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【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ13【東軍】

1 :人間七七四年:2008/06/22(日) 13:17:10 ID:/21BosXo
130年あまり続いた戦国時代晩期の合戦である「関ヶ原の戦い」。
東西両軍合わせて20万人もの動員を繰り出した、想像を超える大規模なものだったにも関わらず
わずか数時間の戦闘で勝敗が決したという希有な戦い。
全国津々浦々から名立たる武将・智将が一同に会した、戦国屈指のドラマ「関ヶ原」を
あらゆる角度から検証するスレ第十弾です。

過去ログ
関ヶ原の戦い総合スレ
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1106458926/
関ヶ原の戦い総合スレ2
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1108139654/
【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ3【東軍】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1124859382/
【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ4【東軍】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1127129116/
【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ5【東軍】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1129471584/
【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ6【東軍】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1135858991/
【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ6【東軍】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1142346577/
【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ8【東軍】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1145149465/
【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ9【東軍】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1149346897/
【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ10【東軍】
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1152870727/
【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ11【東軍】
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1176221394/
【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ11【東軍】 ※12
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1194438306/

2 :人間七七四年:2008/06/22(日) 14:33:35 ID:/21BosXo
前スレが埋まったので、ageとく。

3 :人間七七四年:2008/06/22(日) 21:27:35 ID:V3To6Dgg
>>1

ついでによくある関ヶ原製軍勝利後はこちらで
関ヶ原、西軍勝利
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150726266/l50


4 :人間七七四年:2008/06/24(火) 00:48:58 ID:9E9/1PQQ
当日の兵力。
@関ヶ原全域から大垣城まで含める全軍
東軍約10万1千   西軍約8万7千

A大垣城周辺(守備の西軍、攻めていた東軍)除く
東軍約8万9千   西軍約8万2千

B南宮山の西軍及びその押えの為の東軍を除く
東軍約7万5千   西軍約5万6千

C当初参戦しなかった部隊(東軍家康本隊、西軍小早川ら松尾山周辺の部隊)除く
東軍約4万5千   西軍約3万6千

5 :人間七七四年:2008/06/25(水) 21:46:18 ID:dovNHISu
大垣城の伊藤盛正は小身なのに、随分立派な城を持ってたね。

6 :人間七七四年:2008/06/25(水) 21:47:48 ID:A9rXzuB8
>>5
大垣も交通の要衝だし。

7 :人間七七四年:2008/06/26(木) 22:45:31 ID:eu1ZvHT5
 

8 :人間七七四年:2008/06/26(木) 23:59:46 ID:HPp+af5A
宇喜多の主力は東軍にいた

9 :人間七七四年:2008/06/27(金) 09:15:54 ID:F+YTyebI
>>4
出展は?

10 :人間七七四年:2008/06/27(金) 10:32:16 ID:IeeAAXyS
実際は東軍の方が多かった

11 :人間七七四年:2008/06/27(金) 19:23:58 ID:n6wPkOdy
>>9
4じゃないけど「日本戦史」しかない

12 :人間七七四年:2008/06/28(土) 00:34:52 ID:u+zF0LeN
この合戦は現代風で人間の欲が丸出しになったことで過小評価するしかない。
まだ川中島や桶狭間のほうが士道らしく人を惹きつける。

13 :人間七七四年:2008/06/28(土) 01:06:11 ID:FMKywbiz
士道なんて所詮は虚構の産物に過ぎん
偉ぶっている三成を負け組に転落させて処刑したいという
極めて人間くさい欲求で戦っていたからこそ面白いんだろ

14 :人間七七四年:2008/06/28(土) 03:55:03 ID:o4/BT4kd
>>12
指導対欲の戦いという点で見応えがある

しかし私道というのは何か?

15 :人間七七四年:2008/06/28(土) 13:17:44 ID:DMzR9dhs
関ヶ原も川中島も桶狭間も欲の延長上の話
関ヶ原はどっちも権力欲の争いだけどなー

16 :人間七七四年:2008/06/28(土) 13:24:23 ID:7yHNqgyE
戦国大名の戦いに士道なんかあるかよ。

「武者は犬ともいへ、畜生ともいへ、勝つことが本にて候」
(武者は犬畜生と呼ばれても勝つことが第一だ)

朝倉宗滴

17 :人間七七四年:2008/06/28(土) 18:22:02 ID:82Azndyr
「勝った者が゛正義゛」の下剋上時代。

18 :人間七七四年:2008/06/28(土) 18:59:46 ID:7yHNqgyE
今の日本人の感覚で言うところの「武士道」や、「武士的な規範意識」が形成されたのは
だいたい、江戸時代も五代将軍綱吉の時代らしい。

19 :人間七七四年:2008/06/28(土) 22:29:13 ID:FMKywbiz
そもそも石田・小西・安国寺など西軍の主力は武士出身じゃない奴が多い
逆に武士出身の奴は全体的に覇気が欠ける傾向がある
西軍ほど武士道とは何たるかを雄弁に語る軍隊はないぞ

20 :人間七七四年:2008/06/28(土) 22:42:49 ID:7yHNqgyE
>>19
石田は武家の出身だし
小西は関ヶ原の間中押されっぱなしだし
安国寺も安芸武田家の出身だし…

21 :人間七七四年:2008/06/29(日) 10:37:12 ID:pmmT38Rc
>>20
石田、坊主じゃね

武士でない方が弱気

22 :人間七七四年:2008/06/29(日) 11:03:06 ID:KNZvB1x3
>>21
石田家は近江の地侍の家だろ

23 :人間七七四年:2008/06/29(日) 11:13:49 ID:pmmT38Rc
>>22
本人は坊主では?

24 :人間七七四年:2008/06/29(日) 11:20:20 ID:KNZvB1x3
>>23
三成を元坊主と言うカテゴリに入れるなら上杉謙信も足利義昭も元坊主だ。
つーか、寺は当時の学校みたいなものだ。侍の師弟が一定時期仏門で修行するのは珍しい話じゃない。

25 :人間七七四年:2008/06/29(日) 18:19:06 ID:POPNr+Nc
いや跡継ぎであれば、仏門には、いれないよ
義経も謙信も義昭も跡取りでないから仏門に強制

26 :人間七七四年:2008/06/29(日) 18:44:32 ID:xcKBxRV3
話が噛み合ってない

27 :人間七七四年:2008/06/29(日) 19:03:14 ID:KNZvB1x3
ビックリするほど噛み合っていないな。

28 :人間七七四年:2008/06/29(日) 19:32:34 ID:P6ms4Agt
平行線の話題だからな。

29 :人間七七四年:2008/06/29(日) 21:12:57 ID:HSPgdRPY
吉井和哉は殺人未遂及び集団リンチ、会社ぐるみで嫌がらせをしているクソロッカーです。コイツの趣味は他人のプライバシー侵害です。何度も実際にストーカーされました。目が合うとまるで俺は友達だよ、と言わんばかりにニヤニヤしていました。
にちゃんで何度もそれ専用のスレを立てられ、そこに自分の合成された写真を晒しあげられ、事実を書き込めば「また写真を晒すぞ」と堂々と脅しを掛けてこられました。その写真のネタをこの噂スレでも絵文字入りでこいつらは書き込み、馬鹿にしていました。
自身の部下や彼女をわざわざ嘲笑う為に職場に寄越しました。それと、「社長が怒ったのでこれからもっと酷くなる。一応忠告しておく」という書き込みの直後から、晒しの嫌がらせは悪化しました。明らかに嫌がらせの為に部下も使っています。これは間違いありません。
ここでも話題作りのために散々利用されました。曲のネタにもされました。「広告塔だ」等と言い放ち、実際に見付からない君、としてここ以外でも利用されました。
噂スレでお仲間同士、当然の様に馬鹿にしながら。こいつは隠蔽工作をしています。名誉毀損だなんだと言いながら、実際にこいつは100%やっているんです。
神に誓ってもいい。嘘じゃない、吉井は罪を隠蔽し続けている犯罪者です。私は被害にあいました。こいつは未だに開き直り、隠して逃げ続けています。
「決して捕まらない方法でお前を自殺に追い込んでやる」「インターネットで晒してやる」「これからはどこへ行ってもいつどこで見られているか気が気でいられないだろう」「お前はシーマンだ、モルモットだ」「(された事実の書き込みを)止めなければまた写真を晒すぞ」
これは吉井和哉と仲間による書き込みです。(全部実際に特定され中傷を受けながら書き込まれた内容です)数年間、私はこいつらに馬鹿にされながら仕事や私生活を遠回しに全て晒されてきました。

30 :人間七七四年:2008/07/01(火) 06:49:47 ID:m30uQSiA
警察に言えよ
その内容が本当なら一発アウトだろう

でなければおまいのほうがアウトw

31 :人間七七四年:2008/07/07(月) 20:58:52 ID:HWhLNpMV
>>16
しかし、
「大将であれ侍であれ、義を違えるな」と言った、
北条氏綱のような武士も居ることには居る
まぁ、主君の敵に通じたかと思えば、またぞろ元の主君の所に帰ってき、
それを恥ともなんとも思っていないという、宣教師の日本の武士に対する批評が、当時の実態なのだろうが

32 :人間七七四年:2008/07/07(月) 22:06:23 ID:HdN23lAf
>>31
氏綱や謙信の言う「義」は、現代的な意味での「義」とは意味合いがちょっと違うと思うぞ。

33 :人間七七四年:2008/07/21(月) 01:32:08 ID:NbE+GJJM
土壇場で寝返ったり、あんまりえげつないケースは嫌われるんじゃ無いか?
上杉憲政の倅を北条氏に引き渡したやつや、小山田信茂などのような。

>>31
武士が有利な方へ日和見するのは南北朝以来の伝統だしね。
北畠親房が「近ごろの武士は・・・・」と漏らし、「降参半分の法というルール
なのに、本領安堵してやるというのに、味方する条件として恩賞をよこせというなど」と
つべこべ言っているが、親房は中世の武士について理解できとらんわけだし。
江戸期に朱子学が隆盛するまではわりとドライだよね

34 :人間七七四年:2008/08/23(土) 22:09:55 ID:u15IlAK8
黒田長政の調略についての真偽は?

35 :人間七七四年:2008/08/23(土) 22:17:51 ID:zHYIzmiI
>>34
黒田の関が原においての、いつ、どこの、誰に対しての調略の真偽を聞きたいのかさっぱり解らん。

36 :人間七七四年:2008/08/24(日) 00:08:31 ID:nkMMESA9
福島煽りは絶品だと思う

37 :人間七七四年:2008/08/26(火) 02:01:54 ID:eswmBPE9
石田隊の側に豊臣家直参の母衣衆率いる数千の兵力でいたはずだけど
こいつら何してたの?

38 :人間七七四年:2008/08/26(火) 15:34:03 ID:oa9y7h1Q
アホな仮説おもいついたんだけどさ
石田三成が7将に狙われた時、家康の屋敷に逃げたけどその時に家康の寛大さに
感激してわざと関が原起こして負けて家康に天下を取らせてあげたって仮説は無理?
北条だかのとき石田三成が城兵の無血会場主張して秀吉の怒りかって親族だか
秀吉にやられていたような・・・
そのことに恨んでいた石田は家康こそ天下を任せられると7将の時に確信し
関が原をおこすことを家康と画策したのであった・・・
マジで自分で考えてもアホだな

39 :人間七七四年:2008/08/26(火) 17:52:59 ID:jmJZM/pW
逃げたのは自分の屋敷で家康は別の場所にいたよ
仲裁は家康、でも政治の中枢から遠ざけたのも家康
助けられて一瞬感謝したものの、やっぱり恨みが残ったと

40 :人間七七四年:2008/08/26(火) 17:54:01 ID:jmJZM/pW
>>37
横から黒田隊に狙撃されたとか言う話も
実は無かったとのことだけど
どっちが本当?

41 :人間七七四年:2008/08/26(火) 19:08:22 ID:ttDF3EWe
つーか伏見は家康の管理下だったので、「家康の元に逃げた」というのは間違いではない。

42 :人間七七四年:2008/08/26(火) 19:36:38 ID:VQZZON+4
>>38
秀吉に殺されたのは三成の妻の伯父・尾藤知宣。

茶阿局の兄山田氏が三成に仕え、その息子に三成の長女が
嫁いでいる。山田家は三成の妻の実家、つまり尾藤氏との
縁で三成に仕えたとみられる。
私婚騒動の時にちらっと出てきた小笠原なんとかの親は、
実は尾藤氏を匿ったことを理由に秀吉に改易された過去がある。
私婚のうち二つ(茶阿局の子忠輝、小笠原氏)が三成(尾藤氏)
と繋がる。何か怪しい。
7将襲撃後、家康は秀康を護衛につけ、三成は秀康に秀吉から
下賜されたという正宗を贈っている。大切なものではないのか?
その後、家康は三成に津田清幽などの元自分の家臣を斡旋、
彼らは関ヶ原のとき佐和山に籠城し、落城の際に三成の
子供を連れ出している。
ほか三成の子供は元服済の嫡男さえ殺されていない。
三成には家康の命を受けた榊原家に匿われたという生存説が
あり、井伊氏ゆかり近江の某寺には家康は三成の首実検を
行っていないという伝承が……


とか適当にそれらしく(もないか)並べてみたが、
三成に限って家康に天下献上なんてないな。

43 :人間七七四年:2008/09/04(木) 21:17:39 ID:JIEoSJGa
>>42
たまにテレビでネタにされる
光秀は天海だった&家康は信玄の隠し子だった
なんていうのよりも個人的には真実味あるんだがなぁ

44 :人間七七四年:2008/09/04(木) 23:32:13 ID:lSjPcHLI
家臣やら親しい大名やら巻き込んでまでするほどか?

45 :人間七七四年:2008/09/04(木) 23:57:59 ID:Ph1NaK3K
自分の子供を除くと石田一族ほぼ滅亡だからなぁ。

46 :人間七七四年:2008/09/07(日) 15:32:42 ID:LIaiiusD
兄の子や妹や弟は生き残ってない?

47 :人間七七四年:2008/09/12(金) 03:39:12 ID:gXeMNN/I
転載

336 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします[sage 1/2] 投稿日:2008/09/11(木) 21:36:11.71 ID:ZSL3HbA0
調べてみると実際に関ヶ原合戦跡地に行ってレポートしてる人がいた 以下コピペ↓

実は、私は2000年9月15日前後に大垣・関が原界隈を徒歩中心に散策してみました。
それで感じたことがいくつかありまして
@当地の雨について
 ご存知のとおり、大垣は東軍が水攻めを検討しただけあって、降雨量の多い土地。初日も秋雨とはいえ夏の夕立のような雨でした。
 ビニール合羽も透けてずぶ濡れに…。
 当時の旧暦と1か月のズレがあるものの、夜間こんな条件で移動した西軍はいかに陣形有利といえど、士気・体力の低下著しく
 さらに着いたら休まず陣地構築と動き回っては、翌日の息切れも止むを得ないところだと痛感。
A南宮山
 雨の中登山。雨により沢のようになってしまったが、史実では三成が移動中単身現れたという説も
 あったので、同様の体験をしてみようと思い、断行。
 で秀元陣に到着。霧で大垣方面はよく見えず。関が原は距離があるうえ、木々が邪魔で全くみえない。
 こんなところにいる香具師をアテにする三成って…。が本音。
B大垣城
 さすがに南宮山から歩くのは断念。だって遠いんだもんww
 大垣に宿をとったのでしばらく城近辺を散歩。
 ちっこい城というのが正直な印象で、ここで決戦したくなかった西軍の気持ちは納得。
 でもさ、だからといって断りもなしに勝手に関が原に移ったら毛利や長曽我部も辛いわな。
 東軍主力を目の前に相手にしたら山に登ってじっとするほかないだろう。
 約7万対2万だろ?
 関が原に逝かず南宮山攻め立てられたら勝ち目はないもんね。
 ただし、麓の寺を焼き払うといった動きはみせていたらしい。
C大垣から関が原へ
 翌日は秋晴れ。
 電車で大垣より移動。まずは石田陣の笹尾山から。
 小高い丘ではあるが、ほぼ徹夜で大垣から武装して移動したのだから、ココを上るのにも苦労したハズ。
 関が原や南宮山なども一望できる見晴らしのよさ。
 実質上の指揮官としては好位置確保といえる。誤算は集中攻撃を黒田・細川・田兵らに喰らったことだろうね。

48 :人間七七四年:2008/09/12(金) 03:40:07 ID:gXeMNN/I
337 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします[sage 2/2] 投稿日:2008/09/11(木) 21:36:32.49 ID:ZSL3HbA0
D島津陣跡
 北国街道を扼す小池村。この要衝を守るために鉾矢の陣で臨んだと碑に書かれていた。
 小兵力ながら、決死の覚悟が窺えるではないか。
 通説では、敵を追い払うだけで柵に篭もるだけだったとされているが、通常なら千人強で東軍に突っ込むはずもなく。
 退き口の際には半数近くまで兵を減らしていたとされているので、いわゆる「やれることはやった」のではないか。
 三成の出撃依頼に応じなかったというよりも、不可能だったというべきであり評価の見直しが必要な部隊の一つであろう。
E小西陣跡
 西軍主力で平地に陣を敷いたのは島津とこの小西。
 ただし、陣地を構築するにあたり、障害物として小川を利用しようとしたのがこの地を選んだ理由かと思われる。
 初めに崩れだしたともいわれるくらいで戦意が薄いとも評価されるが、ほぼ同規模の兵力だった石田陣が丘の上にあったことと
 と比較すれば、地の利があるともいえないために致し方ないだろう。
F宇喜多陣跡
 本陣跡は神社がある。お清めをして手を洗ったところで気がついたのだが、島津は池のそば、小西は小川の付近
 そして宇喜多は湧水のあるところというように、水を確保している点が意図的なのか、偶然なのか?
 詳しい方、教えてください。 漏れは長期戦を予測しての意図的なものと考えた。
 さて、位置関係からすると兵数が多いこともあるが、横からみると西軍のなかでは突出しているようにみえる。
 松尾山方面から関が原をみると、宇喜多陣は正面付近にみえる位置。宇喜多が健在でいる限りは、西軍が優勢に見えたことだろう。
(石田・小西陣は松尾山からはみえる位置にない)
 通説にあるように、西軍優勢とみて秀秋が攻撃を逡巡したとするならば、正面の宇喜多隊の存在が大きいと思われる。
 もし、集中攻撃されている石田・小西が見える位置からみていたなら、東軍優勢とみて異なる判断も(早々に攻撃)もありえたか。
G大谷陣跡
 山中にあり、一種の山城であったと案内にある。東海道線が脇を通り、まさに要衝。
 ロケーションとしてはやや後方に位置していることや宇喜多の大軍が前方に位置していることから
 藤堂隊が攻めかかった程度で石田隊ほど集中攻撃を受けなかったのは地の利が大きいといえる。
 小早川の攻撃を暫く凌いだといわれるが、松尾山方面からココを攻めるのは急な崖を登らねばならない
 ので、やはり地の利が大きいのだろう。また、早めに着陣して準備怠りないことや兵の疲労度が少ない
 点も、西軍各隊のなかにおいては有利な条件があり、善戦できた一因といえそう。
H松尾山方面
 関が原方面から東海道線を挟み、かなりの距離がある。
 山を降りるのに1時間、大谷陣まで2時間かかる、といったところか。更に、前日の雨で足場が
 悪かったのだから、移動時間は通常よりもかかったことだろう。当時最新型のLLビーンのトレッキング
 を履いて軽装の私でもかなり歩きづらかった。
 だから、昼過ぎに西軍に攻めかかったのだとしたら、8時頃の開戦後に決断したのであり史実で言われているほど
 躊躇して攻撃しなかったというほどでもないのではないか。
 これが通説と異なる私の率直な感想であったが、後に「真説 関が原」に出会い、そのなかの記述で西軍善戦説に
 疑いがあり、小早川の裏切り?は早々に発覚していたという説が紹介されていたことで自らの説にある程度確信を
 もった次第です。
 それに、南宮山の毛利にしても松尾山の小早川も、連絡手段が狼煙しかない状況で果たして連携
 して攻撃するのは難しい距離にいた。
 しかも、その作戦が伝えられたのが前夜遅くとあれば、準備不足は明らかで自らの倍以上の規模
 である強豪・徳川本隊に攻撃するのを躊躇するのは当然であろう。
 西軍サイドから見れば恨まれるところだが、状況から判断して彼らの動静は当然の帰結ともいえよう。

49 :人間七七四年:2008/09/12(金) 07:07:35 ID:JxZPNwfI
似たような文何度も見た
毎度同じヤツが書いてんだろ

50 :人間七七四年:2008/09/12(金) 10:46:21 ID:T0hd1rj8
自分の説が論破されると
「貴方は実際に関ヶ原に行った事がありますか?行った事がないのにわかるわけないでしょう」
みたいな事言うキチガイ

51 :人間七七四年:2008/09/12(金) 20:22:29 ID:RSXd8N8X
こういうスレでキチガイなんて書く奴も似たようなものだろう

52 :人間七七四年:2008/09/12(金) 22:59:13 ID:Y0Isj34n
本人乙

53 :人間七七四年:2008/09/14(日) 12:42:21 ID:LCQsPlMR
前スレのをパー速の奴がパー速に転載して、
それを誰かが、パー速からここに転載したってことだろ

54 :人間七七四年:2008/09/27(土) 17:42:38 ID:i+2WEiu3
>9/28 23:15〜
>ラジオドラマ・アーカイブス
>「架空実況放送・関ケ原の戦い」
>ttp://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2008-09-28&ch=05&eid=8

どんなんなんだ‥聞いたことある奴いる?

55 :人間七七四年:2008/09/27(土) 22:23:57 ID:tpkgqTui
>>50
論破どうのは置いておいて、一回行ってみると良いと思う。
行ってみるとわかるが、結構陣と陣の間に距離がある。
最初に関ヶ原を見たときは、意外と狭いな、と思ったんだけどね。
俺も小早川の裏切りは合戦早々だったんじゃないかと思う。


56 :人間七七四年:2008/09/27(土) 22:34:03 ID:uFjkpPlS
>>55
うん。小早川は開戦後間もなく東軍として西軍を攻めに行ったと考えたほうがいいと思う。

57 :人間七七四年:2008/09/27(土) 23:06:41 ID:AICLSrQm
小早川秀秋が陣取っていた松尾山はかなり手入れがされていた山城の
ようなものだし、小早川隊は山ろくに布陣していたわけだし、早々に
寝返ってたにせよそこまで行軍に手間取ったのだろうか

58 :人間七七四年:2008/09/28(日) 11:13:26 ID:p1ZY+zHY
>>57
そのまさに城だったからなんじゃないかと推測されている。
関ヶ原方面を睨んでの城なのでその方面には道がなく、後ろから迂回しなけ
ればならなくて時間がかかったとの事。
実際に見てみるとその真意は定かじゃないんけどね〜。
ただ、思った以上に上り下りは面倒そう、まして大軍となると・・・。

刑部の軍があそこにいたのも、降り口付近だったからって話だけど、位置的に
はそんな感じかなぁ、と思った。

59 :人間七七四年:2008/09/28(日) 11:35:29 ID:4cEo1YcN
ttp://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/4393/gihu/matuoyamazu.jpg
これを見ると、大谷側の道があるのは間違いなさそうだから、
当初から西軍を攻撃する意図があったと思われる

問題は実際に攻撃するという判断は何時、どの様に下されたかであろうな

60 :人間七七四年:2008/09/28(日) 12:59:48 ID:zU5cjakf
http://www.nhk.or.jp/archives/radiodrama/
ラジオドラマ・アーカイブス チャンネル :ラジオ第1
放送日 :2008年 9月28日(日)
放送時間 :午後11:15〜翌日午前0:05(50分)

第6回 2008年9月28日
架空実況放送・関ケ原の戦い1957年23:15〜

作/西澤實、演出/中川忠彦
実況アナウンサー/北出清五郎、福島幸雄、中神定衛
戦況解説/村上元三、出演/山岡荘八、尾崎士郎


61 :人間七七四年:2008/09/28(日) 18:40:18 ID:pBfJFIvr
大谷の陣地は松尾山城と連動した形で築かれてるし、概要図でも道がしっかり書かれてる
後ろから迂回というが、それこそルートが不明で推測する根拠もない

それと秀秋が松尾山城に入ったのは14日で、城を築いたのは伊藤盛正
なので「道があるから当初から西軍を攻撃する意図があった」と言うのは違う

62 :人間七七四年:2008/09/28(日) 19:01:20 ID:2PCb0JDX
「最初から西軍を攻撃する意図があったから松雄山に布陣した」ではどうだろう。

63 :59:2008/09/28(日) 19:11:56 ID:4cEo1YcN
>>61
一応、62と同じく小早川が当初から西軍攻撃を意図しているという発想です

64 :人間七七四年:2008/09/28(日) 20:23:15 ID:Ym5d7wiD
伏見入場断られて仕方なく伏見攻撃に参加したけど戦功を認めないから
腹立てて三成の指示無視して西軍の軍勢追っ払って松尾山に立てこもって
日和見してやろう


位の感覚でしょ?

65 :人間七七四年:2008/09/28(日) 20:26:48 ID:2PCb0JDX
>>64
だからその日和見自体が疑問視されているわけで。

66 :人間七七四年:2008/09/28(日) 20:42:31 ID:pBfJFIvr
>>62
その方が説得力あるね
伏見以後の家康への再三の詫び、伊勢方面への参戦無視、伊藤追い出しての松尾山城占拠
これらから家康の美濃到着を見計らっての松尾山占拠って感じだとは思う

67 :人間七七四年:2008/09/28(日) 20:47:07 ID:4cEo1YcN
>>66
直前に関白にするといわれ、一時心が揺らいで日和見していた可能性はあるかと

68 :人間七七四年:2008/09/28(日) 20:52:37 ID:2PCb0JDX
まあ、その話自体俗説だと思うけど、仮に本当でも、三成や輝元に関白の位を提示されて、それが意味が
あるのかって問題があるし、それを理解できないほど秀秋が馬鹿だったとも思えない。

69 :人間七七四年:2008/09/28(日) 21:00:23 ID:pBfJFIvr
>>67-68
関白とかの連判状は卜斎記にもあるが、形式的胡散臭い書状ではあるね
でも記載があるってのは似たような条件での書状があったのではないかとは思う

ただ>>68氏も書いてるけど、奉行による連判状で同じ豊臣連枝であり、秀吉の養子であった秀家は(もちろん輝元も)署名してないんだよね
ここら辺から秀秋が真に受けなかったと考えてもいいかと

70 :人間七七四年:2008/09/28(日) 21:24:04 ID:4cEo1YcN
どうだろう、家康につけば二ヶ国なれど外様
一方、関白になれなくても豊臣の一族としてかつての秀長の立場に
なれる可能性があるならと、諮詢したかも

また、西軍勝利なら今後の最大派閥となる毛利家の一族として
双方に顔が利くとなれば、関白に実際なれるかもという想像は
しばし彼を躊躇わせたかもしれない

71 :人間七七四年:2008/09/28(日) 21:30:46 ID:2PCb0JDX
>>70
だから、三成なり毛利なりがこの話を出すのは、筋が違うんだって。
秀頼直々、もしくは朝廷直々の書状があった上での話ならともかく、
これ自体は相当変な話なんだよ。

72 :人間七七四年:2008/09/28(日) 21:44:59 ID:4cEo1YcN
>>71
勝てば次期政権の重責を担う者たちが後援するという事でしょう
丁度いいんじゃない、豊臣としても毛利としても
関白になれなくても政権内における相応の地位を保証すると
言ってるようなもんだし

73 :人間七七四年:2008/09/28(日) 21:45:06 ID:3ETdr1Cn
東軍に味方しようと思ってたけど、いざ合戦が始まってみると、福島隊が壊走したり
して西軍が結構がんばってたんで結局日和った

ってことだろ

74 :人間七七四年:2008/09/28(日) 21:47:57 ID:3ETdr1Cn
>>71
関白になれるように五大老と五奉行が後押しするって程度で十分じゃね
それぞれ筆頭格の家康と長政が東軍だけど。

75 :人間七七四年:2008/09/28(日) 21:50:01 ID:2PCb0JDX
>>72
最初っから反乱計画の中枢に参画させていればね。

後から味方に加わってもらいました。指導部中枢に加わってもらう記は一切ありません。
秀秋にはこう言う態度でいるんだから、西軍。
こんな状態で「関白になってもらいます」なんて言ってもそれは、「キミは実権の一切ない関白として
我々のお飾りとして存在してもらいます」と言っているのと同じ。しかも実際に関白になれる裏づけは一切ない。

もし本当にこんな話があったのなら逆に、三成は恐ろしく馬鹿だと言わざるを得ないよ。

76 :人間七七四年:2008/09/28(日) 22:04:56 ID:4cEo1YcN
>>75
だからこその恩の売り時ともいえる
今まで邪険にしていたものに勝利の要を握られたら、もう頭は上がらない
意向を無視しようなら、「最大の功労者を無碍にする連中」ということで求心力の
低下は避けられない

外様ならどうにかなるかも知れんが、豊臣一族衆で小早川家、そして功労者と
くれば傀儡にするにはでかすぎる地位だな

77 :人間七七四年:2008/09/28(日) 22:09:17 ID:2PCb0JDX
>>76
売るも何も、相手が見せ金しかもってないんだから売りようが無いよ。

78 :人間七七四年:2008/09/28(日) 22:18:17 ID:4cEo1YcN
>>77
なら武功と名声で無理やり取り立てるのみ、長久手後の家康みたいに
そこら辺に自信がなかったから蹴ったんでしょうが

79 :人間七七四年:2008/09/28(日) 22:20:39 ID:3ETdr1Cn
秀秋は別に戦下手でもないんだが

80 :人間七七四年:2008/09/28(日) 22:25:13 ID:2PCb0JDX
>>78
そりゃ既に主客が転倒してるよw

81 :人間七七四年:2008/09/28(日) 22:41:31 ID:3ETdr1Cn
関ヶ原勝利のキーマン
秀吉の血統
名家小早川家当主
石高(ちょっと中途半端だけど)

んで関ヶ原時の約束手形
例え空手形だったとしてもなんだかんだで関白就任は現実味ありそうだけど。

82 :人間七七四年:2008/09/28(日) 23:02:17 ID:p1ZY+zHY
>>61
何か、大きな勘違いをしていないか?
攻撃が正午近くになったのは何故か?の理由のひとつとして、最初から東軍と
して戦う気だったが、降り口の事情から遅くなったでは?って話だよ。
「道があるから当初から西軍を攻撃する意図があった」なんて誰も言ってない
っしょ。
何時攻撃をしかけようと思ったかと、どうして正午になったかでしょ。

まさかここに来ている人で、講談のように山から雪崩の様に討って出たなんて
思う人はいないよね。
一応城なんだし、雪崩がうてる城ってどうなの?(笑)
そう考えると、鉄砲を撃ち込まれて即攻めたって言うのは時間的にもちょっと
変じゃないかと思う。

で、松尾山の地図をよく見ると、関ヶ原に降りる道もあるように見える。
が、そこを降りると地理的に東軍の真横辺りに降りるみたいなので、使えな
かったんじゃないかとも考えられる。
関ヶ原に降りて形部軍に向かう方がよっぽど迂回だしね。襲ってきたと疑われ
る可能性あるし。
よくわからない部分が多いけど、刑部の軍を攻めたって事は事実。

あと個人的な推測なんだけど、全軍が下って形部の軍を攻めたのでは無いと思
う。
なので、家康からはのほほんと日和見しているように見えたのかもしれない。

>>75
家康と親密だったらしいから、外されたのかもね。
つか、今思ったんだけど、秀秋の行動って裏切りって言うのかな?
どうも西軍というか三成は信用している節が見えないのだけど。

83 :人間七七四年:2008/09/28(日) 23:05:16 ID:2PCb0JDX
>>82
そもそも秀秋の「押さえ」に、大谷の部隊置いている時点で、ねえw

84 :人間七七四年:2008/09/28(日) 23:16:10 ID:RJIK5k/f
>>60
実況はこちら
NHKラジオ(AM第1・第2・FM)合同スレッド570
http://live24.2ch.net/test/read.cgi/liveradio/1222459799/l50


85 :人間七七四年:2008/09/28(日) 23:18:49 ID:3ETdr1Cn
気持ちは東軍
だけど東軍が負けるような事態になったら伏見攻め参加してる件もあるし西軍に加担しよう
って感じだろ


じゃなきゃあのタイミングまで攻撃しなかったのが不自然
結局どちらに味方せよ、勝った方に疑念をもたれるわけだし。

東軍参加を決心してたなら藤堂隊と一緒に大谷勢に打ちかかればいいだけ。
家康の覚えも良くなるだろうし、東軍では家康に次ぐ兵力を率いてるわけだから、
それがそのまま後の発言力にもなるわけで。

多少後々の待遇が悪くなっても勝ち馬に乗ると日和ったからこそあのタイミングじゃね?

毛利以下南宮山の諸将も島津も動かず、当初優勢だった西軍も実際に戦闘してる兵数自体少なかったから
勢いをなくして均衡状態っていう自身の兵力の損失を最大限抑えて勝ち馬に乗れた上で、
勝利を導く絶好のターニングポイント。

86 :人間七七四年:2008/09/28(日) 23:21:24 ID:2PCb0JDX
>>85
だから、攻撃にいたるまでの「大軍の移動」って言うものを、頭に入れようよ。

87 :人間七七四年:2008/09/28(日) 23:32:37 ID:pBfJFIvr
>>82
降り口の事情とは?
大谷の陣所は松尾山城と連動して構築されており、全軍が全て頂上にいたのではないよ
その辺を考慮しろって言ってるんだよ

>松尾山の地図をよく見ると、関ヶ原に降りる道もあるように見える。
>が、そこを降りると地理的に東軍の真横辺りに降りるみたいなので、使えな
>かったんじゃないかとも考えられる。
あのさ、松尾山城の概要図を見てね、関ヶ原方面に“しか”ない訳ではないでしょ?

大谷が関ヶ原に着陣したのは9月3〜4日、その頃は松尾山城には伊藤盛正が入ってて、
ここは輝元が出陣してきた際に入れる予定だったんだよ、それを14日に突然秀秋が占拠した為、
三成らが大垣から慌てて退去した


>「道があるから当初から西軍を攻撃する意図があった」なんて誰も言ってないっしょ。
>>59氏の
>大谷側の道があるのは間違いなさそうだから、当初から西軍を攻撃する意図があったと思われる
に対してなんだが

88 :人間七七四年:2008/09/28(日) 23:37:54 ID:EcfPsLzc
開戦から東軍参加決めてて、準備してたら正午とか言うつもり?

正午に毛利が下山を決めたら夕方になるのかよ

家康が桃配山から陣場野まで移動したりしたのも開戦前から準備してたのか?

その時の戦局に応じてうごくもんだろ。


西軍の各大名は標高に差はあれど、丘陵地帯に陣取ってるし、なんで秀秋の時だけ下山に何時間桃かかるような言い方するの?

それに一旦大谷におしかえされたのは、本体がまだ下山中で、山麓の部隊だけだったからかもしれないが、

そもそもあの位置に陣取って戦局を計って臨戦態勢を取らない程戦を知らないわけでもないだろ

89 :人間七七四年:2008/09/29(月) 12:45:04 ID:+YAFs3o9
>>82
個人的な見解になっちゃうけど、形部の軍は9月2日頃に着陣したらしいから
秀秋の押さえで布陣したってのは、後で作られたものだと思う。
でも、秀秋が松尾山に入ったのを知って、本陣を奥に置いたりと、陣形は変え
たんじゃないかとは思う。
まあ、どっちにしても押さえとするなら、乏しいよね。

>>87
>大谷の陣所は松尾山城と連動して構築されており〜
それを考慮して言っているのだけど・・・。大軍だと言うことを忘れていないか?
当時無線が有るわけでもないし、山の上で大将が合戦時に決めた事なのに、早々動ける
ものではないっしょ。
事前に侍大将辺りに下知があったのなら別だけどね。

>あのさ、松尾山城の概要図を見てね、関ヶ原方面に“しか”ない訳ではないでしょ?
うん。
誰と間違えているかわからないけど、俺は最初からそう言ってるよ。
>58ね。
ただ、関ヶ原の方に出られる降り口があったとしても使えなかったんじゃないか
って言う話。

>大谷が関ヶ原に着陣したのは9月3〜4日、その頃は松尾山城には〜
それは関ヶ原語る上での初歩じゃないか?
秀秋が突如占拠したから慌てて大挙したってのはどうかと思うけど。
それよりも東軍の行軍状況の方が大きいかと。
どうも防衛ラインとして考えていたようだし。

>59氏の〜
あー、なるほど。
俺に関する意見かと思って勘違いした。失礼。

ところで、俺の意見の
>そう考えると、鉄砲を撃ち込まれて即攻めたって言うのは時間的に〜
はどう思う?
鉄砲の話が事実だとして、正午過ぎに裏切りが発覚している事から、午前10
時頃に鉄砲を撃ったのではないかと思う。
もしくは、合戦時に裏切り(かどうか個人的には判断つかないけど)を決意した
のはそのくらいの時間だったのではないかと。
それなら、時間的に合うし、三成軍は午前10時頃には瓦解し始めていたって
言う島津に残る記録とも一致する。

個人的に、とばっかり言ってて申し訳ないが、合戦時早々に裏切りを決めたか、も
しくは午前10時頃に裏切りを決めたかではないかと思ってる。
昼に鉄砲討たれて、すぐに討ってでたってのは時間的にちょっと現実離れしている
のではないかと。
そうなると、何かしらの時間差ができる事情があった訳で、その理由が何であるか
が知りたいところなんだよね〜。

>>88
実際に下りてもいない毛利軍を例に出してもしょうがないんじゃないか?
しかも、毛利の軍の降り口は位置的に街道の方面しかなさそうだし(笑)
山と城を一緒にしちゃいかんでしょ。

>その時の戦局に応じてうごくもんだろ。
うん。
だからと言って、移動時間がとまるわけでもない。
秀秋が裏切りを決めた時から、形部に襲いかかる時差がどのくらいあったかを
言ってる訳で・・。

長文失礼。

90 :人間七七四年:2008/09/29(月) 18:25:04 ID:QwSyz+4b
>>89
>>82に対してレスした内容に返答してるのに、その>>82にレスしたりして、こちらは困惑するんだが・・・

>それを考慮して言っているのだけど・・・。大軍だと言うことを忘れていないか?
8000ぐらいの大軍です
でも動けと言われ、全軍が一斉にドタバタ動くんじゃないんだよ?
先鋒の軍勢が動いて、その後に状況見ながら続くのであって、その伝令も母衣衆が担ってたりしてる
それ以上に命令してから1時間も動くのに費やしたなんて、当時の軍制や伝令のシステムを馬鹿にしてる

>ただ、関ヶ原の方に出られる降り口があったとしても使えなかったんじゃないか
使えなかったのと使わなかったのとでは雲泥の差があると思う

>秀秋が突如占拠したから慌てて大挙したってのはどうかと思うけど。
卜斎記でも秀秋謀反の風聞で大垣退去したと書いてあるし、12日付の三成書状や関ヶ原の遺構調査から考えても、
三成は関ヶ原で戦う準備していなかったのは明白で、なのに14日に突如移動した事から、間違いないと思うが?

>それよりも東軍の行軍状況の方が大きいかと。 どうも防衛ラインとして考えていたようだし。
kwskお願いします

>それなら、時間的に合うし、三成軍は午前10時頃には瓦解し始めていたって言う島津に残る記録とも一致する。
三成の軍勢の瓦解と秀秋の西軍突入とは別問題と考えては?
君の「時間的に」と言う考えの方が現実離れしていると思う、多少の時間差はあろうけどね

あ、それと毛利のいた南宮山も立派な陣城だよ

91 :人間七七四年:2008/09/29(月) 19:14:09 ID:pZ5WOxEq
鉄砲なんか後の創作だろ

10時頃とか完全に脳味噌沸いてるな

92 :人間七七四年:2008/09/29(月) 21:00:22 ID:1oB8A1JT
>>91
天元実記の信頼性はどの位?

93 :人間七七四年:2008/09/29(月) 22:30:20 ID:pZ5WOxEq
二次資料だけど、殊徳川家礼賛の勝者の記録だし

関ヶ原の勝利のきっかけを家康にしたいだけ。

NHKで実際に試してみたけど無理だっつー結果も出てるし
支持してる学者は皆無

94 :人間七七四年:2008/09/29(月) 23:25:38 ID:1oB8A1JT
>天元実記には「世の人は石田治部少輔三成のことを、あたかも武道不得手のように評判していたが、事実は異なる。
>三成は士を愛し、武道名誉の者といえば、何をおいても召抱えた為に関ヶ原における石田家の士の働き、死に様は尋常ではなかった。」

>江戸時代初期に書かれた天正・元和年間の記録を集めた書物『天元実記』の関ヶ原合戦の描写を要約したものです

一概に礼賛とは言えんなぁ

95 :人間七七四年:2008/09/30(火) 08:13:48 ID:9Ty0CyUD
極僅かな一文をもって徳川史観で無いとか言い張るとかキチガイだろ

96 :人間七七四年:2008/09/30(火) 13:28:16 ID:2Dr2KcqJ
>>95
逆もまた然りですよ

97 :人間七七四年:2008/09/30(火) 16:11:37 ID:9Ty0CyUD
勝者の編纂した史料には勝者に都合の悪い事でも
全て第三者の立場からみた偏りの無い事実しか書かれて無いとでも言うのかよ

98 :人間七七四年:2008/09/30(火) 16:34:51 ID:bZ+y/5dT
>>97

君が自分の意見以外に対して偏見を持ってるのは解かった

99 :人間七七四年:2008/09/30(火) 23:51:40 ID:9Ty0CyUD
言い返せ無いとそれか

勝者の編纂した資料を鵜呑みにするような人には史学は無理だよ

漫画でもよんでなさい

100 :人間七七四年:2008/10/01(水) 00:05:12 ID:2Dr2KcqJ
> 勝者の編纂した資料を鵜呑みにするような人には史学は無理だよ

また鈴木あたりを鵜呑みにした馬鹿か…

101 :人間七七四年:2008/10/01(水) 00:33:34 ID:zGTaTtnL
「勝者の編纂した資料」という時点で鈴木臭がぷんぷんするものなぁ

102 :人間七七四年:2008/10/01(水) 00:49:43 ID:3Kqw5GDY
鈴木はこう言う、思考停止した歴史通気取りをザクザク生み出した、って意味では、確かに近年まれに見る
影響力を持った研究者(?)なのだろうなw

103 :人間七七四年:2008/10/01(水) 01:42:16 ID:V5J5Vagn
史料批判と史料否定を混同してるよね>鈴木氏
鈴木氏は自身の都合のいい史料や使用する記述をどういう基準で選んでるんだろうかね

104 :人間七七四年:2008/10/01(水) 16:37:27 ID:pp//C3vL
>>90
申し訳ない、>83へのレスだった。

>でも動けと言われ、全軍が一斉にドタバタ動くんじゃないんだよ?
その通り。
ただ、そもそも野戦の陣形をして山城に籠もっていたのか?
それはいくらなんでもおかしいでしょ。
結果として1日で終わったけど、1日で終わると想定していたのかってのもある。
まあ、実際に秀秋の軍勢がどういった状況だったかだとは思うが、最初から討って
出るつもりだったかだよね。

>使えなかったのと使わなかったのとでは雲泥の差があると思う
これもその通り。
なんか話が合っていないようなのでこの話はやめよう。

>卜斎記でも秀秋謀反の風聞で大垣退去したと書いてあるし、12日付の三成書状や〜
その関ヶ原を想定し協力を依頼した三成書状の写しが発見されたらしい。
写しなので信憑性に疑問があるにはあるけど、島左近の記憶にも関ヶ原を想定し
た9月10日付けの書状があるらしい。
これは実際のを見ていないので何ともいえないが、関ヶ原を想定してたんだ!って
勝者が後付をする必要があるとも思えないので、それなりの信憑性はあると思
う。
あと、9月2日から形部や裏切り4部隊も布陣しているし、布陣先も良い場所だし、
「想定していないのは明白」ってのは疑問。
ちなみに、別に秀秋の行動は全く関係なかったとは言ってないよ。
それよりも東軍の行動の方が主な要因ではなかったかと言っているだけ。

>三成の軍勢の瓦解と秀秋の西軍突入とは別問題と考えては?
なるほど、そう言う考えもあるね。
確かに、最初から西軍を攻撃するつもりなら、西軍の情勢がどうだったかなんて
関係ないよなぁ。

>君の「時間的に」と言う考えの方が現実離れしていると思う、多少の時間差は〜
この間から思うのだけど、否定ばかりで、自分の意見を言っていないよね?
人の持論を現実離れとか言う前に、持論を展開してみては?
何故現実離れをしているかの理由も書いてないし、是非持論を拝見したい。

>>91
人の話をよく聞かない人間だと言うことがわかった(笑)
鉄砲の話が事実なら、と書いたでしょ。
正直自分もあり得ない話だと思ってる。

ところで、またふと思った事があるのだけど。
松尾山に通説通り輝元か秀頼が入る予定だったのなら、何故毛利軍はその近辺
に布陣しなかったんだろう。

あと、秀秋は裏切り者とされてるけど、本当にそうだったのだろうか。
元々東軍のつもりで松尾山に入ったような気がする。
なので、裏切るとしたら東軍を裏切るのであって、西軍ではないと思うのだけど
どうかな?

またまた長文失礼。

105 :人間七七四年:2008/10/01(水) 18:16:11 ID:V5J5Vagn
>>104
>ただ、そもそも野戦の陣形をして山城に籠もっていたのか?
>それはいくらなんでもおかしいでしょ。
野戦の陣形とは?篭ってたとは?これこそ意味不可解

最初から打って出る気だったかは、自分は疑問
毛利と同じく参加せずに傍観する気だったのではとは思うが、西軍として合戦に参加する気はさらさらなかったのは言える

>なんか話が合っていないようなのでこの話はやめよう。
うん、自分も君が何が言いたいのか、理解出来ないしね

>島左近の記憶にも関ヶ原を想定した9月10日付けの書状があるらしい。
えっと島左近の書状と認められるのは数少ないが、写しがある史料名と内容は?
内容知らないので断言はしないが、9月10日の時点で三成らは家康は関東にいると思っていたし、
7日に毛利勢が南宮山に布陣して、大垣周辺にいた東軍を逆包囲する形になっていたのに、
その形を捨てて関ヶ原で戦う想定したなんてのは、12日の三成書状からも相反し、かなり内容に疑問なんだが・・・

まぁとりあえず史料名と内容お願いします

>あと、9月2日から形部や裏切り4部隊も布陣しているし、布陣先も良い場所だし、
>「想定していないのは明白」ってのは疑問。
松尾山城は街道を押さえる上で重要な場所で、大谷らの総兵力的にも戦場と見てないのは明白だけど?

>それよりも東軍の行動の方が主な要因ではなかったかと言っているだけ。
だから防衛ラインと言うのも含めて、詳しくお願いしますと書いてるんだけど・・・

>この間から思うのだけど、否定ばかりで、自分の意見を言っていないよね?
意見も何も普通だよ、動き出して1時間もかからない、普通の話
否定ばかりと言うが、肯定する根拠提示もなく、ただの憶測で語ってるから否定するんだけど?
この当時、合戦時に軍を動かすのに城から連動する陣所に攻撃するのに1時間以上もかかりましたなんて、
それこそどんな布陣して松尾山城から山中までどんな行程だったのかを実際に立証しないと話にならんよ?

秀秋が指示し、先鋒の松野重元が造反し離脱(この時、目付の奥平貞治に軍勢預けたってのはどう考えても嘘、
奥平貞治が秀秋の陣に居た事すら】疑わしい)し、混乱はあっただろうが、稲葉正成・杉原重治・平岡頼勝・岩見兼相と指揮官はいる
特に杉原と岩見は同じ前線指揮官

>松尾山に通説通り輝元か秀頼が入る予定だったのなら、何故毛利軍はその近辺
>に布陣しなかったんだろう。
?主戦場が大垣なので当たり前では?大垣のあの状況を放置して松尾山城に陣を張る方がおかしい
これは毛利が家康と内通してるしてないに関わらずね、戦況が全くわからない位置に行く訳がない

106 :人間七七四年:2008/10/01(水) 23:09:52 ID:Q1IF5Bvo
513 [名無し]さん(bin+cue).rar sage 2008/09/28(日) 13:01:39 ID:FmXb7c4k0
http://www.nhk.or.jp/archives/radiodrama/
ラジオドラマ・アーカイブス チャンネル :ラジオ第1
放送日 :2008年 9月28日(日)
放送時間 :午後11:15〜翌日午前0:05(50分)

第6回 2008年9月28日
架空実況放送・関ケ原の戦い1957年23:15〜

作/西澤實、演出/中川忠彦
実況アナウンサー/北出清五郎、福島幸雄、中神定衛
戦況解説/村上元三、出演/山岡荘八、尾崎士郎

532 [名無し]さん(bin+cue).rar sage 2008/09/30(火) 00:04:36 ID:sJomqwTN0
>>513の架空実況放送のうpお願いします!

535 [名無し]さん(bin+cue).rar sage 二号 西暦 2008/09/30(火) 10:12:22 ID:KLIHxYD4O
>>532



107 :人間七七四年:2008/10/14(火) 18:37:06 ID:j7yseLcG
おまえら・・・俺の長政の陰での活躍を忘れるなよ(´・ω・`)

108 :人間七七四年:2008/10/14(火) 18:58:27 ID:dQ1+TNyN
藤堂の虎さん?

109 :人間七七四年:2008/10/14(火) 23:54:42 ID:abP6dQ//
早々に壊滅した福島隊は?

110 :人間七七四年:2008/10/15(水) 20:59:33 ID:vY6bKSqQ
壊滅してない

111 :人間七七四年:2008/10/16(木) 00:50:28 ID:Gjs070Of
まあどう考えても家康がイライラして鉄砲を撃ちかけたので
決心したと言うのは創作としか思えないな
山の高所まで届くような銃なんぞ存在しないのに

112 :人間七七四年:2008/10/16(木) 01:08:44 ID:20+IlPwI
福島隊は壊滅寸前までは行った


西軍崩壊時には立て直して追撃してるし。

113 :人間七七四年:2008/10/16(木) 02:49:38 ID:vpBZVlng
関ヶ原の合戦殊勲第一の山内一豊!

114 :人間七七四年:2008/10/17(金) 18:22:44 ID:22VfbHxn
>>111
そそ。一度、関ヶ原に行って松尾山に登ったことがあるんだが、
鉄砲の玉どころか、音さえ届くのか怪しい。

大筒ならともかく、鉄砲ぐらいではビクともせんよ、松尾山は。

115 :人間七七四年:2008/10/17(金) 18:24:39 ID:nTNjyVAR
昨今は関ヶ原の決戦に関しては、最初っから東軍だったと言う説のほうが主流だね>小早川

116 :人間七七四年:2008/10/17(金) 19:38:27 ID:LLu8g4XJ
>>114
おまけに戦闘たけなわなので太鼓、ほら貝、叫び声、鉄砲の音、馬の嘶きなどで
騒々しいだろうから
小早川を狙って撃っても気がつきもしないだろうね

117 :人間七七四年:2008/10/18(土) 13:43:49 ID:5iQiEIjy
>>115
主流?お前は真性の馬鹿なのか?

118 :人間七七四年:2008/10/18(土) 15:26:49 ID:7zDbD7Gc
主流というか、鉄砲をきっかけにして寝返ったなんて説を主張してる歴史学者は皆無

119 :人間七七四年:2008/10/18(土) 19:21:19 ID:SDLxASYA
>>116
方向が違うんでしょ
>>118
鉄砲が全ての切っ掛けという人は少ないが、存在しないというのは公論ではない

120 :人間七七四年:2008/10/18(土) 23:35:06 ID:7zDbD7Gc
問鉄砲があったなんて主張してる学者はほぼ皆無ですが

121 :人間七七四年:2008/10/19(日) 00:18:24 ID:H+DM0tif
>>119
方向違っても届きもしないんだから気がつかない

122 :人間七七四年:2008/10/19(日) 00:20:03 ID:YUWa5eaJ
秀吉が義昭に養子縁組を断られて仕方なく将軍をあきらめて関白になった

なんて話は存在しない

123 :人間七七四年:2008/10/19(日) 00:21:50 ID:14eHSeUh
>>122
話は存在する。

事実かどうかは別。

124 :人間七七四年:2008/10/19(日) 10:43:12 ID:IyTwufQN
>>120
唱えてないだけで、積極的な否定を何人かしているだけ
興味がないんでしょうな
>>121
音が聞こえるか煙が見えれば意思は伝わる、いわば狼煙替わり

125 :人間七七四年:2008/10/19(日) 11:29:44 ID:14eHSeUh
>>124
> 音が聞こえるか煙が見えれば意思は伝わる、いわば狼煙替わり

それなら普通狼煙を上げます。鉄砲を撃つ意味が無い。

126 :人間七七四年:2008/10/19(日) 11:58:04 ID:IyTwufQN
>>125
事前にそういう取り決めがなければ意味なし
中継ぎをした黒田長政がそういう取り決めしても可笑しくないが、
こちらの狼煙は開戦の合図として既に用いられている

それに銃撃ならより積極的、もしくは攻撃的な恫喝の意が加わるでしょう

127 :人間七七四年:2008/10/19(日) 12:06:37 ID:14eHSeUh
取り決めも無しに寝返りの約束するかよ…

128 :人間七七四年:2008/10/19(日) 12:21:53 ID:IyTwufQN
>>127
取り決めたのは、東軍に加わること
つまり、東軍から見れば端から東軍(無論、戴して期待はしていない)
西軍からみればかなり怪しいが無論、内通しているという事実は知らないから、
まだ西軍であったらいいなという受け取り方

で、関白にするという話で心揺らいだのか、はたまた恩の売り時を見極めていた
のか知らんが、しばらく様子見
で、家康が鉄砲撃って驚いたのか、家康の焦りを見越してここが恩の売り時と認識
したのか知らんが、攻撃開始という流れ

129 :人間七七四年:2008/10/19(日) 12:33:01 ID:CiHOEOel
鉄砲音とか紛らわしすぎるでしょ。
家康本陣から撃ったところで、西軍の鉄砲音に紛れて判別つかなくなる。
かといって小早川の陣の近くまで、敵の妨害を受けずに鉄砲隊を進めることは出来ない。

あと、お互いなんでそんなに問鉄砲の意図を誤解なく伝え、受け止められているのか。
交戦中に鉄砲なんて撃たれたら、単純に攻められたと思ってもなんら不思議は無い。

130 :人間七七四年:2008/10/19(日) 13:01:43 ID:DUtJpPg8
>>129
ここか別所で既出だが、鉄砲隊は友軍後方を移動したと考えるのが常識で、主戦場からはそれなりに離れていたと考えるべき
また、主戦場では既に時間的に白兵戦に推移していたであろうから、鉄砲音はかなり下火になっていたでしょう
そして、鉄砲隊単独なら誤解も受けにくいでしょう

131 :人間七七四年:2008/10/19(日) 16:09:49 ID:YUWa5eaJ
問鉄砲が否定される理由として

距離
そして移動時間


脳内設定語っても恥ずかしいだけですよ

132 :人間七七四年:2008/10/19(日) 17:48:14 ID:U+w3wTjA
>>130
別に白兵戦が始まったからって、鉄砲隊の仕事がなくなるわけじゃないんだが。
場所を変えて撃つなり、下がる味方を援護するなりで鉄砲は使われる。
それに白兵戦なら今度は人間の声でかなりうるさくなるだろうしな。

鉄砲隊単独なら誤解を受けにくいのも理解できないが、それ以前に小早川隊はかなり後ろの方にいるから、
そんなところまで行く前に確実に手前の部隊にぶつかるのだが。

133 :人間七七四年:2008/10/19(日) 17:53:57 ID:14eHSeUh
理解したくない人間に理解したくない事を理解させるのは大変難しい。

134 :人間七七四年:2008/10/19(日) 17:55:57 ID:15geGpKM
京極高次って運が良いね。最初、西軍に味方しようとしたが突如東軍に味方して

挙句、立花宗茂達の軍勢に大津城を開城させられ、高野山に上ったけど、、、、、

嫁さんが、淀君の妹の常高院だったから特別許され、大名に復帰。明治まで至る。

代々、豊臣家の一門衆として重きをなしたね。この家柄って鎌倉時代から粘るねww

135 :人間七七四年:2008/10/19(日) 20:44:33 ID:15geGpKM
誤爆です。さーせん。

136 :人間七七四年:2008/10/20(月) 03:23:18 ID:DHVJC/qV
>>126
松尾山の小早川陣地から家康隊辺りを見ても(もっと松尾山よりでも同じ)
人間なんて小さすぎてほとんど見えないくらいだったよ
そんな状況で恫喝として鉄砲を撃っても判るとは思えなかった

137 :人間七七四年:2008/10/20(月) 06:47:57 ID:/uepCvbo
>>136
何の議論をしているのか知らんが、麓に布陣している者が「内府の手の者が
鉄砲を打ち掛けてきた」と注進すれば用は足りると思う。

138 :人間七七四年:2008/10/20(月) 08:48:48 ID:atgcrood
>>137
家康がわざわざ松尾山の麓近くまで鉄砲隊出して撃ち掛けて、それを麓から
せっせと松尾山城の本陣まで上がっていって報告して、そっから軍編成→移動して西軍に打ちかかる?

戦終わりますがな。

139 :人間七七四年:2008/10/20(月) 22:46:48 ID:7vNvmDge
小早川は西軍と言ってる学者はいるの?

140 :人間七七四年:2008/10/21(火) 02:02:41 ID:YEkwrdKw
>>137
したら
「それは間違いであろう」といわれておしまいだがね

141 :人間七七四年:2008/10/21(火) 07:30:32 ID:99dfqAYu
>>140
どうかな
当時はそのあたり敏感なはず

142 :人間七七四年:2008/10/21(火) 08:43:06 ID:yOXQRXAw
だからさ、山麓まで移動した場合時間の問題があるんだって。

正午に家康が鉄砲隊に発砲を命じてから
松尾山山麓まで移動してから撃った場合
午後一時には大谷隊が壊滅してんだから
明らかに矛盾するだろ。

当時戦場に居なかった連中の徳川マンセー妄想の結果だよ。

143 :人間七七四年:2008/10/21(火) 09:24:36 ID:VRa4pw0W
徳川マンセーの妄想なのか、豊臣(石田)びいきの言い訳のネタなのかは微妙だけどね。

まあ正直なところ、どっちにも都合がいいからこの逸話が残ったんだと思うけど。

144 :人間七七四年:2008/10/21(火) 10:20:17 ID:JRrT1dov
だろうな。
「神君様のすばらしい機転」として家康を持ち上げることが出来る一方で、
「これさえなければ、あるいは三成は・・・」というなぐさめにもなる。

あとは、金吾が交戦開始前から裏切っていた、とするよりもぎりぎりまで迷ったとした方が物語的に面白いからかと。

145 :人間七七四年:2008/10/22(水) 00:18:19 ID:0cFIx3af
当初からある程度西軍大谷陣地を攻撃できるように人員を配置していないと
1万からの人数を一気に西軍に懸かることは出来ないだろうね

146 :人間七七四年:2008/10/22(水) 02:20:02 ID:oCYg0y9A
>>139
まともな学者はみんな「西軍→東軍」としている。
というか、関ヶ原合戦自体を研究してるような人自体が
すくない。学者だと笠谷和比古くらいしか思いつかん
その前後の体制などはかなり多くの人がやってて
すぐれた業績を挙げてるが。

147 :人間七七四年:2008/10/22(水) 07:30:53 ID:Bv9qwmOS
>>146
西軍から東軍は全員同意だが、いつの段階から東軍という認識なのか?
当日の昼からなら、逆に小早川西軍説に近い

148 :人間七七四年:2008/10/22(水) 11:47:17 ID:GR1k/A1V
やる夫家康で配置図を見て不思議に思ったんだが、主戦場の包囲は小早川の裏切りで対処するとして、
なんで東軍は南宮山の毛利秀元15000をそのままにして関が原まで進軍しちゃったの?

149 :人間七七四年:2008/10/22(水) 12:20:37 ID:zbRc8X49
>>148
毛利も裏切る予定だから。そーじゃなくても、夜間進軍でかつ雨降っているので毛利も東軍も手の打ちようが無い。
(福島と宇喜田が殴りあいしているだろうとか言ってる人もいたが、戦果を求めて出陣するのと遭遇戦を一緒にはできない)

とはいえ、不確定要因が大きい状態で不利な状態で殴り合いするのもおかしな事だし、
西軍も小早川が危ういと知っておきながらあんな陣形組んだのもおかしい。

小早川の裏切りは良いタイミングとしか言い様がない。
東軍ちょっとヤバスな状態での裏切りだからね。
実際、一時間位後で西軍がまだ健在なら西軍に付いた可能性が無きにしもあらず。

正直カオスとしか言い様がない。実は家康の一番のばくちであった可能性も・・・。

150 :人間七七四年:2008/10/22(水) 13:55:13 ID:2+5A9/D8
南宮山もはなっからやる気が見えないのは確かだしねえ。

151 :人間七七四年:2008/10/22(水) 14:57:29 ID:0cFIx3af
>>149
夜間行軍自体事実かどうか判らないんだけどね

西軍にとって小早川が松尾山に陣取ったのは想定外の出来事だったんじゃない
数が多いから前からいたのを押しのけて好きなところに陣張れるからね


152 :人間七七四年:2008/10/22(水) 15:23:35 ID:iNau9XRI
そういや南宮山の軍勢の想定進撃路ってどうなってるか判る?
秀元の軍は大垣城方向にのみ行けて伊勢街道にいけない隘路の中とかなんかね?
物語とかでは広家の軍が邪魔で出るに出れないってなってるけど、あれが当たりなんかな。


153 :人間七七四年:2008/10/22(水) 21:26:20 ID:kAM2agzP
そもそも裏切りの確約がなければ関ヶ原に入ってかないんじゃない?
どっかのドイツ人じゃないけど配置図見る限りじゃ関ヶ原は東軍の死地にしか見えない

154 :人間七七四年:2008/10/22(水) 21:34:42 ID:Ua6OdzcT
だな。もちろん約束どおりに動くとは限らないから、やっぱり最終的には博打の部分もあっただろうけれど。
ここが命の賭けどころだと家康は判断したんだろう。

155 :人間七七四年:2008/10/22(水) 21:54:51 ID:i5HrUKj0
西軍だったといわれる小早川秀秋が開戦当初から東軍だったとすると

秀秋、突如として松尾山を占拠、徳川に寝返り連絡をとる

驚いた大垣にいた西軍主力、街道確保のため転進

関が原に街道確保の陣を布いた上で秀秋に翻意をうながす

秀秋これを拒絶、西軍が陣を布いたことを家康に連絡

家康、千載一遇の好機と見て追撃開始、南宮山には娘婿池田輝政を残すも事実上無視

開戦、秀秋が最初から東軍のため戦力差は東軍有利のうえ大谷の与力の四将の裏切りもあり東軍勝利

時系列がおかしいかもしれんが大体こんなもんか。
秀秋が家康を関が原に誘い込むための餌だったり南宮山しだいじゃどう転ぶか判らんから、
家康にとっても関が原への行軍はやっぱりギャンブルだな。

156 :人間七七四年:2008/10/23(木) 00:07:32 ID:WKD7L1KT
広家が陣を敷いていたとしても
秀元に参加する気が大ありなら降りれると思う

関ヶ原に着いた小早川が当初から東軍色を出していたから
東軍有利と見て毛利勢は動けなかったと見るのが普通かもしれない

157 :人間七七四年:2008/10/23(木) 04:04:37 ID:9LiFZAtb
ただ関ヶ原の後、東軍の諸将はあのタイミングで参戦した
秀秋を白い目で見ていたっていわれているから
東軍からしても、開戦時点では東軍に着いてくれるっていう確証はなかったんだろうと思うけどね。

あと、なかなか参戦しない秀秋に業を煮やした家康が石田隊と交戦中の黒田に
ちゃんとあいつは裏切るんだろうな、って伝令を飛ばしたら
戦はもう始まってるんだ、知るかゴルァ、俺は石田を潰すだけだ
って返した話の出所はどこだっけ?


158 :人間七七四年:2008/10/23(木) 04:54:24 ID:I1J/SqLW
福島と宇喜多の小競り合いすら事実じゃないと言い出すとは、基本的な史料も読んでないのか、凄いな
>>155も家康着陣と秀秋の松尾山占拠どう考えてんだろ?
包囲していた東軍が大垣を出る西軍に気付かず家康に連絡とか、そんなの講談にすら書かれてないのにな

159 :人間七七四年:2008/10/23(木) 07:09:31 ID:9PutwyXz
布陣図については参謀本部に記載されていない、垂井・岡山・大垣の諸隊も考慮するべき

160 :人間七七四年:2008/10/23(木) 12:07:49 ID:w6w3Id4F
>>158
さすがに大垣出たら判るだろうが行き先が判らなきゃ
本格的な追撃は出来ないんじゃね?
罠の危険性があるし家康が着陣して驚いたとはいえ
西軍主力は無傷で大津攻めの軍もあり、大垣決戦を放棄するかどうかは微妙。
少なくとも大垣からの移動というだけでは家康に判断することは不可能。
秀明の寝返りなどの諸々の状況判断を加味した上での博打としての関ヶ原進出だろう。
家康の方には秀忠の遅れというマイナス要因があるにも関わらずだ。

>>155も時系列が云々て書いてるからあやふやにして確定させたつもりはないんだろう。

161 :人間七七四年:2008/10/23(木) 16:02:40 ID:WKD7L1KT
>>157
戦後に秀秋を白い眼で見ていたというのは確かな資料には何も出ていないんだよね
むしろ、家臣二君に仕えずを徹底するために後年捏造されたもののような気がする
伝令も山を登って戻るとか考えたら時間かかりすぎでありえないような

162 :人間七七四年:2008/10/23(木) 18:08:17 ID:kQVpxzr/
小早川の家臣は小早川家が無くなってからは再仕官もできず不遇だったけど
石田三成の家臣はこぞって迎えられたって逸話があるけど

163 :人間七七四年:2008/10/23(木) 18:47:47 ID:I1J/SqLW
>>160
いや福島以下は追撃してるよ、そう書いてあるのだが
つか家康が全権握って訳ではないんだが
それと三成らは大垣放棄してないぞ

家康が関ヶ原への進出が博打というのは間違いないが、丁か半かの博打じゃなく、十分保険かけて勝算の高い博打だったってだけ
>>155は時系列がと書いてるけど、時系列ってのは起きた事象の時間的経緯の並びを言うのであって、
起きた事象自体を言ってるんじゃないよ、書かれてる事は妄想


164 :人間七七四年:2008/10/23(木) 19:23:15 ID:tIxk5uJY
>>163
勝算はあるけど、保険は無いぞ。
あの死地に突っ込む事自体が賭け。

つーか、胡乱第一とかって言われた男信用するもんか?

165 :人間七七四年:2008/10/23(木) 19:33:46 ID:I1J/SqLW
>>164
死地と思ってること自体勘違い、毛利も小早川も味方せずとも参戦はないと踏んでの話
小早川を信用した要因は松尾山占拠だろう、行動で示したからね、あれで三成らは大垣退去せざるを得なかったのだから

それと保険も結構かけてるよ、大垣の周辺にまだ2万近い軍勢残してるし、南宮山のさらに南側にも兵配置してる
退路の確保など結構しっかりやってるよ

166 :人間七七四年:2008/10/23(木) 22:45:42 ID:w6w3Id4F
>>163
関ヶ原の直前のことは解んないことや辻褄の合わないこと、
後から創ったことが多いからな
解んないことはどうしても想像になるんじゃないか

ちなみにどこら辺が妄想?

167 :人間七七四年:2008/10/23(木) 23:43:35 ID:WKD7L1KT
>>162
石田家がなくなった後はまだ戦国期といってもいい混乱があったけど
小早川家の頃は落ち着いてきて要員は飽和状態だったから
中々仕官ができなかったと言うのが真相じゃないの

168 :人間七七四年:2008/10/23(木) 23:52:33 ID:I1J/SqLW
>>166
松尾山占拠後に寝返りの連絡ってのは秀秋を馬鹿にしすぎ
伏見以後に謝罪の使者送り続けてたし、最低でも家康に協力の内諾を得てから松尾山占拠だろ
家康に何も伝えず、いきなり松尾山占拠した後に「裏切ります」と言われて、それこそ信用出来るか否かの話になる
13日の家康着陣以後、家康はかなり活発な交渉活動をしてる、毛利との和睦もその時成立してるので、
この時に秀秋もある程度の交渉を終えてると考えるべき

秀秋が三成らの説得を拒否して家康に連絡し、それを聞いて追撃開始ってのも、
宇喜多勢が大垣包囲の福島勢を強行突破したのを丸っきり無視してるわ、大垣包囲してる東軍が傍観してた事になるわ、
拒否したならそれこそ大谷などの西軍右翼が危険に晒された布陣になってるわで、辻褄合わない事だらけ

関ヶ原関連でわかんない事はあるし、後の創作もあり、辻褄の合わない事も多々ある
けどそれは多数ある後世の講談や軍記の記述を混同するからで、史料精査して整理すればある程度の流れはしっかりつかめるよ


169 :人間七七四年:2008/10/24(金) 00:02:41 ID:K9MfOnns
>>168
あれ?秀秋の使者を家康は拒絶して黒田と交渉したんじゃなかたっけ?
まあ、毛利も黒田だけど。正確には吉川と毛利だけど。

ちなみに、吉川と黒田は仲よくて(九州関係で)、小早川の家老は如水の婿の稲葉正成。


170 :人間七七四年:2008/10/24(金) 00:32:43 ID:oCgWvOeC
>>169
直接交渉は黒田、しかし板部岡江雪斎が家康の命を受けて秀秋説得交渉していたのが秀忠書状に書かれてる

>まあ、毛利も黒田だけど。正確には吉川と毛利だけど。
広家が黒田と交渉したのは毛利家として、輝元承認の上でやってんだよ
黒田が毛利の取次をしていたので、毛利家と関係深かく、その時、吉川家の家督継いだ広家に対して厚遇したのが黒田父子

171 :人間七七四年:2008/10/24(金) 00:46:47 ID:K9MfOnns
>広家が黒田と交渉したのは毛利家として、輝元承認の上でやってんだよ

ケチつけるようで悪いんだけど、徳川との交渉輝元に逐次報告したの?
そのあたりの話以前聞こうと思って聞けなかったっで。

172 :人間七七四年:2008/10/24(金) 00:56:33 ID:oCgWvOeC
>>171
そりゃ広家だけが交渉してんじゃないから報告してる
戦後の広家書状や輝元書状から事前にやりとりしてるのがわかるよ

173 :人間七七四年:2008/10/24(金) 06:18:09 ID:OLWHwnEe
一つ質問があるんだけど
何でわざわざ500しかいない田辺城を攻略する必要があったの?
因幡但馬の諸大名15000が関ヶ原にいればだいぶ違ったと思うんだけど

174 :人間七七四年:2008/10/24(金) 16:41:44 ID:2DVKQXiO
>>173
細かい連絡など出来ないからな
元々は上杉征伐に集まった軍勢がその後の成り行きでたまたま東西になったんで
近くにいた軍勢が自然に集まって東軍色の城を次々落として東上しようとしただけだろ

175 :人間七七四年:2008/10/24(金) 19:08:52 ID:K9MfOnns
>>172
うんその辺りなんだけど、戦後の家康の難癖あったでしょ。広家と交渉をしているが、輝元としていないとか。
その言い訳程度になると思うんだけど、広家とか輝元は書状を使っての申し開きはとかはしていないの?

176 :人間七七四年:2008/10/24(金) 20:23:17 ID:oCgWvOeC
>>175
>広家と交渉をしているが、輝元としていないとか。
そんな難癖つけられたのを聞いた事がないので知らない
自分が知る史料でも見受けられないので詳細説明求む

戦後に輝元は黒田長政・福島正則・本多忠勝・井伊直政と頻繁にやり取りしてて、
輝元は彼らに家康に二心がないという誓書を送ったり、井伊直政と本多忠勝は輝元に誓書を送り、
黒田長政・浅野幸長・藤堂高虎・福島正則・池田輝政の5名の連署で、
井伊らの誓書を保障し家康も輝元に異議がないと書いた書状送ってる

また家康からの口上も福原を通じて伝えられ(と黒田・福島の書状には書いてある)、大坂退去後、
島津征伐を毛利にやらせる旨を井伊・本多らから黒田・福島へ伝えられ(毛利へ伝わったかは謎)たりしてて、
ここまでは関ヶ原前の交渉における毛利に対する処遇は変わらず

一変したのが10月2日の広家宛の長政書状で、理由として輝元の判状が大量に見つかった事、
四国への派兵とが問題視され、黒田と福島が家康を説得したけど、どうしようもなかったと書かれてる

177 :人間七七四年:2008/10/24(金) 22:23:58 ID:5qGJaNqk
10月1日に三成らが処刑だっけ
死人にくちなしもあって輝元を嵌めたか
それともマジで輝元の罪状を軽く見てたが大量の書状などで一変したか

まあ嵌めたんだろうな

178 :人間七七四年:2008/10/24(金) 22:46:47 ID:h6k95Dc3
>>177
毛利の四国侵攻は関ヶ原のあとだよ。そりゃあ問題になるに決まってる。

179 :人間七七四年:2008/10/25(土) 09:19:30 ID:LUZCsbhl
実際のとこは関ヶ原後も毛利みたいな巨大な勢力を取り潰せるほどの権限を家康は有していなかったけど、
三成ら首謀者に仕立てた連中の処刑が終わり(実際に首謀者だったかも知れんけど、その辺りは永遠にわからん)、
豊臣家の全面支持を取り付け、思い切った戦後処理が出来るまでの権力を家康が得たので実行したのかも知れないし、
会津征伐の要因になった上杉への強硬的かつ威圧的な外交政策みたいに、厳しい要求を相手に突きつけ、
毛利の出方を窺う策だったのかも知れない

家康は毛利の勢力を削ぎたいので貶めたいのもあろうし、その名分を探してただろうから、
輝元の判紙や四国派兵はいい理由になっただろうね
んで毛利は(広家含む)その弁明に失敗し、家康の防長二ヶ国への転封に対して、何ら抵抗も出来ず受け入れるしかなかった
最早軍事的抵抗は無理だからね、ブラフでも抵抗見せる素振りだせば、条件はもっと良くなったかもしれないが、
逆に第二の会津征伐に成りかねなく、御家滅亡となる危険性も孕んでたので、受け入れるしかなかったんだろう
島津と違い周囲を敵に囲まれてるから・・・

そう考えると地の利があったとは言え、島津の関ヶ原後の外交姿勢・対応は見事だった

180 :島津の退き口:2008/10/27(月) 10:19:49 ID:9uqUvu41
先日島津維新入道公のお墓参りに行って来ました。
世が世なら会うことする叶わなかったお殿様。

感動しました。

181 :人間七七四年:2008/10/27(月) 14:41:03 ID:LucpQCA+
なんだかんだで島津は本戦に貴重な戦力出さずに
なおかつお家は安泰だし
いい事だらけだな
本戦に大兵力を出していたら戦後は敗残兵で本国も危うかったかも

182 :人間七七四年:2008/10/27(月) 14:45:47 ID:w5dUuz+s
宝暦のお手伝いとか命じられて庶民の暮らしは圧迫されて散々だったけどな

まあそういった恨み辛みが幕末に爆発したんだろうけど

183 :人間七七四年:2008/10/27(月) 15:24:05 ID:cvKcfSlh
>>182
そのずっと前から薩摩藩の庶民の暮らしは散々。
江戸期を通じて、「悪政」と言えば薩摩藩の事だった。

「薩摩の農民は一揆を起こす気力も出ないほど搾り取られている。」と、
当時の知識人から避難され続けたのは有名。

184 :人間七七四年:2008/10/27(月) 15:43:47 ID:w5dUuz+s
奄美大島はさらに略取されてるけどね

185 :人間七七四年:2008/10/27(月) 17:57:15 ID:3Awa8tTA
東軍最強は山内一豊隊、西軍最強は長宗我部盛親隊と決まっている。
両者とも最強でありながら控えの役割に廻されてしまったが。

186 :人間七七四年:2008/10/28(火) 03:42:44 ID:aLgE+BbW
「戦雲の夢」を読んだら長宗我部盛親に肩入れしたくなるな

187 :人間七七四年:2008/10/28(火) 10:36:00 ID:j+Fdfr9L
肩入れしたくないように思ったら、小説として失敗だからな。

188 :しげさん:2008/10/30(木) 01:04:48 ID:g6GooWUo
東軍最弱は我が先祖(が雇われマダムの)有馬豊氏!一度も刀さえ抜いてない。何とも恥ずかしい限り!

189 :人間七七四年:2008/10/30(木) 01:09:56 ID:91RvCOW5
>>188
無刀剣こそ我が秘伝

190 :人間七七四年:2008/10/30(木) 15:35:26 ID:r7xdi/Ci
>>188

有馬豊氏はその後、秀吉に直仕し、秀吉没後は徳川家康に近づ
き、関ヶ原の戦いには東軍に属して出陣した。
そして、戦後、丹波福知山六万一千石となり福知山城に住した。
慶長七年には、父・則頼の遺領を併せて八万石の大名となった。
 子の代には摂津領を加えて八万石を食んだ。さらに、大阪の陣
には両度とも参陣し、夏の陣では首級五十七を獲っている。
元和六年(1620)九州へ移封、一躍二十一万石の大名となり、
久留米城に住して、子孫襲封して明治維新に至った。この運の良さは何だろう。



191 :人間七七四年:2008/10/30(木) 15:44:03 ID:0+HPpwv8
>>190
家康から嫁さん貰ったから。

192 :人間七七四年:2008/10/30(木) 19:54:09 ID:nUQB+afr
以前、国会図書館に要望した国史叢書が近代デジタルライブラリーに公開されました。
関原軍記大成もあるのでご参考に
問鉄砲もありますよ

193 :人間七七四年:2008/10/30(木) 20:04:37 ID:dJpYQd0N
関ヶ原軍記大成は軍記物だが、もはや講談
読むなら「関ヶ原始末記」「慶長年中卜斎記」「太田和泉守記」がお勧め


194 :人間七七四年:2008/10/30(木) 20:07:46 ID:nUQB+afr
>>193
そっちはもう読んでるので
そんなに無茶苦茶じゃないとは思うのだけど、小牧陣始末記と同じ
兵書のレベルでしょう

195 :人間七七四年:2008/10/30(木) 20:13:50 ID:dJpYQd0N
軍記大成は始末記をさらに編集した大全に、さらに各家譜や雑史を何でも取り入れた本なんで、
基礎資料読んでないと、物凄い混乱するかと

一つの話に3〜4つの別説いれてるからね

196 :人間七七四年:2008/10/30(木) 21:02:32 ID:nUQB+afr
>>195
逆に異論を入れているからこそ評価できる
基礎資料は断片か大まかなことしか書いていないからこそ
こういう編纂資料が出てくるし、ある程度の評価はするべし

197 :人間七七四年:2008/10/30(木) 21:12:57 ID:rDScYMeO
だから問鉄砲も現実的じゃなくても問答無用で肯定して脳内妄想で補完するのかw
馬鹿だな

198 :人間七七四年:2008/10/30(木) 21:56:02 ID:nUQB+afr
>>197
問鉄砲の話で途中で加わった鉄砲隊が福島でなく藤堂という
異説が紹介されてるからなぁ
ちなみに筆者は藤堂は福島から分派されたにしては遠すぎるから
藤堂に変えたんだろうと推測している

ある、なしはさておき、こういう推測は読んでて面白い

199 :人間七七四年:2008/10/31(金) 15:11:20 ID:qQxQYcRf
都合によって作者がそれっぽくなるように創作してるんだろ

200 :人間七七四年:2008/10/31(金) 18:45:19 ID:SdOIFb1t
>>196
異論を入れてるからではなく、どれが異論か正論か玉石混淆してるから講談と言ってるんだよ
つか軍記大成は編纂史料でも二次史料でもない、史料批判で言えば「等外」に該当する軍記という評価なのを知ろうよ

それと基礎資料は断片で大まかな事しか書いてないからと言うのは違う、起きた事象を淡々と書いてあるだけ
詳細知りたければ、そこから当事者またはそれに近い人物関連の一次史料から探ればいい
そこで軍記大成持ち込むのは、どこの誰がいつ書いたか分からない逸話も混ぜてあるのを信用しろと言ってるようなものだ

201 :人間七七四年:2008/10/31(金) 18:49:56 ID:SdOIFb1t
つか>>198を読んで思ったが、軍記大成を分かってないんじゃないの?
筆者が変えたと推測と書いてるが、宮川尚古はあくまで編纂者で、藤堂の話も雑記か何かにあるのを書き加えただけで、
これを宮川尚古が変えたと推測なんてのはトンデモだぞ?

202 :人間七七四年:2008/10/31(金) 22:12:06 ID:nozx4cax
>>200
読み物として纏まってるという評価なんすけど
資料研究とはまた別だなぁ

>>201
本文読んだら解るんだが
筆者の宮川が二つの説を紹介して、片方は一方を改変したもんかな
と推測しているという意味

203 :人間七七四年:2008/10/31(金) 22:14:24 ID:nozx4cax
史料批判なら朝野旧聞褒藁見ればいいし
本戦以外なら大日本史料の稿本があるな
死ぬほど読みにくいけど

204 :人間七七四年:2008/10/31(金) 22:45:37 ID:SdOIFb1t
>>202
>読み物として纏まってるという評価なんすけど
だから読み物としては講談と最初から評価してるんだけど、君は兵書レベルととんでもない事書いてるんだが?
それに基礎史料は断片しか書いてない、編纂史料として評価すべしとね

>筆者の宮川が二つの説を紹介して、片方は一方を改変したもんかなと推測しているという意味
だから、宮川は編者でこれもネタ元あって、それがどこから拾ってきたネタかわからないから、
玉石混淆と書いてるのだが?他にも別話がある項なんて腐るほどあるが、それを君は宮川が改変したとでも言うのか?
何の根拠もなしにね、それは推測ではなく憶測と言うんだよ

>史料批判なら朝野旧聞褒藁見ればいいし
>本戦以外なら大日本史料の稿本があるな
ここで朝野旧聞褒藁持ち出す意味がわからないな、関ヶ原関連史料での史料批判なら朝野旧聞褒藁持ち出すまでもなく、
一次史料二次史料あるのに、なぜ朝野旧聞褒藁出したんだろ?
大日本史料とかも同じ、そのまま一次二次史料名書けばいいだけの話なのに謎

205 :人間七七四年:2008/11/01(土) 07:48:05 ID:d1ljMBkF
>>204
>だから読み物としては講談と最初から評価してるんだけど、君は兵書レベルととんでもない事書いてるんだが?
>それに基礎史料は断片しか書いてない、編纂史料として評価すべしとね
江戸の兵書はこういう編纂物が普通なんだけど

>だから、宮川は編者でこれもネタ元あって、それがどこから拾ってきたネタかわからないから、
>玉石混淆と書いてるのだが?他にも別話がある項なんて腐るほどあるが、それを君は宮川が改変したとでも言うのか?
>何の根拠もなしにね、それは推測ではなく憶測と言うんだよ
「宮川が」「改変した」でなく、「宮川が」「書のなかで」改変したのではと「書の中で」「推測している」
というよりホントに読んでる?

>ここで朝野旧聞褒藁持ち出す意味がわからないな、関ヶ原関連史料での史料批判なら朝野旧聞褒藁持ち出すまでもなく、
>一次史料二次史料あるのに、なぜ朝野旧聞褒藁出したんだろ?
>大日本史料とかも同じ、そのまま一次二次史料名書けばいいだけの話なのに謎
入手しやすいという点で、原書当たるより、それを集めた方が探しやすいでしょ
原書あげれば直ぐにみんな探せるというもんではないんだよ

206 :人間七七四年:2008/11/01(土) 08:49:09 ID:/ItBJt/A
>>205
>江戸の兵書はこういう編纂物が普通なんだけど
関ヶ原軍記大成は「兵書」ではないんだが、兵書と君が言い張り、これが普通と言うなら、
君が言う「江戸の兵書」を例えとして挙げてくれないかな?

ちなみに兵書とは戦術書を指すんだけどね

>「宮川が」「改変した」でなく、「宮川が」「書のなかで」改変したのではと「書の中で」「推測している」
>というよりホントに読んでる?
宮川が書いてるのは「今按ずるに〜後人は此の説をなすか」とし「正説なるにや覺束なし」
福島から撃ったというのと藤堂から撃ったという二つの話を挙げ、福島からは遠いから藤堂が撃ったと言う話にしたのでは?
と、後の人が作ったのか、藤堂が撃ったのか、どっちが正しいかはわからないと書いてるだけ

君が主張するように福島から分派とか一言も書かれてない
それこそホントに読んでる?と聞きたくなる

>入手しやすいという点で、原書当たるより、それを集めた方が探しやすいでしょ
史料批判なら朝野旧聞褒藁と言うので、>>204に書いた
入手しやすさで言うなら、それこそ>>193で書いた「関ヶ原始末記」「慶長年中卜斎記」「太田和泉守記」のが、
全然入手にも図書館での閲覧で調べるにも簡単で探しやすいんだが?
朝野旧聞褒藁の何巻に関ヶ原関連あるのか、知らない人間がわかるのか?

原書挙げれば直ぐに探せないのは、どう考えても朝野旧聞褒藁なんだが・・・
アホらしくて言葉も出ないが、各地の図書館のサイトでも行って「朝野旧聞褒藁」を探してみればいい
どれくらい入手困難かわかるだろうから

207 :人間七七四年:2008/11/01(土) 09:12:00 ID:cTUGTsI5
>>206
どこの図書館で調べているの?

208 :人間七七四年:2008/11/01(土) 12:26:27 ID:g0lbD7sH
国会図書館
原書は以外に刊行されてない
その点、ネットで公開されている大日本史料や、近代デジタルライブラリーは素晴らしい

209 :人間七七四年:2008/11/01(土) 18:04:51 ID:/ItBJt/A
>>207
大学図書館でも各都道府県の図書館で調べると速いよ

210 :人間七七四年:2008/11/01(土) 19:29:25 ID:d1ljMBkF
>>206
>ちなみに兵書とは戦術書を指すんだけどね
おれは、日本戦史みたいなテキストとしてとらえてる

>君が主張するように福島から分派とか一言も書かれてない
その前に「〜内府公の弓長布施孫兵衛・羽柴正則の鉄砲頭堀田勘左衛門の鉄砲十挺づつ、
松尾山に向かってつるべたり」とあるが

>「関ヶ原始末記」「慶長年中卜斎記」「太田和泉守記」
それが概論程度(5W1HのHがない)にしか書いてないのが問題なのであって
戦術論云々するなら軍記大成ぐらいのもんがいるのよ


211 :人間七七四年:2008/11/01(土) 21:29:42 ID:/ItBJt/A
>>210
>おれは、日本戦史みたいなテキストとしてとらえてる
君が捉えるのは勝手だが、世間一般の認知として兵書は戦術書、広辞苑でも読むことだ

つか日本戦史と軍記大成は全くの別物なんだけどね
成り立ちも構成も意味合いも全然違う、君は的外れな事を言ってる

>その前に「〜内府公の弓長布施孫兵衛・羽柴正則の鉄砲頭堀田勘左衛門の鉄砲十挺づつ、
>松尾山に向かってつるべたり」とあるが
それは福島の話だけど?その後に「異本に・・・」と藤堂の話になってるのに?
話が福島の問鉄砲から異本の藤堂の話に変わってるのに気付きませんか?
普通に読めば誰もが話が変わってるので、その下りは藤堂の話には関係ないとわかるもんだが

>それが概論程度(5W1HのHがない)にしか書いてないのが問題なのであって
えっと、概論?ちゃんと書いてあるが????読んだ事あるの????
つか戦術論云々なら軍記大成なんかより、「内府公御陣場覚書」や「太田和泉守記」の方が全然参考になる
これを見るなら関ヶ原史料集があり簡単に見れる

戦術論で軍記大成なんて誇張や脚色が多すぎて全く参考になりませんが?
だから陸軍編纂の日本戦史にも軍記大成は参考資料としてほぼ使われてない
使用されたのは三成らが秀秋に送ったという関白就任を確約する書状のみ

で探しやすいからと言ってた「朝野旧聞褒藁」の話はどーなったんだ?
君は一つそれらしい出鱈目書いて問われると、論点ずらして別の話に摩り替えるのは、やめた方がいいぞ

212 :人間七七四年:2008/11/02(日) 12:26:18 ID:xSfRmWz/
>>211
>君が捉えるのは勝手だが
了解、勝手にしときます。ただ、兵法・兵学の書だから戦史事例として範疇にはいると思ってますので。

>それは福島の話だけど?その後に「異本に・・・」と藤堂の話になってるのに?
>話が福島の問鉄砲から異本の藤堂の話に変わってるのに気付きませんか?
>普通に読めば誰もが話が変わってるので、その下りは藤堂の話には関係ないとわかるもんだが
正直、あなたが何を言いたいのか私も解りません。私は本論で福島、異論で藤堂とあって異論の方が間違いとして
その理由を推測で語ってると言いたいだけです。

>えっと、概論?ちゃんと書いてあるが????読んだ事あるの????
>つか戦術論云々なら軍記大成なんかより、「内府公御陣場覚書」や「太田和泉守記」の方が全然参考になる
>これを見るなら関ヶ原史料集があり簡単に見れる
過程は不十分と私は判断してます。読んだ上での判断で

>で探しやすいからと言ってた「朝野旧聞褒藁」の話はどーなったんだ?
>君は一つそれらしい出鱈目書いて問われると、論点ずらして別の話に摩り替えるのは、やめた方がいいぞ
図書館でタイトル検索しやすいのはこっちなもんでね


めんどくさくなってきたので、終わりにしますわ


213 :人間七七四年:2008/11/02(日) 12:33:46 ID:NTh0/XiL
キホン、マターリ

214 :人間七七四年:2008/11/02(日) 12:38:27 ID:9SFRLEpn
藤原のか、マターリ

215 :人間七七四年:2008/11/02(日) 13:09:52 ID:oZuwz5Jy
ところで、仮想を交えたネタがメインそれとも資料使ってガチガチに議論がメイン?
正直、資料使ってのガチガチ議論は日本史版のはずだと思ってたんだが。


216 :人間七七四年:2008/11/02(日) 15:28:40 ID:yQrvscIM
>>212
>ただ、兵法・兵学の書だから戦史事例として範疇にはいると思ってますので。
軍記大成は戦史事例の書ではありません、あくまで関ヶ原に纏わる逸話等と集めた講談です

>私は本論で福島、異論で藤堂とあって異論の方が間違いとしてその理由を推測で語ってると言いたいだけです。
宮川は藤堂の話を「異本では〜」と紹介しているのであって、それを間違いだとは一言も書いてない
あくまで別話があると書いてるだけ

>過程は不十分と私は判断してます。読んだ上での判断で
過程が不十分の意味不明
で戦術書としても史料としても扱われない軍記大成を、君だけがやれ兵書だ戦術書だ編纂史料だから評価しろとしてるだけ
君以外が下した評価は君とは真逆だけどね

>図書館でタイトル検索しやすいのはこっちなもんでね
ダイトル検索しやすいって意味が分からんな、どれも書名コピペするか書くだけなんだが・・・
蔵書検索で見つけやすいと言うなら、全国の公立図書で「朝野旧聞褒藁」を蔵書として置いてる図書館がどれほどあるか、
調べてみるといい、殆どないから
君が言う「入手しやすい」というのが嘘だとよく分かるよ

一事が万事とはよく言ったもんだ


217 :人間七七四年:2008/11/02(日) 16:00:56 ID:NTh0/XiL
KY

218 :人間七七四年:2008/11/02(日) 16:23:52 ID:YNEjsC3v
問鉄砲があったと主張するのは講談を呼んで影響された>>212だったのか

219 :人間七七四年:2008/11/02(日) 17:24:02 ID:yQrvscIM
まぁ軍記大成の評価を、兵書→編纂史料→読み物として纏まってると書いたり、軍記大成で戦術論語ろうとしたりする人だからねぇ
始末記などを断片的で大まかな史料と言い切ってるから、いっぱい書いてある=詳細な史料と勘違いしてるんだろう
「朝野旧聞褒藁」も確かにいっぱい書いてあるからねw

で詳細に書いてあるから正しいと思って、問鉄砲を主張してるんじゃないのかな?
始末記や卜斎記には問鉄砲なんて書かれてないから、断片的で大まかと言うことなんだろね

彼には史料の成立時期などは全く考慮の外なんだろうなぁ

220 :人間七七四年:2008/11/02(日) 20:46:06 ID:xSfRmWz/
>>215
ここが過疎って、他に関ヶ原関係のスレが乱立しているのは
ガチガチ議論が原因だろうね

221 :人間七七四年:2008/11/02(日) 21:01:00 ID:YNEjsC3v
お前も自分の妄想で頭がガチガチだろ

222 :人間七七四年:2008/11/02(日) 21:21:49 ID:xSfRmWz/
>>221
妄想で頭がガチガチとは言わんな
流動化しているなら受け入れるが(w

223 :人間七七四年:2008/11/02(日) 21:25:01 ID:YNEjsC3v
NHKやら最近でも実験なりして問鉄砲に対して否定的な結果しか出てないのに
お前の言う編纂史料とやらに出てるから「あった」というのはガチガチとはいわないの?

224 :人間七七四年:2008/11/02(日) 21:43:51 ID:xSfRmWz/
>>223
条件設定がゆるゆるだからな〜
鉄砲撃って、山頂まで聞こえるかでしょう、資料の数だけ揃えてないだろうし
それを理由にするのは「その時歴史は動いた」を根拠にするようなもんだよ

後、編纂史料に文句あるなら、「勝者の史料」天元実記を挙げましょうか?

225 :人間七七四年:2008/11/02(日) 21:51:43 ID:YNEjsC3v
ゆるゆるどころか

成功させるにはほぼ不可能な条件だらけじゃねーか

226 :人間七七四年:2008/11/02(日) 22:02:54 ID:xSfRmWz/
>>225
それは以前、散々言い合ったので決め付けてはいけない
あなたがそう思うのは勝手だが

227 :人間七七四年:2008/11/02(日) 22:05:49 ID:YNEjsC3v
決め付けって・・・

228 :人間七七四年:2008/11/02(日) 23:17:54 ID:yQrvscIM
同時代の史料には問鉄砲なんて欠片も出てこないのに、編纂史料に文句あるならってw
軍記大成は編纂された講談軍記で史料ではないのにね、天元実記も逸話集だしさー

同時期の史料には皆無の問鉄砲がいつ辺りから文献に登場してきたのか知らないのだろう
逸話や講談を史実とする人なんで、ハナから噛み合うわけがないね

229 :人間七七四年:2008/11/02(日) 23:29:13 ID:YNEjsC3v
御用学者のマンセー説全て鵜呑みにしてるんだろうね

230 :人間七七四年:2008/11/03(月) 10:16:38 ID:5ruAtX+8
>>228
高座で軍記大成やったことあるのか、知らんかった

231 :人間七七四年:2008/11/03(月) 18:30:09 ID:NBQav2V4
馬鹿が揚げ足取ろうと必死だな、講談と書いたから高座かよw
講釈じゃねーんだからw

232 :人間七七四年:2008/11/03(月) 18:38:07 ID:YCB29JZU
頭がカッカしている2,3人以外実にどうでも良い議論だ。

233 :人間七七四年:2008/11/03(月) 18:48:44 ID:TY5Q+hMA
>>232
正味な話、問鉄砲の有無というようなのは大したことじゃないからね。
寧ろ重要なのは、関ヶ原前後の政治体制なわけですし。

戦の具体的な描写など、当時の人間が残したものや、それを編さんした
もの、ないしは現地調査の結果くらいからしかわからんわけで。

234 :人間七七四年:2008/11/03(月) 21:48:46 ID:4triopJ3
実際の話、地方分権派の家康と中央集権派の三成の政争でしょ・・・で終わらないだよな。
日本各地で東西双方に分かれて戦っている。

三成に贔屓にされた人間が西軍に付いた・・・というよりも家康に借りがあるとか打算で東軍について、
必然的にそれと対立する人間は西軍に付いたというのが正しいと思う。

三成自信は家康を敵視しているからクローズアップされているが、コアな大名以外は各大名が敵味方という判断を
する際の要因としては少ないと思う。家康か否か又は敵がいるかいないかで、次にようやく三成が出てくるかも
という重さしかないと思う。

例えば、加藤が東軍についたのは家康がいたからでも、三成がいたからでもなくて、島津と小西が周りにいたからだとか。

そこら辺の不定見な大名に対する人心収攬をする機会があった。もしくは自分で作った(小山)ので家康が勝てたと思う。

235 :人間七七四年:2008/11/03(月) 21:59:03 ID:YCB29JZU
まあ豊臣家云々なんて考えてたのは、東西どちらにしてもごく一部だけだろうしね。

236 :人間七七四年:2008/11/03(月) 22:22:05 ID:ykiNVi6q
それじゃ三成が挙兵したもともとの動機って何になるの?

237 :人間七七四年:2008/11/03(月) 22:33:18 ID:YCB29JZU
政権中枢から追い出された事と、徳川執権体制が定着することに対する反発と恐れだろうねえ。

238 :人間七七四年:2008/11/03(月) 23:00:23 ID:NOih/e8T
>後、編纂史料に文句あるなら、「勝者の史料」天元実記を挙げましょうか?

>正味な話、問鉄砲の有無というようなのは大したことじゃないからね。

なにこの二枚舌

都合悪いと大した事じゃないとか

239 :人間七七四年:2008/11/03(月) 23:12:21 ID:NBQav2V4
>>236
動機が何かは特定は出来ないけど、>>237氏が書いてある事も動機として考えられる
一概によく言われる豊家の御為とは言えないってことだね
大谷にしても三成との友情ってあるけど、秀吉死後に利家と家康が対立した際には、家康側についてる訳だし

240 :人間七七四年:2008/11/04(火) 00:09:04 ID:OmxYiaOa
>>239
三成から見れば豊臣政権=豊臣家だったんじゃねーの?

>大谷にしても三成との友情ってあるけど、秀吉死後に利家と家康が対立した際には、家康側についてる訳だし

大谷と逆なのは、寺沢広高。こなんやかんや言いつつ西軍より(三成以上に小西に近い)なわけど、東軍ついた。
ちなみに関ヶ原で戦った相手は小西(w。

寺沢も結局七将の後位だっけ、家康に近づいたの。

241 :人間七七四年:2008/11/04(火) 00:11:10 ID:DtzrXIVQ
利家死後、家康側に着く大名多かったしな

242 :人間七七四年:2008/11/04(火) 00:21:15 ID:Df36VSqJ
丹羽、堀、蒲生、利家と死んで、豊臣政権の最大派閥である、旧織田系大名を取りまとめる人間が
いなくなったのが、家康につく大名が増えた最大の理由だろうね。

243 :人間七七四年:2008/11/04(火) 01:45:26 ID:fToxz73+
>>238
なんだかいきり立っておいでのようだけど、俺は>>233以前の
問鉄砲論議には関わってないんだが。

>>240
寺沢は三成が七将襲撃を受けた際に、小西行長とともに
毛利輝元のもとへ、三成の使者として赴いてたらしい。
朝鮮出兵の際に果たした役割も、奉行のような役割だしね。
清正も利家についたよね確か。関ヶ原の時だって、それほど
積極的に動いてたとはいえんし

なんか、みんな結構自己の都合を最優先させてるんだよね。




244 :人間七七四年:2008/11/04(火) 01:50:49 ID:Df36VSqJ
> なんか、みんな結構自己の都合を最優先させてるんだよね。

そりゃあそうでしょ。つーか、武士ってのは自己利益を追求するもんだ。

245 :人間七七四年:2008/11/04(火) 02:20:31 ID:fToxz73+
>>244
うん。だからこそ、単純化した構図では捉えられないんだよね。



246 :人間七七四年:2008/11/04(火) 14:31:02 ID:pblDdkdi
たった1日で勝者と敗者が決まるなんて考えてもみなかったんじゃない?
だからこそ東北北関東では伊達上杉を筆頭に最上佐竹あたりも蠢動してるし
北陸の前田も兵を温存しつつ周辺きりとり体制だし九州では如水が野心むき
出しで兵を展開した
毛利は毛利で大坂方面とは別に村上水軍系を四国伊予に派兵してる

関ヶ原に限ってみても、東軍は徳川本隊(秀忠軍)を待たずに動いてる
これは東軍についた豊臣恩顧系を消耗させるだけさせておけってことだろう
西軍にしても大垣に石田直系とも言える部隊を温存、大津部隊や伊勢方面隊も同様

247 :人間七七四年:2008/11/04(火) 22:33:06 ID:vWPBcFxZ
>>246
家康は早期決戦を考えていたからこそ、秀忠待たずに決戦突入でしょう

248 :人間七七四年:2008/11/04(火) 23:04:58 ID:ybfYySFr
>>246
石田の主力は壊滅

249 :人間七七四年:2008/11/05(水) 01:23:20 ID:zCTo3a0t
>>246
みんなこのスキに自己の権益を拡大させようと動いてるんだよね。
毛利氏は西国ではかなり活発に活動している。

秀忠と立花は温存というよりは、本当に間に合わんかった
だけだろうな流石に。
まあ、小野木に関して言えば、小野木旗下の諸将の中には
戦意の低いものも結構いたようなので、何とも言えんが。
小野木らの部隊は小身ばかりで編成されてるよねそういえば








250 :人間七七四年:2008/11/05(水) 01:30:25 ID:w/TEVTBv
関ヶ原は東軍も西軍も、本当にこの一戦で運命が物凄く変わっちゃうのが面白いな。
谷衛友とか地味ながら興味深い。

251 :人間七七四年:2008/11/09(日) 01:35:37 ID:7cKESLSV
この戦いが短期決戦に終わった理由の一つに各地でエゴむき出しで動いている奴らがいたから、長期戦なんてやってたら全国が再び戦乱になるって家康の読みだったんだろうね。
だから秀忠とか間に合わないし、待ってられない。
まあ、統一が達成できるなら、辺境の島津や上杉を無理して潰しに行って、また各地を不安定にさせる必要はないって判断したんじゃないかな?

252 :人間七七四年:2008/11/09(日) 01:42:13 ID:fpLUCQGR
短期決戦にしたことが、家康にとって良かったのか悪かったのかは諸説あるね。

確かにあれで政権は確立したけど、しかし、そこで出来た政権は、直接に把握しているのが
近江以東の、東国政権というべきものだった。

253 :人間七七四年:2008/11/09(日) 04:56:21 ID:7cKESLSV
確かに…西国に外様を追いやったと言えば聞こえは良いけど、大坂には秀頼がいて、徳川と豊臣の問題は大坂の陣まで決着が付かないし、さらに言えば倒幕は薩長土肥の西国諸藩中心になる。
ただそれに関しては、家康がどこまで考えていたか分からない以上、推測だけど、中央集権国家を作ったわけではないし、大坂と東海道は押さえた。東北は水戸(家康の死後だけど会津保科)も作って、過去を振り返れば鎌倉幕府よりは堅いようには見えるけど
どうでしょうか?

254 :想像マニア:2008/11/09(日) 05:19:40 ID:beuLYH71
仮定
関ヶ原の戦が短期決戦から長引いて長期戦の様相に変われば
まず東北の動きが変化しだす様相を見せると思います(東軍家康本軍が関ヶ原の近辺に張り付けの状態)では

西軍方の上杉は主力の3万以上の部隊を展開でき(最上9000、攻め滅ぼす途中で伊達等の東軍方に与する大名も単独では上杉との戦いは避け 西側に与する様相を見せだす)ようにも感じます

最上攻めが完了した頃には(仮定、関ヶ原では家康率いる東軍が動け無い状態)東北の東軍方諸大名は(伊達を中心に秋田、南部、小野寺、六郷、赤尾津、等西軍に元々与した大名も含め)東北ではゆうより上杉中心の西軍に変化したと思います

255 :想像マニア:2008/11/09(日) 05:40:39 ID:beuLYH71
仮定
会津上杉領に隣接する(越後は謙信時代からの豪族が多数残る地域)東軍方の溝口、村上、堀、等も上杉方の一揆等を警戒して活発には動けず(中立、若しくは西軍に与する)

水戸の佐竹1万6000等も(旗色を鮮明にしだし) 西軍方の山川、多賀谷、岩城、相馬等の諸大名等、も(東軍家康領にも圧迫を加えように兵力を国境辺りに結集しだす2万以上可能)

東軍は(関東に留守的に在陣する部隊を結集はするとは思われます) 結城秀康を中心に里美、那須、宇都宮、成田、等久‥蒲生も加えて (笑)かな?




256 :想像マニア:2008/11/09(日) 06:15:51 ID:beuLYH71
関ヶ原近辺で東軍率いる家康が持久戦の様子が見えだせば 北陸金沢の前田利長は東軍として参陣し(家康率いる東軍と合流し関ヶ原近辺に展開し)

東北等、の情報が入れば能登、長尾城に在陣する弟、前田利政7000(元々東軍家康には否定的)は兄とは別に西軍としての動きを活発にしだすようにも感じます(前田慶次郎等、と連絡を密にし上杉西軍と行動を共にするかも?)

257 :人間七七四年:2008/11/09(日) 07:18:32 ID:l/NMVFTO
妄想たれる前に改行の仕方を勉強しろ。
読む気にならん。

258 :想像マニア:2008/11/09(日) 07:23:05 ID:beuLYH71
仮定
上杉方の西軍に与した伊達も その後の関ヶ原近辺で長期戦をしながら家康の自国領防衛の為の謀略に、また(関東に在陣する東軍と連携を取り出し、西軍から東軍にまた戻る)

最終的に関ヶ原での短期での決着がつかなければ東西陣営が。また違った形で別の場所で決戦が行われ、織田政権末期、、前後ぐらいの全国の勢力関係に戻ったのかも‥知れ無いかも♪ スミマセン勝手な妄想で‥

259 :257さん:2008/11/09(日) 07:30:38 ID:beuLYH71
すんまへん 携帯で仕事の合間にしてましてん(笑)

別に読んで貰わんでも暇潰しのヘンズリみたいなもんですわ!‥すんませんなぁ〜♪ スレ汚して(笑)

260 :人間七七四年:2008/11/09(日) 10:19:11 ID:l/NMVFTO
だったらチラシの裏にでも書いてろよ…。
他人に読んでほしいんだったら、他人が見て読みやすいように書いてくれ。
携帯でも改行はできるだろ。

261 :人間七七四年:2008/11/10(月) 09:09:28 ID:pW9HuYWQ
精神病院の退院基準が甘いからこうなる

262 :人間七七四年:2008/11/10(月) 19:29:37 ID:GL7peWAF
たしかに読みにくいけど、そんな言い方はないんじゃないの。

263 :人間七七四年:2008/11/10(月) 19:41:59 ID:qw74ZuOC
読みにくい上に内容が個人のなんの根拠も無い妄想だからなぁ

264 :人間七七四年:2008/11/10(月) 20:00:11 ID:k7sUYbz0
そういうお高くとまった態度がこのスレ地盤沈下の要因

265 :人間七七四年:2008/11/10(月) 20:03:46 ID:Mr/UK3Pz
単に実証的な関ヶ原論は語りつくしただけだっつーの。
根拠のない空想をを妄想だと指摘すると怒り出す奴はなんなんだ。

266 :人間七七四年:2008/11/10(月) 20:08:41 ID:ywiDFWD8
関ヶ原関連の妄想スレなら他に色々ある
読みにくい、何の発展性もない、妄想、age厨、擁護の仕様もない

でそれに加えて>>264みたいな趣旨をずらして責任転嫁しだすのも現れる始末


あれだ、関ヶ原は厨率が異常に高いから、これぐらい排除した方がいい
地盤沈下というが、歴史系の板なので頻繁にレスがなくてもいいのだから


267 :人間七七四年:2008/11/10(月) 20:16:33 ID:Mr/UK3Pz
北の関ヶ原

平成出羽合戦 その一
http://mogamiyoshiaki.jp/?p=log&l=114638
平成出羽合戦 その二
http://mogamiyoshiaki.jp/?p=log&l=114854
平成出羽合戦 その三
http://mogamiyoshiaki.jp/?p=log&l=115497
平成出羽合戦 その四
http://mogamiyoshiaki.jp/?p=log&l=115637
平成出羽合戦 その五
http://mogamiyoshiaki.jp/?p=log&l=115744
平成出羽合戦 その六
http://mogamiyoshiaki.jp/?p=log&l=116231
平成出羽合戦 その七
http://mogamiyoshiaki.jp/?p=log&l=117354
平成出羽合戦 その八
http://mogamiyoshiaki.jp/?p=log&l=117512

268 :人間七七四年:2008/11/10(月) 22:37:35 ID:k7sUYbz0
>>266
それは日本史板の仕事じゃないの?

269 :人間七七四年:2008/11/10(月) 23:07:39 ID:7B4FETee
んだんだ

同様に資料の細やかな違うの指摘で2人の世界に入る奴とか、
資料を基に他人を排除するの人は日本史板に逝ってほしい。



270 :人間七七四年:2008/11/10(月) 23:21:22 ID:Mr/UK3Pz
そうやって精緻な議論から逃げて楽しいかね

271 :人間七七四年:2008/11/10(月) 23:24:26 ID:k7sUYbz0
そりゃ、ネタにして楽しむのは知識で遊ぶ人の特権

272 :人間七七四年:2008/11/11(火) 00:39:55 ID:add49dY6
なんで日本史板の仕事と決め付けるんだろ?
資料を基に他人を排除と言うのは、妄想や講談を事実の如く語り、知ったかして突っ込まれたからですか?

誰も排除なんてしていない、要は嘘や知ったかは突っ込まれる
それを素直に受け取れるかどうかの本人の問題

大抵は逆ギレして人格攻撃始めるのばかりだがw

273 :人間七七四年:2008/11/11(火) 01:01:11 ID:5y0J7zl8
>>270
>なんで日本史板の仕事と決め付けるんだろ?

学問・文系板と趣味板の差だな。

漏れ的には、島津が踏ん張ったらとか誰かネタだしたら、資料云々から元より云々東軍より云々とかっていう流れがあった場合なんか、
多分発言者はそーいった事言いたんじゃないだけどな、と思うだけだ。


274 :人間七七四年:2008/11/11(火) 01:18:49 ID:add49dY6
>>273
日本史板から戦国板分かれたのは、戦国系は人気が高く、スレ乱立して板を占拠しかねないので細分化された
でネタとして楽しむなら、昔から三戦板がある

自分の程度に合わせたスレで楽しみたいなら、そういう掲示板を作るなど他でやればいい
自分が気に入らないから他所へ逝けとは排他的で我侭にも程がある

IF楽しみたいならそれなりのスレあるのだから、そこでやればいいのに、なぜ本スレでやりたがるのかもわからん

275 :人間七七四年:2008/11/11(火) 07:12:02 ID:8hfP5L5M
>>274
よそへいけとは言わん、ネタを認めろというてる

276 :人間七七四年:2008/11/11(火) 13:37:25 ID:lJWcy4my
ネタはネタスレに行けと言うとる

277 :人間七七四年:2008/11/11(火) 21:53:44 ID:X2EZDdSd
>>276
ネタから発展するものもある
象牙の塔に引き籠っては埋没するのみ
2chで象牙の塔も笑止だが

278 :人間七七四年:2008/11/12(水) 11:57:23 ID:PwsgLgfJ
ネタから発展してもいい、だがネタはネタスレでやれ
何の為にスレ分けてるんだよ

279 :人間七七四年:2008/11/12(水) 19:37:15 ID:3dzw1vD7
それはネタが単独でスレ立てれるだけの下地が本スレでできてから
いきなりじゃ駄スレ量産するだけ

280 :人間七七四年:2008/11/12(水) 19:47:49 ID:Iz0ZnmJ+
スレも立てられないようなネタ師なら、最初から書き込まないほうがいい。

281 :人間七七四年:2008/11/12(水) 20:01:33 ID:2agkWicQ
珍説絶叫君はまじめに考察してるんだけどあまりにも住人に突っ込まれまくるために
ネタスレ化しようと荒らしになってしまいました

282 :人間七七四年:2008/11/12(水) 21:19:39 ID:oirOH8iF
つーか、真田逝村が関ヶ原に突っ込むとかはともかく、
大津城の部隊が関ヶ原にいたら程度のネタもなしだったら、
日本史板に準拠厨を隔離でもよいと思うわけだが

・・・が5分前の漏れ。何の気なしに日本史板を覗いた

【石田】 関ヶ原の戦い 十五 【三成】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1213010334/279-282

納得した。


283 :人間七七四年:2008/11/12(水) 21:54:15 ID:KCRBH/9M
そんなに嫌なら好きにして

284 :人間七七四年:2008/11/13(木) 00:52:10 ID:IlWG1cqd
>>282
そういうネタは全て
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150726266/

もしくは
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1196096689/
が請け負っております

IFスレなら何妄想しても文句言われないよ
ただし本スレなら、タラレバには容赦なく突っ込まれるだけ
つかそういう大津の部隊が関ヶ原に・・・なんて関ヶ原の状況が変わるなら、東軍も別の行動するだけで終了

285 :人間七七四年:2008/11/13(木) 01:06:32 ID:SFXnTGwv
> つかそういう大津の部隊が関ヶ原に・・・なんて関ヶ原の状況が変わるなら、東軍も別の行動するだけで終了

何故かその当然の事を、理解できない人間がいるんだよな。
西軍がどんなに史実と違う行動しても、東軍は全く同じ行動を取ると信じきってる。

286 :人間七七四年:2008/11/19(水) 01:50:03 ID:reEuNWpi



287 :人間七七四年:2008/11/19(水) 02:08:45 ID:wZ+BnWvX
どっちにせよネタ切れ。
総合スレなのに、内ゲバみたいな事するから。

288 :人間七七四年:2008/11/19(水) 19:37:20 ID:013VzfX5
関ヶ原研究なんてここ最近ようやく始まった程度なので、ネタは豊富にあるが、
ここにいる連中の大半は講談や歴史群像程度の読み物で知ったかして満足
そしてIFスレや武将スレで妄想してを楽しんでる

結局は忌み嫌う腐女子と同じ、歴史上の人物をゲームのキャラクターと同列視して妄想してるだけ
こーいう連中は歴史を真実を探りたい知りたいのではないので、会話が噛み合う訳が無い
それを「内ゲバ」とは片腹痛い

289 :人間七七四年:2008/11/19(水) 22:25:15 ID:s27Y/wsT
>>288
あなたは高尚で、素晴らしい知識を持った専門家で、
講談歴史群像程度の読み物で知ったかして満足な人や
IFスレや武将スレで妄想してを楽しんでる人と話が合わない
素晴らしい人なので

そうじゃない人が一杯いる2ちゃんなんか来ないで、どっかの
学会で発表して、教授陣から拍手もらってください

290 :人間七七四年:2008/11/19(水) 22:31:02 ID:5SwTNtPs
>>289
なんで、「妄想スレならそう言うものが既に立っているから、そっちでやってくれ。」って、
実に合理的な話を、君は理解できないんだい?

291 :人間七七四年:2008/11/19(水) 22:34:22 ID:s27Y/wsT
>>290
つがうネタが出たらまた増やすのかい

292 :人間七七四年:2008/11/19(水) 22:36:46 ID:5SwTNtPs
関ヶ原のネタなんて結局、「こうすれば西軍勝てた」以外あるのかよ。
「こうすれば東軍もっと圧勝できた」ってネタでもやりたいのか?

馬鹿馬鹿しいとしかいいようが無い。

293 :人間七七四年:2008/11/19(水) 22:43:33 ID:s27Y/wsT
>>292
馬鹿馬鹿しいが許容できない人は2ちゃんねるなんかには
来るべきではないですな
もともと馬鹿馬鹿しい話をするための場所なんですし

294 :人間七七四年:2008/11/19(水) 23:06:29 ID:wZ+BnWvX
>>292
正直過疎なわけだし、ネタだしてくれたら助かるわけだが、
豊富なネタがあるので288に出して欲しいわけだが。


295 :人間七七四年:2008/11/20(木) 05:10:28 ID:qQKZyo/Y
ネタ欲しいって言うが、有り過ぎて逆に困るんだが、どういうのがお望みで?
関ヶ原の東西両軍の関係から語ると、豊臣政権の構造から語るようになってくる
その他にも地方の情勢、書状関係、はたまた軍記研究等々、様々なものがあってだね・・・
ネタと簡単に言うけど、範囲は異常に広いんだよ

関ヶ原関連の研究論文等でも、ミクロ的なものが多いのはその為なんだけど

関ヶ原における豊臣家の行動でも語りますか?
伏見城攻略で秀頼が鈴木重朝へ感状を出したり、積極的に関与するかと思えば、
毛利輝元の嫡子秀就を人質にして、二の丸以内への入城を制限したり、迷走した経緯が見て取れ、
家宰の片桐且元などが軍勢や一族を西軍に派遣しながら、東軍と通じたりする二面性見せてたり、
合戦後の対応など、面白いとは思うが

これもまだはっきりとした研究はなされてないけどね

296 :人間七七四年:2008/11/20(木) 08:19:39 ID:57HWQk03
>ネタ欲しいって言うが、有り過ぎて逆に困るんだが、どういうのがお望みで?

ご勝手に。
砂場独占したのに遊ばずに駄々こねるなと言ってるだけ。
空上げすんな。

297 :人間七七四年:2008/11/20(木) 08:27:39 ID:uUJ+sXDV
>>296
ガキかよ。気持ち悪いなあ。

298 :緊急事態発生!!:2008/11/20(木) 08:54:44 ID:QwGKNpVm
日本崩壊のお知らせです。

11月18日に、ついにあの日本史上最低最悪の法案
「国籍法改正案」が、衆議院で可決されてしまいました。
年内にも、中国人フィリピン人を筆頭とした貧困層の移民が、
日本国籍を取得するために、雪崩をうって日本に入国します。

外国人犯罪により治安は最悪状態となります。
生活保護により、国家予算が大幅に削られてしまいます。
医療もただで受けられるため、医療制度も崩壊します。
日本人の被害は計り知れません。

マスコミはすでにおさえられているため、一切報道されません。
が、今ならまだ止められます。ネットの反対署名は25000人を突破しました。
日本に住む人、全員の力が大至急必要です。
悔いのないように、できる事をしましょう。

国籍法改正案まとめWIKI
h●ttp://ww●w19.atw●iki.jp/ko●kuseki/
「国籍法改正法案」と「二重国籍取得の容認」に断固反対する署名
h●ttp://w●ww.sho●mei.tv/pr●oject-401.html
●を削って下さい

299 :人間七七四年:2008/11/20(木) 21:39:49 ID:qQKZyo/Y
>>296
スレ分けされてるのだから住み分けすると言う、簡単なルールを駄々こねて守らず、
ネタ振っても、それに触れようともしない厨に言われてもなぁw
空上げの意味もわかんない?ナニソレ?

結局、ネタ振ってもこれじゃあなw

それじゃあ関ヶ原関連のなど最近の研究の話でもする?
でも新しいのは平井氏の「関ヶ原合戦と土佐長宗我部氏の改易」や、
光成氏の「関ヶ原前夜における権力闘争」ぐらいだからなぁ

藤井氏の「フィールドワーク関ヶ原」は結論ありきのグダグダで突っ込みどころ満載だったし、
笠谷氏の「関ヶ原合戦―家康の戦略と幕藩体制―」はもう10年以上も前の本だし・・・
誰かが島津の敵中突破を、通説とは違う方法だったと唱えてた論文あったな・・・、誰だったっけ?

300 :人間七七四年:2008/11/20(木) 22:04:45 ID:/Wk6tm3u
>>299
情報を持ってても、知性がなければ誰も相手にしませんよ

301 :人間七七四年:2008/11/20(木) 22:08:35 ID:uUJ+sXDV
>>299
島津は結局中央突破とかそう言う雄々しいものじゃなくて、敵兵のいないところを選んで逃げたら
結果的に中央突破になったとか、そう言う感じらしいね。

302 :人間七七四年:2008/11/21(金) 01:33:43 ID:Xkl2GFGC
>>300に見合う知性は持ち合わせておりません、悪しからず

>>301
なんか旗指物などをかなぐり捨てて、東軍のふりして移動して云々だったと思う
真偽はさておき、考察的には面白かったんですが・・・名前をド忘れしてしましました

自分的には、関ヶ原合戦のあの状況で助かる最善の方法を義弘以下が取ったのではないのかと言う、
非常にリアリズムを追求する当時の戦国の人間が取る行動と言う意味で、凄い説得力がありました

303 :人間七七四年:2008/11/21(金) 16:49:12 ID:6vFUqtWf
でも旗指物もない集団が戦場の中心地を横切っていったらそれ自体あやしくない?
特に価値が決定してる状態だったらそれこそ落ち武者どもだぞって狩られないかな。

個人的には島津の決死の勢いに押された福島が
馬上で体だけひねって、背中は向けてないぞって喚きながら退いていく逸話がすきなんだけどね。
なんとも福島らしいからさ。

304 :人間七七四年:2008/11/22(土) 08:28:10 ID:7XfTHhHR
目印のない部隊が移動していたら怪しいと思われて攻撃される
それで逃げれるならみんなそうしているわけで
1人2人とかなら無視されるかもな

305 :人間七七四年:2008/11/24(月) 15:49:15 ID:lPhNSqRs
あの辺は比較的規模の小さい部隊が多い場所じゃなかったっけ?
誤解されてもおかしかないと思うが。

306 :人間七七四年:2008/11/25(火) 12:33:49 ID:4pJhA+DZ
三成と景勝とが事前共謀の真偽は?

307 :人間七七四年:2008/11/25(火) 17:38:12 ID:dM/sJHjm
創作だって知ってるけどなんで鉄砲撃ちかけられたほうの味方しようと思うんだ?
「うわおこってる。もうこっち敵として攻撃してきたよ。
いまさら裏切っても後で殺されそうだしだったら裏切りやめやめ」ってなるのが
人間の心理じゃないの?

308 :人間七七四年:2008/11/25(火) 18:09:15 ID:G3t23vu7
>>307
創作だからだ

309 :人間七七四年:2008/11/26(水) 07:06:25 ID:28NW17qu
>>306
事前共謀はなかったと見ていい、三成が景勝と連絡取り出したのは会津征伐が決まって以降

310 :人間七七四年:2008/11/26(水) 11:04:16 ID:DullRyNA
在京時に直接話したんじゃないか?

311 :人間七七四年:2008/11/26(水) 23:01:20 ID:qmiJq30C
輝元との連携は結構はやい段階(七将襲撃のころ)から画策
してるんだけどね。

312 :人間七七四年:2008/11/26(水) 23:07:05 ID:7mlAR6w0
三成は前田利家亡き後、その代わりの役割を輝元に求めた感じだよね。

313 :人間七七四年:2008/11/26(水) 23:16:36 ID:28NW17qu
>>311
七将襲撃の時に三成は輝元と連携取ったけど、打倒家康を目指しての連携とかじゃないでしょ
それは飛躍しすぎ

314 :人間七七四年:2008/11/26(水) 23:52:38 ID:7mlAR6w0
その後の三成辞職引退の流れの中で、輝元を後ろ盾としても家康の政治力にかなわないという
事が解って、それが家康を武力で排除しようと言う考えになったのかもしれない。

315 :人間七七四年:2008/11/26(水) 23:56:55 ID:qmiJq30C
>>312
輝元と結んで、反撃を企画していた形跡があるらしい。
ちょっと前の『日本歴史』に掲載されてた論文によると、
厚狭毛利文書にそういう内容の文書が残ってたとのこと。

316 :人間七七四年:2008/11/27(木) 00:08:40 ID:JMOnOKR1
>>315
光成氏の「関ヶ原前夜における権力闘争」でしょ?

それは七将に対して三成が輝元へ軍勢を派遣して欲しいと要請したのであって、家康へ対抗するためではないよ
それを輝元が拒否、輝元は景勝と図り、七将と三成・長盛との調停に入ったが、そこへ家康が介入、
輝元の調停は豊臣家の支持を得られず、家康が裁定下す結果となり三成は引責蟄居
輝元は不満タラタラで愚痴ったと言う話

関ヶ原勃発前の政権における対立構造を書いた論文ですよ

317 :人間七七四年:2008/11/27(木) 08:06:03 ID:0z/Yk4vT
加藤清正が西軍にくみしようとしていたらしい?本当なのかな?詳細知ってる方教えてください。

318 :人間七七四年:2008/11/28(金) 00:48:04 ID:3xXR5b/D
>>317
輝元が上坂する際に、誘っている。

清正自身、関ヶ原合戦時には、小西行景の守る宇土城を包囲してた
とはいえ、活発に動き出すのは大勢が決した後なんだよね

319 :人間七七四年:2008/11/28(金) 08:47:56 ID:OEKq260L
>>317
清正から黒田如水に書状で「奉行から秀頼様に奉公しろと誘われたけど参加しないよ」と、
一応東軍みたいな事は宣言してるが、実際は殆ど動いていない
様子見とそれ以上に朝鮮征伐の影響が大きかったような感じがするが

320 :人間七七四年:2008/11/28(金) 09:18:29 ID:7fqsM08T
> それ以上に朝鮮征伐の影響が大きかった

そうだとすると、毛利や島津の事を考えても、何のかんので朝鮮役による疲弊が
比較的無傷だった家康の対抗することを難しくさせたんだろうね。

三成は諸侯の体力の回復まで待てばよかったのか、でも待っていればその間に家康は覇権を
確立しちゃうか。

321 :人間七七四年:2008/11/29(土) 00:08:58 ID:z+qBnx9C
小西勢がもろかったのも、朝鮮出兵で散々戦ったあとで、疲弊してた
というのもあるように思う。

立花宗茂などは、慶長の役で最後まで半島にいたクチだけど、
規定の軍役の三倍以上の兵を引き連れてるので、一概には言えない
だろうけど。
島津の場合は寧ろ、そのあとの庄内の乱や、義久・義弘・忠恒の
意思が統一されてなかったというのが大きいと思う

322 :人間七七四年:2008/11/29(土) 11:17:05 ID:m1LwR2ca
そう考えると朝鮮出兵で数万派遣してたにも関わらず関ヶ原前後の毛利の動引力は
ちょっと異常だな
大坂城西ノ丸に輝元1万5千、関ヶ原に吉川広家毛利秀元2万、大津攻めに毛利元康5千、
村上水軍メインの火事場泥的な伊予上陸

323 :人間七七四年:2008/11/29(土) 13:59:05 ID:jgnw3V8R
立花宗茂が規定の三倍以上連れてたとか、>>322の毛利の軍勢はあくまで陸軍が島津へかけられた軍役を基に算出した数字だから
本当にそれだけの軍勢を出したかはわかってないよ

324 :人間七七四年:2008/11/29(土) 14:35:53 ID:ud5UprBS
関ヶ原での毛利軍の動きは、どうも大軍をバックにしたって感じがしないんだよなー。
家康もある程度毛利の軍勢を把握したら、押さえの軍をさっさと引き抜くし。

どうも、関ヶ原の毛利軍は1万そこそこくらいだったんじゃないかって気がする。

325 :人間七七四年:2008/11/29(土) 15:17:38 ID:z+qBnx9C
>>323
島津義弘書状に、立花が4000程度、長宗我部が5000程度
引き連れているという旨が記載されているので、実際に彼らが
規定の軍役以上の兵数を率いていたと見ていいと思う。

326 :人間七七四年:2008/11/30(日) 23:20:14 ID:symX2Q+i
加藤が積極的に動かないのは島津が西軍だからじゃないの?
宇土城落としても島津が北上してきたらいくらなんでも加藤単軍じゃ厳しい。
まぁ上杉の押さえの伊達最上みたいな立場。

福島スレでえらい正則叩かれてるけどまじで四回も敗走したんかね?

327 :人間七七四年:2008/11/30(日) 23:58:38 ID:s3kLVcdf
>>326
4回敗走はあくまで関ヶ原軍記大成での話だから、軍記講談での話
ただ福島正則と宇喜多秀家との戦いはかなりの激戦だったのは確かで、あの辺りに配置された家康の軍監などが、
軒並み討ち死してる

それだけの話

328 :人間七七四年:2008/12/05(金) 07:01:19 ID:2B6g6aKS
輝元は、家康に約束を破られた時点で、全領土をかけて戦わなかったのはなぜですか?

そうすれば、宇喜多は薩摩に逃げずに、岡山に居ただろうし、島津は全領土をかけて威嚇していた。

味方はある程度要る。しかし、豊臣が関ヶ原が終わった時点で、毛利を煙たがっていた。そのせいですか?

329 :人間七七四年:2008/12/05(金) 07:03:15 ID:wKEAWBhZ
>>328
毛利が反抗したら、関ヶ原で西軍に回った連中も、これ幸いと毛利攻めの軍に加わるよ。
「前非を悔いて反逆の首魁を討ち滅ぼします!(だから許してください)」ってね。

330 :人間七七四年:2008/12/05(金) 07:07:16 ID:3GxZuXbk
で、毛利を殲滅した後に家康は毛利攻めた西軍武将をじっくりと改易に処す。

331 :人間七七四年:2008/12/05(金) 15:03:17 ID:KTf6t17f
秀頼を抱えられたら・・・うん一石二鳥で家康の天下が早まるだけだな

332 :人間七七四年:2008/12/05(金) 16:01:33 ID:T9MjOgbP
三成って敗走後、佐和山に戻らず、どこへ行くつもりだったんだろうね。
湖西まわりで大坂城に入り、再起を図るつもりだったんだろうか。



333 :人間七七四年:2008/12/05(金) 16:49:46 ID:wKEAWBhZ
大阪城を目指すか、それがダメなら京で、北政所あたりに匿って貰おうとでも考えてたんじゃない?

334 :人間七七四年:2008/12/05(金) 23:09:23 ID:edfSyneY
ドラマでよくある佐和山城が炎上しているのを三成が見るのは嘘です
伊吹山からは佐和山城は見えません

335 :人間七七四年:2008/12/06(土) 07:47:13 ID:TVybqlU+
石田三成が反転して、突然西軍に襲いかかかったらどうなるかな?2

336 :人間七七四年:2008/12/06(土) 13:45:00 ID:kj7YPyIA
間違いなく恨みもった輩に暗殺される

337 :人間七七四年:2008/12/08(月) 19:35:28 ID:nVr9aGP1
http://ouhei.web.fc2.com/sekigahara.html

開催日:09年3月20日 日時:13:00〜16:00   場所:関ヶ原町民体育館
【概要】
・関ヶ原に参加した武将達になりきってドッヂボールで勝敗を決めようという愛だけはつまっているオフです。
・お茶会のような大層なオフではありませんのでご了承下さい。
・一個人のする事なので、当日顔面に当たった、歯が抜けた、命よりも大事な眼鏡が割れた、二日後に筋肉痛がきた他、保険関係一切責任はとれません。行き帰り、及び現地でのトラブル等全て自己責任でお願いします。
・一応義務教育終了された方のみにさせて下さい。
・当日は動きやすい格好で来て下さい。体育館シューズを忘れずに!
※ぶっちゃけ「もしやるなら行くよ」くらいの軽い気持ちでいて下さい(爆)集まればやります(笑)

338 :人間七七四年:2008/12/08(月) 22:54:28 ID:jzyq4toq
>>334
三成がどのあたりまで登ったかにもよると思う。
麓あたりでは無理だが、山頂付近なら天気次第。
ttp://www3.uploda.org/uporg1841846.jpg.html
画像中程左寄り白く細長い建築物の奥にあるのが佐和山。

339 :人間七七四年:2008/12/09(火) 14:14:11 ID:O3L6CEqy
三成としては毛利を動かせただけで大手柄だったんだよ。
西国ではほとんど最大勢力の大名であって毛利が動いたからこそ
従った西国大名も多い。
そして、いったんひかれた弓矢なのに輝元の統率力が中途半端だった。
中途半端が故に吉川が共に行動できたってのがある。
もし、輝元が指導力を発揮してたなら、宇喜田みたいに上杉や前田みたいに
家中騒動が起こっていたはず。
吉川が最初から家康側と共に行動していたら毛利もその分弱体化は
していただろうが少なくとも本隊は西軍として戦闘に参加してるだろうから
史実よりはもっといい勝負になっていただろう。
つまり輝元が関が原に出陣していることになる。

340 :人間七七四年:2008/12/09(火) 14:17:19 ID:xDDT8x00
>>339
なんで「西軍はこんな風に変わるけど東軍はそれでも史実どおりに動く」って、
ゲームのシュミレーションみたいな発想しか出来ないんだろ?

341 :人間七七四年:2008/12/09(火) 15:16:50 ID:G+hBLeB+
>>340
ageてるし、毎回同じ事書いては喚いて荒らして消えていく輩なだけに、こういうのは放置推奨。


342 :人間七七四年:2008/12/09(火) 16:15:15 ID:O3L6CEqy
>>340
日本史板にいけば????
日本史板にいけば????
日本史板にいけば????

それに反論あるなら
吉川が最初から東軍についたらどういう理由でどのように
東軍が動くかってレスつけたほうがいいよ。
そうじゃないと板の意味がなくなるからw

>>341
お前何様?wwwwwwwww
ぱっと出の自治厨うざいんだけどwwwwww

お前がレス乞食なんだろとw

343 :人間七七四年:2008/12/09(火) 16:19:45 ID:O3L6CEqy
このスレを見ている人はこんなスレも見ています。(ver 0.20)
【石田】 関ヶ原の戦い 十五 【三成】 [日本史]


wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
あのなあww
戦国板が出来た過程わかってんの?
日本史板で遊びやら夢想みたいなカキコミはうざいってこともあって
戦国板ができたんだろ。
ここはお遊び的な要素が許される板なの。
住み分けが出来てるはずなのにこの板でいちゃもんつけんなってw
頼むから遠征して喧嘩売りに来ないでくれw

344 :人間七七四年:2008/12/09(火) 16:21:42 ID:xDDT8x00
ID:O3L6CEqyはここで遊べ

関ヶ原、西軍勝利
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150726266/

345 :人間七七四年:2008/12/09(火) 17:11:09 ID:dSSQBdjj
>>337
ここの住人のオフ会でもやるん?
どうせなら普通に関ヶ原巡りのがいい

346 :人間七七四年:2008/12/09(火) 19:19:10 ID:3yf3Ia7F
>なんで「西軍はこんな風に変わるけど東軍はそれでも史実どおりに動く」って、
>ゲームのシュミレーションみたいな発想しか出来ないんだろ?

前から疑問思っているんだけど、東軍史実通りに動いて何か問題あるのか不思議なわけだが、
東軍と違って畿内制圧に手間掛けている西軍の行動に再配置の余裕があるのは確かなわけで、
毎回同じレスなんで、同じ人だと思うが、なんで、単純に別スレ逝け言わんわけ?

347 :人間七七四年:2008/12/09(火) 19:26:48 ID:xDDT8x00
「一方の状況が変われば他方の反応も変わる」

この当然の事が何故理解できないのか、その事こそが理解できない。

348 :人間七七四年:2008/12/09(火) 19:45:51 ID:3yf3Ia7F
>>347
いや、普通戦争ってお互いの状況わからないのが基本なので
反応変わったらおかしいでしょ、シミュレーションゲームじゃないんだから。
状況わからないって前提で進めるわけで・・・。

無論偵察や諜報で行動が変わる。少なくとも、339の様に美濃で対陣した
段階で行動は変わるだろうけど、近江に進出した段階で判らないだろうし、
そこで行動は変わらない。


349 :人間七七四年:2008/12/09(火) 19:51:27 ID:G+hBLeB+
戦国板や近代史板が出来た理由
日本史板でスレ建て氾濫したから、特に厨>>343みたいな無知で荒らす厨が多い戦国系は趣味板へ廻され、
自演・荒らし抑止の為に強制IDの板になった

で厨は多くのIFスレ建ててるのに満足出来ず、荒らしに来ると



>東軍と違って畿内制圧に手間掛けている西軍の行動に再配置の余裕があるのは確かなわけで、
ここkwsk
特に再配置に余裕がある部分の説明を頼む

>近江に進出した段階で判らないだろうし、そこで行動は変わらない。
東軍は西軍と違って、しっかり諜報活動も行っておりますが・・・
数々の書状である程度の動きを把握してるのがわかりますよ?

それ以前に何事も相手ありきの行動なので、相手に変化あればそれに合わせて変化するだけの簡単な話だと思うが
行動は変わらないと言い切れる根拠が凄いわ

350 :人間七七四年:2008/12/09(火) 20:18:21 ID:3yf3Ia7F
>>349
>それ以前に何事も相手ありきの行動なので、相手に変化あればそれに合わせて変化するだけの簡単な話だと思うが
>行動は変わらないと言い切れる根拠が凄いわ

いえ、諜報で変化がわかり。その変化が幸運にも数日で届いて、
かつより妥当な行動ができうる状態であるという状態でないと行動は概ね変わりません。

東軍は美濃に早期に大兵力を流し込み、決戦を行えたわけで、より妥当な行動というのがないからです。

そういった前提を述べていない以上行動はかわらないとしか返答はできないです。
仮定に対して仮定を返さないという姿勢はわかりますが、実質言ってる事に意味がないです。
こっちに好きに、考えろといってるのと同等なわけですから。

351 :人間七七四年:2008/12/09(火) 20:19:52 ID:xDDT8x00
>>350
君の想定する東軍も西軍も、とびっきり馬鹿だと言う事は良くわかった。

352 :人間七七四年:2008/12/09(火) 20:28:32 ID:G+hBLeB+
>>350
>いえ、諜報で変化がわかり。その変化が幸運にも数日で届いて、
>かつより妥当な行動ができうる状態であるという状態でないと行動は概ね変わりません。
諜報で変化がわかりと言う意味が分からないが、諜報により西軍が行動すれば東軍はそれに合わせた行動を取る
ただそれだけの当たり前の事を書いてるのに、君は変わらないと断言してる

その根拠が
>東軍と違って畿内制圧に手間掛けている西軍の行動に再配置の余裕があるのは確かなわけで
という、非常に分かり辛い事書いてるので、説明求めてるのだが


それ以前に
>東軍は美濃に早期に大兵力を流し込み、決戦を行えたわけで、より妥当な行動というのがないからです。
それは東西両軍に当てはまり、東軍は西軍に合わせて行動、西軍は東軍に合わせて行動する以上、
西軍が史実と違った行動取れば、東軍もそれに合わせて行動を変化させると言ってるんだよ?
妥当な行動かどうかは結果次第で、妥当な行動取るかどうかが問題ではないのだけれど

>仮定に対して仮定を返さないという姿勢はわかりますが、実質言ってる事に意味がないです。
仮定自体が無意味ということだね
仮定は、歴史の事象が何故そうなったか、何故そういう選択をしたのかを考察する事すら否定しているのだから

353 :人間七七四年:2008/12/09(火) 20:56:17 ID:3yf3Ia7F
>>352
>諜報で変化がわかりと言う意味が分からないが、諜報により西軍が行動すれば東軍はそれに合わせた行動を取る
>ただそれだけの当たり前の事を書いてるのに、君は変わらないと断言してる

いえ、諜報で100%判るわけでもないですし、行動指針に足る情報が全て伝えられるわけじゃない。
具体的にいえば、輝元出陣した。東軍が100%それがわかり、それに対応した行動ができる。それで納得しろ
と、言ってるのに等しい。ぶっちゃけ、言ってることは正しいけど妥当性も意味も無い発言です。

>仮定自体が無意味ということだね
>仮定は、歴史の事象が何故そうなったか、何故そういう選択をしたのかを考察する事すら否定しているのだから

他人の仮定に対して仮定を重ねても又仮定でひっくり返させられからね。
だから前提としてある程度のコンセンサスが必要なわけだが、

”「西軍はこんな風に変わるけど東軍はそれでも史実どおりに動く」”

好きに解釈しろと言ってるに等しいわけで。
ある意味、スレ住人に喧嘩売ってるような内容だよ。

まあ、339に対する返答としては満点に近いと思うけど(w。


354 :人間七七四年:2008/12/09(火) 20:58:43 ID:xDDT8x00
>>353
もうちょっと理解力ってものを磨こうや。
論理的な思考すればそんな結論には至らないだろ。

355 :人間七七四年:2008/12/09(火) 21:07:59 ID:3yf3Ia7F
>>354

>「一方の状況が変われば他方の反応も変わる」
>
>この当然の事が何故理解できないのか、その事こそが理解できない。

>それ以前に何事も相手ありきの行動なので、相手に変化あればそれに合わせて変化するだけの簡単な話だと思うが
>行動は変わらないと言い切れる根拠が凄いわ

>諜報で変化がわかりと言う意味が分からないが、諜報により西軍が行動すれば東軍はそれに合わせた行動を取る
>ただそれだけの当たり前の事を書いてるのに、君は変わらないと断言してる

全ての仮定に当てはめれば、東軍は対応した動きをします。
論理的な思考です。って言いたいわけですよね。

まあ、それなりに妥当な仮定に妥当な動きと注釈をつけてという
前提もあるの理解していますよ。




356 :人間七七四年:2008/12/09(火) 21:08:25 ID:G+hBLeB+
>>353
>具体的にいえば、輝元出陣した。東軍が100%それがわかり、それに対応した行動ができる。それで納得しろ
>と、言ってるのに等しい。ぶっちゃけ、言ってることは正しいけど妥当性も意味も無い発言です。
言ってる事は正しいのに妥当性も意味ないなんて日本語が変です
東軍が100%分かるとは主張してない、東軍は分かる範囲で東軍の知ってる情報の中で行動するだけです
それが史実と違う情報であれば、それに合わせて行動を変化させると言う、至極当然の事書いてるだけですが?
で大坂の行動は増田長盛により筒抜けだったので、間違いなくわかるでしょうが


>他人の仮定に対して仮定を重ねても又仮定でひっくり返させられからね。
>だから前提としてある程度のコンセンサスが必要なわけだが、
歴史の事象は偶然でなく必然の結果で、その必然性を探るのが史学の本質
なので詳しくなればなる程、少しのIFでさえ有り得ないと分かってくるので、意見の一致した前提は有り得ないかと


最後の4行は理解不能

357 :人間七七四年:2008/12/09(火) 21:12:30 ID:G+hBLeB+
>>355
君は日本語出来るのかい?
それに対応した動きを取り、史実通り動くのではないと言ってるのだよ?

赤坂に秀忠が10日(家康の予定では10日に来るはずだった)に来ていれば、
西軍はそれでも史実通り動きますと言ってるようなもんだ
こっちは西軍はそれに対応した別の動きするだけと言ってるんだよ?

358 :人間七七四年:2008/12/09(火) 21:45:25 ID:Xx5eeOPf
過疎ってるんだからその史実と違う動きをシュミレートするのも一興かもよw

359 :人間七七四年:2008/12/09(火) 21:49:20 ID:0xwbUJYb
>>358
それをやると喚く奴がいるので

360 :人間七七四年:2008/12/09(火) 23:35:29 ID:O3L6CEqy
339だけどお前ら本当にバカだよな。
堅いことばかりいって他人を罵倒するやつ多すぎ。
そんな度量の狭いやつばかりだから
日本史板もおまえらが行くとこ全て過疎化するんだよ。
なんちゃって大人なんだよなあw

趣味板なのに厳密に仮定すら語れないって堅すぎ。
そういうのは日本史板で十分だよ。

あと西軍武将の行動が変われば
変わる東軍の行動もあるだろうが変わらない行動もあるわけで。
つまり、方程式のように東軍の行動も当然変わってくるって
当てはめてくるバカには勘弁。

ていう訳でもうこのスレには来ませんwつかこの板にも幻滅してる

これからも輪をかけて思いっきり過疎化してくれ
素人は怖がって誰もカキコミなんてできないよww

361 :人間七七四年:2008/12/09(火) 23:51:44 ID:WopUPopX
ちょいよ伸びてると思えばこれか。


いずれにせよ、所詮仮定じゃん。それで荒れる必要がないだろう。

362 :人間七七四年:2008/12/10(水) 00:02:11 ID:R3pTsPvQ
読解力もろくにないくせに史料沢山集めてるだけで
偉そうにしてる奴が一匹いるからな。

363 :人間七七四年:2008/12/10(水) 00:17:26 ID:CwFgEtIj
簡単な基礎資料すら知らないで偉そうにしてたバカよりはいい

364 :人間七七四年:2008/12/14(日) 07:06:53 ID:caOioPRR
三成が山中村に布陣の協力を要請した書状の写しという基礎資料の存在も知らずに
「三成は関ヶ原で戦う準備していなかったのは明白」とか言ってるようではダメだな。


365 :人間七七四年:2008/12/14(日) 08:44:11 ID:xIBn49Mx
小早川某が寝返らなきゃ西軍が勝てたとでも言いたいのかい君達は。
やたらと毛利家の話題だけ目立つが・・・・・

366 :人間七七四年:2008/12/14(日) 13:21:16 ID:r12At5lZ
根拠のある仮定を語るならいいんだけど、妄想語る馬鹿がいるから荒れるわけで

367 :人間七七四年:2008/12/14(日) 15:37:44 ID:Rk4KamkW
>>364
いまさら、そんな贋作を持ち出してくる辺り、相当悔しかったんだなw
しかも基礎資料ってwww


368 :人間七七四年:2008/12/14(日) 17:19:53 ID:0zW9GErZ
飛び込みで申し訳ありませんが、関ヶ原の戦いに関し、どうしても腑に落ちないことがあります。教えて下さい。

大垣城から、石田軍は通り過ぎていく家康軍に対し、夜中にそして、わざわざ回り込んで正面に立ち戦を仕掛けたのでしょうか。

通り過ぎた家康軍をやり過ごしてから、後ろを襲うとか、大津城攻め軍や大坂城の軍と挟撃する方が絶対有利(というか必勝)と思うのですが。

なぜ、わざわざ動向の怪しい小早川軍の隣に回り込んで布陣するのか見当も付きませんので、教えて下さい。

369 :人間七七四年:2008/12/14(日) 17:23:37 ID:0QthxL2e
>>368
佐和山取られたら困るじゃん

370 :人間七七四年:2008/12/14(日) 17:34:49 ID:Mp6Kc09U
関ヶ原で、日本の軍事技術的に一つのショックが起きた。

それは、高い石垣と複雑な構造で、大軍にも持ちこたえられると思われていた、
いわゆる織豊系の大城郭、伏見城や岐阜城が、大量の火器を装備した大軍に、短期間で簡単に
攻略された事である。

信長の甲州攻めや秀吉の小田原攻めで、当時の最先端築城術と言われた甲州流や小田原流が、
大量の火器を装備した大軍には無力な事が暴露されたが、高石垣などそれらとは違う技術体系
を持った織豊系は別だ、そう考えられていた。

ところが関ヶ原の緒戦において、織豊系城郭もその例に漏れないことが証明されてしまったのだ。

「それまでの技術で作られた城において篭城戦を行うことは、現在の軍事技術では不利だ」

そういう考えが浸透し、結果、東軍も西軍も、野戦決戦を選んだ、と考える事は特に不自然ではない。

371 :人間七七四年:2008/12/14(日) 18:09:05 ID:Rk4KamkW
>>368
>大垣城から、石田軍は通り過ぎていく家康軍に対し、夜中にそして、わざわざ回り込んで
>正面に立ち戦を仕掛けたのでしょうか。
東軍は動いていない、先に動いたのは大垣の西軍

>なぜ、わざわざ動向の怪しい小早川軍の隣に回り込んで布陣するのか見当も付きませんので、教えて下さい。
秀秋への牽制、京・大坂との連絡網・兵站の確保、大垣に長期籠城するほどの兵糧等なかったなど、
色々理由が考えられます
>>370なんかも真実かもしれんし、そうでないかもしれない
ただ理由付けにしてる、岐阜城が大城郭かどうか、小田原攻めや甲州攻めで最先端の火器で攻略されたのかどうか、
などなど疑問符がつくけど

372 :人間七七四年:2008/12/14(日) 19:53:36 ID:2dYkDzxN
単純に大きな城砦を守れるほど兵力が残っていなかったという当たり前の落城理由が
思い浮かぶのですが。


373 :人間七七四年:2008/12/14(日) 20:20:58 ID:r12At5lZ
火砲の存在もあるんじゃね

374 :人間七七四年:2008/12/14(日) 20:21:53 ID:r12At5lZ
大坂城は堀埋められるまでは持ちこたえてたけど

375 :人間七七四年:2008/12/14(日) 21:26:22 ID:Yf3FkD2B
>>374
大砲の本丸直撃が和議への最後の一撃
この辺は大津城と同様の構図

後は守備側が数千程度だと数万の軍勢に
対応できずに飽和状態となり、陥落

これは小田原役の山中城と同様なので
織豊城郭のみには当てはまらない

376 :人間七七四年:2008/12/14(日) 21:41:09 ID:Mp6Kc09U
城郭建築史における「関ヶ原ショック」って言うのは実際に存在していて、
それが関ヶ原後の、有名な「城郭建築ラッシュ」を引き起こした。

それは国替えが多く行われたこと以上に、関ヶ原での体験を元に、大量の銃火器に対応出来る城が
求められたために起こった。

関ヶ原後に建築された徳川系の城、江戸城や名古屋城にいたっては、大砲への防御も計算に入れた
縄張りや建築が成されている。

東軍西軍がこの、関ヶ原ショックのために野戦決着を求めた、と言うのはあくまで推測だけど、
少なくとも野戦決着にいたった一因にはなったと、個人的には考えている。

377 :人間七七四年:2008/12/14(日) 23:24:27 ID:caOioPRR
>>367
自説に都合の悪いのは贋作かよ。

378 :人間七七四年:2008/12/15(月) 11:47:34 ID:FqMzBUFY
>>377
じゃあ説明してみろよw
山中村への書状の内容と、それをもとに戦場に想定してたってのをな


百歩譲って書状が三成のだとしても、とてもそーはならんがw
日付と山中に布陣した大谷吉継が何してたかでわかるがw

379 :人間七七四年:2008/12/15(月) 17:19:49 ID:pNtWs5MP
三成襲撃事件のとき、三成は家康のもとではなく伏見城内の自分の屋敷に
逃げ込んだというのが今の通説?

380 :人間七七四年:2008/12/16(火) 02:09:08 ID:KFDJt3Kx
その時の伏見城内の兵力は?
石田、徳川連合軍が守っていたの?

381 :人間七七四年:2008/12/16(火) 02:53:27 ID:57UQE5j0
>>379
最近の論文を見る限りだと、伏見城内の自分の屋敷に逃れたと
いう説を踏襲してるようだな。記録類を見ても、三成が自邸へ
逃れたとしているものばかりのようだし

>>380
当時の伏見城は、既に秀頼が大坂城へ移ったあとで、五奉行が
交代で在番している状態だったらしい。城内には奉行の官途を
冠した郭があり、三成の屋敷は当然「治部少郭」内にあった。

で、事件当時は前田玄以がその役目で、『多門院日記』には
三成・徳善院(玄以)、増田長盛が一所に籠り、結局和議が
成立したとのこと。


382 :人間七七四年:2008/12/16(火) 19:12:18 ID:0qjnIcy4
>>378
実物は関ヶ原町歴史民俗資料館に展示されている。
原文を書き写してきたわけではないので詳細は書けないが、
関ヶ原に布陣する際の案内や協力を求めた書状だ。
http://miked.fc2web.com/sawakuma-rekisihaiku-sekigahara-060914.htm

戦国無双好きの腐女子でも知ってる資料だが知らんのか。
http://6090.jugem.jp/?eid=61



383 :人間七七四年:2008/12/16(火) 23:14:05 ID:pLGuAfvM
>>382
だから書状の日付と内容書いてみろよ
内容知らんのによくもまぁ・・・お前のバカさ加減には呆れるわ



384 :人間七七四年:2008/12/17(水) 00:45:55 ID:ZShOBLEK
信頼性にかける情報提示ではあるな。でその書状の真贋についてははっきりしてるのかな?

385 :人間七七四年:2008/12/17(水) 01:14:01 ID:Timd25DA
山中に布陣の協力を要請する書状、書状の形式としては疑問があるのが数箇所
そういう書状です

大谷吉継が山中村に布陣し松尾山城と連動した陣所を構築するのに協力するよう求めただけ
これで関ヶ原を戦場と想定してたなんてよく言えるわ
想定してたというのに、肝心な宇喜多秀家の天満や石田三成の笹尾山には陣城の遺構が全く発見されてない
それとも新発見されたのかな?

藤井氏や三池氏が唱えた新説に喰いつくのもいいけど、新説=真実ではないってのをいい加減学習して欲しいわ

386 :人間七七四年:2008/12/17(水) 01:19:51 ID:Pv7ERzlu
新説=真実になら、今頃本能寺イエズス会黒幕説が世の中の常識になっているはずだしなw

387 :人間七七四年:2008/12/17(水) 17:00:00 ID:jUtq/G4t
>>370
このとき初めて岐阜城は落城したわけでなく
以前から攻められて落城しなかったことがないほど
落城の歴史たっぷりなんだから

388 :人間七七四年:2008/12/17(水) 17:03:44 ID:Pv7ERzlu
>>387
一度落城したら、その弱点を補うよう改修されるって事くらい、想像出来ないのかい?

389 :人間七七四年:2008/12/17(水) 22:26:04 ID:3XG71Q+s
>>388
どの点改修されたか資料上げて説明してもらわないと困るな。

390 :人間七七四年:2008/12/20(土) 12:18:21 ID:BuWu25JF
>>388
岐阜城なんか山の上にありすぎて無視するのが一番だな
城郭をどういじっても基本的なことは直らんからしようがない

391 :人間七七四年:2008/12/21(日) 16:07:38 ID:eemDeCEw
普通に考えて戦場に想定しないところに布陣なんかするかよ。


392 :人間七七四年:2008/12/21(日) 17:29:40 ID:EMjaRKhW
>>390
実際信長は稲葉山城の連中無視して城下町を焼いて新しい町を建設してたからな

393 :人間七七四年:2008/12/21(日) 17:44:54 ID:yewM63Xp
でも、住んでいたのは岐阜城だけどな。

394 :人間七七四年:2008/12/21(日) 17:46:24 ID:HJ84/qNw
信長は旧式の山城大好きだからな。
安土城もあんなめんどくさいところに無理やり建築して。

395 :人間七七四年:2008/12/21(日) 18:08:10 ID:GXrw2nlc
馬鹿と煙は高い所に…

396 :人間七七四年:2008/12/22(月) 19:54:21 ID:EChLBsG0
西軍が関ヶ原で決戦する意図がなかったというのは
このスレでの主流見解っぽいけど、その見解は以下の3つでおk?

1:野戦築城の形跡があるよ・ないよ派
2:作戦練った資料が無いよ派
3:そもそも美濃で戦う気が無いよ派(特に毛利が)

397 :人間七七四年:2008/12/23(火) 02:36:23 ID:GUpvBT7u
>>396
このスレで主流どころか、藤井氏・三池氏の主張はどこにも相手にされておりません
なぜなら「野戦築城の形跡があるよ」と言う証拠が全くなく、「作戦練った資料」が無いから

藤井氏は単に「フィールドワーク関ヶ原」で結論ありき主張をし、
三池氏が「敗者か見た関ヶ原」でそれ鵜呑みにしただけです

織豊期城郭研究会の結果では「天満山・笹尾山に西軍が築いた陣城の遺構は一切ない」という結論です
その中で、藤井氏が大げさに書いてる土塁群は以前から存在したもの(正確な時代はわからないが、
時代時代でそれぞれ構築され、一番古いものだと壬申の乱まで遡るとある)で、土塁群がある場所といい、
関が原合戦とは全く無関係というオチまでついてます

存在する、またはそれが西軍の元に構築されたと言うなら、通常、縄張り図を作成して主張するものです
藤井氏がわざとか出来ないのか知りませんが、それを作図せずに主張している以上、誰も相手にしないと言う事です
主張するのは自由ですけどね

398 :人間七七四年:2008/12/23(火) 06:06:45 ID:S/EySnfR
大規模な陣城の遺構がないからといって西軍に関ヶ原での迎撃計画がなかったとはいえない。
造ろうとしたけど、東軍の侵攻が早すぎて、間に合わなかっただけかもしれないし、
柵列程度の簡易なものだったなら遺構も残らない。

大体、おまえ主張する「南宮山周辺の軍勢の存在により、赤坂の東軍は史実の位置に出て来れない」という
前提自体間違っている。

>如何程慥成遠国衆にて候共、今時分は国郡之心さし有之付て、人之心難計候
>(不慣れな)遠方の衆(で心配だった)だが、今では地元みたいな心持ってる・・・と
>何も問題視していないのが見て取れる

↑の文は明らかに誤訳しているし、↓の文から三成が南宮山の諸隊

399 :人間七七四年:2008/12/23(火) 06:11:07 ID:S/EySnfR
途中で書き込んでしまった。

↑の文は明らかに誤訳しているし、↓の文から三成が南宮山の諸隊を疑っているのは明らか。

「垂井の上の高山に、山取之用意に候、彼山は人馬之水も有之間布程の高山にて、
自然之時は、掛合にも、人数の上り下り不成程の山にて候、味方中も不審可仕候」

400 :人間七七四年:2008/12/23(火) 17:15:20 ID:GUpvBT7u
>>398-399
>↑の文は明らかに誤訳しているし
誤訳してると言うなら、お前が訳してみろw
あ、ちなみにその訳は関ヶ原史料集でも同じ現代語訳にしてるから

誤訳と言うなら、文語体をきっちり現代口語体にしてくれよ、文法的な解釈も載せてね

>三成が南宮山の諸隊を疑っているのは明らか。
またまた意味不明な事書いてるけど、上と一緒、原文読めてないから、そんな解釈してんだよ
思いっきり南宮山に陣している毛利勢のやる気がないと書いてるだけ
「掛合にも、人数の上り下り不成程の山にて候」とあるだろ

疑ってる内容の文は他のトコであるんだが、それと比較してみればいい

で最後に
>大規模な陣城の遺構がないからといって西軍に関ヶ原での迎撃計画がなかったとはいえない。
>造ろうとしたけど、東軍の侵攻が早すぎて、間に合わなかっただけかもしれないし、
山中にある大谷陣所にはちゃんと遺構が存在しますが?“かもしれない”とか言い出したら、何でもこじ付け出来るけど?
想定してたのに肝心な天満山・笹尾山には掘り切りなど構築せず、山中にだけあるんですねw

もう結論ありきで、その為に必死にこじつけしてるだけ
誤訳してる、明らかと書く割に、どう読むのか全く書けてない
以前からそうだが、お前、読めないのに無理すんな

401 :人間七七四年:2008/12/23(火) 17:46:35 ID:WCCXcjHD
マトモに受け取ると、西軍が美濃で何をしたかったのか(毛利も含めて)という話になるんだけど、
GUpvBT7uはその点全く意見はなし?

402 :人間七七四年:2008/12/23(火) 17:58:15 ID:GUpvBT7u
>>401
んー、その辺の意見も前に書いてるんだけどね
毛利は両天秤にかけてるだけで、東西の対立が長引いて長期戦になっても、短期で勝負ついても良しと言うスタンス

西軍は、と言うより三成は(9月の時点では)、家康が西上してくる事はないと踏んでるので、畿内抑えた後に、
大垣周辺にいる東軍を追い払い、その後岐阜を攻略して尾張攻めってとこでしょ
家康が関東から動けない(と思ってる)ので、急いで美濃にいる東軍を攻める必要ないのだから
足場固めて軍勢的優位をハッキリさせてからでも遅くないからね

この辺りの話は三成の戦略構想になるのだけれど、普通は尾張三河国境沿いでの迎撃構想から、
福島正則の不協力により美濃国境での迎撃構想を急造するも、東軍の西上行動の迅速さに間に合わず、
岐阜陥落してそれも断念、結局大垣籠城して畿内各地で転戦している西軍を待つという形になったと言われてるね

403 :人間七七四年:2008/12/23(火) 18:53:19 ID:WCCXcjHD
>>402
というかそれ以外考えようがないわけで、それ以外のネタだす人いないわけだから
誰が誰だがわからんよ(w。

結局、関ヶ原前日あたりの行動の根拠となる文書が東軍・西軍ないので
脳内補完が必要となるわけね。

それだと、岐阜-大垣ラインで防御線張ると言う考えだと思われたので、
西軍が、関ヶ原での戦闘を考えていなかったというのは、考えにくいと思うわけだけど。


404 :人間七七四年:2008/12/23(火) 19:12:47 ID:GUpvBT7u
>>403
>関ヶ原前日あたりの行動の根拠となる文書が東軍・西軍ないので
西軍は12日付の三成書状や毛利家文書、東軍は家康書状など色々あるよ
慶長年中記でもいいし、関ヶ原軍記(関ヶ原状のがいいかも)でもいい
脳内補完でなく、推察するに足る史料はあるよ

>岐阜-大垣ラインで防御線張ると言う考えだと思われたので
>西軍が、関ヶ原での戦闘を考えていなかったというのは、考えにくいと思うわけだけど
関ヶ原での戦闘を考慮するって事は岐阜・大垣も抜かれた状態での構想になるんだけど?

現存する史料では突発的な行動、現存する遺構では矛盾している山中・南宮山と天満・笹尾、
それらから、とて戦場と想定していたとは言えないって話

何度も、しつこく、繰り返し書くけど、
想定してたと言うなら、史料・遺構などを使ってからそれを証明してくれって簡単な、極当然の話してるだけだよ

405 :人間七七四年:2008/12/23(火) 19:28:15 ID:mopF56Ks
大谷が陣地構築しているから考慮はしているでしょうな

406 :人間七七四年:2008/12/23(火) 19:37:23 ID:GUpvBT7u
大谷が構築してたのは山中だけだけどね

407 :人間七七四年:2008/12/23(火) 20:24:42 ID:WCCXcjHD
>>404
というか、聞きたい事がようやくわかった。
西軍が関ヶ原での戦闘を考えていなかったという前提で、
その割には関ヶ原でマトモな戦闘が行われたのはなんでなのという事だけど。



408 :人間七七四年:2008/12/23(火) 20:25:00 ID:C7wnIr5T
7大ミステリームカつくよな

409 :人間七七四年:2008/12/23(火) 20:32:43 ID:mopF56Ks
>>406
最低限、あそこと松尾山押さえれば十分ですからね
小早川に松尾山占拠されて、その構想は崩壊したけど

410 :人間七七四年:2008/12/23(火) 20:32:59 ID:9QPdSKBF
>>408
>淀殿が三成を推挙

ちげえw

411 :人間七七四年:2008/12/23(火) 20:41:16 ID:GUpvBT7u
>>407
色々想定外な事があったから

>>409
松尾山と山中を押さえれば十分の意味がわからない
重要なのは松尾山城であり、山中はあくまで松尾山城の付城的な意味で構築されてるのでは?


412 :人間七七四年:2008/12/23(火) 21:01:32 ID:mopF56Ks
>>411
山中は中山道を直接防備している
松尾山一つでも良いけど、あるに越したことはない

413 :人間七七四年:2008/12/23(火) 21:11:51 ID:GUpvBT7u
>>412
それを言うなら天満山周辺が一番重要な不破の関で、北国街道・中山道両方を防衛できるんだけど、
どうして放置してるって話になるが?

414 :人間七七四年:2008/12/23(火) 21:27:32 ID:mopF56Ks
>>413
松尾山城の虎口は南西に開いている
つまり山中の陣地を横から支援できるようになっている
それにこちらの方が不破の関よりも狭く、戦闘正面が圧縮できる

415 :人間七七四年:2008/12/23(火) 21:32:43 ID:GUpvBT7u
>>414
だから山中は街道防備という観点じゃなく、意味合い的には松尾山の付城だと書いてるんだけど・・・
そして天満山や笹尾山を放置してる時点で、関ヶ原を戦場と見なしていないともね

416 :人間七七四年:2008/12/23(火) 21:39:36 ID:mopF56Ks
>>415
決戦前日に松尾山城を占拠した秀秋に対する付城と?
山中は?

417 :人間七七四年:2008/12/23(火) 21:44:09 ID:GUpvBT7u
>>416
あのさ、補強する意味での付城ですよ?出城と言うには距離離れてるしね


418 :人間七七四年:2008/12/23(火) 21:46:15 ID:mopF56Ks
そういうのは付城とは言いません
支城と言います

419 :人間七七四年:2008/12/23(火) 21:46:54 ID:GUpvBT7u
つけじろ 0 【付(け)城】
(1)本城とは別に、要所に築いた城。出城。
(2)攻撃の拠点として敵城の近くに築いた城。向かい城。
「三河の内吉良の城へ取かけ、―をして是をせむる/甲陽軍鑑(品三一)」

はぁ、馬鹿馬鹿しい

420 :人間七七四年:2008/12/23(火) 21:51:38 ID:mopF56Ks
そうですか
それは失礼
それで中山道を挟むように構築されたこれらの施設は
関ヶ原に敵が来ることを想定して構築されたという事では

421 :人間七七四年:2008/12/23(火) 21:52:47 ID:Q9vXw7xF
話が物凄い噛み合って無いというか、
ID:mopF56Ksは変な予断というか、論破しようとして聞く姿勢が
前のめりになっているな。

422 :人間七七四年:2008/12/23(火) 21:55:57 ID:E7+Ed5GD
結論ありきの論調ではある

423 :人間七七四年:2008/12/23(火) 21:57:37 ID:GUpvBT7u
>>420
関ヶ原にではない、あくまで輝元を入れる西軍の大垣決戦の拠点としての補強
関ヶ原でやると言うなら、山中だけに陣城築くなんて事はしません
関ヶ原でやると言う事は、9月2日の時点で大垣放棄・陥落を考えていたって事
それならば尚更天満・笹尾は山中並みに陣城築かなければおかしい

7日に南宮山へ着陣した毛利勢でさえ、遺構がしっかり残るほど、陣城作っているのだから

424 :人間七七四年:2008/12/23(火) 22:17:47 ID:mopF56Ks
なるほど

425 :人間七七四年:2008/12/24(水) 09:24:23 ID:6Z1AtVFW
松尾山からは大垣方面が見えない。
総大将の輝元が入る予定の場所から主戦場が見えないのはおかしい。

426 :人間七七四年:2008/12/25(木) 03:17:11 ID:l5K2tttm
輝元が入る予定とか言ってるけどちゃんと輝元の了解を得てやっているのかね
輝元は戦場に来ることは了解していても松尾山に入る事は知らされていないんじゃない
そこんとことかはどうなんだろうか

427 :人間七七四年:2008/12/26(金) 11:30:24 ID:xcC1j6oG

如何程慥成遠国衆にて候共、今時分は国郡之心さし有之付て、人之心難計候

訳:どれほど確かな遠国衆であっても、今時分は国元のことを思う気持ちがあるので、人の心を推し量るのは難しいものだ。




428 :人間七七四年:2008/12/26(金) 15:00:14 ID:LiVj4y5A
>>427
いかほど確か成る遠国衆にて候とも、今時分は国郡の心さしこれありて、人の心計り難し

「国郡之心さい有之付て」を「国元のことを思う気持ち」としてるが、そんな訳し方見た事がないんだが?
国郡で現在所在している場所・土地を指すんだけど、いつから望郷の言葉になったのか?
そもそも「国郡之心さし有之付て」をどうやって「国元の事を思う気持ち」になるのか?
ここの詳細なる訳を求める、新解釈にもほどがあるからね

429 :人間七七四年:2008/12/26(金) 15:15:24 ID:LiVj4y5A
それと望郷を言っているのであれば、前後の「如何程慥成遠国衆」と「人之心難計候」とがあっていない
遠国の衆ならば、望郷の念を持つのは当然なのだが、それを持って人の心計り難しと言ってるならば、
石田三成は人心を全く理解していない意味不明な文になってしまう

これを普通に訳すと、どれほど遠い国から来た衆でも、今では国郡、その土地の人間みたいな心を持っている、
だから人心とは計り難いものだとなる

430 :人間七七四年:2008/12/29(月) 11:48:56 ID:kdWJLUoZ
「五本関原日記曰諸方合戦最中ニ黒装束ノ武者御前ニ参リ筑前中納言ノ旗
色何レトモ知レ申サスト申シ上ル問鉄砲打セヨトノ御意ナリ仍テ鉄砲打カケ
候」
「朝野旧聞褒藁」より

431 :人間七七四年:2008/12/29(月) 22:43:10 ID:kj3kFZOp
「井伊家慶長記曰福島井伊向云々合戦始時節如何直政答云筑前中納言内通之義有
彼躰見軍始可只今予軍士熊谷内匠三浦十左衛門両秀秋陣遣暫相待可ト
又藤堂佐渡高虎来テ正則如問前如答フ高虎テタテアリト云テ吾陣帰鉄砲之者二十人
計召具秀秋陣向放タシム但玉ヲ入不然雖秀秋陣少モ騒不一向敵陣ヲ見ヲロス外無他
高虎来云秀秋心底疑処無云々」
「朝野旧聞褒藁」より

432 :人間七七四年:2008/12/30(火) 07:29:45 ID:xoCLqKp5
「聿修録曰諸部既接戦筑前候観望山下未公(高虎)大銃発之脅乃始兵発」
「朝野旧聞褒藁」より

433 :人間七七四年:2008/12/30(火) 21:59:17 ID:mwiWe42g
他、
>>430とほぼ同じなのが「濃州関原合戦答書」「一本関原軍記」「慶長記畧捗」

>>430>>431>>432を組み合わせ、藤堂隊が家康の命による問鉄砲を撃ったとしているのが
「東西記」「別本慶長軍記」「本朝武林(稲葉)傅」

「黒田家譜」では福島の鉄砲隊二十人『のみ』を松尾山に撃たせよと使番に命じている
ほぼ同じ内容が「関原物語」「関原記考」

「落穂集」は使番として久保島孫兵衛、鉄砲隊は家康組下の布施孫兵衛とし
後は上記の内容をごった煮したもの

以上「朝野旧聞褒藁」より

434 :人間七七四年:2008/12/31(水) 10:20:47 ID:DqylWB+D
以上より

小早川陣への銃撃は二度あったと推定される

一回目は藤堂高虎による牽制の為の銃撃

二回目は徳川家康の命によって福島正則から分派された
鉄砲隊(家康使番久保島が同行した可能性あり)による内応
催促の銃撃

家康本隊からの鉄砲隊分派は無かった可能性が高い

435 :人間七七四年:2008/12/31(水) 18:54:57 ID:XWXRyxoZ
>>434
お疲れ様です
たぶん、問い鉄砲の是非を史料面から追求した人って今までいないと思う

でちょっと思ったのは、「一本関原軍記」は「関ヶ原軍記大全」の事では?
記憶違いでなければ、「関ヶ原軍記大全」は「関原日記」を引用、「関原日記」は「濃州関原合戦答書」を引用にしてるような・・・
「慶長記畧捗」は自分は見知らぬ史料なのでわからず

「朝野旧聞褒藁」は引用元があるので、まず書かれてる史料の成立年代や、
作者背景(これが一番難しいと思うが)探ったりすればいいのではと思います

436 :人間七七四年:2009/01/01(木) 10:20:46 ID:8Ggf0+Oo
「濃州関原合戦答書」「一本関原軍記」は全く同じで
家康を「家康公」としている
他に「家康公」を用いているのは「黒田家譜」

437 :人間七七四年:2009/01/06(火) 21:04:33 ID:OCGX5bfb
厨が淘汰されてやっとまともになったけど流石に進行が遅いか。
これが当たり前なんだけどね。

438 :人間七七四年:2009/01/25(日) 23:49:57 ID:myyowZGz
関が原合戦を調べるのにいい方法を教えてください
出来れば詳しくなれるぐらいに

439 :人間七七四年:2009/01/26(月) 00:31:34 ID:3AaH0gaU
>>438
専門の歴史書2,3冊読め。

440 :人間七七四年:2009/01/26(月) 04:56:03 ID:3AaH0gaU
BBC版 関ヶ原の戦い
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5910789

映像はすごいのだが、なんかこう色々と、アレだ。
イギリスの合戦見たくなってるな。

441 :人間七七四年:2009/01/26(月) 14:50:18 ID:Bh4INkmu
>>438
とりあえず笹尾山登ってこい。3分で登れるから。
備え付けの布陣図で布陣をチェックもチェックしろ。
大谷陣営以外はほぼ一望だ。
あとは布陣図についてあるボタンを押せば
臨場感のあるカッコイイ音声が合戦の模様を教えてくれる。
俺はこれで関ヶ原にのめり込んだ。

442 :人間七七四年:2009/01/26(月) 23:52:22 ID:gqzUSH/P
>>438
関ヶ原合戦は豊臣政権の権力構造や権威体制から、朝鮮役による権力争い、そして秀吉死後の権力争い、
そして合戦での東西両軍の動き等々、調べられる範囲はかなり広いですが、一般的なのは市販されてる概要本で十分でしょう
それからネットなどで様々な本や意見を読み、概要本との差異を知り、自分で疑問を持つと、また別の調べ方が生まれます
ので、自身の知ってる範囲から調べるとよいでしょう

443 :人間七七四年:2009/01/27(火) 11:55:55 ID:C212kfwp
>>440
確かにモゾモゾするがかっこいいなあ。
これをしっかり時代考証して日本でやってくれれば…しかしBBCも金あるのね。
日本のテレビが一番金ない気がしてきたorz

444 :人間七七四年:2009/01/30(金) 01:56:47 ID:KebEJbCN
突然すまん。
伏見前哨戦について調べてるんだけど、良い本とかない?

「松平家忠日記」と「目からウロコの戦国時代」を読んで興味が湧いたんで、本屋とかで探してみたりしたんだけど、いかんせん関ヶ原関係の本が多すぎてどれが良いのかさっぱりわからん……orz

445 :人間七七四年:2009/01/30(金) 02:12:28 ID:Y5ltAS3J
>>444
鳥居家譜はどうかな?

446 :人間七七四年:2009/01/30(金) 09:31:55 ID:QOYIg214
>>444
無料でなら、大日本史料の稿文がここで閲覧可、読解は根性で
http://www.hi.u-tokyo.ac.jp/index-j.html

447 :人間七七四年:2009/01/30(金) 09:55:53 ID:PlHOXf8F
>>444
史料で調べるなら家譜から覚書、軍記まで色々あるので、誰の行動を知りたいとか的を絞った調べ方しかないと思う
面白さで言うなら本城惣右衛門覚書の伏見城攻めの話は、他の説話と一線を画して非常に興味深い

448 :人間七七四年:2009/01/31(土) 23:10:34 ID:LGqxQc3T
>>444です、情報&アドバイスありがとう!
本当にどれが良いのか分からんかったからすごく助かる
まずは図書館にあった鳥居家譜から読んでみることにするよ

449 :人間七七四年:2009/02/14(土) 11:55:24 ID:ys0AybA3
織豊城郭研究会が休会したせいで・・・

450 :人間七七四年:2009/02/19(木) 15:55:40 ID:cMgpfhsn
ところで国道沿いの食堂の
「天下分け麺」ってラーメン食べた人いますかぁ?

451 :人間七七四年:2009/02/20(金) 11:14:43 ID:4e+Ee7il
関が原関連の本でオススメなのってありますか。最近敗者からみた関が原って本は読みました

452 :人間七七四年:2009/02/20(金) 11:43:43 ID:qQPQ0vhn
戦争の日本史  17   関ヶ原合戦と大坂の陣
http://www.7andy.jp/books/detail/-/accd/31967389

453 :人間七七四年:2009/02/20(金) 19:30:47 ID:4e+Ee7il
>>452
なかなか面白そうですね、早速amazonで注文したdクス

454 :451:2009/02/22(日) 23:39:03 ID:4rOjqTOb
>>452
まだ途中ですが非常に満足です、そのシリーズの信長の天下布武への道っていうのも評判いいのかな

455 :人間七七四年:2009/02/23(月) 11:11:06 ID:sZIhWmjq
>>454
このシリーズの戦国関連で、今出ている中では、

9応仁・文明の乱

10東国の戦国合戦

13信長の天下布武への道

14一向一揆と石山合戦


この辺がお勧め。特に「応仁・文明の乱」と「一向一揆と石山合戦」は名著だと思う。

http://www.yoshikawa-k.co.jp/senso-n1.htm

456 :人間七七四年:2009/03/03(火) 12:44:42 ID:bXaf3gO9
ドイツの将校が関ヶ原の布陣図を見て云々のエピソードがあるけど、
誰が見たって西軍が勝つと思うよな。
なんでこんなエピソードがあるんだ?

457 :人間七七四年:2009/03/03(火) 13:46:59 ID:RBcCZQ7L
>>456
メッケルの話?
アレは後世の創作の可能性が極めて高い。
なにせメッケルがそう言うことを実際に言った、聞いたと言う記録が一切存在しない。

つーかメッケルはモルトケ門下生なわけで、モルトケの軍事学ってのは、軍事は政治の延長というもの。
そのメッケルが当時の政治状況を聞かずに布陣図だけで有利不利を判断するわけがない。

あの話はメッケルも馬鹿にしているわな。

458 :人間七七四年:2009/03/05(木) 00:24:14 ID:k2E0RvPq
北政所は本気で家康より三成が危険と思っていたのか、
あるいは家康の危険性を知りつつも淀殿や三成に対する嫉妬から
いわば豊臣を売ったのか、そのへんがよくわからんのだが。
この人は晩年とかは、家康寄りの立場を取った自分を
どう振り返ってたんだろう? やっぱり後悔してたのかな。

459 :人間七七四年:2009/03/05(木) 00:26:27 ID:GjQEsFYc
>>458
関ヶ原じゃむしろ三成派だろ>北政所

460 :人間七七四年:2009/03/05(木) 00:28:52 ID:iIfUrIsP
北政所は和平派。

461 :人間七七四年:2009/03/05(木) 00:31:40 ID:GjQEsFYc
まあ、結果的に北政所系の家はほとんど残ったわけで、
自分の子でもいない限りは実家の利益を優先するのが当然の、
当時の一般的な婦人の考え方からいえば、自分にほとんど関係のない女とその子供が
滅んだ所で、特に後悔はしないだろ。


462 :人間七七四年:2009/03/05(木) 08:29:58 ID:BkvEvHrU
北政所は宇喜多秀家の戦勝祈願にも出席してるからな。
毛利の戦勝祈願にも代理を送ってる

463 :人間七七四年:2009/03/05(木) 12:20:43 ID:k2E0RvPq
彼女の息のかかった武将が徳川方についてるのが全てじゃないの?
淀殿や秀頼には愛着持ってなくても、傾きつつある豊臣の看板には愛着なかったのか?

464 :人間七七四年:2009/03/05(木) 13:09:49 ID:AX2JsxQY
元は自分の家(豊臣)だったけど
淀から疎まれて追い出されたところを家康が手厚く保護
しかも秀頼はほぼ確実に秀吉の血(種は大野)が混じってないって知ってるしね
心中は複雑だったろうが家康寄りになったのも仕方ないだろ


465 :人間七七四年:2009/03/05(木) 13:15:40 ID:/Jp9l4/n
>>463
血縁のある浅野幸長はともかくとしても、加藤清正や福島正則とは
実際問題としてそこまで近しい関係だったのかという問題があるんだよね。
交流らしい交流は無かったみたい。
そもそもが、北政所が正則や清正、小早川秀秋に「家康につくべし」と
唆したという話自体、確かな話とは言い難いみたいだし。

一方で、小西行長や大谷吉継の母親は北政所に近いところにいた人たちだし、
三成や浮田秀家との接点も上記の通りあるので、だから最近は関ヶ原のころは
西方に近かったんじゃないかという話がでてくる。

466 :人間七七四年:2009/03/05(木) 13:34:58 ID:4N0+8o4K
>>465
長浜では虎之助や市松の母親代わりだったって聞いたけど。

467 :人間七七四年:2009/03/05(木) 14:56:25 ID:zdptPHGA
そんな逸話レベルのを持ち出されても

468 :人間七七四年:2009/03/05(木) 15:04:20 ID:GjQEsFYc
逸話というか、民話に近いな。

469 :人間七七四年:2009/03/05(木) 19:34:31 ID:zwb9Bpwf
>>464
秀頼は大野治長の息子説って俗説じゃなくて、確たる証拠でもあるの?

470 :人間七七四年:2009/03/06(金) 01:46:59 ID:+TpHn2kr
北の政所と武断派と言われる連中のつながりといわれていたものもそうだけど
関ヶ原を武断派と治世派の感情的なぶつかりあいってのもいい加減見直されるべきだよね。
関ヶ原前夜の前田利家と家康の対立では武断派の筈の連中は二つにわかれてるし、大谷も家康についてる。
清正は朝鮮でのしこりを除いて元々石田との仲は悪くないし、
小西との対立で結局東軍についたけど、かなり消極的で迷ってたし。
更に治世派の筆頭は秀吉黎明期からの浅野長政の筈。奉行の寺沢は東軍についてるし、武断筈の谷は西軍だし。
あと東軍についた三中老も奉行みたいなモンだったんじゃないのかな。
いくらドラマ的に面白いからって感情論だけで天下を二つに分けた戦はしないでしょうよ。
家康が福島とかの脳筋をうまく利用する為にそういう感情を炊きつけた面はあるだろうけど。

471 :人間七七四年:2009/03/06(金) 01:59:52 ID:LixUx5z3
>>470
> いくらドラマ的に面白いからって感情論だけで天下を二つに分けた戦

つーか、今時ドラマ意外で関ヶ原をそんなふうに分析しているものなんて存在するか?

472 :人間七七四年:2009/03/06(金) 02:11:03 ID:Bk7fJjez
今の大河なら有り得る・・・

473 :人間七七四年:2009/03/06(金) 21:22:51 ID:aGuf9wwA
>>470
つ小和田大先生

474 :人間七七四年:2009/03/06(金) 23:15:37 ID:X08BpUTU
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1236292757/185-187

475 :人間七七四年:2009/03/17(火) 18:11:17 ID:lLOj1j32
>お前が国元が脅威ではないとか書いてるけど、国元が脅威だと望郷の念が強いのか?
>下々の兵がそれを知ってるとする理由は?「〜だろう」としてるが、そう推察させるだけの根拠は?

領国の近くに脅威となる勢力があれば、国元の情勢が気になるのは当然のこと。
下々の兵ってのは相良らのことか?
東軍寄りの黒田や加藤の他、旗幟不鮮明な大名が在国しているってことは当然知っているだろ。
島津の家臣などは合戦直前まで、数人ずつ美濃に集まってきていたというから、
九州の情報は逐次入っていただろう。

>国元には脅威がないから遠国衆には当たらない
こんなことは言ってない。誤解すんな。
国元の方に心が向いてしまっている遠国衆には該当しないと言ってるだけ。
別に遠国衆全部が国元の方へ心が向いているといってるわけじゃない。
領国近くに脅威が存在しない宇喜多などは特に国元のことを気にすることもなかっただろう。


結局のところ、この文の解釈は「慥成」を信頼できると訳すかどうかで変わってくる。
距離を問題とした文とみるか信頼度を問題とした文とみるかの違いだ。

三成はこの書状の中で味方のことを
「ちゝみたる體」「不慮出来候はん體」「事をかしき體」などと表現しており、
とても地元みたいな心を持って大丈夫なんて思っているようにはみえない。
矛盾していると思うから異論を唱えているのだ。

俺の訳を否定するなら「慥成」を信頼できると訳すのが誤りであるってことを説明しなくては意味がない。

476 :人間七七四年:2009/03/17(火) 19:45:30 ID:UIyXCIoP
>>475
>下々の兵ってのは相良らのことか?
雑兵の事だよ、下々という言葉も読めんのか?

>東軍寄りの黒田や加藤の他、旗幟不鮮明な大名が在国しているってことは当然知っているだろ。
黒田如水は大友と直接書状のやり取りしている、表面上とはいえ両者ともに通じた態度を出してる
加藤清正なんて西軍寄りのスタンスだろ、その程度の事すら知らないのか?
態度を明確にして東軍として活動始めたのは美濃で西軍の情勢が悪化した9月以降の話だ

>九州の情報は逐次入っていただろう。
逐次入ってきていたからどうだっての?九州での戦闘が激しくなったのは関ヶ原以降の話だぞ?

>国元の方に心が向いてしまっている遠国衆には該当しないと言ってるだけ。
>別に遠国衆全部が国元の方へ心が向いているといってるわけじゃない。
>領国近くに脅威が存在しない宇喜多などは特に国元のことを気にすることもなかっただろう。
脅威がないから国元の事を気にしない、だから遠国衆には当たらないと書いてんだろ?一緒じゃんw

で、前文を無視して九州に限定するお前の妄想話を裏付ける根拠は?
ここは解釈論以前の話だぞ、中国衆を入れても地元の心持てるからと、自身の示した策に対しての文なのに、
文脈に全く関係ない九州の話をしてんだぞ?そこを証左しろよ
それが出来んなら話にならんぞ

>三成はこの書状の中で味方のことを 「ちゝみたる體」「不慮出来候はん體」「事をかしき體」などと表現しており、
>とても地元みたいな心を持って大丈夫なんて思っているようにはみえない。
>矛盾していると思うから異論を唱えているのだ。
味方を信用してないというなら、そもそも毛利勢を各所に入れる事自体矛盾した事だと知れ

>俺の訳を否定するなら「慥成」を信頼できると訳すのが誤りであるってことを説明しなくては意味がない。
お前の訳を肯定するものがない、以上
あ、そういえば関ヶ原史料集の現代訳を読んだかね?w

477 :人間七七四年:2009/03/17(火) 22:19:02 ID:lLOj1j32
>雑兵の事だよ、下々という言葉も読めんのか?
雑兵の事など触れてません。

>態度を明確にして東軍として活動始めたのは美濃で西軍の情勢が悪化した9月以降の話だ
それまで明確に西軍として活動してるともいえません。

>遠国衆には当たらない書いてんだろ?一緒じゃんw
単に遠国衆といえば、毛利・宇喜多・吉川・安国寺・長宗我部・小西・島津・熊谷・秋月・相良・高橋ら。
このうち三成が信頼していると思われる遠国衆が毛利・宇喜多・安国寺・小西・島津・熊谷ら。
更にこのうち国元の方に心が向いていると思われるのが、小西・島津・熊谷ら。
こういう意味で九州勢と書いた。

>毛利勢を各所に入れる事自体矛盾した事だと知れ
国元の方へ心が向いてしまっている九州勢に不安を感じたから、
国元のことを心配する必要がない毛利勢を入れておこうと考えているわけで矛盾しない。




478 :人間七七四年:2009/03/17(火) 23:41:34 ID:UIyXCIoP
>>477
>雑兵の事など触れてません
遠国衆とは大名から下々の兵まで含めたのを“遠国から衆”と表現してるんです
それとも大名だけ指すとか、またトンデモ解釈始める気ですか?

>それまで明確に西軍として活動してるともいえません。
そうですが?だから
>>475
>「東軍寄りの黒田や加藤の他、旗幟不鮮明な大名が在国しているってことは当然知っているだろ。
が、いかにデタラメかわかるのだけど?
それとも、その九州の軍勢が彼らを東軍と認識して心配していたと証明出来るものあるの?
単にお前が無知晒しただけにしか読めんぞ

>更にこのうち国元の方に心が向いていると思われるのが、小西・島津・熊谷ら。
なら、彼らが国元の方に心が向いてるのを証明し、それを三成が感じていたのを証左してね
特に島津は関連文書多くあるから、もちろん書状なりで証左出来てるはずだよな?
これがなければ、ただの妄想

>国元の方へ心が向いてしまっている九州勢に不安を感じたから、
>国元のことを心配する必要がない毛利勢を入れておこうと考えているわけで矛盾しない。
上記参照、毛利勢が国元を心配しておらず、三成もそう考えていたというのを証左してねw

479 :人間七七四年:2009/03/17(火) 23:47:20 ID:UIyXCIoP
一、何れ之城之傳々にも、輝元御人数入被置候御分別、肝要に候、
  此段子細有之候間、御分別あつて、勢州を初、太田駒野に今度城を構候而能候はんと存候、
  江濃之境目松尾之城、何れの御番所にも、中國衆入可被置御分別、尤にて候、
  如何程慥成遠国衆にて候共、今時分は國郡之心さし有之付て、人之心難計候、御分別之前に候事


それで、お前が執拗に言ってた文脈で言うと、ここのどこに九州勢に触れた内容あるの?
ここは毛利勢に言及してるとしか読めないのに、なぜ最後の一文だけ九州勢になるの?
伊勢を初め、大田駒野に城を構えるとして、そこに中国勢を入れるとあり、その後の本文なのに、
いきなり九州勢とか出てくるなんて、お前こそ文脈も内容も全く意味不明なんだけど、
そこも説明してくれよw


480 :人間七七四年:2009/03/18(水) 18:41:48 ID:Dyq67wL4
>が、いかにデタラメかわかるのだけど?
どこがデタラメなんだよ。
如水の息子・長政は東軍として行動している。清正は上洛要請に応じない上、人質を取り戻した。
松井も城明け渡しに応じない。義久も動かない。他にも態度がはっきりしない大名がいる。
彼らが岐阜落城、大津・犬山寝返りといった西軍に不利な戦況を伝え聞けば、
東軍有利とみて行動しかねない。そうなれば留守にして手薄な国元のことが気になるのは当然のこと。

>彼らが国元の方に心が向いてるのを証明し、それを三成が感じていたのを証左してね
義弘は国元にあてた書状の中で「御国元之御談合、無心元候」と述べて心配している様子がうかがえる。
三成は、まさにこの書状の中で味方の不安な様子を述べている。

>毛利勢が国元を心配しておらず、三成もそう考えていた
西国一の大大名である毛利が脅威を感じるような勢力が周辺に存在しないことぐらい自明のこと。

別に文脈的にもおかしくない。この文で三成が言いたいことは、
「どんな人でも離反しかねないから用心のため毛利勢を各地の城へ入れろ」ってこと。
「遠国衆の中に心が国元に向いてしまっている者がいる」という現在の味方の不安な状態を増田に伝えて、
その決断を促しているわけ。
そして、その遠国衆というのが九州勢のことを指しているんだろうというのは俺の推測。
「三成が信頼している」「遠国衆である」「心が国元に向いている」という三つの要件を満たす者として
中国・四国勢に比べ国元に懸念材料が多い九州勢のことを指すのだろうと判断したまでのこと。

で、お前は現在の味方の様子を記した 「ちゝみたる體」「不慮出来候はん體」「事をかしき體」などという不安げな表現と
「地元の心持てるから大丈夫」と何も問題視していないという解釈が矛盾しないと思ってんのか?

481 :人間七七四年:2009/03/18(水) 19:01:13 ID:LnnbjqRX
>>480
>どこがデタラメなんだよ。
>>475
>東軍寄りの黒田や加藤の他
如水や清正が東軍寄りとしてるじゃねーか、態度がはっきりしないのが東軍寄りなのか?

>彼らが岐阜落城、大津・犬山寝返りといった西軍に不利な戦況を伝え聞けば、
>東軍有利とみて行動しかねない。そうなれば留守にして手薄な国元のことが気になるのは当然のこと。
だから、お前はタラレバではなくて、伝え聞いたとか、各諸将がそう思ったとかの証明しろっての
勝手にお前の思い込みを当然とかするなよ、毎度毎度同じ事書かせるな

お前の思い込み≠諸将の認識ってのをいい加減にわかれ

>義弘は国元にあてた書状の中で「御国元之御談合、無心元候」と述べて心配している様子がうかがえる。
>三成は、まさにこの書状の中で味方の不安な様子を述べている。
お前、全然読めてないじゃんw読み下してみろwつかその前後の文知らんのか?

>西国一の大大名である毛利が脅威を感じるような勢力が周辺に存在しないことぐらい自明のこと。
同上

>「どんな人でも離反しかねないから用心のため毛利勢を各地の城へ入れろ」ってこと。
だーかーらー、どんな人でも離反なのに毛利を除外するのはおかしな話だろ
しかも最初から毛利に言及してる文だしな

>そして、その遠国衆というのが九州勢のことを指しているんだろうというのは俺の推測。
根拠がないのは推測じゃねーよ、憶測と言うんだ、推測というなら根拠提示しろよ

>「地元の心持てるから大丈夫」と何も問題視していないという解釈が矛盾しないと思ってんのか?
バカか?不安だから毛利勢を入れるんだよ
で毛利勢みたいな遠国衆でも地元の心持てるから大丈夫となるんだよ

お前の主張は、全文見ても文脈見ても読み下しても、全然話が矛盾するんだよ
いずれの城にも輝元の軍勢入れると最初から書いてあるだろ
お前、文脈ってわかるか?>>479に返答してみろ

482 :人間七七四年:2009/03/19(木) 23:14:04 ID:LvyJfLtD
>毛利を除外するのはおかしな話
アホか。毛利が離反したらこの戦終わりじゃねーか。

>不安だから毛利勢を入れるんだよ
不安なのは、すでに美濃に来ている連中が地元みたいな心を持てていないからだろ。
それなのに、これから来る毛利勢が「地元の心持てるから大丈夫」といえる根拠はなんなんだ。

483 :人間七七四年:2009/03/20(金) 00:33:08 ID:ofLr12HF
>>482
>アホか。毛利が離反したらこの戦終わりじゃねーか。
お前が地元の心を持てないと強弁して遠国衆から毛利勢を除くから、おかしくなるんだよ
わかったかアホ

>不安なのは、すでに美濃に来ている連中が地元みたいな心を持てていないからだろ。
>それなのに、これから来る毛利勢が「地元の心持てるから大丈夫」といえる根拠はなんなんだ。
この書状書いた時には毛利勢もう来てますが何か?
すでに毛利勢と三成は接触した後で、伊勢を粗方平定した後の書状ですが?だから勢州を初云々とあるのだよ?
つかこの文自体が今後の方針、毛利勢への扱い等を書いてるんだよ

松尾山城や今後築く城に毛利勢を入れる話してる最中に、
書状の他の箇所でもしれうぃ窺わせる内容ないのに、お前の脳内妄想で三成が九州勢だけがホームシックにかかってて、
それを三成が危惧していたとした一文だと強弁するのがいかに間抜けか理解できたか?

つか、>>482に対してそれだけか?w
お前の主張を裏付けるもの、証左出来るものは一切なし?

484 :人間七七四年:2009/03/22(日) 09:32:44 ID:KDcjuRAC
何その間抜けな文(´,_ゝ`)プッ

485 :人間七七四年:2009/03/22(日) 13:18:02 ID:tC2J08d8
木下家の人間で東軍ついたのは浅野、木下長嘯子、小早川秀秋、木下延俊。
で、浅野はいうまでもない、長嘯子と延俊は家康と細川の縁者。秀秋は三成と敵対している。
逆に、そういったしがらみがないのは西軍についている。

そういった事から、北政所はどっちかっていうと、西軍よりだったと推定される。
というか、浅野:東軍 北政所:西軍で木下家の生き残り図ったかもな。

まあ、中央の政治や大大名じゃない限り、縁故や地方の敵対関係で東軍・西軍に分かれているので
そういった問題かもしれないけど。

486 :人間七七四年:2009/03/22(日) 13:33:00 ID:GotaHCiW
西軍の場合、東軍のつもりだったのにいつの間にやら組み込まれちゃって抜けるに抜けられなくなった連中も居るけどな

487 :人間七七四年:2009/03/22(日) 13:58:08 ID:tC2J08d8
>>486
まあ、それを言ったら、東軍もノリと勢いでなったのもいそうな感じだがな。
織田・鍋島なんかも意図的に出陣遅らせて西軍なった節があるし。
まあ、鍋島は親父と東西分けるつもりだったんだろうけど。

488 :人間七七四年:2009/03/23(月) 00:11:03 ID:MjDknXFj
>>487
長曽我部なんてわざわざ出て行ったのに何もできず、
挙句に改易された完全に馬鹿を見た組だし。

国元にいてどちらにも組しない、ってことは不可能だったのかな?

489 :人間七七四年:2009/03/23(月) 01:08:06 ID:FfMW8wAI
家康弾劾状である「内府ちがひの条々」を発したのは、
上杉討伐の戦争当事者である徳川と上杉、徳川に恭順の意を示した
前田以外の二大老と失脚した石田・浅野以外の三奉行。
この二大老三奉行が豊臣家を代表して反逆者家康を討つと言って
同じく豊臣家を代表して上杉を討伐しようとしている家康と争う事になったんだ。

これが単純な反家康連合の蜂起であれば
必ずしも意思表明する必要は無いかも知れないが、
「豊臣家を代表する」と言っているどちらにも一応の正当性はある。
これで行動しなければ、どちらに転んでも豊臣家に対する背信行為になってしまう。

490 :人間七七四年:2009/03/24(火) 00:37:18 ID:Ar1GUeX9
>>489
正当性については致命的な違いがあるよ
家康の会津征伐には豊臣の正式な許可があり秀頼が家康のもとを訪れて軍資金と兵糧の支援もしている
だけど西軍の蜂起には豊臣の正式な許可はなく家康にしたような支援もない
西軍は口先で豊臣代表を主張しているだけで大坂城を占拠しているくせに豊臣の支持を引き出せなかった
客観的には東軍の方が正当性が高い

491 :人間七七四年:2009/03/24(火) 02:18:21 ID:7/vyDAVp
では、関が原の後に豊臣家の蔵入れ地が分配されて
無くなり、直轄地だけになったのはどういう事情なの?
どういう事情で蔵入れ地を分配したんだ?

492 :人間七七四年:2009/03/24(火) 02:40:43 ID:ixqGIFTV
豊臣に統治能力が無くなったから

家康以外の知行発給可能な人物が居なくなったから

493 :人間七七四年:2009/03/24(火) 03:18:04 ID:kZv9+Cdh
違うだろ
豊臣政権に反逆した石田三成らを成敗した恩賞を、
西軍に属した諸大名と豊臣氏の所領をもって報いただけだ

494 :人間七七四年:2009/03/24(火) 03:22:17 ID:L8Q4sWJq
>>493
家康は豊臣家のために上杉征伐〜関が原を闘った
ことになってるわけだろ。
戦後、西軍大名の所領を削って東軍大名に割り当てるのは
良いとして、豊臣家蔵入れ地まで渡すのは道理に
反しているんじゃないかと思ったんだが。

495 :人間七七四年:2009/03/24(火) 04:40:31 ID:p3VJ5vbg
西軍参加武将の領地だけじゃ足りなかったそれだけだろ

496 :人間七七四年:2009/03/24(火) 11:33:54 ID:EmQuhYqt
>>495
足りないというより、豊臣蔵入れ地を削るために
大盤振る舞いをしたと思うんだが。

497 :人間七七四年:2009/03/24(火) 19:37:34 ID:YrWuCpu6


>>494
秀頼の代理人である家康が「逆臣」である三成らを討伐したわけ。
ということは豊臣家が三成らを討伐したということ。
であるならば、豊臣家の財布からご褒美出しても論理的にはおかしくないでしょ?
納得がいかないという気持は十分にわかるけどね。

498 :人間七七四年:2009/03/24(火) 19:37:51 ID:Ma96bbo4
>>492

>家康以外の知行発給可能な人物が居なくなったから

だから、秀頼が十五になるまで禁止つってんだろ。


499 :人間七七四年:2009/03/24(火) 19:44:02 ID:I84zhhCC
>>497
だいたい淀は家康と図って喪瓜を足止めしてたっぽいしな

500 :人間七七四年:2009/03/24(火) 23:57:08 ID:2xZuWCxi
>>499
そんな話はありません
捏造乙

501 :人間七七四年:2009/03/27(金) 00:10:28 ID:A0sdC4+O
淀と家康が仲たがいするのは家康の将軍就任後であり
関ヶ原の時点では淀と家康は特に対立していたわけではないんだよね
図るとまではいかなくても淀が家康より三成や輝元を信頼していたわけでもない

502 :人間七七四年:2009/03/27(金) 03:30:18 ID:ITNeFHOF
それ以前に淀が豊臣家に口出しできたのは関ヶ原以降

503 :人間七七四年:2009/03/28(土) 23:28:35 ID:cZGBm4Mm
逆に言えば淀が豊臣家に口出しできるようにするために
家康に三成らを倒してもらわないといけないわけだ

504 :人間七七四年:2009/03/29(日) 00:06:46 ID:dZIS7OuQ
>>490
豊臣って一体誰だよ。

505 :人間七七四年:2009/03/29(日) 10:59:22 ID:PnqU9BEr
>>504
豊臣秀頼に決まっているだろ
秀吉が幽霊になって家康に会津征伐の軍資金を渡しに来るのかよw

506 :人間七七四年:2009/03/29(日) 11:18:56 ID:dZIS7OuQ
>>505
ちょっw
6歳の秀頼が自分で判断したとでも思ってるのか?

507 :人間七七四年:2009/03/29(日) 12:05:52 ID:mraBqWZq
基本的に豊臣家周りは反対だよ。
豊臣家から働きかけているんじゃなくて、
家康→朝廷→家康→豊臣家ときて、軍資金だけが出た状態。
本来なら豊臣家→朝廷→豊臣家→家康とこないといけない。

つまり、消極的な同意を取り付けて出陣した状態。

508 :人間七七四年:2009/03/29(日) 12:15:38 ID:ijsEovWL
軍資金出したのって増田だろ。

509 :人間七七四年:2009/03/29(日) 13:05:49 ID:PnqU9BEr
>>507
消極的だろうがなんだろうが公式に同意を取ったのが家康、取れなかったのが三成
自分の判断でなくとも秀頼は家康のところに行って公式に軍資金・兵糧を渡したが、三成にはしていない
だから三成の行為は公式には反乱でしかない
本心では反対していたかどうかとか三成の内心に忠義があるかどうかは関係ない

510 :人間七七四年:2009/03/29(日) 13:38:21 ID:ijsEovWL
だから軍資金出したのは増田だって

511 :人間七七四年:2009/03/29(日) 17:29:14 ID:XhI5kKQH
関ヶ原の本戦で石田の隣に豊臣の兵2000がいたのは無視ですか?

512 :人間七七四年:2009/03/29(日) 17:33:09 ID:FgasRb11
>>511
主君の許可を得ずに勝手に出陣しただけ
秀吉が遺言で全権代理人が指名しなかったのが関ヶ原の原因

513 :人間七七四年:2009/03/29(日) 17:46:57 ID:EPiMSu9E
>>509
豊臣公儀の正式な決定である事を示す為に二大老・三奉行の連署を取ってるんだけど。

514 :人間七七四年:2009/03/29(日) 18:12:54 ID:5iryL5sZ
二大老・三奉行の連署が公儀の正式決定にならないよ
それはあくまで大義名分として、権威付けしたに過ぎない
西軍は大坂城押さえたのに、秀頼の名を使えなかったのが最大の敗因だよ

つか会津征伐で兵糧を供与は、家康が大坂から出る際に秀頼の名前で出てる
取り計らったのが増田(長束だった気がするが・・・記憶曖昧)だとしても、秀頼より出てるのは間違いない

515 :人間七七四年:2009/03/29(日) 23:57:23 ID:YXawdLsz
どちらも豊臣のためと称した、大老家康vs大老毛利連合の
私闘ってことかな?
豊臣家もどっちつかず決め込んで、勝った方を支持しただけのことか?

516 :人間七七四年:2009/03/30(月) 03:28:46 ID:OKCWl1hH
勝った方じゃなく、その時大阪城を支配(占拠)してた方といったほうがよかっぺかと

517 :人間七七四年:2009/03/31(火) 07:47:46 ID:qPxIEIXx
散々繰り返されてるけど豊臣家も公儀も何も、
6歳のガキンチョにおまえらは何を求めているのかと。
秀信がまだガキンチョで秀吉・信雄と柴田・信孝が勝手にワイワイやってた事と似たようなモンでしょ。

518 :人間七七四年:2009/03/31(火) 10:24:15 ID:ZsmAS0n/
豊臣政権という公儀は織田よりも成立認知されていたからね
天下人ならどっちかに味方して、どっちかを追討するよう命令すべきだった

家来同士の私闘を止められず、日和見の主君に将来性はない

519 :人間七七四年:2009/03/31(火) 11:07:46 ID:ZlgsA+uj
豊臣政府の中枢部の混乱だから無理

520 :人間七七四年:2009/03/31(火) 12:05:56 ID:6lv8jtyI
どっちも正しいので困る

521 :人間七七四年:2009/03/31(火) 15:33:49 ID:Fk/r0Ep0
豊臣政権が官位と家格による序列統制だったのをよく考えましょう

522 :人間七七四年:2009/03/31(火) 23:58:10 ID:PFehvwOq
6歳の子に日和見も糞も無い

523 :人間七七四年:2009/04/01(水) 02:29:48 ID:5QaQkxTT
秀頼が幼少なら淀殿か
俺が小大名なら豊臣家が俺の所領を守れるかどうか不安になって大大名を頼ってしまうね


524 :人間七七四年:2009/04/19(日) 18:05:51 ID:CC3qo8ex
今日、関ヶ原を見学してきた
よくもまああんな狭いとこを戦場としたもんだ
あそこで何万の人が戦ってたと思うと、もはやため息しかでないな

525 :人間七七四年:2009/04/22(水) 20:24:40 ID:UpHmEHaM
慶長5年 9月15日

聞いて聞いて!
今日遂にIとMが激突したの!
場所は美濃関ヶ原。両方の軍勢は合わせて15万人以上!
もう、凄い!
これぞ天下分け目って感じの戦いよね!

戦況は、最初はMが押してたんだけど、途中で松尾山にいたHが
Iに寝返っちゃってから事態が一変したの。
Hに続いてNもYもSもM・Kも寝返っちゃってもうグダグダ。
おまけに南宮山にいたH・MもH・Kも動かないし、
Y・Oも支え切れずに討ち取られちゃって、Mは敗けを悟って
退却したってわけ。
案外あっけない終り方だったわね。
これでIの天下はほぼ確実かしら?
拙者も早いとこ身の振り方を決めなきゃまずいわね。
恐恐勤言!

ゴシップ武将

526 :人間七七四年:2009/04/22(水) 22:50:09 ID:2k7Xv6Pf
笹尾山の三成陣からの関ヶ原展望
確かにここに20万の軍勢って疑いたくなるよな
http://imepita.jp/20090422/820470


527 :TOMMY :2009/04/25(土) 00:35:13 ID:g4Y/n4QZ
蒲生(かしこまってござる

三成(ゆけ!勝て!

島(お止めなさい!敵の動きはちと怪しいですぞ!




さあ、僕のレスに続けてください。
このスレは私、TOMMY が乗っ取りました。

528 :人間七七四年:2009/04/25(土) 19:42:57 ID:89BCJ+/Q
西軍は呂布を味方につければ勝てた


529 :人間七七四年:2009/04/25(土) 21:26:26 ID:xkCDkRpB
>>526
(その写真を正しい向きに直して)中央右の低い山が家康当初本陣の桃配山(だと思う)。
そこから後ろの東軍山内勢、西軍毛利勢などは、山の陰になって三成本陣からは見えない。
実際にその写真に写っている範囲にいた将兵の数は20万の、半分以下だよ。
それはつまり、実際に戦った人数がそれだけしかいない、と言うこともできる。

530 :人間七七四年:2009/05/06(水) 16:46:48 ID:Pa6+aPUG
>>528
福島正則に蹴散らされて終了

531 :人間七七四年:2009/05/13(水) 19:53:40 ID:ShH4msRL
この戦いって天下の覇権を奪い合った大戦として表されて入るが
誰も天下を奪い合うという気持ちでなかったように見えるんだが・・
主だった顔ぶれを見てみると

 西軍では
小早川隆景オジタソ存命のときは毛利輝元の後ろ盾として西国を任せ
東国は徳川家康に任せに近い状態だったのが・・
隆景オジタソ死去によって輝元放置プレイ突入(まあ当然の評価だろうが)
 天下を担うのが
徳川家康と前田利家の東側二人になってしまい
輝元タソが「面白くねー」状態
このうえ上杉家までやられた日には毛利は二度と日の目を見れないよ
だから足引っ張って徳川の失墜をねらっっちゃえ。
そしたら毛利が徳川と並ぶ威勢を回復できるしね。
 ゆえに徳川征伐を念頭においていたとは思えない。

吉川は、
そんな過激な戦法とらんでも政治外交で毛利の権威は回復できる
はずだよ。「てめーの力量考えて判断しろよボンクラ家長」
この戦は長引けば応仁の乱の二の舞になりかねんから
毛利は戦場に出さずに戦力を温存し、戦況がこじれた段階で
和睦斡旋すりゃいいじゃん。
とりあえず俺が東軍に内応しとく体裁取るんで
東西双方の戦力消耗をねらってしまおう。
そしたら毛利が威勢を回復できるしね。
 ゆえに徳川に内通してれば毛利は安泰と安易に考えていたとは思えない。
まあほめられもしないけど。


532 :人間七七四年:2009/05/13(水) 19:54:59 ID:E8F6HEB0
3,4行でまとめられる文章だな

533 :人間七七四年:2009/05/13(水) 20:03:43 ID:ShH4msRL
 宇喜多秀家は
「やべーよ。嫁さんわがまま聞いたり義父との交際のせいで
出費かさんだのが原因とはいえお家騒動してしまったぜ。
このままなにもせずにいけば蒲生さんとこみたいに
俺のなくなった後で宇喜多つぶされかねんぞ・・どうしよー」
状態
そうこうしているうちに前田利家が豊臣家の後見になって
応援すりゃ身内として甘く見てもらえるぜーと思ってたら
前田家落ちめに・・
「家康は厳しそうなじいさんだしなー・・邪魔だ・・」
家康を天下簒奪の料で失墜させちまえ・・
その際に宇喜多家で戦の功績をあげれば
豊臣家への貢献をした家門大名として安泰
俺も前田のじいさんの代わりに豊臣家の後見
天下の政務は家康の変わりに毛利の親父に任せりゃいいぜハッハッハ
完璧

お家騒動を起こした後仲裁で収まってた家臣連中は
「てめーの力量考えて判断しろよボンクラ家長」
「お家騒動で恩義あんだろ?普通に考えろや。つきあってられっか」
で東軍へ

534 :人間七七四年:2009/05/13(水) 20:06:23 ID:ShH4msRL
上杉は俺が戦争吹っかけたら・・
天下は混乱すんだろ。そのまま越後と最上は併合
状況見て徳川一度でも破ったら東は俺の天下・・
徳川の変わりに大老筆頭になっちゃるぜーハッハッハ

>>532
反省して4行でまとめてみました。

535 :人間七七四年:2009/05/13(水) 20:10:01 ID:ShH4msRL
石田は
うざい加藤清正と福島正則がうざい。あいつらのいるせいで
俺が政権に戻れない・・徳川に頼ろうとしてもなー
問題あるし・・徳川つぶす気は皆無だし政権には必要とも思うが・・
宇喜多や毛利の思惑に乗るしかないか・・
戦で勝手から家康殿と話し合って恩売ることも可能だろう・・うん。


536 :人間七七四年:2009/05/13(水) 20:14:15 ID:ShH4msRL
東軍は
加藤清正と福島正則たち・・
 朝鮮出兵の恩賞どうすんだー?ゴルラァーッ
とりあえず家康殿頼れ。あとは三成には悪いけどあいつ槍玉にして
家の家臣は抑えてと・・
戦だ・・戦・・国内戦やって領地を分捕るしかねー
やっちゃりましょう家康さん・・豊臣・知るかそんなもん

537 :人間七七四年:2009/05/13(水) 20:19:56 ID:ShH4msRL
家康にしても
一応豊臣が鎌倉将軍、徳川が北条執権家のごとくしろか・・やった徳川の天下・・
だが戦しとかんと加藤清正や福島正則が恩賞求めてるし・・
やっと徳川の天下なんだし大事にはしたくねーよな
上杉家が反抗してるんであいつつぶせば
ちょっとは恩賞だせるだろ・・
その際反抗するやつは少数と見た・・秀吉殿お墨付きの俺の天下だしなハッハッハ

この程度の考えだと思う。作為的に大戦争やって徳川幕府とまで考えていたとは
・・

538 :人間七七四年:2009/05/13(水) 20:21:38 ID:GUymqcCl
>>533
宇喜多はほんとそんな感じだよな
あいつはこの板じゃ泳いで参ったのネタで大人気だが
武将として見るとバカ殿だ

539 :人間七七四年:2009/06/18(木) 12:16:23 ID:+xcK7J3C
保守

540 :人間七七四年:2009/06/18(木) 15:55:01 ID:M7XWHW+T
>>538
武将と言うか、君主として色々欠落しているよな。

541 :人間七七四年:2009/06/20(土) 22:40:23 ID:tcFUTTX8
宇喜多を理解できないやつは三流

542 :人間七七四年:2009/06/27(土) 19:23:53 ID:xu62DyNC
秀家自身三流なんだけど

543 :人間七七四年:2009/06/28(日) 09:47:27 ID:BQuHAQPY
毛利よりはマシ
秀家は正々堂々戦った

544 :人間七七四年:2009/06/28(日) 19:19:36 ID:nc1ofWGx
毛利は本当に情けない

545 :人間七七四年:2009/06/29(月) 00:21:38 ID:pZAbnaCb
家を滅ぼすような大将は武士の風上にも置けない。所詮端武者。

546 :人間七七四年:2009/06/29(月) 17:46:31 ID:gRP1Fv5S
輝元、広家、秀元の三馬鹿トリオの事ですね。わかります

547 :人間七七四年:2009/06/29(月) 17:53:01 ID:pZAbnaCb
明治まで大藩として続いて居るがな。いつ滅んだんだ毛利は?

548 :人間七七四年:2009/06/29(月) 18:30:16 ID:xC0buQOp
秀家のことだろ

549 :人間七七四年:2009/06/30(火) 02:31:47 ID:FPnNMCeQ
>>497
西軍総大将の輝元が大坂城にいて西軍が逆臣っていうのもな
淀が日野富子ばりに日和見だったって事で良いのかな

550 :人間七七四年:2009/06/30(火) 14:40:34 ID:2UwRftnZ
毛利輝元は小早川隆景にたびたび殴られたんだってね。
隆景は秀秋に対してはどう接していたんだろうか?
大変気になる

551 :人間七七四年:2009/06/30(火) 14:52:58 ID:zM0fstg2
輝元はトップに立って良いレベルの人じゃないからね。
戦下手糞だし。

552 :人間七七四年:2009/06/30(火) 19:28:36 ID:03MBpPhk
>>551
トップに立って良いレベルの人だから三成や大谷は総大将にしたんだろう
関ヶ原で36万石に減らされた時に家臣の多くは無禄でもいいから付いていく言われたほどだから
人徳の点では及第点だろう
あと戦下手糞とか言ってるけど13歳の時から初陣し数々の戦を戦い抜いてきたわけなんだけど
四国征伐や九州征伐なんかでも武功を立ててるし関ヶ原のイメージだけで
戦下手とか言うべきじゃないんじゃないか

553 :人間七七四年:2009/06/30(火) 19:42:05 ID:HY2FH7E4
まあ……伯父の二人が錚々たる戦歴だからなぁ。

554 :人間七七四年:2009/06/30(火) 20:43:44 ID:5qGPHto4
総大将は戦はじまったらすることないし

555 :人間七七四年:2009/06/30(火) 23:34:28 ID:jwCt/pde
なぜ隆景は秀秋を両川として養育しなかったんだろうか。
隆景ほどの人なら、輝元の器量や毛利家での両川の重要性は
十分わかってただろうし。
一応秀包もいるけどこっちも両川の一翼って感じはしないし。



556 :人間七七四年:2009/07/01(水) 00:00:20 ID:UNSSxNj0
何をどうすれば秀吉の親族を毛利の陪臣扱い出来るのかと

557 :人間七七四年:2009/07/01(水) 01:30:35 ID:vgRpgINv
秀包を二流三流扱いの時点で池沼確定だろ


558 :奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/07/01(水) 07:35:48 ID:2gq0D72U
念のために書いておくと、毛利輝元は父方に伯父は一人もいない。

559 :人間七七四年:2009/07/02(木) 07:37:44 ID:t5t0Ymcj
秀包はね、立花家の雷神さんの跡取りに匹敵するくらいの戦歴の持ち主で結構一緒に行動してたりしたけど
向こうは鎮西一と謡われながら秀包は全く無名だね。

にしても元就の子供って隆元、元春、隆景、元清、秀包と名将揃い。これだけ当りばっかりって凄くね。
同じ位に子供の数と質に恵まれてれば織田も武田も豊臣も滅ばなかったんじゃないかなぁ。

560 :人間七七四年:2009/07/02(木) 13:20:27 ID:Y1MT8mND
それだけいたのに毛利滅びかけたけどなw

561 :人間七七四年:2009/07/02(木) 14:19:28 ID:0SIf58rz
秀包は毛利家での発言力はどうだったのだろ?
大津攻めの大将も兄の元康だし、普通に末っ子扱いかも?
やっぱ小早川本家を継げなかったのが痛いのかな。

562 :人間七七四年:2009/07/04(土) 03:34:32 ID:XkJjZbNm
>>560
輝元だけが癌だな

563 :人間七七四年:2009/07/04(土) 09:51:14 ID:ycFch8KI
家中の方針もしっかり一本化できないような
当主はだめだめだよな

564 :人間七七四年:2009/07/04(土) 17:43:34 ID:7klS+D+A
佐竹義宣や真田昌幸や島津義久や長宗我部盛親や宇喜多秀家の事ですねわかります

565 :人間七七四年:2009/07/04(土) 20:29:30 ID:T+mD8Y6A
ファビョるなよ毛利信者www
心配しなくても毛利が西軍で一番のカスなんだからwwwwwwwww

566 :人間七七四年:2009/07/04(土) 20:58:56 ID:53VPZu7D
毛利がしっかり動いていれば、
西軍が勝ったかもな

吉川って
とんだアホだよな
なんで毛利、吉川、小早川をまとめて
家康と戦うだろうに

567 :人間七七四年:2009/07/04(土) 21:21:42 ID:7klS+D+A
>>565-566

こういう反応を「火病る(ファビョる)」と、呼びます。

568 :人間七七四年:2009/07/04(土) 23:13:32 ID:39Lqa9wR
>>566
小早川は毛利家ではなくなったのでまとめるも何もない
それに吉川も秀吉の台頭後は次第に軽視され、三成に利用されることについてもまったく聞かされていなかった
このまま西軍が勝つと自分が完全に蚊帳の外にされるだけでなく粛清の対象にもされかねないことから
家康を勝たせて自分の身を守るしかなかったのも事実
アホどころかよく考えて行動しているよ

569 :人間七七四年:2009/07/04(土) 23:30:22 ID:bqxjocAD
考えてる割にツメが甘いw
「本家を売った裏切り者」として結局子孫が苦労する

570 :人間七七四年:2009/07/05(日) 00:57:52 ID:5Pr0laan
>>569
言っておくけど吉川が「本家を裏切って云々」なんてアホな事言われたのは、
幕末維新の、徳川と戦っていた時だけだぞ。

吉川が本家と対立したのは、関ヶ原のことじゃなくて、独立問題があったからだ。
むしろ吉川は本家存続の「功績」を元に、独立大名への取立てを求めていたのだ。

あまり思い込みで歴史を見ないほうがいい。

571 :人間七七四年:2009/07/06(月) 10:58:55 ID:YrhPIoPO
吉川広家が毛利本家と対立なんてしてない

対立したのは吉川家などの一門衆を排除しようとした安国寺や、
その安国寺を支援し、広家と繋がり深かった取次の黒田を失脚させ、
後任について吉川家への対応を180度転換させた三成とだよ


関ヶ原のおりも輝元の広家への信任は厚かったから、
黒田との交渉も任されてる


572 :人間七七四年:2009/07/06(月) 13:30:48 ID:mD/Q+754
家康自身から安堵の約束取り付けてないから甘いんだろ
やる気出して勝ちに行くか負けて改易かの2択の方がスッキリだったのにw

つか総大将やったヤツを許してくれると本気で思ってたのかが謎だ

573 :人間七七四年:2009/07/06(月) 17:33:56 ID:YrhPIoPO
だって、つけいる隙与えてたからしょうがないよ
四国派兵と西軍諸将に宛てた書状見つかってたんだし

それまでは島津攻めを担当させて許されるはずだったのに、
その件で言い訳効かなくなり、黒田長政からもフォロー出来ないと書状で書かれてる訳だし


まぁ家康に、毛利はほとんど関与してないよと言い訳してたのに、
輝元直筆の書状見つかり、それが家康討伐に積極的加担するよう要請する内容なら、
家康も反故にできる口実として使うよね

574 :人間七七四年:2009/07/06(月) 18:58:32 ID:f64YCn8L
小説程度の知識しか無い西軍好きの馬鹿が広家ののしる
→実態はそうじゃ無いと説明される
→馬鹿火病る

このパターン多すぎ


575 :人間七七四年:2009/07/07(火) 07:39:37 ID:vvM6hKCK
総大将やって大名として残っただけで十分凄いやん

576 :人間七七四年:2009/07/07(火) 13:49:55 ID:8lonQaLT
関ヶ原の戦いは上杉征伐から突然状況が変わった戦だったから
この状況の変化にどう対処したかで将としての器が計れる気もする
駄目な将No.1はたぶん宮部長房

577 :人間七七四年:2009/07/07(火) 16:11:02 ID:Tlvwnv6I
一日で終わるとは誰も予想していなかっただろうこの戦、毛利は家康と講和して何をしようと考えていたのか?
家康独裁から徳川毛利二頭体制にできればよしと考えていたのかな?

578 :人間七七四年:2009/07/08(水) 02:34:25 ID:PMiScxJU
上杉討伐の時点で徳川が想定していたのは三成が上杉に単独で呼応するするところまででだろう。
三成に大谷や宇喜多までが雪崩を売ったかのように味方するとは誰ひとり予想していなかったんだし。

579 :人間七七四年:2009/07/08(水) 02:39:43 ID:XmK4lGux
>>578
つーか、家康は当然、挙兵があったとしても上杉との抗戦が始まってからと考えていただろう。
それが宇喜多が暴走して、それこそ雪崩のように三成達が引きずられたのが実態。


580 :人間七七四年:2009/07/08(水) 03:26:05 ID:PMiScxJU
>>579
家康も宇喜多と石田が組むなど予想してなかっただろうな。

581 :人間七七四年:2009/07/08(水) 04:21:56 ID:XmK4lGux
>>580
宇喜多と石田は普通に予想できただろ。敵に回るとすればその辺だ。

しかし敵である家康から見ても、見切り発車の西軍の蜂起には驚いただろうがな。誰が考えても
上杉との交戦が始まってから挙兵したほうが、西軍にとって有利に決まってるのに。

これは上杉と、石田方が連携を取っていなかった証拠。


582 :人間七七四年:2009/07/08(水) 04:39:22 ID:oMyI1WEZ
宇喜多の急な出陣式のせいで
西軍は徳川と共に上杉征伐に行く気で
徳川に敵意を持たない者まで無理矢理組み込んだ寄せ集めの軍になっちゃったし
秀家は豊臣家を重んじ篤実な人物だったんだろうけど
宇喜多騒動やこの決起をみるに政治や軍略の才はなかったんだろうなぁ

583 :人間七七四年:2009/07/08(水) 08:13:37 ID:9RJ+uCmk
親父似ず真っ直ぐというかまぁボンボンだよね

584 :人間七七四年:2009/07/08(水) 08:42:16 ID:+nMEtHxr
上杉と交戦して西軍決起って、宇喜多と石田、増田以外、誰が西軍に参加するんだ?
毛利主力に大谷、長曽我部、島津、前田、小早川、
皆、会津へ行ってるぞ?

585 :人間七七四年:2009/07/08(水) 08:50:09 ID:BlKhrN9V
>>584
そこで千成瓢箪登場

586 :人間七七四年:2009/07/08(水) 11:06:10 ID:XmK4lGux
>>584
西軍が豊臣家側ときちんと申し合わせた上で蜂起すれば、ただでさえ正面の上杉と戦っている常態で
後ろにも敵を抱える状況になるんだから必ず動揺が走るし、それを利用して分裂させる工作も容易でしょ?
毛利なんてある程度話が付いている形になってるんだし。

どっちにせよ博打だけど、準備と成算があった上での博打と、出たとこ勝負の博打は意味が違う。
三成は秀家のおかげで、出たとこ勝負を強いられることになった。

関ヶ原の決戦にいたるまでの三成は、最初のボタンのかけ違いをどうにか修正する作業に
追われ続けたと言っていい。


587 :人間七七四年:2009/07/08(水) 14:20:05 ID:9RJ+uCmk
直ぐ真後ろならともかく遠い畿内じゃねぇ・・・
揺さぶりをかけるには距離がネック
奥さん達を上手く押さえれたらまた違うんだろうけど


588 :人間七七四年:2009/07/08(水) 14:48:12 ID:BlKhrN9V
>>587
ガラシャの自決で諦めた事になってるけど本当なら三成どれだけチキンなんだよ・・・

589 :人間七七四年:2009/07/08(水) 18:48:20 ID:+nMEtHxr
>>586
史実でも非協力だった豊臣家に、史実以上に状況厳しい中で協力要請して、
豊臣家が協力してくれるとでも?

毛利と話がついてるのも根拠不明
安国寺が暴走して毛利を引き込んだのに、どう話つけてたの?

590 :人間七七四年:2009/07/08(水) 19:43:34 ID:9RJ+uCmk
>>588
もっとも自殺は無いと思ってた奴が死んじまったからビビったって仕方ない


591 :人間七七四年:2009/07/08(水) 22:51:55 ID:efVCFU8I
というか、安国寺の暴走だと言ってるけど、
輝元上京時の状態から一応安国寺は輝元の了承を得ているじゃなかったっけ?

ぶっちゃけ、伊勢対陣中に広家は東軍の返書がくるまでマジメに西軍やってたし。
(つーか、一番被害だしたの吉川隊だし)
吉川隊の被害をづらづら書いて最後に内通の返事が来たと書いてなかったっけ?

色んな意味で微妙な文だな。

592 :人間七七四年:2009/07/09(木) 11:02:48 ID:mJFbWo1H
>>591
輝元上坂前に先駆けて出陣した安国寺が三成と談合し、
輝元の裁可なく、輝元の密命受けてると言って、
広家や秀元を動かし、大坂城西の丸を占拠してる

これは輝元上坂後に、安国寺の独断先行だったとわかり、
安国寺は輝元の談合人(ブレーン)から外されてる

そして関ヶ原での毛利のスタンスは和戦両方
だから西軍にも積極的に加担してる

が、岐阜陥落や家康の西上で西軍が不利と思うと、
交渉や合戦の差配を任されてた広家等は家康と和睦

そういう事

593 :人間七七四年:2009/07/10(金) 01:12:00 ID:ioAa47En
>>545
お前みたいな負け犬根性のクズだとそう思うんだろうな
まともな人間なら結果論で語らない
脅されたら尻尾振るだけのカスは黙ってロムってろや
少しは恥を知れよ最下層が

594 :人間七七四年:2009/07/10(金) 01:22:44 ID:h09RmkXv
          ┌┬┬┬┐
    ―――┴┴┴┴┴―――――、
   /.  ̄ ̄ ̄//. ̄ ̄| || ̄ ̄ ̄||| ̄ ||     __________
  /.    ∧// ∧ ∧| ||      |||   ||  /
 [/____(゚_//[ ].゚Д゚,,) ||___|||   || <  呼ばれた気がした
 ||_. *  _|_| ̄ ̄ ∪|.|.       |ヽ. _||  \__________
 lO|o―o|O゜.|二二 東|.|京 精神病院 ||
 | ∈口∋ ̄_l__l⌒l_|_____|_l⌒l_||
   ̄ ̄`ー' ̄   `ー'  `ー'   `ー'


595 :人間七七四年:2009/07/10(金) 08:13:47 ID:5qj+W6ea
>>593
自分一人ならまだ良いが何人もの家臣とその家族を抱えている訳で・・・
自分の勝手でそれらを路頭に迷わすなんて馬鹿のする事

596 :人間七七四年:2009/07/10(金) 19:55:06 ID:CElIfFQx
結果論で語るのが悪いってw
単に歴史上の人物で自分が好きなのがたまたま負け組だったから
結果論じゃないんだ!と言い張りたいだけだろw

当時の武将達だって皆その結果を出すためにこそ行動してたんであってね

597 :人間七七四年:2009/07/13(月) 11:01:16 ID:T+Qa6Mk3
もういいから、関ヶ原の話に戻りましょう。

598 :人間七七四年:2009/07/13(月) 11:41:48 ID:ZOiz+SKj
三日も経ってから仲裁かよw

599 :人間七七四年:2009/07/15(水) 12:54:35 ID:QUJ0WPIG
毎日2ちゃん見てるわけじゃない

600 :人間七七四年:2009/07/22(水) 01:02:38 ID:runZHvpO
関ヶ原の戦いに詳しいみなさんに質問です

司馬遼太郎の「関ヶ原」を読みました。
その中で小山で唯一西軍につくと言って戻って行った田丸直昌に感動したんですが
あの後彼はどうなったんでしょうか?
ご教授願います。

601 :人間七七四年:2009/07/22(水) 02:35:44 ID:uQSmeqKk
>>600
田丸直昌は小牧会議に参加していません。あれは後世の創作です。

602 :人間七七四年:2009/07/23(木) 12:57:33 ID:9TvHoWnn
>>600
関ヶ原本戦に参加しているよ

603 :人間七七四年:2009/07/24(金) 03:02:06 ID:/WRsqlrm
>>600
岩村城に戻って、周辺の東軍小大名、遠山、妻木、小里らと戦って孤軍奮戦、本戦で西軍が負けたら開城降伏している。

604 :人間七七四年:2009/07/25(土) 18:18:19 ID:UpYmQpUi
BSの熱中夜話で今後のテーマに関ヶ原ってあったぞ
楽しみだ

605 :人間七七四年:2009/07/25(土) 23:40:14 ID:Boxgkfr1
>>600
>その中で小山で唯一西軍につくと言って戻って行った田丸直昌に感動したんですが

実際は田丸が偉いというより家康が内通を疑って追放したって方が自然じゃないかな
ただ追放という形だと周囲の疑心暗鬼を招きかねないから
田丸がどうしても三成につくと言うから快く送り出してあげた、という形式を取って士気上昇に逆用したと考えた方が現実的だよ

606 :人間七七四年:2009/07/26(日) 00:05:13 ID:QCUPzMHi
何でそれが士気上昇につながるのか全く分からん
疑ってたんなら江戸に留め置いて監視した方がいいだろ
そっちの方がより現実的だ

607 :人間七七四年:2009/07/26(日) 00:25:47 ID:cREjXz9l
だから田丸は小山会議に出てねえっつーの

608 :人間七七四年:2009/07/26(日) 10:41:44 ID:SF5vE2uW
本多忠勝
本多正信
井伊直政
福島正則
山内一豊
黒田長政
浅野幸長
細川忠興
加藤嘉明
蜂須賀至鎮

あとは誰が居たっけ?小山会議出てた大名。

609 :人間七七四年:2009/07/27(月) 00:59:53 ID:lgcZQcd7
榊原の事・・・たまにでいいからry

あと、田丸が小山に出てない事を証明したのは他ならぬ田丸直昌の子孫、田丸辻郎。

610 :人間七七四年:2009/07/28(火) 00:33:18 ID:HHOAqpyZ
日本史板に新スレ立ててください。お願いします

タイトル【島津】 関ヶ原の戦い 十六 【津軽】

過去スレ
【石田】 関ヶ原の戦い【三成】
http://academy.2ch.net/history/kako/1029/10297/1029702262.html  (消失)
【石田】 関ヶ原の戦い 弐 【三成】
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1043182426/
【石田】 関ヶ原の戦い V 【三成】
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1056815897/
【石田】 関ヶ原の戦い W 【三成】
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1084261407/
【石田】 関ヶ原の戦い V 【三成】
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1102935074/
【石田】関ヶ原の戦い 六【三成】
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1115166136/
【石田三成】 関ヶ原の戦い 七 【福島正則】
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi?bbs=history&key=1124498701
【石田】 関ヶ原の戦い 八 【三成】
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1126539399/
【徳川】 関ヶ原の戦い 九 【毛利】
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1128328526/
【家康】 関ヶ原の戦い 十 【三成】
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1130423030/
【家康】 関ヶ原の戦い 十一 【三成】
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1132215615/
【家康】 関ヶ原の戦い 十一【家康】
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1138802110/
【三成】 関ヶ原の戦い 十二 【秀秋】
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1154780300/
【石田】 関ヶ原の戦い 十三 【三成】
http://academy5.2ch.net/test/read.cgi/history/1163941446/
【金吾】 関ヶ原の戦い 十四 【刑部】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1169902053/
【石田】 関ヶ原の戦い 十五 【三成】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1213010334/

関連スレ
戦国時代板
【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ13【東軍】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1214108230/l50


611 :人間七七四年:2009/07/28(火) 00:44:50 ID:LyH5BX1H
必要なら誰かが立てるやろ

612 :人間七七四年:2009/07/28(火) 23:07:16 ID:inpso3D0
田丸の記録にはなかなか興味深い記述があるぜ。

田丸の管理してた川中島の御蔵米を後任の森忠政に渡すように前田玄以・増田長盛・長束正家の奉行3人の命令が出てる。
奉行から正式に命令が来てるという事は森の入領は家康の独断じゃなくて豊家公認の可能性が見えてくる。

613 :人間七七四年:2009/07/29(水) 00:39:06 ID:AP10LE7g
関ヶ原町

特別歴史講座「関ケ原合戦の真相」を開催します!
http://www.town.sekigahara.gifu.jp/view.rbz?cd=519

--------------------------------------------------------------------------------
特別歴史講座「関ケ原合戦の真相」を下記のとおり開催します。講師は、関ケ原合戦について第一次史料から検証されている笠谷先生です。

町内外問わずどなたでも参加できますので、奮ってご参加下さい。

日時 平成21年9月26日(土)14:00〜15:30

会場 関ケ原ふれあいセンター

講師 笠谷 和比古氏(国際日本文化センター教授)

参加費 1000円(ふるさと関ケ原歴史講座年間受講生は無料)

定員 先着100名


申し込み
8月10日(月)より教育委員会・中央公民館・歴史民俗資料館に申込用紙を配置します。町外の方で参加希望の方は、下記までお問い合わせ下さい。

--------------------------------------------------------------------------------

担当部署:教育委員会事務局 社会教育課
TELでのご連絡:0584-43-1289


614 :人間七七四年:2009/07/29(水) 01:02:41 ID:XJ0AfFyE
>>613
笠谷乙 

615 :人間七七四年:2009/07/29(水) 18:34:07 ID:autnzyEX
>>612
これのことかな
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1246682726/626-629



616 :人間七七四年:2009/07/29(水) 18:56:57 ID:sh7FfR2j
>>615
下敷きにした逸話だな。

そもそもいくら家康でも独断で蔵入地代官の田丸と森の領地を勝手にトレードするのは無理がある。
親豊臣の田丸が「はいそうですか」とすんなり立ち退く訳が無いしね。

617 :人間七七四年:2009/07/30(木) 01:37:20 ID:p9G7oBn9
【速報】織田信長、本能寺にて死去
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/news7/1248617521/

618 :人間七七四年:2009/07/30(木) 22:14:19 ID:+YhkiUR9
田丸辻郎によると田丸直昌は岩村城の守りを家老の田丸主水に任せて大阪城に向かったとあるが
本当だろうか
美濃に所領を持つ大小名はみんな美濃で戦っている
苗木城主の河尻秀長と共に本戦で戦ったと考えるのが論理的では?

619 :人間七七四年:2009/07/30(木) 23:42:58 ID:Y+n88vCR
論理的では?と言われても推測だけで異論を言うのはどうかと。
田丸の記録では大坂に行ってるし。

岩村城は家臣だけで十分守備できると判断したじゃないの?実際、西軍の降伏後に開城してるし。

620 :人間七七四年:2009/07/31(金) 00:18:27 ID:rLSvBLPf
河尻はいつどこで死んだのかはっきりして欲しい。

621 :人間七七四年:2009/07/31(金) 07:04:00 ID:CAnn8zwN
河尻秀長は糟屋武則と石川貞清と共に口北野に布陣して戦死している

622 :人間七七四年:2009/07/31(金) 19:58:20 ID:ibeHyoIA
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E5%8F%A3%E5%8C%97%E9%87%8E&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&lr=&aq=f&oq=

623 :人間七七四年:2009/08/01(土) 12:25:02 ID:etVtkXY8
伏見城を落としてからの伊勢口軍の行動が遅すぎるだろ
安濃津城を攻めようと八月五日に伊勢にきたのは毛利秀元、吉川、長束、安国寺、だけ
でも攻めようとしない、安濃津城の兵力を考えればこれだけでも十分攻略可能だろ
八月中旬になってようやく長宗我部、鍋島が到着してから会議?
ていうか長宗我部、鍋島の到着はなんでこんなに送れたんだ?
おまえら伏見城落とした後、どこで何やってたんだ?
八月二十四日にようやく攻撃開始
このタイムロスは何?
長宗我部、鍋島到着後すぐ攻撃開始でいいじゃん
八月二十五日には落としている
1日で落とせる城に凄い時間を費やしたね
ていうか宇喜多ってこの時点でも安濃津にきていない
伏見城落とした後、どこで何やってたんだ?宇喜多は伊勢口担当だろ?
本当に二十五日間何やってたの?

八月五日に宇喜多、毛利、吉川、長宗我部、鍋島の全員で来て速攻で安濃津落として
長島城抜いて、清洲城を取れば西軍勝ってたろ
西軍が負けたのは伊勢口軍のせいだ

624 :人間七七四年:2009/08/01(土) 13:01:35 ID:g9fnneno
>>623みたいなのがゲーム脳って言うんだろうな。夏休みだねえ。


625 :人間七七四年:2009/08/02(日) 14:54:57 ID:W3emoGck
>>623
何も情報も地歩も無い土地にいきなり派遣されても、身動きが取れないから

626 :人間七七四年:2009/08/02(日) 17:16:28 ID:60MHGE8K
どこの大名でも忍者雇ってるからそれは無い

627 :人間七七四年:2009/08/02(日) 17:43:51 ID:W3emoGck
だって家康が来るという誤報に動揺して、富田信高や分部光嘉の船団をそれと誤認して
逃げ散るという有様
西軍は情報全般において家康に劣っているのは間違いない

628 :人間七七四年:2009/08/02(日) 21:07:16 ID:eW96uNpF
そういえば宇喜多秀家の伏見城落としてから大垣城に入城するまでの足取りって不明だよな
知ってる人いる?  

629 :人間七七四年:2009/08/02(日) 21:30:27 ID:W3emoGck
伏見城を落とした以降は大坂に滞在していたが、輝元・長盛などの催促で、八月十五日、およそ一万の兵を率いて、伊勢に向かった。
しかし、三成の請求を受けて、途中から美濃に向かい、桑名・太田を経て二十三日午後、大垣に付いた。

630 :人間七七四年:2009/08/02(日) 23:19:34 ID:eW96uNpF
>>629
サンクス
大阪城にいったん戻ったんだ
随分とゆうちょな行動とってるな  

631 :人間七七四年:2009/08/02(日) 23:35:30 ID:W3emoGck
>>630
先手衆が殆ど、家康と行動を共にしているからね
新たに募兵する必要があったんでしょう

632 :人間七七四年:2009/08/03(月) 08:22:07 ID:yDhUhe/w
>>626
ゲーム脳乙


633 :人間七七四年:2009/08/03(月) 12:34:41 ID:AWAdnYRQ
新たに募兵?
宇喜多の先手衆の兵力はいくらぐらいだったの?

634 :人間七七四年:2009/08/03(月) 16:50:58 ID:OTTCwudj
先手衆旗頭6人の内、4人が離脱
また旗頭を補佐する組頭も、11人中、7人が離脱
その他、与力クラスも含めると禄高計算で総禄高20万8828石の内、
53.5%が離脱した事になる

桐野作人 「真説関ヶ原合戦」より

635 :人間七七四年:2009/08/04(火) 03:48:10 ID:ybpyRXTl
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1212279897
おおよそ2千人くらいの宇喜多中核戦力を先行させることはないでしょう

2千人だそうです

636 :人間七七四年:2009/08/04(火) 04:26:56 ID:jFxjnxZl
宇喜多騒動の関係で家康相手の戦に従軍せず高野山に行った武将や
秀家のほうが従軍を断った武将なんかもいたらしく宇喜多家の軍政は
色々混乱していたかも


637 :人間七七四年:2009/08/06(木) 00:31:32 ID:kTU5zpRD
宇喜多軍の2千人も東軍に?
関ヶ原の布陣図には西軍の宇喜多軍しか載ってないけど
その2千人はどこにいたの?

638 :人間七七四年:2009/08/06(木) 01:22:58 ID:P0wJui1D
宇喜多家の宇喜多詮家(坂崎直盛)と戸川達安あとおそらく花房職秀あたりも東軍として関ヶ原本戦に参加してた
大体は戸川や詮家は布陣図に名前あると思うけどな

639 :人間七七四年:2009/08/07(金) 02:51:52 ID:GXpOSn79
その布陣図だけど、まとまった兵を率いているのは宇喜多詮家だけでしょ
戸川達安と花房職秀は浪人同然の身、ほとんど個人参加状態、大野治長みたいな状態でしょ
布陣図に載るほどの規模ではないはず。
けど、戦後、結構な加増受けてるね、ていうか戸川達安の始封3万石って凄いのでは?
2000の先手衆率いて丸ごと寝返った宇喜多詮家と同じ扱いは破格だと思う。

640 :人間七七四年:2009/08/07(金) 10:28:58 ID:pV32Q20M
家康に味方し戦った事で宇喜多家臣時代と変わらぬ石高は約束され
戸川隊はそれに島左近を討ち取った手柄分だけ所領が増えたって所かなぁ

641 :人間七七四年:2009/08/08(土) 23:06:39 ID:4tteXkmJ
そもそも
安濃津城の攻撃開始は何日なんだ?
東軍に比べると
二十五日攻略は確かに遅すぎる    

642 :人間七七四年:2009/08/09(日) 23:37:05 ID:DmrBbJO4
>>641  
8月24日の早朝  

643 :人間七七四年:2009/08/10(月) 01:13:13 ID:9opIMCoj
「森家先代実録」によれば森忠政は自領である川中島に待機するよう家康から厳命されており中山道隊参加の形跡は一切無い。また川中島待機を命じる家康からの書状も森家に現存している。


これって本当でしょうか
事実なら関ヶ原史を揺るがす歴史的発見では?

644 :人間七七四年:2009/08/10(月) 02:35:37 ID:j0Zvvtv1
http://www.spy.ne.jp/~satomako/nenp3.htm

らしいね。

645 :人間七七四年:2009/08/10(月) 09:34:09 ID:iSl9/2zy
まあただ、森家先代実録の信憑性が…

646 :人間七七四年:2009/08/10(月) 11:48:15 ID:j0Zvvtv1
書状が現存してるのは紛れも無い事実。

実録の記述はおそらくそれを基にしてる。

647 :人間七七四年:2009/08/10(月) 11:53:16 ID:7ggysG8p
上田城の真田に対する備えという意味では、実質的に中山道方面軍の範囲だろう

648 :人間七七四年:2009/08/11(火) 01:24:56 ID:6pekxzpN
北の川中島の4000の兵が動かなかったのって上田が落ちなかった原因の一つのようなw

まぁ、待機してたの家康の命令だし秀忠も3万も動員してんのに落とせなかった事について森に何か言う事は恥ずかしくて出来んか。
一応、井戸宇右衛門の部隊がちょっかい出して牽制掛けてるので地蔵峠付近の真田兵は森の警戒の為に動けなかったし最低限仕事はした。

649 :人間七七四年:2009/08/11(火) 03:39:17 ID:sofItp5t
まぁ森も越後の堀秀治も所詮は日和見、二股膏薬w

650 :人間七七四年:2009/08/11(火) 10:31:06 ID:zhPItbTE
意外と裕福だった 山 内 一 豊
土佐は土地が豊かで、米は二毛作だったんだよね
つまり石高(表高)×2倍の実高だった

651 :人間七七四年:2009/08/11(火) 11:10:31 ID:G11lbE7I
米を2回収穫するのは、二期作な。

日本における二期作は、肥料を金で買う習慣が定着した江戸中期以降、急速に衰退した。
高知で二期作が復活したのは、化学肥料が安価で手に入るようになった昭和以降のことである。

652 :人間七七四年:2009/08/11(火) 21:01:51 ID:63d3mxVq
家康から待機を命じられたのって森だけ?
仙石は?
石川は?
日根野は?  

653 :人間七七四年:2009/08/11(火) 21:14:10 ID:6pekxzpN
そこら辺の連中、さもちゃんと上田城の攻め手に加わってたかのように扱われてるが実際、どうなんかね?

654 :人間七七四年:2009/08/12(水) 00:47:26 ID:1CHpbDLI
上田攻める時に秀忠が入ったのが小諸城なので仙石は流石にいくらか出してるはず。

石川康成は所謂「犬伏の別れ」で真田親子が上田に戻った時(7月末)の時点で宇都宮から森と一緒に領地へと戻された。けど上田の時どうしてたかは・・・
日根野はよく知らない。

655 :人間七七四年:2009/08/12(水) 02:01:38 ID:w8AHG5td
【島津】 関ヶ原の戦い 十六 【津軽】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1249941083/

ようやく日本史板に新スレ立ちました
関ヶ原玄人のみなさんはこっちにきてください
関ヶ原素人のみなさんはここにずっといてください

656 :人間七七四年:2009/08/12(水) 02:19:40 ID:D0wmwjVv
いちいち宣伝しなきゃいけないほど過疎ってるのか

657 :人間七七四年:2009/08/12(水) 09:40:27 ID:6XPOqwlS
日本史板は電波と素人の巣窟

658 :人間七七四年:2009/08/12(水) 11:50:39 ID:UgIFkasr
日本史板は、ID出ないからなぁ。

659 :人間七七四年:2009/08/13(木) 01:10:43 ID:V0CEUQgP
調べたが、日根野もすでに領地に戻ってたようだ
真田信幸も沼田に戻ってる
結局、森、仙石、石川、日根野、真田信幸の外様は真田昌幸を包囲するため戻され
8月24日に宇都宮を発したのは徳川軍のみだったということだ。

660 :人間七七四年:2009/08/13(木) 01:45:15 ID:mDKMzOZ5
>>659
thanks

661 :人間七七四年:2009/08/13(木) 02:09:02 ID:mDKMzOZ5
それは確かに理屈にかなっている。
秀忠の徳川隊は宇都宮にとどまって、対上杉の防衛陣地を構築しなければならない。
これに一ヶ月近く要している。
となるとその間、西軍につくことを明確にした真田昌幸に対する牽制の必要から、
周辺の諸大名をそれぞれの領地に戻すという処置が取られたということだろう。


662 :人間七七四年:2009/08/13(木) 03:16:53 ID:HPE6IBwZ
だが上田攻めの時にどうしてたかは違いが有るんじゃないかな?

合流組:真田信幸、仙石秀久
待機組:森忠政

って感じで。他はどう?

663 :人間七七四年:2009/08/13(木) 05:03:33 ID:0RLpt6hT
ままごと選挙やってる」 舛添氏、自民の運動ばっさり

▼「(総選挙の情勢は)極めて厳しい。もっと厳しいのは、その厳しいのを理解していないわが党の候補者が
  多すぎることだ」。舛添厚生労働相は11日の記者会見で、自民党の立候補予定者の危機感の乏しさに苦言
  を呈した。

▼ 将来の党総裁候補に名前のあがる舛添氏は、その知名度から引っ張りだこで、舛添氏によると、すでに森
  元首相を含め延べ250人から応援要請があったという。

▼ 舛添氏は「子どものままごとをやっているんじゃないかという感じの選挙をやられている方がいる。
  『人気のある大臣が来たら、おれだって受かるだろう』と。そんな甘いもんじゃない」とばっさり。
  「そういう状況を執行部がきちんとみて、しかるべき指導をしないと(いけない)」と批判の矛先は執行
  部にまで及んだ。

▼ 舛添氏は応援要請に対し、「全部行くのは不可能」として、今後は当落線上で競り合っている候補を中心
  に回る予定だ。

朝日新聞(2009年8月12日) ttp://www.asahi.com/politics/update/0811/TKY200908110425.html


664 :人間七七四年:2009/08/13(木) 09:42:56 ID:bRdYIXS7
前、日本史板にスレたてろいうからテンプレどおり立てたらだれもレスなくて
1.2週間ぐらいでスレが落ちていたんだが。。。

665 :人間七七四年:2009/08/13(木) 10:17:32 ID:VmtYz9eR
>>664
昔、同じ様な正邪論争で玄人っぽい人が戦国板の成り立ちが判ってたら日本史版に関ヶ原スレを
たてるのはまちがいだとかなんとかいってたけど。

その辺の背景とか知ってる人いる?

666 :人間七七四年:2009/08/13(木) 16:53:12 ID:ZPYyqtIX
温室効果ガス削減目標(中期目標)

自民党案 05年比15%減              国民負担は、1世帯あたり年7万6000円、月6300円

民主党案 1990年比25%(05年比30%)    国民負担は、1世帯あたり年36万円、月3万円


首相、中期目標で民主党を暗に批判
ttp://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090611/plc0906111304007-n1.htm
 麻生太郎首相は11日までに、英紙フィナンシャル・タイムズのインタビューに応じ、日本の2020(平成32)年までの
温室効果ガス削減目標(中期目標)を05年比15%減と決めたことについて「EU(欧州連合)や米国を上回る非常に
野心的な目標だ」と訴えた。
 一方で「家庭や産業の負担を示すことなく、ただ削減量が大きければ大きいほどよいといった夢や精神論だけを繰り
返しては、政府として無責任だ」とも述べ、1990年比25%(05年比30%)の削減を掲げる民主党を暗に批判した。
 民主党案については、11日付の「麻生内閣メールマガジン」でも「(1世帯あたり)年36万円、月3万円の負担になる。
責任ある立場として、国民にお願いするわけにはいかない」と指摘した。
 政府試算では、15%削減だと1世帯あたり年7万6000円、月6300円の国民負担になるとしている。


667 :人間七七四年:2009/08/18(火) 19:18:13 ID:vNI2AuTD
保守 age

668 :人間七七四年:2009/08/20(木) 14:47:03 ID:GP4P2fxg
西軍で唯一勝利した大名っているって本当?

669 :人間七七四年:2009/08/20(木) 22:15:41 ID:sGJJ80q6
>>668
本当
山崎家盛
二万二千石から三万石に加増   

670 :人間七七四年:2009/08/21(金) 00:58:10 ID:sGNBOkfz
ダブルスパイでも功は功ってw

671 :人間七七四年:2009/08/21(金) 01:49:23 ID:qlQryjC/
片桐且元も1万から大和竜田に2万8千石に増えてる  

672 :人間七七四年:2009/08/21(金) 12:27:59 ID:sGNBOkfz
片桐且元、木下家定は西軍ではなく秀頼派っていう位置づけじゃないかな

673 :人間七七四年:2009/08/21(金) 12:34:02 ID:qlQryjC/
片桐且元は大津城攻撃軍に代理を派遣している

674 :人間七七四年:2009/08/21(金) 12:51:13 ID:TzMhzVPl
代理ではなく弟だ
嫡男は家康のとこへ行ってる


675 :人間七七四年:2009/08/21(金) 22:34:20 ID:BNHFb9Ft
貞隆とは別に自分の家臣を大津城攻めに出してるよ。

676 :人間七七四年:2009/08/22(土) 00:21:44 ID:DsUgi8t6
木下延俊も2万石から3万石に加増されてる
この3人ぐらいかな?

677 :人間七七四年:2009/08/22(土) 16:06:47 ID:6D3ifSBl
>>675
誰?


678 :人間七七四年:2009/08/22(土) 16:11:12 ID:kgG0y1h/
生き残り策はどこでもやってる。
この場合は且元自身の立場がどう認識されてたかが問題だろう

679 :人間七七四年:2009/08/23(日) 02:24:16 ID:m2vThKKV
>>677
河本弥左衛門

680 :人間七七四年:2009/08/24(月) 19:20:25 ID:0RZFXw0A
>>679
その人、どんな立場でどういう役職で、どれだけの兵数引き連れて参加したかわかってる?
あくまで自叙伝でしょ




681 :人間七七四年:2009/08/25(火) 14:22:03 ID:PR/B8bAj
続々群書類従第17雑部に各部隊の代理の名前が載ってる
宗義智代理→柳川調信
伊東祐兵代理→山田匡徳
増田長盛代理→高田小左衛門
小出秀政代理→小出三尹
片桐且元代理→河本弥左衛門

682 :人間七七四年:2009/08/27(木) 00:35:56 ID:FvcVeNx4
「会津征伐で上杉家が南進した場合」スレで、脱線な話題になってしまったのでこちらに書き込みます。

やはり、家康が西軍決起の規模を事前に想定していたとは思えない。
まず、状況証拠として、向こうのスレにも書いたが、西軍が決起した後1カ月近くも江戸で待機し、
状況を見極めてから行動したのは、想定外の事態になったからこそだと思われるし、
一度上方へ向かった黒田長政を、わざわざ引き帰らせて意見を聞いたのも同様だと思う。
そして、上杉討伐へ出陣した際の、上方の情勢は家康が比較的楽観してもおかしくないものだった。

天下を取るほどの家康が、その程度の見通しも出来ないとは思えないという意見もあったが、
どんなに優れた人間でも、全てを見通すことなど出来なのだから、
家康が何らかの見込み違いをしたとしても別におかしな話ではない。
むしろ、そこは想定外の事態が起こっても、そこから持ち直して勝利を得たという点で家康を評価すべきかと思う。
いくら天下を取った傑物と言っても、他の人間と比べてダントツに優れてに違いないというわけではないのだから。

683 :人間七七四年:2009/08/27(木) 00:57:24 ID:hF22IszQ
今時、家康が最初からお見通しだったなんて言ってる奴いないだろ。

684 :人間七七四年:2009/08/27(木) 01:06:39 ID:FvcVeNx4
そう言われちゃうと、真面目に長文書いた立場がなくなってしまうな。
スレ変えて議論継続って結構難しいですね。

685 :人間七七四年:2009/08/27(木) 01:17:59 ID:hF22IszQ
見てる人間が違うんだから、他のスレの議論をそのまま継続出来る訳無いだろ。
どんだけ自分中心なんだ。

686 :人間七七四年:2009/08/27(木) 02:13:15 ID:LkhF6nF5
>>684
おまえは永遠TBS関ヶ原でも見てろ 

687 :人間七七四年:2009/08/27(木) 02:17:31 ID:zkp0RWvT
>>682
そのあたりの家康の行動については、毛利と宇喜田及び三奉行が三成に
加担したことが大きいとする、笠谷和比古の挙兵の二段階論が一番しっくり
くるんじゃないか?
三成あたりが策動するのは家康もおそらくは察しがついていたかもしれないが、
三奉行などまでが家康の弾劾をし出すとは予想できてなさそうだったし。

688 :人間七七四年:2009/08/27(木) 08:12:00 ID:GBX1C7YD
>>683
ところが「会津征伐で上杉家が南進した場合」スレでは・・・。

689 :人間七七四年:2009/08/27(木) 09:28:26 ID:dSCA1h+K
>>688
上杉ファンだがあんなスレッド見る気もしない。

「上杉が南進できる状況にあった場合」ならまだしも、
「上杉が南進した場合」なんて仮定はおかしい。

690 :人間七七四年:2009/08/27(木) 13:54:42 ID:BfXLvJci
で、そこを叩き出されて逃げ込んできたわけか

691 :人間七七四年:2009/08/27(木) 14:26:05 ID:RTQ8hUIr
仮想戦を妄想するスレって
ほとんど何でもありになっていくから
話にならないのが多いよな

692 :人間七七四年:2009/08/27(木) 16:23:11 ID:v2UG4URl
>>690
家康が毛利挙兵を読んでたソース出せないからって悔しがるな。

693 :人間七七四年:2009/08/27(木) 19:18:23 ID:FvcVeNx4
>>687
正しくそんなところだろうと思います。
私はどちらかといえば家康贔屓で優れた人物だと思っている人間だけど、
だからといって、予めほとんどのことを見通していたなんてことはないだろうと。

694 :人間七七四年:2009/08/27(木) 19:33:38 ID:18y5Gpto
あんな大乱の発生を予測できるなら家康は神様みたいなもんだw
家康が優秀な人間だと言うのはむしろ、突発自体であった関ヶ原に対し、冷静かつ果敢に
対応したところだろうね。

695 :人間七七四年:2009/08/27(木) 21:29:12 ID:D4ScQcmq
自演乙

696 :人間七七四年:2009/08/28(金) 20:35:23 ID:8i7wbgge
俺も挙兵二段階論に同意。
二段階論をいれるとこの時期のややこしい動向が、すんなりと腑に落ちる。


697 :人間七七四年:2009/08/29(土) 02:49:41 ID:d47FNaL6
【治部】石田三成総合スレ 5【佐吉】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1251481680/


698 :人間七七四年:2009/08/29(土) 10:15:49 ID:KYie7mPg
井伊「殿!三成と大谷が兵を挙げました」
家康「ぐふふ、計算通り。一掃するぞ」
井伊「殿!三成に毛利、宇喜多と三奉行が加担しました」
家康「ぐふふ、3大老と4奉行が敵になったか。計算通り。一掃して領地没収してやるわ」
井伊「殿!毛利輝元が大坂城西の丸へ入りました!」
家康「ぐふふ、秀頼と淀を抑えることぐらい想定していたわ」
井伊「殿!殿に対する弾劾状が発せられました!伏見城も陥落しました!」
家康「ぐふふ、謀反人に仕立てられることぐらい想定していたわ。鳥居とは
   最後の盃を交わした。伏見城が落とされるのは既定路線じゃわい」

上方で起きた変事をすべて想定した上で会津に向かってたら、家康はアホの子。

699 :人間七七四年:2009/08/29(土) 11:01:56 ID:CsiQaRnH
このスレいつからこんなレベルが下がったんだ?

700 :人間七七四年:2009/08/29(土) 11:13:08 ID:ITxu5BpY
じゃあレベルの高いネタをどうぞ。

701 :人間七七四年:2009/08/29(土) 11:16:19 ID:CsiQaRnH
ネタじゃなくて、書き込んでる奴の程度ねw

702 :人間七七四年:2009/08/29(土) 11:22:44 ID:c+6h6gaS
問鉄砲の最終回答レベルはかなりキツイ

703 :人間七七四年:2009/08/29(土) 11:35:43 ID:mr+TY6c6
> 「毛利秀元記・巻之五」より、小早川秀秋の寝返り
>
>
> 「金吾殿、山中の城に居給ひけるが、心替り分明の聞こえありしに依って、手籠もうすべしと
> 評定ありしかども、夫れも何かと延引なり。
> 杉の権頭所より、金吾殿心替り必定の由、堅く三箇度安国寺へ申越ししたり。
> 此権頭は、隆景より金吾殿へ、付け給ひたる者なりし故、斯く申越したり。
> 安国寺、此由を治少へも長大蔵へも申されにしに、両人乍ら、うかうかとして居られしに、
> 案の如く金吾殿打って出でられしぞ。」
>
> (訳)
> 『小早川秀秋は松尾山の城に陣を置いたが、心変わりは明らかであるから捕らえるべきとの
> 評定があったのに、これも何かと先送りになった。
>
> 杉の権頭の所から、秀秋の心変わりは間違いないと言う事を、厳重に三度まで
> 安国寺恵瓊に申し越された。
>
> この権頭は、小早川隆景が秀秋に付けた者であったので、このように(安国寺に)申し越して
> きたのだ。
>
> 安国寺恵瓊はこの事を石田三成にも長束正家にも伝えたのだが、両人ともに
> うかうかと何の対処もしなかったので、案の定秀秋は(西軍に向かって)討って出たのだ。』


704 :人間七七四年:2009/08/29(土) 11:58:54 ID:RzSKmx1m
書き込んでる奴のレベルが下がったとか
上から目線の奴も底がしれてるな。

705 :人間七七四年:2009/08/29(土) 12:18:19 ID:d5pxKlfj
そういうのは、正直もうをいいよ
>>698が酷いのも事実だろ

706 :人間七七四年:2009/08/29(土) 13:01:51 ID:/FNS3zJ3
698の何が酷いのかよくわからんな。
家康万能説のいい加減さをうまく説明できてるじゃないか。

707 :人間七七四年:2009/08/29(土) 13:22:44 ID:CsiQaRnH
頭悪いなぁ

全てを『予想』していたのならその通り。
『想定』は起り得る可能性のあるものを仮に設定すること。

そんぐらいしてたっておかしかないだろ、アホか。

708 :人間七七四年:2009/08/29(土) 13:38:47 ID:KYie7mPg
だから、想定してたら上方離れるわけないだろw

709 :人間七七四年:2009/08/29(土) 13:50:03 ID:mummLThw
上方離れなきゃ蜂起してくれないんじゃ?

710 :人間七七四年:2009/08/29(土) 13:51:37 ID:CsiQaRnH
上方離れようと離れまいとどうでもいいが。
それを決めつけてる時点で、ご臨終です。

この板ですら、どれだけいろんな事を想定してるスレがあると思ってんだ?
国語の勉強と、将棋をやる事をお勧めします。

711 :人間七七四年:2009/08/29(土) 13:54:43 ID:KYie7mPg
そりゃそうだけど、二段階論のように家康が当初思い描いてたのは
三成とその周辺の小規模な反乱であって、あんなに大規模になるとは
思いもしてない。
毛利や宇喜多や豊臣奉行衆が三成に加担して、豊臣公儀の命令が上杉
討伐から家康討伐に変更されるようなことまで家康の考えが及んでい
て上方を離れるなら無謀すぎる。

712 :人間七七四年:2009/08/29(土) 13:58:23 ID:KYie7mPg
>>710
なにを根拠にしてるのか知らんが、
徳川史観の古い研究でなく、最近の本も読んだほうがいい。

713 :人間七七四年:2009/08/29(土) 14:05:05 ID:CsiQaRnH
子供とは話が噛まない事が良くわかった。
相手が言わんとする事を良く理解しろ。

714 :人間七七四年:2009/08/29(土) 14:33:15 ID:dRqFptAZ
今時「徳川史観」なんていっている人間のほうが古いと思うが。

715 :人間七七四年:2009/08/29(土) 14:54:49 ID:HmhGthz5
三奉行・二大老の蜂起も想定の範囲内だったのに
あんな状況になってしまったのだったら、家康はとんだアホって事になる。

716 :人間七七四年:2009/08/29(土) 15:36:37 ID:RzSKmx1m
将棋をやれとかw

家康なら一手二手先を読むだろうと言いたいんだろうが、家康だって
ある程度の先は読んで会津に向かった。ただ、それを西軍の動きが上
回ったということ。

細川の記録では、上方へ向かう途中に忠興は家康から急いで小山に戻
るよう命じられ、「こないだは上方へ向かうと決めたが、上方がみな
敵になってしまったので、とりあえず江戸を固めよう」という話にな
った。これだけでも、家康の予期しない展開になったことがわかる。

717 :人間七七四年:2009/08/29(土) 17:06:26 ID:d5pxKlfj
予期していても、そういう動きになるのでは?

細川を呼び寄せた事が、その証明になる、というのはチト

718 :人間七七四年:2009/08/29(土) 17:56:08 ID:RzSKmx1m
細川の件はあくまで一例。

史料上からは予見していた様子は見られず、前半はむしろ次々不慮
の事態に見舞われて対応におわれてる。
予見していたら上方を空にするような危険な行動にはでないだろう。
家康はあくまで豊臣公儀の実務の代表者として会津へ向かってるん
だから。それが大坂城を押さえられたら、公儀権力を使って動員し
た軍事力がどう動くかわからない。仮に想定してたとしても過小評
価しすぎていたと思う。

719 :人間七七四年:2009/08/29(土) 19:25:05 ID:VB8VNBxK
小山の評定をやってた頃は、大阪城の三奉行や淀殿たちは三成・吉継の蜂起にオロオロしてて、
彼らからは家康に早く返ってきて三成らの騒乱を鎮定して欲しいという書状が届いていた。
それを背景にして家康は同行の豊臣武将たちを自分の味方に引き入れたのだ。

ところが、それから数日して三奉行たちが反家康闘争の前面に立ったと言うことが伝えられてきて、
家康と徳川陣営は固まってしまったということだ。


720 :人間七七四年:2009/08/29(土) 19:55:30 ID:ITxu5BpY
>>713
煽っただけで逃げんなw

721 :人間七七四年:2009/08/30(日) 02:24:30 ID:IhqLMyC9
タイムスリップが出来たらなぁ…全部見てきてこんな議論一瞬で終わるのになぁ

722 :人間七七四年:2009/08/30(日) 02:41:33 ID:wZtUlHgi
>>718
>史料上からは予見していた様子は見られず、前半はむしろ次々不慮
の事態に見舞われて対応におわれてる。

その史料において、対応に追われてるのは家康本人なのか、配下の将など
家中の者なのか?

トップは想定・把握済みだが、配下は認識していない・知らされていない、
というのは現代でも良くあること。
家康の指示は的確でも、配下が大わらわという可能性はないのかね?

家康個人の能力を問うている以上、家康が主体で『大慌て』になっている
ソースを教えてくれないか?
当然、>>717のいう通り、予期していても取るであろう行動はナシで頼む。

723 :人間七七四年:2009/08/30(日) 03:06:22 ID:LmF8PEWt
関ヶ原で近侍の旗指物を一刀両断、幸村大坂入城時の反応とか、巷説程度でも結構あるよな

爪かじってるのがあったら終了だなw

724 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 08:18:20 ID:EWG63z1k
つめをかじるのは家康の癖だし、戦場でかっかするのも別にいつもの事だし、
幸村入城時の反応なんて講談以外の何者でもないし

725 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 10:11:51 ID:5YzPls01
>>722
「家康は知ってた。だけど配下は認識していない、誰にも知らせていない。
 だから徳川軍としては慌てる様子もあった」
だったら家康が把握してても意味なくね?家康の中では毛利が立つ可能性が仮に
頭にあったとしても、それは低いと思ったから自ら会津に向かったし、誰にもそ
んな 一大事を話してないんだろ。>>710みたいに上方を離れようと離れまいと関
係ないみたいな論はありえない。

・今川義元は信長の奇襲の可能性もあるとにらんでいたが打ち取られた
・織田信長は家臣の謀反の可能性も想定していたがわずかな供回りしか
 つれずに本能寺で死んだ。
・豊臣秀吉は自分の死後に家康が動くことを想定していたが防げなかった。
なんて話をしてもなんにも意味がないと思うが。のちに起こることを想定できるのは
家康だけであとのトップはできないというなら話は別だが。

小山評定後の細川の話以外にも、書状では
7月27日榊原→秋田「上方で石田・大谷が別心したことを北政所様と三人の奉行衆、
         前田肥前が知らせ、二人を成敗するため上洛してほしいと言っ
         てきた」
同29日家康→黒田「諸大名を上方へ向かわせた後、大坂の奉行どもがさらに別心し
         たということだ。対応を相談したいが、戻ってこれないだろう。
         池田輝政をやったので話し合ってほしい」
数日前は上方で三成、大谷が謀反したことを伝えてきた奉行衆が、実は三成に加担
していたことを知って新たな対応に追われてる。

726 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 10:45:43 ID:0++JTMkj
>>725
家康個人主体で『慌てて』いるソースを出してもらえますか。
自分の言いたい事だけ垂れ流すのでなく、こちらの依頼にも答えて下さい。
それで解決するわけですから。

書状で言えば、小山評定後から江戸出立まで、家康は110通近くを出していますが、
うち、約50通が家康からではなく、諸大名への返書です。
その中には、当然増田のもあれば、吉川のも入っています。
寧ろ、諸大名の方から進んで家康に情報を提供し、誼を通じている状況。
江戸一か月の滞在は、正確な情報収集の期間であり、それが家康動揺の証跡とはならない。

727 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 11:24:01 ID:57Brcb/e
小山の評定のあと豊臣武将たちは反転、東海道を西に向かって尾張清洲城に集結。
家康はただちにその後を追って西上すると約束したにもかかわらず、江戸城にとどまって動かなくなってしまう。
清洲城内では家康の背信を怒って非難囂々。
豊臣武将たちに同行した井伊直政・本多忠勝たちが家康に対して、一刻も早く西上をと要請するも家康は動こうとしない。

机に向かって全国の諸大名に手紙を書いていたから?w

728 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 11:37:32 ID:0++JTMkj
>>727
ID変えて、お忙しいそうですね。
このネタで粘着してるの一人だけですよ。
別人なら、アナタが家康個人主体の『慌てて』いるソースを出して下さっても結構です。

1ヵ月は情報収集の期間、付け加えるならば、>>725の言うとおり情報に基づき対応している期間。
この行動は、予期していようとしていまいと当然とる行動ではないか?

>豊臣武将たちに同行した井伊直政・本多忠勝たちが家康に対して、一刻も早く西上をと要請するも家康は動こうとしない。
まさにその通りで、彼等に家康の真意が伝わっていないことの証明。
だからこそ、家康個人主体で『慌てて』いるソースを出してくれと言っている。

729 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 12:20:52 ID:13YswYkW
727 ≠ 725

730 :725:2009/08/30(日) 12:40:38 ID:PT/aompk
>>728
家康自身の書状を挙げても納得しないんじゃどうしようもない。これが最近の研究
では主流なんだから、君が家康が毛利や宇喜多の挙兵を読んでいたという新たな説の
根拠を示せばいいのでは?
あと、勝手に>>727だとか決めつけないでもらいたい。むしろ君が少数派だと思うが。
頭にそういう一抹の不安があったかもしれない程度はダメだよ。「頭の中には入れて
いた」なんてそんなの論じても意味ないし。

宇喜多秀家は7月5、21日と二度豊国社参拝しており、一度目は会津征伐、二度目は
家康打倒の戦勝祈願だと理解されている。宇喜多本人がそういう状態なのに家康は謀
反を疑っていたといいたいのかな。宇喜多も毛利も代理を会津へ向かわせてるし、家
康が安心するのも無理はない。

731 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 13:17:34 ID:0++JTMkj
>>730
>>729のような第3者IDを更に登場させ、自らのIDも再び変更させるなど、
手の込んでいるようで見え見えの自演、お疲れ様です。

話は単純で、家康個人主体の『慌てて』いたソースを出してくれればいいだけの話。
それで証明完了でしょ。結局出ないという事でOKですか?

最近の研究では主流なのかもしれませんが、キミが消化出来ていないと言う事ですね。
主流に交代はつきもので、必ずしも正しいとは思いませんし。

>家康が毛利や宇喜多の挙兵を読んでいた
そんな事一言も言ってませんよ。ただ、当然複数の可能性を想定したとは思いますけどね。
家康から能動的に、前田・上杉と大老を狙い打ちにしてきている以上、毛利・宇喜多の
動きについては、石田以上に注視するとは思いますよ。

そもそも、歴史事象を史料によって証明する事は当然と言えるが、(家康が)何を考えていたか、
などの正解を史料で出せるわけがない。所詮推定の域を出ない。
キミのように断定すべきではない。


732 :725:2009/08/30(日) 14:43:28 ID:YzKQOV3v
>>731
みんな同一人物に見えて仕方ないのか・・・。
相手にしてはいけない人なのか?

「慌て」というのは>>722で言ってるからそれに合わせただけで、
もともとは「不慮の事態への対応に追われた」と表現したはず。
そのつど入ってきた情報に合わせて次々対応を変えているのだか
ら、間違いではないと思うが?福島ら先発隊の去就も疑ってるわ
けだし。

結局「家康は毛利の挙兵を読んでいたかも読んでいなかったかもわからない。
断定しないで」と言いたいの?別に断定してるつもりはないよ。「想定して
いなかった、もしくは毛利挙兵の可能性は低いとみていたと思われる」。

733 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 15:06:19 ID:1AHbirrB
>>732
関ヶ原スレには、極端から極端に走る人間がいるので、
基本スルー推奨。

はるか昔、毛利が動いたら東軍ヤバクねレベルの話をしたら、

・毛利は実質東軍
・毛利が寝返っても東軍は無問題

と返された。
毛利は東軍からみたらヤバゲな位置にいるよという話をしただけなのに・・・。

そのときも一派一からげされたけど、他の皆さんが引いてくれた
おかげで、話が進んだ。スレの荒廃も進んだが。

以来、東軍派の意見に逆らうのはやめた。

734 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 15:15:09 ID:YzKQOV3v
>>733
東軍は無敵で最初から勝つことが約束されてたわけね・・・。
スルーします。

735 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 15:20:04 ID:0++JTMkj
>>732
『慌てて』というのは、曲解されぬよう解り易く表現しただけ。
『不慮の事態への対応に追われた』でも別に構わない。
ただし、徳川家中ではなく、家康個人であること。

言いたい事は、>>716をご参照。
>西軍の動きが上回ったということ。
>これだけでも、家康の予期しない展開になったことがわかる
なんで、言い切れるの?その根拠が『不慮の事態への対応に追われた』という事ならば、
それを立証して下さい、と言う事。

まぁ、これ以上追い込むつもりはないので、これで終わりにします。


736 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 15:28:51 ID:LmF8PEWt
別に>>732がソース出しゃ終わる話じゃん

それに極端なのは、>>732>>725だと思うがな

737 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 17:30:56 ID:27xtTmnZ
>>731
727=729
電源落とすとIDが変わるだけのこと。
このIDも変わることになると思うけど

738 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 18:41:56 ID:W/AnRfOR
エロ動画DL中だからID変えるわけに遺憾自分がいた。

739 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 19:21:43 ID:lqbYb9C8
>>733の見事な大人の対応に脱帽

740 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 19:43:37 ID:LmF8PEWt
あー、そういうことかー
全然気づかなかったよ

なるほど、スルーということで丸く収まるな

741 :人間七七四年:2009/08/30(日) 21:37:15 ID:EWG63z1k
テーマ決定!9月11、18日は、"関ヶ原"ナイト!!

9月15日(旧暦)は、「関ヶ原合戦」の日。
400年以上を経て今なお語り継がれる「関ヶ原」の魅力に迫る!

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お気に入りの戦国武将、エピソードなど、さまざまな角度から語り合いましょう!

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情報や熱い想いをお待ちしています。ドシドシお寄せください!

NHK-BS2
9/11(金)20:00〜20:44
9/18(金)20:00〜20:44
http://www.nhk.or.jp/nettyu/2009/sekigahara/index.html

742 :人間七七四年:2009/08/30(日) 21:52:14 ID:1EVS/7qa
三成、毛利ら小物が偉大なる家康公の裏をかけるわけがない!


裏をかいたというなら根拠を示せ。毛利の挙兵を見抜いてた根拠?
家康公のお考えは何人も推し量りようがない。根拠は不要。見抜い
てないわけがない。

743 :人間七七四年:2009/08/30(日) 22:01:47 ID:4tB/505I
旗色悪くなるとすぐスルーとか言う奴がいるけど、
歴史の事実に目をつぶっても歴史が変わるわけでもなし。
単に歴史に盲目な取り残され人間になるだけだということ

744 :人間七七四年:2009/08/30(日) 22:16:59 ID:ra7KFnd1
「三成一派が挙兵しました。」
その程度ならすぐに近畿に向かって粉砕しましょう。
「毛利らも加勢しました。」
じゃあ切り崩しに作戦変更しましょう。
くらいの話だろ。

状況に順応しただけの事で、
挙兵規模を細部まで把握してたとか、過小評価して慌てふためいたとか
そういう話じゃないだろに。

745 :人間七七四年:2009/08/30(日) 22:28:07 ID:1EVS/7qa
大坂に入られ、伏見城落とされておいて「じゃあ切り崩しましょう」程度って…

746 :人間七七四年:2009/08/30(日) 22:48:04 ID:he0hjXmR
慌てふためいたというより、
凍てついて固まってしまったという感じ

747 :人間七七四年:2009/08/30(日) 23:02:31 ID:LmF8PEWt
そのソース出せないで、逃亡したじゃんw
あ、スルーでしたかねww

748 :人間七七四年:2009/08/30(日) 23:37:03 ID:57Brcb/e
ソースがどうのこうのという話だけれど、
議論のもとは笠谷和比古の挙兵二段階論だろう。
笠谷氏の『関ヶ原合戦と大坂の陣』を読めば済むことではないのかな。

749 :人間七七四年:2009/08/31(月) 00:05:13 ID:QRqnvptG
違うな。
議論のもとは、>>682がここに逃げ込んできたことから始まっている。

つか、こいつ逃亡したんだから、もうこのネタ終わりでいいよ。
いい加減ウゼー。

750 :人間七七四年:2009/08/31(月) 00:38:16 ID:c+sLr8sf
関ヶ原は地方での顛末も面白いな。悲喜こもごも。

751 :人間七七四年:2009/08/31(月) 00:46:18 ID:9LuJdxdY
最近の研究で明らかになってることに対してソース出せと
騒いでるのがすごいな。関ヶ原スレなのにメジャーどころ
も読んでないのか、読んだ上で信じられないでいるのか

752 :人間七七四年:2009/08/31(月) 00:55:40 ID:c+sLr8sf
>>751
最近の研究で明らかになっててメジャーどころならソースくらい簡単に出せるだろ。

753 :人間七七四年:2009/08/31(月) 01:04:43 ID:QRqnvptG
>>751
オマエ粘着し過ぎだし、見苦しすぎ。
一回逃げたんだから、もう出てくんな。

754 :人間七七四年:2009/08/31(月) 01:11:43 ID:9LuJdxdY
682ではないんだが。
むしろ毛利の挙兵を読んでたというソース出したらどうだ。
動きを読んだ上で上方を抑えられたのはなぜなのか。

755 :人間七七四年:2009/08/31(月) 01:26:59 ID:b4s6obV2
もういい
『最近の研究では〜 』、って奴は病気みたいだから注意しとくよ

756 :人間七七四年:2009/08/31(月) 01:46:53 ID:ArNWVKv6
>>751
読んでないだろう。
読めば簡単にわかることだ。
読んでないやつに限って騒いでるし、
読んでないから騒げることができるんだろう。


757 :人間七七四年:2009/08/31(月) 01:55:09 ID:9de2rFKy
鈴木真哉の本によると、
侍医の板坂ボクサイの日記…慶長記だっけ?に上方が全て敵になり、
前面に上杉がいる状況で家康がすこぶる機嫌が悪かったと書いてるらしい。
また、三河物語でも関ヶ原のことを自画自賛した家康に大久保は「小山で顔を青くしてましたな。
諸将も人質をとられて真っ青だった」と皮肉った逸話があるという。

まぁ、後者はあくまで逸話だけどね。鈴木さんは家康が機嫌が悪くなったのは「
西軍の挙兵を明確に予測していなかったからなのか、予測してはいたものの、予
想をはるかに超えていたからなのか、その点はわからない。だが、客観的に考え
れば通説にいうような有利な立場にはいなかったことは明である。なにしろ旗印
となる豊臣家の当主秀頼は相手側に抱え込まれているし、天皇も向こう側にいる
のだから、それだけでも大変なハンディであった」といってる。

758 :人間七七四年:2009/08/31(月) 01:55:48 ID:HK4aalzW
わざわざIP変えなくてもいいよもう

759 :人間七七四年:2009/08/31(月) 01:57:12 ID:c+sLr8sf
>>757
鈴木真哉はアンチ家康を公言していて、資料解釈も固定観念でやっちゃうひどいものだから
まったく信用できない。

760 :人間七七四年:2009/08/31(月) 02:15:14 ID:5PQpJoOJ
都合の悪い説が出されると、
人格攻撃やら信用できないやらと騒げば
片付けられると思ってる根性がすでに歪んでいる。

761 :人間七七四年:2009/08/31(月) 02:37:58 ID:HK4aalzW
鈴木真哉が信用できると言う説があることのほうが驚きだがw

762 :人間七七四年:2009/08/31(月) 08:05:32 ID:/h3GO4z2
慶長記や三河物語の記述だけでは信用しかねるが、他の書状と照らし合わせても
矛盾はない。この研究者だから信用できないとか言ってソースも出さないよりは
ましだろ。

763 :人間七七四年:2009/08/31(月) 08:41:15 ID:ySUnsIs8
それでも鈴木真哉はないだろ

764 :人間七七四年:2009/08/31(月) 08:51:24 ID:/h3GO4z2
家康公好きにおススメなのが武光誠の「関ヶ原ー誰が大合戦を仕掛けたか」。
誰もが家康公のもとでの平和な日本を願っていたのに、毛利や上杉といった
私欲丸出しの馬鹿や小物の三成がそれを邪魔した。

765 :人間七七四年:2009/08/31(月) 10:13:38 ID:b4s6obV2
コイツ本当に大丈夫なのか?

766 :人間七七四年:2009/08/31(月) 11:31:20 ID:F6bkgCPm
武光本はほんとにそう書いてるからな。

767 :人間七七四年:2009/08/31(月) 11:50:39 ID:7wAzPOrj
武光ってヤマタイ国は筑後川流域にあった・・つ−本書いた人?

768 :人間七七四年:2009/08/31(月) 14:27:14 ID:l5lYFVQb
「最近の研究」って論文冊子のこと指してるんだと思うけど、
それするんなら結構大きい図書館で、「最近」の定義によるけどだいたい15年と捉えて、
15年分の冊子を手当たり次第に探さないといけないわけで、
その「最新の研究」を調べるのって一日仕事なんですよね。

769 :人間七七四年:2009/08/31(月) 15:20:25 ID:9de2rFKy
新しい論文を読めば先行論文を引用してるし、その分野に関する研究史
をまとめてる場合もある。
それを参考にすればいい。また、冊子論文も節目で○号から○号までの
掲載内容をまとめてるから、手当たり次第に冊子をめくっていく必要はない。
メジャーどころを読んだ上で、各大学の院生が書いた論文や地方の研究
冊子を読みたい場合は手当たり次第にってのも必要だろうけど。

関ヶ原関係は、先に紹介されていた笠谷氏の本あたりがいいと思う。

770 :人間七七四年:2009/08/31(月) 15:36:36 ID:l5lYFVQb
>>769
結局一日作業なんだよなぁ。
他は知らないけど俺の知ってるとこは貸し出しできないし。
あといちいち受け付けのお姉さんに書庫から持ってきてもらわないといかんというw

771 :人間七七四年:2009/08/31(月) 15:36:46 ID:b4s6obV2
また自演か
もう自分で笠谷氏のスレ立てろよ

772 :人間七七四年:2009/08/31(月) 15:43:27 ID:l5lYFVQb
>>771
よく分からんが定番の人だったのか?
「とりあえず笠谷さんの本は読んでみよう」
って書くつもりだったんだがw

773 :人間七七四年:2009/08/31(月) 15:56:11 ID:9de2rFKy
>>771
笠谷氏の本を先に挙げたのは俺じゃないよ。
てか笠谷氏の本を頑なに拒むのはなぜ?読んでみないと始まらないと思うけど。

774 :人間七七四年:2009/08/31(月) 15:58:52 ID:HK4aalzW
論文なら論文で、どこで発表された誰々の何と言う論文、って書けばそれですむ話しだっつーの。
それも出来ないようなやつは、何を言っても無駄。

775 :人間七七四年:2009/08/31(月) 18:11:36 ID:sBulQv85

笠谷和比古『関ケ原合戦と近世の国制』(思文閣出版社、2000年12月20日発行)

林千寿「関ケ原合戦における細川家-その動向と動機-」(『熊本史学』76・77合併号、2000年12月20日発行)

宮本義己「徳川家康の豊臣政権運営-「秀吉遺言覚書」体制の分析を通して-」(『大日光』74号、2004年)

布谷陽子「関ケ原合戦の再検討-慶長五年七月十七日前後-」(『史叢』73号、2005年)

宮本義己「内府(家康)の公儀掌握と関ケ原合戦」(『大日光』76号、2006年3月17日発行)

白峰旬「関ケ原の戦いに関する時系列データベース-城郭関係史料を中心として-」(『愛城研報告』10号、2006年8月発行)

光成準治「関ケ原前夜における権力闘争-毛利輝元の行動と思惑-」(『日本歴史』707号、2007年4月1日発行)


776 :人間七七四年:2009/08/31(月) 18:18:21 ID:sBulQv85

土居聡朋「関ケ原合戦における四国侵攻と武井宗意」(『地方史研究』57巻4号、2007年8月1日発行)

宮本義己「内府(家康)東征の真相と直江状」(『大日光』78号、2008年発行)

777 :人間七七四年:2009/08/31(月) 18:20:40 ID:DpeZmvJN
>>775サンクス!読んだことないのもある。

光成準冶も最近本出したな。今読んでるけど。
『関ヶ原前夜 西軍大名たちの戦い』



778 :人間七七四年:2009/08/31(月) 18:24:52 ID:sBulQv85

布谷陽子「関ケ原合戦と二大老・四奉行」(『史叢』77号、2007年9月)

笠谷和比古『関ヶ原合戦』(講談社学術文庫、2008年1月10日発行)

笠谷和比古「関ケ原合戦余聞-「三成、家康屋敷に逃げ込む」の嘘」(『本』33巻2号、2008年2月1日発行)

平井上総「関ケ原合戦と土佐長宗我部氏の改易」(『日本歴史』718号、2008年3月1日発行)

白峰旬「関ケ原の戦いに関する再検討」(『別府大学大学院紀要』10号、2008年3月発行)

三宅正浩「「秋長」書状の年代比定をめぐって-関ケ原合戦と蜂須賀家政-」(『ヒストリア』210号、2008年6月10日発行)


779 :人間七七四年:2009/08/31(月) 20:04:34 ID:A//iWlQP
笠谷氏の本はたくさんあがっているけれど、肝心の『関ヶ原合戦と大坂の陣』(戦争の日本史17)が落ちている。
反家康の挙兵二段階論はこの本で展開されていると思うのだが



780 :人間七七四年:2009/08/31(月) 20:28:22 ID:DpeZmvJN
光成氏はさらに@三成・大谷の挙兵A毛利の上坂B豊臣奉行衆の加担
と三段階の可能性も指摘してる。

781 :人間七七四年:2009/08/31(月) 23:52:24 ID:BDrUDo8U
笠谷は自論が二転三転しているから、最新の『関ヶ原合戦と大坂の陣』だけ読めばいい。
大河で『葵三代』を放送し、コーエーが『決戦』を出していた関ヶ原四百周年のときとは考えがだいぶ違ってる。

782 :人間七七四年:2009/09/01(火) 00:35:13 ID:vpx+bOuY
>>781
笠谷氏の議論が二転三転とは、どの議論?
前著『関ヶ原合戦』では西軍蜂起の二段階論はまだ出ていなかったけれど、
小山の評定以後に同盟豊臣武将たちの動向に家康が強い疑念を抱いており、
それが家康の江戸滞留の原因だろうということは指摘している。

783 :人間七七四年:2009/09/01(火) 00:52:33 ID:reTuAYms
今ちょうど静岡でテレ東のあの番組の関が原の回をやってる
北の政所が家康に味方した理由はなんとかいうあれ
でもこの件、北の政所はほぼノータッチじゃなかったの?

784 :人間七七四年:2009/09/01(火) 02:16:19 ID:+TxuIUCP
家康の味方ってのは、西の丸を渡したってとこから来てるんだろうけど、
三成方は「北政所を追い出した」って内府違いの条々で言ってるからどっ
ちも都合よく言っててはっきりしないんだよなぁ。

毛利や宇喜多の戦勝祈願にも参加してるから、やっぱ上方にいるほうに
つくしかないって感じなのかな

785 :人間七七四年:2009/09/01(火) 11:34:36 ID:ReRuNran

■■織田信成が織田信長の子孫って本当?■■

1 :氷上の名無しさん@実況厳禁:2009/08/29(土) 17:48:08 ID:Du7ELlvd0
めちゃくちゃ胡散臭いんだけど
だいたい何百年も前の人間の子孫だってどうやって証明するんだよ
家系図もいくらでも捏造できるし、織田という苗字だっていくらでもいるし
その苗字も後で名乗ったものかもしれないしな
天皇家や徳川家なら時代が近い分まだ信用できるけどな
織田家なんてちゃんと存続してるかどうかも怪しいってのに

あと親戚中『信〜』って名前をつけるとか
いやらしいにもほどがあるw
本人達もことあるごとに『織田の子孫』って自慢するし
どんだけ面の皮が厚いんだか
俺には詐欺師にしか見えない
皇族の名をかたる詐欺師によく似てるわ


http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/skate/1251535688/


786 :人間七七四年:2009/09/01(火) 11:38:45 ID:Rb3Rt2Kn
>>785
> あと親戚中『信〜』って名前をつけるとか
> いやらしいにもほどがあるw

「通字」を知らないのか。馬鹿なんだな。

787 :人間七七四年:2009/09/01(火) 13:10:51 ID:15PJqOsF
人格批判だけしてたやつがおとなしくなったな。

788 :人間七七四年:2009/09/02(水) 07:35:55 ID:KU3retN6
>>709
家康が毛利たちに蜂起してほしいと思ってたのなら、まだ江戸にいて上方が不利な時点で
毛利と和睦交渉を試みたりしない。黒田が吉川へ毛利との和睦斡旋をしてるが、吉川は西
軍が有利なので華麗にスルーし、黒田は「早く返事よこせ」とキレた。

789 :人間七七四年:2009/09/03(木) 20:00:10 ID:A9o+epzS
age

790 :人間七七四年:2009/09/03(木) 20:15:40 ID:SYcvYdRc
>>789あげといた

二段階挙兵は否定されたの?

791 :人間七七四年:2009/09/03(木) 22:14:13 ID:c2ilb0oa
家康はみんなに手紙を書くのが忙しかったから、
江戸城から出陣できなかった、って。
そんなこと言ってた人たち、まだ頑張って主張し続けているのかな・・

792 :人間七七四年:2009/09/03(木) 22:35:17 ID:SYcvYdRc
江戸滞在は伊達ら東国の武将が上杉につかないようにけん制しながらも
福島ら先発隊の去就がどうなるかも見極めようとしてたんだろうな。
いざとなれば江戸を東国で戦うこともできる。
福島のことはだいぶ疑ってたようだし。
指揮下に入った諸大名は西軍に人質とられてるのに家康が余裕でいられるわけがない

793 :人間七七四年:2009/09/04(金) 00:24:45 ID:FHcU5UMg
>>790
往生際の悪いやつw

794 :人間七七四年:2009/09/04(金) 00:29:44 ID:FZwsYTd1
否定する材料が出てない以上往生際悪いも何もないと思うが

795 :人間七七四年:2009/09/04(金) 00:35:00 ID:zkFbB8Q9
>>792
でも思った以上に進軍が早くて止めたことはなかったっけ
悩んで疑ってそれで江戸に止まってたのにおまえらやる気満々かよ!みたいに

796 :人間七七四年:2009/09/04(金) 00:47:33 ID:TiYc7DKl
二段階挙兵云々は、あのときの事態をどう解釈するかの問題でしかないので、
どうしたって結論が出ないだろうからどうでもいいが、

家康が赤坂の到着したとき、西軍が本気で驚いたのは確からしいな。
しかも旗印上げるまで、全く気がつかなかったのも。

この点だけ見ても、西軍の連中はとんでもなく無能だと思う。

797 :人間七七四年:2009/09/04(金) 00:50:52 ID:2LUMwn0v
>>795
黒田家の記録等によると、家康は福島が宇喜多に説得されるのではと
不安で、長政が「三成とは仲悪いから大丈夫」となだめたらしい。

慶長記には、先行してた福島たちが「俺らを捨てゴマにするのか」
とキレたこと、伏見城落城を知ると家康が村越を送って「お前らが
動かないから殿は来ないんだ。味方の証拠を見せろ」と言った有名
な逸話がある。

ちょい待てって言ったのは大垣城攻め前だな。さすがに福島たちに
最後までやられたら困るんだら。

798 :人間七七四年:2009/09/04(金) 00:54:26 ID:Ag5yIv4i
>>794
否定する材料が出ないんじゃなくて、
もはやそのネタには誰も触れないだけ

試しに新スレ立ててみな。君の独り言だけ延々と続くからw

799 :人間七七四年:2009/09/04(金) 01:03:04 ID:2LUMwn0v
荒らしはいらん

800 :人間七七四年:2009/09/04(金) 01:07:40 ID:otUcoupM
>>798
やっばり往生際が悪いw

801 :人間七七四年:2009/09/04(金) 01:22:42 ID:YLU62llp
いつも思うんだがそのまま大坂城攻めて豊臣滅ぼしちゃえばよかったのに
と思うんだが

802 :人間七七四年:2009/09/04(金) 01:25:15 ID:MMEs3G9U
>>797
正則が宇喜多に説得されてってのは長政記じゃないな。大三川志だ。
「ご出馬なきは劫のたてかへに遊ばされ候」は慶長記。

803 :人間七七四年:2009/09/04(金) 01:25:31 ID:PMn/3CmW
>>801
淀殿、もしくはその周辺グループは、家康と連絡を取り合ってた可能性が高い。
大阪城は途中から、どう考えても東軍に好意的な中立策をとっている。

804 :人間七七四年:2009/09/04(金) 01:26:31 ID:FZwsYTd1
往生際が悪いというよりも、798が結局なにを言いたいのかがわからん。
議論する気もないようだし。
家康が毛利や宇喜多の挙兵を読んでいたというならそれに対する対応を示す
なり、笠谷氏などの説に対する反論をすればいいと思うんだが。大坂城を抑
えられ、伏見城を落とされてるのに「家康は頭の中では想定していた」なん
て言い張るんなら。
それができずに人を小馬鹿にしたようなことしか言わないから説得力に欠ける

805 :人間七七四年:2009/09/04(金) 01:30:54 ID:Vybj2cQR
想定した結果が小早川頼みの関ヶ原だったとしたらお粗末すぎる。

806 :人間七七四年:2009/09/04(金) 01:33:18 ID:2LUMwn0v
>>802
みすってた。サンキュー

>>803
関ヶ原時の家康の軍事行動はあくまで豊臣公儀の代表者としてだからな。
大坂城まで攻めちゃうとちょっと話が違ってくる

807 :人間七七四年:2009/09/04(金) 01:33:36 ID:Ag5yIv4i
小馬鹿じゃなくて、バカにしてんだよ。
説得力なんか持たせてないしな。

笠谷とか、二段階挙兵とかしつけーんだよ。
よっぽど悔しかったんだな。
理解できましたか?w

808 :人間七七四年:2009/09/04(金) 01:40:57 ID:FZwsYTd1
>>807
自分はここで笠谷氏の名前は二回しか挙げてないが。
他の人たちがあげたのまで一緒にしないでほしい。
笠谷氏の名前出すだけで同一人物だと思うのはどうなんだ?
それだけ関ヶ原関係の本ではメジャーで、偉そうに言うなら
読んでおくべきということだと思うけど。

809 :人間七七四年:2009/09/04(金) 01:49:42 ID:wtRSS/nE
>>807
もうやめとけ
今、このスレで何が起きてるかは良くわかっている
だが氏に比べればマシなもんだ

810 :人間七七四年:2009/09/04(金) 02:25:00 ID:2LUMwn0v
小早川はどの時点で寝返ったのか、そもそも本来は東軍で西軍の善
戦に動けなくなったのか。そのへんはどう思う?皆の衆

811 :人間七七四年:2009/09/04(金) 02:26:08 ID:PMn/3CmW
>>810
松尾山に陣取った時点で、東軍への寝返りは周知の事実だったようだが。

812 :人間七七四年:2009/09/04(金) 02:29:22 ID:MXn8+mtU
大野や有楽は東軍だし
増田や片桐は内通
淀殿がこれら側近を動かしていた可能性はあるな

813 :人間七七四年:2009/09/04(金) 03:06:05 ID:Dn0E9faE
増田は内通から一変、反家康闘争の主導者に。
片桐も大津城攻めに軍を派遣。
大野、有楽は行きかがり上の東軍参加。

814 :人間七七四年:2009/09/04(金) 06:32:56 ID:vqX1e+bw
片桐は嫡男を家康の元へ送っている
増田は終始家康に情報送っている

815 :人間七七四年:2009/09/04(金) 07:23:21 ID:2LUMwn0v
東西ともに豊臣政権の命令だと言ってるから、みんなどっちについた
らいいか訳わかんなかったんだろうな。両方と誼み通じとくか−みた
いな。
東北の大名連中もみんなお互いに「あいつ敵だ」と疑いあって、伊達
と南部のようにぶつかってるのもいるし。

816 :人間七七四年:2009/09/04(金) 07:57:29 ID:yc1FAE1W
旗色鮮明にしてるのはそんなに多くねぇだろ関ヶ原ってどっちが勝っても大丈夫なように保険かけてるのばっか

817 :人間七七四年:2009/09/04(金) 10:37:15 ID:d8yLWOhA
自分の一族の命と全財産を一点賭けできる人間なんて少数派だからな
豊臣家だって三成の命令のまま危険なギャンブルに全てを捧げるわけにはいかない

818 :人間七七四年:2009/09/04(金) 10:50:53 ID:bItyJ6+7
家康はギャンブラーだからな

819 :人間七七四年:2009/09/04(金) 11:57:58 ID:wdukkyQ5
>>814
>増田は終始家康に情報送っている

「始」はあるが、「内府違いの条々」以後は?

820 :人間七七四年:2009/09/04(金) 18:31:22 ID:G4SepXHm
>811
攻撃されず攻撃もせず様子見出来て
西有利の時は、自分も西軍だと主張出来る
東有利の時は、お土産もって寝返り出来る

寝返る密約してても、寝返るんじゃないかと思われても、
最終的には自分で有利な方を選べる陣取りだと思う

821 :人間七七四年:2009/09/05(土) 00:11:21 ID:2PVdypB9
増田とか大津城攻めに水軍を送ってるだろ  

822 :人間七七四年:2009/09/05(土) 01:34:47 ID:TJy7eqpP
増田は最初の頃は家康に内通していて、
家康暗殺の計画とか、三成の挙兵なんかを通報していて、
家康も結構たよりにしていたんだな。
それが突如「内府ちがいの条々」で家康糾弾の先頭に立ってきたもんだから、
家康は仰天して、どう行動していいか見えなくなってしまったということらしい。

823 :人間七七四年:2009/09/05(土) 01:59:17 ID:g6AuliFA
別に増田くらいで大げさだろ

824 :人間七七四年:2009/09/05(土) 02:10:45 ID:TJy7eqpP
やっぱ秀頼君の奉行だからね

825 :人間七七四年:2009/09/05(土) 08:03:54 ID:HG9CqvKY
増田ぐらいでって、豊臣の奉行がこぞって西軍につくってのは豊臣公儀
の判断が「敵は上杉でなく徳川」と転換されたってことだからな

826 :人間七七四年:2009/09/05(土) 08:30:08 ID:zpfuEyff
それでも本丸に入れなかったり馬印や秀頼の名前を使わせなかったりして逃げ道は用意してんのな豊臣家

827 :人間七七四年:2009/09/05(土) 08:50:01 ID:HG9CqvKY
輝元が本丸に入る意味はないしな。輝元は政庁である西の丸に入り、
秀頼のそばには毛利家臣を送ってる。ただ、淀としてはあくまで家臣
同士の戦いにしようという考えはあったんだろうな。

828 :人間七七四年:2009/09/05(土) 10:10:06 ID:nUqfJjPV
家康も江戸での手紙のやり取りだけど、直接の調略には手を染めず、
上方からの手紙の返答と味方の人間に対する手紙が主じゃなかったっけ?

当たり前だが、西軍の積極的に寝返りの具体的な手紙をだすのは家康が美濃に
入ってからなので、関東にいた時期は、泡食っていたとまでは言わないが、守勢の
対応だったと思う。

普通に上方喰う気だったら、さっさと東海道登って、威圧しつつと調略した方が良いからね。
(当然、伊達と最上が上杉に噛み付いたの確認してからがベストだけど)

829 :人間七七四年:2009/09/05(土) 10:59:54 ID:8dBu5ibZ
そりゃ、状況判断するためには情報が必要だし、無用に動く必要はないだろ。
集まってくる情報だって、真偽入り乱れてる可能性もあるわけだから。
家康にとっては、かなりの勝負ドコロなわけで。軽卒な動きは取らず、
本拠地で情報収集・状況判断を行うのは当然のこと。

830 :人間七七四年:2009/09/05(土) 11:04:02 ID:mRkPl5nS
さすが

831 :人間七七四年:2009/09/05(土) 11:18:27 ID:lWWNKy5z
問われているのは、なぜここにきて家康の動きが極度に慎重になってしまったかのだが

832 :人間七七四年:2009/09/05(土) 11:23:25 ID:8dBu5ibZ
正確な情報収集と、的確な状況判断・対応を行うため。

833 :人間七七四年:2009/09/05(土) 11:30:12 ID:lWWNKy5z
いつもは「正確な情報収集と、的確な状況判断」をやってないということか

834 :人間七七四年:2009/09/05(土) 11:33:51 ID:Oiov5iCh
>>831
予備戦力として、短期決戦が可能な段階まで投入を避けたんじゃないの
で、岐阜城陥落でそれが可能と判断、江戸を進発した

835 :人間七七四年:2009/09/05(土) 11:37:04 ID:8dBu5ibZ
>>833
君が話をドコに持ってい行きたいのかよくわからないんだけど。

836 :人間七七四年:2009/09/05(土) 11:44:57 ID:lWWNKy5z
>>835
スレの流れを読み返してみればわかる



837 :人間七七四年:2009/09/05(土) 11:53:18 ID:8dBu5ibZ
よくわかった。
つまり、家康は西軍蜂起にビビッて関東を動けなかった、
という事にしたいわけね。

そう思いたければ、それでいいと思うよ。
その方が、西軍贔屓の人も気分良いだろうし。



838 :人間七七四年:2009/09/05(土) 11:54:33 ID:7OpHAHp1
>>831
別に極度に慎重という程のことでもないでしょ
戦とは何が起きるか分からないし、一度の失敗が取り返しのつかないこともあるのだから
家康くらいの行動が戦国武将として当然の行動
むしろ三成のように大義名分を過信しすぎて内通に対して無防備すぎる方が異常だよ
秀吉という絶対権力の威光の下にいすぎたことで戦に対する感覚が麻痺していたんだろうな

839 :人間七七四年:2009/09/05(土) 12:05:58 ID:VgZiFLo0
>>837
西軍派だが、さすがにそこまでは思っていない

840 :人間七七四年:2009/09/05(土) 12:06:50 ID:SX7BEDRc
>>839
一部の西軍シンパだかアンチ家康だかは、そう思いたがってるってことだろ。

841 :人間七七四年:2009/09/05(土) 12:19:20 ID:lWWNKy5z
家康が江戸城にとどまった「空白の一ヶ月」をどのように理解するかということ。
ただ「正確な情報収集と、的確な状況判断・対応を行うため」だけでは、答えにはならないということだ。


842 :人間七七四年:2009/09/05(土) 12:23:01 ID:r6hXNFfn
東軍先発隊の諸大名の去就に不安があったのも一因だろう。
いざというときは江戸で態勢を整えればいい。

843 :人間七七四年:2009/09/05(土) 12:36:09 ID:8dBu5ibZ
>>841
なぜ答えにならないのか教えてくれないかな?
>>838や、>>842の意見も、当然「正確な情報収集と、的確な状況判断・対応」
に包含されているわけだが。
情報の重要性が理解出来ないわけはあるまい?

844 :人間七七四年:2009/09/05(土) 12:39:59 ID:nUqfJjPV
>正確な情報収集と、的確な状況判断

ってよくでるけど、それなら上方にさっさと行った方がよいんじゃねーか?
情報源にそれだけ近いわけだし。

江戸にいた理由は、情報収集ではなくて足元固めじゃねーか?
情報収集を江戸でする理由がわからん。

845 :人間七七四年:2009/09/05(土) 12:43:17 ID:SX7BEDRc
>>844
当時の通信事情を考えろ。
情報を集めるために「動かない」って事は重要。

846 :人間七七四年:2009/09/05(土) 12:47:18 ID:8dBu5ibZ
足元固めももちろんあるよ。
「正確な情報収集と、的確な状況判断・対応」ね。

情報収集先は上方ばかりじゃない。上杉の件もある。
戦略的に動かない、というのは古今東西問わずよくある話でしょ。

847 :人間七七四年:2009/09/05(土) 13:13:18 ID:W9LgtvjG
家康のように群雄割拠を知ってる世代なら戦は何が起きるか分からない、味方と称する奴も突然どんなことをするか分からないというのは常識だよ
だけど石田や福島など関ヶ原の主力世代は強大勢力の下で育った世代だから
戦とは格下を征伐するもの、トップダウンの指示に皆が平伏するものであり、
格下の敵が自分達に流れることは経験してるけど、敵に自分達の味方が寝返ることは経験していない世代だ
福島がなぜ様子見していると文句を言ったり石田が内通に無防備のまま関ヶ原に向かったのも根は同じで
戦に対するジェネレーションギャップがあったと考えられる
家康個人が慎重というより家康世代の常識を身につけているのが家康しか残っていなかったという方が正しいと思うよ

848 :人間七七四年:2009/09/05(土) 15:05:58 ID:Q+M/9aMQ
要するに清洲城に集結している豊臣武将たちが信用できないということだろう。
家康が清洲に行ったところ、俺たちはやっぱり秀頼様のために働くと言われたら、
いっぱつで袋のネズミ、お陀仏になってしまうからな。

849 :人間七七四年:2009/09/05(土) 15:25:34 ID:VgZiFLo0
清洲城だけでなく、全国の大名について、去就を判断する必要もあるよね。
関ヶ原は本戦だけじゃないんだし

家康が変にフラフラ動いたら、情報が遅れたり、届かなかったりする可能性があるよね

やっぱり大勢がハッキリするまで動かないのが当たり前だよ

850 :人間七七四年:2009/09/05(土) 15:32:50 ID:yxuIzZjl
佐竹には人質の供出を断られ、伊達の動向も詳らかでない。
下手をすれば西からも東からも攻められる可能性があるわけで、
最悪の事態を想定して江戸に在城するというのは当然の行動。
ただ、機を見誤っては大勢に影響するので、西上のタイミングは非常に重要。
福島の行動と岐阜城の早期落城が家康に幸運を齎した。

851 :人間七七四年:2009/09/05(土) 17:03:49 ID:40VyyXLr
>>825-826
そういう負い目があるから、豊臣家は全国各地の直轄領を
家康に褒章としてばら撒かれたり、鉱山の権利を
取り上げられても何もいえなかったわけか。

852 :人間七七四年:2009/09/05(土) 17:19:30 ID:rkvvG21D
三成ごときを片付けるだけだったら情報収集も情勢判断もたいして要らんだろう。
いっきに攻め上って粉砕してしまえばいいだけのこと。
それを考えると、増田ら豊臣三奉行たちが前面に立って、家康討伐令の狼煙をあげたことの意味は大きい。
これで同盟の豊臣武将たちも、全国の武将たちも、どう出るかがまったく予断をゆるさなくなってしまったということだろう。
伊達政宗だってあぶないし、越後の堀秀治も三成方へ内通しているし。
関東那須方面の中小武将も、信州の森忠政らも危なっかしい。
家康が江戸城にお籠もり状態になるのは当然のこと。

853 :人間七七四年:2009/09/05(土) 20:48:04 ID:Rx74rfvN
>>852
> いっきに攻め上って粉砕してしまえばいいだけのこと。

おいおい、私闘を始めちゃってどうするんだyo!w

854 :人間七七四年:2009/09/06(日) 02:09:01 ID:yFOFkNiH
>>852
家康が豊臣三奉行の名義を過大評価してしまった部分は否定できないだろうね
でも少し観察すれば心配するほどの拘束力はなく逆に秀頼の名義が使えずに苦労しているのが分かる
それが分かったから出陣してバラバラの西軍を分裂させて壊滅させたわけだ

855 :人間七七四年:2009/09/06(日) 02:32:56 ID:XJi0u/ty
今日、司馬「関ヶ原」のドラマの再放送やるね
スカパー未加入だけど無料デーだから見れるわ

在りし日の森繁、丹波、三船、藤岡弘、を久しぶりに拝む

856 :人間七七四年:2009/09/06(日) 02:33:42 ID:37OwcsGt
西軍誘降の為に散々秀頼の名義使ってんだろ。

857 :人間七七四年:2009/09/06(日) 02:57:10 ID:CZDReMv8
秀頼様への御忠節と明言してるよ

858 :人間七七四年:2009/09/06(日) 06:42:42 ID:ZRuFptal
名前を使わせて貰えるってのはそういう意味と違くないか?


859 :人間七七四年:2009/09/06(日) 08:05:38 ID:37OwcsGt
城の接収では「秀頼公上意」って言ってんだろ。
所領宛行も秀頼の名前で約束してる。

つーか、名前使えなかったから苦労したって何の事言ってんだ?

860 :人間七七四年:2009/09/06(日) 08:26:32 ID:PN4sirzG
七将が石田三成を襲撃した時に、三成は伏見の自邸に逃げたのであり、
家康の屋敷に匿ってもらったというのは絶対にありえないんですか?

861 :人間七七四年:2009/09/06(日) 10:32:28 ID:/z/lvNdB
>>860
ありえないよ。家康に仲裁を頼んだのは確かだけど。
まあ大河は相変わらず家康の屋敷に逃げ込むそうだが。

862 :人間七七四年:2009/09/06(日) 10:32:30 ID:tUZrCADh
家康が三成を匿って、さらに逃がすってのはわざと挙兵させて一
網打尽にしようという話につながっていく。

この時期と見られる毛利宛て三成書状もあるが、家康邸に逃げれば
こんなやり取りは無理だと思う。

863 :人間七七四年:2009/09/06(日) 11:04:41 ID:dfTUZKIw
そもそも当時の資料には家康の屋敷に逃げ込んだとは書いてないでしょ

864 :人間七七四年:2009/09/06(日) 11:11:48 ID:/z/lvNdB
つーか家康低に逃げ込んだなんて言い出したのは、江戸期どころか、明治の徳富蘇峰だったりする。

865 :人間七七四年:2009/09/06(日) 12:21:34 ID:4xGHPY9r
で、徳富先生のあとみんな右へならいで三成は家康の屋敷に逃げ込んだと言い続けてきた。

866 :人間七七四年:2009/09/06(日) 12:31:06 ID:/z/lvNdB
三成に関しての悪口は、むしろ明治後広まったものが多かったりする。

江戸期では、少なくとも元禄の頃は、石田三成、柴田勝家、明智光秀の三人が
三大名大将とされていたそうな。理由はこの三人が、天下分け目の戦いをしたから、なんだそうな。


867 :人間七七四年:2009/09/06(日) 13:06:27 ID:9UlibuQV
>>860,861
これだけ明らかになってもNHK大河はあいかわらず家康邸へ逃げ込んだという誤った歴史像をふりまいてる。
公共放送なんだろう。みんなメールで抗議文を送らないか。

868 :人間七七四年:2009/09/06(日) 14:03:39 ID:KJvyZf4/
今年のはそれどころじゃないと思うがww

869 :人間七七四年:2009/09/06(日) 14:13:56 ID:ak1xvQ+m
というと?

870 :人間七七四年:2009/09/06(日) 14:19:03 ID:/z/lvNdB
まあ当時の伏見は家康が仕切っていたから、そう言う意味で「家康の下に逃げ込んだ」は
ある意味嘘ではない。

871 :人間七七四年:2009/09/06(日) 14:32:09 ID:ak1xvQ+m
詭弁!w

872 :人間七七四年:2009/09/06(日) 14:34:40 ID:tUZrCADh
家康邸突撃が否定されたのは最近だから、ドラマ上で説得力があり、面白
ければそれでいいと思うが、天地人はこれまでそれがないってことだろう。

873 :人間七七四年:2009/09/06(日) 15:02:07 ID:uDO+9g+2
三成の逃げ込んだのが家康屋敷ではなく、
伏見城内の治部少曲輪にある自分の屋敷であることを
はじめて指摘したのが笠谷氏の『関ヶ原合戦』。
昔これを読んだとき驚いて本当なのかなと思ったし、
当時も賛否両論で争われていたけれど、
今日ではほぼ笠谷説で落ち着いたもよう。

874 :人間七七四年:2009/09/06(日) 16:55:46 ID:f5W5WCB3
今夜の天地人は視聴率高そうw

875 :人間七七四年:2009/09/06(日) 20:54:00 ID:+/qMyP3M
司馬もおちおち死んでられないな
関ヶ原だの国盗り物語だの、書き直したいものが山積のはず

876 :人間七七四年:2009/09/06(日) 21:37:30 ID:XfU07GFE
NHKもこうなると犯罪的ですらあるよな。
歴史考証って一体なんのためにあるんだ。

877 :人間七七四年:2009/09/06(日) 21:46:06 ID:/z/lvNdB
NHKの歴史番組は高校講座日本史以外は、昔から俗説垂れ流しのバラエティだし。

878 :人間七七四年:2009/09/07(月) 00:52:37 ID:jC8twiD4
NHKもわかっててやってるんだろ
理由はドラマ的に盛り上るから
ほら、本能寺の変だって光秀が本能寺攻めの指揮とってるでしょ
それと同じ

879 :人間七七四年:2009/09/07(月) 01:32:15 ID:zg53Ajtt
毎度同じ展開でマンネリだよね。
伏見城内に逃げ込んだ三成と、城外まで迫って包囲している加藤・福島たちが
睨み合っているというシーンを出した方がずっと新鮮で衝撃的だと思うけど。

ところで本能寺で光秀は指揮をとっていなかったかしら。

880 :人間七七四年:2009/09/07(月) 02:04:53 ID:vsLy8lvR
>>879
光秀が本能寺に到着した頃には既に、信長バーベキューになってた。


881 :人間七七四年:2009/09/07(月) 02:33:15 ID:GY5hzyUB
狸屋敷に逃げ込んだ説、石田と直江の挟撃作戦説
大昔に黴が生えて処分されたような説ばっかりの大河

882 :人間七七四年:2009/09/07(月) 02:59:23 ID:vsLy8lvR
そのくせ同じレベルの逸話である、蒲生氏郷を直江と三成が共謀して暗殺した、と言う話は
絶対に使わないw

883 :人間七七四年:2009/09/07(月) 06:53:57 ID:OaRSSGaS
最上義光 「暗殺だと!・・・ひどいことをする奴がいたものだ。」

884 :人間七七四年:2009/09/07(月) 07:58:18 ID:btZudP/0
宇喜多直家「ですよね〜」

885 :人間七七四年:2009/09/07(月) 08:28:30 ID:OTQUdl8f
蒲生暗殺は死因からありえないとだいぶ前に否定されてるからな。

逸話をそのまま使うと家康を倒したあとに三成は秀頼、直江は景勝を
暗殺しようとする腹黒になっちゃうし。
東西挟撃の話はうまく使えば壮大な面白い話になるのになぁ。

886 :人間七七四年:2009/09/07(月) 13:33:16 ID:/OKRtxYh
資料からありえない話作ってんだから死因なんてどうとでもなるでしょ

887 :人間七七四年:2009/09/07(月) 15:16:33 ID:m1fVOsyq
でもやっぱり東西挟撃は話として面白いから、天地人だけでなく
ほかの小説でも採用されるんだと思う。取捨選択は制作陣のセン
スだからな。天地人のセンスがいいとは思わないが

888 :人間七七四年:2009/09/07(月) 15:40:49 ID:W4hPjf1r
東西挟撃作戦説は面白いかもしれないけど
上杉が主役のときはどうよ?
景勝がヘタレで追撃しませんでしたの流れにするの?
視聴者はフラストレーションがたまりそうだな。

889 :人間七七四年:2009/09/07(月) 15:50:06 ID:vsLy8lvR
普通に「兼続が最上を攻めて後顧の憂いをなくしてから南進」って事にして、
んで、そのうちに関ヶ原終了しちゃうんだろ。で、

→兼「天下万民のために降伏を!」景勝「兼続の言うとおり」家康「さすがは兼続」

こうじゃね?


890 :人間七七四年:2009/09/07(月) 16:06:08 ID:JonffKpX
次週のあらすじ

>三成(小栗旬)は知略にたけた盟友・大谷吉継(津田寛治)にともに立つことを求める。
そして、毛利輝元(中尾彬)を総大将として大坂城へ入り、秀頼(小林海人)を奉じ、
家康討伐のため挙兵する。
>知らせを受けた家康は、三成を討つため大坂へと引き返す。兼続は、家康を挟み撃ちにする
絶好の機会と景勝に進言。しかし、景勝は敵を背後から討つのは義に背く、と応じない。

891 :人間七七四年:2009/09/07(月) 16:25:37 ID:gpNQVF2V
実際は当時の上杉家には、その土地の協力者無しに遠征を可能にするほどの輜重能力が
まるで無くて、出ようにも出られなかったってことらしいがな。

せいぜい飛び地の領土を繋げようとした位(それすら失敗したが)

892 :人間七七四年:2009/09/07(月) 17:14:53 ID:2XbBHtjZ
うかつに遠征できないから引き込んで迎え撃つ作戦にしたのに
はるか彼方でUターンされて追えるわけないでしょう。

893 :人間七七四年:2009/09/07(月) 17:52:59 ID:caJzSI2Q
>>891
それは近代以前の全ての軍隊にいえる

894 :人間七七四年:2009/09/07(月) 18:26:35 ID:akiUEtn6
>>890
密約前提で背後云々って話になるとさ、
なんで景勝に密約・計画を話してないんだ?説得していないんだ?って話にならね。
要は、兼続は無能ってことになる。

今年の天地人って、「義」にこだわる余り、登場人物が馬鹿化・自己矛盾を起こしてるんだよなあ。

895 ::2009/09/07(月) 18:41:44 ID:KU6WIy5S
これほどの大きな世情の変化も理解出来ないような憐れな知能の奴

896 :人間七七四年:2009/09/07(月) 23:44:42 ID:PnGVpY1l
>>894
三成も東海道勢に何の話もしていなかったため不信感を買って
家康に付かれて上洛ルートを確保されているからな
「義」にこだわる余り、自分は絶対正しい⇒みんなが自分の言うことを聞いて当たり前と
自己中心的になってしまうのかもね

897 :人間七七四年:2009/09/08(火) 00:01:21 ID:vTTu4wKJ
伊達や上杉、真田も参戦させて日本一決めればヨカッタ

898 :人間七七四年:2009/09/08(火) 00:09:47 ID:xRMmHKfE
>>890
背後から襲うのは義に反するから追撃しないってのは良く見るパターンの一つだな

899 :人間七七四年:2009/09/08(火) 00:23:46 ID:fdIkoUyF
>>896
東海勢は会津征伐に向かってるから、三成が計画を明かすなんて時間はないな。
結果的にはそこが急造の寄せ集め部隊みたいになってしまった一因になったが、
そうでもしなければ家康の裏もかけないし

900 :人間七七四年:2009/09/08(火) 00:35:15 ID:ZRgqCN4y
>>898
> 背後から襲うのは義に反する
いかにも江戸期に作られた話だよなw

901 :人間七七四年:2009/09/08(火) 10:09:17 ID:1l8JOwvP
実際の景勝のほうが「南下してる最中に最上や伊達に領内を侵されたらみっともない」
と現実的だな

902 :人間七七四年:2009/09/08(火) 14:22:14 ID:09li5aJM
大津城なんか竹の柵で囲っとけばええんじゃというわけで、立花等九州勢と
大垣留守番隊が本戦に最初から参加していれば面白いのにな。

903 :人間七七四年:2009/09/08(火) 15:00:30 ID:fkdnScPm
>>902
大津城はあそこを落さないと近江の水陸運が脅かされるから、攻めるのは当然

904 :人間七七四年:2009/09/08(火) 21:36:19 ID:Gyd3kIrD
>>901
嘘いうな。現実の景勝が「南下」なんて表現を使うか。
越後国の「上越」「下越」がどのような位置関係にあるか考えてみろ。

905 :人間七七四年:2009/09/08(火) 21:37:49 ID:VFuIzdxO
>>901
嘘いうな。現実の景勝が「南下」なんて表現を使うか。
越後国の「上越」「下越」がどのような位置関係にあるか考えてみろ。

906 :人間七七四年:2009/09/08(火) 22:01:01 ID:W3IMfEaD
嘘言うなとかそういう問題か?わかりやすくしただけだが。
「卒璽に関東表調議に及び、奥口蜂起候へば、手成見苦しく候」とでも
書けばよかったかな。

907 :人間七七四年:2009/09/08(火) 22:12:27 ID:9tURVfzP
京極高次って結構凄いよな
立花と筑紫の陣に夜襲かけてるもんな 

908 :人間七七四年:2009/09/08(火) 22:14:12 ID:VFuIzdxO
いくら原文を知っていても、読む人間の歴史感覚が狂っておれば偽造歴史が産出されるという話。

909 :人間七七四年:2009/09/08(火) 23:38:27 ID:lQVD1p8X
スルー推奨

910 :人間七七四年:2009/09/08(火) 23:50:02 ID:VFuIzdxO
スルーというのは卑怯者の特性

911 :人間七七四年:2009/09/09(水) 00:39:39 ID:5Fo5CfPW
キチガイw

912 :人間七七四年:2009/09/09(水) 01:46:23 ID:oPLBQ92B
>>907
10日に夜襲かけたのが総攻めの口実となって、
落城したんだけどね。

913 :人間七七四年:2009/09/09(水) 06:34:18 ID:kN/UF78x
ポイントがずれてるな

914 :人間七七四年:2009/09/09(水) 07:56:32 ID:u3kJWOiW
ウォーランドはパンク

915 :人間七七四年:2009/09/09(水) 18:47:57 ID:uCZhw5jQ
わたしが、ものごころついて以来、ずっと自民党政権であった。ほんとうに鬱陶しい時代であった。実質上、言論の自由はなかった。アホが支配する封建社会であった。
論理など通じない社会であった。暴力と、義理と人情と金しか通用しなかった。
やっと、やっと、こういうバカな社会と決別できる。歓喜。


916 :人間七七四年:2009/09/09(水) 21:47:06 ID:9CgpnKTq
>>914
パンク?どうなった?

917 :人間七七四年:2009/09/10(木) 02:56:12 ID:AbzNysGd
ハラハラ関ヶ原でBL三昧♪

918 :人間七七四年:2009/09/10(木) 20:08:12 ID:kMGFr0k0
BS2 9月11日(金)20:00〜20:44 BS熱中夜話「関ヶ原」(前編)
ttp://www.nhk.or.jp/nettyu/2009/sekigahara/index.html

919 :人間七七四年:2009/09/11(金) 10:08:10 ID:pR7ok0GC
楽しみだが治部少と刑部の友情に尺取られる予感

920 :人間七七四年:2009/09/11(金) 10:45:34 ID:j6fNgr53
あの番組の趣旨からして、三成だの幸村(信繁じゃなく)だの兼続だのと
誰が好きだとか嫌いとか、キャァキャァ言う内容になるのは確実
なぜならそういう番組だから

921 :人間七七四年:2009/09/12(土) 10:56:49 ID:hGFsya0u
>幸村(信繁じゃなく)だの兼続だのと

セーフ
関ヶ原戦場の武将にスポットを当てているみたいだから

922 :人間七七四年:2009/09/13(日) 02:23:07 ID:BhUeuKHx
秀家が7月に出陣式を行なっていたことと、高虎の餅のエピソードは
知らなかった

923 :人間七七四年:2009/09/13(日) 07:22:10 ID:75lTpuam
>901
景勝は「我が判断(後ろから家康を追撃しない事)が不条理だと思う者は暇を申し出よ」と、部下に書状を書いたって言われているけどね。



924 :人間七七四年:2009/09/13(日) 10:46:53 ID:lp5LIHu2
>>923
そんなの聞いたことがないよ。

景勝が重臣に送った書状は6月10日付で家康の出陣前。
「家中無力、領内仕置きのため秋まで上洛を延期してほしいと豊臣奉行衆に
 頼んだが、讒言を信じて、重ねて逆心がなければ上洛しろ。そうでなけれ
 ば征伐すると言ってきた。言いたいことはあるが、もともと逆心があるわ
 けではないので仕方なく万事を投げうって上洛する覚悟を決めたが、讒人
 の糾明を申し入れたところ、ともかく上洛しろとばかり言ってくる。こん
 なことでは到底上洛できない」などと告げた上で、
「譜代・旧功・浪人上下問わず、このようになったことを分かってくれる者
 は残れ。理解できず、理不尽な滅亡だと思う者はどこへでも行くがよい」
という内容。

925 :人間七七四年:2009/09/13(日) 11:16:59 ID:D3rIz3S8
で、理解できずに退転しようとした藤田に大慌てで攻撃を仕掛ける景勝。

926 :人間七七四年:2009/09/13(日) 11:27:37 ID:Pkhc9JiM
>>925
藤田が出奔したのは二月ないし三月だろ。
直江状にも、先月中頃って藤田の出奔のことは書かれてるぜ。

927 :人間七七四年:2009/09/13(日) 11:31:38 ID:D3rIz3S8
>>926
だから、藤田に関しては攻撃しているのに、その後になって「出て行きたきゃ勝手に出て行っていいよ」
なんて、信用できないでしょ?

928 :人間七七四年:2009/09/13(日) 11:46:14 ID:JIU6jXId
逃げる藤田を追ったってのは作り話。
追撃で死んだといわれる栗田刑部は上杉家にそのまま残ってる。

929 :人間七七四年:2009/09/13(日) 11:46:41 ID:Pkhc9JiM
藤田が出奔時攻撃がはたしてあったのかどうか史実ではっきりしてるのか?
同時に出奔しようとして殺されたと言われてた栗田刑部はその後の文書にも登場し、
光成準治も出奔した事実はなかったのではないかと言ってる。
栗田一族虐殺は「会津陣物語」の創作の可能性もあるよ。

930 :人間七七四年:2009/09/13(日) 17:43:38 ID:AwuWwn+7
宮本義己「内府(家康)東征の真相と直江状」(『大日光』第78号、2008年)を要約すると、

伊奈昭綱は4月10日に伏見を出発。
4月14日付けの直江状には使者が13日に着とある。
3日間で伏見から会津若松に到着するのは物理的に不可能。
だから直江状は有り得ない作文。

他の文書で直江兼続は治部少輔殿と敬称を用いているのに、
直江状では、陪臣でありながら、増右、大刑少、榊式太などと略称を用いており、
このような非礼な表記は不自然。

931 :人間七七四年:2009/09/13(日) 20:33:10 ID:BYsCrxgx
> 3日間で伏見から会津若松に到着するのは物理的に不可能。
> だから直江状は有り得ない作文

戦国時代の日本が、紀元前のローマ街道が敷かれていない古代ガリアよりも情報伝達で遅れていたとは泣けるな。
カエサルの記録やキケロの書簡によると、古代ガリアでは1日に300km以上の迅速さで情報が伝わっていたそうだが。


932 :人間七七四年:2009/09/13(日) 20:53:09 ID:D3rIz3S8
>>931
ヒント「地形」

あとローマじゃ軍の通信用にローマ道路なんて馬車が全速で駆けられる軍事道路作ってる。
あの時代の日本にそんなものはない。以上。

933 :人間七七四年:2009/09/13(日) 22:34:06 ID:HonhJk3s
日本人の長距離移動能力は、馬より上だったりするのだが。

934 :人間七七四年:2009/09/13(日) 22:37:39 ID:D3rIz3S8
>>933
おかしな夢でも見ているのか?

935 :人間七七四年:2009/09/14(月) 00:05:07 ID:IpcBEKpq
1日300kmってアホみたいに速いな。夜も走ったのかな?
モンゴル帝国の駅伝でも100km〜150kmだというのに

936 :人間七七四年:2009/09/14(月) 05:39:06 ID:koS/xevK
10日と13日か、他人の書いた偽書ならそんな微妙なズレにはならんだろうよ。

937 :人間七七四年:2009/09/14(月) 08:53:33 ID:ULHDAOOr
最近は追而書など一部は改変の可能性はあるが、直江状は存在したって言ってる研究者のほうが
多いね。直江だけでなく豊光寺も「増右、大刑少、榊式太」と書状で呼んでるが、こっちは偽書と
は聞かない。『大日光』の論文では鹿苑日録に直江と豊光寺が書状のやり取りをしたことを触れ
てないんじゃないかな。

3日で会津に着くわけないってのも、伊奈の一行が豊光寺の書状を持参したことを前提
にしてるが、1日に書かれた書状なのでそのあとすぐに会津へ送られれば自然な日数になる。


938 :人間七七四年:2009/09/14(月) 11:31:01 ID:rYh+nqqz
>>935
現代人のイモトが24hで126k走ったんだから、当時はもっと足腰丈夫だから、倍は行けるかと。距離は定かじゃないが、飛脚が一日に移動する距離に驚いた事がある

939 :人間七七四年:2009/09/14(月) 12:35:30 ID:OMREPuDA
ばかか?
馬か船を使ったんならわかるが、足だけで1日100kmは不可能
イモト並みのサポート体制が整っていて、道も整備、照明も完備なら150kmぐらいはいけるかもしれないけど
それを2日も3日も続けられるわけがない

940 :人間七七四年:2009/09/14(月) 13:30:04 ID:JwpNyYYc
4月1日京都往信発、同14日会津返信発で問題ないでないの

941 :人間七七四年:2009/09/14(月) 13:47:19 ID:IpcBEKpq
まぁ一人では無理だな。色々整備された江戸時代の駅伝飛脚は
最特急便なら江戸大坂間を3日、1日約200kmとか
伝馬だと2日半くらいだったかな。

942 :人間七七四年:2009/09/14(月) 14:19:08 ID:0D8apnLA
街道が整備されて交通環境が飛躍的に上がった江戸期ですらそれだもんな。
江戸期以前の、ましてや東北の交通事情なんて。

943 :人間七七四年:2009/09/14(月) 14:43:57 ID:4ablHLDy
つか別に走らんでも、馬を乗り継ぐのはダメなの?

944 :人間七七四年:2009/09/14(月) 15:25:21 ID:MyPliRU7
>>918 BS熱中夜話「関ヶ原」(前編) 再放送
BShi 9月14日(月)17:00〜17:45
BS2  9月14日(月)23:30〜24:15
NHK総合 9月17日(木)26:05〜26:51←1分長いのは番宣か


BS2 9月18日(金)20:00〜20:45 BS熱中夜話「関ヶ原」(後編)

945 :人間七七四年:2009/09/14(月) 15:27:29 ID:BN+cAjMe
>>930の馬鹿が脳内妄想で勝手に不可能って決め付けてるだけだろ、馬鹿らし
こういうさも見てきかのように勝手に思い込みで話す馬鹿多過ぎ


946 :人間七七四年:2009/09/14(月) 17:06:36 ID:0D8apnLA
>>943
伝馬の整備もされてないのにそんなことできるか。

>>945
お前が脳内妄想で決め付けてるだけだから。

947 :人間七七四年:2009/09/14(月) 18:10:12 ID:T0Vifaej
伊奈昭綱の一行がそこまで急ぐとは思えないし、そんなに急ぐならもう直江への書状は
送ってしまってるだろ。

948 :人間七七四年:2009/09/14(月) 23:46:30 ID:1NUEI5Kw
戦国期の馬がそんなに早く走れるのかと小一時間(ry

949 :人間七七四年:2009/09/15(火) 00:14:51 ID:SDUNvrqW
みんな!今日関ヶ原に集まらない?
とりあえず関ヶ原駅に12:00に集合ね 

950 :人間七七四年:2009/09/15(火) 02:13:56 ID:klaKSxsB
だいたい「無礼な手紙」=「直江状」と言う発想がおかしい

951 :949:2009/09/15(火) 13:35:54 ID:SDUNvrqW
おい、待ってるんだけど
みんな来る気あるの?
改札口の前にいるのが俺だよ

952 :人間七七四年:2009/09/15(火) 14:15:44 ID:l9hcmdCc
>>951
ごめん
わかんなかったからご飯食べてから一人で観光してる

953 :人間七七四年:2009/09/15(火) 22:27:53 ID:gEEZzjFr
せつな過ぎるw

いや、まぁネタなんだろうが。

954 :人間七七四年:2009/09/15(火) 23:54:49 ID:FGJRL83s
関ヶ原合戦は「1600年9月15日」にあったなんて、
平気で馬鹿書いてる歴史研究者が山ほどいる。

955 :人間七七四年:2009/09/16(水) 00:34:59 ID:vY178a0/
違うの?

956 :人間七七四年:2009/09/16(水) 00:36:22 ID:vY178a0/
もしかして西暦と和暦の違いのことを言ってるのか。
グレゴリオ暦と旧暦の違いぐらいその表記でも一応わかるんじゃない?

957 :人間七七四年:2009/09/16(水) 01:59:36 ID:wre3AmDF
分かっていない人が多いと思う。
忠臣蔵の襲撃日も同じ。

958 :人間七七四年:2009/09/16(水) 02:16:56 ID:kpRZJnzk
>>956
慶長五年九月十五日とするか
1600年10月21日とするか、どっちかだね。

年が西暦で日付が旧暦はまずかろう。

959 :人間七七四年:2009/09/16(水) 02:20:53 ID:wre3AmDF
8月15日の盆とか噴飯モノではないか。

960 :人間七七四年:2009/09/16(水) 03:28:36 ID:CLUUCok/
>>958
顔が日本人で、名前がスザンヌとかいう人もいるから別にいいんじゃね?

961 :人間七七四年:2009/09/16(水) 03:35:20 ID:Ww5oTOJq
どう考えても関係ないよ、ピーター

962 :人間七七四年:2009/09/16(水) 12:32:09 ID:Qj/yLV6n
インチキ西暦

963 :人間七七四年:2009/09/16(水) 18:02:46 ID:4OctdnNF
南蛮時代とか幕末の国際交渉の歴史やってる研究者も、平気でこの偽西暦を使ってるな。
外国側文書のほんもの西暦の日付を見たら間違いにすぐ気がつきそうなものだが。
要するに外交史といいながら外国文書なんか見とらんのだろうW

964 :人間七七四年:2009/09/16(水) 18:19:00 ID:G2Ngd1ux
>偽西暦

解説求む。

965 :人間七七四年:2009/09/16(水) 22:22:01 ID:In3Ck+Ai
まだ理解できんのかw

966 :人間七七四年:2009/09/16(水) 22:35:17 ID:OyoX8IBZ
965の妄想だろ

967 :人間七七四年:2009/09/16(水) 22:39:49 ID:In3Ck+Ai
答えは上に出ているが

968 :人間七七四年:2009/09/16(水) 23:27:23 ID:Qcr6J7+Q
>>967
答えって
何の話をしているの?

969 :人間七七四年:2009/09/17(木) 07:51:01 ID:Wd27Ge2B
>>968
暦の問題だろ。
暦には種類がある。今は西暦主流だが昔は地域ごとの生活に合わせて独自の暦を使用していた。
昔の中国なんかでも地方によって違ったりしてるわけだ。暦が違えば日付も違う。
で、西暦の1600年9月15日と言う日は、慶長5年の9月15日では無いわけだ。どちらかを基準にして
換算しないと、慶長五年9月15日が西暦では何月何日なのか出てこない。

これが問題になるのは違う暦使ってる国それぞれの歴史書から、特定の事件について調べたりする時
など。同じ日付のところを見ても実際にはずれているので時系列がおかしくなったりするわけだ。

でもまあ記念日旅行なんて気分の問題だからいいんじゃねとは思うけども。

970 :人間七七四年:2009/09/17(木) 07:56:09 ID:9aTqEYeg
記念日旅行が旧暦と西暦で二回できるのもオツだよ
旧盆と新盆両方やるやつもいるしな

971 :人間七七四年:2009/09/17(木) 10:55:38 ID:vCC59X89
そういう問題ではないと思う

972 :人間七七四年:2009/09/17(木) 11:11:04 ID:l2pKHvWm
冗談の通じないやつがいるなw

973 :人間七七四年:2009/09/17(木) 20:12:01 ID:x2JYOe83
わからないで冗談言ってるつもりのやつもいるw

974 :人間七七四年:2009/09/17(木) 21:50:13 ID:v0qKh/oL
昔は、満じゃなくて数え年を使ってたて本当?

975 :人間七七四年:2009/09/18(金) 00:39:11 ID:JYdSzziE
俺が子供の頃は数え年使ってたジジイとかいたけどなw

976 :人間七七四年:2009/09/18(金) 01:52:36 ID:iDgcgd7T
>>944
NHK総合 9月17日(木)26:05〜26:51 BS熱中夜話「関ヶ原」(前編)

977 :人間七七四年:2009/09/18(金) 07:01:21 ID:/yIRvLXv
BS夜話をみておれは関が原のことをなにもしらないことを知った

978 :人間七七四年:2009/09/18(金) 11:22:50 ID:9KfNWyFC
藤堂高虎が東軍MVPというのには参ったw
何も知らん連中の集まりだな

979 :人間七七四年:2009/09/18(金) 20:25:31 ID:SSDVvSDh
しまった熱中夜話見損なった
誰かうpしてくれ

980 :人間七七四年:2009/09/18(金) 20:47:10 ID:N3feD36a
>>978
え?なんでそんな流れになったん?

981 :人間七七四年:2009/09/18(金) 21:14:19 ID:RF8JsEl/
まず、福島正則、黒田長政、藤堂高虎が候補だった。
判定係の田丸麻紀が関ヶ原と関係ない餅のエピソードに
感心したらしく高虎にケテーイ。

982 :人間七七四年:2009/09/18(金) 21:49:23 ID:Jeb0xR7L
藤堂が三番目に入るというのがそもそも間違い。
東海道筋の城を家康にすべて明け渡す口火を切った山内一豊。
体を張って徳川のために戦った井伊直政。
東軍勝利を決定づけた小早川秀秋。
なんぼでもいる。

983 :人間七七四年:2009/09/18(金) 22:11:01 ID:+wy1t5qG
まあ小早川MVPはあんまりなので
やつを調略した長政が候補だったようだ

ちなみに西軍候補は
島左近、大谷吉継、宇喜多秀家から大谷が選ばれた

984 :人間七七四年:2009/09/18(金) 22:13:36 ID:a6NGQ329
>>976
この番組って、大学の先生は出演するのですか?

985 :人間七七四年:2009/09/18(金) 22:16:57 ID:vxFADpkS
西軍なら明石さんだろJK…

986 :人間七七四年:2009/09/18(金) 23:11:51 ID:Xx2z+lcP
MVP。家康にとって、あの流れでいなくなったら困る人間だろ。

で、福島正則。

いや、認めたくない気持ちはわかる。
しかしここで先入観を捨て、好悪の感情を捨て、
冷静に、家康になったつもりで考えてみよう。

ほら、福島正則だ。

987 :人間七七四年:2009/09/18(金) 23:19:01 ID:J3OsDzbV
普通に考えれば黒田か福島だよな。
豊家譜代とも言える福島が小山評定から岐阜城攻めまで率先して
家康に尽くす立場を取った事で家康が謀反人とされるのを防ぐ事が出来た。
また、福島等豊臣恩顧の武将と徳川家との間で働いた黒田の功績も大きい。
単純な戦功で言えば、岐阜城攻めや関ヶ原本戦の活躍から福島だろうが、
黒田が積極的に間を取り持たなければ、福島等は勿論、疑心暗鬼に陥った
家康もどう動いてよいか分からず、機を逸する可能性もあった。
と言う事で個人的には黒田かな。

まぁ、どっちも嫌いだけど。

988 :人間七七四年:2009/09/18(金) 23:38:10 ID:sDRmEkPv
黒田か福島だろうね
福島が家康についたから他の豊臣家臣も躊躇無く家康に加担したわけだし

989 :人間七七四年:2009/09/18(金) 23:42:45 ID:BemlK5lR
福島正則は豊臣家譜代ではなく一門な


990 :人間七七四年:2009/09/18(金) 23:45:13 ID:dCsn+FGw
大阪城を押さえて畿内も押さえて多数の軍勢も掌握して、陣地道営までして
準備万端で迎え撃つ形で戦って


あれだけぼろ負けした西軍の能力の無さには目を覆うばかりのものがあるな。


991 :人間七七四年:2009/09/19(土) 00:06:20 ID:dUadOvVH
>>989
いや、そういう意味で言ったんじゃないんだけど。
ってか、「譜代」じゃなくて譜代とも言えるって言ってるんだけどな。
要は古くから秀吉に仕え、豊臣家に非常に近い人物って事。

992 :人間七七四年:2009/09/19(土) 00:25:36 ID:Hn0oYrQP
表の軍功で福島正則
裏の調略で黒田長政
二人MVP

993 :人間七七四年:2009/09/19(土) 01:07:33 ID:ttCE38A+
福島がMVP級の仕事をするであろうと読み婚姻結んだ家康が真のMVP

994 :人間七七四年:2009/09/19(土) 01:12:53 ID:MwQom2YE
手当たり次第婚姻結んでなかったか?

995 :人間七七四年:2009/09/19(土) 01:46:28 ID:dUadOvVH
福島・加藤・伊達・黒田・蜂須賀
重要どころをきっちり押えてるのは流石だな。

996 :人間七七四年:2009/09/19(土) 03:03:10 ID:MZ1fGaoi
正則「家康に味方して三成をやつけるのはいいが、その勢いで豊臣を滅ぼすなんてことはないだろうな」
長政「家康に豊臣家に対する異心はない。おれが保証する」


997 :人間七七四年:2009/09/19(土) 03:58:18 ID:9YHcOYaZ
>>996
司馬遼太郎はもういい

998 :人間七七四年:2009/09/19(土) 07:53:37 ID:G8JBQqiY
田丸麻紀が藤堂高虎をMVPに選んだのはまんじゅうのエピソードだけじゃなくて 地味な仕事をコツコツとやったことが麻紀ちゃんの心をつかんだのに

福島や黒田のような大きなしごとではなく 最前線で諜略によって西軍の小大名たちを転向させるという小をさな仕事をやりつづけたことが東軍のMVPに輝いた理由なのだ

999 :人間七七四年:2009/09/19(土) 08:43:01 ID:iO4txPyd
>>997
ソースは『黒田家譜』かだろう。
フィクションではない。

1000 :人間七七四年:2009/09/19(土) 10:09:15 ID:HOGjylot
1000でもやっぱり藤堂高虎はMVPの器じゃない。

1001 :1001:Over 1000 Thread
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