は当時の名門の畠山の出だからイケメンイメージでもいいんでないの。
まあ畠山つっても能登の方だけど、中央政権にも参画したりもあったみたいだし。
反対に山浦は信濃の山の中の田舎の出だからそれこそ田舎武士さね。
にしてもなんで謙信は跡継ぎを明確にしなかったんだろう。
ふつう自分が50近くて、家も安定していて跡継ぎも元服済ませてたら形だけでも家を継がせてるもんだけど。


572 :人間七七四年:2008/11/21(金) 19:04:25 ID:b34wIF7O
>>571
まあ毘沙門天は不老不死と思ってたかもしれんしw

573 :人間七七四年:2008/11/21(金) 19:24:24 ID:UlHROzwC
景勝スレ景虎スレ御館スレで延々論争し続けてますが、
景勝後継派からは謙信は景勝に官位を渡し謙信自身は入道していることから
後継体制を固めつつあったとする説も出とります。
(当然景虎派や分権派後継決めてなかった派からの異論もある)
まー、後継を決めてたのか決めてなかったのかさえ論争中ということで。

574 :人間七七四年:2008/11/22(土) 08:36:42 ID:7uAbZ1hA
>>572
相川みたいな三文ライターの珍説をここで紹介するなw

575 :人間七七四年:2008/11/22(土) 08:52:10 ID:Nk08Qc5D
>>570
何か根拠となるエピソードやソースはありますか?
例えば〜年に龍造寺氏の要請を受けて兵を派遣している、とか。

576 :人間七七四年:2008/11/22(土) 11:20:24 ID:TfQCp9Zt
大坂の役の時点で、豊臣家に味方しようとしたが、
結果的には出来なかった大名ってどのくらいいますか?

577 :人間七七四年:2008/11/22(土) 15:12:07 ID:IG7htf45
>>576
心の中では味方したいと思っていた大名もいただろうけど、
行動に移すことができたのは福島正則くらい?(といっても兵量を渡したくらいだけど)

578 :人間七七四年:2008/11/22(土) 22:03:17 ID:ziWL3T8u
>>577
食糧は「しょくりょう」と読むが、兵糧は一般的に「ひょうろう」と読む。
わずらわしい変換をしなくてすむぞ。

579 :人間七七四年:2008/11/22(土) 23:00:46 ID:uNFW8PZH
>>576
・どの程度で「味方した」とみなすか
(本人が大阪入城、一族がry、家臣がry、屋敷からの接収を見逃すなどなど)
・本音と建前の区別、逸話や講談を採用するか
によって変わってくる

580 :人間七七四年:2008/11/23(日) 02:34:24 ID:fBM2nkKZ
横山光輝のマンガ(山岡荘八の歴史小説原作)を読んで
政宗が「三国に比類なき前代未聞の高名」と秀吉に朝鮮での戦功を称えられたと
ありますが、政宗の朝鮮での活躍は実際どの程度のものだったのでしょうか?

581 :人間七七四年:2008/11/23(日) 08:35:37 ID:pmq5CLMD
>>580
伊達は渡海した時期が遅かったし最前線で派手な戦はしてないはず
誉められるとしたら築城とかそっち方面じゃないかな
あとは派手な鎧とか

582 :576:2008/11/23(日) 12:06:01 ID:u7eUPSog
576ですが、
平野長泰が大坂入城のために家康に直訴したのだが断られた
というのは講談?史実?

583 :人間七七四年:2008/11/24(月) 03:13:56 ID:0Gtbp41I
>>580
山岡荘八原作www
ヒーロー物が史実でどうだったかなんて本気で聞くなよ。読み物としては面白いけどね。

584 :人間七七四年:2008/11/24(月) 08:55:06 ID:kRJhVw8R
>>578
兵糧は後世の当て字
元は「兵粮」

585 :人間七七四年:2008/11/24(月) 22:48:17 ID:PhCoiQpC
斉藤道三の物語は親子二代説ってガチなの
ウィキ見てへこんだんだが

586 :人間七七四年:2008/11/25(火) 09:43:10 ID:+REb8RSs
>>583
漫画や小説でも、一応史実や資料に沿って創作してるものも多いので
別にあれがフィクションかそうでないかを質問するのはそんな馬鹿げたことでもないと思うが。
逆に創作小説や漫画は全部夢物語だとでも言いたそうだけど

587 :人間七七四年:2008/11/25(火) 19:38:52 ID:RPYCdTO5
>>585
今はそれが常識になりつつある
資料もちゃんと残ってるしね

588 :人間七七四年:2008/11/28(金) 23:35:33 ID:oOdyQTzC
じゃ道三(2代目)は親父が築いたのを失った間抜けな人なんですか・・・


質問
なんでホモばかりなんでしょうか?
いや衆道が嗜みだったのはわかってます
でもなんぼ慣習とはいえ髪型とかとちがってやぱり男は愛せない人だって
それ相応にいたでしょうにそういう逸話が残ってるのは秀吉ぐらい
かといって無理やり周りに合わせて抱きたくもない男を抱いていたというかと思えば
そうでもなく人数の差はあれど抱くときは望んで抱いてる模様
嫌な人はいなかったんでしょうか?
自分だったら自分の肛門に突っ込まれるのも小姓の肛門に突っ込むのも断固拒否です
変人と思われても嫌なものは嫌です

589 :人間七七四年:2008/11/28(金) 23:43:57 ID:RIysMa+a
ホモのまともな記録が残ってるのは政宗と信玄ぐらいじゃないの。
他の武将の記録は全部あとになって書かれた創作色の強いもんばかりで。
信長もノンケだったと思うよ。前田や森なんて犯ってないだろう。

江戸時代になると戦国大名は自分の時代のお殿様より専制君主だったという誤解が生じて、
有名人は虐殺や色事にふける独裁者みたいに見られるようになってしまった。
男色がお盛んだったというのはそういう妄想の延長上にあるんだろう。

今だとやり手の社長はみんな美人秘書とよろしくやってんだろうなとかいうレベルの与太話。

590 :人間七七四年:2008/11/29(土) 00:30:59 ID:z+qBnx9C
足利将軍家をはじめとして、武家の世界じゃあたりまえ
だろう

591 :人間七七四年:2008/11/29(土) 00:37:27 ID:siFDIZJX
一時期の足利将軍がやっていたからと言ってその子孫が性的嗜好をそのまま受け継ぐのかね。
そしてそれを「将軍様がやっておられるから」と武士がみんな模倣するというのも不思議な話だ。
性欲の方向性は文化に影響される面もあるけれど性別を越えてまでの欲求まで文化として伝播するのか。
それとも将軍が参勤する武士を手当たり次第に犯ってしまってその良さを広めたのか。
宣教師は日本の寺院では男色がはびこっていると記したが、武家に流行しているというのは見たことがないよ。


592 :人間七七四年:2008/11/29(土) 01:14:49 ID:A0vjPTzO
この時代て、両刀が多かったんちゃうん?

593 :人間七七四年:2008/11/29(土) 02:01:06 ID:OzV8sJPR
古代ギリシャとか昔のよその国でもそうだったわけで
本来は男同士の同性愛は自然な感情で
嫌だとか変って思うのはむしろ後天的な洗脳なんじゃねーの?
でも俺はいやだけどな

594 :人間七七四年:2008/11/29(土) 02:12:35 ID:EOVlBM6j
古代ギリシャの同性愛信仰は性交渉はしないんじゃなかったっけ?
性愛の絡まない同性へ向ける愛こそ至高の愛。みたいな。
詳しくは知らないけど。

595 :人間七七四年:2008/11/29(土) 02:41:39 ID:spacs+TN
成人する前の大名の子の事は下々の者はなんて呼んでたの?

596 :人間七七四年:2008/11/29(土) 11:13:02 ID:JyVWtYes
幼名+敬称とか、若とか

597 :人間七七四年:2008/11/29(土) 14:33:07 ID:kfwYjvWu
同性への性欲が一般人に先天的にあるなんて大発見だな
医学会も驚く

598 :人間七七四年:2008/11/30(日) 10:35:40 ID:TAHRD3Q5
戦が起こった時農民へそれを伝える命令系統はどうなってたんでたんですか?
その土地の領主が知らせてたんですか?

599 :人間七七四年:2008/11/30(日) 10:58:21 ID:AHM6uCmP
敵が攻めてきたら狼煙があがるなりして、奇襲でなければ割かし事前にわかったのかな。

600 :人間七七四年:2008/11/30(日) 10:59:13 ID:OWL4iGQm
>>595
元服が近いと、既につけられた仮名(通名)で呼ばれたりしてたみたいね。

601 :人間七七四年:2008/11/30(日) 11:14:24 ID:LNeYWk+w
3武将のいい感じの名言をおしえて

602 :人間七七四年:2008/11/30(日) 12:39:45 ID:T1+kAOln
どの3武将?

603 :人間七七四年:2008/11/30(日) 13:11:24 ID:zfPYYlRu
>>601
3武将の名前をちゃんと挙げれ
赤海雨三将のことかね

604 :人間七七四年:2008/11/30(日) 13:52:54 ID:uy90fLI+
>>597
マジレスすると、サルやペンギン、昆虫の類いでも
ホモセックスする種類があるそうな

605 :人間七七四年:2008/11/30(日) 14:04:04 ID:LNeYWk+w
えーと3武将じゃなく、戦国武将のいけてる名言をおしえて下さい、 ただ辞世の句は意味がわかんなくて… ナイスな名言おしえて下さい

606 :人間七七四年:2008/11/30(日) 14:45:40 ID:TGQ9wVVe
で、あるか

607 :人間七七四年:2008/11/30(日) 15:31:19 ID:LNeYWk+w
で、あるです

608 :人間七七四年:2008/11/30(日) 21:22:35 ID:mjxXF6CV
>>598
半農半士の連中には動員が掛かるからそのとき知ったのでしょう

609 :人間七七四年:2008/12/02(火) 00:21:13 ID:a7uamtof
>>607
分かっていってるのか知らないが、「で、あるか」は織田信長の名言だぞ

610 :人間七七四年:2008/12/02(火) 14:46:17 ID:hFBaBQ6Y
陣ぶれってのはお城で太鼓たたいたりほらがい鳴らして知らせると聞きました
で、これ聞こえないことも多いと思うのですが
その場合どうしたのでしょう
例えば夜でみんな寝てるとか
例えばたまたま他の音が大きくてとか
例えばたまたま遠くに用があって出かけていた場合
例えば下痢でトイレ行ってた時とか

611 :人間七七四年:2008/12/02(火) 14:56:18 ID:dt8WUIT1
来ない奴がいたら同じ隊の誰かを使いに出して呼びに来るでしょ
戦力足りなくて困るのは殿様だし
遠くに用があった場合は仕方ないかな

612 :人間七七四年:2008/12/02(火) 17:46:16 ID:UZybS+L+
陣触れは二段階。
一段階は太鼓や貝の音で、
二段階目は実際に村々を武士が駆け巡って伝える。

音だけで伝えるわけではない。

613 :人間七七四年:2008/12/04(木) 01:57:07 ID:UpXRfebZ
もっと信玄の人は城…チックな名言ないのん?(-"-;)

614 :人間七七四年:2008/12/04(木) 17:29:49 ID:zq7MjNLX
そういう名言なら、ネットをあさるなり書籍をあさるなりすればボロボロでてくるよ。
だいたい、辞世を除外している時点で半分はいらないと言っている様なものだしなあ。

615 :人間七七四年:2008/12/04(木) 17:54:51 ID:LwJkJRrp
>>613
http://item.rakuten.co.jp/book/5853791/

616 :人間七七四年:2008/12/04(木) 20:05:46 ID:nQR/7TTa
変と乱と役の違いって何ですか?

617 :人間七七四年:2008/12/04(木) 21:19:03 ID:zq7MjNLX
変→クーデター
乱→軍事衝突
役→遠征

618 :人間七七四年:2008/12/05(金) 01:15:00 ID:14HJMOd/
小説などでは「この戦乱の世を治め平和にするために天下統一をしなければ」
という想いから各大名が天下統一しようとするけれど
実際こういう考えはあったの?
というかなぜ天下を掌握したがるの?

619 :人間七七四年:2008/12/05(金) 02:11:57 ID:+++mH6Cd
>>588
ホモじゃなくて両刀
衆道についてはもともと僧侶から貴族へ、そして武士へと繋がっていった。
平安時代の公家の日記みると、今日は誰それとやったとかいう記述が平然とある。
江戸時代になると庶民レベルにまで広まっていった。

私も男色なんて気持悪いだけですが、「そういう価値観の時代だった」と流すしか
ないですね。

>>589
妄想でもなんでもありません。というか、自分の妄想で語らないでください。

>>618
まず、ない。
それから「天下」の概念が時代とともに変化しており、特に室町戦国から安土
桃山にかけては大きく変動している点にも注意。

620 :人間七七四年:2008/12/05(金) 02:21:55 ID:rOEswInJ
>>617
乱は内乱とか反乱じゃね?

621 :人間七七四年:2008/12/05(金) 14:19:16 ID:Ycp3ntKM
>>617
ありがとうございます
乱についてですが軍事衝突といいますと反抗勢力との合戦という解釈でよろしいのでしょうか?

622 :人間七七四年:2008/12/05(金) 14:32:49 ID:t7YvtUu9
>>619
いや、男色の流行なんて君の妄想でしょ。
ただしくは流行じゃなくて、許容されていただけの話。
積極的にホモ行為をしていたとする見方は偏りすぎ。

623 :人間七七四年:2008/12/06(土) 15:25:11 ID:B31N1vuM
>>621
上杉家の「御館の乱」や伊達家の「天文の乱」などの主導権争いの「乱」があるので、
乱=反抗勢力との合戦、とは言いがたい。
内乱ではあるが反乱ではないし。
軍事衝突でいいのではないかと思われ。

624 :人間七七四年:2008/12/07(日) 01:25:04 ID:58pSPRLc
変は本能寺や大寧寺などの例で考えればいいかと

625 :人間七七四年:2008/12/07(日) 01:43:25 ID:RZj5C8uj
>>623
明治に九州地方で起きた佐賀の乱、秋月の乱、神風の乱はどうだろうか
内乱とは考えられないし、中央へ対しての反乱と思われるが

626 :人間七七四年:2008/12/07(日) 02:08:39 ID:A2dX15iP
辞書ひけばいいやん

変(名)
(1)異常な出来事、社会的な事件が起こること。政変や動乱などが発生すること。また、そのような事件や出来事。
「本能寺の―」
必ずしも軍事的な行為に限らない


戦争などによって世の中の乱れること。みだれ。
「治にいて―を忘れず」「応仁の―」
主に同一の勢力・国家内における軍事的な衝突に使われる


1 戦争。「前九年の―」
より限定すれば、主に外国・別勢力との対外戦争に使用される

627 :人間七七四年:2008/12/08(月) 05:02:43 ID:lMyJaT+E
>>625
内乱である御館の乱も反乱である佐賀の乱も「乱」だろ?
乱っつーのは、反乱も内乱もだが、敵対勢力同士の軍事衝突なわけだから、
内乱のみが乱、反乱は乱じゃないとかいう話じゃない。
「乱=反抗勢力との合戦」にすると「御館の乱」は「乱」じゃなくなるだろ。
乱は内乱や反乱など、一言で言うと軍事衝突である、でいいじゃん。
わざわざ反抗勢力との合戦と細かく定義する必要はないっしょ。

なんだかんだで辞書で見たほうがわかりやすいけどなw>>626

628 :人間七七四年:2008/12/11(木) 14:54:13 ID:Net3c5gr
浄土真宗(本願寺)が一向宗と言われるようになった時期と経緯わかりますか?

江戸時代以前から浄土真宗(本願寺)=一向宗という認識はあったんですよね?


629 :人間七七四年:2008/12/11(木) 20:19:30 ID:DD8v9dNi
>>628
前読んだ本によると今でいう一向一揆が活躍していた当時には
一向一揆は土一揆と呼ばれていたらしい

まあその本は「一向一揆と石山合戦」って本なんだけど、結構そのあたり詳しく書いてあったような覚えがあるから、
興味があるのなら読んでみるといいかも

630 :人間七七四年:2008/12/11(木) 22:55:44 ID:Net3c5gr
>>629

ありがとうございます。本探してみます。

631 :人間七七四年:2008/12/12(金) 21:09:51 ID:E/WBTk4Y
結局豊臣時代に徳川が貰ったのはどの程度なんですか?
関八州といえど
安房一国は里見、常陸は佐竹、下野にも宇都宮なんかがわらわら
他に結城やなんかもいたわけで
相模、武蔵丸々と下総、上総、上野の一部程度ですか?
実はあまり範囲は東海時代と変わってないんでしょうか?

632 :人間七七四年:2008/12/13(土) 00:00:03 ID:Hda28h/4
>>628
浄土真宗の門徒だが、「ひたすら阿弥陀如来一仏を拝む」ということから「一向宗」と呼ばれるようになったらしい。
室町ごろからそう呼んでたそうだ。
ただし本来は時宗の信徒を指す呼称だったので、真宗側はその呼称を嫌い、江戸期に何度も幕府に「浄土真宗」への改称願いを出した。
しかし特に浄土宗関係者から反発があったので、江戸期にはずっと「一向宗」で通ってた。
で、明治初年にやっと改称が実現した。

戦国期の動向については『一向一揆と石山合戦』を読むことを勧める。

633 :人間七七四年:2008/12/13(土) 00:39:51 ID:4/L1/3L4
>>632
浄土真宗の住職と懇意なんで、たまに「一向宗」との関係を話すんだけど
住職は「浄土真宗」と「一向宗」は無関係と否定するね

634 :人間七七四年:2008/12/13(土) 01:28:45 ID:me6CKnX3
普通鉄砲で射撃されれたら
撃ったほうに攻撃し返すと思うのに
小早川さんはなんで撃ったほうの味方したんですか?
内奥の約束してても打たれた時点で「もう向こうはこっちを敵に見てる
だったらねがエルのやめ辞め」ってなるのが人のサガだと思うのですが
創作の逸話としても筋が通ってません

635 :人間七七四年:2008/12/13(土) 06:52:13 ID:Hcje1a2X
>>634
歴史に関わらず人間の心理を理解するのは難しいですよ
最初から裏切りを100%決めていてそれが切っ掛けになったかもしれないし
小早川隊に向かって実弾を射ってるわけでもないし

636 :人間七七四年:2008/12/14(日) 06:44:26 ID:roni3+ez
>>631
所領云々よりも徳川を追いやる事が目的。「関八州」は「号して」のもの。

>>634
演出だからね。何らかの手法で決起を促した可能性はある。

637 :人間七七四年:2008/12/14(日) 20:20:07 ID:t8kfHuKK
大政奉還後の徳川宗家は400万石から駿河駿府70万石の一大名に
なったわけですが、これは結果であって、新政府は他に改易とし
宗家は斬首でお家断絶という選択肢も持っていたのでしょうか?

あるいは摂津大坂65万石の羽柴家の運命のように後にいわば「駿府の陣」
のように攻め滅ぼそうとしていたのでしょうか?

638 :人間七七四年:2008/12/14(日) 20:23:31 ID:ap0qtzlZ
激しくスレ違い…いや、板違いだなw

639 :人間七七四年:2008/12/14(日) 20:23:50 ID:BJcsf2Sb
微妙にスレチな希ガス

640 :人間七七四年:2008/12/14(日) 20:44:14 ID:t8kfHuKK
そういえばここは戦国時代の板でしたね。失礼しました。
然るべき所に投稿いたします。

641 :人間七七四年:2008/12/21(日) 11:26:20 ID:VKSPFf4l
昔北条早雲の学研漫画を読んだのですが、
その中で一人の童子が早雲に懐きそのまま家臣になりまして
それが誰だったのか思い出せずやきもきしています

氏康の代まで仕えたと記述があったことまでは覚えているのですが


642 :人間七七四年:2008/12/22(月) 03:24:23 ID:0HpX6rdM
肥後の隈部氏って島津に降る直前くらいの最盛期で
どれくらいの石高を領していたのでしょうか?
サイトで1900町とあったので、2万石前後?

643 :人間七七四年:2008/12/22(月) 03:28:44 ID:0HpX6rdM
【補足】
合志・内空閑氏らも実質、隈部氏の影響下にあったようなので
それらを鑑みるとどうなんでしょう?

慶長年間の肥後の石高が34万1000石。
阿蘇氏の領地が約15万石
天草地方が約2万石
あとは有力な勢力ってーと
相良くらいなので、そこから推察すると
どうなんでしょ

644 :人間七七四年:2008/12/22(月) 17:20:32 ID:/cJbcIDR
江戸期の伊達家家老の原田甲斐という人物は
なぜ伊達宗重を殺さなければならなかったの?

645 :人間七七四年:2008/12/22(月) 21:59:43 ID:9ZzCEJB/
>>642>>643
龍造寺隆信幕下着到(天正8年)によれば
隈部親永900町
内久我(内空閑)親房1,000町
合志親為も幕下なれど着到に記載なし


646 :人間七七四年:2008/12/22(月) 23:18:52 ID:JyT/6oSv
>>644
こっちの方が詳しい人がいるかも?

戦国期の家督争い・御家騒動・内乱を語る
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1224768422/


647 :人間七七四年:2008/12/24(水) 02:59:19 ID:OO8K6xMe
「一色軍記」と「丹州三家物語」という書物はそれぞれ
誰がいつどこの勢力下で書いたものですか?

648 :人間七七四年:2008/12/24(水) 20:52:37 ID:APdIwayv
信長の野望には南蛮天守閣の城が出てくるけど
戦国時代に実際に南蛮天守閣の城は存在したのですか?


649 :人間七七四年:2008/12/24(水) 22:44:39 ID:GS1bOOHE
柳沢元政は秀吉没後、家康から徳川家への仕官を勧められたものの、それを断ったみたいですが…。
この時、六十代だった元政にどんな魅力があったと推測できますか?
その後、毛利に戻った元政は周防山口で没しますが、何故か息子は徳川の旗本になっています。
それはどうしてだと推測できますか?

650 :人間七七四年:2008/12/24(水) 23:14:25 ID:jZ8djwPr
>>649
柳沢は元公卿だから何か朝廷とのパイプでもあったかね?

651 :647:2008/12/25(木) 01:21:12 ID:tWS7Z3AG
日本史板できいてみます

652 :人間七七四年:2008/12/25(木) 22:11:35 ID:c4HtXGsC
>>650 なるほど…。お答え頂きありがとうございます。
>>649 >>>>(続きの質問)
秀吉没後、利家とかいるのに、なぜ家康は豊臣の家臣を掠めとるような発言ができたのですか?
この時の豊臣の人事はどうなってたんですか?

653 :人間七七四年:2008/12/26(金) 20:05:34 ID:TtGhbtRo
秀吉の遺言で、秀吉死後は家康が政治の面でのトップとなり伏見城に、
利家は秀頼の後見人となって大坂城に入るように言われていた。
それで事実上、利家と家康はは秀吉死後豊臣家の2トップだった。

家康は自分の立場をいいことに秀吉の死後、私婚等秀吉の遺言を破る行為を繰り返した。
利家や官僚たちは怒って詰問使を送るが家康は追い返し、
利家は自分から家康に会いにいってやっと誓紙を交わした。(この時点で秀吉死後半年くらい)

しかし直後に利家が死に、家康に対抗できるだけの人物が豊臣家からいなくなってしまい、
家康は前田氏の討伐をしようとしたり、上杉討伐をしたりとさらに専横を極めた。
んでそれをよしとしない三成が立ち上がり、挙兵して関ヶ原へと至るわけ。

654 :人間七七四年:2008/12/26(金) 20:12:31 ID:GTkXP7s9
戦国期は国が乱立して現在でいう大蔵省とか無かったと思いますが
通貨の発行はどこの誰がやってたんですか?

655 :人間七七四年:2008/12/26(金) 20:33:03 ID:kDAwLgXL
>>654
大名・商人が勝手にびた銭を作ったり、永楽銭を輸入していた
一番、まともなのは武田の甲州金

656 :人間七七四年:2008/12/26(金) 21:25:47 ID:v6+ujop7
秀吉が100万石で花の慶次をスカウトしたのはほんまの話でしょうか?
また次の大河ドラマの直江兼次には花の慶次は出るのでしょうか?親友だったはずだし

657 :人間七七四年:2008/12/27(土) 11:20:12 ID:dywA7zdv
秀吉股肱の福島でも尾張24万石。身内の金吾でも30万石。
ほとんど養子扱いの宇喜多でも50万石。

大事な盟友の甥とはいえ、秀吉の前でサル芸を披露したくらいの男に
100万石か。アリだな。

658 :人間七七四年:2008/12/27(土) 18:08:43 ID:hNPUmmD5
実の父親または兄貴や弟を殺して、かわりに自分がトップに立ったなど、
強奪だったけど最終的には安泰だった(暗殺も追放もされなかったとか家はつぶれなかったとか)
っていう武将ってどんな人がいますか?

659 :人間七七四年:2008/12/27(土) 18:30:20 ID:3q9kTAk3
>>658
武田晴信

660 :人間七七四年:2008/12/27(土) 20:48:12 ID:cZKpVEUn
謙信も兄貴と相克があったしなあ。

あとは伊達晴宗、輝宗は親子で戦争。
すくなくとも自分一代では滅びなかった、というのなら織田信長も今川義元も。
毛利元就も弟殺してたなあ。
あと親父殺しは疑惑だが大友宗麟とか。

661 :人間七七四年:2008/12/27(土) 21:28:38 ID:Kipu66Xe
謙信と晴景は対立したけど晴景を攻めた訳でもないし
上司の定実の調停で両者従い素直に家督移譲してるからちょっと違うと思う。

662 :人間七七四年:2008/12/27(土) 22:19:53 ID:91kw06P8
>>660
ん…あれ…?
天文の大ら…ん?

663 :人間七七四年:2008/12/28(日) 02:09:13 ID:vBFVMK/j
肥後の国人・名和顕孝の子息らについて。

名和氏
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/nawa_k.html

こちらを参照すると、次男・長興が立花藩に仕えた事はわかるのですが
長男・顕武、三男・顕貞はどうなったのでしょう?
次男・長興も含めて、この三兄弟について、わかる事績(生没年等)が
わかりましたら、教えて下さい。

664 :人間七七四年:2008/12/28(日) 02:11:38 ID:vBFVMK/j
>>656
原作小説では「10万石」だったような。もちろん創作だと思うけど。
花の慶次(漫画)は、少年誌らしく話を大袈裟にする為に
原作小説の表現を多少誇張している箇所が結構ある。
横柄な奇染屋の店主の足を買うエピソードの値段とかもそう。

665 :人間七七四年:2008/12/28(日) 08:19:11 ID:X8zvxqcC
>>656
あり得ない。直臣に望んだ大名(特定無し)に叔父の利家が「御免被る」と断るエピソードが誇張されたとかしないとか。

大河は原作を読んでないのであくまで私見だが、特に主要キャラに仕立てずとも特に差し障り無いのではないか。叔父が宇津井で年齢的なバランスが難しい。

と、おもたよ。

666 :人間七七四年:2008/12/29(月) 09:27:33 ID:wvSiM9+G
戦国時代中期〜末期くらいの旧国地図と大名分布図が載っている本を探しています。
オススメがありましたら宜しくお願いします。

667 :人間七七四年:2008/12/29(月) 11:23:10 ID:EW1/PKcU
種子島の大名が鉄砲を手に入れたと習いましたが鉄砲を売ってくれた相手は海賊だったと言うのは本当ですか?


668 :人間七七四年:2008/12/29(月) 11:35:11 ID:iqtP/XeO
>>658
嫡流の従兄を殺して房総を統一した里見義堯。

669 :人間七七四年:2008/12/29(月) 12:36:37 ID:fJTB4BNW
>>667
宣教師というのが通説です

670 :人間七七四年:2008/12/29(月) 12:42:37 ID:QrWjOTqg
日本では船で海に出る商人や水軍など全て海賊と呼んでいたのですよ

671 :人間七七四年:2008/12/29(月) 18:02:32 ID:2vkPPTgF
>>666
大まかな分布図が載っているような本ならどこの本屋でも普通に置いてあると思うよ


672 :人間七七四年:2008/12/29(月) 20:34:22 ID:isL4nFeo
>>669
断言しないように。
ポルトガル人ということしかわかっておらず、
宣教師だったのか商人だったのか軍人だったのかは不明。
鉄砲を持っていたのはポルトガル人で、
>>667の言う海賊とされる人物は種子島家の役人と筆談した人物。
後期倭寇の代表的な人物である、王五峰(王直)がその人とされる。

つまり、「鉄砲を売ったのはポルトガル人だが、ポルトガル人は日本語がわからないので、
中国人が日本人との仲介に立って売買を成立させた。
その中国人は海賊として名の知れた人物であった可能性がある」
ということになる。
可能性があるというだけで、本当にそうだったのかはわかっていない。

673 :人間七七四年:2008/12/29(月) 22:27:25 ID:0WELi5Vi
とりあえずポルトガル船籍の船ではなく
中国船にたまたま同乗していたポルトガル人が売ったんだよね。
で、1回目は莫大な金で2丁?だっけか。購入して
複製しようとしたんだけど、当時の日本にはネジの概念がなかったので
細工の仕組みがわからず
その秘密を教えてもらうのに、今度は金+自分の娘まで差し出したって話だったような

674 :人間七七四年:2008/12/30(火) 00:56:31 ID:PGjQpK5o
戦国時代の城の
堀の水位(深さ)ってどれくらいだったのでしょうか?

675 :人間七七四年:2008/12/30(火) 03:10:18 ID:BPp2X0kr
事件に対して、ある人物が殺害された後、一番得をしている奴が怪しい。
と、よく言われますが、
秀吉が信長の死に関与している可能性はありますか?
そう考えると中国大返しや、諸侯への根回しなど、常識的には
あまりにもありえない様な感じがします。事前準備があったのではないかと。


676 :人間七七四年:2008/12/30(火) 04:15:01 ID:1Pm1nyIS
>>675
ないとはいえないと思う。
本能寺の変についての説で秀吉関与説というのも出ている。
他にも朝廷関与説とか、足利将軍関与説とか、家康関与説とかいろいろあるみたい。

677 :人間七七四年:2008/12/30(火) 04:36:42 ID:EQKiTYks
>>674
そら城それぞれじゃないの?
普通は人が立っても渡れない程度の水が入ってたと思うけども。
ちなみに近所にマイナーな城跡あるけど
そこの堀(満水状態の水位じゃないけど)跡でも
10〜15mはあるよ。



678 :人間七七四年:2008/12/30(火) 09:06:24 ID:nPMuurim
現在の大阪城外堀で水深4mぐらい

679 :人間七七四年:2008/12/30(火) 11:08:58 ID:dzvPlR5c
>>678
大阪城の外堀ってロマンがあるよね。

>>675
明智の野望単独説で落ち着きそう。人生を賭けた博打ってロマンがあるよね。

朝廷や足利の名は調略に利用しただけ。信長バブルで弾けた、そんな団塊の悲しい結末だな。

680 :人間七七四年:2008/12/31(水) 06:01:26 ID:YJaNi9c3
>>673
国友ネジ衛門さんは自力で解明したよ

681 :人間七七四年:2008/12/31(水) 09:22:52 ID:mNslTd/t
小早川隆景はどうして秀吉に「天下を取るには勇気がない」と言われてしまったのですか?

682 :人間七七四年:2008/12/31(水) 11:00:38 ID:03jAMaj/
>>681
秀吉のヨイショはもれなく自分の知恵誇りがついてくるので
ここは「(俺ならこうするのに、俺に比べて=)天下人になるにはこれが足りない」という意ととりたい。
毛利家をおっぽって自分だけ秀吉に取り入れば、本家を凌ぐ人望で
事実上、豊臣政権のno.2になれたかもしれないのに、
本家をはばかってできなかったんだよね(俺ならそんなの無視するぜ)ってことではないか。

同様に、
直江兼続(知恵)の場合は「天下の要職に相応しい人品(態度がえらそう)だけど、この人の状況からみて
これ以上の出世する方法は自分(秀吉)にも思いつかない」
鍋島直茂(大気)の場合は「どうせ乗っ取るならとことんやれよ!何で途中でとめるんだよ(俺ならそうするよ)!」

683 :人間七七四年:2008/12/31(水) 19:38:45 ID:UGtAylsu
>>672
通説の意味わかる?

684 :人間七七四年:2009/01/01(木) 18:54:03 ID:g15yUQjz
>>674
もちろん水掘の城もあります。

しかし中世城郭の大抵は空堀。
水掘の場合も川を利用するケースが多いのでなんとも。

685 :人間七七四年:2009/01/01(木) 19:12:53 ID:33dOgAKH
質問です。
花押は親子で同一のものを使う事があるんでしょうか?
類似したものを用いる例は多数あるようですが……。

686 :人間七七四年:2009/01/01(木) 21:15:02 ID:vHDWj1hv
信玄は昔でいう甲斐の国周辺の人から今でも嫌われている、
というのを聞いたことがあります。
自分の国の人間を食わせるために略奪しに行ってるのだから
当然だと思います。
だとしたら、三重では織田信長は嫌われているんでしょうか?

687 :人間七七四年:2009/01/01(木) 22:57:41 ID:6Js7nR9u
甲斐って甲州金が有名だけど、金鉱があって貧しいとはこれいかに

688 :人間七七四年:2009/01/01(木) 23:18:19 ID:Qi2RTHp+
>>686
地元の武将がマイナーでショボイのばっかりなんで嫌うどころじゃないw。
信長は普通に超有名でスゴイ武将というのが一般的三重県民の認識。まあよそ者という意識はあるけど。
ちなみに漏の住んでる辺りの寺で一向一揆討伐の時、信長が宿所にしたって所がちらほらあるよ。

689 :人間七七四年:2009/01/02(金) 00:12:35 ID:FKufjoQ8
>>688
そうなんですか(笑
対立とかよく思ってない間柄が結構残ってるみたいなので、
日本初の大虐殺をされた土地だったらさぞ深い恨みが残ってるのかなと思ったもので。

690 :人間七七四年:2009/01/02(金) 01:12:02 ID:qbFngVgY
>>687
庶民が、その採掘される金で飯を食えるわけではあるまい。
現在でも山梨に行ってみれば分かるが、田園の少なさ・畑や果樹園の多さは異常。

当時に葡萄や桃作ったって仕方ないから麦や蕎麦なんかが関の山だろう。
そこへいくと、隣国信州は同じ盆地とはいえ松本・伊那・佐久・善光寺・上田と肥沃。

691 :人間七七四年:2009/01/02(金) 01:13:52 ID:/ZFcCdyg
庶民の話じゃなく甲斐武田氏のはなしでそ

692 :人間七七四年:2009/01/02(金) 02:02:55 ID:Irc9uHNu
上杉謙信は女だったと言う説がかなり信憑性あると言うのはどういった証拠があるんですか?

693 :人間七七四年:2009/01/02(金) 02:24:11 ID:hQZkWmyt
>>692
死因が女人にしかかからない病気だったから。後は毎月の寺に引きこもる時期が生理の時期だったらしい←これは曖昧
後は知らない

694 :人間七七四年:2009/01/02(金) 02:39:12 ID:Irc9uHNu
>>693
ありがとうございます。
今年の大河ドラマが楽しみです

695 :人間七七四年:2009/01/02(金) 03:48:07 ID:JKOP6kbk
戦国時代の給料形態には、知行取りと扶持取りの二種類があると知りました。
扶持取りっていうのは、
≒傭兵
だと思っていいんでしょうか?

例えばもしそうだとすると、商業の利益何万石分を傭兵に充てた織田信長の軍隊が、
季節に左右されず一定の動員を可能にできたと言う点で、
これをして「兵農分離」という見方がなされた、という経緯の説明がつくのかな、と思ったのですが。
まぁその前にはまず織田信長の軍隊における知行取りと扶持取りとの比率を、
他の大名とくらべてどうだったか比較しなければいけないんでしょうが。


696 :人間七七四年:2009/01/02(金) 07:10:25 ID:m2acUPYP
>>695
扶持取りは領地を与えられないかわりに
大名のもとにあつまる年貢を与えられる直臣、旗本、客分。
領地がない=傭兵ではない。

697 :人間七七四年:2009/01/02(金) 22:21:19 ID:tj+mXT0w
  ∧l二|ヘ
  (・ω・ )  ←に土産を持たせてどこかのスレに送ってください
 ./ ̄ ̄ ̄ハ
 |  福  | |
 |  袋  | |,,,....
   ̄ ̄ ̄ ̄

現在の所持品: 帽子 老眼鏡 爪楊枝 ステテコ コタツ 仲村みうのDVD「卒業」 東名
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698 :人間七七四年:2009/01/04(日) 09:18:00 ID:Rw1JSqkb
なんか今年の大河で愛がやたら強調されてるのですがNHKの公式見解は
愛は民や百姓への無償の愛情の愛のようなんですが
昔は愛染明王の愛だときいたんですが
歴史見解が変わったんでしょうか?
ガス抜きですか?

699 :人間七七四年:2009/01/04(日) 09:18:55 ID:Rw1JSqkb
最後の一行は消し忘れです無視してくださいごめんなさい

700 :人間七七四年:2009/01/04(日) 10:41:19 ID:kTUyAyXb
愛染明王の『愛』です
テレビでも小説でも愛情の『愛』にこじつけたほうが
一般受けしやすいからじゃないでしょうか

701 :人間七七四年:2009/01/04(日) 12:03:19 ID:TlkquE38
愛染明王の愛と断言する証拠は?
愛宕権現説もあるし、何も考えずにただデザインとして選んで様々な意味を込めたって可能性はないの?

702 :人間七七四年:2009/01/04(日) 13:27:15 ID:kTUyAyXb
愛染明王と断言したのは間違いでした、すみません
確かに愛宕権現説も有力ですよね
ただ何も考えず愛の字を使ったということはないと思います
主君であった上杉謙信が毘沙門天の毘の字を旗印にしていた影響はあったと考えています

703 :人間七七四年:2009/01/05(月) 16:50:53 ID:PqI9DwWw
>>701
デザインてw

あの時代にこのフォルムがたまらねーとかで決めてたのか?
意味もなく決めたとかはありえねえだろ

704 :人間七七四年:2009/01/05(月) 19:23:59 ID:SSNrI/i2
世の中には、
サザエ形兜とか、富士山形兜とか、猿面の兜とかあるんだぜw

意味?
本人がカッコいいと思えばなんだっていーんだよw

705 :人間七七四年:2009/01/05(月) 19:32:23 ID:PqI9DwWw
>>704
いや…それ全部意味あるんだけど…
百足はさすがに知ってるよな

706 :人間七七四年:2009/01/06(火) 11:57:56 ID:HpHqfNAU
意味は結構あとから付けられたもんだと思うんだよね。
今でも製品名や社名などでそんなの多いじゃん。
とりあえずかっこいい響きのをつけてみた。意味はどうみてもあとから考えましたみたいなの。

707 :人間七七四年:2009/01/06(火) 12:47:45 ID:wC6Pydn4
でも戦国時代の愛って今の愛(Love)って意味とは違うんじゃないの?
エロな意味で付けるなら色とか恋にするんじゃないだろうか
当時の愛って文字は慈愛や慈悲に近いと思う

708 :人間七七四年:2009/01/06(火) 12:51:40 ID:u9iwpHVY
>>707
>でも戦国時代の愛って今の愛(Love)って意味とは違うんじゃないの?
>当時の愛って文字は慈愛や慈悲に近いと思う

妻夫木はそう言ってる。
だが脚本家が・・。

709 :人間七七四年:2009/01/06(火) 13:54:28 ID:TgGxzBiZ
今の時代の感覚で考えてはダメだと思う
元来日本人は縁起やげんを担いだりなんにでも神様を宿らせる習慣があるんだから
常に死と隣り合わせの武将なら尚更身につけるものなどには拘ったんじゃないかな

710 :人間七七四年:2009/01/06(火) 18:00:39 ID:sHSXVtln
なんで最近、最上は鮭様と呼ばれているんですか?
由来があれば教えてください。
昔はもがみんって呼んでる方が多かったように感じているのですが・・・。

711 :人間七七四年:2009/01/06(火) 21:11:44 ID:FHxujqpz
>>683
そのままそっくり返すよ。
>通説の意味わかる?
通説は「ポルトガル人」で、「宣教師」ではない。
「ポルトガル人の宣教師」だとでも言うなら通説ではなく新説だな。

712 :人間七七四年:2009/01/07(水) 10:38:11 ID:08p57GXN
>>710
良い/悪い話スレで最上義光が鮭好きという話が披露され、
義光=鮭が定着した

713 :人間七七四年:2009/01/07(水) 17:55:43 ID:hrGEHu6N
>>712
ありがとうございます。
やっぱり最近できた呼び方だったんですね。
しばらく覗いていないと、流れの遅い戦国板さえついていけなくなります。
最近ずっと疑問に思っていたのでスッキリしました。

714 :人間七七四年:2009/01/07(水) 22:46:51 ID:eR57+E9u
どこで聞けばいいのかわからなかったのでここで質問させてください

戦国時代に興味を持ったのでいろいろ勉強したいのですが、
何をどうしていけばいいのかわかりません。
話の真偽や歴史の解釈など、難しいことがたくさんあります。
皆さんはどのように知識を広げていったのですか?

715 :人間七七四年:2009/01/07(水) 22:49:41 ID:cifUX4vx
本読め。名将言行録とか信長公記とか有名どころから
現代語訳または小説化したものを読み漁れ

716 :人間七七四年:2009/01/07(水) 22:59:17 ID:08p57GXN
俺は信長の野望から入ったクチだな。
まずあれの武将列伝とか、攻略本とかで知識を積んだ。
次に一般書店とかでも手に入る学研の歴史群像シリーズみたいなのを読みつつ
ネットで色々調べ始めるようになった。
で、値段は高くとも読むのが平易な編纂物を読むようになって、
最近、原資料をあたるようになってきた感じ。

いきなり専門書とか読んでもちんぷんかんぷんだろうから、
とりあえずそこいらで手に入る本を読めば良いと思うよ。

717 :人間七七四年:2009/01/07(水) 23:28:36 ID:JW2u+UF8
誰だこれ?って武将の名前を見たらとにかくググれ

718 :人間七七四年:2009/01/08(木) 00:01:57 ID:J0hISXa7
>>714
やめとけ。淋しくなるだけだぞ。


719 :人間七七四年:2009/01/08(木) 02:35:40 ID:adcH+ot2
>>716
原資料なんてどこで手に入れて読んでるの?


720 :人間七七四年:2009/01/08(木) 04:46:33 ID:omR4Ywsa
>>718
うむ正論じゃ

721 :人間七七四年:2009/01/08(木) 06:12:34 ID:5exygtJL
>>719
入手しなくても図書館などに保管されていて、
閲覧可能なものもあるよ。
活字になってるものでも充分だけど。

722 :人間七七四年:2009/01/08(木) 06:55:44 ID:kASmhM9b
大日本史料という資料集(刊行中)はネットで無料閲覧可

723 :人間七七四年:2009/01/08(木) 08:45:58 ID:0PuGpIC6
>>722
まだ全部は見られないんじゃないか

724 :人間七七四年:2009/01/08(木) 10:37:44 ID:adcH+ot2
>>721
そうか、サンキュ


725 :人間七七四年:2009/01/08(木) 13:46:55 ID:NNV8dBqF
秀吉は百姓の出身だのと聞きますが、学も武もない人間が
奉行を任されたり、有力郷氏のヘッドハンティングをしたり
京都政務を任されているのは辻褄が合わない気がしますが
どうなんでしょう?

726 :人間七七四年:2009/01/08(木) 15:46:44 ID:milw2sRB
>>725
最近では足軽出身ってのが定説だ
百姓説は嘘

727 :人間七七四年:2009/01/08(木) 15:52:27 ID:WN9gBluF
長可ってなんて呼ぶの?

728 :人間七七四年:2009/01/08(木) 19:41:09 ID:6MDHA0Wc
>>727
ながよしでいいんじゃね?
森っしょ?

729 :人間七七四年:2009/01/09(金) 03:51:34 ID:Ku2OcNrq
>>726
兵農分離が進んでいない段階でそういう議論をしても余り意味無い気もするけどね

730 :人間七七四年:2009/01/09(金) 05:26:11 ID:oPJbG0h/
>>726
足軽だったからとしてもあの活躍の説明にはなってないよなぁ。

731 :人間七七四年:2009/01/09(金) 08:47:39 ID:UZ5nwWis
ねねの実家が想像以上に影響力持ってたんじゃないかね

732 :人間七七四年:2009/01/09(金) 09:13:03 ID:55E6od5j
本百姓ならもれなく、半農半士と思って間違いないからなあ。
村同士のいさかいも、武士に負けず劣らず激しいもので、
外交や戦争も武士に負けず劣らずやるからな、当時の村は。
村の指導層なら、学も武も備えていて当然。

つーかちょっとした小城主で平時は農業を営んでいる奴なんざごろごろいるし。

733 :人間七七四年:2009/01/09(金) 09:39:09 ID:yaq05ak1
つまり農民が成り上がってもなんらおかしくない時代だったんだろ。
斉藤道三なんて油売りだぞ。油売りが大名にまでのしあがったんだ。
ハゲネズミよりよっぽど凄い。なんと油売りだ
石油なんかない時代だし石油王ってわけじゃない。
多分ガマの油か植物油でも売ってたんだろ

734 :人間七七四年:2009/01/09(金) 09:40:39 ID:y1FNK/ng
733はスルーでよろ

735 :人間七七四年:2009/01/09(金) 20:37:43 ID:0o6r6a5Y
道三が油売りだったと思ってる奴はこの板にこないほうがいい

736 :人間七七四年:2009/01/09(金) 21:49:46 ID:qnmxPnnx
胴丸の「丸」はなんですか?

737 :人間七七四年:2009/01/09(金) 22:22:17 ID:kgOeI6Il
>>736
形が丸いから、大鎧は箱型
腹巻は腹当の進化形(背中が保護されるようになる)

738 :人間七七四年:2009/01/10(土) 07:40:00 ID:ngK4h5zQ
石高について、一般に言われてる、
尾張 56万石
甲斐 24万石
って、あれは純粋な米の取れ高なの?
それとも市の利益とか金山収入も込みで?

739 :人間七七四年:2009/01/10(土) 11:27:51 ID:EYHUfG/N
>>738
米の収穫高

でも開墾して新田を増やせば収穫量は上がるし、藩によっては塩や果実・材木等の売買で得る利益もあるし実高は表高通りでは無い
表高は大名の家格を表す記号のようなもの

740 :人間七七四年:2009/01/10(土) 12:38:32 ID:TSsnTp4z
>>739
じゃあ信長も信玄も動員はもう少し多くできてたと見ていいんだろうか?
となると上洛スレの流れも変わると思うんだが。

741 :人間七七四年:2009/01/10(土) 14:16:57 ID:gCr55BFR
>>740
信長は港の収益が相当多い。信長の家自体が港の貿易を中心に興った。
尾張1国の時点でさえ、津島・熱田がある。

武田は上杉と死ぬほど戦ってやっと手に入れた善光寺ぐらいしかない
後は金を採掘して何とかしていた。金の信用度は全国随一だったようだ。

742 :人間七七四年:2009/01/10(土) 16:28:29 ID:TSsnTp4z
>>741
いや、だからその前提での疑問なんだが。

743 :人間七七四年:2009/01/10(土) 16:38:55 ID:polUP2QE
そもそも石高換算で各地の領地を同じ尺で計ったのって
秀吉の統一以後じゃないの?

744 :人間七七四年:2009/01/10(土) 17:43:47 ID:cNvvLfqY
百姓の持ちたる国こと加賀の政治ってどんな感じだったの?
名前からして年貢0?

745 :人間七七四年:2009/01/10(土) 19:52:01 ID:CSSnkcEk
作左や又左、なんとか右衛門のように
名前の中に左右の字が入ることが多いのはなんで?

746 :人間七七四年:2009/01/10(土) 19:58:13 ID:a9TUJeSy
>>744
石山から派遣されてた坊主が仕切ってウザかったはず。

747 :人間七七四年:2009/01/10(土) 20:36:54 ID:6s23VG0j
>>744
代表たちの合議制って感じだったらしい
ただ、746も言ってるように石山からの派遣坊主を嫌がってたらしい
年貢が軽かったのかどうかはわからん


748 :人間七七四年:2009/01/10(土) 22:07:12 ID:zj95xLkp
>>745
衛門や兵衛は律令時代に天皇を警護する役職だったが、
それが左右二つに分かれてたから
後に人の名前にだけ残った

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%9B%E9%96%80%E5%BA%9C

749 :人間七七四年:2009/01/10(土) 22:41:31 ID:Td37iPhm
>>747
守護の富樫も傀儡で残ってたらしいけど、それと絡みはどうだったんだろ?

750 :人間七七四年:2009/01/10(土) 22:53:03 ID:/kBOzNFr
龍造寺四天王が五人いるのはなんで?
あと全員の名前わかるなら教えてください。お願いします。

751 :人間七七四年:2009/01/10(土) 22:53:39 ID:Fy7TB5r6
>>750
ぐぐったほうがはやい

752 :人間七七四年:2009/01/10(土) 23:01:24 ID:uVRzMtcp
戦国時代に北海道に大名はいたんですか?
信長の野望だと北海道と沖縄の大名出てないけど

753 :人間七七四年:2009/01/10(土) 23:38:01 ID:6s23VG0j
北海道の南部に蠣崎ってのがいた。
アイヌと抗争してた。

沖縄はその当時別の国

754 :人間七七四年:2009/01/11(日) 02:44:59 ID:ouOlFjFR
松前漬け美味しいよね。

755 :人間七七四年:2009/01/11(日) 10:50:46 ID:JmpsoBeL
>>747
当初は蓮如の子孫の地元住職が統率していた。
ところが、法主を継承する嫡流と主導権争いをして粛清され、石山から坊主が派遣されるようになってからギクシャクしだした。

756 :人間七七四年:2009/01/11(日) 19:27:04 ID:dqPyrSAq
ようはオウム真理教みたいなもんだよ

757 :人間七七四年:2009/01/12(月) 18:19:28 ID:07CE+FpW
戦国時代での日本全体の人口は、やはり減り続けていたのでしょうか?
もしそうであれば、増加し始めたのはどの時期からでしょうか

758 :人間七七四年:2009/01/12(月) 21:25:09 ID:Qxdw44us
戦国時代に出てくる例えば尾張衆、美濃衆といった○○衆といったものはどういった人達の事を言うのでしょうか?

759 :人間七七四年:2009/01/12(月) 21:27:41 ID:ZM2cmDYt
>>758
単純に「その地域にいる人達」程度の解釈でよいかと

760 :人間七七四年:2009/01/12(月) 21:58:02 ID:NmajgwdJ
足利義昭が手紙一つで信長包囲網を敷けた理由はなんでしょうか?当人にそれなりの政治力があるのかも
しれませんが其の判断材料ともなるような情報をどうやって手に入れていたか気になる。。。。

761 :人間七七四年:2009/01/12(月) 21:58:44 ID:eSKj1lms
>>757
よくわかんないけど、減り続けたんじゃない?
戦で死ぬのもあるし、当然それに人員が借り出されて働き手を失ったり
合戦の舞台ともなれば、田畑も荒れ放題で収穫(食料)も安定しなかったろうし。
増え始めたとするなら、合戦の無くなった江戸期以降では。

>>758
その地域(もしくは藩)出身の国人衆。顔役、まとめ役の人物達。

762 :人間七七四年:2009/01/12(月) 22:01:36 ID:eSKj1lms
>>760
足利義昭が動かした、といより
互いの利害が一致したので、名目として足利家の勅命という事で
利用しただけ。
義昭はお手紙将軍なので、手当たり次第に名のある武将(勢力として立ち向かえそうにない名門筋の小大名等も)に
手紙を出し、それを各々が利用したといった感じ。
実質的に将軍家には何も力はなかったけど、「足利将軍家」という名目は
軍を動かす名目としてわかりやすかったから利用されていた。

763 :人間七七四年:2009/01/12(月) 22:25:58 ID:Ve5Ddhw5
戦国時代には源や平の名字の大名は出てこないですが源氏や平家の人達は戦国時代はなにしてたんですか?
今でも源平の子孫はいるし当時もいたと思うんですが

764 :人間七七四年:2009/01/12(月) 22:43:48 ID:Qxdw44us
>>759>>761
ありがとうございました。
となると、その国人衆は戦いとなると、その地域で自分に従う兵士を率いて参戦という形でしょうか?

765 :人間七七四年:2009/01/12(月) 22:44:31 ID:6ceu2F/1
>>760
信長と敵対する理由のある人に手紙が届いたらので、その人は信長と戦う大義名分として
将軍の手紙を利用した。それだけ。
逆に、信長と敵対する理由のないひとたちは将軍の手紙なんて無視している。有名な例を
あげると、徳川家康とか上杉謙信とかね。

それと戦国時代の人口は増えている。少なくとも、明確に減ったとする資料はない。

766 :人間七七四年:2009/01/12(月) 23:12:05 ID:ZM2cmDYt
>>763
いても平とか源とかは名乗らない、藤原の子孫が一条・近衛と名乗るみたいに
そして源の系統でそれに近いのは足利・武田・今川

もう少しいい加減に自称した例になると百指に余る
現在の源平の子孫は大抵こういう連中

>>764
そんな感じ

767 :人間七七四年:2009/01/12(月) 23:17:55 ID:98JVRKC2
>それと戦国時代の人口は増えている。少なくとも、明確に減ったとする資料はない。
増えたという資料もないんだが・・・
現状は“わからない”だよ

768 :人間七七四年:2009/01/12(月) 23:17:56 ID:Ve5Ddhw5
>>766
なるほど
ありがとうございます。
しかし源平を名乗るとなんかデメリットでもあったんですかね
戦国の世の中ならむしろ箔がつくと思うんですが

769 :人間七七四年:2009/01/12(月) 23:48:53 ID:bb6gm40w
>>768
たしか源氏とか平氏とか藤原とか同じ氏を名乗る人が増えすぎたせいで、
いろんな性を名乗るようになったとか

770 :人間七七四年:2009/01/12(月) 23:59:39 ID:Ve5Ddhw5
>>769
なるほど。
しかしその割には戦国時代の話に出てくる武将で平や源っていませんね
歴史に出てこないような名もない武将が名乗りまくったんですかね

771 :人間七七四年:2009/01/13(火) 00:10:59 ID:QnBe+mu3
源氏や平氏なんて腐るほどいて名乗る価値なんて無いんじゃねえの?
源氏の中でランクが高い低いの争いはあったけど

772 :人間七七四年:2009/01/13(火) 00:11:30 ID:rswWBApi
>>770
「姓(“かばね”ではなく、“せい”の方ね)」と「苗字」はまったくの別物。
現代では姓=苗字だから混同してしまうのは理解できるけどね。

藤原(ふじわらの)や平(たいらの)、源(みなもとの)のように、「〜〜の」と付くのが本姓。
北条、梶原、安達など付かないのが苗字。
本姓は門閥名で、苗字が家族名みたいなニュアンスかな。

ちなみに名のある戦国武将は本姓も苗字も(自称詐称は横行していたけど)持っていて
本姓は公式の場に、逆に苗字は平常時にと使い分けていた。

例えば、
平常:織田上総介
公式:平信長
みたいな感じで。

773 :人間七七四年:2009/01/13(火) 00:33:16 ID:w7H7bHgx
ここで質問に答えてる人は史学科の院とか研究家とかなのかな?

774 :人間七七四年:2009/01/13(火) 09:45:42 ID:J3JDAFdr
平常:羽柴秀吉
公式:豊臣秀吉

775 :人間七七四年:2009/01/13(火) 10:02:18 ID:MFgZ3wbT
>>772
詳しい解説ありがとうございます。
信長って平家なのですね。
しかし詳しいですね。ほんとは歴史研究家なんですか?

776 :人間七七四年:2009/01/13(火) 11:27:11 ID:P5WtaHol
よく言われてるけど、近代以前は「実名は普通使われない」というのはどれぐらい正しいのか?
確かに、通名を使うのが礼儀だったみたいだけど、敵方は実名で呼ぶことはあったんじゃないの?
北条方の記録で上杉謙信を「カゲトラ」と呼ぶ例があったし。
あと江戸期に書かれた史書に藩祖を「○○公」と書いてあった希ガス。

まあ幕末の人物でも、坂本龍馬を「直柔(なおのり)」と呼ばないし、勝海舟を「義邦」とは呼ばないことを考えれば、戦国期はなおさら実名を使わなかったとも思うが。

777 :人間七七四年:2009/01/13(火) 12:19:51 ID:sIVlkQMh
戦国武将は書状で一人称に実名を使うことが多いんだよね。
その他、第三者として語る相手のことを実名で呼ぶ例も多い。

>「○○公」
ただしこれは訓読みせずに音読み。
晴信公=せいしんこう
こうすることで正しい発音で相手を呼ぶ無礼を回避する。

778 :人間七七四年:2009/01/13(火) 13:40:41 ID:MFgZ3wbT
そういえば漫画でも信秀は信長のことを吉法師って呼んで信秀の家来は次郎三郎様と呼んで
信長の部下だけ信長様と呼んで敵は弾正忠って呼んでますね。
実名は直属の部下しか使っていけないみたいな決まりがあったんですかね

779 :人間七七四年:2009/01/13(火) 13:46:20 ID:yfG24/41
関東管領上杉弾正忠不識院殿平三輝虎入道謙信の事を
信玄は生涯、長尾と呼んでいたんだっけ。プライドで

780 :人間七七四年:2009/01/13(火) 17:10:45 ID:sIVlkQMh
>>778
ちょwwwあの漫画は嘘と間違いだらけだからwwwww

直属の部下が主君を実名で呼ぶほうがありえないかと。
一般的にはこうなる。
例えば信長のことを部下は「殿」や「御屋形様」などの尊称で呼ぶ。
上下関係があるなら官途で呼ぶ。官途がなければ「三郎」などの通称。
で、信長を敬う必要の無い部外者は日記や、信長を敬わない相手と語り合うとき、
「信長」と呼び捨てることがある。
これらの用法が絶対ではないけれど、凡そこのように理解していれば大きく間違いはないはず。

781 :人間七七四年:2009/01/13(火) 20:36:00 ID:7aOE4W9r
>>779

信玄だけでなくあそこの庶民も長尾と頑なに呼んでたらしい。江戸時代の初期になってもあそこの連中は上杉景勝を長尾喜平次と呼
ぶくらいの筋金入り。一時的に同盟した時期は上の連中はそういう言い方を改めたのかもしれんが下々には硬くそれが残ったみたいで

782 :人間七七四年:2009/01/13(火) 20:38:11 ID:LKkhQEzN
秀吉は結構豊臣姓を乱造したけど、あれって宮中ではどんな風に受け止められて、
賜った人はどう思ってたんだろう。利用したりしたんだろうか。

783 :人間七七四年:2009/01/13(火) 20:38:22 ID:7aOE4W9r
>>780

そういや織田家って「屋形号」許されてたのか?謙信が屋形号や朱傘、塗り輿免許もらいにわざわざ大枚はたいて京都に行くくらい
の価値があったものだけど。

784 :人間七七四年:2009/01/13(火) 21:49:31 ID:sIVlkQMh
>>781
北条もそしてその陣営にある武将もだね。
おかげで無関係な奥州はどっちが正しいのか戸惑わされて混用している。

>>783
正式な守護職だと許されてなかった?

785 :人間七七四年:2009/01/13(火) 22:36:37 ID:7aOE4W9r
>>784

>正式な守護職だと許されてなかった?

長尾や織田は守護代でなかったか?信長のところはその守護代の分家みたいな。
謙信のところだとオヤジの代から朝廷や将軍家に献金しまくって権利を獲得し、他の豪族との「差」をつけていってた
ような。織田家も信長のオヤジの時代から朝廷や将軍家に接近してそれで「屋形号」許されていても不思議でないけど

786 :人間七七四年:2009/01/13(火) 22:47:21 ID:DSiGoXIb
>>777
>「○○公」
>ただしこれは訓読みせずに音読み。
>晴信公=せいしんこう
>こうすることで正しい発音で相手を呼ぶ無礼を回避する。

なるほどね。今でも熊本で加藤清正を「せいしょうこうさん」と呼ぶらしいが、上の呼び方に則ってのことなんだな。
すると信長は「しんちょうこう」かw。

一つ質問だけど、例えば「信玄公」「謙信公」とか法名で呼ぶのは無礼にならないわけ?

787 :人間七七四年:2009/01/13(火) 23:07:09 ID:sIVlkQMh
>>785
織田は尾張統一直後、正式な守護職に就任できてるよ。
桶狭間の前。

788 :人間七七四年:2009/01/13(火) 23:42:18 ID:sIVlkQMh
>>786
〜〜公は存命中に使う例を見たことが無いなあ。
存命中は謙信の場合は不識庵、信玄の場合には徳栄軒と呼ぶのが妥当かも。
俺もそれほど詳しいわけじゃないので突っ込みどころがあればどなたかよろしく!

789 :人間七七四年:2009/01/14(水) 01:39:26 ID:FL8gOqQY
>>775
信長は最終的には平家を名乗ってるけど、確か初期のころは藤原を名乗ってた
家康も同じで最初は藤原を名乗っていたが、最終的には源を名乗っている

790 :人間七七四年:2009/01/14(水) 14:04:50 ID:Hx2OJ8iY
よく合戦で死者数千人とか見るけど、一地方を納めるだけの国家で
そんなに死者が出たら壊滅的なダメージのはずですが、戦国時代は
人口が多かったの?

791 :人間七七四年:2009/01/14(水) 14:08:56 ID:SH8gEjPP
ヒント:水増し

792 :人間七七四年:2009/01/14(水) 15:09:01 ID:mwtNkSZw
死者数千なんて川中島ぐらい。
だいたい死傷者数で大半は怪我人及び捕虜。

793 :人間七七四年:2009/01/14(水) 15:12:58 ID:Zmy9fuy1
川中島もどうだろうかと思ってる。l

794 :人間七七四年:2009/01/14(水) 15:37:18 ID:xbi37d2E
古代中国なんて合戦で何十万と死んでますが・・・

795 :人間七七四年:2009/01/14(水) 16:21:36 ID:uGsbrBJe
川中島や長篠合戦は真偽はともかく、武田方の指揮官クラスが多く死んでるから、彼らの部隊も死に果てた可能性は高い

796 :人間七七四年:2009/01/14(水) 20:29:29 ID:fWe7gLjY
大袈裟に書くのは皆O型。
歴史を紐解く上で軽視出来ない真実。

797 :人間七七四年:2009/01/14(水) 21:04:49 ID:2dQweRrK
>>790

中世の欧州でも合戦と言えば相手を生け捕りにして捕虜にすることが主目的で、あとはお互い死なない程度に
合戦する「フリ」をしてたんだそうな。だから数万人の軍勢が衝突して死者は不慮の落馬事故で死んだ一人だけなんて
戦いもあるとか。あちらはフランス革命まで傭兵が戦いの主役だったのでそういう「八百長」が出来たんだろうけど。

>>795

798 :人間七七四年:2009/01/14(水) 21:06:49 ID:2dQweRrK
>>795

というか川中島や長篠の場合は武田軍が逃げたら全滅必至の退却出来ない戦いだったんじゃないか?

799 :人間七七四年:2009/01/14(水) 23:30:17 ID:2k70Xhxp
>>798
そういう状況に武田を追い込んで自らの犠牲も省みず果敢に攻撃を仕掛けた上杉は怖い。
同様に織田も凄い。

800 :人間七七四年:2009/01/15(木) 19:22:50 ID:SWyi5VvV
既出かもしれませんけど、方言って有ったのかな?
京言葉は独特ですけど・・・

801 :人間七七四年:2009/01/15(木) 19:47:30 ID:MAUns4io
無いわけが無い。
口語での標準語が明治以前にあったのかどうか問いたいくらいだ。
国家教育と徴兵制とラジオが全国規模で標準語を刷り込むことに成功した。
それでも当時を生きた、地方の爺様婆様との意思の疎通は難しすぎる。

802 :人間七七四年:2009/01/15(木) 20:00:53 ID:IfCg25dg
>>800
ありましたよ
ちょっと違うかもしれんが、南部の誰か(信直だったかな?)が秀吉に誼みを
通じたいけど、田舎もんだし言葉通じないかもしれんしどうしよ〜的なことで
中央に行ったことがある鷹匠にお願いして行ってもらったとか



803 :人間七七四年:2009/01/15(木) 21:16:13 ID:bV8FGLIN
>>800

他国人とのやり取りは能のような文語体でやってた。昔の大河ドラマの「葵徳川3代」だとみんな文語体調でしゃべってるけど
あんな感じだったんだろうな。幕末の時でさえ志士連中が会合したりするのに苦労したらしいから。だから坂本竜馬みたいな周旋・
斡旋家が暗躍できたとも言える。

804 :人間七七四年:2009/01/15(木) 21:29:10 ID:xTAEpp6s
島津や津軽は通訳が要りそうだなw

805 :人間七七四年:2009/01/16(金) 00:12:37 ID:96BBSo0V
まあ各地の大名も方言でしゃべったことは間違いないと思うが、漏の中で問題なのが「武家貴族の言葉」。
たとえば古河公方、関東管領・上杉なんかは京都とのつながりが深いし、プライドがあるから関東のベーベー言葉を使ったのか疑問に思う。
そいつらに仕える重臣連中もどんな言葉を使ったのか?
今川も「京都風を志向した」っていうから、あまり方言使う印象じゃないし。

この辺りは検証しようがないかな?

806 :人間七七四年:2009/01/16(金) 07:22:07 ID:8yUfBqyO
>>801
なんでもうちょっと優しく書けないんだろう。
そりゃあ知識持ってる人からしたら無知な人間ってそれだけで腹立たしいのかも知れんが。

807 :人間七七四年:2009/01/16(金) 20:41:35 ID:DJqMyF7F
2chに優しさなんて求めるなよ

808 :人間七七四年:2009/01/16(金) 21:19:37 ID:xmrOUIFB
ちょっと亀だが、「実名については家臣しか使っちゃいけないきまりが」
という話があったけど、むしろ逆。

日本でも中国でも本名・実名ってものはとにかく神聖なもので、たとえば
「信長」「秀吉」なんて名前を直接呼びかけられるのは、基本的に主君・
父親だけだった。家臣が「ノブナガ殿」なんて呼んだら磔刑モノ。

人の呼び方は、まず基本的に官職名。中国なら曹操は生きている時は「丞相」
「公」、死んだ後は「魏武帝」、劉備は「先主」「昭烈帝」、孔明なら
「丞相」「武侯」。日本なら「佐衛門介」「伊豆守」「民部」などなど。

しかし個人的なつき合いで呼び合う言葉が必要で、これが「通り名」。
中国なら「字」。曹操なら孟徳、劉備なら玄徳、諸葛亮なら孔明。
日本なら吉之助とか一蔵とか。(いまの「○太郎」「○助」という名前は、
明治時代に「名前は欧米風に一つに統一しなきゃいけない」と法律で決めて
しまった時に、この「通り名」を本名として登録したものだ。)

で、日本の場合はこの通り名は文字通り「呼ぶ」ためのものなので、漢字は
何を当ててもいい。どの漢字が正しいなんてのはナンセンス。
沖田ソウジが自分でも色んな漢字を使っていたのは有名だし、伊藤シュンスケ
なんてムチャクチャ色んな漢字を当てている。

809 :人間七七四年:2009/01/16(金) 21:20:51 ID:xmrOUIFB
で、本名って言うのはとにかく大切なもので、本来赤の他人に知らせるものじゃない。
なにしろ中国では「字」でさえ、幼なじみや親戚でなければ使えない。
三国志では新参の臣下である馬超が、劉備のことを気安く「玄徳」と呼ぶので、
関羽が怒って馬超を殺そうとした、という逸話まであるくらい。まあアメリカに
毒されてファーストネームを気軽に呼ぶ今だって、会社や組織で「社長」「専務」と
呼ぶべきところを「おい太郎」「失礼します、松吉」とは言わないだろう。

まして昔において本名なんて、とてもじゃないが呼べない。「ノブナガが来た」
「ヒデヨシと会う」なんて言えたもんじゃない、というのはそういうこと。
こういうことは現代のドラマの中だけのウソと割り切った嘘話のなせる技だ。

じゃ日本の「本名」は何のためにあるのかと言うと、極論すれば「文書に記載するため」。
昔なら神前仏前に奉る願文なんかに書く名前。だからこっちは、極論すれば
発音する必要がない。だから親と本人が知っているだけで、周囲の人間でさえ
呼びかたを知らないなんてことが起きる。

今の戦国武将の名が本によって呼び名が違うのも仕方ない。西郷吉之助の本名や
岩倉具視の呼び方を、親しい人間さえ知らなかったというのはおかしなことじゃない。

810 :人間七七四年:2009/01/16(金) 21:22:11 ID:xmrOUIFB
通り名は「読み」だけで漢字がなく、本名は「字」だけで読みがない。
今の人は分からないみたいだけどそれが明治までの日本の現実だった。

で、明治以後もその傾向が残って、人の本名をじかに読むのは失礼とされ、
そこで「伊藤ハクブン」「徳川ケイキ」「原ケイ内閣」などと日常的に話した。
慶喜なんて家の中で家族が話題にしたときでも「ケイキ様は…」という言い方で
語っていたという。だから信長の記録は「シンチョー公記」だし、義経の記録は
「ギケー記」だよ。

これはそんな昔の話じゃない。
テレビで江戸時代の徳川家臣団が「イエヤス殿が」なんて口にするとんでもない
ドラマを見慣れちゃったために、ここ数十年の日本人の感覚がおかしくなっただけのこと。
小沢一郎が麻生首相のことを語るのに「今日の答弁で太郎君は」と言わないでしょ。

駄文失礼。

811 :人間七七四年:2009/01/16(金) 21:35:46 ID:urS0vVkd
佐竹家臣の梅津日記で景勝・政宗だけ諱で記載されてるという話があった。
他の大名は官位名で呼ばれるし景勝が死んで定勝に代替りすると
上杉弾正少弼と官位名呼びに変化するが、景勝・政宗だけは諱のまま日記に登場。
日記なので特に周囲に披露するものではない特性のものだからかもしれんが
佐竹家中ではこの二者は諱呼びされるほど
親しみをもたれていたのだろうと解釈されていた。

812 :人間七七四年:2009/01/17(土) 09:50:53 ID:4UHrhjFl
>>809
> だから親と本人が知っているだけで、周囲の人間でさえ
> 呼びかたを知らないなんてことが起きる。

それはさすがにないみたいよ。どういう情報経路があるのか不明だが、
書状等を見る限り当時の人は意外なほど他人の諱をよく知っている。

813 :人間七七四年:2009/01/17(土) 14:38:49 ID:qsLRqSrE
>>812
書状は文書なんだから正確に記載されて当たり前だと思うが。

本名が知られていないってのは女性の場合が特にそうだな。
寧や勝とかは本名っぽいが、義姫や氏姫などの〇〇姫は怪しい。
佐久間盛政の娘である虎姫の本名は「みぃ」だしさ。

814 :人間七七四年:2009/01/17(土) 15:23:36 ID:4UHrhjFl
いや、もちろん当人同士のやりとりじゃなくて、そこで語られる第三者のことね。
「秀綱は〜〜」みたいに諱で他者のことを語らってる。
「源太郎」とかの通称よりわかりやすいからなのか。

815 :人間七七四年:2009/01/17(土) 16:56:08 ID:s9cyRCOf
こんなスレもあるよ。

諱を語る
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1174058450/


816 :人間七七四年:2009/01/17(土) 21:33:05 ID:m/b1Sjk3
>>805

今川の場合、義元あたりは京都風の言葉を使ってたかも。元々は京都で坊主をやっており、其の関係で貴族とそれ
なりの付き合いはあったと思われる。

817 :人間七七四年:2009/01/17(土) 21:54:14 ID:I7Wkzscy
>>816
というか母親の寿桂尼自体が貴族の出じゃない?

818 :人間七七四年:2009/01/18(日) 01:09:35 ID:4P+Cg+wV
>>812
いや、>>810にもあるように、諱でも漢字で「書く」ことはできるけれど
呼び方、つまり「読み方」が分からないということ。

大井信達なんてのも「のぶさと・のぶたつ」など色々呼ばれているけど、
一番話題になっていたのは太平記の大塔宮護良親王。「だいとうのみや
もりながしんのう」だったのが、高島俊男いわく無教養な人間のバカな
百姓読みで「もりよししんのう」になってしまったという奴だ。

同時代の文書でかな書きしてあるものがあればいいけれど、たいてい
実名は書状などに漢字だけで書かれているから、読みが分からない。
明治時代は海外のメディアにローマ字色表記が出て初めて分かるものも
多かったらしく、榎本武揚が条約のサインで「たけあき」と読むと
分かったとか、岩倉具視は死後海外のマスコミが問い合わせても、
「トモミ」と読むとは外務省の人間ですら知らなかったとかいう逸話が
残ってる。有名な西郷隆永(タカナガ)隆道(タカミチ)兄弟が、ふだん
リュードー・リューエイとしか呼ばれていなかったために、隆盛・従道
なんていう別人の名前で戸籍登録されてしまったなんていうエピソードに
までつながっていく話なのだけれど。

819 :人間七七四年:2009/01/18(日) 03:31:28 ID:IztAbL2V
>>814
あたりまえじゃないか、書状の上で、なのだから>諱

「知られていない」のは読み方の方。

820 :人間七七四年:2009/01/18(日) 10:04:37 ID:sQ9gjPPu
>>817
寿桂尼は公家の出身だね。どこの家か忘れたが。

>>805,>>817
江戸期なら参勤交代で江戸育ちの殿様が多かったから、殿様は「江戸の上級武士の言葉」を話す傾向があったみたい。
で、国許の家来は方言を話すと(ただし敬語を使うので方言色は薄まる)
しかし室町・戦国期の地方在住の武家貴族の言葉は分からんね。
ひょっとしたら京都の武家言葉を礼儀作法の一環として身に着けてたかも、だが。

821 :人間七七四年:2009/01/18(日) 12:45:54 ID:ObBJnmoV
>>818
護良親王の読みについては、中世の史料に弟の儀良親王の表記が「儀義」と
書かれたものがあるなど、いろいろ傍証が出てるんだけどな。
身分ある人の書いたものだし、高島俊男は何を以て「馬鹿な百姓の読み」と
したんだろうね。
説がいろいろ有るのはいいとして、一番馬鹿なのは高島本人ではないかと。


822 :人間七七四年:2009/01/18(日) 16:14:26 ID:EvY5aIka
>>820

>ひょっとしたら京都の武家言葉を礼儀作法の一環として身に着けてたかも、だが。

あり得るでしょ。お歯黒も上級武士の間ではたしなみとして使われてたようだし、礼法は
伊勢流・小笠原流を問わず京都系なんで戦国時代の上級の武士は其のたしなみがあったと
思われ。豊臣秀吉が伊達政宗を田舎者として揶揄しようと連歌会に招待したら実は伊達家は連歌
が盛んな家で政宗は達筆でさらさらと立派なものを作りますたなんていう話があるのを見ても
上になると当然その教養の一環として共通の武家言葉が教育されていたものと思う。それに
上級武士ともなると連歌師や坊主、他国の使者とか他国人に会うので言葉知らないと交流や
話が出来ないと思う。

823 :人間七七四年:2009/01/18(日) 22:48:51 ID:MT5EOw53
>>822
上杉謙信が上洛した時も幕府のお偉方や公家ともしゃべりまくってるもんな。
訛りを馬鹿にされたら話が進まないわけだから、彼等が聞き苦しくない言葉(当然敬語だが)をしゃべってたとしか思えない。
あと道中の越前で朝倉義景と飲んで語り明かしたっていう話もあるしな。

ただ国許で家臣と話す時には当然越後言葉(ぞんざい語)だったと思うが。
この越後言葉が上越の言葉だったか、それともしばらく駐在してた中越の言葉だったか、漏の中で問題になってるw。

824 :人間七七四年:2009/01/19(月) 15:09:05 ID:Ti/T7Q+V
朝鮮の役で立花ぐらいの少数なら失敗してもいいか〜というあの発言って
小早川or宇喜田どっちなんでしょうか?

825 :人間七七四年:2009/01/19(月) 18:14:08 ID:fla7s7eU
明智光秀や細川が重んじられたのも京言葉を通訳した説はどうでなんでしょう?
逆に武田に嫁いだ三条の方は意思の疎通どうしたのかな?
英才教育で僧が共通語?教えるのも気になる。

826 :人間七七四年:2009/01/19(月) 22:04:23 ID:KLze6dGb
>>825
始終明智や細川がいるわけじゃないから、通訳したとは違うんじゃないの?
仮に通訳したなら、そういう記録があると思うけど。
やっぱり信長自身、習い覚えたにせよ、京都で通用する社交語を身に着けてたと思われ。
明智や細川は言葉はもちろん、礼法全般や京都の事情に通じてるから(人脈的にも)、重んじられたんだろう。

827 :人間七七四年:2009/01/20(火) 18:05:05 ID:NzsxwWVX
毛利輝元や神谷宗堪(博多商人)は秀吉に謁見してるが、別に秀吉の言葉使いに注意してないんだよな。
ごく普通に理解して、特徴(つまり訛り)に気を留めてない(記録上は)。
とすれば、上洛以降は秀吉も普通に京都の武家言葉で話すようになったんだろう。

ただある公家の屋敷で北政所と口論して「鳥のような言葉でまったく理解できなかった」というエピソードがあり、秀吉が尾張弁を使った記録例だが、
これが特筆されるということは、普段は訛りなどの特徴が目立たなかったということだろう。

828 :人間七七四年:2009/01/20(火) 20:05:03 ID:mWitlomx
>>825

武田くらいの武家貴族になれば礼法の一環として言葉の教育はされてたんじゃない?なんせ信玄の
親父は中央政界にコネを作ろうとわざわざ京都から夫人を迎えるくらいだから子息に対しても当然言葉の
教育を坊主なりにさせていたと思われ

829 :人間七七四年:2009/01/20(火) 20:26:53 ID:Q/QpIL/H
代々上洛して将軍に名前つけてもらう大名は京言葉使えるだろ

830 :人間七七四年:2009/01/20(火) 22:39:31 ID:O1M4MzMp
>>829
三管領四職の家柄なら京言葉を使えるだろうな。
その重臣クラスも。
信長の家は分家とはいえ、管領斯波家の守護代に連なるから京言葉に触れる機会は多かっただろう。

831 :人間七七四年:2009/01/20(火) 23:55:57 ID:pPKh5Qqo
堺屋太一氏の小説秀吉の中で
足利義昭が将軍になる為に頼り先を探していた場面で、義昭が織田家の事を
「将軍家から見たら織田家なんて、家臣の家臣のその又家臣じゃないか。そんな家に頼るのは嫌だ」
といっていましたが、これは家臣の家臣の間違いではないでしょうか?

足利−斯波−織田だと自分は思うのですが…

832 :人間七七四年:2009/01/21(水) 00:12:17 ID:dj/jGvwT
信長の織田弾正忠家は斯波に直接遣えてたわけではない
斯波の家臣だった清州織田家の家臣が織田弾正忠家

足利将軍

守護斯波

守護代清州織田

織田弾正忠←ここ

833 :人間七七四年:2009/01/21(水) 01:32:12 ID:grpVQDci
守護代(織田)の奉行(織田)だからね。
苗字が同じで紛らわしいけど。

834 :人間七七四年:2009/01/21(水) 16:57:53 ID:LRE+TLcb
上杉謙信は女犯の穢れを一切断って、生涯にわたり男色のみの清い一生を全うしたとのよし。
ところで、彼の寵愛した衆道の芳契相手の中では、どんな人々が有名でしょうか?
識者の御教示を願い上げまする。
宜敷く。


835 :人間七七四年:2009/01/21(水) 22:39:49 ID:O8E7fTBE
>>830
>三管領四職の家柄なら京言葉を使えるだろうな。

大内や今川はそれに準じる家柄だから、京言葉楽勝!って感じだろうなw

836 :人間七七四年:2009/01/21(水) 23:41:40 ID:UUcR7JSk
>>834はナッちゃん(ホモの話題マルチで日本史板や大河板などを荒らす)ですので注意。

837 :人間七七四年:2009/01/22(木) 16:46:57 ID:Y58ObxAg
上杉謙信の車懸かりって本当に機能できるですかね?
歯車の兵士は無駄に走行しないと行けないので、疲労する気がするのですけど・・・

838 :人間七七四年:2009/01/22(木) 19:58:13 ID:Z46YAvnc
楽々と越山しまくる越後兵の体力と脚力を侮るなよ!
次から次へと新手を敵にあて、ゆっくり走りながら休むんだぜ。

839 :人間七七四年:2009/01/22(木) 21:27:29 ID:ijTCjCr0
例えば三国志だと、とりあえず吉川英治読んどけって感じですが、戦国時代で定番の小説ってありますか?

840 :人間七七四年:2009/01/22(木) 21:32:09 ID:ibk3r36e
とりあえず、司馬遼でも読んで置けば?
個人的には好きではないけど。

841 :人間七七四年:2009/01/22(木) 22:44:18 ID:lGZwFRqg
一般的に旗指物の文字とか絵って両面に書かれてるんですか?
それとも片面だけですか?

842 :人間七七四年:2009/01/22(木) 23:09:44 ID:c3e7pqc+
>>839
漏は司馬遼作でも戦国期の始まりを描いた『箱根の坂』(全三巻、講談社文庫)を推す。
北条早雲の人生を通じて、室町から戦国に移り変わっていく空気が感じられる。

843 :人間七七四年:2009/01/22(木) 23:59:46 ID:JDmD1HOt
>>839
片山まさゆきの「スーパーズカン」豊臣の負けっぷりが。

844 :人間七七四年:2009/01/23(金) 01:56:59 ID:kZoIoMeh
秀吉は指が6本あったとか聞いたんですがマジなんですか?

845 :人間七七四年:2009/01/23(金) 04:14:34 ID:1VbYtWls
前田家の文書や宣教師の文書に太閤は指6本って書いてあるらしい。
全国ものはPHP出版ので、自分が好きな武将のでも読んでおけば?学研M文庫とかでもいいけど。
その後は〜のすべてシリーズとか。
その先を知りたくなったら、その地域で一番でかい書店で、研究本を買うしかないね。
それか市史を買うなり、東大などの大学で文書を閲覧する。

846 :人間七七四年:2009/01/23(金) 04:22:11 ID:YqbDbqmK
>>837
本当にやっていたかどうかはわからんけど
戦場において一定時間だけちゃんと戦えば交代してくれるよ
っていうのは結構士気に繋がるんじゃなかろうか。
肉体的な疲労もあるだろうが
ああいうのは精神的な消耗のことを考えてみると
アリなんじゃないかと思う。

847 :人間七七四年:2009/01/23(金) 10:49:57 ID:BvFBSTma
武将が隠居するタイミングって自己申告なんですか?
それとも主君に奨められてするものなんですか?

848 :人間七七四年:2009/01/23(金) 13:03:27 ID:N+0nIa9X
旧国別に城分布を地図上に図示している本ってありますか?
「クロニック戦国全史」の「郷土の戦国時代」をもっと詳しくしたような感じです

849 :人間七七四年:2009/01/23(金) 19:37:56 ID:0EoIU1yF
把握。まずは司馬遼太郎あたり探してみます。

850 :人間七七四年:2009/01/23(金) 20:11:43 ID:ndoSkivz
>>847
自己申告のときもあるし主君に勧められることもある。
まぁ大概は自己申告。
後継ぎである息子が成長したら隠居することが多いが、
先祖の例や日本及び中国の故事に倣って任意の年齢で隠居することも珍しくない。
但し隠居っつってもほとんどの場合大御所や大殿として実権は把握したまま。

851 :人間七七四年:2009/01/23(金) 22:44:50 ID:b36Szoik
>>848
「西国の戦国合戦」という本には中国・四国・九州の城の分布図がのってたはず

852 :人間七七四年:2009/01/23(金) 23:50:47 ID:T5FbHfDS
城郭大系には載ってなかったっけ?

853 :人間七七四年:2009/01/24(土) 00:01:14 ID:M90pqV11
>>847

40過ぎたら「初老」という言葉があるように、あの当時は50過ぎたら本当に爺さんだから主君から言われなくても
普通に子供がいて40過ぎてたら隠居する。そうしないと後継者の育成ができん。

854 :人間七七四年:2009/01/24(土) 22:42:04 ID:nj3jCzuu
鉄砲が大量に作られ初めて、何らかの人体への影響による災害って起こってないの?
現代でいうところの喘息やらイタイイタイ病みたいな。
鋳造関係で調べたんだがメッキとかの鉛中毒とかしかなかった。
んで、鉄砲の材料って合金だろうけどどういう合金なわけ?
特にどの合金を作る際にこんな人体影響がある、とか知ってる人居たら教えてくれ。


855 :人間七七四年:2009/01/24(土) 23:23:42 ID:p3OaSnRB
合金ちゅーか、鋳造で作ってると思ってる時点で間違ってる。
日本製の火縄銃(大砲含む)は、鋳造ではなく張り立て法で製造されているのが特徴。
鉄の延べ棒を心鉄にグルグルと巻きつけて、最後に心鉄を抜くと。

要するに、刀を作る材料・方法を応用して銃を作ってるんだこれが。

856 :人間七七四年:2009/01/24(土) 23:49:26 ID:p3p7FUGg
>>854
花輪和一って漫画家の「刑務所の前 2巻」に火縄銃の作り方がこと細かに
描かれているよ。素材は「たまはがね」って物で、根来寺の坊さんが
なぜか持っていたりする。

857 :人間七七四年:2009/01/25(日) 00:00:42 ID:p3p7FUGg
アゲちゃった、すまん。
戦国板ってはじめて見たけど面白いね。また来ます。

858 :人間七七四年:2009/01/25(日) 00:15:14 ID:AIGSavwb
ぜひまた来てね!

859 :人間七七四年:2009/01/25(日) 12:48:05 ID:Faiaaqub
戦国時代を舞台にした小説などを読んでいると、普段農民をしている
人たちも戦になると槍を持って参加する、というような記述を見るのですが、
利益は出ていたんですかね?
雑兵の首一つ取ったとしてどれくらいの褒賞が出るものなんでしょうか

860 :人間七七四年:2009/01/25(日) 13:06:50 ID:F3ly39Cv
>>859
色々、状況が異なるから一概には言えないけど
自分の農地や家族・財産が荒らされないようにする
戦闘に参加すれば年貢が減る
というのが自作農が戦闘に参加する理由かな

861 :人間七七四年:2009/01/25(日) 13:07:23 ID:bJJL2wTc
名もない兵の首をぶら下げて戦う馬鹿はいない

862 :人間七七四年:2009/01/25(日) 13:20:07 ID:Faiaaqub
>>860
なるほどー、ありがとうございます。
農家の人々が畑放り出して行くくらいの利益があったりするのかな?と疑問に思ったのですが、
そういうわけではなかったのですね。

863 :人間七七四年:2009/01/25(日) 13:36:12 ID:ZMhsn6pg
前に独眼流政宗を見たら 大阪の陣の時 
片倉(2代目)が敵に首を取られそうになった時
農民に助けられたけど助けたらいくらくれるかって
交渉してた 助かったあと値切ってたけど
農民も まあうちの殿だししょうがないか ってかんじで・・
もし本当だったらおもしろいなって思ったよ

864 :人間七七四年:2009/01/25(日) 14:17:22 ID:uoEgMnQV
恩賞がもらえるとすれば
兜首とか、名のある武将だけでしょう

私が読んだ本では
戦場で死体になった兵士から
武器や防具などの装備をはぎとって
転売するほうがローリスクハイリターン
だと書いてましたw


865 :人間七七四年:2009/01/25(日) 14:29:26 ID:fGimvA2E
>>824
おしえてください

866 :人間七七四年:2009/01/25(日) 14:38:13 ID:Faiaaqub
>>864
ありがとうございます
納得です、だから落ち武者狩りがほいほい行われていたのですね。
検索してみたところ、おあむ物語というお話のお歯黒を塗って首の価値を上げる(?)
アルバイトをしていた、という話が引っかかったので、雑兵の首にも元々ある程度の
価値があるように勝手に解釈してしまっていました。

867 :人間七七四年:2009/01/25(日) 15:26:38 ID:iSep2L+c
>>864
その辺のことは「七人の侍」でも少し描写されてたな。

868 :中山幸盛 p1069-ipbfp203tokusinwcc.tokushima.ocn.ne.jp:2009/01/25(日) 18:22:32 ID:g8uXP4e0
>>865
これかな?

【戦国の雷音】立花宗茂総合スレ【妻・ァ千代】
http://unkar.jp/read/hobby11.2ch.net/sengoku/1152224537
281 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2006/11/12(日) 22:34:18 ID:NzG4s3T7
立花宗茂エピソード蔚山の戦い

1、小早川秀秋に救援に行くことを申し出たら「小勢の立花軍なら失敗しても
  問題ないからイってよし」と言われる。


869 :中山幸盛 p1069-ipbfp203tokusinwcc.tokushima.ocn.ne.jp:2009/01/25(日) 18:37:33 ID:g8uXP4e0
あとこれ

605 :人間七七四年[sage]:2007/10/03(水) 21:53:25 ID:LkmCXLYw
「立花は小勢故、全滅しても痛くない」と言ったのは史料によっては
宇喜多秀家という説がある。正直、この二人の接し方を見るとあまり面識の無い
小早川秀秋より発言の根拠がうかがえておもろい。
秀家が小者過ぎるw


870 :人間七七四年:2009/01/25(日) 18:51:59 ID:ZhOTr5w1
>>855,>>856
ありがとう。とても助かる。
そうか、根本的に間違ってたのか・・・もうチョイ刀とかにも範囲広げて調べてみる。
他にも何か情報知ってる人がいたらお願いしますm(_ _ )m


871 :人間七七四年:2009/01/25(日) 20:46:48 ID:526+Rizt
武芸者が耐えなければならない七難が
どういう内容かご存知の方、おられませんか?
前にどこかのサイトに載っていて、
野宿での暑さ寒さや飢えなんかが項目に上がっていたと思うのですが、
名称を忘れてしまったせいで見つけ出せなかったので・・・。
お願いします。

872 :人間七七四年:2009/01/26(月) 00:35:25 ID:z6QTEquH
>>869
ああ小早川救援だったのか
だからこんがらがってたのか
ありがとう

873 :人間七七四年:2009/01/26(月) 07:04:54 ID:59hs+iX5
そもそも立花と宇喜多の屋敷が隣接していて、家臣同士が揉めて戦に発展しそうになって
殺伐とした中で家臣が止めるのも平気で宗茂が単身で
宇喜多屋敷に出向いた豪胆な逸話とかあって、
その事件で世間が宇喜多の小物ぶりを嘲笑したので秀家は恥をかかされたと感じて
朝鮮で宗茂相手に嫌みなことをやっていたってのがあるよな。
宗茂は小早川隆景騎下だったし、小早川秀包と義兄弟になったりしたのも同じ大老だから宇喜多からいろいろ自分を守ってもらう為かもね。

874 :人間七七四年:2009/01/26(月) 09:42:41 ID:cEFyWTAh
>>545-546
茶吹いたwww

875 :人間七七四年:2009/01/26(月) 10:22:39 ID:fGH5W/Lu
秀家が言ってた史料みつけた

続々群書類従(第3巻)立斎旧聞記巻ノ下より
「秀家重テ宜フハ、何ハトモアレ立花向ハレ可然候、立花ハ三千ニ足ラヌ大将ナレバ、仕損ジテ討ル、トモ不レ惜ト宜ヘバ」

秀秋が言ってたっていう史料かソースってどっかにあんの?

876 :人間七七四年:2009/01/26(月) 15:52:19 ID:z6QTEquH
ごめんなんで秀秋って思ったか記憶を思い出してみたら
たぶん遠い昔読んだコミックの日本の歴史かなんかで加藤清正が(たぶん)宗茂に
感謝してたのを思い出した
そん時に秀秋だか秀家に上記の発言があった気がする
違ってたらごめん

877 :人間七七四年:2009/01/27(火) 11:56:25 ID:QnONCLvD
山本勘助の目ってどっちが見えないの?

878 :人間七七四年:2009/01/27(火) 13:25:51 ID:CnuaNmgg
>>877
そもそも少し前までは実在したかどうかはっきりしなかった武将。
隻眼というのも江戸時代以降作られたキャラの可能性が高い。
現在見ることのできる彼の肖像は全て創作と言っていいから右のも左のもある。

879 :人間七七四年:2009/01/28(水) 01:27:08 ID:UfMm6iD/
今でも実在は疑われてるだろ>山本勘助
甲陽軍鑑にあるような人物が実在したかがね

880 :人間七七四年:2009/01/28(水) 01:48:02 ID:OnVUMfNk
>>879
平山優の山本勘助読んでおくといいよ。

881 :人間七七四年:2009/01/28(水) 02:29:24 ID:UfMm6iD/
>>880
平山優の山本勘助読んだ事あるけど何なの?
本書でも甲陽軍鑑にある山本勘助の存在は否定してるのだけど


882 :人間七七四年:2009/01/28(水) 09:59:35 ID:BwxWCNp6
一級史料の高白斎記に名があり、当時のものと認められた市川文書で
重臣格の存在だとほぼ証明されたのに、まだ「実在が疑わしい」とまで
言う人の考えが理解できない。

甲陽軍鑑はウソばっかり書いてあるぞ!って怒ったって、そんなもの
実在したかしないかっていう課題には何の関係もないじゃない。
だいたい大げさに飾られているって言う点じゃ近年の信長や正宗を
誇大宣伝したものの方が桁違いに多いだろ。だからといって
「漫画に描かれているような人物が実在したかね」
「本書でも池上遼一の漫画にある信長の存在は否定している」
って言い出すやつは馬鹿でしょ。

かと思えば「山県昌景の従卒」なんていう与太話をいつまでも吹聴して
いたりと間抜けなことをしている人も多いけど、そんな与太話や民間の
講談を比較対照に持ってくる必要ないでしょ。ただ信用できる史料だけを
虚心に眺めれば、重臣格の山本勘助ってのがいたらしい、でいいじゃない。

梁田正綱の特務機関なんていうホラ話よりはずっと信憑性のある人間でしょ。

883 :人間七七四年:2009/01/28(水) 10:02:27 ID:7Wg3Htcu
>>882
名前と活躍とは、また別でしょ?
実在する人物に、架空の存在を仮託するのはよくあることだし。

884 :人間七七四年:2009/01/28(水) 10:07:18 ID:arMZhHCu
実は当時の呼称で言う所の「軍師(占い師)」だったら
地位とか権限とか無視して信玄に取り入れそうな気がしないでもない
香坂ならそれを見れる立場にはあったはず


とかいつかそんな資料が出てこないかなあ

885 :人間七七四年:2009/01/28(水) 10:11:28 ID:BwxWCNp6
ただ甲陽軍鑑に描かれた隻眼の重臣山本晴幸っていうキャラを信用する
必要はない、っていうのは大前提の話だけどね。
まあ甲陽軍鑑でも軍師だなどとは書かれてはいないし、川中島の啄木鳥
戦法を提案したとも書かれてないんだけど。

ただ甲陽軍鑑の中で、「隻眼の老臣」というキャラが書かれているパートが
江戸期に入ってからのフィクションではなく、同時代に近い時期にリアル
タイムに記録されたものだったという証明がなされたら、勝頼時代になぜ
このような人物を描いたのか、という意図は研究対象として面白いと思う。
「子孫が先祖を偉く書いた」というだけでは済まされない事情や情熱がそこに
あるのは疑えないから。


886 :人間七七四年:2009/01/28(水) 22:23:06 ID:sfwRk4Lb
>>864

鎧ってモノによっては出来るまで一年以上かかるようなものがあり結構手間がかかるらしく其の分高価とか。農民が落ち武者狩りや
鎧を剥いで売るというのに熱心な所を見ると、そういう中古品ビジネスが成り立ってるのだろう。

887 :人間七七四年:2009/01/28(水) 22:52:45 ID:UfMm6iD/
市川文書で重臣格の存在だとほぼ証明されrたなんて初耳なんですけど?

888 :人間七七四年:2009/01/28(水) 23:53:56 ID:qDZJavBv
戦場でうんことかしたくなったらどうするんですか?
あれは意思では止められないし
明らかにしりだしてしゃがんでる時点で無防備だしやりだしたらすぐには止まらないし
槍とかは手から離すだろうし甲冑だってしり出してたらすぐにはきれないだろうし
敵が来たら抵抗できなくないですか?
「ちょっと待つでござる!!武士の情けでござる!!!」とか必死になって叫んだりしてたのですか?


889 :人間七七四年:2009/01/29(木) 00:44:48 ID:xd3vh/0B
甲冑・袴に関して。
まず甲冑はスカート上で直接股間をガードするものはない。
これは騎乗する際にも邪魔になるから。
袴に関しては縫い閉じられておらず、
つまりズボンの右足と左足の部分がくっ付いていないと考えればわかりやすいかな。
社会の窓の巨大版って事。
そして当時の褌は越中褌ではなく、「へうげもの」で古田織部がしているような首からたらす褌で、
首の糸をちょちょいとずらすとケツのアナもちょちょいとずれる。
褌・袴・甲冑、全てをつけていても容易に用をたせる構造になっているわけです。

890 :人間七七四年:2009/01/29(木) 01:39:23 ID:JJaBphaA
>>889
横から質問申し訳ないのですが、へうげものに出ているような首からかける
褌ってなんていう名前なのでしょうか?

891 :人間七七四年:2009/01/29(木) 01:44:15 ID:VQmyHEhd
>>882
>一級史料の高白斎記に名があり、当時のものと認められた市川文書で
>重臣格の存在だとほぼ証明されたのに、まだ「実在が疑わしい」とまで
>言う人の考えが理解できない。
「高白斎記」の該当部分は江戸時代の挿入文の可能性を疑われている。
「市河文書」は年代が不明。一般には弘治三年とされているが、永禄中期説もある。
永禄中期なら勘助死後だから菅助≠勘助となる。
勘助の実在についてはまだ立証されてないよ。
菅助=勘助であるならば、という推論で書かれている本がほとんど。
勘助の実在が証明されるには、勘助自身の発給文書の発見や
一次史料における勘助関連の文章で江戸時代以降に加筆された可能性が無いことの立証が必要。

伊那毎日新聞に載ってた1556年の下知状の調査はどうなってるんだろうな。

892 :人間七七四年:2009/01/29(木) 09:26:29 ID:hDkDG3Sx
永禄中期説は初耳だ。どなたかどのようにとなえているの?

893 :人間七七四年:2009/01/29(木) 23:33:51 ID:eB1nxhwS
>永禄中期なら勘助死後だから菅助≠勘助となる。

他に資料がないのになんで「勘助死後」って特定できるの?
どんな一級史料に「山本勘助は永禄以前に死亡が確認されている」
なんて物凄い大発見が記されてたの?

894 :人間七七四年:2009/01/29(木) 23:52:30 ID:D/WvK/PI
勘助が死んだとされる川中島の戦いは永禄4年で、永禄は13年まであったのだから永禄年間を3つに分けた真ん中の時期というのなら既に死んでいるとは言えるけどな。

895 :人間七七四年:2009/01/30(金) 00:26:33 ID:JukF2NQ9
だから川中島第四回合戦で山本勘助が死んだっていう一級史料がどこにあるの?
っていう話で。

勘助全否定論者が、自分で否定している甲陽軍鑑とかを根拠にして他の史料を
否定しているっていう図は、端から見てると目がテン状態なのよ。

896 :人間七七四年:2009/01/30(金) 00:35:18 ID:PlHOXf8F
そんな事言い出したら、従来言われてる山本勘助の存在を根幹である甲陽軍鑑抜きにしろとなるけどいいのか?
それに死期の違いは甲陽軍鑑にある山本勘助という人物と大きく矛盾すると言う意味なのに、
それで甲陽軍鑑を持ち出すなと言われてもハァ?なんだけど

こっちが目がテン状態だわ

897 :人間七七四年:2009/01/30(金) 01:01:43 ID:XRG07mi1
子孫を名乗る人間がいるから存在はしたんだろうね。
信玄は譜代以外の人材登用を積極的にやっていたようだし。
ただ実績となると

898 :人間七七四年:2009/01/30(金) 04:08:14 ID:F3y3w4JQ
誰か俺のうんこの質問に答えてください
真面目な疑問なんです

899 :人間七七四年:2009/01/30(金) 04:18:15 ID:g3CDCyLn
戦国乱世において階級や立場は同じとする場合、藤原系と源氏系の武将、どちらが政治力がありますか?

900 :人間七七四年:2009/01/30(金) 04:41:14 ID:F3y3w4JQ
それは本人の能力次第だと思いますよ
立場が同じなんですから
それにほら戦国ぐらいになると源氏とかそういうの胡散臭いのも結構出てますし・・・

901 :人間七七四年:2009/01/30(金) 05:44:05 ID:W/WYX2wI
源平藤橘

902 :人間七七四年:2009/01/30(金) 09:57:00 ID:IemQh3C/
そもそも「戦国期における政治力」という漠然とした表現では議論が成り立ち難いね。
「中央政権」というのが有名無実だった足利幕府だったり、権威に無頓着だった信長
だったり、地方は群雄割拠だったり、と。
政治力を行使すべき勢力が無数にあって、その上時期によっても全く事情が異なる。

903 :人間七七四年:2009/01/30(金) 17:17:16 ID:bCutkXgV
>>902
しかも、有名無実と巷間言われる割に、里見氏などは小田原合戦の直前期に
小弓公方を奉じていたりするし、信長も義昭を追放した当初は、義尋を
擁立を考えていたりするし、結構複雑なんだよね。

904 :人間七七四年:2009/01/30(金) 20:02:16 ID:gnGiVQP0
天正十三年(1585)に北条氏直の近習・田村千代丸をはじめとする四人の若侍が
連続的に切腹自害して果てたという事件があったと聞きました。
おそらく『北条五代記』あたりに記載されているのでしょうが、
その詳しい理由や経緯、また自刃した他の三名の氏名などを教えて頂けませんか。
お願いします。

905 :人間七七四年:2009/01/30(金) 20:56:16 ID:JukF2NQ9
>そんな事言い出したら、従来言われてる山本勘助の存在を根幹である甲陽軍鑑抜きにしろとなるけどいいのか?
>それに死期の違いは甲陽軍鑑にある山本勘助という人物と大きく矛盾すると言う意味なのに、
>それで甲陽軍鑑を持ち出すなと言われてもハァ?なんだけど

だからこのスレの誰が甲陽軍鑑なんかを元にした話をしてるんだよ?
高白斉記の信憑性や市川文書の時期などを論ずるのはいいとして、
軍鑑の片目の軍師の話なんか割り込ませた奴はいないだろ。
それこそ信長公記の記述を論じてるのに「池上遼一のマンガをを持ち出すなと
言われてもハァ?なんだけど」って言ってくる奴がいたらそりゃ目がテンだろ。

オレは甲陽軍鑑は三河物語と同じ年寄りの愚痴と思ってそれなりに評価してる
つもりだけど、勘助が実在していたかどうかの話をするのに軍鑑なんかを
持ちだしてきたら、今ならただのアホだろ。

まさか山本勘助実在不在を論じるのに本気の本気で甲陽軍鑑を持ち出していた
奴がこの世にいるとは思わなかった。まあいいか。

906 :人間七七四年:2009/01/30(金) 22:10:38 ID:EML0uLfA
>>904
当てがあるんなら、まず自分で調べろよ。
北条五代記を調べて載ってなかったらまた聞きにくればいい。

907 :人間七七四年:2009/01/30(金) 23:56:18 ID:lnbQn21W
江戸時代は城で刃傷沙汰あったけど秀吉の大坂城のときってそういうのなかったんですか?
近いとこは怨恨とかすごそうだけど

908 :人間七七四年:2009/01/31(土) 03:23:29 ID:yguh+1dL
>>905
高白斎記の記述なんて後世、江戸期の付けたしなんだが?
それ以外は市河文書でしか存在が確認されてない

どういう話か>>877-883>>885>>887>>891-897を読み返してみろ
特に877-883をな
つかお前、>>882だろ、同じ馬鹿な例えしてるし、勝手に重臣にしてるし


909 :人間七七四年:2009/01/31(土) 16:43:18 ID:PLcFk1jn
>>908
905は882批判派じゃねーのか?w

910 :人間七七四年:2009/01/31(土) 21:07:20 ID:raeIsDAj
市川文書を信じたら重臣と認めたことになっちゃわないか?
「猶、○○口上可有候」っていう扱いは駒井・飯富・馬場・甘利(昌)とかと
ほぼ同格っていうことになっちゃうんだろうし。

あとは「大猷院殿御実記」にある山本正重の記述の信憑性かね。
「勘助の孫だ」っていう主張がいつごろのものなのか。




911 :人間七七四年:2009/01/31(土) 22:19:09 ID:TwR5F5HB
>>907
二行目がよくわからないが
慶長20年に大野治長が刺客に襲われたという事件ならあった
つーか落城の時には刃傷とかそんなもんじゃ言い尽くせない光景がそこかしこで
あったと思うんだが...

912 :人間七七四年:2009/01/31(土) 22:40:12 ID:Bb/B0WuF
>>911
いや今まですごい血眼で長年領土争ってた隣同士がいきなりもう戦うなよって言われて
城で出くわしたらすごい刃傷事件とかおきないのかと思って
赤穂の浅野よりも恨みとかふかそうだしと思った

913 :人間七七四年:2009/02/01(日) 12:01:46 ID:wW/3avJJ
>>907,>>912
詳しくは知らないけど、宴会の時口論から刀振り回す騒ぎが結構あったって聞いた。
で、そんな時曽呂利新左衛門が小話をして座をおさめたとか。

914 :人間七七四年:2009/02/01(日) 19:05:25 ID:ZycqGKsV
意味は無いといいつつも色々な歴史のifが語られていますが、
浅井長政が信長と朝倉を天秤にかけて信長を取る、
裏切らないというのはあんまり聞いたことがありません。
もしあの時点で長政が家臣団を押さえ信長を裏切らずに天下統一事業を一緒に進めていたら、
歴史とどのように変わっていたでしょうか。

915 :人間七七四年:2009/02/01(日) 21:53:42 ID:6QuqgJDT
>>914
 どういう勢力図になったか、よりもまず長政と市の娘の存在が気にかかるね。
 秀頼もおそらく、というかほぼ確実に存在しなかったことになるし。

916 :人間七七四年:2009/02/02(月) 01:20:01 ID:I7Q9v74n
>>914
そのifはよく見かける気がするなー。

917 :人間七七四年:2009/02/02(月) 03:24:31 ID:T1qJ01vF
戦国時代に一般庶民は観光旅行とかできたの?

918 :人間七七四年:2009/02/02(月) 04:37:43 ID:5rxbt4MD
大河ドラマで山内一豊が土佐もらって大喜びしてるけど
掛川と土佐って言われたら、普通掛川のほうが良いんじゃ?

919 :人間七七四年:2009/02/02(月) 09:54:38 ID:VaGbpKVD
>>917
東北の小大名が伊勢神宮に農民達を連れて参拝してる。
>>918
掛川1城より土佐1国の方が石高を含めて良いだろう。
四国は船運が発達してるから土佐と言えども京大坂にも近く不便ではない。

920 :人間七七四年:2009/02/02(月) 10:12:43 ID:N6UezSU1
>>919
でも太閤検地で9万石ですよね
普通はもらったら大して増えてないしあんなとこかよ・・・
って思いそう
長曾加部のことも懸念あるだろうし
佐々みたいに統治みすって没収ってことも考えたろうし

921 :人間七七四年:2009/02/02(月) 12:39:51 ID:fY7nSRPY
>>920
土佐は太閤検地で20万石じゃなかったけ?
9万石は初耳だが

922 :人間七七四年:2009/02/02(月) 15:16:46 ID:iWkTpyby
独眼竜政宗では、長男の領地が伊予の宇和島って聞いたとき発狂してたじゃん。
どうみても左遷では?

923 :人間七七四年:2009/02/02(月) 16:58:29 ID:amuC8d5u
>>921
土佐は9万8千石

924 :人間七七四年:2009/02/02(月) 17:27:16 ID:ayLw29dF
掛川城主の時は5万石
9万8000は太閤検地で後の検地で20万2,600石が判明してる。


925 :人間七七四年:2009/02/02(月) 17:58:46 ID:/Z+HkYND
>>922
当時は左遷かもしれなかったが幕末の宇和島藩は
自力で蒸気船造るわ、村田蔵六を見出すなど
仙台藩よりも活躍しただけでも価値あるだろう。

926 :人間七七四年:2009/02/02(月) 21:25:15 ID:bBFsGyj8
>>925
それでも共の家臣を連れて行かれ、
援助の為に財政出動をしたことからも本家は苦しかったと思われる。

927 :人間七七四年:2009/02/03(火) 01:53:20 ID:hHb8RLsp
功名が辻は一国一城の主を目指す武将の物語だからそれがグッドエンディング。
掛川は国ではなくてただの城下町。土佐は高知県丸々の領土だと思えばいい。
簡単に言えば終身高知県知事ってこと。実際は高知県の支配者だけど。

928 :人間七七四年:2009/02/03(火) 06:33:14 ID:jjspCB83
静岡営業所の所長(年収500万)に
高知支社の支社長(年収2000万)を
命ずるって辞令が来たようなもんか

人にもよるだろうけど俺なら喜ぶな


929 :人間七七四年:2009/02/03(火) 09:41:48 ID:kVCDKpsZ
あのさぁ・・・・京都に近いし船での交易も盛んだったんだけどな。

そもそも、論功行賞と称して東海道から外様を追い出すための国替えだったので、掛川から追い出されたのは仕方がない。
じゃあ土佐以外に一国をあたえるとして、どの土地に行けば左遷じゃないと言うんだ?
あほらしい。

930 :人間七七四年:2009/02/03(火) 11:34:32 ID:5aqX0TAA
>>どの土地に行けば左遷じゃないと言うんだ?

尾張とか播磨とか備前

931 :人間七七四年:2009/02/03(火) 12:47:59 ID:dYbBqda2
>>928
いや太閤検地で98000石だから20万石は領地入りしてから発覚したはず
土佐いってこいっていわれたころは98000石という認識だったはず
国もちではあるけどね

一豊「よろこべ千代、家康様より一か国をもらったぞ」
千代「まぁ!どこの国でございます?」
一豊「土佐だ!」
千代「土佐・・・何万石でございますか?」
一豊「98000石・・・」

932 :人間七七四年:2009/02/03(火) 13:07:59 ID:jcdm+IMF
講談ネタで家康が「土佐の旧・長宗我部領なら百万石あると思ってた」と発言してたw

933 :人間七七四年:2009/02/03(火) 21:39:08 ID:kIziAUmr
東美濃全域、及び可児郡。

あわせて何万石ぐらいなんでしょう?

934 :人間七七四年:2009/02/03(火) 22:12:31 ID:BQKDUhfX
『島津義弘は結局、17代当主になってるのかなってないのか…?』

個人的にはなっていない(日新斎や久光のような立場)と思ってますが、本当のところはどうなんでしょう…?

935 :人間七七四年:2009/02/03(火) 22:16:36 ID:9BFPILMb
今日授業で先生が
「秀吉の朝鮮出兵の一番の理由は労働の創出だ」って言ってました。
僕は文禄の役の面子がほぼ秀吉の小飼達ばっかだし通説通り極東を中心としたアジアの交流を作ろうとしたのと頭がおかしくなった説を信じるんだけど…
先生が黒板に労働の創出説を書いてるのを生徒達が一生懸命ノートに写してるの見て書いてみました(..)
皆様の意見が聞きたいです。

936 :人間七七四年:2009/02/03(火) 23:12:22 ID:kVCDKpsZ
>>931
そんなの暗黙の了解だろ。
上杉の領地替えだって、検地で嘘ついてるのがみんな知ってたからあったんだろうが。

937 :人間七七四年:2009/02/03(火) 23:45:15 ID:gCR2xyZq
>>935
従属させた大名に劣らない程の大禄を子飼武将達に与えるための名目の創出(手柄を挙げる機会の創出)=労働の創出と
秀吉個人の支配欲、それから秀吉は出自による求心力が一切無かったため秀吉個人のカリスマ性の創出でしょう。
アジアの交流というのはちょっと意味がわからないな。交易したいなら攻め込む必要は無いし。
頭がおかしくなったというのはなんとも言えない。
ヨーロッパから宣教師達が訪れている事やヨーロッパ人が航路遠征して現地政権を妥当している事、
かつて元が日本へ侵攻してきた事、神功皇后の神話、白村江の戦いを知っていたらさほどおかしい事とは思えない。

何が一番重要かなんて秀吉本人にしかわからないね。

938 :人間七七四年:2009/02/04(水) 00:29:36 ID:5mcIeXp+
>>935
失政は頭おかいからなんてのは小説の話で、
狂気とかもうろく、乱行好きなどで説明されがちな為政者の不可解な行動には必ず何かまっとうな政治的動機がある。
例えば徳川家康も勝ちのこったから、三方が原も関ヶ原も大坂の陣も讃えられる。もし敗死していたら無謀扱いだったろう。
上杉謙信も本来は景勝か景虎を粛正すべきだったが、もしやっていれば秀次事件のように言われたはず。

939 :人間七七四年:2009/02/04(水) 00:53:34 ID:XMkKJ0fZ
>>937>>938さんありがとうございました!

まだまだ視野が狭かったとつくづく感じました(>_<)
調べてみたら他の有力大名も九州に集められたし島津さんも出兵してました!
決定的な理由がないと自分の説が一番!との自尊心に縛られ考え偏ってました。
皆様の意見も含めて調べ直して一から考えます!
本当に為になりました(;□;)!!ありがとうございました。

940 :人間七七四年:2009/02/04(水) 01:00:58 ID:XMkKJ0fZ
あ!因みに極東を中心としたアジアとの交流ってのは衰退した広大な明を征服して今まで輸入されてきた物を輸出し、アジア諸国との繋がりを強めて、日本からもアジア諸国への物流が出来るようにするって感じです。
浅はかでした(>_<)
壮大すぎでした(o_ _)o

941 :人間七七四年:2009/02/04(水) 01:14:11 ID:+CchM9DZ
>>940
要するに宝物集めと交易物資、交易拠点の獲得かな。
ヨーロッパの海外進出がまさにそれだし、もちろん重要な理由の一つで君は全く間違ってないよ。
どれが一番とするかは人によるし、自分はあえて言えば全部が一番だと思ってる。

942 :人間七七四年:2009/02/04(水) 09:15:30 ID:X8udgX1z
流れブチですまそ。

現在、遺骸が残っている(と、思われる)戦国武将ってば、
どの程度いらっしゃるのでしょうか?
とりあえず謙信公は、「あり」でいいですか?

ご存知の方、ご教示ください。
気長に待ちます。

943 :人間七七四年:2009/02/04(水) 09:16:49 ID:WOAzo87Y
伊達政宗は本人のものと思われる遺骨がある



944 :人間七七四年:2009/02/04(水) 10:21:03 ID:ZUFtvQcl
>>942
状況証拠ではあるが徳川家康は間違いなく残存していると思われる
秀忠以後の将軍は墓の改葬時に確認済み

945 :人間七七四年:2009/02/04(水) 10:39:07 ID:VOIB97G6
将軍家もいくつか発掘されたよね
(ホテルが建つからだっけ?)
政宗のは空襲で焼けて再建するときに3代発掘されたけど
ほかに発掘されたお墓ってあるのかな?

946 :人間七七四年:2009/02/04(水) 10:57:44 ID:ZE31fbqo
>>906
手許に史料が無い故に問うて居るので御座る。
よって重ねて問いまする。

天正十三年(1585)に北条氏直の近習・田村千代丸をはじめとする四人の若侍が
連続的に切腹自害して果てたという事件があったと聞きました。
おそらく『北条五代記』あたりに記載されているのでしょうが、
その詳しい理由や経緯、また自刃した他の三名の氏名などを教えて頂けませんか。
お願いします。


947 :人間七七四年:2009/02/04(水) 11:12:04 ID:38Ogh1fg
>>946
手元に無いなら買うか、図書館にいきなよ。
大型図書館にいかなければ無いようなものでもないし。

948 :人間七七四年:2009/02/04(水) 15:50:04 ID:7sIkRnwf
分量にすれば軽く250Pくらいあるものから、
ないかもしれない記事を調べてくれって虫のいい話だな。
せめて巻の幾つかとか、サブタイトルとか言ってくれれば調べる気にもなるんだが。

949 :人間七七四年:2009/02/04(水) 23:15:37 ID:f73e8URe
>>907

秀吉が出て天下統一するまでは礼儀知らずは切り捨てられて当然、相手に嘲笑されて刀を抜かなければ男のメンツが
潰れて死ぬよりもつらいという考えが普通だったみたいなんでそういう刃傷にちかいようなことは続発してたかと

950 :人間七七四年:2009/02/05(木) 01:08:30 ID:3Hqd+PpF
フィリピンを征服したスペインが日本に全く来なかったってのが信じられないんですけど
なぜ?

951 :人間七七四年:2009/02/05(木) 01:12:37 ID:ricODgYh
>>950
鉄砲伝来後の日本は超軍事大国。

952 :人間七七四年:2009/02/05(木) 01:14:50 ID:+O1FKsqp
マカオ周辺がポルトガルの制海権だったからかな?

モチ、それだけのはずが無いけど…

953 :人間七七四年:2009/02/05(木) 06:33:41 ID:Uw7dUaNh
宣教師がスペイン王に日本は良い傭兵がたくさんいる戦闘民族だって言ってるね。
でも秀吉が日本人奴隷貿易に気付いてキレたから、キリスト教王国にできなかったからね。
彼らは日本人女性を裸にして鎖で繋いで、体は傷だらけの動物以下の扱いにして永久奴隷にして売り払ったから。
日本人が思う奴隷ってのは動物以下の待遇ってのはないし、永久ってのもないから衝撃が大きかったんでない?
島原の乱でキリスト教勢力の救援なしの時点で信用は完全に失われた。

954 :人間七七四年:2009/02/05(木) 15:47:00 ID:LxFrAHcy
       まもなくここは 乂1000取り合戦場乂 となります。

      \∧_ヘ     / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ,,、,、,,, / \〇ノゝ∩ <  アンチには取らせないぞ ゴルァ!!       ,,、,、,,,
    /三√ ゚Д゚) /   \____________  ,,、,、,,,
     /三/| ゚U゚|\      ,,、,、,,,                       ,,、,、,,,
 ,,、,、,,, U (:::::::::::)  ,,、,、,,,         \オーーーーーーーッ!!/
      //三/|三|\     ∧_∧∧_∧ ∧_∧∧_∧∧_∧∧_∧
      ∪  ∪       (    )    (     )   (    )    )
 ,,、,、,,,       ,,、,、,,,  ∧_∧∧_∧∧_∧ ∧_∧∧_∧∧_∧∧_∧
      ,,、,、,,,       (    )    (    )    (    )    (    )


955 :人間七七四年:2009/02/05(木) 17:44:04 ID:+O1FKsqp
そういえば、織田信忠だったかが言ってたかな…

「伴天連たちが、男色や側室(制度)を批判しなけ
れば、切支丹は爆発的に増えていただろうに…」(要旨)

956 :人間七七四年:2009/02/05(木) 18:02:24 ID:Sb0q3JIA
歴史好きな人がもらって嬉しいものって何ですか?

957 :人間七七四年:2009/02/05(木) 18:09:07 ID:33x2bLgY
国会図書館

百歩譲って大学の図書館でもいい

958 :人間七七四年:2009/02/05(木) 18:12:41 ID:rW1iCzJP
名将言行録あたり持っていなかったら嬉しい

959 :人間七七四年:2009/02/05(木) 18:38:24 ID:qy1jqLlV
>>956

タイムマシン


960 :人間七七四年:2009/02/05(木) 18:40:41 ID:uU3HzoIf
団忠正の武田征伐以前の経歴について教えて下さいな

961 :人間七七四年:2009/02/05(木) 20:28:52 ID:QB1NUDGU
>>956
俺は江戸幕府旗本御家人の辞典が欲しい。

962 :人間七七四年:2009/02/05(木) 20:50:42 ID:LdiJRe8W
>>950

あの当時のスペインで動員出来る軍事力は10万がいいところ。しかも欧州は国民国家に移行する時代と違って兵
隊は傭兵の時代なんで動員出来る兵隊がしれてる

963 :人間七七四年:2009/02/05(木) 21:43:17 ID:+O1FKsqp
>>956
国会図書館・神田神保町・紀伊國屋書店・三省堂の完全無期限フリーパス

※字間違ってたら失礼…

964 :人間七七四年:2009/02/05(木) 21:45:18 ID:5kOYnTvH
>>956
国立公文書館、徳川美術館の蔵書を自由に持ち出したい

965 :人間七七四年:2009/02/06(金) 02:56:36 ID:STocSj3L
>>947
新宿区のどの図書館にも無い!


966 :人間七七四年:2009/02/06(金) 03:47:27 ID:JGmotJJs
>>965
神保町には案内所という便利な施設があってな・・・。


967 :人間七七四年:2009/02/06(金) 03:51:34 ID:JGmotJJs
>>950
経済学的側面も大きい。
コルベールの提唱した経済主義やケインズ学派なんかの流れも押さえると良いよ。

968 :人間七七四年:2009/02/06(金) 05:47:34 ID:VHEKZmVM
yahoo戦国武将人気投票
http://weekly.yahoo.co.jp/97/busho/index.html

1位 真田幸村 12% 1463 票

2位 伊達政宗  11% 1360 票

3位 織田信長 10% 1258 票

4位 上杉謙信  10% 1257 票

5位 前田慶次 9% 1060 票

969 :人間七七四年:2009/02/06(金) 09:56:20 ID:/2fLDN5a
>>965
http://metro.tokyo.opac.jp/cgi-bin/j12crs2.cgi

千代田ブロック、でのみ検索

970 :969:2009/02/06(金) 10:01:39 ID:/2fLDN5a
あれ、うまく飛ばない。
自分で検索せえ

http://metro.tokyo.opac.jp/

971 :人間七七四年:2009/02/06(金) 11:09:14 ID:XnXM11T+
>>942
大河で唯一遺骨まで披露したのは伊達政宗だけ

972 :人間七七四年:2009/02/06(金) 12:21:34 ID:kJ27DJ0q
死して屍拾う者なし

973 :人間七七四年:2009/02/06(金) 22:38:09 ID:wWqGl7w5
まさに竜造寺隆信

974 :人間七七四年:2009/02/07(土) 08:54:47 ID:IlXyCxkK
>>970
残念だなあ。
君は何か勘違いしている様だけど、聞いて揚げ足取りをしたいんじゃなくて、
単純に君の意見が面白そうだから聞いてみたかっただけなんだよ。
もっとまともなレスを期待してたんだけど。ごめんね。
ちなみに君は揚げ足を取られる事を恐れているようだけど、それは違うと思う。
揚げ足を取られるのは、君に隙があるから。
隙だらけの人間ってのはそうやって余計な所でつまらない恥をかく事になるもんだよ。
他人につっこまれる事は、自身の知識をより客観的で多角的なものとする為に
有益な指針となるものだと思うな。

975 :人間七七四年:2009/02/07(土) 14:02:43 ID:iK4XRYtb
どこへの誤爆だよ

976 :人間七七四年:2009/02/07(土) 15:59:55 ID:cdIAmVT0
ナッちゃんは新宿区が行動範囲内と判明。

977 :人間七七四年:2009/02/08(日) 22:37:14 ID:R8+ALtmc
大友義統が所領没収されたのに立花家が大名として残ったのは
どういった経緯なの?

978 :人間七七四年:2009/02/08(日) 22:58:39 ID:M68bl/3W
というか九州征伐のあと、立花家は秀吉に直接領地を与えられなかったっけ?
だから豊臣政権において、立場上大友家と立花家は同格になった
ゆえに大友家が改易されようと立花家に特に問題はない

979 :人間七七四年:2009/02/09(月) 00:27:26 ID:R8nBEb9K
立花道雪の遺志は継がなかったってことか。。

980 :人間七七四年:2009/02/09(月) 01:43:11 ID:yW2SF9MK
秀吉の常套手段だけどね。

龍造寺と鍋島もそうだし、
毛利と小早川もそうだし、
上杉と直江にもそういう説が立った。

実否はともかく、後世でも信じる人が多かったの
は、傍目にもそう見えた…という事でしょうね。

981 :人間七七四年:2009/02/09(月) 01:56:47 ID:ZqPvvf+7
は?バカですか?
宗麟が秀吉に宗茂を推挙したわけだが。
直江は主家から離脱したわけじゃない陪臣の身分のまま。
鍋島や小早川とは違う。

982 :人間七七四年:2009/02/09(月) 09:45:53 ID:oTdvbr1T
隆景は独立した後も
秀秋を毛利家の養子にしようとする秀吉のがさくを阻止しようと毛利家のために頑張るような主家思いの人なのに
なんで主家から独立して大名になったんだろう?

秀吉の機嫌を損ねるのを恐れたのかな?

983 :人間七七四年:2009/02/09(月) 11:02:52 ID:iJrBj32s
真田十勇士の穴山岩千代って裏切りの穴山さんとなにか関係あるのですか?

984 :人間七七四年:2009/02/09(月) 11:18:27 ID:ZqPvvf+7
>>982
ちゃっかり毛利の血の小早川別家を作ってるので隆景は得してる。しかも五大老になり主家と同格まで小早川家を引き上げたし。
隆景は輝元をぶん殴ったりやりたい放題。

985 :人間七七四年:2009/02/09(月) 11:20:24 ID:yW2SF9MK
>>981
短絡的だなぁ…

上杉と直江は、そういう説があった…って言っただけじゃん
今は訂正されてるケド、兼続に米沢が与えられたのは秀吉が景勝に直命したから…しかも30万石(実際は6万石くらい)…
秀吉はこれで景勝と兼続の不和を計ったそうで…

龍造寺も、当主は秀吉に隠居を強制されて、嫡子
は幼少。家政に参画した鍋島直茂の領地は龍造寺親子より多く与えられたし、家臣団も直茂を立てるようにしていた…

小早川隆景も、再三断ってきた秀吉直々の加増を、
(最終的に)受けさせられたからね

…本当は知ってるんだろ?

986 :人間七七四年:2009/02/09(月) 17:28:37 ID:uGSb14ds
頭でっかちにありがちなレスだわな
間違ってなけりゃのっけにバカ呼ばわりしようがかまわんとでも思ってるのかね

987 :人間七七四年:2009/02/09(月) 18:42:50 ID:Ueb9uXVw
【疑問】スレ立てるまでもない質問 3【戦国時代】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1234172504/l50

次スレ立てといた

988 :人間七七四年:2009/02/09(月) 18:45:17 ID:d8HmV/bj
小早川隆景は秀秋には毛利両川としての役割りを期待しなかったんだろうか。
小早川家が完全に独立って事になると、吉川だけになるけど
自分の死後の両川体制の維持は考えなかったんだろうか。

989 :人間七七四年:2009/02/09(月) 18:54:39 ID:g6jTgHgj
それよりは毛利本家を守ることが優先だったんだろ。
小早川家を守ったところで本家をのっとられたら意味ないしな。

990 :人間七七四年:2009/02/09(月) 20:55:47 ID:9FmGsP52
>>987
乙です。

991 :人間七七四年:2009/02/09(月) 21:50:28 ID:9ELNWyiR
>>987


992 :人間七七四年:2009/02/10(火) 06:10:48 ID:rdEzLBTj
>>987



993 :人間七七四年:2009/02/10(火) 12:22:42 ID:21CEKn/W
火縄銃は雨の日使えないのは知ってますが
雨の中でも特殊な火縄使えば雨天射撃も可能だったと思いますが
どうなのでしょうか?賢者様よろしくおねがいします

994 :人間七七四年:2009/02/10(火) 12:50:37 ID:faP7jqBW
>>993
覆いやカバーを付けたりしたのは聞いたことがある。

995 :人間七七四年:2009/02/10(火) 13:20:30 ID:IfAyvRcU
まさか久留米城の羽柴侍従
小早川秀包を知らんの?
隆景は元就9男を養子にして
ちゃんと別家を立ててるよ。

996 :人間七七四年:2009/02/10(火) 16:36:42 ID:MrgImfhU
>>993
火縄は相当燃えやすい物でして、
普段は濡れ雑巾でさっと一拭きして燃える勢いを抑える必要があるほどの代物。
小雨程度ではびくともしません。

997 :人間七七四年:2009/02/10(火) 18:26:20 ID:dKMA1cGO
>>995
毛利姓に戻って、ね

998 :人間七七四年:2009/02/10(火) 18:43:43 ID:GqFcBTWV
もう埋めるよ

999 :人間七七四年:2009/02/10(火) 18:44:16 ID:GqFcBTWV
埋め

1000 :人間七七四年:2009/02/10(火) 18:45:09 ID:GqFcBTWV
1000なら来年の大河ドラマは松永久秀

1001 :1001:Over 1000 Thread
      /    `ヽ、
      ー┬――─‐ァ
      / ̄ ̄ ̄ ̄,l,
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   /  秀家    ゙ヽ:::::::::',   ごくろう。このスレはみごと統一された。
  ゙|゙゙゙'''   ‐‐''""'  ';:::;r==,、  さすればおぬしらには次スレの攻略を命ずる。
.  |エi> ,'  イiエ>  レ'゙,r .,l }  
  i.  /         Y./ノ   さあ泳いでゆけ、現代のもののふたちよ!
  l  {  .、          /      
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