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濃姫(帰蝶)総合スレ その3

1 :人間七七四年:2008/09/08(月) 18:54:37 ID:o1UwE8cE
織田信長の妻。斎藤道三と明智光継の娘小見の方の娘。
明智光秀とは従兄妹同士という説がある。本能寺の変で薙刀を振るい戦死したという説があるが実際は不明。
「濃姫」という通称は「美濃出身の高貴な女性」という意味である。

道三が「信長侮れず」として政略結婚で妻とさせた女性で、
甘美な果実のようだが毒を含む、いわゆる毒苺的な役目も担ってたという説があります。
濃姫が道三の言う通り隙あらば信長を暗殺しようとする後世の作品・逸話もいくつか見受けられます。

このように濃姫は謎の人物で、史実云々を語るよりも時代小説・大河ドラマなどで
脚色された新たな濃姫像を語る方が多いかもしれません。
色々な作品の濃姫を語ってもらっても全然おkです。もちろん史実の濃姫も大歓迎!

http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1193761389/
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1152424560/

2 :人間七七四年:2008/09/08(月) 19:58:38 ID:31nAQU/O
最近の信長小説ではほとんど無視されてるのが悲しい。


3 :人間七七四年:2008/09/08(月) 20:00:51 ID:MyWMAlfU
>>1

新史料の発見を期待

4 :人間七七四年:2008/09/10(水) 10:34:43 ID:pNc6mK9X
こんなに有名なのに史料が少ないんだよね。
史料が少ない分作家の腕の見せ所のような気もするが
最近は信長に愛されてなかった、早死にしたなんて設定が多い。

ライフワークとして私が濃姫の小説書きます。


5 :人間七七四年:2008/09/10(水) 14:45:38 ID:ps4SfTNZ
>>4
応援してる

6 :人間七七四年:2008/09/10(水) 19:48:13 ID:01Qf6wq0
今日の日テレの「日本史サスペンス劇場」で
吉乃ネタやるらしい。
新聞の番宣に「信長は吉乃という女性を愛し、政略結婚で結ばれた
濃姫を追放。吉乃を正室として迎え入れた。」とある。。。。



7 :人間七七四年:2008/09/10(水) 19:49:34 ID:ug4O8Ui8
墓がないんだよね。
夫はあんだけの有名人ではあるけど、夫の死後の織田家の没落ぶりを
象徴してるんじゃないかな。

8 :人間七七四年:2008/09/10(水) 19:52:16 ID:ug4O8Ui8
>>6 義龍と仲違いしたから濃姫が実家に返された、という説も
ありえそうだけど。

ただ当時の大名が正室に迎えるのは政治的に送り込まれたどこぞの姫ぎみだろうから
吉乃が寵愛を受けたにしろ側室としてだろうな。

9 :人間七七四年:2008/09/10(水) 20:01:29 ID:I76E0S58
>>6
最悪です。

信長が美濃をうまく押さえられたのも、正室が濃姫って言うのも
影響してる。なんていっても明智の出だもの。
嫡男信忠を濃姫の養子にしたのもそのため。
信忠は岐阜城を貰って岐阜中納言と呼ばれる。

信忠の母も吉乃じゃないんでしょう?

10 :人間七七四年:2008/09/10(水) 20:53:42 ID:dn3CeWEO
日テレ、なんと濃姫黒幕説w

11 :人間七七四年:2008/09/10(水) 20:54:49 ID:C901OjYj
>>6
今見てたけど、まさに武功夜話マンセーな展開になったねぇ。

>>9
信忠の母が吉乃(というか生駒御前)かどうかは不明なまま。
一応年表拾っていくと、矛盾が出てくるけど
その年表の出所が信用出来ないので、何とも言えない。

12 :人間七七四年:2008/09/10(水) 21:00:23 ID:dn3CeWEO
信忠の母は生駒の方の可能性はまだあるけど、「吉乃」ではないね。

13 :人間七七四年:2008/09/10(水) 21:05:10 ID:BztWmHg9
>>9
>信忠は岐阜城を貰って岐阜中納言と呼ばれる。
おいおい・・・

14 :人間七七四年:2008/09/10(水) 21:11:11 ID:cZum0svR
明智氏は、土岐源氏だっけ?

信長にしたら、明智氏出身の濃姫を離縁しないやろ?名門源氏の出やから、自分の権威付けのためにも 信長は藤原や平氏を名乗ってるからさ

15 :人間七七四年:2008/09/10(水) 21:13:57 ID:C901OjYj
てか未だに武功夜話をソースにした情報流してる事に愕然とした。

神史料キタ―――(゚∀゚)―――!!

武功夜話マンセー!

アレ?何かおかしくない?( ・ω・)

調査調査 φ(..)フムフム

偽書じゃん!!!((((;゚Д゚)))

武功夜話(笑)

この流れはなかった事にされているんだなぁ。。。

16 :人間七七四年:2008/09/11(木) 02:15:56 ID:zHIJcOf9
そもそもが、斎藤道三のせがれ(といわれている)斎藤新五郎が織田家中で
そこそこの地位にいたし、「信長本妻」の縁者が美濃衆と結んで織田信長の
意向を断念させたりしているんだから、濃姫の存在はやはり無視できんと思うがなあ。

武功夜話は家伝資料としてみるべき・・・みたいな話を小和田さんがしてたけど、
正直地名の問題などはクリアしなきゃならん問題は多いし、偽書でないにせよ史料としての
価値は大幅に下がるわけだが


17 :人間七七四年:2008/09/11(木) 06:59:13 ID:JCdS8R2w
斎藤新五郎が道三の倅というのは
どれくらい信憑性があるんだろうな

18 :人間七七四年:2008/09/11(木) 08:56:45 ID:xRZHPV3i
濃姫のことは詳しくわからないけど、輿入れの時に美濃からくっついてきた
道三の家臣たちの動向を追うとけっこう濃姫がどういう立場にいたか
わかると思うよ。

淀殿の場合は実家がらみの側近である近江衆と連動してる。
淀殿の権勢があがるにつれ、近江衆が幅をきかしてきて、
最後まで秀頼に忠誠を誓ってた連中多いし。

19 :人間七七四年:2008/09/11(木) 09:28:49 ID:JCdS8R2w
まぁ美濃衆が結構用いられていたのに
その同盟の象徴とも言うべき濃姫が追放されていたとか
殺されていたって事はまずありえないよなぁ。
病死している、とかいうのならまだ話はわかるけど。

つか昨日の日本史ミステリーはひどすぎたなぁ。。。
武功夜話を元に考察していくの、いい加減やめようよ('A`)

20 :人間七七四年:2008/09/11(木) 11:12:59 ID:j7Da8izK
仮に濃姫が信長に殺されるぐらいのなんか悪いことを企んでいたとしても
実家に送り返すにとどめるだろうね。
斉藤家との和睦破棄をすればいいだけのことだから。

ただ濃姫がどういう理由にせよ信長のもとにいなくなっても
美濃衆が引き続き厚遇されたとしてもおかしくはないよ。
あとは残った美濃衆の器量しだいってことになるから。
器量を見込まれれば厚遇するだろうし、
美濃衆も義龍の下では冷遇されると思えば美濃に帰らず
織田家に忠誠を誓うという選択肢もあったから。
あの時代の主従関係は意外と淡白な面があって
従の主を選ぶ権利が尊重されてて臨機応変に主人替えはけっこうやってたし。
濃姫の場合は斉藤家で道三から義龍の家督相続、道三追放、という
とんでもない事件がおきてるから、濃姫が嫁ぐ時と斉藤家のお家事情が
異なってるという点でも美濃に帰りたくても帰れない連中もいたかもしれない。

21 :人間七七四年:2008/09/11(木) 11:45:03 ID:mLFanMzR
義龍の家督相続、道三追放という流れがあったからこそ
信長は濃姫の父の敵討ちって大義名分が出来て美濃侵攻しやすくなった。
戦国時代に大義名分も何も無いけど、美濃の兵にとっては信長に降りやすい。
仮に道三が義龍を追放するか殺してしまい、濃姫の弟に家督を
譲った場合に信長にとって美濃侵攻のとき濃姫が邪魔になり離縁することも
考えられる。

現実をみれば濃姫は信長にとって重要な存在だったんだろう・

22 :人間七七四年:2008/09/11(木) 13:42:30 ID:JCdS8R2w
まぁ信長が美濃を攻めたのは、舅の敵討ちという
大義名分があったからだしね。
ただ当時は大義名分なくても、何かしらの理由でっちあげて
普通に攻め込んでいい時代だったし、舅の仇という理由は本来ないのかもしれんが。

23 :人間七七四年:2008/09/12(金) 07:52:32 ID:4seC0Oq6
まだあったんだ、濃姫スレ
新情報も何もないのによく続くね。


24 :人間七七四年:2008/09/12(金) 08:45:27 ID:kaplwO6e
信長に関してだって特別新情報はないが検証スレはあとをたたないけど?
他の戦国大名も同様。

なんか濃姫スレに恨みでもあるの?

25 :人間七七四年:2008/09/12(金) 09:21:22 ID:sELxqMeP
濃姫が氏ぬか追放されて○○という妾が代わりに信長の正室になりましたとか
主張してた人じゃないのかな

26 :人間七七四年:2008/09/12(金) 10:06:55 ID:yh3di57o
「国盗り物語」や山岡荘八の「織田信長」以外で
濃姫の扱いが大きい作品(出来れば濃姫が大事にされていたと言う)
なにかお勧めがあればお願いします。

27 :人間七七四年:2008/09/12(金) 12:45:32 ID:vkN+2IfT
>>26
ライノベにはあるけど、、、

28 :人間七七四年:2008/09/12(金) 14:49:49 ID:P5dTsom5
>>27
「濃姫のひざまくら」は読んだけど、あれもライトノベル?

できれば普通?の小説でなにかあればお願いします。

29 :人間七七四年:2008/09/12(金) 16:12:28 ID:9Um2fvA8
昨日の日本史サスペンスの内容kwsk
というか、黒幕説とは本能寺だよな?

30 :人間七七四年:2008/09/12(金) 17:14:37 ID:uhUPv3Ya
>>26
谷恒生「革命児・信長」上・下って読んだ?

確か、本能寺後の秀吉VS利休の続編もあったような。

31 :人間七七四年:2008/09/12(金) 17:49:09 ID:5e+B5ORG
>>29
信長正室となった濃姫は道三死後どうしていたかの記録がない。
信長と濃姫は仲がよくなくて、マザコン信長は吉乃を寵愛。
信長は病気になった吉乃を家臣の前で正室だと紹介(濃姫がどうなったか説明はなし)。
結婚前の濃姫は光秀と恋愛関係にあり、それが本能寺の遠因?みたいに匂わす。

32 :人間七七四年:2008/09/12(金) 21:03:33 ID:dRFDBGq7
>>30
ありがとうございます。「革命児・信長」もう売ってないのかな
アマゾンで見たら中古で2,500円 上下で5000円か・・・

33 :人間七七四年:2008/09/13(土) 08:44:49 ID:dySOhDav
総見院にある以外で濃姫の墓って見つかる可能性はあるんだろか
本能寺以降、急激に織田家の力が衰退してしまったから、濃姫のその後は悲惨な生活だったんじゃないのかな。
織田家宗家の後を継いだ三法師の史料さえほとんどないし。
信長・信忠がほぼ同時期に亡くなってしまったのが誤算だね、せめて信孝がもっとうまく立ち回れたなら
というか、信雄もそろって馬鹿だったのも致命的だったね。
信忠にしても、何もあそこで死に急がなくても一旦岐阜に戻って体制を整えてから光秀討伐に行けば良かった。
せっかく優秀な家臣達を連れていたのに、非常にもったいない
信長の悲報を聞いてうまく動いた秀吉との差が出たね。


34 :人間七七四年:2008/09/13(土) 09:35:13 ID:tma66o14
急襲とはいうけど、信忠サイドにもなにかしらの光秀の陰謀が働いて、
嘘の情報が流れたのかもよ?
「安土城・岐阜城炎上、一族みな討ち死に」
「織田の有力武将たちがみな光秀についた」と嘘の情報を信じたとかね。
まったくの思いつきでやるにはリスクが高すぎるから、
信長と信忠を絶対仕留める!というだけの策略はしてたと思うんだよな、
その光秀に後味方がいなかったのは想定外だろうけど、信長と信忠の首級でも
あげてたらまた違ったろう。

濃姫は織田家が没落しても嫁入りの時の化粧料があれば
そんな悲惨な生活ではないと思うよ。
信雄の分限帳にもとりあえず濃姫と思われる女性の知行があったし、
信雄が改易されるまではとりあえず生活は安泰してたはず。
よくよく困っても信長の弟の信包に頼れば食扶持ぐらいくれたろうから。
あえて身分を隠して余生を過ごし、ひっそり埋葬されたとかかもな。

35 :人間七七四年:2008/09/13(土) 10:51:10 ID:+gHF45sA
>>33
次男三男が馬鹿、というか時勢が読めずにほぼ自滅に近かったというのは同意だけど

>信忠にしても、何もあそこで死に急がなくても一旦岐阜に戻って体制を整えてから光秀討伐に行けば良かった。
>せっかく優秀な家臣達を連れていたのに、非常にもったいない

これはあくまで歴史を知ってる私たちから見た、結果論でしかないしなぁ。
信忠も自分たちが包囲されてないと知ってれば、岐阜とは言わなくても
安全なところまで逃げたかもしれないけど、
「光秀程の男がが逃がすはずがない」というある種の光秀に対する信頼から
逃げられなくなったのは仕方がないと思う。
そもそも逃げようとして、包囲されてたらシャレにならんわけだし。
「信忠があの時早まらずに逃げ出してたらなぁ」ってのは
歴史を知ってる私達のみが出せる結果論に過ぎないよ。



そういや岡崎御前と暮らしていたという、織田の後家は
誰か判明したんだろうか?

36 :人間七七四年:2008/09/13(土) 12:05:27 ID:KbHBFGYG
>>35
>岡崎御前と暮らしていたという、織田の後家は
>誰か判明したんだろうか?
判明していないね。
犬山殿は、近くには住んでいたのは分かってるが、
岡崎殿がいた屋敷とは違う所のようだし、
他に織田家の後家というのにあたる人物と考えられる、
同居するほど岡崎殿に近しい人物が、見当たらない。

37 :人間七七四年:2008/09/13(土) 14:43:09 ID:B4gq+vvQ
後家になって戻ってきた姉妹とかなら岡崎殿と同居も考えられるけど、
その場合には岡崎殿と織田家の後家という表現より、岡崎殿とその姉妹になりそうだし。

38 :人間七七四年:2008/09/13(土) 17:05:13 ID:+gHF45sA
織田の後家っていうからには、織田家に嫁いだ後家さんというイメージなんだけど
「織田の後家」ってだけだと、他家に嫁いだ織田家の娘って意味合いが大きいのかな

39 :人間七七四年:2008/09/13(土) 18:27:46 ID:vuO5UTlC
>>38 どっちともとれるな。
ただ原文知らないけど、岡崎殿という個人を特定できる書き方をしてるのに
片方は織田の後家、とあるのはそっちはそんなに重要人物じゃないって
ことなんじゃないだろうか。
仮に濃姫だとしたら安土殿、斎藤殿、安土の御方などという書き方をしたと思う。
岡崎殿と、織田一族で後家になった女性(他家からの嫁、織田家出身両方の可能性あり)
というかんじかな。

40 :人間七七四年:2008/09/13(土) 18:33:15 ID:ZH+nDIlT
最後は京都で徳姫と濃姫が仲良く暮らした・・・だったら
いいんだけど。
「織田の後家」は普通に読んで、織田家に嫁いできて夫に先立たれた
女性と思うけど。

41 :人間七七四年:2008/09/13(土) 18:46:07 ID:B4gq+vvQ
「織田家の後家」って表現だと、織田家の誰かに嫁いで夫亡き後も実家には戻らず
織田家に留まった女性と思えるよな。

42 :人間七七四年:2008/09/13(土) 18:59:53 ID:dySOhDav
いつこの京都案内が書かれたか正確にはわからないけど
江戸時代に入ってからだろうし
その時代にそれほど濃姫が重要人物ではないのは当然じゃない。
「安土の御方」とかにしても良かったという意見もあるけど、
江戸時代には既に安土城は無くなっているわけで、書かれた頃にまだ安土城が存在していたなら
安土とか表現があってもいいと思うけど、そうじゃないし。
だから「織田家の後家」という表現になっただけかも知れないし。
なんともいえないよね。
濃姫の化粧料のあった場所とか正確にわからないのかな。
たぶんその地を治めていた人物が管理をしていたのだろうし
その線から濃姫の亡くなった時期がわからないのかな。

43 :人間七七四年:2008/09/13(土) 20:46:13 ID:KbHBFGYG
「北行に岡崎殿と織田家の後家住給し其御やしき今は町人の家となれり」

織田「家」と書いてあるよなぁ。

44 :人間七七四年:2008/09/13(土) 22:20:04 ID:+gHF45sA
まぁ織田家に嫁した女性ってだけだと
山ほどいるしなぁ・・・。
岡崎殿と暮らすくらいだから、それ相応の身分の女性だとは
思うんだけどね。

45 :人間七七四年:2008/09/14(日) 00:58:01 ID:j8BgqgrY
確かに山ほどいるよな。
でも子なしで夫が死ねば実家に戻ったりもするし、子供がいれば普通子供と暮らすんじゃないか。

46 :人間七七四年:2008/09/14(日) 08:42:17 ID:f+gB/1pv
>>45
>でも子なしで夫が死ねば実家に戻ったりもするし、子供がいれば普通子供と暮らすんじゃないか。
子供がいれば子供と暮らすってのはそうなんだろうけど、
子なしで夫が死んだ場合はどうなんだろう。
若かったりするならともかく、既に「織田家の女」になっていた場合
実家に戻ったりするかなあ。
例えば嫁いで20年30年経っていて、既に親兄弟は亡く、
兄弟の子供や孫が家督を継いでいるような実家に戻るより
自分の半生を過ごした織田こそが自分の家となってもおかしくはないし。。。
そうなると子なしでも、織田の人間としてとどまり続けるんじゃないかなと思うんだけどね。

47 :人間七七四年:2008/09/14(日) 09:15:49 ID:0xLr7oJK
>>32
亀レスだけど鷲尾雨工の「織田信長」も濃姫はなかなか良いあつかいでしたよ

48 :人間七七四年:2008/09/14(日) 12:59:01 ID:jMf8x1dP
「織田家の後家」がイコール濃姫だとわかる史料なり欲しいね。
それがあると濃姫長寿説の有力な武器になるのになあ〜

49 :人間七七四年:2008/09/14(日) 14:49:37 ID:j8BgqgrY
>>46
だから「織田家の後家」って、一緒に暮らすような子供もいなくて
実家に戻るような境遇でもなく、織田家に長く暮らした人なんじゃないかと思う。
子供と暮らすという意味では、岡崎殿実母も考えられるけど
その場合「織田家の後家」と称されるものかが疑問だし。
濃姫と岡崎殿を関連付ける史料でもあればいいんだけど。

50 :人間七七四年:2008/09/14(日) 19:09:41 ID:Y4zN91H0
正室なら当主死後は嫁家にとどまるでしょう、普通。
帰りたければ帰ってもいいんだろうけど(政宗母みたいに)、
子供が跡継ぎにでもなったら行く末を案じて側にいるだろうし。
庶子が跡継ぎになっても母上と言われる立場だから
残っていたとしても不自然じゃないし、大事にもされたろうけど
北政所みたいに城を後にするというケースもある。
実家と嫁先が対立関係になっても自分の意思で嫁家にとどまり続けた姫も
いたわけだし(お市、北条殿)、とりあえず任務を終えたら
その後は女性に選択肢が決められるだけの自由がけっこうあったように感じる。

51 :人間七七四年:2008/09/14(日) 23:24:59 ID:JD+iSQ6g
光秀と濃姫はいとこなの?

52 :人間七七四年:2008/09/15(月) 00:23:53 ID:lSZdY0dZ
濃姫は、信忠(生母未詳)をようしにした
また、生駒氏の死後、その子の信雄と徳姫を手元で育てた
と、前スレで誰かが書いてたけど、どうなの?
徳姫が岡崎殿でしょう?
もしそうなら、老後は一緒に住んでも不自然じゃないと思うけど。

53 :人間七七四年:2008/09/15(月) 01:38:20 ID:Z+JcaLgM
>>51
光秀の出自ははっきりしてない。
親戚の可能性はあるだろうけど、いとこがどうかは不明。

54 :人間七七四年:2008/09/15(月) 02:31:14 ID:9zBTAlow
信忠を養子にした話は、蒲生氏郷の遺臣のせがれが書いた
『勢州軍記』に出てくる話らしい。

>>51
濃姫の母親(小見の方)の生没年もはっきりわからんしね。
件の壷事件のあと、信長は「シウトメ」のもとへ挨拶へいった記録があり、
これが「信長本妻」の母親なのではないかという話だが、このころには
すでに小見の方は故人。ただし、濃姫の母親の没年の出展がかなり時代の
下った史料に出てくるものらしく、正直不明なことだらけ。

個人的には、長生とまではいかずとも、少なくとも信長が上洛するころまでは
存命だったと思うんだが・・・

55 :人間七七四年:2008/09/15(月) 06:54:44 ID:qtOCmjpa
>>52
一応、側室の子供でも「母様」は濃姫なんだけど
実際問題それは系譜の上での事と言うか、あくまでも形式上のものだし
父親の正室として敬う存在ではあったとは思うけど、
やっぱり現代で言う「お母さん」にあたるのは、実母だったと思う。
手元で育てたと言っても、現代のように世話をして躾をするわけではなかったから
もし生駒御前が亡くなった後、濃姫が手元に引き取ったとしても、
実際一緒に暮らし世話をして躾したってより、後見となった程度じゃないかと・・・。

まぁそういう縁で一緒に暮らしたというのはない話ではないと思うけどね。

56 :人間七七四年:2008/09/15(月) 06:58:51 ID:VX0MjCdD
a

57 :人間七七四年:2008/09/15(月) 07:21:42 ID:91BftJjo
そういえば、小見の方の墓も斉藤家にはないようだし
道三や息子の存命中に亡くなったなら、斎藤家に墓があるはずだし、
美濃国諸旧記に出てくる小見の方の没年は違うと思うね。
正室といえども、早くに夫と死別して息子も早死にした場合
嫁ぎ先の墓に入るとは限らないのかもね。
そう考えると濃姫も本能寺以降の死亡だとしたら
織田家に墓がないのも、位牌がないのも納得できるような。

58 :人間七七四年:2008/09/15(月) 08:06:00 ID:qtOCmjpa
>>57
ただ濃姫の場合、実家の斎藤家も既にないからな・・・。
誰の世話になっていたんだろう。
化粧料だけで生活していけたんだろうか。
それでもやっぱり信長の正室が生きていれば、
息子や孫が丁重に扱ったと思うし、世話をしようとする人間が
いたと思うんだけどなぁ・・・。

59 :人間七七四年:2008/09/15(月) 11:21:58 ID:rONcbU6v
信長死後亡くなったとしたら、秀吉が生きている時代というのはなさそう。
三法師もいたし、総見院で濃姫の葬儀をそれなりに立派に仕切ったと思うから。
濃姫が三法師サイドの人間だったとしたら、徳川の世に亡くなった場合は
織田家からアンタッチャブルになってたかもね。
三法師は西軍についたせいもあって、墓はあるけど織田家からは放置状態。
濃姫の足跡が残ってないのも三法師そのものの影が薄いことと
西軍になったがための末路の悲惨さを物語ってるのかも。
幼い三法師の後見人として信忠正室不在の状況なら濃姫が三法師と
行動を伴にしていたというのは自然なんだけど。

お鍋の方は領地召上げになったり不遇な最期になりながらも
子孫がいたおかげで織田一族の菩提に連ねられたけど、
濃姫にはそこまでしてくれる直系の子孫がいなかったというのが大きいね。

60 :人間七七四年:2008/09/15(月) 13:21:11 ID:1X4Mobt+
濃姫はきっと本能寺の変に秀吉の影を感じていたのかも
だから、お鍋の方は表に出てたけど自分はあえて自ら身を引いていたのかも。
政権争いに利用されるのはわかっていたし、ひとり静かに信長の霊を弔っていたんじゃないかな?


61 :人間七七四年:2008/09/16(火) 07:43:44 ID:3zATgWX2
>>60 政権争いになんて利用されるわけなかろうに。
濃姫なんぞに頼らずとも信長死後半年であっさり秀吉が事実上トップに
たてたぐらい楽に掌握できたんだから。
それだけ織田家の基盤が甘かったということ。
本能寺の変後、一目散に安土城から逃げ出し、すぐに秀吉に恭順した
有力諸侯をみてもそれは一目瞭然。
濃姫の消息が不詳なのはもう権力者にとっても、一族にとっても
どうでもいい存在だったからだよ。

62 :人間七七四年:2008/09/16(火) 08:52:46 ID:8cElJOOp
>>61
そうとも言い切れないよ。
清洲会議には信長の孫を利用してるし
信長の葬儀も自分が養子にした信長の息子秀勝を喪主にしてる。
信長関係者をうまく利用して織田家のトップに就いた。
濃姫にもきっと手を伸ばしてるけど拒否されたって考えられる。


63 :人間七七四年:2008/09/16(火) 08:55:31 ID:8cElJOOp
62です。
ゴメン主語が抜けていた。
勿論  秀吉は・・・です。

64 :人間七七四年:2008/09/16(火) 11:34:16 ID:H2HxgYtd
もう道三死後、後を追うようにして自害したでいいじゃん
そういう事にしておいて何が困るの

65 :人間七七四年:2008/09/16(火) 11:59:54 ID:2lHd/J8Z
道三死後すぐは死んでないだろ。信忠を養子にしたり、アワビをふるまったりしてるのだから。


66 :人間七七四年:2008/09/16(火) 13:13:40 ID:bS6Whv8n
史料がないって言うのも秀吉が絡んでるんじゃない?
自分の思い通りにならない濃姫を歴史上から抹殺なんてね。
史料なんて後に残ったもの勝ちの世界。



67 :人間七七四年:2008/09/16(火) 13:23:01 ID:q3Gx9o64
その理論でいくと、秀吉だけじゃなく、家康もってことになる。

信長存命中から、表舞台に出てこない女性が、死亡後出てくる方が不自然だけど。

68 :人間七七四年:2008/09/16(火) 14:22:10 ID:AlvxdVl6
>>65 「明智軍記」は元禄年間作成なので信憑性は薄いとされてるよ。
ただ幕府作成なので、庶民の間では濃姫はその時点では生きていた、
という認識だったのかなという参考程度で、あわびを振舞った云々は
物語を盛り上げるための創作だと思う。

>>67
濃姫が秀吉にとっていかほどの利用価値があるの?
と素朴に疑問なんだが。

歴史的な事実として信長死後数ヶ月で三法師を傀儡におさめ、
信孝、柴田というやっかいな連中も死に追いやり、
信雄も頃合いを見て改易で追っ払ってる。
濃姫を思い通りにさせることでなにがどう違ってくるの?
結果的に主筋をだしぬいてトップに君臨することが
旧織田派の諸侯を従えた秀吉の狙いだとしたら、
濃姫なんてあえてかかわらないほうが得策だろうに。

戦後時代において勝敗の鍵を握ったとされるほど
政治的に影響のあった北政所は例外であって、
みんな濃姫をかいかぶりすぎ。
小説の影響受けすぎだよ。

それから歴史上抹殺といっても、それは秀吉のお伽衆たちが創作する
太閤記なんかでは可能だろうけど、家に伝わる家系図や寺の過去帳までは
抹殺なんて不可能だよ。信長と親しかった公家衆の日記にも信長の奥方のことは
一切触れてないというのも安土時代の存在を疑問視されてる根拠なのでは?
公家衆に限らず諸侯たちも権力者の北の方への挨拶、付け届けはやるもんだが
他家の記録からもその様子をうかがうことはできないわけでしょ?

濃姫の存在期間に疑問が多いのは武功夜話だけが根拠じゃないよ。

69 :人間七七四年:2008/09/16(火) 14:49:34 ID:Uz1fhkEz
この人、ほんとに存在したの?

70 :人間七七四年:2008/09/16(火) 16:30:55 ID:+ywS0CSF
まあ輿入れ時には間違いなく存在したという程度

71 :人間七七四年:2008/09/16(火) 17:35:18 ID:l2NmFR5K
その時代を生きた大多数の人たちと同じように
普通に生きて、普通に死んでいったんだろうね。

72 :人間七七四年:2008/09/16(火) 17:41:49 ID:w2AkdEV2
結局濃姫の史料がほとんどないのは
子供が出来なかったから。
当時の女性は誰々の娘から誰々の妻になり誰々の母となった。
家系図でも子供ができなければ後がない。
死亡したとの史料もないのだし、想像したいように想像すればいい。

いつか京都の小さな、でも歴史ある尼寺で
信長と濃姫の手紙が発見され
二人の仲睦まじかった事が証明されると私は想像しています。

73 :人間七七四年:2008/09/16(火) 18:55:23 ID:88d4qGd1
>>72
ではねねはどうなる?
腐るほど史料に残ってるぞ

74 :人間七七四年:2008/09/16(火) 19:43:53 ID:Da5tmDcK
高台院って、超有名人で史料にも残ってるけど
関ヶ原前後の挙動とか見ても、結局何がしたかったのか
よくわからない人だよね


75 :人間七七四年:2008/09/16(火) 19:46:43 ID:Qu5ktlyK
>>73
ねねは
自ら従一位を授かり、摂政関白の正室という北政所という
立場にあったから史料にのこってるんでは?
いわば公人だから。

76 :人間七七四年:2008/09/16(火) 19:50:13 ID:wNo/xtK7
ねねの場合は筆まめな秀吉の手紙、宮中がらみはねねの仕事だったことから
そっち方面での記録、有名武将たちとの関わりからの記録、
親族が少なかったにしろ実家の浅野家が
江戸期まで残ったのでそっち方面での記録、もろもろが残ってる。
足跡を示す史料の数は確かに多いほうだけど、
かといって出自なんかはまだ解明されてなく、不祥事項も多いけどな。
いくら実子がいなくても、実家が亡くなっても
現代まで語りつがれるような有名人で地位のあった女性なら
ねねまではいかないにしても何かしらある一定の時期まで生存が
確認できるような史料って残ってるもんだよ。
江戸期において濃姫がいかに存在感のない人物だったのかの証明でもあるな。

死んだ、離縁されたというのでなければ、あのエキセントリックな
信長についていけず、かといって離縁もできず、信長の許可を得て
ずっと別居生活を送ってのかも。
義龍との関係から築山殿のような立場になっていたのかもしれん。
当主のいる城に入らない御代所には事実上の奥の権勢はないから、
史料などに登場しないのもわかるし、信長死後は
織田家からも忘れ去られるようにひっそり余生を送ったということも考えられるかな。

77 :人間七七四年:2008/09/16(火) 20:34:22 ID:l2NmFR5K
史料が少ない分、いくらでも妄想できるからいいんじゃないかw

78 :人間七七四年:2008/09/16(火) 20:41:44 ID:Iehq7zsH
だから道三死後、後を追って死んだ事にするのが一番いいんだよ
道三の国譲状がある以上、そこまでは生きていたのは間違いないからな
それ以降の史料など濃姫と断定できないから話しにならんね

79 :人間七七四年:2008/09/16(火) 20:53:04 ID:Da5tmDcK
>>78
しんだという証拠もないよ

80 :人間七七四年:2008/09/16(火) 21:01:56 ID:Qu5ktlyK
>>78
そんなに簡単に殺さないで。
一応信忠の養母にもなってるんだし・・
道三の娘って言うだけでしっかり者、男勝りなんて
先入観で見てしまいがちだけど、案外物静かで
奥でひっそり信長の帰りを待っている女性だったかも。
子供の居ないっていうひけ目もあるしね。

・・で、そんな濃姫を信長も静かに愛しました。
普段の生活が激しすぎるので濃姫との静かなひと時が
唯一信長の憩いの時間でした。
以上 私の妄想。

81 :人間七七四年:2008/09/16(火) 21:07:21 ID:K8zeIcTp
>>80
ラスト4行はチラシの裏で充分。

82 :人間七七四年:2008/09/16(火) 21:22:27 ID:Iehq7zsH
>>80
典型的な女子高生の作文ですな
未来は薔薇色に輝いているといった

現実の信長はああいう狂気じみた性格だから、道三死んだ後は冷遇され続けたので
たまりかねて実母或いは親戚の所へ帰っていったんですよ。
今でさえDVが問題になってるから、その当時はそんな事は日常茶飯事だったでしょうね。
まして相手は誰もが制止する事のできない信長では、実家へ帰って行った可能性が大です。

83 :人間七七四年:2008/09/16(火) 21:30:36 ID:K8zeIcTp
>>82
信長は身内にはとことん甘いよ。
奥での暴力沙汰があったなら、何らかの史料に残っているだろうし。
実際侍女を云々という話は残っているんだし。
(あれも別に大したもんじゃないんだけど)

死亡時期は定かではないけど、恐らく離縁や殺されたという事はなく
普通に信長の正室として死んだんじゃないかと思う。
秀吉に利用云々も、ぶっちゃけありえないと思うけど。
三法師を取り込んで、有力家臣を全て味方につけた以上
元上司の奥方なんて利用できてもできなくても、どっちでもいい存在でしょ。
鍋は息子の出世があったから、秀吉に取り入る必要があったんだろうけど
濃姫が仮にその時生きていたとしても、子供もなく何の被害もない。
化粧料でのんびり余生過ごしました、とかだと思うよ。

84 :人間七七四年:2008/09/16(火) 21:38:07 ID:QjpgVGrQ
キリスト教関係の資料にも濃姫は出てくるらしいし
濃姫の養女になった娘が池田のとこに嫁いでるし
少なくとも安土城が出来る前くらいまでは生存していたと思う。


85 :人間七七四年:2008/09/16(火) 21:49:06 ID:Da5tmDcK
結局殺されもせずにそのまま化粧料でひっそりと余生を送れたなら
生家が滅ぼされた姫の末路としてはそこそこ幸せな方だったとも考えられるよね
大名家の姫って悲惨な最期を遂げた人も多いものね

86 :人間七七四年:2008/09/16(火) 23:55:12 ID:ZyUvUQEj
濃姫のマンコは剛毛みたいな気がする。濃とやったらチンチンから膿が出そうな気がするが?

87 :人間七七四年:2008/09/17(水) 02:45:55 ID:t93SidNt
>>76
子を持った側室ではあるけれど、
坂氏ほどの身分の女性でも、宮中のお湯殿上日記に
「さん七母」として記述が残っているんだよね。


88 :人間七七四年:2008/09/17(水) 03:05:39 ID:Dat1B0oy
86だけど87さんに言いたい事あるが焼酎1升半!寝ます。すいません。


89 :人間七七四年:2008/09/17(水) 07:45:18 ID:zRjbjFWY
>>87
坂氏ほどの身分の〜
というけど、生駒よりは身分は上なんだが
それをいうなら、生駒の方が公式記録には信雄の生母であるということしか
出てこないがな。

90 :人間七七四年:2008/09/17(水) 09:47:43 ID:BPiNhMW8
>>87>>89
言い換えればたとえ側室でも信長の息子の生母なら史料に残る。
生母不明っていうのは余程身分が低い者ということでしょう。
だから公式記録に女性が載るのは余程のことがないとないのでは?
一応信忠の養母だったとして1557年の信忠誕生時には生きていた。
嫡男の養母なんだからその後信長存命中に死んだら葬儀その他の
記録が必ず残るはず。
やはり本能寺の時の安土殿は濃姫でしょう。

91 :人間七七四年:2008/09/17(水) 11:16:55 ID:mfnsRMEn
ところで信忠の誕生日は正しいの?

でもなんで濃姫が養子にする必要があるんだ?
そんなことしなくたって、信長が信忠を後継者に決めればいいだけのことだろ?
ふつうの大名家ではいちいち庶子を奥方の養子になんてしないよ。
もともと側室は正室の借腹なんだからする必用ないわけだし。

92 :人間七七四年:2008/09/17(水) 11:19:25 ID:t93SidNt
>>89
言葉足らずで表現が不味かったのだろうけど、
坂氏の出自がどうこう言う意味合いで書いたのでは無いよ。
まして他の側室との比較をしたわけでもない。

要は、ああいう死に方をした三男の母で側室の身でも
禁裏と東宮へ献上品を送り
お湯殿上日記に人物に確定ができるような行動をしているのに、
斎藤道三の娘、信長の正室、後継者信忠の嫡母という身が
その後半生ではっきりと人物確定ができるような事績を残していない
・・・「不思議だよな」という事が云いたかったのだが。

93 :人間七七四年:2008/09/17(水) 13:36:24 ID:7QqaB8/D
結局濃姫は信長生存中は子供も居ないし特に
史料に残るようなこともせず(想像できるとしたら信長が
美濃平定後、道三の法要を濃姫主催でしたかもしれないが
これは織田家の行事で無いから残らない)
信長死後は以前にもまして表立ったことしなかったから
全然史料に残らないのではないかな?

どう考えても斉藤道三の娘で織田家正室が死んで
記録に残らないわけがない。だから信長死亡時には生きていたのが
自然な考え方なんじゃないですかね。

94 :人間七七四年:2008/09/17(水) 13:59:45 ID:vG9GSVEJ
家出したんだよ
で、消息不明になったから記録にも何にも残らない
ここにはそんな事すら考えられんアホしかいないのか?

95 :人間七七四年:2008/09/17(水) 18:15:05 ID:Eeyowh7D
献上品を送ったぐらいで記録に残るんだから
信長生存時に死んでたら、葬儀のことが記録に残りそうなもんだよな。
壷事件の対応を見ると、信長は美濃衆に気を使ってはいたようだし
いくらなんでも葬儀をしないってこともないだろう。

96 :人間七七四年:2008/09/17(水) 19:38:19 ID:eQ2/Tt90
史料に名が無いから死んだとか離縁されたとか言うより
死亡したとか離縁したとかの記載が無いから信長在命中は生きていたと
言う方が信憑性ある。

97 :人間七七四年:2008/09/17(水) 22:01:28 ID:K1e+7MJ3
墓も戒名も織田家に正確なものが伝わらない、という事実が
濃姫の晩年の悲惨さを物語っているのでは?

後ろ盾次第で女の晩年は左右される。
日野富子なんか将軍家からも日野家からも距離をおかれ
葬儀費用を日野家がかきあつめる間、遺体は放置されてたらしい。

98 :人間七七四年:2008/09/18(木) 09:34:49 ID:YYmpqgpa
生きていたけど病弱だったっていうのは?
坂口安吾の「信長」よかった。
桶狭間までの小説だけど
その当時濃姫はまさに死を待つばかりの重病。
桶狭間に向かうときの敦盛を舞う信長を寝て見ていた。

病身のまま奥でひっそり暮らしていたっていうのも
考えられるよ。

99 :人間七七四年:2008/09/18(木) 10:23:31 ID:iSMn6RlW
>>98 病弱ならあの言継が黙ってないと思うよw
医学にも通じてたから、あちこちからあれこれ相談を受けていたらしい記録が
日記に残ってる。滋養強壮にいいものを献上して、そのことも日記に
書いたろうな。

100 :人間七七四年:2008/09/18(木) 11:49:01 ID:/CYKMRk9
その「言継卿記」は一次資料とはいえないの?
信長本妻って記述もあったようだしけど。

101 :人間七七四年:2008/09/18(木) 11:58:17 ID:eCp4M8JB
何て書いてあったの?

102 :人間七七四年:2008/09/18(木) 12:22:24 ID:Yewnu7F4
>>99
言葉尻を突っ込むわけではないけど
>病弱ならあの言継卿が黙っていないと思うよ
>そのことも日記に書いたろうな
は、ただの想像にすぎないよね。

もし、もし、病弱でひっそりといつかの時期に逝ったとしても
死亡記事の残らなかった、位牌も見つかっていない、法名も不確定・・・
ということについては残念ながら変わらないことだな。

103 :人間七七四年:2008/09/18(木) 13:44:11 ID:dxXiZGg4
>>100 リアルタイムの一次史料だよ。
信長のことに限らず、当時を知る良質な史料として認定されてる。
ただ信長本妻が斉藤氏=濃姫というのは流れから間違いないけど、
本妻を形容詞ではなく、固有名詞で使っていたのなら
生きていたのは間違いないけど、どっちともとれんだよね。
「本妻の兄弟姉妹〜」みたいなとりかたもできるので。

あの日記から斎藤家としては信長には全面的に降伏してないぞ、
という意地が読み取れるよ。美濃の国人衆もそう。
支配者である信長にとって被支配者で逆らうものは有無を言わさず殺すことだって
正当行為となるわけだから、その状況で死ぬのなんのと抗議した行為は
壷のことはただのきっかけにすぎないように感じたな。

104 :人間七七四年:2008/09/18(木) 13:45:34 ID:szT5J2OC
つまり濃姫が病弱だった、という時点から
はなはだ論拠が弱い、というか全く欠けているということね。

105 :人間七七四年:2008/09/18(木) 13:47:37 ID:iiJYoZe8
>>103
当時の主従関係ってものを誤解してません?

106 :人間七七四年:2008/09/18(木) 14:02:46 ID:dxXiZGg4
>>105 斉藤家の残党と信長には主従関係はないでしょ?
征服者と被征服者の関係に過ぎない。
その後信長に恭順の意を示して、知行をもらってはじめて主従関係になるのであって
嫌なら主従関係にならずどこかの国に行ったろうね。

国人衆と国主の関係は主従関係じゃなく、
利害関係で結ばれた共同体みたいなもの。

107 :人間七七四年:2008/09/18(木) 14:32:44 ID:o4zsDrVC
いつから齋藤家は信長の国人扱いになったんだよwwwww
腹イテェーーーーーーーーーーーーーーw

108 :人間七七四年:2008/09/18(木) 14:50:05 ID:dxXiZGg4
>>107 言継の壷事件の箇所に斉藤家とともに国人衆も抗議をしてるでしょ?

だから>>103で「美濃の国人衆もそう。」と付け足して書いたんですけど?

どこをどう読めばそういう解釈になるのか不思議ですね。

109 :人間七七四年:2008/09/18(木) 15:04:02 ID:9OwrBsW8
>>103
言継卿、書き残すならもう少しはっきりとって感じですね。
「信長本妻 と 兄弟姉妹〜」か「信長本妻 の 兄弟姉妹〜」ですよね。

もしその時点で濃姫が死亡していたら
「亡信長本妻」っていう風に書かないかな?
正しい書き方はわからないけど。

110 :人間七七四年:2008/09/18(木) 18:04:36 ID:LHXxjBPa
>>109
義龍は「故」一色義龍と書いてはいるんだよね。
信長本妻はどっちとも考えられる書き方。
信長本妻が斎藤家の者だと言継卿が知ってて書いてるだろうことは文脈からわかるし
少なくとも、この時点ですでに離縁していた可能性は少ないと思う。
信長本妻のまま亡くなったか、信長本妻のまま生きてるか。
濃姫と離別、死別後にまた斎藤家から本妻をもらったという説もあるけどなw

111 :人間七七四年:2008/09/18(木) 18:06:12 ID:iiJYoZe8
>>106
壷事件の時点で、信長と斉藤家残党(美濃豪族)に主従関係がないとおっしゃるので?

それはまたすばらしい主旨ですね。ぜひ論文にして発表してください。
たぶん一笑にふされるだけでしょうけど。

112 :人間七七四年:2008/09/18(木) 19:59:30 ID:E8KX9ANS
>>110
義龍に「故」をつけてるなら、もし濃姫が当時すでに死亡してたら
故信長本妻って書く可能性が高いですね。(希望)

壷事件は永禄12年ですよね。美濃平定は永禄10年だから
信長と美濃の豪族は主従関係にあったと思われるけど
斉藤家の影響も簡単にぬぐいきれないって改めて
信長が感じた事件じゃないですか?
これも濃姫生存の裏づけって思えなくもないような・・・



113 :人間七七四年:2008/09/19(金) 02:28:57 ID:tx5ZYXVl
>>112
壺事件がなくても信長は感じていただろうよ。
だからこそ、うまく美濃旧臣を取り込んでいったんだろ。
戦国時代は旧主人の影響力にいちいちビビッてたら生き抜いて
なんていけなかったと思うがな。

114 :人間七七四年:2008/09/19(金) 04:03:06 ID:g0fJOCMP
壷の一件は信長のような主君ですら、自身の意向をごり押ししようとすると
ある程度の掣肘がかけられるという感じかな

115 :人間七七四年:2008/09/19(金) 07:47:48 ID:cQ/Kquul
でも美濃に入って2年後に突然壷をよこせ、というのも変な話。
相手方の高価な家宝は大事な戦利品。
壷や茶器は家臣に知行と同等価値のある褒賞としてあげてたわけだし、
斉藤家に伝わるそんな有名な壷があるなんてことをその時点で
はじめて知ったというのも不自然だ。

義龍嫁をそれだけ虐め、斉藤家の連中といざこざがあったということは、
斉藤家の連中は信長からはさほど厚遇されていなかったのか?
という印象を受けるのだが…?
結果的に信長が折れた形になったけど、それって国人衆も絡んできて
大げさなことになってきたからであって、元々斉藤家の人々を
それなりに厚遇してたらそもそも壷をよこせのなんのとその時点で
要求するはずもないし。

116 :人間七七四年:2008/09/19(金) 10:39:58 ID:GL5BQSoF
信長の気まぐれじゃね?

117 :人間七七四年:2008/09/19(金) 11:37:16 ID:+JG0DkgR
>>115
そういう所で変に厚かましい要求をしたりするのが信長クオリチーかも

118 :人間七七四年:2008/09/19(金) 12:01:25 ID:YfGiszgX
>>115
はっきり覚えてないけど
その時点で誰かに義龍未亡人が名品を持ってるって聞いたって覚えてるんだけど。
ここは素直に旧斉藤家の家臣の要求をうけいれたんだから
良い様にとってやったら?

信長に要求する時信長本妻の濃姫を筆頭に立ててって言うあたり
美濃衆の心の拠り所ってポジションだったかも濃姫は。


119 :人間七七四年:2008/09/19(金) 12:45:13 ID:yu8x/AWg
>>118 >>誰かに義龍未亡人が名品を持ってるって聞いたって覚えてるんだけど。

それのソースは?
信長がらみの知ってる限りの当時の史料にはそんな話載ってないけど。

120 :人間七七四年:2008/09/19(金) 13:07:24 ID:pPeqnTNz
「言継卿記」の信長本妻兄弟は信長本妻の兄弟と読むのであって、信長本妻と兄弟とは読めない
その当時の書き方からすれば、信長本妻とその兄弟と読むのなら
信長本妻及其ノ兄弟としなければならない
それにこういう意味であるから、その当時まだ濃姫が生きていたとは確信できない

121 :人間七七四年:2008/09/19(金) 13:07:29 ID:57U6i3fr
>>118
それは、戦国ちょっといい話しスレに出てた、逸話じゃないか?
前スレで紹介されてた。

497 :人間七七四年:2008/07/16(水) 01:38:03 ID:jrnwjRYY
信長が上洛した頃の事

京には、今は亡き斉藤義龍の妻が隠棲していた。その女が、美濃斉藤家に伝わる茶道具の名品を、
義龍の形見として持っていると言う事を知った信長、早速その名品を自分に献上させる様に命令した。

だが、彼女はそれを拒否。信長の使者を追い返した。これを聞いた信長は、女を殺してでも奪って来いと
怒った。その時、稲葉、安藤、氏家の、西美濃三人衆をはじめとする、今は信長に仕える旧斉藤家の家臣たちが、皆
信長への面会を求めてきた。何事かと召し出すと、彼らは、「義龍公の奥方から茶道具を取り上げるとの事、
どうか、考え直していただきたい」

さもなくば、

「我ら一同、この場で腹掻っ切ります」


これには信長も、彼らの要求を呑むしかなかった。
美濃系の武将の家に、長く伝わったお話。


122 :人間七七四年:2008/09/19(金) 13:27:09 ID:OELuQBjH
>>121
それでした。「言継卿記」読んでません。すみません。

>>120
じゃあ信長本妻の兄弟として、その場合もし濃姫が死んでいたら
先に出てたように故信長本妻となるのかどうか教えていただけませんか?
原文は難しそうだから
「戦国時代の貴族―『言継卿記』が描く京都 」 著)今谷 明
なんてありますが、この本でも読んで勉強しようかと思います。
歴史小説だけでは難しいわ・・・

123 :人間七七四年:2008/09/19(金) 14:44:03 ID:D7WfJe7B
>>121 その話ずいぶんオリジナルと違うみたいだね。
美濃三人衆なんて言継日記になんてでてこないし、
茶器ではなく壷のようだし、当事者の一人の佐藤から聞いたという
ことを記した言継日記のほうがはるかに信憑性が高い。

124 :人間七七四年:2008/09/19(金) 18:14:38 ID:hebTh13O
121は美濃系武将の家に伝わってた話ってことだから
美濃衆から見た壷事件なんだろう。
美濃衆が意地を見せて、信長を折れさせた部分がクローズアップされてる感じだ。
敵役?の信長も女を殺してでも奪って来いと怒るちょい悪親父になってるしw

125 :人間七七四年:2008/09/19(金) 18:29:27 ID:OS7Hqhdq
>>124 でもすでに信長の家臣になってるならそこまで斉藤家に義理立てする
必用もないよね?そもそも美濃三人衆なんてとっくに義龍親子を見限って
信長の配下になってる。義龍の嫁のために腹を切るというのも、不自然すぎて
なんだかなぁってかんじ。戦国時代真っ只中に江戸時代の武士道を
強引にくっつけたみたいなちぐはぐさがある。
元主人であっても絶対的な忠誠心を捨てないみたいな。

江戸時代に信長悪人シリーズの、いろんな創作物ができたから
その類が美濃に伝わったんじゃないの?
光秀悲劇の武将、信長極悪人、という構図で
歌舞伎なんかも上演されてたし、信長は庶民から人気なかったから。

126 :人間七七四年:2008/09/19(金) 18:32:20 ID:Gv5XF1lq
その美濃衆の茶器事件のの史料は何ですか?

127 :人間七七四年:2008/09/19(金) 21:57:31 ID:57U6i3fr
>>125
言継卿記にも切腹と書いてあるから、不自然かどうかはともかく
そういう話しだったんだろ。
切腹すると言った当人から聞いて書いてあるんだから。

128 :人間七七四年:2008/09/20(土) 00:14:47 ID:+0mPUYU9
そもそも濃姫って父親がビックネームなことと、
信長と道三の関係の割には、婚姻の時以外に
信憑性の高い史料には名前がないんだよね。

信長本妻とか、北の方とか、確かに「濃姫かも?」とは思えるんだけど
消去法すぎるというか・・・びしっとしてない。
斎藤道三女とか、美濃御前とかそのまま=で結ばれるような
決定的書類はないのかねぇ。
当時からすると、濃姫の呼称で考えられるのは
鷺山殿、金華山殿、斎藤殿、濃姫、美濃御前、小牧殿、清洲殿
岐阜殿、安土殿とかくらいかな?
信長は本名を呼んでいたんだろうか。
それとも方言丸出しで「かかさま」とでも呼んでいたのかな。

129 :人間七七四年:2008/09/20(土) 13:51:06 ID:Y6H3qkms
信長本妻 安土殿 信長公夫人などを濃姫と仮定したら

永禄12年(1569年)の『言継卿記』での信長本妻の記述で生存

天正13年(1585年)の『織田信長分限帳』に「」が「六百貫文」を化粧料として
         織田信雄から与えられている

慶長17年(1612年)に死亡 大徳寺総見院に供養される。

これが妥当なトコじゃない?
信雄が死んだ後は京都あたりでひっそりと暮らし
秀吉の政治 信長遺児への扱い 旧家臣のその後もしっかり見届け
関が原もすんで天下が落ち着いた頃なくなった。
大阪の陣や家康の死は見届けられなかったけどね。



130 :人間七七四年:2008/09/20(土) 15:26:49 ID:UKAzSstG
そんなことよりグーグルで「濃姫」って検索すると
出てくる画像のトップがエロ画像なのは勘弁してくれ

131 :人間七七四年:2008/09/20(土) 19:41:22 ID:2ZELzPVj
>>127 稲葉、安藤、氏家の、西美濃三人衆をはじめとする、
今は信長に仕える旧斉藤家の家臣たちが、皆

このメンバーは言継日記にでてこないじゃん。
濃姫の兄弟姉妹、その子供、国人衆(全員斉藤家の家臣かどうかは不明)と
なってる。言継に愚痴った佐藤忠能は永禄10年に新五郎に加治田城譲り
隠居。壷事件の当時は隠居生活で、佐藤家はもともと
土岐氏の家臣だけど、土岐氏が道三に追放されたあと
斉藤家に仕えたという記録はない。

132 :人間七七四年:2008/09/20(土) 19:55:09 ID:sDTKkaJS
>>131
あんた凄いですね
ここにはこんな凄い人も来るんですね
では佐藤忠能が言継にウソの話しをしたという事になるのですね?

133 :人間七七四年:2008/09/20(土) 20:12:30 ID:O0erQM3e
西美濃三人衆って美濃国人衆じゃなかったのか?

134 :人間七七四年:2008/09/20(土) 21:06:12 ID:2ZELzPVj
>>132 だってどこにもそんなことかいて書いてないだろ?
全員が斉藤家の家臣だった国人たちだなんて。

国人たちは独立した自治で領地をおさめ、国の支配者には
隷属していたわけじゃない。土着していた土地に関する支配権はもっていた
わけで、国主にあえて逆らわないっていうだけの国人はたくさんいたさ。
国主たちもいらん戦をさけるために、国人の自治を許し、
目を光らせながらも共存関係を保つことで国の内外の均衡を守ってた。
甲斐なんかもその典型。国人を怒らすと、周辺の国人と団結し、
国主でさえ追放できるだけの力があった。
守護大名支配の時代から国人一揆はやっかいなもので、
戦国時代においてもたびたび大名を困らせてる。
国の支配者から知行をもらし、領地安堵の許可を得て
主従関係になるものもいたろうけど、戦国時代はまだまだ
多くの独立した国人衆が存在してたんだよ。

斉藤家の元家臣ではなく斉藤家と主従関係はなくても美濃に事実上の
侵略をしてきた反織田家の美濃の国人が斉藤家のことに便乗して
どさくさで参戦してきたということという解釈のほうが自然だ。
国人は要求を通すためにしばしば国人一揆というやり方を用いるから
信長にとって美濃の安定した支配をするにはそれは避けたいこと。
国人一揆が国中の国人に波及すると隣国の敵にも狙われ存亡の危機になる。
信長が最終的に折れたのは、複数の国人衆たちまで反旗を翻す気配が
でてきたからだよ。斉藤家の連中が腹を切ろうが死のうが
それだけなら美濃の織田家支配にはなんの影響もない。
すでに支配して2年以上経ってるし、元国主の親族なんて政治において
影響力はないから。

だいたい佐藤が信長に下った経緯をみると信長に心から
恭順していたというのでもないだろう。
人質にだした娘の命と引き換えにしてるし、
事実上信長が送り込んだ養子に家を乗っ取られたわけだし。
信長の家臣でもそういう経緯の家臣たちは内心きっかけがあれば
いつでも離反するだけの不安定さはあって、それは
佐藤に限らず戦国期では当たり前のことだがな。
本能寺の変後あっという間に織田家から離反し、秀吉についた
外様の家臣がそのことを物語ってる。

135 :人間七七四年:2008/09/20(土) 21:11:53 ID:O0erQM3e
もっと要点を押さえて簡潔に書いてください。

136 :人間七七四年:2008/09/20(土) 21:25:51 ID:2ZELzPVj
>>135 つまり、信長にとって重要だったのは、元国主一族の命よりも
まだ基盤の甘い美濃国の円滑な支配ってこと。
それには美濃の土着の国人達を敵にまわしたくはなかったということ。


137 :人間七七四年:2008/09/20(土) 21:35:59 ID:O0erQM3e
>>136
それはそうだろうね。
っていうか、この話を佐藤が言継に話したのも、121のような話が伝わってるのも
斎藤家への忠義がどうとかより、あの信長をぎゃふんと言わせてやったぜ
美濃衆の力ここにあり!!って自慢話なんだと思ってたけど。

138 :MATT:2008/09/20(土) 22:17:56 ID:hSYXl6XC
日本史サスペンス劇場で、
明智光秀は実は濃姫のことが好きだった!!
とか言ってたな。どー思うよ、うん?

139 :人間七七四年:2008/09/20(土) 22:21:03 ID:2ZELzPVj
>>137 まぁ、信長にしてみれば負けて勝つ、ってとこだろ。
国人の要求を受け入れるという姿勢を見せたことで
信長の円滑な美濃支配を可能にしたんだから。


140 :人間七七四年:2008/09/21(日) 09:05:45 ID:bmnJigWN
濃姫生母って正室か側室かも不詳なんでしょ?
守護代を凌駕するほど台頭してきた道三に土岐明智氏が娘を
差し出したのかもしれない。
もっとも濃姫生母が土岐明智氏というのも裏付けるものはないんだけど。
信長が会いに行ったという姑さんの住んでる地名とかでも
書いておいてくれたら特定できたかもしれないのに。

それと義龍の後家と記載してるけど、道三の後家と記載してないのが
気になる。濃姫は庶子だったんじゃないかな。
道三の正室が土岐明智氏だったとしても、正室の子ではないとなると
光秀と従兄妹説もない。
もっとも光秀の出自も確定されてないから土岐明智氏でない可能性もあるけどね。

141 :人間七七四年:2008/09/21(日) 10:33:36 ID:+y8U17k2
そもそも小見の方が明智氏だというのは
何の史料にあったものだっけ?
ついでに小見の方が濃姫実母という説もどこから出てきたんだっけ?

なんか当たり前とされている事だから、
疑問に持った事もなかったけど・・・。

142 :人間七七四年:2008/09/21(日) 11:15:21 ID:3LxkP5wu
>>141 信長に嫁いだ姫の名は「帰蝶」、母親は「小見の方」と記した
地誌があるんだよね。(名前忘れちゃったけど)
その小見の方が土岐明智氏だと裏付けるものは何もないよ。
小見の方と呼ばれていたのなら晩年小見という城か地名に住んでいたか、
名が「みい」とでも言ったとかかもね。
帰蝶というような名前は当時の女性名ではかなりレアだけど
事実ならかなりしゃれた名前だね。

ただ恐らく道三と土岐明智氏の間で姫を介在した関係があったのは
事実なんじゃないかな。系図に道三に嫁いだか、側室になって
子供をもうけている姫がいて、もしその姫が小見の方なら
土岐明智氏ということになる、という臆測どまりのはず。
そのことから道三の姫の生母は土岐明智氏というのが一般的な解釈に
されていったのかもしれない。
義龍の生母は稲葉氏で、稲葉氏は道三の正室、という説も史料にある。
一次史料じゃないけど。(「翁草」だったかな?)
三芳野とよばれる下げ渡しの側室がいたというのも当時ならありえる話で、
義龍の御落胤説もそのことと話が混同されていった可能性も
あるんじゃないかなと思う。

143 :人間七七四年:2008/09/21(日) 11:21:06 ID:3LxkP5wu
>>142だけど小見の方の記載があったのは「美濃国明細記」だった。
1738年成立だから戦国期のあたりの信憑性は低いね。

144 :人間七七四年:2008/09/21(日) 11:34:03 ID:QWfW/YQq
このさい濃姫の生母のことはまぁいいじゃないですか?
疑いだしたらきりがない。
濃姫は美濃斉藤家から信長に嫁に来ただけでいいじゃない。
問題はその後なんだし。

義龍の実父が誰かはさておき、道三と義龍の仲はきっとどうしようも
ないほど深刻化してたんじゃないかな?
家臣も義龍派が増えていき、武田家のように父親が追い出されることも
道三は想定してたかも。かなりあの時期は弱気だと思うよ。
いつも負けてる織田家が人質貰うような形だもの。
案外 濃姫と結婚した信長を最初から見込んでいて美濃をやるつもりだったのでは
勿論自分の身の安全の保証付きで。

145 :人間七七四年:2008/09/21(日) 12:21:40 ID:3LxkP5wu
>>144 実家がなくなってしまった濃姫にとって頼るべきは母方実家となるから、
特定できれば晩年の足跡が追えるかもしれないんだよね。
織田家からはたどれないわけだし、母方実家に庇護されていた可能性もあるから。
濃姫にくっついてきた家臣の中に、母方の実家筋の親戚のものがいたとしても
おかしくない、というかけっこうそういうケースが多い。
そのメンバーなんかもわかればいいのだけど。

義龍と道三は本人同士の対立というより、それぞれの側近同士の対立が
甥騒動に波及するという典型的なパターンだね。
義龍の挙兵後に両者の兵の数が圧倒的な差がついていたあたりで、
家臣団はすでに義龍を押す勢力が多かったってことだろうし、
そういう不穏な雰囲気は察していたはず。
家康と元康の時も岡崎派の不穏な雰囲気を察した家康が先手先手を打ってる様子が
家臣の日記に残ってる。道三は出遅れたんだな、完全に。

信長にたくした遺言は現物が残ってないので、どういう内容かは
わからないけど、条件つきだったんじゃないかな。
援軍をだしてくれて織田軍が義龍軍を打ち破ったら、
信長に美濃の支配権を委ねようみたいな。
無条件で国を譲ろう、という遺言状を他家の信長に残すとは思えないから。

146 :人間七七四年:2008/09/21(日) 15:58:05 ID:+y8U17k2
>>144
個人的に、道三の残したといわれる遺言は
信長と道三の面会の終わった後に道三が言った
「我が一門はいずれ信長の家臣となるだろう」から
出てきた話じゃないかと。

もちろん道三の心情的には、自分に反旗を翻した義龍にくれてやるくらいなら
好印象持った娘婿にやった方が清々する、という感情はあったのかもしれないけど・・・。

147 :人間七七四年:2008/09/21(日) 16:14:25 ID:hrJqlh42
美濃国諸旧記って道三が一代で成り上がったように書いてあったり
信憑性は微妙なんだよな。
濃姫の本名が「帰蝶」っていうのも、あまりにも洒落た名前すぎるし。
実際はもっと普通の名前だったんじゃないか。
こうして考えると、複数の史料ではっきりしてるのは
道三の娘が信長と結婚したって事だけだよな。

148 :人間七七四年:2008/09/21(日) 18:50:07 ID:ySyVyAua
昔の女の名に標準はないよ。
男の子と違って女の子には結構好き勝手なユニークな名をつけてたの。

149 :人間七七四年:2008/09/21(日) 19:25:40 ID:+y8U17k2
>>147
今では斎藤道三の行った事は、親子二代でやった事ってのが
一般的だしねぇ。
わかっている事は、義龍の父親である道三の娘が信長に嫁した、という事だけか。

>>148
一応、当時にそういう名前があったかどうかという事を
調べることは出来るし、100%なかったとも言えないけど
珍しい名前ではあると思うよ。
そういえば生駒御前の本名とされる「類」も当時としては珍しいんだっけか。
R行で始まる名前が、当時はあまり例がないんだっけ?

150 :人間七七四年:2008/09/21(日) 20:06:40 ID:3DMsM7Uj
>>146
信長への国譲状を渡してある、
と明記された息子宛ての道三の手紙が現存してるから、
信長になにかしらの遺言をしているのは確かなんだよね。
信長ではなく、義龍をやぶったあかつきには信長と濃姫の子供に美濃国を譲る、
というような内容だったのかもね。だから信忠を濃姫の養子にしたとか。
上のほうにも書いてあったけど、いくら跡取りになる庶子であっても
濃姫の養子にする必用性ってまったくないんだよ。
そんなことせずに庶子が跡取りになってる家なんていくらでもあるわけで。

>>149 
角田文衞氏の『日本の女性名』というのにはR音で始る女性名は
江戸期から多くなったと記してある。
戦国期の女性名がきわめて平凡で簡素なものなのは
いずれ呼称が身分応じて変化するためでもあるし、
どんなに高貴な身分でも幼児には仰々しい名をつけない、
という古来からの慣習のためらしい。これは男子も同様だって。
「帰蝶」なんていう名はあの時代でも江戸期でも珍しいと思う。

151 :人間七七四年:2008/09/21(日) 21:14:00 ID:+y8U17k2
>>150
信忠が濃姫の養子となったっていうのって
どんくらい信憑性あるんだろう・・・。地誌かなんかじゃないっけ??


当時の女性で「名前」がはっきりしているのって、
ねね(ねい)、松、市、茶々、初、江、たま、愛、梅、瀬名、千代
この辺?
個人的には茶々と瀬名が変わっているかなーと思うけど
大体簡単な名前が多いね。

152 :人間七七四年:2008/09/21(日) 21:21:21 ID:ySyVyAua
「市」って、本名なの?

153 :人間七七四年:2008/09/21(日) 21:25:03 ID:ySyVyAua
ァ千代なんて名の女がいるんだから帰蝶というのもないとはいえないんじゃない。

154 :人間七七四年:2008/09/21(日) 21:45:44 ID:hrJqlh42
>>151
信忠養子の件は比較的信憑性が高いと言われてる勢州軍記に書いてある。
作者は信長と繋がりの深い蒲生家家臣の息子だし、ある程度は信用できるのでは。

155 :人間七七四年:2008/09/21(日) 21:49:01 ID:ekUd2F6h
築山殿瀬名姫の瀬名は名前じゃなく名字。
瀬名氏の分家が関口氏で、瀬名氏は今川家の重臣の家系。

156 :人間七七四年:2008/09/21(日) 21:53:12 ID:CcFAzh8f
勢州軍記は江戸も遥か後になって書かれた書物であり
その当時に生きていた人間が書いたわけではありませんので
かなり史料価値が落ちます。

157 :人間七七四年:2008/09/21(日) 22:05:24 ID:hrJqlh42
勢州軍記の成立は1638年頃と言われてるけど、本能寺から考えると60年ほどは経ってる。
今の感覚で言うと大正や昭和初期の話を書いてる感じなのかな。
でも岡崎殿も1636年まで生きてたらしいし、当時を知る人が死に絶えてるほど昔でもないんじゃないか。
一次資料ではないのは確かだけど。

158 :人間七七四年:2008/09/21(日) 22:17:35 ID:+y8U17k2
んじゃ養子の件はある程度信憑性があったと言えるのかな・・・。

>>155
伊達政宗の母親の「義姫」みたいなもんで
通称に過ぎないのか・・・。
当時の女性の本名は本当難しいな・・・。

159 :人間七七四年:2008/09/21(日) 23:23:25 ID:CcFAzh8f
>んじゃ養子の件はある程度信憑性があったと言えるのかな・・・。

全く逆
それほど経過していたのでは信憑性がかなり落ちる
その当時に生きていた人の日記とかが一級史料

160 :人間七七四年:2008/09/21(日) 23:29:26 ID:ekUd2F6h
信忠が養子になった事が出てくる史料は
「勢州軍記」「余吾庄合戦覚書」「津嶋大橋記」

161 :人間七七四年:2008/09/22(月) 00:50:06 ID:Rf1al1Fy
>>159
一次資料であるかどうかと、その信憑性は別物。

一例を挙げれば甲陽軍監。最近は信憑性を見直す評価も出てきたが、
それでもかなり不安定な書物であることは変わっていない。

162 :人間七七四年:2008/09/22(月) 01:43:43 ID:RtliKUDN
一次史料からしても、戦果を報告した文書や立場がはっきりしているものは
それを考慮せにゃならんし、難しいところ。


163 :人間七七四年:2008/09/22(月) 02:10:42 ID:X4O9ALpM
一級でも一次史料でもない「勢州軍記」ではあるけど
信長御台が斎藤山城入道息女だと、はっきり書いてくれてはいるんだよな。
少なくとも当時そういう認識があったってことだけはわかる。

164 :人間七七四年:2008/09/22(月) 06:14:30 ID:AOga5TRJ
だから何?
同時期に書かれた小瀬甫庵の『信長公記』『太閤記』に
桶狭間の奇襲、鉄砲の三段撃ち、墨俣の一夜城が書かれてあるから
史実と信じてるのと同じレベルだろうが

165 :人間七七四年:2008/09/22(月) 10:24:53 ID:Rf1al1Fy
>>164
同じ時期に書かれた本でも、信憑性の高いものもあれば低いものもある。

信忠養子は複数の書物にあることで、明らかに引用が確認できるのでもなければそれなりに扱うべきでしょう。

166 :人間七七四年:2008/09/22(月) 12:10:14 ID:yOJU4In2
信忠は1557年生まれだから、その直後に養子にしたと推測できる
美濃併合の遥か以前の事であるから、あんまり重要な事柄でもないんだね

167 :人間七七四年:2008/09/22(月) 13:36:16 ID:X5ynjBhj
直後に養子にしたというのははっきりしていない。
生後すぐとも考えられるし、美濃攻略直前とも考えられる。

信雄が生まれる前には養子になっていたとする史料は、
信雄側の史料だけだからな。

168 :人間七七四年:2008/09/22(月) 20:38:53 ID:8D7X1SX9

国譲り状は不確かだが、道三と義龍の闘いには必死で援軍をだした。
道三が死んだと分かってからの退却戦も大変だったようだ。

合理的な信長が気持ちだけで動いたんだから道三との結びつきは
強いと思う。
だからやっぱり濃姫が冷遇されていたとは思えない。

169 :人間七七四年:2008/09/22(月) 21:47:03 ID:y2KZIApE
濃姫が冷遇されてたりしたら、濃姫がそれを美濃にツーフォーして
織田氏と斉藤氏の間柄が微妙になっちゃいそうだよね

170 :濃姫:2008/09/22(月) 21:57:30 ID:y2KZIApE
  .J('ー`)し  良人が虐めるから実家へ通報しますた!
 m9(  )−
   / >

・・・みたいな感じで



171 :人間七七四年:2008/09/22(月) 23:37:11 ID:JZVQGEj4
>>168
気持ち「だけ」とは言えないんじゃないかな・・・。
もちろん気持ちもあっただろうけど、
気持ち「だけ」で動くほど、信長は甘い人間ではないと思う。
少なくとも軍を動かす以上、私情のみで動ける立場の人でもないでしょ

172 :人間七七四年:2008/09/23(火) 10:18:11 ID:MbwP3QDR
>>171
あの道三×義龍の闘いに信長が軍を出してメリットある?

>少なくとも軍を動かす以上、私情のみで動ける立場の人でもないでしょ
信長が出すと言えば誰も逆らえない。それが織田家でしょう。

173 :人間七七四年:2008/09/23(火) 10:38:48 ID:HjrtjQVR
信長は濃姫を愛していた

愛する濃姫の父親であり、信長自身も好きだった道三が攻められている

助けに行かないわけがない


こうですか?

174 :人間七七四年:2008/09/23(火) 16:21:47 ID:rKLCE7yX
魔王の妻には蛇の娘がふさわしい

175 :人間七七四年:2008/09/23(火) 16:37:17 ID:3Sw0rWap
>>173
その流れが一番好きです。
信長が天下統一を考えられる立場になれたのも
尾張美濃を平定できたから。それには道三の力も大きいよ。
特に尾張を纏める時信長の後ろに道三ありっていうのが
他の織田家に与える影響大きい。濃姫をないがしろにするなんて
考えられない。

176 :人間七七四年:2008/09/23(火) 17:12:03 ID:Fq6qkdeS
でも今でもよくあるじゃないか
同族経営なんかで嫁の父親が生きている間は、ひたすら恭順して、嫁をも大切にしていたが
父親が死んで実権を握るや否や、途端に手の平を返したような冷たい態度をとる奴が
その当時も今も変わらんのよ

177 :人間七七四年:2008/09/23(火) 17:21:30 ID:LxH2tUNx
織田家の菩提寺崇福寺のすぐ近くに道三の塚があって
崇福寺がその塚の世話をしてたらしいな。
信長は結構義理堅いタイプなんじゃないか。

178 :人間七七四年:2008/09/23(火) 17:27:07 ID:Fq6qkdeS
では佐久間信盛はどうなる?
長年織田家の為に忠誠をし続けて来たのに、晩年のあの仕打ちはどうだ?
あれがあの男の非情ぶりを遺憾なく発揮してるぜ

179 :人間七七四年:2008/09/23(火) 17:32:18 ID:LxH2tUNx
信長は若い頃は非情というより甘ちゃんな所があるだろ。

180 :人間七七四年:2008/09/23(火) 18:49:03 ID:kt8TGT5X
>>178
信長が最も嫌ったことは懈怠つまり怠けること。

当時の佐久間は所領も大きく規模は一番の軍団を任されていた。
それが怠けている、と信長からは見られたわけだ。だから最後通牒を出した。
「気張って働くか全てを捨てるか選べ」
選択権はあくまで信盛にあった。

それに、同じ織田家の家臣だったら、自分は必死に働いているのに、高給を取っている
重役がロクに働かないで、しかも昔からの功績があるから大目に見られている、なんて
あったらイヤな気分になると思う。

181 :人間七七四年:2008/09/23(火) 21:08:25 ID:xZHrovz8
>>180
確かに信長は結構厳しい人だったみたいだね
信長公記にも、自分の留守中に持ち場を離れていた女中達を
せっかんしたとか書かれてる。
基本的に真面目に仕事に取り組む部下には、目をかけたり可愛がったりするところが
あると思うけど、ちょっとでも隙を見つけて怠けようとする人間は嫌いだったみたいだ。

182 :人間七七四年:2008/09/23(火) 21:51:38 ID:HjrtjQVR
>>175
まぁ蔑ろ云々は実際問題ありえないとしても、
その少女漫画ちっくな思考回路はやめたほうがいいかもね。
勝手に思っているのならいいけど、
ここでの会話に愛だの何だの持ってこられると、途端に話が安っぽくなる。

183 :人間七七四年:2008/09/23(火) 23:11:03 ID:CSVB4j/j
ホント、女って困ったもんだ
だからアホ臭い少女漫画なんかがあるんだろうね
信長と濃姫をベル薔薇風に書こうというのだから、笑いが止まらんわ

184 :人間七七四年:2008/09/24(水) 00:34:44 ID:7urMd/Vc
信長は、尾張統一以前の段階では、
道三がバックに付いているってことが敵対勢力に睨みを効かしていたし、
実際に兵隊を借りたこともある。
ある意味、道三・信長同盟関係が成立していた。
当時の尾張、美濃の人々は誰でも知っていた。
苦しい時に助けてくれた人を救おうとするのは「義」であり、
下のものが上のものに期待するのは義を重んじること。
だから、当時の武将の名前には「信」に次ぐくらいに「義」の字が多い。
信長自身は、「義」なんか屁だと思ってると思われがちだが、
実際には、救援軍を出したことで、家臣や国人衆の信望を得る効果があった。
首尾よく道三を救出できれば、
道三のもつ知識経験人脈は、将来の美濃攻略に活用できる。
うまくいけば、道三を引き取ることで、美濃の分裂を誘うことができるかもしれない。
とか、いろんなことを考えたら、ここは兵を出すべきだなと。

>>182>>183

175の見かたは、かの司馬先生もとっているから、一概に少女マンガと決め付けるのは、いかがなものか?

185 :人間七七四年:2008/09/24(水) 02:01:07 ID:dyCxBRyd ?2BP(0)
結局、お濃はいたのかな
信長公記にもはっきりかかれていない

186 :人間七七四年:2008/09/24(水) 05:21:05 ID:BJrh5Mat
>>184
キチガイ司馬オタには困ったもんだ
小説と史実の区別もつかないアホ揃いだからな

187 :人間七七四年:2008/09/24(水) 08:51:17 ID:SzumI0yY
>>186
小説を史実と混同してしまうのは困ったもんだが
歴史を史実だけで見るも面白味に欠ける。

司馬小説のファンでも大多数は作り物と思って楽しんでると思うよ。
その上で歴史資料などではっきり決められないものは自分の好きな
想像でいいんじゃない

188 :人間七七四年:2008/09/24(水) 09:16:06 ID:aK7zyTBW
明智光秀=南光坊天海
濃姫=秘密

189 :人間七七四年:2008/09/24(水) 10:20:51 ID:LODXYlzO
>>183
お前も女じゃんワロタ

190 :人間七七四年:2008/09/24(水) 16:34:11 ID:ivhvMX08
>>182
>ここでの会話に愛だの何だの持ってこられると、途端に話が安っぽくなる。

こんなに資料の少ない濃姫をかたるんだから愛でも何でもOKじゃないと
書き込む内容なくなるよ。

○ 斉藤道三の娘でした。母は正室かどうか分かりません。
  明智の出と言うのも不確か。

○ 信忠の養母・・これも一次資料のものとはいえない

○ 壷事件についての「言継卿記」の記述 
  (信長本妻)もその時生存して多かどうかは確定できない。

もうこれ以上書くことないじゃん





191 :人間七七四年:2008/09/24(水) 16:55:10 ID:WwNDOMrD
その通り
まあ愛を語るのだったら、秀吉がねねに宛てた手紙みたいなのが一通でも残っておればよいんだけどね
それすらも残ってないってのは、かなり厳しいだろうね

192 :人間七七四年:2008/09/24(水) 18:05:31 ID:oRSLm0Cr
史料が少ないだけに、どうとでも想像できるのが
濃姫スレのいいところだろ。
とんでもな妄想をどんどん聞かせてくれw

193 :人間七七四年:2008/09/24(水) 20:17:10 ID:+u+Pu88n
確かに秀吉の手紙って結構残っているけど
信長の手紙ってほとんど残ってないんだよね。
有名なのはねねに宛てた手紙だけど
あれを読むと凄く信長って気配りの出来る人で女性の心をつかむのが
うまかったのかなと思える。
自分も数多くの側室を持っていたし、正室含め側室達が争ったりしないように
気を使っていたんじゃないのかな。
効果的なヤキモチの焼き方まで書かれてる。
あと、ねねにお前は正室なのだからかみさまらしく堂々としていなさいって
正室の心得、心構えみたいなことも書いてある。
これを見ると濃姫がそうだったのかなと思えなくもないし。
ねねはよほど嬉しかったのか、この信長からの手紙を大事に保管してあったみたいだね。
他の人も信長から手紙もらったのかも知れないけど、ねねだからここまで残ったのかも知れないかなと思う。

194 :人間七七四年:2008/09/24(水) 21:27:06 ID:37EqHYbz
>>193
あんた人生経験浅いんだね。
女子高の教師が生徒の前では
「テレクラなんか人間のクズの行く所だから、絶対に行ってはいかん」と言っておきながら
自分はテレクラに入りびたりで、女子中学生とエッチして逮捕された教師がいたっけ。
偉そうな事をいう人間に限って、矛盾した事をやってるケースが多いんだよ。

195 :人間七七四年:2008/09/24(水) 21:36:46 ID:oRSLm0Cr
信長を女子高の教師に例えるのは、さすがに妄想しすぎだw

196 :人間七七四年:2008/09/24(水) 21:46:17 ID:H/iMj5NX
そういやここだったか、史板の方だったか忘れたけど、
信長のねねへ宛てた手紙を理由に
濃姫を頂点とした奥制度があって、正室の心得を
身近な正室・濃姫をお手本にねねへと説いたって言い張ってる人いたねぇ。

自分としてはそういう風にも取れるし、
ただ当時の城持ちの奥方としてあるべきテンプレみたいなもんを
説いただけにも思えるし、あとは>>194みたいに反面教師として
自分とこの正室がそうじゃないから、そうするなよ。みたいな意味合いで
書いたとも言えるし。
あとはお手本が自分の母親だったのかもしれんし。
(信秀も側室の数は多かったしね)

ねねへの手紙ひとつとっても、正反対の考え方できるから難しいね。
濃姫をお手本に、という意味で書かれているなら面白いけど、
それを決め付けるだけのソースもないし、
愛姫やら稲姫、三条夫人のようにお世辞でも何でもいいから
「家庭を良くおさめた聡明な奥方様でした」とかって評があればいいんだけど
それどころか、「結婚しました」って情報しか濃姫にはないからなぁ。

197 :人間七七四年:2008/09/24(水) 22:19:41 ID:oRSLm0Cr
ねねは賢いから、信長の奥がごちゃごちゃしてたら
そんな話題は出さないようにも思えるな。
うちの秀吉も心遣いのできる上様を見習ってほしいです!!みたいに
信長を持ち上げて気持ちよくできる話だったから
旦那の悪口っぽい話でもしゃべれたとか。
まあ、ねねの立場から考えた妄想ですけど。

198 :人間七七四年:2008/09/24(水) 22:49:30 ID:n/j7UOWB
>>184 信長に「義」があれば、あんだけ持ち上げてた公方をあんなやり方で
追放したりもせんと思うが?そもそも主筋の一族を力で制圧したりもせんだろうし。

>>197 信長が言いたかったことは「子供(跡継ぎ問題)」のことの含みじゃないかな。
正室に子がなければ側室をもうけるのは武家では当たり前。
夫の情事と後継者問題はまったく別問題。
恋愛結婚だし、出自の低いねねにはそのあたりの認識が甘かったのかも
しれないけど、武家の正室の立場をもっとわきまえろ、
と信に諭されるのは当然だと思う。家の存亡にかかってくる問題だから。
そんなことまで介入してくる信も信だと思うが。
数年後ねねがまだ若いのに自分の子供を嫡養子として送り込むようなこと
してるし、台頭してきた秀吉を完璧に取り込む作戦をしてる
信の腹黒さも見え隠れする。
ねねはだめでも秀吉の血の繋がった子供が生まれる可能性はまだまだ
あったろうに、あの状況では後から実子が生まれても
信長の子供を跡取りにしなきゃならん。



199 :人間七七四年:2008/09/24(水) 23:05:51 ID:H/iMj5NX
>>198
あれは秀吉の作戦だったという話を聞いたけど、違うの?

自分の子供を失ったあとに、信長の子供を欲しがる事で
ゴマをすりつつ、猜疑心が強い信長が晩年になって
部下に与えたものを返せといってきたときに、子供なら返さなくても
秀吉の財産がそっくり信長の子供のものになるため、
信長からいらんケチつけられなくてもすむから、という話を聞いた事あるけど。

200 :人間七七四年:2008/09/24(水) 23:20:26 ID:n/j7UOWB
>>199 実力をつけ、他の家臣からも一目置かれるようになった外様の秀吉を
信長が警戒しだしたって証拠だな。
他の有力武将の下に行かれるのも困るし、下手な下心をだされても困る。
だから子供を押し付け、織田家から離れられないようにする。
その子が後を継げば事実上親である信長には逆らわない。
北畠家や神戸家も強引にその手法で乗っ取った。
跡継ぎののいない秀吉とは縁組しようがなかったので、養子を与えたんだろ。
普通は家臣の跡継ぎに姫や妹を嫁がせたりする。
氏郷だって聡明な人柄を見込まれ姫を嫁にくれるほど信頼が厚かったとなってるけど、
結局蒲生家を完全に織田家に取り入れるための政略結婚ってだけ。
本能路の変後はさくっと秀吉に鞍替えしてるが。

201 :人間七七四年:2008/09/24(水) 23:22:05 ID:oRSLm0Cr
>>198
信長には信長の思惑もあっただろうし、ねねにもねねの思惑があっただろう。
ねねとしては秀吉の失脚とかは願ってないだろうし、自分の子が跡継ぎじゃないなら
信長の子が跡継ぎでもいいと思ってたんじゃないの。
とりあえず、これまで頑張ってきた自分を蔑ろにする秀吉を何とかしたいのと
今後の自分の立場を保持したい気持ちがあったと思う。
だから信長を怒らすことなく、自分の味方になってもらえるよう話しただろうし
その結果があの手紙だったんじゃないか。
その場合、信長も奥で正室や側室同士がもめてたりすると
ねねも信長を怒らす可能性があるから話題にしにくいしだろうし
円満とは言えなくとも、そこそこ平穏な奥だったんじゃないかなと。
あくまでも、信長の思惑抜きのねね視点での話だけどね。

202 :人間七七四年:2008/09/24(水) 23:37:31 ID:n/j7UOWB
>>201 当主の血を引く実子こそが家の後継者の第一条件。
側室腹だからと腹をたてたり、そのことで自分の立場が危ういなんていう
危機感を持つような器量のない妻なら、ねねは愚妻、大名家の妻失格だな。
豊臣家の繁栄を願うなら、嫉妬なんてしてる場合じゃない。
自分に子供が授からないのなら、自らが選んだ側室を
どんどん夫に世話するぐらいの器量がなければ家は滅びる。

豊臣の繁栄にねねは大いに貢献したが、豊臣が二代で滅んだ原因はねねかもな。

203 :人間七七四年:2008/09/24(水) 23:50:45 ID:oRSLm0Cr
>>202
秀吉もねねも根が一般庶民だったんだろうね。
この辺りの感覚は、側室がゴロゴロいて当然の中で育った信長や濃姫とは違うんだろう。

204 :人間七七四年:2008/09/24(水) 23:51:58 ID:+u+Pu88n
そうは言うけど、あれだけ大勢の側室がいたのに
肝心の秀吉に淀にしか子供を生ませることが出来なかったんだから
仕方ないんじゃ

205 :人間七七四年:2008/09/25(木) 00:24:19 ID:TQR1jNX4
>>198
あんなやり方って?
敵対を始めたのも義昭からだし、信長は最後まで傀儡として受け入れてくれれば、
傀儡将軍として厚遇する、という認識だった。

206 :人間七七四年:2008/09/25(木) 00:41:23 ID:TQR1jNX4
>>198
ねねが若いって、そりゃ現代から見た話だろ。

ねねは1542年生まれ。手紙の時点で三十歳過ぎ、秀勝養子は79年なんでねねは数えで三十八歳。
当時の感覚からしたら妊娠出産を期待する方がおかしい。また側室に生ませた養子も三年前に
失ってから、子供はまるで設けられていない。秀吉本人は79年時に数えで四十二歳。

「信長の黒い意志」とかを想定するまでもなく、普通に後継者を養子でまかなうことを考えだして
おかしくない環境だと思う。
(信長みたいに十代から子供をポコポコ設けていたなんて実績があるのなら、まだ期待もできただろうが)

207 :人間七七四年:2008/09/25(木) 06:33:57 ID:/I9CvgiB
>>206
信長は10代の頃には子供いないはずだけど・・・。
いちおう信正が10代の時の子供という説はあるけど
これも定かではないし。

208 :人間七七四年:2008/09/25(木) 07:47:20 ID:JbBLKDoA
>>206 >>普通に後継者を養子でまかなうことを

これは普通じゃないと思うよ。
秀吉の年齢を考慮したら側室でまかなうのが普通。
秀吉は南殿との間に男子をもうけたのはほぼ間違いない。
側室との間に実子ができる可能性はかなり高い段階での話だった。
それに最終的に側室にも子供がもうけられなかったら親族から養子をもらって
まかなうのが普通。
他家である主筋からの養子というのは、かなり政治色が濃いから選ばれし家にしか
ないことだよ。
実力がでてきた大名にとってそれは足かせでしかない場合だってあると思う。
ねねの年齢だってまだあきらめろ、と烙印を押すには早いと思うよ。
戦国期の女性なら30代はまだばりばりの繁殖期だよ。
妊娠すらしなかったのか、出産しても流産、早世を繰り返したのかで
また違ってくるしね。

209 :人間七七四年:2008/09/25(木) 09:47:10 ID:gCJMLMXY
若い頃に、まだ貧乏だったから3回堕胎して子供が産めなくなったので
秀吉はねねを大事にしたって、逸話の載ってる史料の通りだったら、
面白いけど、史料の信憑性も疑問だし、そんな事はないか。

210 :人間七七四年:2008/09/25(木) 10:20:18 ID:ZPDk98x0
子沢山のまつだって、あんだけ子供産んでも結局3代目は利家の側室腹の子供が
継いだ。側室制度はなきゃならんもんだったんだろうし、
上流階級に生まれなくても、当時なら庶民レベルでもそんなの当たり前と
思ってるんじゃないの?
ただの焼もちからでた愚痴をねねが信長に言ったとは思えん。
南殿の産んだ子をねねの手元に預けてくれないとか、
会わせてくれないとか、見方によっては庶子だから正妻が養育に関与しないのも
当たり前なんだけど、ねねとしてはそれが気に入らなかったとかね。
大名の正妻とはなんぞや、と壁にぶち当たって悩んでいた時期なのかもな。

211 :人間七七四年:2008/09/25(木) 12:33:45 ID:TQR1jNX4
>>208
普通なら、養子の前に側室でしょうね。しかし秀吉にはそれで子ができるかどうか不安があった。
武将として戦死だって可能性はある。病死だって絶対にないと言えない。家の当主が四十過ぎて
それなりの年齢の後継者候補どころか子供自体がいないというのでは、養子を考えるのが普通。
まあ通常は血縁から候補を選ぶのが筋だろうが、秀吉の縁者には当時他に適齢の子も見当たらなかった。

たしかに主君から子供を貰うというのは極めて政治的な選択だが、ところでそもそも、秀勝養子は
秀吉の意志でなく信長の押し付けって証明は?それがないと、議論の焦点であった信長の腹黒さの
証明としての養子、というのが成立しないんですが。
ちなみに秀勝が養子に入った79年は秀吉は三木城包囲中。つまり、播磨一国もまだ制覇していない。
当時は秀吉に比べれば柴田や明智の方がよほど上。信長が急成長した秀吉を脅威に思って〜という
のも無理がありすぎる。

>戦国期の女性なら30代はまだばりばりの繁殖期だよ
さらっと嘘つかないように。

212 :人間七七四年:2008/09/25(木) 13:48:01 ID:lFXqNesl
>>211 柴田は信秀の代からの譜代の家臣じゃん。
外様の秀吉や明智とは違うよ。

外様で実力のある明智とは婚姻関係も、養子縁組もしなかったばっかりに
本能寺の変がおこったのかもよ?
まぁ通説通り濃姫の従兄妹ということで同族意識があったのかもしれんが。

それから江与は30代にはばりばりに子供産んでたよ?
伊達の愛姫は40過ぎじゃなかったか?長男を産んだの。
まつだって30代まで産んでるじゃん。
30歳でお褥辞退なんて大奥で始まったことだから
戦国期は正室だって30代でも現役だよ。

213 :人間七七四年:2008/09/25(木) 13:57:48 ID:lFXqNesl
>>212だけど、愛姫は30代に入ってから立て続けに男子を3人産んだんだった。
これこそばりばりの繁殖期。
避妊法もこれといったものがないし、夫婦関係を継続してば
現代同様に40過ぎまで子供を産めるさ。

214 :人間七七四年:2008/09/25(木) 15:12:31 ID:RcXachzI
産んだ例だけ挙げられても……

215 :人間七七四年:2008/09/25(木) 18:11:51 ID:NzFtuGLn
藤原道長の妻源倫子も40過ぎまで子供産んでたけど
平安時代の女性なら30代でもバリバリの繁殖期なんだろうか。

216 :人間七七四年:2008/09/25(木) 18:48:47 ID:tjqAbUGg
江戸時代あたりまでの平均寿命が30代後半ぐらい。
長生きできるのは食生活が安定し、病気になっても医者にかかれるだけの経済基盤の
あるもの(それでも早死にする人はしたし)が多かったろうから、
平均寿命真っ只中で子供を産むなんていうのは
特権階級の女性だからこそ可能だったんじゃないかな。
乳母をつけて育児に手をかけることはしないのだから
産むだけなら30代でも可能だとは思う。
お市の方も多産、安産型のようだからもっと長生きできたら勝家の
子供を授かったかもしれないな。

217 :人間七七四年:2008/09/25(木) 19:27:19 ID:tjqAbUGg
それから、秀勝の件だけど自分も秀吉の意向ではなく、
信長の意向で養子に入ったと思う。
一般的に家臣が主人に対して(しかも相手はあの信長)子供を養子に欲しい、
というようなあつかましい要望をするとは思えない。

218 :人間七七四年:2008/09/25(木) 21:37:01 ID:/I9CvgiB
不妊の理由を全て女性が原因だった時代ですよ。
精液が女性の胎内で人の形を作ると信じられていた時代ですよ。
3年子なきは去れの時代ですよ。
30代の女性がバリバリの繁殖期なわけがないw
30代で出産している女性はそれなりにいるけど、
その前にお産を経験している、
孕みやすかったり安産だったりする人でしょう。

30代後半に差し掛かっていた、出産経験のないねねが、
バリバリの繁殖期だったとは思えないし、
秀吉もねねとの夫婦生活云々はともかくとしても
ねねに子供が出来る事は既に諦めていただろうと思うよ。
嫁して10年以上経ち、30歳越えている女房に
子供を期待するのは、当時としては考えられないと思う。

219 :人間七七四年:2008/09/25(木) 22:07:57 ID:tjqAbUGg
>>218 3年子なきはされ、というのは妾をもてない庶民の話だよ。
武家も公家も側室をもち、庶民の金持ちは妾を多数もって、その子を
正妻が育てて跡取りにしてた。正妻の借腹が側室制度の本質なんだよ。
少なくとも戦国期の武家の婚姻制度は政治的な政略婚だから正妻の子供の有無は
離婚とは関係ないよ。離婚となる時は実家同士の関係においてのみ。
逆に子供がいても実家の都合で離婚させられてで戻ってくる女性は多数いたよ。

ねねだって年齢的に可能性はゼロじゃなかった。ましてや側室たちも同様。
その段階で秀吉が自分から他家の嫡養子をもらう、というのは不自然だよ。
信長から養子をもらったら有無をいわさず嫡子で迎えることになる。
その後に実子が生まれても信長生前中は秀勝を跡取りにするしかない。
実際天正8年から秀勝と秀吉の連名の文書がでまわりはじめ、
秀勝には木下氏、杉原氏という身内の後見がつけられたことからもそのことは明らか。
結果的にその後お拾とお捨しか子供が恵まれなかったけど、
それはあくまで結果論。
甥を養子に後を継がせても、実子が生まれたらやっぱりとんでもないことになってる。

応仁の乱の教訓があるから、武家は跡取りに養子を迎えることには
慎重だったんだよ。ちなみに日野富子だって34才でまさかの次男を生んでるよ。

220 :人間七七四年:2008/09/25(木) 22:16:39 ID:/I9CvgiB
>>219
いや、それはわかってるよ。
ただ当時の感覚からすれば、不妊は全て女のせいなわけでしょ。
あの当時、30代後半のねねが孕む可能性があるだなんて
本音では誰も思っていなかったと思うよ。
それ以前、ねねが流産やら死産やらで、妊娠経験があるなら話は別だけど。

年齢的には一応、女性は生理がとまるまでは出産が可能という風には言われているけど
現代でも高齢出産ってのは厳しいんだよ。
今では40代でも全然大丈夫!とか言ってるけど、本当は大丈夫でも何でもない。
年とればとるだけ、妊娠の確率は低くなってくるし(男もそうだけど)
秀吉とねね、実際どっちに不妊の理由があったかは知らないけど
30代後半になったねねが孕む可能性なんて、正直現代でも難しいと思うよ。
(妊娠経験がないなら。あるなら話は別)
当時からしたら、なおさらねねは石女決定だったと思うよ。


だからって離縁するのとは話は別だけど、
当時の感覚としては、ねねは石女でFAだったと思う。
もし記録に残ってないだけで、妊娠経験が何度もあるなら話は変わってくるけどね。

221 :人間七七四年:2008/09/25(木) 22:32:45 ID:tjqAbUGg
>>220 当時でも男性不妊というのはそれなりに認識されてたと思うよ。
大勢いた側室の中で淀殿だけが妊娠したことで不義説が大阪でも
江戸でも流れてたそうだから。

222 :人間七七四年:2008/09/25(木) 22:36:43 ID:/I9CvgiB
>>221
晩年は、秀吉が高齢になった事による
精子機能の低下が原因じゃないかと思うよ。
長浜時代は側室の数も晩年ほど多くはなかったし、
(詳しくは知らないけど)
その中で南殿が懐妊したとなれば、秀吉の不妊というのは
その時には考えられていなかったんじゃない?
実際南殿は妊娠しているわけだし。
となると、嫁いで10年以上経っているのに孕まないねねに原因が
あると思われていたと思うけどね。


その後、茶々が妊娠した時は側室妾が山ほどいた状態だったから
茶々のみの妊娠が不審がられただけだと思う。

223 :人間七七四年:2008/09/26(金) 07:20:32 ID:nR3H1WT7
>>222 むしろ若い長浜時代に側室が南殿だけ、というほうがかなり不自然。
秀吉そのものの繁殖期だろうに。仮にも大名なのだからそれなりの数を
そろえていただろう。

224 :人間七七四年:2008/09/26(金) 08:57:26 ID:h8Q2uNmG
南殿が不義を犯してなかったと明確じゃないからなぁ。
あれだけ大勢の側室がいて、子供ができたのが二人だけってのがな。
秀吉って種無しって思われてたんじゃね?
上で出てたみたいに、ねねが妊娠して堕胎繰り返して子供ができなくなった
なんて事があれば、また変わってくる話しだけど。

あと、秀吉は他の武将と違って、子供を産んだ実績のある後家より、
身分の高いお姫様を側室に大勢しているよね。
当時のいいとこの御姫様なんか、身体を元々あまり動かさなくて華奢だから
体質的に不妊になりやすかったんじゃね?
選んだ側室の顔ぶれにも、問題があったのかも。

225 :人間七七四年:2008/09/26(金) 09:30:59 ID:uZD2RPAb
お前ら本当にアホだな
女性には極めて妊娠し易い体質と、中々妊娠し難い体質があるんだよボケ!
まあ秀吉にはかなり精子が少なかったであろう事は間違いない
しかし、それでも数少ない精子でも妊娠する女性がいる
それが南殿であり淀君であるわけだ
分かったか?

226 :人間七七四年:2008/09/26(金) 13:54:07 ID:pQ4+1lpI
>>194
女子高中退乙

227 :人間七七四年:2008/09/26(金) 14:49:41 ID:cleMAWxi
確認できる秀吉の側室が約20人。
うち出産が確認できるのが二人の側室で4件。

これは明らかに男性不妊が原因としかいいようがない。
精子が少ない体質も不妊症というからな。
秀吉の親族も子供が少ないことから家系的な遺伝も考えられる。
なのでねねが石女かどうかは不明。
相手が変われば子供ができた可能性も大いにある。
三の丸殿は秀吉死後二条昭実に嫁いで妊娠したことまでは確認されてる。
出産前に亡くなったけど。

一方信長は20人以上の子供をもうけ、複数出産した側室もいる。
子なしの濃姫は石女確定だろうな。

228 :人間七七四年:2008/09/26(金) 18:10:40 ID:h8Q2uNmG
話しは変わるのだが、信雄の分限帳で「大方殿様」を当たり前のように信長生母と
解釈されているのだが、信雄の立場から「大方殿様」は北畠の前当主正室か、
信長の正室だと思うんだが? 祖父正室でも「大方殿様」なのか?

229 :人間七七四年:2008/09/26(金) 18:52:34 ID:bZFfICGE
敬称は様>殿だからな。
両方ついてるから御内様と同格扱い。
北畠の前の当主夫人は信雄夫人の生母だから大方殿様は北畠のほうじゃないの?

ところで信包が信長生母の面倒をみた、という説もあるけど、
信包は自分の生母の面倒をみただけということはないのかな?
つまり信長と同腹でなければ、信長生母とは違う女性となるけど。

230 :人間七七四年:2008/09/26(金) 21:25:44 ID:mpxm9d+d
>>227
その側室が一体いつからの側室なのかって問題にもよる。
例えばねねと結婚して数年で側室が何人かいたなら、
秀吉側に問題があると言えると思う。
でも男性も45歳過ぎると、精子の能力が格段に下がり、
妊娠させずらくなっていると最近のデータにあるから、
それ以降だとしたら、若いときの種無し云々という話は
いまいち説得力に欠けるかなと思う。
まぁ個人的には秀吉が種無しで、コキュだったと思うけども。

>>228
自分も大方殿様は信長正室、もしくは北畠の前正室だったかなと思う。
何故信長生母(=信雄から見たら祖母)と解釈されたのかはわからんけど・・・。

結局かなりの額を貰っていた御局も誰だかわからないままなんだよなぁ。

231 :人間七七四年:2008/09/26(金) 21:37:42 ID:h8Q2uNmG
やっぱり、信長正室か、北畠前当主正室の方がしっくりくる呼称だよなぁ。
なんで大方殿様で祖父正室になるんだ?と、疑問がずっとあったんだ。
だが、この分限帳の時点だと、北畠前当主正室は、信雄と敵対して
北畠の家を出ているという説もあるので、北畠前当主正室というのも
疑問に思っているんだがな。
残るは、信長正室になるが、じゃぁ、安土殿は誰だって話しになるのかな?


京雀だが、
「北行に岡崎殿と織田家の後家住給し其御やしき今は町人の家となれり 」

「北行に岡崎殿と織田家の後室住給し其御やしき今は町人の家となれり 」
があるみたいだね。
原文を見てないので、どちらかよくわからんが、後室だと継室って事になるんで
全く意味合いが変わってくるな。

232 :人間七七四年:2008/09/26(金) 21:56:43 ID:bZFfICGE
>>231 「後室」に「貴人の未亡人」というのもあるので
そっちの意味で書いたかもしれない。

233 :人間七七四年:2008/09/26(金) 23:28:06 ID:mpxm9d+d
結局どの史料も
「濃姫かも?」
「濃姫ならこういう表現される可能性あるよね」
っていうのは沢山あっても
「これ、濃姫のことだね」
っていう決定打がないんだよなあ・・・。

234 :人間七七四年:2008/09/27(土) 09:44:07 ID:rPiPofJz
織田家は女性に関することはほどんど残さない家だったと聞いた
子孫?にあたる人がそう発言していたような・・・
第一信長の母親さえ、いろんな説が出ていてどこの誰かはっきりとしていない。
織田家の女性ではっきりとしているのはお市とか悲惨な死を遂げた人くらいだし。
濃姫と入れ替わりで道三の側室として信長の妹?が斎藤家へ行ってるけど
その妹も道三死後どうなったかとかもわかっていない。
二人の間に娘が生まれていて、信長が引き取ってお嫁にやっているから
一緒に妹も織田家に戻ってきたとは思うけど。
濃姫は実家も無くなってるし、弟の子孫は今でも続いてるけど。
やはり濃姫の直接の子孫がいなかったのは大きいと思うね。
織田家の宗家がもう少しせめて江戸中期あたりまで続いていたらもっと色々残ったんだろうけど。

235 :人間七七四年:2008/09/27(土) 10:02:08 ID:STTzdozR
>>234 どこの大名家でも女性の記録は微々たるものだよ。
でもちゃんと墓守していくのも子孫の仕事だから、墓からある程度の
情報は残る、それで充分でもあるけど。

ようするに織田家が没落し、江戸期の信長は我々が思う以上に
世間から忘れ去られていたってこと。明治期に総見院もぶち壊し寸前で
免れたんだけど、草ぼうぼうのひどい有り様だったらしいから。

236 :人間七七四年:2008/09/27(土) 11:54:14 ID:wcMVVeF+
>>235
忘れ去られていたというより江戸時代は信長を極悪人と
みなしていた風潮だったらしい。
権現様はそういう悪人の所業にに耐えて仕えた偉い人と
なるからだったらしいがw
だから、余計放置が加速したらしい。

237 :人間七七四年:2008/09/27(土) 17:01:45 ID:LDKjUCSK
秀吉の墓所はもっと悲惨な状態で放置だったらしいからな…
盗掘にもあったてらしく骨壷が掘り出され、外に雨ざらしになってたらしい。

238 :人間七七四年:2008/09/27(土) 17:26:24 ID:988q6yfy
ルイスフロイスの記述より

 彼(信長)の父が尾張で瀕死になった時、彼は父の生命について祈祷することを仏僧らに願い、父が病気から回復するかどうか訊ねた。

彼らは彼が回復するであろうと保証した。しかるに彼は数日後に世を去った。

そこで信長は仏僧らをある寺院に監禁し、外から戸を閉め、貴僧らは父の健康について虚偽を申し立てたから、今や自らの生命につき更に念を入れて偶像に祈るがよい、と言い、そして彼らを外から包囲した後、彼らのうち数人を射殺せしめた。



 僧らの安易な言葉が許せなかったのでしょうが、このあたりはやはり尋常の人間ではないようです。
ですので、濃姫もこんな普通でない人間といつまでも一緒にいたとは考えにくいですね。


239 :人間七七四年:2008/09/27(土) 18:51:44 ID:DtJ+mfTb
織田家も実家の斎藤家も没落しちゃったのが痛いな。
養華院も火事で焼けたまま放置だし。

240 :人間七七四年:2008/09/27(土) 20:22:46 ID:8NO+WaoV
濃姫には興味あるけど信長は嫌い
精神分裂症の性格破綻者にしか見えない

241 :人間七七四年:2008/09/27(土) 22:08:08 ID:AICLSrQm
>>238
フロイスは誇張癖があるし、話半分で考えたほうがいいと思うが


242 :人間七七四年:2008/09/27(土) 22:59:11 ID:988q6yfy
しかし信長の狂気ぶりは他の史料からも十分伺えるから
そこまで差し引く必要はないかと
こんな男にロマンスなど考えにくいが…

243 :人間七七四年:2008/09/28(日) 00:59:41 ID:GajAUEKq
>>242
ロマンスやら恋愛やらはともかくとして、
身内に対する甘さは、色んな方面からもうかがい知る事が出来るし
色々指摘されているものでもあるから、一度気に入ったら
割と情に厚く、普通に優しい人だったんだろうな。
その代わり、一度気に入られても嫌われる可能性もあるわけだけどw

濃姫はもし本能寺まで生きていたのなら、
普通の夫婦関係だったんだろうなと思う。
普通に仲良くて、時々くだらない事で喧嘩したり、
信長が一方的にキレたり、濃姫がへそ曲げたり。
その後何となく時間が仲直りのきっかけになり、
また時々くだらないことで喧嘩して・・・みたいな普通の夫婦。

244 :人間七七四年:2008/09/28(日) 04:24:36 ID:3CWDC8Tj
>>238
それって逆に、当時の信長はある程度信心深かった、とも取れるな。

あとその手の話は、当時は今よりも命の重さが遥かに軽いのも考慮にいれないと。
小姓に対して「仕事中に三回居眠りしたら斬る」と定める人もいるし。

その話が真実だったとしても、「治せる、と言って治せなかった不届き者の坊主に対する処置としては妥当」
と、当時は受け止められたかもしれん。


245 :人間七七四年:2008/09/28(日) 10:12:11 ID:tx+6aUxI
>>243 身内に甘い、というのをよく語る人がいるけどなにが根拠なの?
戦国時代の大名なら特別甘いという認識はないのだけど。

246 :人間七七四年:2008/09/28(日) 11:59:58 ID:0y0EkCWI
弟の信行を謀略でもって殺してるんだがね
これのどこが身内に甘いのか?

247 :人間七七四年:2008/09/28(日) 14:41:40 ID:DCzIEG93
兄ちゃんとかは歯向かって許してもらった後は大人しくしてたけど
弟は許してもらったのに、またすぐ反抗したからな。

248 :人間七七四年:2008/09/28(日) 14:51:26 ID:3CWDC8Tj
甘いっつーか、信長はそもそも特別厳しくはない。

249 :人間七七四年:2008/09/28(日) 17:32:47 ID:gLPB28+h
許すのってかなり甘いだろ?
自分は殺されるかもしれなかったのにさw

250 :人間七七四年:2008/09/28(日) 18:05:58 ID:Cx2dheC2
弟の件は確か信長に兵をあげたけどコテンパンにやられ
もう逆らいません、と誓ったのにまた信長を裏切ろうとしていたのを
当時守役をしていた勝家が信長にチクッたんだっけ。
結局、信勝は信長の策略にはまり殺された。
この件で勝家は信長に気に入られるようになったらしい。
身内には甘いというけど、何度も謀反を起こしたらやはり仕方ないのでは。



251 :人間七七四年:2008/09/28(日) 18:18:37 ID:VhjgVd/P
娘たちの配偶者を無難な家臣に片付けてるのも根拠にしてるけど、
家臣との縁組も大事な政略結婚だからな。
外部とのパイプ、内部とのパイプ、の両方に使われるのが
子供たちなわけで。

秀吉は秀頼や豪姫には大甘だけど、妹には非情な政略結婚を押し付け、
母親も結局人質にさしだしてる。
いろんな手紙から秀吉の人柄をフォローすることはできるけど、
そういうのがなかったら甥を難癖つけて一族皆殺しにするし、
母親や妹をあんなめにあわせるしで
自分の利益のためなら身内には冷酷なことも平気な男
というレッテルがはられてたろうな。

252 :人間七七四年:2008/09/28(日) 19:34:29 ID:0y0EkCWI
ルイス・フロイスの日本史を読んだ
秀吉の正妻ねねについては、かなり多く書かれてるんだね
ところが、信長正妻については全く何もなし
見たという描写もなし
信長に17回も会ってるだけでなく、家臣の勝家や信盛にも会ってるにも関わらず
信長正妻については何も聞いていないようだ
これではもう死んだと思われても仕方がないよ

253 :人間七七四年:2008/09/28(日) 19:56:23 ID:xvcyIbd1
>>252
時代劇なんかと違って、当時の大名家の正室や姫君は、平安時代頃とほとんど同じように
男には家族のごく一部の者と会う以外は基本的に御簾越しで、取次ぎの者を介して会話してたって位深窓の人だから
当時のネネなんかと違って、やんごとなき女達の情報はそもそもフロイスには入らなかったんじゃない?

254 :人間七七四年:2008/09/28(日) 20:04:06 ID:9xPxoZDJ
>>253 当時のねねはすでに大名家の正室やんごとなき身分の女性。
御簾越し、侍女を介してしか第三者と接することはなかったろうな。


255 :人間七七四年:2008/09/28(日) 20:39:27 ID:xvcyIbd1
>>254
そのフロイスの記述っていつ頃のものなの?

256 :人間七七四年:2008/09/28(日) 21:15:23 ID:0y0EkCWI
>>255
日本史の執筆開始したのは1583年、すなわち信長の死んだ翌年だ
彼が来日した1563年の事から始まっており、彼の死ぬ1597年まで執筆は続くが完成はしなかったようだ
そりゃあそうだろう、その当時これだけの膨大な記述の書物はないと思われる
従って当時の超1級史料だ
しかもその頃の日本人の生活仕様や思考まで西洋人独特の緻密さで描写しており
読む価値がある

257 :人間七七四年:2008/09/28(日) 21:44:02 ID:RviGmt5o
フロイスは、単純に、会った事ないとしか書いてないよ。
信長は奥の身分ある女性を表に出さなかったとね。

大体、フロイスが訪ねた時に、身の回りの事したの信忠と信雄だし(信孝はもう養子に行っていていない)。

258 :人間七七四年:2008/09/28(日) 23:07:45 ID:DCzIEG93
信長と違って、秀吉は女でも表に出すタイプだよな。

259 :人間七七四年:2008/09/28(日) 23:11:53 ID:Cx2dheC2
信長が濃姫を他の男に見せたくなかったのかもな。
わからんw
外国人は夫婦そろってが当たり前なのかも知れんが

260 :人間七七四年:2008/09/29(月) 00:33:24 ID:ipvrji5N
フロイスの書き方だと、濃姫だけじゃなく、側室たちも表に出してなかったようだけどね。
で、岐阜では信長は、そういう女性たちと子供たちだけで山の上で暮らしてて、
身の回りの世話をさせていたって出てくる。
そして、フロイスが実際に会ったのは、信忠と信雄の二人って感じ。

実際には、身の回りの世話をするような侍女たちはいたと思うけど、
それらの人間に会ったような記述がなかったはず。

261 :人間七七四年:2008/09/29(月) 01:38:47 ID:IuT+EJv3
信長と家族だけで暮らしてるって書かれてたんだっけ

262 :人間七七四年:2008/09/29(月) 02:01:02 ID:kvJvY0is
> で、岐阜では信長は、そういう女性たちと子供たちだけで山の上で暮らしてて、
> 身の回りの世話をさせていたって出てくる。

ウソつくなよ
そんな事全然書いてないぞ

263 :人間七七四年:2008/09/29(月) 09:53:40 ID:ipvrji5N
書いてあるよ。
一番上の城の事を書いた中に、
「同所には何人もさらに内部には入れませんでした。
なぜならば、彼は内部においては、貴婦人たちおよび、
息子の王子たちによってのみ仕えられていたからであります。」
という記述がある。
それ以外の城の部分においては、大勢の小姓たちがいた事は書かれているけどね。

264 :人間七七四年:2008/09/29(月) 12:47:19 ID:kvJvY0is
お前はどうしてウソばっかりつくのだ?
城の事については

上の城に登ると、入口の最初の三つの広間には、約百名以上の若い貴人が
いたでありましょうか。(途中省略)同所からはなんぴともさらに内部へは
入れませんでした。なぜならば、彼は内部においては、貴婦人…

となってるだろうがボケ!
要するに城の中の最初の三つの広間から内部は貴婦人たちと二人の息子しか
入れませんとだけ書いてあって
お前の言う
>女性たちと子供たちだけで山の上で暮らしてて、
>身の回りの世話をさせていたって出てくる。
などどこにも出てこんだろうがキチガイ!!
もっと日本語の勉強しろ!!

265 :人間七七四年:2008/09/29(月) 19:15:03 ID:hhJ04hYn
どうでもいいけど↑こいつなんでこんなに興奮してんの??

266 :人間七七四年:2008/09/29(月) 20:28:56 ID:ZHdzWe3X
どうでもいいけど
坂口安吾の信長に出てくる濃姫は萌えつぞ。

267 :人間七七四年:2008/09/29(月) 21:33:49 ID:UZttczEl
何気なく新聞の広告欄を見てたら、

>「風雲児信長」 主演:片岡知恵蔵、昭和15年作品

同じタイトルの映画を子供の頃、中村錦之助主演で観た覚えがある。
これって、山岡荘八の原作のじゃなかったのか?
山岡なら戦後の作家だし。
彼が家康を書いたのがきっかけで信長にも人気が出てきたのかと思っていたが、どうもそうじゃないようだ。
信長の人気って、いつ頃から湧き上がってきたんだろう?
坂口安吾の「信長」?
読んだはずだが、特に印象残ってない。
坂口の作品のせいで、信長人気が起こってきたとは思えない。

268 :人間七七四年:2008/09/29(月) 22:20:34 ID:hhJ04hYn
>>267
わからないけど、司馬作品からじゃないの?

269 :人間七七四年:2008/09/29(月) 22:44:23 ID:IuT+EJv3
「風雲児信長」の原作は鷲尾雨工って人みたいだな。
アマゾンの商品説明では
弱肉強食の戦国時代が生んだ野性の風雲児・織田信長の豪放な生涯を
文学史上初めて活写した幻の歴史大作 となってる。
知恵蔵で映画化されるぐらいだから人気作品だったのかな。

270 :人間七七四年:2008/09/29(月) 22:45:11 ID:pM51pA03
なんで司馬が生前に作家してんだよ

271 :人間七七四年:2008/09/30(火) 02:23:17 ID:Ru2TJ9n3
雨工作品の信長は15年程前ごろに再販されているから古本屋などで探せばわりと見つかるよ
信長と濃姫との絡みも多く作品として面白く読めた
自由闊達な信長のイメージを生み出したのはおそらくこの作品だろうと思われる

272 :人間七七四年:2008/09/30(火) 11:51:41 ID:8aEs0xnV
さんくす。
鷲尾雨工って作家は知らなかったけど、
太閤秀吉の陰に隠れていた信長を再発見して、後の信長像に影響を与えたとすれば、
案外偉大な人だな。
古本で探してみるかな。

273 :人間七七四年:2008/09/30(火) 12:45:20 ID:IBb+13xW
>>267
再評価は明治以降。ただ勤皇家というフィルター付きだったけど。

まあ学者知識人レベルでは江戸時代から信長を評価する人はいたけど、
一般的大衆的な人気がでたのはやっぱ山岡以降じゃないかね。

274 :人間七七四年:2008/09/30(火) 13:51:00 ID:DARt5bM5
いやいや1970年代あたりまで信長、家康は人気なかった
やっぱNHKの歴史番組「歴史探訪」「歴史への招待」とか大河ドラマの影響が大きい。

275 :人間七七四年:2008/09/30(火) 13:53:45 ID:Sgkv2eVp
本格的に信長の人気が出始めたのは1973年の大河ドラマ『国盗り物語』からだと思う

276 :人間七七四年:2008/09/30(火) 17:06:46 ID:8aEs0xnV
>>274
60年代、山岡の小説のせいで、家康は中小企業の社長にすごい人気。
NHKは、その時の家康像をそのまま受け継いでいる。
山岡は、徳川幕府の太平の礎になった先駆者として信長を肯定的に描いているから人気が出たと思う。

>>275
それは、信長人気が盛り上がった結果っぽい。
それ以前に、中村錦之介、津川雅彦らが映画で信長を演じて好評を得ているし、
なんと言っても大河『太閤記』の信長役、高橋幸治で信長人気は決定的になったと思う。

277 :人間七七四年:2008/09/30(火) 20:27:00 ID:yjbXKxJ9
「濃姫のひざまくら」見た。
もう少し話を膨らませて書いて欲しいと思ったな。
短すぎ!
あと、嫁ぐ前の濃姫と光秀の恋仲っぽい設定も好きじゃないしw
濃姫主役の小説がもっと増えて欲しい

278 :人間七七四年:2008/09/30(火) 20:35:53 ID:Sgkv2eVp
では濃姫に連日夜這いする秀吉ってのはどうだ?

279 :人間七七四年:2008/10/01(水) 00:50:35 ID:Y54CKhrK
わしは国取り物語リアルで見てたが、とーちゃんとか爺は、わしが生まれる前の
デートで、風雲児信長、みたとか言ってた。
かーちゃんは、イヤで仕方なくて、信長のせいでわしはうまれられんとこだった。

すまん、ちゅうわけで戦後の娯楽の発展と共に信長人気が高まった、というので
276のいうようなのは実感できる。
さらに言うと、戦争タブーで外なる人をたくさん殺した秀吉と言うのは、あれだけの大人気
だったのに、信長にとってかわられてしまったんだな。
そして、太平の世を作った家康はもう大人気だし、その上の上の信長なんてのもね。

ただ、これは逆に、家康は信長がいなかったら存在しなかった、みたいな信長の
タラレバ人気につながって、ちょっとおかしくなってたな。
今のゲーム感覚人気とダブるイメージがある。

280 :人間七七四年:2008/10/01(水) 11:41:10 ID:ptR9nDOt
>>276
高橋信長は、濃姫を「おこい!」と呼んでいたように記憶する(笑

281 :人間七七四年:2008/10/02(木) 09:17:55 ID:P4Ud9626
濃姫の信長死後の足跡がはっきりしない、織田家できちんと菩提を弔ってくれない、
というのが信長生前の濃姫のポジションそのものだよ。

282 :人間七七四年:2008/10/02(木) 11:37:08 ID:OpwhsBsD
そもそも、信長との婚姻後すらはっきりしないのだが…

283 :人間七七四年:2008/10/02(木) 11:54:45 ID:BqGhZeWg
生前と死後で扱いが変わるなんて普通のことだと思うが。そこに様々な原因はあって一つではないにせよ。

284 :人間七七四年:2008/10/02(木) 12:21:38 ID:P4Ud9626
>>283 信長生前御代としての権威があれば信長と同じ菩提に墓があって
信長の法要に一族が集まる時になどは、御代の位牌も横におかれる
などのことはされるのでは?今でも織田家の子孫は法要を欠かさずやってる。
亡くなった時期や墓は別々だけど、信秀とその奥方の位牌は総見寺に
ちゃんとあるぞ。

信長生前権威があったのに、死後とたんに御台を捨ておいた、というのであれば
織田家の見識を疑うよ。濃姫がいくら長生きしたってせいぜい子供たちと
同時代に亡くなってるだろうに。
生前織田家や義子たちどういう扱いを受けていたか、墓の件だけでもすぐわかる。

285 :人間七七四年:2008/10/02(木) 18:21:40 ID:G3ujRGPY
濃姫が本能寺で戦死したとすれば、その後の混乱の中で忘れられてしまったとしても
不思議ではないな、光秀と従兄弟同士だった説が真実ならなおさら菩提を弔うなは
はばかられる。

286 :人間七七四年:2008/10/02(木) 18:52:28 ID:IZh1Aacu
うちのお墓の周辺には、古くて字も読めなくなったようなお墓がたくさんあったけど
今年のお盆に墓参りに行ったら、綺麗に整理され新しいお墓が建ってた。
織田一族も多数の墓や位牌がたまってきたら、どうしたんだろう。
総見寺の位牌も一族全部揃ってるんだろうか。
信秀以前の先祖のもあるのかな?

287 :人間七七四年:2008/10/02(木) 20:43:49 ID:fdCFeBTX
本能寺で一緒に死んでたら、逆に一緒に葬られたんじゃないか。
当時の常識がわからないが、柴田とお市とかは他の例はどうなんだろう。

古い墓をどうするかはケ−スバイケースじゃないかな。
うちの実家も飛騨の山奥だけど、お寺の代々住職さんなんかはかなり古いのが
個別に残ってる。
で、それ以前はまとめたのかちょっと大き目のもあるが、なにせ判別できない。

288 :人間七七四年:2008/10/02(木) 21:26:27 ID:+vzpeLqe
しかし本当に何の情報もないんだよなぁ。
秀吉の正室のねね程じゃなくても、
戦国時代のそこそこの家の奥方は、何かしらの逸話やら
名前やら死期やらがわかっているものだけど
濃姫に限ってはほぼないと言っていいくらい、何も出てこない。

だからといって秀吉の陰謀とか言うつもりはないけど、
あそこまでの家なのに、死んだにしても生きていたにしても
ここまで何も出ないのは何かあったのかな、、、

289 :人間七七四年:2008/10/02(木) 22:22:01 ID:mYypywMX
それより一番気になるのはルイスフロイスの記述
彼が岐阜城へ行ったとき、生きているとしたら間違いなくそこに住んでいたはずであり
わざわざ遠い所からやって来た異人を一目見せてみようと、信長が会わせなかった事だ
普通の夫婦なら、せめて興味本位で会わせてみようかと思うはずなのに
それすらしなかったと言う事は、最早その時点で普通の夫婦生活してなかったようだ
それとフロイスは若き信長の父親の死の時の事も書いてるが、それは多分柴田や佐久間辺りと長話したから
その際に聞いたかもしれない
それだったら濃姫の事も耳にしてはよさそうなのに、全く何も書いていない
秀吉の妻ねねについて、その様に伝え聞いて書き残しているにもかかわらずだ
要するに濃姫の事は禁忌だったかも知れない
これはあくまでも私の推測だが、道三の死を聞いて精神的におかしくなり
信長が見るに見かねて斬ったとか
そういう事情なら信長公記にも死んだ事も残ってないのが理解できるのだけどね


290 :人間七七四年:2008/10/02(木) 22:31:00 ID:IZh1Aacu
死の直後に立てられた墓も、誰かが大事に守ってくれないと何百年も残らないんだよな。
織田家には濃姫の直接の子孫はいないわけだし、濃姫と光秀が親類というのが本当で
織田家の子孫が光秀の縁者である濃姫にいい感情を持ってなかったとしたら
もし地震なんかで濃姫の墓がつぶれた時とかでも再建してくれたんだろうか。

291 :人間七七四年:2008/10/02(木) 22:47:08 ID:fdCFeBTX
>>289
同意。
フロイスと公記とどちらにも出てこない、というのは尋常じゃない。
かなり早い時期にタブー化した、という可能性は高いと思う。

岐阜は濃姫の故郷であり、そこに戻って暮らせたなら本人もうれしいだろうし
そういって「喜んだ」みたいな記述があってもおかしくない。
道三の救出に失敗した信長をなじって・・とかそういうのもあるのかな。

292 :人間七七四年:2008/10/03(金) 00:17:21 ID:una4xB7P
きちょう

293 :人間七七四年:2008/10/03(金) 00:47:31 ID:gEtENNXA
美濃攻略前の信長にとって美濃の姫君は大切な駒なのに
その死をタブーになんかするかな?
無念の死を遂げた道三と濃姫のために、卑劣な親殺しの義龍を倒そうぜと
早々に大々的に葬儀をした方がいいように思うけど。
義龍だって馬鹿じゃないんだし、信長近辺を探らせてるだろうから
隠してても濃姫の死はすぐに美濃にも伝わるだろう。
そうしたら、恩義ある道三の娘でも道三が死ねば殺してしまうような信長を
信用したら酷い目に合うぞと義龍は宣伝するんじゃないか。
濃姫の死を変にタブーにするほうが信長の美濃衆調略に不利になりそうだし
信長なら逆にそれを利用するような気もする。
美濃攻略以前は政治的価値があるから、何かあれば逆に美濃の記録にも出てくるだろう。
攻略以後は政治的価値がないからどうかわからないけど。

294 :人間七七四年:2008/10/03(金) 01:18:38 ID:NdI7ybOG
タブー化した、というのは死んだとは限らない。
例えば不義密通を働いて信長が幽閉みたいなことした、とか。
信長も恥だから記録に残せない、美濃側も恥は恥だろうから
大々的に喧伝できない。
それに義龍は道三殺した手前、その娘にひどいことした信長を
とやかく言える立場にはないような。

だから建前は、病気、ということにでもしておいて
スパイは真実知ってるからかえって、事実が美濃側に伝わって、とかね。

ま、すべて推測だけど、上洛前にはもうなにかあったんじゃないかな。

295 :人間七七四年:2008/10/03(金) 01:49:47 ID:gEtENNXA
>>294
信長や義龍がそんな恥や立場なんて気にするかな?
利用できることなら何でも利用しそうだけど。
信長の濃姫幽閉なんて、義龍からすれば待ってましたってネタじゃないか。
まあ、推測に推測で反論してみても堂々巡りかw

296 :人間七七四年:2008/10/03(金) 02:04:11 ID:NdI7ybOG
>>295
いや、このスレなみんな大人だから面白いよ。

で、幽閉の原因が、義タツによる親殺しなんだからやっぱり通りは悪かろう。
ほんで、尾張美濃抗争は、謀略戦、みたいなもんだからこれも決まりが悪いような。

ここの過去スレ全部見てるわけじゃないけど、大まかにどういう推論が可能性高し
となってたんだろ。

297 :人間七七四年:2008/10/03(金) 07:29:03 ID:Z2NlZAeA
>>296
何の情報もないから、特に変わったこともなく
本能寺後は信雄から知行をもらい、庵でもたててそこに住んで
表舞台に立つこともなく普通に寿命を迎えて死んでいったんではないかと。

濃姫がタブー視され・・・なんて事件があったらもっと話題になってるよw
信長が死んでから秀吉や家康などがいかに信長が暴君であったか、この暴君に
仕えて耐えてここまできました。見たいな話をでっち上げてるのに、濃姫を幽閉していた、
もしくは殺してしまったなんて出来事が本当にあったら、信長の評判を下げるネタとして
利用されるはず。現に家康は信康と築山殿殺しを信長のせいにでっち上げているし
江戸時代でも信長は悪の象徴でその信長を倒した光秀が英雄扱いされていた時代だよ。
もっと濃姫がらみの逸話や噂でも江戸時代にあってもおかしくないのに、そういった濃姫がらみの話は
まるでなし。しかも光秀と濃姫は従兄弟同士だという噂はあるのに。自分は濃姫にはそれほど
記事にするような出来事は何もなかったんじゃないかと思うね。
確かに、信長公記には女性がらみのネタは書かれてないけど(信長の母親の出自でさえ書かれてない)
公家の日記とか、フロイスにちょこっとでも書かれててもいい気がするけどな。
斎藤家の方にも没年は伝わってないし、情報がなさすぎるよね。

298 :人間七七四年:2008/10/03(金) 08:16:24 ID:uGFBJQ5f
仮に光秀と濃姫が従兄妹同士だからといって、謀反に濃姫が加担した
事実がなければ連座扱いされるわけないじゃん。
従兄妹でしょ?それぞれ実家が異なる。
光秀が濃姫の実家を継いだ兄でもあれば別だけど、
それならそれで大スキャンダルだからあちこちの軍記などに残されるだろう。
だいたい光秀と濃姫が従兄妹同士であって、親しい間柄だというなら
光秀サイドの史料に光秀との関わりがなにかしら記されてるだろうに。
赤の他人なのにうちの祖先は有名人の一族だ、と偽るような
史料だってあるぐらいなのだから、光秀にとっては主君の妻と
従兄妹同士だ、先祖は土岐明智だ、美濃守護の家系だ、
仕官できたのもそのコネのおかげ、とことさら強調してくるだろう。

299 :人間七七四年:2008/10/03(金) 08:51:47 ID:x7OwcggB
濃姫と従兄妹同士ってのは問題外
何故なら光秀の出自自体が全く分かってないから

300 :人間七七四年:2008/10/03(金) 10:04:06 ID:NdI7ybOG
>>297
ありがと。
一応、変後までは生きてた、ということなのね。

で、お返しだが、光秀の出自について研究家が説をだしてた。
奉行衆としてあれだけの地位にあった以上、かなりのものであったろう、って。
別にこのくらいは普通か。

ただ信長の村木砦の時にもう利三の名前が出てくるのは知らなかった。

そういや信長生母については、土田御前、というだけだけど、
このあたりは確実なのかな。
信行とは別腹ではないか、なんてのも聞いたことがあって
不確実なことは多いもんなんだな。

301 :人間七七四年:2008/10/03(金) 10:12:01 ID:DZGl7PuX
>>300
めっさ不確定。
たしか土田の名前が出てくる史料ってのが武功夜話くらいしかなかったんじゃなかったか。

302 :人間七七四年:2008/10/03(金) 10:40:24 ID:NdI7ybOG
>>301
あれそうだった?
ブコウは問題外として、だったら土田も吉乃レベルの架空ってこと?
とすると信長の出自なんてまったくの不明で、信行別腹説、も
ありうるということなのかな。

303 :人間七七四年:2008/10/03(金) 10:51:59 ID:m+MM1ByV
信長生母の出自って、史料によってまちまち。
可児土田氏(どだ)、清洲土田氏(つちだ)、近江六角氏庶流土田氏、
小嶋信房女、佐々木六角高頼女、那古野氏。

小嶋氏と那古野氏は割りと古い史料に出て来ていたと思う。
土田氏は寛政譜に出てくるが、寛政譜自体織田家の系譜は疑問点が多い。

304 :人間七七四年:2008/10/03(金) 10:53:06 ID:m+MM1ByV
ごめん、「どだ」じゃなく「どた」

305 :人間七七四年:2008/10/03(金) 11:00:32 ID:4dzPeBJO
そういえば濃姫は築山殿と似たようなことになってたのかな、
と思ったことがある。築山殿と家康が離縁した、という公的な記録はないが
人質から呼び戻されたのに同じ城に居住をしなかったのは、
二人が離縁していたからじゃないかと思う。家康と離縁したとはいえ
実子の信康に実家のない築山殿がワンセットでくっついてきても
おかしくない。
家忠日記に築山殿を「お方様」「内様」というような表記をせずに、
確か「信康母」だったかの記載があった。家臣からはすでに
家康正室と見なされていなかったのではないかなと思う。

濃姫がどの段階かは不明にしろ、信長と離縁していたとしたら
死後織田家からスルーされてることに納得がいく。
信忠を養子にしたというのが事実であるなら、信長と離縁した後は
義理の息子の世話になっていたのかも。
そうなると信雄分限帳の安土殿は安土に居住しない濃姫ではないとなるが、
一回でも信長正室として安土に入れば濃姫が安土殿と呼ばれても
おかしくはないので、安土入城後に何かしらの理由で信長と離縁し、
信忠が面倒をみていたが、信忠も亡くなったので信雄が
面倒をみてくれたとかかもな。

織田家を離れた濃姫には三法師を後見する義務も権利もないし、
信長の法要を仕切ることもできないし、
足跡がないのも納得できる。
徳川で築山殿のことがタブーになっているというけど、
亡くなる前にすでに家康と離縁していたとしたら徳川には築山殿の法要をする
義務はないし、信康には男子がいなかったわけだから記録がほとんどなくて当然。

306 :人間七七四年:2008/10/03(金) 12:31:57 ID:NdI7ybOG
>>303
なるほど。
出自が確定しないと言うことは逆に「あやしい」というのはうがちすぎか。
織田家統一の中でかなりエグいことやってるし、言われるほど「嫡統」ではなかったのかもしれん。
もちろん信行がそうなるということだが。

307 :人間七七四年:2008/10/03(金) 18:12:43 ID:gEtENNXA
濃姫の姉妹が嫁いでいたという伊勢氏だけど、本能寺の変では光秀に付いてるんだよな。
伊勢氏の娘を濃姫が養女にして池田の嫡男に嫁がせたという説があるし
濃姫とは近しい家だったかもと予測できるのに。
斎藤利三だって前妻は道三の娘なんだから、濃姫と面識があっても不思議じゃない。
光秀とたいして親しくなかったとしても、変後に政治的表舞台に出てくるような
気分でも状況でもなかったのかも。

308 :人間七七四年:2008/10/03(金) 19:35:03 ID:FW8cFAlV
>>307 政治的にひっこんだとしても、葬儀も法要もしてくれないのは
別問題なのでは?仮にも信長の正妻だったのだから。

309 :人間七七四年:2008/10/03(金) 21:16:19 ID:8QqhGZe9
>>308
濃姫は信長の正妻(正室)ではない。

310 :人間七七四年:2008/10/03(金) 21:42:01 ID:Z2NlZAeA
>>305
家康は築山殿だけでなく息子の信康の法要すらしていない
本当に信長の命でやむなくなら信長死後にでもきちんと墓所なり弔うと思うがw
信康は家臣同士の抗争に巻き込まれて、家康付きの家臣たちの対立軸として
祭り上げられた可能性もある。
しかし、築山殿と信康は一緒に住んでないことがわかっているし
なぜ家康は築山殿にまで手をかけたのか、その辺りの事情はよくわかっていない。
家康にどうしても殺さなくてはいけない理由があったんだろうけど。
築山殿の墓とかは実家の子孫に当たる人がきちんと見てくれていたようだね。
濃姫は実家も無くなっているから、そういう見てくれる人がいなかったのかとも思うんだが。
あと、濃姫が離婚していた場合は別に信雄が知行をだす必要もないのでは。
また離縁ならなぜ全く記録に残らないのかも疑問だよな。


311 :人間七七四年:2008/10/03(金) 21:58:34 ID:NdI7ybOG
>>310
家康が築山にも手をかけたのはシンプルに今川方だから、じゃないの?
さらに、不行儀みたいなのもあったんでしょう。

312 :人間七七四年:2008/10/03(金) 23:27:48 ID:FW8cFAlV
>>310 やむなくにせよ本当の理由はどうあれ、武田と通じている、
という謀反の疑いを指摘されたら、実際岡崎衆と信康とに怪しい動きがみられたようだし、
家康も本気で疑ったという可能性も捨てがたい。
父親追放にしろ、武田と通じたにせよ、家康への裏切り行為に他ならない。
家康が事実上信康を徳川から切り離してもしかたないだろうな。
松平忠長の墓も4代将軍から許しを得てもなお、墓が鎖でつながれたままだった。
廟のある立派な墓だったらしいけど(妻の織田氏が手厚く法要したらしい)
謀反となると身内だろうが絶対に許されない罪なんじゃないかな。

築山殿は本当に殺害されたのか甚だ疑問なんだよね。
実際そういう命令をくだしても、公にせずに葬り去ることはいくらでも可能。
病死した、とでも公式の記録に載せればその説がまかり通る。
あのタイミングだから自害したんじゃないかな。
実家もなく、頼るべき息子の行く末は絶望的だし、
大阪城で秀頼と運命をともにした淀殿と同じ心境だったのかもね。
岡崎の信康派もあの時ずいぶん粛清させられてるんだよな。

離縁した濃姫が信雄から知行をもらってるのも違和感あるけど、離縁してない
濃姫が信雄から知行をもらう、というのも違和感あるんだよね。
そこまで面倒みておきながら信雄系統は濃姫の死後のことは完全スルー。
紆余曲折あったとはいえ最終的に信雄系織田家はそこそこのポジションに
落ち着いたんだから、信長正室の葬儀ぐらいきちんとしてあげれば?と素朴に疑問。

313 :人間七七四年:2008/10/03(金) 23:33:16 ID:dl24TXDd
もうこれ以上の議論は虚しい限りだ

314 :人間七七四年:2008/10/03(金) 23:49:22 ID:bI4iff+F
>>312
というか真実がどうであるかはわからないけど、
信忠と同腹だと主張していた信雄サイドが、父の正室を面倒見ていたら
それこそ記録に残っていたんじゃないかと思うんだけど・・・。
濃姫の織田家での実際の地位や権力、立場は諸説あるから置いておくにしても、
「正室」の面倒を見ている俺様。
つまり俺様・信雄こそ正しいのである!
みたいな主張をしそうな気がするんだけど・・・。

315 :人間七七四年:2008/10/03(金) 23:59:16 ID:NdI7ybOG
なにせ信雄に関しては常識があてはまらないということで。

316 :人間七七四年:2008/10/04(土) 01:52:00 ID:iybofRdr
信雄系統って江戸時代半ばぐらい?にまた生駒家と密接になったって話を何かで読んだ記憶が…
でも何で読んだのか、どういう内容だったのか思い出せないけどw

濃姫と直接面識があったと思われる信雄は(兄の養母になるわけだし)
濃姫に対してもそれなりの対応をしたが、信雄系統の子孫にとっては
濃姫より信雄生母の生駒の方が重要視されるようになり
(濃姫が本当に光秀の親類であるなら、その事ででも嫌がられるようになり)
濃姫の存在は忘れ去られていったとかは

317 :人間七七四年:2008/10/04(土) 09:04:05 ID:tz8iCzll
信雄系織田家と生駒家は秀吉の時代からかなり密接になっていくよ。
信雄は秀頼とも家光とも血縁にあたる。(それぞれ信雄の従妹の子)
だから生駒家は信雄との絆は絶対保持したいところだったんだよ。
松平忠長の正室は信雄の姫だし、家綱、綱重の4代、5代将軍は
家光のこで兄弟だから、信雄とも血縁があったし、信雄系は将軍家と親戚筋にあたった。

生駒家が信雄との絆を生母の生駒氏に求めてくるのは当然のことだな。

318 :人間七七四年:2008/10/04(土) 15:51:38 ID:fZhki1Qz
>>312

>>築山殿は本当に殺害されたのか甚だ疑問なんだよね
>>あのタイミングだから自害したんじゃないかな。

自分もそう思ってる。
ガラシャの死の真相だってわかったもんじゃない。
足手まといにならんように石田方に人質にとられそうになったら切れ、という
指令をだしていたかもしれないし。
細川家の文書なんて都合のいいようにいくらでも捏造できるわけだしさ。
家康正室とはいえ、今川の後ろ盾もなく、家康とも不仲で別居していた
築山殿に岡崎衆に対して権勢があったとは思えない。
殺されたにしても、自害したにしても、家康のことを相当恨んでるのは
間違いないだろうな。

319 :人間七七四年:2008/10/04(土) 18:41:00 ID:JflmIG2i
KYですまんが
本能寺の変で信長は200人ぐらい従者がいたらしいがそのほとんだが殺されていると思うんだが
信長以外単体で弔われた人はどれぐらいいるんだろうか。
森蘭丸など親類縁者がいる者は弔われただろうが濃姫みたいな親類縁者がいない人たちは
無縁仏として葬られたんだろうか。
信長ですら秀吉よって弔われるまで本能寺の変後数ヶ月たってたんだから。

320 :人間七七四年:2008/10/04(土) 19:01:21 ID:YrzfD3Py
そもそも濃姫は本能寺で氏んだのか?

321 :人間七七四年:2008/10/04(土) 19:18:39 ID:kHgdtXqC
濃姫が本能寺まで生きていたとしても
安土城から非難した後、どこで住んでいたのかも疑問だよね。
普通に考えれば岐阜城にいたのかと思うんだけど。
もしかしたら、本能寺後のゴタゴタに巻き込まれて殺されてしまった可能性とかも
あるのかも知れないけど。
そういう時って誰かにきちんと弔われたりするのかな。
今の時代みたいにリアルタイムに情報が伝わる時代ではないし

322 :人間七七四年:2008/10/04(土) 19:18:48 ID:ngdFaOXg
築山殿と同じ運命を辿ったのさ
むしろ家康が信長のマネをしたのかと

323 :人間七七四年:2008/10/04(土) 19:43:40 ID:+smRXo2E
最近は信忠の母親は生駒の方ではないというのが定説になっている。何せ、武功夜話は偽物だし、信雄サイドも都合よく書いたということだし。

324 :人間七七四年:2008/10/04(土) 21:59:03 ID:QXWITqEj
安土殿=濃姫、だったら、ねねは変の後尋ねに行きそうなんだがなぁ


325 :人間七七四年:2008/10/04(土) 22:39:14 ID:ngdFaOXg
だから、安土殿は斉藤道三の娘ではないって

326 :人間七七四年:2008/10/05(日) 11:50:42 ID:JBGq/zOn
>>319 濃姫は親類縁者いたじゃん。
信長の妻のまま亡くなったのなら、織田家で葬儀法要するのが当たり前。
斎藤新五郎や妙覚寺に兄弟もいたし、壷事件の時に本妻(濃姫)の兄弟姉妹が
ずいぶんいたんだな、とびっくりした。
ただ濃姫の葬儀法要は信長が亡くなったとしても本来織田家でやるものだろうし、
そういった記録がないのはかなり早い段階で亡くなった、あるいは離縁して
再婚でもしたのかな、という臆測はなりたつ。

327 :人間七七四年:2008/10/05(日) 12:41:03 ID:77ZFOl4p
本家織田家がするのが筋だけど、織田家の子孫が絶対してくれるとも限らないし。
斎藤家がしっかりしてた早い時期に離縁して戻ってきてて
死んでた方がまだ記録に残ったのでは。

328 :人間七七四年:2008/10/05(日) 13:08:06 ID:JBGq/zOn
>>327 斉藤家こそ滅亡したからその可能性のほうが低いでしょう。
その手の記録を伝承保持していく家が残ってないから。
織田家は江戸期を生き残ったからね。
現代に至るまで信長の法要はきちんとしてるわけだし、
正妻の濃姫は知らぬ存ぜぬでは通らないはずだけど。

織田家がスルーということは、信長生前中に織田家とは疎遠だった、
離縁されてたのかな、と思うけどね。

329 :人間七七四年:2008/10/05(日) 13:36:05 ID:77ZFOl4p
離縁して戻って斎藤家の姫として死んでたら、斎藤家の菩提寺常在寺に葬られてただろうし
そうすれば寺の記録や墓の所在までわからないなんてことはなかったんじゃないか。
ここまで記録がないってことは、織田家子孫は信長正室濃姫の菩提を弔う気も無ければ
その記録を残す気も無かった。
仮に離縁してたにせよ、離縁したという記録さえ残そうとしなかったから
濃姫の記録はここまで無いんじゃないか。
知らぬ存ぜぬでは通らないのに、知らぬ存ぜぬしたとしか思えない状態なんだけど。

330 :人間七七四年:2008/10/05(日) 14:02:02 ID:2WFS+zUy
>>328
道三の子孫は江戸期も活躍してますけど???
斎藤家は別に滅亡していませんよw
ただ、斎藤家や織田家にゆかりのある人達は関が原以降はもう尾張にも
岐阜にもいませんから(家康の命で配置転換させられたため)
せっかく信忠が位牌を設置した人物の墓さえ確認できない有様ですしね。
濃姫も守っていく子孫がいなかったため、墓などわからなくなってしまった可能性高いですね。
織田家宗家は三法師で絶え、庶家筆頭となった信雄も改易になるなど悲惨な目にあってますから。


331 :人間七七四年:2008/10/05(日) 14:20:45 ID:OCtGdIDq
信長の葬式や法要は実質秀吉がやってたんだが
長久手の戦い以降織田家は利用価値がなくなったので信雄まかせた。

332 :人間七七四年:2008/10/05(日) 14:54:35 ID:AR1FJdgL
妙覚寺に江戸中期以前の法要の記録が全く残ってないというのが痛いと思う。
火事で焼失したので仕方がないが、濃姫に限らず、斎藤家の人間は
妙覚寺に法要を頼んだと考えられるから、道三の法要や、
もしかしたら濃姫自身の葬儀の記録だってあったかもしれない。

自分は、久庵慶珠が濃姫じゃないかと思っているけど。

333 :人間七七四年:2008/10/05(日) 18:35:24 ID:973QPspS
>>330 江戸期に活躍した斉藤家とはどこの斉藤家?

しかし仮に斉藤家に出戻ったとしても義龍の墓などがきちんとあるのに、
濃姫がないというのは変だ。

斉藤家もスルー、織田家もスルーなら、早々に信長と離縁してその後若いから
誰かと再婚して、そこで亡くなったんだろう。

334 :人間七七四年:2008/10/05(日) 19:18:01 ID:5HBuqr+4
>>333
この考えが一番正しいと思う
結局それしか考えられないね

335 :人間七七四年:2008/10/05(日) 19:24:53 ID:77ZFOl4p
記録がないから、離縁して再婚したんだろうと。
しかし、それも記録が全くないんだよな。

336 :人間七七四年:2008/10/05(日) 19:53:09 ID:fgsAxNk7
信長のもとへ輿入れしたことそのものがなかった、という事はないのかな。
さすがにそれはないか・・・。

337 :人間七七四年:2008/10/05(日) 20:06:27 ID:973QPspS
そういえば義龍の娘を信長が和議のために側室だかによこせと要求し、
それを龍興が「叔母は亡くなってるけど叔母が嫁いだ相手にやるわけにはいかない」
と断ったという逸話なかったか?

338 :人間七七四年:2008/10/05(日) 20:16:02 ID:77ZFOl4p
その話も以前でてたけど、例え亡くなったとしても…って仮定の意味合いにも受け取れる逸話で
どうとでも考えられるよねってことになったんだよな。
信長本妻が生きてるとも死んでるとも両方受け取れるのと同じように。

339 :人間七七四年:2008/10/05(日) 20:30:27 ID:973QPspS
>>338 でも濃姫が本妻として信長の側にいるのに、濃姫の姪を側室によこせ、
と信長が要求するのって、濃姫に対してすごく失礼だしすごく変じゃない?

濃姫がそこまで信長にぞんざいに扱われていたってことになる。

340 :人間七七四年:2008/10/05(日) 21:12:43 ID:77ZFOl4p
側室の姪が産んだ子なら、自分や道三の血縁になるわけだし
養子にして跡継ぎにしてもいいなという濃姫の希望もあったとか。
ちょっと考えすぎかw

341 :人間七七四年:2008/10/05(日) 21:33:01 ID:fgsAxNk7
>>339
自分の縁に繋がる娘を希望したってのも
可能性としてはあるのかもしれんけど・・・。

342 :人間七七四年:2008/10/05(日) 23:01:17 ID:973QPspS
>>340-341 それなら龍興が信長は叔母が嫁いだ相手だから妹を
差し出せない、という断り方はしないのでは?

龍興のところに側室として差し出せと申出があったから
道義的にそれはできない、と断ったのだろうから。

濃姫が養女に所望したとしてもあの状況だと養女といっても
人質と同義語だから龍興は拒否したのかもしれない。
でもそれなら拒否する理由として叔母が云々というのは全然理屈が通ってない。

343 :人間七七四年:2008/10/05(日) 23:29:57 ID:77ZFOl4p
姪が側室になって男子でも産んでくれたら、信長は道三系の男子を得られるし
子供がいない濃姫も自分と血縁のある男子を養子にできるチャンス。
二人にとってはそんなに悪い話じゃないかも。
ってことは龍興にとっては悪い話なので、叔母が嫁いでるのにやれるかよと断る。

344 :人間七七四年:2008/10/06(月) 07:44:46 ID:GhCDe3id
>>343 道三の血縁の男子が欲しいのなら、濃姫の兄弟姉妹から養子を
もらうほうが手っ取り早くない?頼みやすいだろうし。

当時の感覚だと秀吉は従姉妹同士を側室にしてたけど、それはOKで
叔母、姪はタブーだったのかな?

345 :人間七七四年:2008/10/06(月) 08:31:02 ID:94VpYBam
それ以前に、ほとんど信憑性のない史料に書かれた逸話だから。

346 :人間七七四年:2008/10/06(月) 10:04:49 ID:GhCDe3id
でも地誌の類であっても、たとえば道三の娘が信長と結婚したとか、
義龍が道三から実力行使で実権をうばったとか、その後の義龍親子の
あれこれとかって、大筋であってるじゃん。

壷事件のことも、そういう事件が実際あって、斉藤一族や
国人衆の反発にあって信長があきらめたことも言継の日記から明らかだから
地誌の類を鵜呑みにはできないにせよ、書いてあること全てを否定することも
出来ないと思う。

劣性だった龍興に妹を人質(側室)として差し出せば、龍興の命を保障するかわりに
美濃の支配権を信長が得る、というような交渉を織田側がしようと画策したとしても
おかしくないし、実際そういう話があったので伝承として残ったのでは?

稲葉山城の戦いのあとに龍興は追国外放だけで助命してもらってるから、
その時に妹を側室にさしだすなりの命乞いをしたのかも。

347 :人間七七四年:2008/10/06(月) 12:11:35 ID:94VpYBam
>>346
そういう検証の足がかりにするのはいいと思うけど、
背景を考慮しないで、亡くなったとか、亡くなってないとか、
叔母姪で正室側室とか細かい事だけを取りざたすのには、
適さない史料ですよって、事ですよ。


348 :人間七七四年:2008/10/06(月) 12:28:17 ID:yoohXdEL
>>346
お前のような奴は武功夜話も

書いてあること全てを否定することも出来ないと思う。
実際そういう話があったので伝承として残ったのでは?

とか言いそうだな(ゲラゲラ

349 :人間七七四年:2008/10/06(月) 12:40:19 ID:fNtEG5vn
>>303
遅レスでごめん。
信長の出自が不確定ということは一般的に同腹とされる信行の母親の出自も
未確定ということになるよね。
公記には信長ー信行は「御舎弟」とはあるけど「同腹」という記述はないし
この二人が別腹かもしれない、という可能性についてはどうなんでしょう。
二人の対照的な記述、争い、こういうのも「別腹」の可能性を示唆している、という
説が昔から気になっててね。
谷口が、信長がナゴヤ城に入ったのは11歳の時、というのも一般的になってきてるのかな。

350 :人間七七四年:2008/10/06(月) 15:01:55 ID:RcCsWv39
>>348 武功夜話だって全てを否定できないだろう?
事実認定されてる箇所もあるのだから。
そもそもが武功夜話は信長時代は前座みたいなもんだからな。




351 :人間七七四年:2008/10/06(月) 15:21:33 ID:QUdYJJIz
>>350
偽書認定されて必死になってる小和田と全く一緒じゃん

352 :人間七七四年:2008/10/06(月) 15:22:27 ID:fNtEG5vn
>>350
信長、という単語が事実とあってるからといって、それを拡大解釈するようなもの。
ブコウにしか載ってないものはすべてアウト。とすると資料的価値はゼロ。
小和田の最新論文はよんだ?

353 :人間七七四年:2008/10/06(月) 16:07:01 ID:Fxg1uNFo
だが生駒氏から信長の側室が出たのは事実だし、
信忠、信雄、五徳の生母であることも位牌に書いてあるんだから事実だろ?

歴史的観点からしたら、生駒氏から側室がきて、信長の子供を3人産んだ、
ということが確認できれば、それ以上のことはどうでもいい。
愛情がどうのこうのとか、正室のほうが生駒より愛されてたとか
それこそ実証しようもないことにこだわって必死になる連中の気が知れん。

354 :人間七七四年:2008/10/06(月) 17:04:23 ID:wOexhuBc
>>349
ほんとに公記を読んだのか?
公記には、
信長の「お袋様」が末盛城に信行と一緒に住んでいて、
信行が戦で信長に負けた後に、
赦免願いの使者を出したことが記述されている。
これにより、信長信行は同腹であることは明白。

355 :人間七七四年:2008/10/06(月) 17:27:20 ID:fNtEG5vn
>>354
原本が手元にないけど、「御生母」とか「御袋様」だよね。
微妙な表現ではなかったかな。
もう一つ、信長が家督を譲られた、なんだけど、これもそうした明確な記述は
あった?
津島の安堵状とかから、家督を譲られていたのだろう、とは聞いたりするのだけど
いつの時点で、とかそういう「譲られた」という明確なのはあったっけ?

356 :人間七七四年:2008/10/06(月) 17:46:09 ID:yoohXdEL
スレ違い
そういう事は信長スレでやれボケ!

357 :人間七七四年:2008/10/06(月) 18:58:23 ID:oC4keFOG
>>353
でもその位牌って江戸時代に作り直されたものじゃなかったっけ

358 :人間七七四年:2008/10/06(月) 19:19:48 ID:yoohXdEL
>>357
この手のアホは、猿飛佐助の墓があるから実在したなどと思い込むんだよ

359 :人間七七四年:2008/10/06(月) 19:57:58 ID:94VpYBam
信長公記原文では
「信長の御袋様 末盛の城に御舎弟勘十朗殿と御一所に御座候に依つて」
という一文だな。
一緒にいた訳だから、同腹と考えられるが、同腹とも、勘十朗の御袋様とも
その前後にも書いていないので、色々な解釈になるのだろう。
末盛城は信秀の居城であったから、城を与えられていない子供が
信秀死後そのままいる事は、おかしくないからな。
しかし、御袋様なので、赦免を願い出たのが信長生母であるのは間違いないとしても、
それが信秀正室とは書かれていないのだから、実は単なる側室の御袋様の同腹とも解釈できる。

360 :人間七七四年:2008/10/06(月) 20:09:43 ID:sZ+mZnac
信長は死せず...、野望は世界に...。

国盗り学習ゲーム世界戦国編β版公開
URL : http://soresuta.jp/


361 :人間七七四年:2008/10/06(月) 20:31:36 ID:+9h9WYiM
>>359
そう、信行が自分の実子じゃなくても必要とあらば助命嘆願
してあげてもおかしくない。
実子じゃなければスルーするとも言い切れないしな。
まだ幼い信行にそんなに強い野心があったとも思えず、
家臣たちの陰謀に祭り上げられただけなのだろうから、
そのことを信長に言ってあげて、助命を願ったのかもしれない。

それから自分も「お袋様」という表記が気になる。
お袋様となるとやはり信長生母は側室だったんじゃないかな。
幼少期の暴れっぷりは別の見方をすると、後継者と見なされない庶子ゆえに
野放しが許された立場だったとも解釈できる。
その後嫡子が亡くなったとか、生まれなかったとかで後継者になれたのかも。

362 :人間七七四年:2008/10/06(月) 20:35:05 ID:fNtEG5vn
>>359
信長が側室の生まれ、というのはいいんでないの。
問題は「本来誰が信秀の正式な跡継ぎか」ということで、
一般に嫡統信長、とか、家督を譲られていた、というけどそれが
どこまで確認できるのかな、ということで。

これは、織田家統一の過程でいかにも信長が正義の味方みたいに
表現されるけど、言われるほど織田家の中で「正当な跡継ぎとは認められて
いなかったのではないか」ということで。
血統的にも行状的にもね。
さて、濃姫までもう少しだ。

363 :人間七七四年:2008/10/06(月) 20:43:11 ID:fNtEG5vn
>>361
後半部分に関してだけど、信長と信行の描写の対照ぶりは
信行こそより後継者と認識されていたのではないかと感じる。
実の弟を殺すなんて、それなりの必要があった、と考えたほうが無難なぐらい。
ほんで、後継者になれた理由なんだけど一つ推論がある。
長くなるからうまくスレがつながってからにする。

364 :人間七七四年:2008/10/06(月) 20:43:52 ID:LR1tTnAu
以前に通った道だなあ。

二人の庶兄を差し置いて、信長はどういう根拠で相続できたんだ?
信秀死後にいっきに一族はバラバラになったようなイメージがあるが、実際には
死後も弾正忠家一族は信長を中心に纏まって行動している。
少なくとも弾正忠一族の中では「正統な跡継ぎ」と認められていた。
むしろ、信勝や信広を正統とみなすような痕跡がどこにあるんだ?
まさか信長以降その手の証拠は全て抹殺されたなんて陰謀論か?

365 :人間七七四年:2008/10/06(月) 21:13:25 ID:fNtEG5vn
>>364
以前は信広、信長、となってたんだが最近は三男というのが定説なの?

信長を中心に行動、というけどそれは年齢的なものじゃないのかな。
そして「正統な跡継ぎ」として認められていた、というのをもう少し詳しく
教えてくれない?
津島とか今の瑞穂区あたりの安堵状とかの古文書のことかな。
ほんで信広ははっきり「庶子」となってるからおいといて、信行は反乱起こした
時も柴田とか家臣が従ってる。
幼少の信行を家臣が祭り上げたのなら、信長は「正統な跡継ぎ」とは認められて
なかったってことにならない?

366 :人間七七四年:2008/10/06(月) 21:53:42 ID:94VpYBam
信勝は元服して子供もいるんだから、幼少ってほどの年齢じゃないだろう。
天文5年の生まれとされるから、信長とは2歳しか違わない。
信長が濃姫と結婚したとき、信長は数えで15歳だが信勝だって13歳という事になって
当時としては、元服して婚姻するのに、早すぎるという訳ではない。
信勝が嫡男なら、濃姫は信勝と婚姻するのが普通じゃないだろうか?

367 :人間七七四年:2008/10/06(月) 22:07:52 ID:fNtEG5vn
>>366
ま、幼少ってのは言葉のアヤだ。
で、信友の時も「信行に家督を」いうのを理由にしてるし、弾正忠を信長よりも
先に名乗ったのは信行だし、信行が「正統」というのの間接的な痕跡というか。

で、濃姫婚姻、なんだけど、結局信秀急死で「正式な家督相続者」が決まって
なかったのではないだろか。同じ側室腹で年上でそれなりの実力のあった二人が
そういう立場にあった、その二人の家督争いであって従来言われてる信長が正嫡、
というのはどこまで確認できるのだろう、と。
だから、家督を譲られた、というのの質問をしたのだよね。
ほんで、濃姫というのは年上でその時点では単に順番で婚姻したのでないかな。


368 :人間七七四年:2008/10/06(月) 23:06:48 ID:94VpYBam
つまり、正嫡がおらず、尚かつ、信長と信勝が、
別々の側室腹の可能性についての考察だな。
その場合、濃姫は信長の1歳下、信勝の1歳上となるので、
年齢的にはどちらでも不自然ではないが、
働きかけたのが、信長宿老の平手であったのが、
決め手になったと考えられるのかな?
信長公記に登場する信勝側家臣の顔ぶれからして、
平手のように美濃と手を組む案を、出して来れなかったとも、
考えられるかもしれないな。

369 :人間七七四年:2008/10/06(月) 23:31:51 ID:fNtEG5vn
そして、平手自決、という問題にも関連してくる。
これを濃姫の消息にからめるのはさすがにあれかもしれないが
このスレでは、史料を出せなんてヤボなことは言われないだろう。
信長、信行どちらが平手にとって重要だったのだろう。
うつけ信長を政略結婚のだしにして、本命は折目正しき信行、
もしかして信長はこの頃濃姫になんかやらかして、美濃に対する責任を
とって平手自決・・すげぇ妄想だな・・

370 :人間七七四年:2008/10/06(月) 23:55:14 ID:wOexhuBc

信行が後継者っぽく見えるのは、信秀の本拠・末盛城に住んでいて、その死後、城を受け継いだこと。
有力な家臣の多くに支持されていたっぽいことくらいだろう。
弾正忠の名乗りは信長への喧嘩売りかもな。
実際、信長の領土を荒らしたことが戦のきっかけになった。

濃姫の結婚相手は、信秀の嫡男で、将来的に婿を通じて尾張を支配できるかもしれない可能性があるから道三も和睦を了承した。
庶子だったら拒否られていたはずだ。
信秀の死後、守護代の織田信友が勢力を拡大しようとしたのに対して、織田家の権益を守って戦っていたのは信長。
村木砦や鳴海城などの攻撃で、今川勢と戦ったのも信長。
叔父である信光、信次も信長に協力していることから、織田一族は信長を嫡統と認めていると見える。


371 :人間七七四年:2008/10/07(火) 00:15:52 ID:NWXtZiRl
>>370
基本的にはそうなんだが、信長、信行が同腹として、信長が戦ったのは単に
年上だし戦上手だったからではないのかな。
でもうつけだし、信長に家督譲ったら大変なことになるぞ、と。
だから信行が反乱起こした時に柴田や家臣がついたというのも、あのあたりで
信長を殺しておけば、信行があとはまとめてくれる、織田家相続、というのはどうだろう。

さらに、別腹、とするならもっと簡単で要は正式な家督相続者は決定してなかった、それだけの
ことだと思うのだよね。
それといったんは許した信行を最後は殺した、というのも重要で、2回も反抗したからだ、
ですまされてるけど、やはり必然性があったようにも思う。
それを言うなら織田家の統一で一族の死に信長が加担してるんじゃないか、ってのは研究家
も認めてるフシがあるけど、これも正嫡じゃなくて、一種の乗っ取り、みたいな解釈も
できる。
濃姫はその渦中で犠牲に・・

372 :人間七七四年:2008/10/07(火) 01:17:41 ID:NSusiMyp
>>371
典型的な「結論ありの前提解釈」ですな。
一度許したが再度背いたので殺した。これのどこに何かの矛盾が?逆に、信長のとって
信勝がどうしても許しておけない存在だったら、一度目の敗戦の時にとっとと処分を
降しているだろう。
すでにでているが、両者の嫁取りをみただけで、信秀や織田家中が信長と信勝のどちらを
正式な跡継ぎと看做していたかがわかる。方や隣国の一国を支配する大名で、家格を
言えば正当な守護代家の娘に対して、方や支配下のたいした勢力も持たない一豪族の娘。

繰り返すが、信秀が死んだときに信長に背いた、敵対した弾正忠家一族は一人もいない。
みな信長に従っている。

373 :人間七七四年:2008/10/07(火) 02:29:44 ID:ihyt7oDF
>>371
>織田家の統一で一族の死に信長が加担してるんじゃないか、ってのは研究家
>も認めてるフシがある

誰が認めているんですか?
一族の死とは、叔父・信光、弟・秀孝、信時、信行をさすと思うけど、
彼らを信長が殺したという根拠は何ですか?

374 :人間七七四年:2008/10/07(火) 02:40:17 ID:NSusiMyp
>>373
たぶん、谷口克広氏が叔父信光と兄弟安房守の死を信長の陰謀と看做していることだと思う。

個人的には谷口氏の見解には賛同できないが。両者の死に、信長にメリットがなくむしろ
デメリットが多いこと。その論を見ると、不利な史料を無視して都合のいい情報しか用いて
いない。

375 :人間七七四年:2008/10/07(火) 11:39:26 ID:NWXtZiRl
>>372
再度背いたので殺した、この解釈に矛盾がある、なんて言ってませんよ。
それも理由のひとつではあるけどさらに深い考察、という意味ですね。
それと、信長、信行、どちらを正式な跡継ぎと認めたか、ということは少なくとも
両者は立場は同じである、ということでいいですか。
つまり、信長の母の出自が確定など「正嫡」かどうか、正式にいつ「家督を
譲られたか」これの確認なわけです。
で、信秀が死んだ時に信長に背かなかった、というのはもちろんそうだと思いますよ。
この時点では、家督争い、は起きてませんからね。
もちろん信長の織田家統一もまだ始まってません。
このあたり、こちらの論の誤読があるようですのであしからず。


376 :人間七七四年:2008/10/07(火) 11:58:28 ID:NWXtZiRl
>>374
谷口も最近の本で言ってますね。
不利な史料、というか首巻があやふやということを前提としての推論ですので
そこは大きく解釈してもらいたい。

大きな意味で織田家混乱の中で信長は最終的に織田家を自分のものにしている。
しかし、信長は戦上手というより、謀略にも長けていた、というのはいいですよね。
なので「正式な跡継ぎ」が織田家をまとめた、という一般的な今の解釈はあくまで牛一の
記述によるわけであり、「出自」とか「正式に家督が譲られた」とかこのあたりの記述がないのは
どうしてだろう。
当然信長の「正統性」の記述はあるべきで重要ではないか、それがないというのなら、首巻も
また別の読み方もできるのではないか、ということです。

ま、20年弱前に流行った説の受け売りで、濃姫を考えるに当たって当然のように思われてきた
「信長正嫡」「家督を正式に譲られていた」とこういうのの再確認から、また違った論も
でてくるのではないか、ということです。

繰り返しますが、解釈、ではなく、「信長、信行同腹」とか「家督継承」というのが事実として
確認されている、というレスがないのが不思議なぐらいです。
また、平手清秀、という名前も公記にはないのでしたっけ。
何気に定説というか疑問も持たずに通過しているところが、案外不確定なのが
信長の尾張時代なんですよね。

377 :人間七七四年:2008/10/07(火) 12:32:46 ID:8c0D/Bib
>>376
信秀は42・3歳で、まだまだ死ぬと思ってなかったのに急死したんだから、
信長が、「家督を正式に譲られていた」という記述がないのは当然だろう。

9歳だか11歳だかで城を譲られてること、
有力な重臣をつけられてること、(そのうちの林は裏切るのだが)
濃姫を娶ったこと、
叔父の信光、信次、祖父の弟の織田ゲンバ(?)だかも信長に協力していること、
織田信友、今川義元との戦争に信長が中心になってやっていること、
信秀の葬儀も、信長の到着を待って始まったと描写されていること、
・・・十分に「正嫡」として扱われていると思うが。

「同腹」でなかったとしたら、信秀の死後、「信長おふくろ様」が信行と同居を続けるのは不自然だろう。

378 :人間七七四年:2008/10/07(火) 12:42:28 ID:NSusiMyp
>NWXtZiRl

>さらに深い考察、という意味ですね
何かしらの根拠があってのことでなければ、単なる妄想です。小説ならそれでもいいんですがね。
で、信勝が再度の謀反で殺されたのには深い理由があるというのなら、その根拠は?どうして信長に
信勝を殺さなければならない積極的な理由があったのに、一度目の謀反時に殺さなかったのか?
ここで理由が「信勝の方が正嫡だったから」というのならそれこそ「結論ありき」ですよ。

>両者は立場は同じである
生まれの面ではおそらく同じだと思いますよ。どちらかが嫡子でどちらかが庶子なんてことは
なかったと。ただし、信秀死亡時には大きく差を開けられていたでしょう。後継者とそれ以外の
兄弟と。でなければ、>372のような二人の嫁取りに大差が生じる理由がない。

>当然信長の「正統性」の記述はあるべきで重要ではないか
解釈でいいのなら、別の解釈も成立します。つまり、一々説明する必要もなく正嫡だったことは
周知で自明のことだから、わざわざ宣伝したり書き残したりする必要もなかったと。
古今東西、己の正統性を声高に主張するのは、実はその正統性に絶対の自信がないから。
もし信長があなたの想像のように出自が怪しいのであれば、逆に正統性を大きく主張していたでしょう。

信長が本来の正嫡でなく、様々な工作の末にのっとったというのなら、その形跡は大きく残ります。
徳川家ですらあれだけ家を飾り立てても、三百年後には証拠資料も出てきて暴かれているのに、天下人
ですらなかった織田家は完璧に隠蔽捏造をやってのけたと?

あなたは解釈解釈と言うが、それは「信長の出自は怪しい」という結論を前提にした解釈です。


379 :人間七七四年:2008/10/07(火) 13:07:00 ID:sDWVOOXM
>>377
>「同腹」でなかったとしたら、信秀の死後、「信長おふくろ様」が信行と同居を続けるのは不自然だろう

側室である信長御袋様なら、信長が引き取るのが筋だからな。
正室であれば、信秀居城に引き続き大方殿様として住んでいても問題ない。
信勝は、他にもらえる城がなかったから、信秀存命寺は城をもらえず、
急逝後はその辺りはっきりされていなかったので、城を持ってないけど
そのまま末盛に居座って末盛城主風に振る舞ったという所だろうな。

380 :人間七七四年:2008/10/07(火) 17:39:59 ID:NWFScMoW
>>377
なんですよね。
で、信長が家督を譲られていた、とする根拠は天文十八年の文書にまで遡る。
この時、信秀はまだ生存中。いつ他界したかは難しいけど、生きていた、という点ではいいよね。
とすると信秀生存中に実質家督が譲られていた、とするのが定説のようで
それならもう少し明確に記録に残っててもいいと思うんだ。
それが残ってない、というのは自分なりに推論があるのだけど、結論から言うと
信長、信行、どちらが家督を正式に継ぐか信秀他界時に決まってなかったのではないだろうか、
ということ。

それと話が戻るけど、信行反乱というのはどういう理由になってますかね。
信長正嫡だったら、柴田とか家臣が信行に加担するのもちょっとおかしな気がする。
よく「家督争い」と言うけど、信長正嫡が信秀生前から確定事項なら
母や旧家臣が信行側につくというのがこれもよくわからなくて。

信長の扱われ方は「正嫡」と確定というより、その時点時点においての「家督継承最有力者
候補」ではないか、という感じで。
おかしな言い方だけど、出自が確定しないと言うのがどうも難儀なとこなんですよね。

381 :人間七七四年:2008/10/07(火) 21:22:19 ID:NSusiMyp
>>380
一応同腹で、年長の兄で、長年の腹心と尾張一の大族と先代以来の織田家の躍進を支えた
津島衆を付けられて、嫁として一国の太守かつ家柄は上の娘を与えられた信長が、信勝と
比べられて決定されてないとする根拠は?

>柴田とか家臣が信行に加担するのもちょっとおかしな気がする
別におかしな話でもない。柴田はあくまで信勝に付けられた信勝の臣で、信長からしたら
陪臣になるのだから。

>「家督争い」と言うけど
そう、この言葉が実は間違いというか誤解のもと。現実は継承を巡る争いではなく、総領の
座を奪おうとする企みに他ならない。

>出自が確定しないと言うのがどうも難儀なとこなんですよね
それ言ったら、信勝の方がもっと不確定なんですが。

>信長の扱われ方は「正嫡」と確定というより、その時点時点においての「家督継承最有力者
>候補」ではないか、という感じで
その通り、信秀生前のしばらくはそうでしょうね。
しかし信秀死後は、その最有力候補が順当に継承した。以後、正嫡は信長で信勝はいざという
ときのスペア扱いではあってもそれ以上にはならない、信長がいる限り。

382 :人間七七四年:2008/10/07(火) 22:00:09 ID:NWFScMoW
>>381
いや、ひとつひとつについて自分も同意ですよ。
ただ378に戻ってこちらの前提の「信長の出自が怪しい」というのは共通理解ではないのかな。
さらに、信行のほうがさらに怪しい、と言われるのなら結論を前提、ではなくて、これがまず
「大前提」で、そこから解釈をするというのはいいのではないのかな。
つまり、どうして明確に記されてない?、ということですよね。

そして、個々の論に対する回答、例えば「総領争い」ですけど、これがどうして起きたのだろう、
と言う点にはお答えがかえってきてない気がします。
柴田が加担した点でも、信長が「正嫡」としたならやっぱり不自然に思います。
母同様「謀反」に加担したわけですよね。

こういった個々の点に対してうまく説明できる「説」があるのではないか、というのがこちらの基本で
決して「結論ありき」ではないと論法的に思ってますがどうでしょう。
このあたり、ちょっとお互いの根拠が混乱してる感じがしますね。

さて、話を思いっきり戻しますが、信秀は財力で織田家の地位を確定した、みたいに言われ
実際に朝廷に4000貫寄付したりしてますが、この財力はどこからきたとお考えですか?
「うつけ」で信秀葬儀でも乱暴な振る舞いをするような信長にどうして隣国から嫁がきたか。
政略結婚、と言うのはもちろんそうですし、その時点で「最有力者」であったからでしょう。
これにも関連して、信秀の財力について、どうお考えですか。

さらに381の最後の「順当に継承した」というのはいつの時点で、またはどのような事実が根拠に
なってますか?これによって「家督争い」か「総領争いか」の解答が少し変化してくる気もします。



383 :人間七七四年:2008/10/07(火) 22:14:27 ID:sDWVOOXM
信秀の財源は、熱田と津島の湊利権だろ。
積み荷額の100分の1が、当時の一般的な税率。
史料の残っている越前なら、年間60億くらいの収入だ。
越前よりも落ちるとはいえ、二つの湊利権を押さえているのは大きい。
特に疑問に思うほどの事もないと思うがな。

384 :人間七七四年:2008/10/07(火) 22:33:43 ID:FDulwrx3
それより秀吉が播磨を信長から任されていた頃
どこからあれだけの金を持つに至ったのかさっぱり分からん

385 :人間七七四年:2008/10/07(火) 22:34:38 ID:NSusiMyp
>>382
>柴田が加担した点でも、信長が「正嫡」としたならやっぱり不自然に思います
武田晴信が信虎に対して謀反を起したとき、板垣や甘利などの家来が加担しました。
信虎が「正嫡」だとしたら不自然ですか?
武田義信が信玄に対して謀反を起したとき、家来の飯富虎昌が加担しました。
信玄が「正嫡」だとしたら不自然ですか?
ところで、信勝謀反の時に信長に付けられていた佐久間一族は信勝を切り捨てて信長に
鞍替えしています。「正嫡ならば家臣が謀反に参加するのは不自然」と考えているあなたは、
信勝を裏切って信長についた佐久間をどう看做すのですか?あなたが期待しているように
信長でなく信勝が正嫡(により近い)としたら、佐久間一族は正嫡を裏切って庶流についた
ことになります。あなたの考えでは「正嫡なら家臣が謀反に参加するのはおかしい」んですよね?

何に不自然を感じているのかさっぱりわからないんですが?
あなた、ひょっとしてこの時代の武士が江戸時代のような主君への儒教的絶対忠誠を
持ち、主君に対しては通常謀反など絶対に起さないなんて考えているんですか?

>信秀の財力について、どうお考えですか
津島を押さえることにより伊勢湾海上交易を抑えた。他にもあるかもしれないが。
ところで、これが何か?

>「順当に継承した」というのはいつの時点で、またはどのような事実が根拠になってますか?
厳密にいつとは史料を持っては確定できないが、信秀死によって。
根拠は、一族が信長の指令に服しているから。例えば、末森衆も信長の出陣命令に従っている。

>「総領争い」ですけど、これがどうして起きたのだろう
信勝が具体的に行動を始めるのはだいたい1555年当たりから。
前年の54年に、信長を支持し続けてきた弾正忠家の長老にもなる叔父信光が死ぬ。
またこの年には村木攻めがある。どこかの文章で見たのだが、この攻城戦で信長は勝利は
収めたが軍に大損害を受けている。この直接軍事力の低下が、結果として織田一族内部での
信長の支配力影響力の低下に繋がり、信勝と末森衆が下克上を狙う直接の契機になったと。

>個々の点に対してうまく説明できる「説」があるのではないか、というのがこちらの基本
その「説」というのが、信長は正嫡ではなかったという前提で語っているじゃないですか。
それを「結論ありきの論法」と言うんです。

386 :人間七七四年:2008/10/07(火) 22:40:42 ID:H/4qbcnO
秀吉の財源は山陰の銀山じゃなかったっけ

387 :人間七七四年:2008/10/07(火) 23:26:26 ID:NSusiMyp
>>385
間違いに気付いた

>信勝謀反の時に信長に付けられていた佐久間一族は信勝を切り捨てて
逆ですね。「信勝に付けられていた佐久間一族は〜」です。

388 :人間七七四年:2008/10/07(火) 23:44:11 ID:NWFScMoW
>>385
少し落ち着きませんか。

>>383
津島などの利権は確定として、当時は法律も警察もないしその税をちゃんと払うかどうか
これは別問題ですよね。なので津島を押さえる、というのもそれなりの今で言う「警備」
というか「防犯」というか実力行使の出来るシステム、そういったものが必要だったでしょう。
とすると、信秀はそういった意味での安定した「保安体制」みたいなのを持っていたでしょうし
これをいかに子供たちの代に受け継がせるか、そういったことを考えていたでしょう。
あ、もちろん、推論ね。
で、信長というのはうつけとは言われますが行動的であったでしょうし、こういった
意味合いで若くして津島などの「警備部長&用心棒」というか、そういった感じで
織田家内において信秀からも抜擢される実力者、そういった素養は早くからあったと
思うのですよね。
これが、濃姫婚姻、にも関連してくるように思うわけです。

よく信長の親衛隊、とも言われますが、こういった時期に他の若い家臣から見たら
「実力もある、ケンカも強い、お金もある、若きリーダー」という感じで相当に求心力と言うか
慕われていた、それが信長の回りにたくさんいたと思うのですよね。

年上の信広に比べても、「庶子だから」とかそういったのとは違った信長個人の
実力、人望、そういった事の話なんだけど、なんだかうまく言えないな。

というわけで385さん、「信長は正嫡でなかったという前提で語ってる」と言われますけど
正確には「正嫡だったという確認はできないですよね」というところを前提に語ってるわけですよ?
最初の最初が「信長の母、出自がはっきりしない」「公記にはっきり、家督継承者、とか正室の長男、
とか、いついつどういう風に家督を譲られたという記述がない」というところから始まってるのでは
ないのでしたっけ?
だから「順当に継承した」という理由に「一族が信長の指令に服しているから。例えば、
末森衆も信長の出陣命令に従っている。」と言われるなら、それはそれ以外の理由も考えられる
という意味で信秀財力ー津島の話をしたのですけど。

それと結局は同じ事を言ってるかもしれなくて、自分は信長ー信行争い、の時点でもまだ
家督ははっきりしていない、と思ってます。これは公記を信じてそういった明確な記述がないから、
です。では、どうしてはっきりした記録記述がないのか、ここで初めて「正嫡ではなかったからで
ないか」というのが出てきます。
長くなったのでいったん、やめます。



389 :人間七七四年:2008/10/08(水) 00:18:29 ID:D2FYDiHC
>>388
あなたは太田牛一と信長公記を過大評価しすぎています。

太田牛一は信長の秘書でもなんでもない、一介の武士です。織田家の中枢にいたわけでもない。信長のすく側で
仕えていたわけでもなく、特に若い尾張時代の頃は柴田勝家に仕えていた、つまり元は末森の人間で、厳密に
言えば織田家の直臣でもない陪臣です。
信長公記は織田家による編纂でも正式な家譜でもなんでもない、牛一個人の記憶と記録を纏めた私的文書です。
織田家に残されていただろう史料等を参考したわけですらないのです。

>津島などの利権は確定として〜
この段、完全に根拠のない個人の妄想ですね。

>「信長の母、出自がはっきりしない」「公記にはっきり、家督継承者、とか正室の長男、
とか、いついつどういう風に家督を譲られたという記述がない」
信長公記は、牛一が知らないことは書けない。牛一ごとき軽輩が家の内部について知らないことだらけで何が不思議?

>信秀財力ー津島の話をしたのですけど
織田弾正忠家の力の源泉を、信秀の生前から信長が掌握している。これが継承の根拠でなくてなんだと?
それとも、信秀は弾正忠家の根本を正嫡でない信長が掌握するのを黙ってみている無能だとおっしゃいたいので?
ちなみに平手や林は信秀の命で信長に付けられたんですけど。


ところで、質問にはちゃんと根拠をもって応えてくれませんか?
妄想の垂れ流しで逃げていないで。


390 :人間七七四年:2008/10/08(水) 00:58:12 ID:y9B7Yyit
>>389
あれ、逆ですよ、公記の首巻なんてかなり「信用」してません。
で、話戻しますけど、一般に信長が正式な家督継承者、というように話されるので
確認するとそうではないですよね、あくまで推論なわけです。
なので、それこそこちらから見たら、389さんのことではないですよ、「結論ありき」
なわけで、こちらは「信長の出自不確定」という確認さえできればいいわけです。
ここからは、どちらも「推論」なわけですよね。
それだけです。

で、質問と言うのは、柴田とか佐久間のことですか?
こちらの言い方もおかしかったかもしれないけど、家臣がより強いほうにつこうとした
ぐらいにしか思ってません。

それと、お互い推論で語ってる部分もありますし、こちらは根拠なし推論と
前提で断ってるので、妄想、とか言うのは遠慮してもらえないかな。
「筑紫の僧〜」は牛一の創作、ということでここでも共通理解が得られているようですが
これを「牛一の妄想」というのもなんですしね。

ほんで「信秀財力ー津島の話をしたのですけど」ですが、「〜力の源泉」を信長個人の資質が
獲得したのと「正式な家督継承」とは違いませんか?

「信長公記は、牛一が知らないことは書けない。牛一ごとき軽輩が家の内部について知らない
ことだらけで何が不思議?」に関してですけど、別に不思議、とかそういうことが言いたい
わけではありません。
何度も繰り返しますが「全ては公記の首巻はあやふや、信長の出自〜」というのを確認したいだけです。

ちなみに以前にこういった話をした時はその方は信長の家督継承を天文十八年以前に求めてました。
根拠は発給文書ですね。
で389さんは信秀死後、とのことですよね。
なので、同じ「信長家督継承」についてもいろいろ考えが違う、ということの参考になっています。

とりあえず、こちらの主張点は最初から「信長の出自〜〜は確認できない」ということで、
それからいろいろ推論や個々の例、解釈、を出しましたが、決して「結論ありき」ではないと
言う点に関してはどうでしょう。
一番最初から「あなたのは結論ありきです」というのがどうも、誤解と言うか、ズレてる気がします。
381の最後に関して同意で、信行スペア、というのもそう思います。

さて、今、史料編纂所が公記の調査をしてますよね。
データベース化されるというのも楽しみですが、新たな公記が見つかって
首巻部分の補強や濃姫に関しての新たな資料がみつかるか、楽しみにしてます。


391 :人間七七四年:2008/10/08(水) 06:34:48 ID:e/n8uBOt
>>390
議論がしたいなら、もうちょっと論理というものを身につけてからにしたらどうか。
論拠は妄想にすぎないし、相手の質問には論点をずらして逃げまくるし
(論点をずらしているという自覚すらないかもしれんが)見るに耐えん。
ただでさえスレ違いなんだからもう勘弁してくれ。
どうしても続けたければ別のところでやれ。

392 :人間七七四年:2008/10/08(水) 19:26:19 ID:nwJfxQ5g
信雄は平手の後家にも知行をだしてるので、信長生母は平手と姻戚関係にでも
ある人物だったのかも。
若君の側近は生母の実家筋が重用される傾向があったから。

393 :人間七七四年:2008/10/08(水) 19:32:13 ID:VFfjHwL3
>>391

あんた何朝からイライラしてんだ?
そんな文章垂れ流したいなら>>391がヨソにいけよ。

394 :人間七七四年:2008/10/09(木) 00:02:14 ID:ozWlUTvV
どうでもいいけど、信勝が正嫡だとしたら
濃姫と結婚してたんじゃないの?
年齢差も別におかしいわけでもないし。
信長と信勝の正室を考えた時に、後者が正嫡だとは思えないけど。

395 :人間七七四年:2008/10/09(木) 00:15:20 ID:5AuvpCZI
それにしても、ここまでスレ伸びてるのに
肝心の濃姫に関することはほとんどないね。
思うのだが濃姫は当時なんと呼ばれていたんだろうか
徳姫は岡崎殿だし、お市は小谷殿だっけ?
何かしら共通の呼び名(ひと目で本人とわかる)があるのに
濃姫の場合はその呼び名が見つかっていないのが
ここまで史料を検討するにしても難しくしてるよね。
おそらく安土に入ったなら安土殿だろうし、安土に入る前に他界していたなら
岐阜殿や美濃御前とか呼ばれる筈だし。
キリスト教の史料には濃姫かと思われる呼び名に「尾張の奥方」と記されているようだ。
もしかしたら、濃姫は尾張にずっといたのでは。もしくは尾張時代に亡くなっている可能性もないのかな。

396 :人間七七四年:2008/10/09(木) 08:15:29 ID:luMpme8/
>>394 濃姫が嫁にきた段階では信長が後継者認定されていたのは確かだと思う。
庶子にしても信行の兄であるから、長幼の順でそうなってもおかしくない。

ただ家臣間に信長では納得できないなにかがあったんだろうな。
母親が信長を疎んじ、品行方正な信行を溺愛してたから、というのはなさそう。

397 :人間七七四年:2008/10/09(木) 09:08:22 ID:luMpme8/
以前思ったことがあったんだけど、
もしかしたら濃姫との婚姻は庶子でもなんでもとにかく長男だから、
という理由で嫁をもらって、とりあえず暫定嫡子という扱いだったのが、
信秀が急死したことで、はっきり先代から嫡男としてのお披露目もされないままに
織田家を継いだ形になったので謀反をおこされたのかもしれない。

信秀死後も道三の後見というのが信長の強みでもあったろうから
家臣たちも文句はいえなかったろうけど、
代代わりすれば自分が重用されなくなる連中としては、
信長の側近にやられた感が強かったかも。
もしかしたら不穏な空気を察して信長が嫡男になれるように信長側近が謀って
信秀を毒殺した、あるいは道三があの段階で娘婿にあとを継がせたくて
謀ったとか、と疑心暗鬼になったらもともと正統性に疑問をもっていた
連中が謀反をおこしてもおかしくないかな。

398 :人間七七四年:2008/10/09(木) 13:21:32 ID:sDPsNGee
だったら信秀の死の直後に行動を起すだろ。
さらに、そんな疑惑が動機だったのなら、謀反を起したときの大義名分として主張するだろ。

「信長は先代の父信秀を殺して家督を奪った悪人である!」
「我々は先君の仇を討つために立ち上がったのだ、謀反ではない、正義の行いである!」

ってね。この手の宣伝は真実かどうかは問題じゃない。しかしそんな形跡はかけらもない。
信勝の謀反なんて、信長の所領を横領することから始まったんだぜ。そんな疑惑があるの
なら、何故それを声高に主張することで己の正義を宣伝して信長の正統性を否定しようと
しない?何故、他の織田一族は信長に従った?

根拠も挙げず妄想だけで論を語れるのなら楽なことはないなあ。

399 :人間七七四年:2008/10/09(木) 13:45:37 ID:IqVt5uUe
>>398
それに関しては公記が信長の立場に立ってるから、都合の悪いことは
書けなかった、という意見が当然かえってくるんじゃないか。
合戦とか事実に関しては超一級史料だが、首巻、の信長に
関することは案外不明確。
創作部分もある、というのはある意味ここでの共通理解だろうし。

濃姫に関してもだが、単に牛一が知らなかっただけ、と、知ってても
隠さざるを得ない事情があったのではないか、というのは
どちらも少しは根拠もあるし、個々の例において検証する時に
どちらにより重点をおくか、の違いぐらいだろうか。

それとこのスレが結構伸びてるのは推論ありで語るという暗黙の
了解、なにせ史料ないもんね、だから「妄想」とか言って否定すると
ほとんど何も語れないのじゃないか。

400 :人間七七四年:2008/10/09(木) 14:52:14 ID:sDPsNGee
>>399
公記首巻だけがこの時代の史料じゃない。

それから、私は推論を否定なんてしていません。
根拠をもとに推論を展開するのは当然です。
しかし、想像を前提に推論を展開されても、議論討論が成立しません。

それに隠さなければならない事情ってなに?天下人徳川家に関することですら
隠しとおせずに暴かれているのに、すでに天下を失った一弱小大名家がどうやって
圧力かけて隠蔽できるの?

401 :人間七七四年:2008/10/09(木) 15:51:03 ID:IqVt5uUe
>>400
根拠があるわけでもないし一般論だけど、公記の成立が
各〜家からの要請とすると、その家の部分に関してはうまく「操作した」
みたいなのは藤本も言ってたかな。
なので、あくまでそういう意味で、織田家に関連するものには
牛一が自主規制かけたかと。

ほんで、自主規制かけたとしたら、100%妄想ですが、信長の出自ですよね。
これが確定できないのが事実としてですけど。
なにせ、歴史読本にも、土田御前、ってはっきり書いてありますものね。
この判断はこのスレの皆様におまかせするしかないですが。

それと他のことについて、聞きがたり、をあれだけした牛一が、信長の母とか
濃姫とかそういうことを、まったく知らなかった、というのも少し不思議な感じがします。
首巻は後で成立、ならなおさらでして。

このあたりは単なる疑問なので別に、隠さねばならない事情があった、というのの
根拠にしてるわけではないですけどね。

402 :人間七七四年:2008/10/09(木) 16:14:19 ID:aDSHP+bN
>>398 >>何故、他の織田一族は信長に従った?

結果的に屈服しただけで、ずいぶん尾張統一までの道のりは長かったぞ。
他の織田一族は力ずくで従わさせられた、というのが正しいだろうな。
戦国時代は早死には珍しくない反面、当主が死ぬと大抵毒殺が疑われた。
将軍御台所の江与だって毒殺が疑われたぐらいだ。
敵方のスパイも潜入してるし、下克上の時代は家臣すら信用できない。
まだ若いのに信秀が亡くなれば当然そういう噂がでると考えるほうほうが自然だよ。
実際違っていても、そういう噂をわざと流してあれこれ画策することだって
あったろうからな。
毒殺したのは信長だ、と弟をたきつけて謀反を決起させる私利私欲にかたまった
側近がいたとしても不思議じゃない。
織田家でも伊達家でも将軍家でも謀反をおこされた兄は素行に問題があり、
おこしたほうは品行方性の弟。
武田家は悪行三昧の父親を領民思いの息子がおいだした。
こういうパターンばかりだとあまり信憑性をかんじられないな。

403 :人間七七四年:2008/10/09(木) 18:01:13 ID:UwW7bHHo
>>401
>歴史読本にも、土田御前、ってはっきり書いてありますものね。
信長生母は、土田御前とは書いてあるけど、出自が確定した事なんて一度もないよ。
武功夜話で確定したと思われたけど、武功夜話より古い複数の史料にいろんな出自が
書いてあるんだから疑問視もされていた。
そして、武功夜話の信長の辺りの記述が、gdgdだって分かって来たら、
結局確定じゃなかった事になったし。

小嶋信房女が信秀継室で信長生母だと、結構色々繋がってくるから、可能性大だと思っている。
  ┌縁者─岡本秀成
  │    ┌岡本良勝(?)───岡本良勝(?)
  │    │
岡本氏─┴─女    信長
            │     ├───信孝
            ├──信孝生母
            │     ├───小嶋少輔
            坂氏  ┌小嶋氏
┌───縁者───┘
│┌─────────── 女
││           ┌─川口宗定┴─川口宗吉
││ 大橋定広─┴─大橋定安──大橋重長
└┴───┐                      │
          │┏━←養女━━━━━┓│
小嶋信房ー┴┻─女    ┌───くらの方(他の側室の子供かも知れないが)
                ├──┴─信長
              織田信秀


404 :人間七七四年:2008/10/09(木) 18:44:44 ID:DltGhF2l
>>395
尾張の人にとって濃姫は美濃から来た美濃のお方だけど
宣教師から見れば、尾張の(殿様の)奥方で別に不自然でもないと思うけど。

405 :人間七七四年:2008/10/09(木) 19:36:02 ID:5AuvpCZI
>>404
でも宣教師が信長にあったのは美濃国主となって以降だったはず
なのにその奥方の濃姫が美濃の奥方とか岐阜の奥方とか呼ばれないのは
なぜなんだろうと。
とか、実際濃姫ってなんと呼ばれていたのだろう。
濃姫が史料にやけに登場しないと感じるのは、実際は濃姫のことでも
別人と解釈されていることが結構あるのじゃないかと思ってるんだけど。


406 :人間七七四年:2008/10/09(木) 19:41:38 ID:fUL/o2Lb
>>405
その宣教師って誰?


407 :人間七七四年:2008/10/09(木) 20:01:06 ID:sDPsNGee
>>402
それは弾正忠家以外の織田一族の話だろう。弾正忠家の人間は、信秀の死後信長に従っている。
後に逆らう末森衆も庶兄信広も、叔父たちもね。

>噂がでると考えるほうほうが自然だよ
で、謀反時にその噂を利用した形跡がないことにはどう説明を?
噂なら噂で「そういった噂がある」という記録くらいは残ります。証明どうぞ。

408 :人間七七四年:2008/10/09(木) 20:27:44 ID:aDSHP+bN
>>407 だから信長に対して家臣団全員が絶対服従をしてなかった
ということがわかるだろうに。
後継者を気に入らないからすぐに謀反をおこすほど馬鹿でもあるまい。
謀反の大義名分をたて、勝利できるだけの下準備するだろう。

証明もなにも、あの時代は風説の流布も戦略の一つだというぐらい常識だろうに。
信秀がそうだとは書いてない、あくまでそういうことがあっても不自然じゃない
時代だった、と書いてるつもりだったのだが、理解してもらえなくて残念だよ。

409 :人間七七四年:2008/10/09(木) 21:42:32 ID:sDPsNGee
謀略で「風説の流布」をやったのに、その痕跡がないのは何故かと訊ねているんですが?

>理解してもらえなくて残念だよ
勝手に決め付けないでください。ちゃんと理解してはいますから。
そういったことがあっても不自然じゃない、と、そういうことがあった、はイコールでは
ありませんよ。

あなたは全てこの調子で、まともに反論していないんです。議論することから逃げて、
さらに「理解してもらえなくて」とか相手に責任を推して付けているんです。

410 :人間七七四年:2008/10/09(木) 21:50:20 ID:740x/3Gd
>>405
考えられる可能性のある名前

濃姫、濃御前、濃の方(結婚当初)
鷺山殿、鷺山御前、鷺山の方(結婚当初)
美濃御前、美濃の方、美濃殿(結婚当初)
清洲御前、清洲殿、清洲の方(清洲時代)
小牧御前、小牧殿、小牧の方(小牧山時代)
岐阜御前、岐阜殿、岐阜の方(美濃時代)
安土殿、安土御前、安土の方(安土時代)

あとは、北の方、御台、大方殿様とかこんなところじゃない?

411 :人間七七四年:2008/10/09(木) 21:54:21 ID:UwW7bHHo
斎藤御前とかもありそうだけどな。

412 :人間七七四年:2008/10/09(木) 21:57:06 ID:aDSHP+bN
>>409 だから理解できてないじゃん。

戦国時代における一般論を述べてるんだから。
信秀の時もそうだったとは書いてないだろ?
仮にそうであっても不自然じゃないというだけで。

史料にないから事実じゃない、証拠がないのなら納得できない
と思ってるなら歴史検証なんてなにもできんな。

413 :人間七七四年:2008/10/09(木) 23:18:50 ID:S5Jz1NqY
>>409 
しょせんここは2ちゃんだし、しかも日本史スレでもなく趣味スレなんだよ。
証明だの、なんだのと納得したいのならマニアが集まるサイトにでもいけば?



414 :人間七七四年:2008/10/09(木) 23:19:14 ID:sDPsNGee
>>412
証拠がなくても歴史を論じられると考える人には歴史検証なんてできません。

>信秀の時もそうだったとは書いてないだろ?仮にそうであっても不自然じゃないというだけで
それだけならね。しかしそこからさらにその噂ないし謀略の存在が「信勝謀反の動機になった」と
主張するのでしたら、噂の存在の立証が必要になります。立証できて初めて、「信勝が謀反を起した
のは、この噂があったからではないか」という前提が成立します。
あなたは前提の立証をすっとばして、論を進めているんです。


話を一番最初に戻すと、どれだけ信長の出自が確定できなくとも、変わって信勝の方が信長よりも
正嫡に近いという証明がなされない以上、空論のままなんですがね。
さまざまな状況証拠から、信秀が信長を後継者として定めていたことは確定可能で、かつそれは
家の内外である程度の賛同を受けて、かつ隣国にもその事実を認定されていたということです。
これ以上は、もともと濃姫とは関係ない話題なのでもうやめます。

415 :人間七七四年:2008/10/09(木) 23:41:00 ID:S5Jz1NqY
>>414 だから納得できる歴史サイトでやれよ!
スレチのくせに長文うざいよ。

たかが2ちゃんの書き込みにむきになって噛み付いてるやつほど
みっともないやつはいないよ。
だいたい濃姫のことだってこんだけ史料が少ないのだから、空論前提で
あれこれ推察してるんじゃないか。

立証だのなんだのと水をさすやつがいるが、趣味スレごときに馬鹿じゃね?

416 :人間七七四年:2008/10/10(金) 07:44:16 ID:vSWcQ9BK
道三も毒殺、陰謀の末に美濃国主の座をもぎとったいうけど
実際はどうだったんだろうな。
義龍側がそういうことにして道三を殺したことを正当化したのかも
しれないな。自分は改姓して旧土岐派も味方につけてたしな。



417 :人間七七四年:2008/10/10(金) 22:11:10 ID:L/juE2mR
安土城には、濃姫関連の文書もたくさんあったはず。
放火した信雄が悪い(w

418 :人間七七四年:2008/10/10(金) 22:43:45 ID:ofvR1sWp
>>416
そもそも道三のやらかしたことは、親子二代でやったことってのが
今の見解の主流だからなぁ。

419 :人間七七四年:2008/10/10(金) 23:50:40 ID:sFObDMpF
安土城とか妙覚寺とか信長ゆかりの建物が燃えちゃってるのが痛いね。
宗家は三法師で滅んでるし岐阜城はあるけど、
江戸期には家康の家臣がすでに住んじゃってるし
織田家の情報って残ってるのは少ない。
濃姫は実家の斎藤家も岐阜にはないし、弟の子孫が岡山だっけ?にいるらしいけど
情報は新五郎の息子以前のものはほとんどないようだし。
庶家より宗家の代々家老を勤めた家の方が、宗家の古い情報なんか詳しいらしいけど
織田家の家臣ってほとんど秀吉と争って死んじゃったし。
唯一残ったのが池田家だけど、どの位濃姫とかその当時の記録とか残ってるかだよね。
誰か調べた人とかいるのかな。


420 :人間七七四年:2008/10/11(土) 00:26:11 ID:1KkFsaeT
岡田正人氏の濃姫研究には、何かの進展は無いのでしょうか?

421 :人間七七四年:2008/10/11(土) 11:33:00 ID:qEpwQAv1
>>414
言ってることはよくわかるが、桶狭間45000だって信用できないわけでしょう。
だから、あなたの言う証拠ー一級史料ですらも厳密な意味では個別に検証
されるべきもので盲目的に信用するものではない。

「前提の立証をすっとばす」というのも、ある仮定の推論を元に検証していって
それが他の個々の事象をよりうまく説明できる、とするならその推論も意味が
あるのではないか、という方法もあり、「前提の立証」が出来ない事柄については
十分論じられるべきと思う。

状況証拠から〜確定可能、というのも一つの推論による説でしかなく
「証拠がなくとも〜」の証拠というのがまだまだ十分に検証されてはいない、
と特に公記首巻に関しては感ずる。

422 :人間七七四年:2008/10/11(土) 12:04:54 ID:qEpwQAv1
>>403
ありがとう。
武功の事情は理解した上で、それ以前から信秀が正室と離婚したとか
信長誕生の時点でその生母が正室かどうか、とかちょっと混乱してるんだ。
「小嶋信房女が信秀継室で信長生母」というのが可能性高いとすると
信長が正嫡として跡継確定、というのとの整合性はどうなりますかね。

信秀葬儀で信広の記述はなく、重要視されているのは信長、信行の二人。
単純に信長の生母は正室かそれと同等に扱われていた、とすると跡継ぎは
信長で問題ないのだけど、「信長信行同腹」みたいに記述されてないし、
喜六朗事件の時も兵を出したのは信行のみでしたっけ。
なので信長ー信行別腹ともいう説もきいたことあって、
どうもはっきりしない。

あくまでその説だけど信広、信長、信行は別腹で、信広は出自が
はっきり卑しかった。
そして跡継ぎ候補は信長、信行と二人いて濃姫婚姻とか美濃が信長を認識
していたのは、早くから実力を認められていたから、というわけで決して「正嫡」
というわけではない、みたいな感じだったかな。
これだと、信長、信行の描写が正反対とか、「信長記」で詳しく描写されている
平手の話が公記でははしょられている、というのもうまく説明できる、みたいになってた
ような。

423 :人間七七四年:2008/10/11(土) 12:29:59 ID:zNcG+0aC
信長が濃姫と婚姻した時点で、ほぼ正嫡だよ。そしてそれは、織田家中でも美濃でも認識されていた。

424 :人間七七四年:2008/10/11(土) 13:05:42 ID:700lOcMM
道山よりの信長が当主では都合の悪い家臣がいたんじゃないの?
斉藤家との和睦を無効にするには、信長失脚が手っ取り早いから
信行擁立という動きにでたとか。

425 :人間七七四年:2008/10/11(土) 14:16:22 ID:C794Y/gb
>>424
無知すぎる。

信行の謀反は、道三の死の数ヶ月後。
逆に道三の生前に信長を除こうとしたら、美濃から介入された可能性が高い。


426 :人間七七四年:2008/10/11(土) 15:22:56 ID:qEpwQAv1
>>425
横からなんだが、だもんで道三の死を確認、信長ー美濃のつながりが
一瞬弱体化した時に信行は行動起こした、かもしれないのじゃないの?
もちろん、推理だが。

427 :人間七七四年:2008/10/11(土) 19:29:30 ID:/rQlbVw9
>>422
>「小嶋信房女が信秀継室で信長生母」というのが可能性高いとすると
>信長が正嫡として跡継確定、というのとの整合性はどうなりますかね。
その辺りは、生母の出自そのもので整合性をとるのは難しいかと思うが。
ただ、信秀はくらの方を大橋氏に嫁がせる時に、一旦小嶋信房の養女にしているし、
信孝生母の坂氏が、最初嫁いだ相手が小嶋氏(縁者というのが正しければ)
という事からも、小嶋氏というのは、津島15党とのつながりが深いと推測できる。
が、どうやら小嶋氏は美濃の薮田に居住していたらしい事も分かっている。
その辺りを考慮すると、小嶋氏は尾張に於ける経済活動の重要な拠点である
熱田、津島と関わりがあり、尚かつ、美濃の交易は津島熱田と無縁ではないので、
美濃にもパイプを持っていたと推測できる(それが政治的な物か商的な物かは不明としても)。
信秀正室が小嶋氏女なら、信秀が尾張の中で熱田津島利権を手にする上で、
小嶋氏の役割は、もう少し重要視されてもいいかもしれない。
もしかしたら、濃姫輿入れの美濃との折衝も、平手だけではなく小嶋氏も
関わっていた可能性も出てくるかもな。

428 :人間七七四年:2008/10/12(日) 02:35:18 ID:C5HxCG/x
>>427
ありがとう。
公記以外の史料は、中島文書とか定光寺とかいろいろあって、もちろんわしは
素人だから確認はできるはずもない。
ただ、美濃の交易とか津島、熱田の重要性はかなり認識してる。
これは文献じゃなくて、伝承に入って申し訳ないのだが、実力がないとできない
事柄、パイプだけじゃなくてね。
その意味において信秀は、実力者であるわけであり、記録にも残ってるし、
津島の支配権においての小説、も信秀ー信長の継承において、かなり事実じゃないかと
考えてる。

つまり、織田家なんてあの時代においては、いい加減、であって
牛一の首巻記述でなんとでもなる、と・・

こういうと普通は怒られるからあまり言えないけど、どうなんでしょう、
DNAうんたらで、結構は300年後には結論出てそうな気がします。

お墓調べて、3・5グラムあったら、信長ーお一同腹が確定できて・・
ちと脱線すんません。

429 :人間七七四年:2008/10/12(日) 16:24:25 ID:ZYJijTGS
>>428
言ってる事がいまいちよくわからんのだけど、
とりあえず300年後になったら歴史の謎の大半はDNA鑑定で
解けるのでがんがって長生きしよう!って事?w

430 :人間七七四年:2008/10/12(日) 21:31:47 ID:/gCRVvK8
なんで今やらないんだろ?

431 :人間七七四年:2008/10/12(日) 22:17:04 ID:mJgOifPy
DNA鑑定なんて何でもかんでも許可下りるわけないじゃんw
墓掘り起こしてまでやるってのかね。

432 :人間七七四年:2008/10/12(日) 23:17:25 ID:/gCRVvK8
そうそうw


433 :人間七七四年:2008/10/13(月) 00:23:14 ID:ocYfKt3F
時間が経過すればするほどDNA鑑定も困難になるしな

434 :人間七七四年:2008/10/13(月) 09:44:56 ID:sdQHJudY
戦国期の人間ならDNA鑑定できるんじゃないの?
しっかり骨や毛髪、つめなどが残ってれば。

政宗の血液型をDNA鑑定で明らかにしてる。

435 :人間七七四年:2008/10/13(月) 10:16:54 ID:KcLbTKAH
そりゃあ奥州藤原氏のDNA鑑定もできるぐらいだからな
433は何も知らんアホって事で

436 :人間七七四年:2008/10/13(月) 13:20:56 ID:GUxmbVUU
>>435
アホってのはさすがに言いすぎw
「DNA鑑定できるかどうかは、遺体の保存状況による」ってだけでしょ。
奥州藤原氏のミイラは保存状況がよかったからってのもあるよ。
雨水が入り込んだりしていて保存状況があまり宜しくないと
それだけ損傷も激しいだろうし、難しい。
時が経てば経つほど遺体の傷みは激しくなっていくのも事実だしね。

437 :人間七七四年:2008/10/13(月) 19:14:37 ID:3bTXilay
濃姫の画像がwikiの濃姫中国版に載ってたんだけど・・・
これホントに岐阜城にあるの?

ttp://zh.wikipedia.org/wiki/%E9%BD%8B%E8%97%A4%E6%AD%B8%E8%9D%B6

438 :人間七七四年:2008/10/13(月) 22:18:10 ID:wTjy2u9z
ある。
確か何年か前に日本画家が描いた物だったと思う。


439 :人間七七四年:2008/10/14(火) 09:05:34 ID:q1YdjIr3
この絵は画家が勝手なイメージで書いただけ。
昔の山田五十鈴に似てるな。

440 :人間七七四年:2008/10/14(火) 15:29:38 ID:PUA7RwMe
>>436
今は技術が進んで、DNAを増幅させるウンタラ技法ってのがあるのね。
だから損傷とか戦国なんてとんでもなくて、10万年ぐらい前のネアンデルタール
さんのDNA解析までできてる。
その時削ったのが、3・5gなんだ。
それによって、我々とネアンさんは、別系統、ってことがほぼ確実になったわけ。
教科書がまさに書き換えられたわけで感動だよ、今は。

話戻して、なんと言っても今、普通に子孫さんが生きてるんだからそれを調べれば
適当な古い墓の骨が「誰かの先祖」に該当するかはかなりの精度でわかる。
たった400年なんてこないだ、だもんね。
実行可能性じゃなくて、やろうと思えば判明する、という話ね。

問題になるのは、天皇陵、なんだよな。あそこにはほぼ確実に骨まで残ってる
だろうから、教科書どころじゃないことまでわかるだろうし。

で、信長の血統が残ってるからうまく岐阜で標本選べば、濃姫の子孫、とか消息も
いつかはわかるかもしれない。ワクワクですな。

441 :人間七七四年:2008/10/14(火) 15:43:32 ID:0FtmDT5W
濃姫の子孫などおらんのですが
あんたこのスレ初めから読んだ?

442 :人間七七四年:2008/10/14(火) 15:55:25 ID:PUA7RwMe
>>441
いや、だもんでそう言われてきたのが何か新しい発見があるかもしれないという話ね。

443 :人間七七四年:2008/10/14(火) 16:15:00 ID:jSSImSsc
斉藤家の末裔はいるんじゃなかったっけ?
濃姫には意外と多く兄弟姉妹がいたことが壷事件の時にわかったし、
直系の子孫はいなくても、血縁の子孫はいるはず。

ただ濃姫の墓がないので、調べようがないけど。
養華院が濃姫か否かは道三や義龍の墓があるので
それぐらいは可能だろうな。
道三は遺体がない可能性もあるけど、義龍は埋葬されてるんじゃないかな。

444 :人間七七四年:2008/10/14(火) 17:29:27 ID:PUA7RwMe
そそ、墓の管理とか由来は知らないけど、あの時代に斉藤家と織田の
血統の合わさったDNAで、それなりの墓の中にあればそれだけでも
いろんな推定が出来そう。
美濃は信長に征服された後は案外そのまま残ってるのだよね。
空襲っぽいのも無かったし。

ちなみに何も知らずに織田と斉藤さんのカップルが生まれてる可能性も
あるんだろな〜。

445 :人間七七四年:2008/10/14(火) 18:38:43 ID:8w98PRC4
>>444 織田と斎藤なら信長の姉妹が道三の側室になって姫を産んでるんだよ。
濃姫とトレードで道三の側にあがったのだけど、その姫の末裔なら
両家のDNAを保持してるはずだな。その姫の子孫はどうなってるんだろう?

446 :人間七七四年:2008/10/14(火) 19:36:48 ID:PUA7RwMe
その姉妹が信長と同腹ならいいんだが、間接的に別腹という証明ぐらいにしか
ならんわけなのかな。
歴史上いろんなご落胤説とかあるけど、自然科学の手法で証明されちゃう
というのがなんともだな。
邪馬台国の方でも考古学と自然科学でアプローチで、かなり考古のほうが
厳しくなってたりする。

447 :人間七七四年:2008/10/15(水) 09:19:30 ID:3BSX1+iH
妾腹か同腹か墓を暴いてまでDNA鑑定する必要のある事か?
歴史オタの趣味でされたのではたまらんだろうな


448 :人間七七四年:2008/10/15(水) 11:27:01 ID:pnkYJLOO
でも資料ったらそのへんしかないかも?
謎のままよりいいんじゃね?

449 :人間七七四年:2008/10/15(水) 11:44:02 ID:aiHY28mz
まあ倫理観よりも、謎は謎のままで、という立場からそういった
調査は行われないだろうけど、異分野の技術は進んでるし
歴史学の定説もいつ意表なところから再考を求められるかもしれん。

邪馬台国や法隆寺も自然科学的手法でかなり揺らいでるし
いつ歴史学の方に近づいてくるかわかったもんじゃないからね。
義満や尊氏の肖像が伝になったのも最近のことだし。

450 :人間七七四年:2008/10/16(木) 14:16:28 ID:drNJic3W
昨日の日本史サスペンス劇場
武功をとり挙げるアホらしさは置いておいて
濃姫は道三の死と共に信長の元を去るという展開になってた
まあこれほど史料がなければ、大方の認識はその様になってしまうだろうな

451 :人間七七四年:2008/10/16(木) 14:19:38 ID:9N/Qolaa
>>450 実際そうだったんじゃないの?
その後義龍と敵対関係になっちゃったからね。
自ら去ったのか、離縁されたのかはわからんが、
戦国時代ならよくある話さ。

452 :人間七七四年:2008/10/16(木) 21:33:30 ID:aSMEaTsE
生家と婚家が敵対すれば嫁は生家に帰される
敵対=離婚とまでは言い切れないと思うが
斎藤家が兄の謀反で父が滅ぼされ、兄が夫に滅ぼされるという混乱の中
濃姫が織田家を去った可能性は否定できない
自ら去ったか織田家から追い出されたか兄の義龍が呼び戻したかは知らんが
テレビでも言っていたけどあれほど有名なお市が
浅井が滅ぼされてから柴田勝家に嫁ぐまでの織田家で過ごした約9年間
まったく史料がないように女性の史料は一般的に残りづらい

453 :人間七七四年:2008/10/16(木) 22:30:02 ID:zVQ+pgmF
壺事件の絡みもあるし、きっかけはどうあれ
濃姫が母親や兄弟姉妹の元に戻った可能性はあると思うよw
だとすると信忠を養子にしたのはかなり幼い頃なんだろうか
か、濃姫が織田家を出るのであえて信忠を濃姫の養子にして
美濃を継ぐ正当性をもたしたのか。
なんか、信長がわざわざ信忠を濃姫の養子にしたというのが引っかかる



454 :人間七七四年:2008/10/16(木) 22:38:15 ID:drNJic3W
もう信忠の養子の件についてはあまり重要な事ではないと思う
だからどうしたと言う程度の事でしかない

455 :人間七七四年:2008/10/16(木) 22:43:43 ID:wUZvQn1O
>>454
その理由は?

456 :人間七七四年:2008/10/16(木) 23:00:29 ID:drNJic3W
そりゃあセックスしまくっても子供が出来んかったのだから
信長がかわいそうになって、濃姫の養子にしてやっただけの事だから
これが他家への養子にしたのだったら、政略的な意味があるけど

457 :人間七七四年:2008/10/16(木) 23:24:27 ID:zVQ+pgmF
↑この理由ってどこかの史料にそう書かれてるの?
そうじゃないならアンタの単なる妄想?
意味ないことなら勢州軍記に書かれることも
信雄側の史料に「正室の養子になった信忠と同腹だから、信雄の方が
信孝より格が上だ」とか強調することないと思う。

458 :人間七七四年:2008/10/17(金) 00:44:02 ID:UaEGfkaw
>>456
正室の息子にすることで嫡子の正当性を確立し、
同時に実息子のない正室の地位を確固たるものにした
とも言えるから、政略的な意味はあるだろ。

459 :人間七七四年:2008/10/17(金) 08:48:06 ID:6GfUWl7I
>>458
そういう意味合いがあるのなら、なんで秀頼をねねの養子にしなかったの?
そうしない事によってねねの正室の地位に何か問題でもあった?
それに秀頼の嫡子の正当性に異を挟んだ者が一人でもいたか?


460 :人間七七四年:2008/10/17(金) 10:30:10 ID:gO1q4bZm
資料が残っていないから全部推測なんだよな。


461 :人間七七四年:2008/10/17(金) 12:39:45 ID:UDnmS7kx
濃姫が早々に信長の元を去ってしまったとすると、
その後正式になのか、正室格なのか、安土殿と呼ばれるような
正室とみなされる女性がいたことになる。
その安土殿が養華院である可能性もあるのだが、
そっちの女性の方が気になるな。

462 :人間七七四年:2008/10/17(金) 15:58:27 ID:v0LqkXks
>>459
>>それに秀頼の嫡子の正当性に異を挟んだ者が一人でもいたか?
いないからこそわざわざ養子にしてまで正当性を確保しようと思わなかった、ともいえる。
それに淀殿は織田に繋がるから、家系的にはねねよりよっぽど立派だし。

>>461
信忠生母が生きていればそれが「安土殿」にあたったんだろうが・・・どうやら故人だからな。
信長から格別に寵を得た人がいた、という話も無いし。

463 :人間七七四年:2008/10/17(金) 16:51:48 ID:N50MdLcW
>>450
> 濃姫は道三の死と共に信長の元を去るという展開になってた

親が死んだ程度で一々実家に帰るもんですか?
夫が死んで実家に帰るならわかるんですけど

それ以前に、吉乃がどれだけ信長に愛されてたのか興味あります
探せば「捨てられた女」の形跡しか見付からないんですが・・・
ちなみに、吉乃は嫌いです
故に、信長はもっと嫌いです

464 :人間七七四年:2008/10/17(金) 17:28:50 ID:Uh1j0/JC
吉乃なんて言われても・・・釣りですかそうですかごめんなさい。

465 :人間七七四年:2008/10/17(金) 17:42:54 ID:6GfUWl7I
武功夜話は偽書だと諭しても
きっとヒステリックになって反発するババアなんでしょうね
それとも大河ドラマの功名が辻の見すぎなのか…


466 :人間七七四年:2008/10/17(金) 17:43:44 ID:s69+2aiN
ゲーム感覚世代には吉乃はもちろん実在だし信忠の母であることは
間違いないらしい。
いつも好き嫌いで語るし数値化したがる。
。。つられたか

467 :人間七七四年:2008/10/17(金) 18:40:26 ID:3SvqkVyq
家柄が、ねね>>>>>>>>>>>>>淀だったら
秀頼もねねの養子になってたかもな

468 :人間七七四年:2008/10/17(金) 19:24:21 ID:6iaoIs1X
wikipediaでは、本能寺の変まで信長の正室でいて、大阪冬の陣の二年前まで生きていたらしい。まだはっきりしてはいないが、死んだとか離縁されたとか言う資料は、偽書以外は残っていないんだし、この説を信じても悪くないのではないか。

469 :人間七七四年:2008/10/17(金) 21:58:21 ID:GCv5ryBE
>>468
wikipediaは素人が自由に編纂できるからさ。
お前が編集することもできる。
そんなもんを根拠にするお前の頭がおかしい。

470 :人間七七四年:2008/10/17(金) 22:10:36 ID:s69+2aiN
何がすごいって、家康と幼年期をともにすごしたことになっている。

471 :人間七七四年:2008/10/18(土) 00:24:22 ID:3Rv+mLMT
家康とラブラブだったらしい。それが原因で離縁された。

472 :人間七七四年:2008/10/18(土) 10:55:12 ID:5V11LSDO
話題がなくてだんだんとネタスレ化してきてるなw

473 :人間七七四年:2008/10/18(土) 12:01:14 ID:Y6SUPkcz
お拾いはねねの手元で育てさせたけど夭折しちゃったから
次に生まれた秀頼は茶々(生母)の手元で育てることにしただけで
2人の家柄どうこうより、乳児が比較的安全で育ちやすい環境に置いただけじゃないの

474 :人間七七四年:2008/10/18(土) 18:58:45 ID:mEanEBOn
育ちやすい環境って言っても、茶々が直接育てるわけでもないしな。

475 :人間七七四年:2008/10/18(土) 19:06:54 ID:mEanEBOn
ああ、ねねの所だと「安全」じゃないってことかw
茶々の立場からすると、家柄面の優位は感じてただろうけど
安全面もねねじゃ信用できなかったと。

476 :人間七七四年:2008/10/18(土) 20:45:11 ID:Svn2az8I
養子とはいっても名前だけの義母義子関係で
実際には義母が引き取るわけでもない例も多いしね。
信忠が濃姫の養子という名目で信長の跡継ぎになったと史料にあっても
別に濃姫が手元においていたというわけでもないだろう。
ある時点で濃姫が織田家を出ていても問題なかったということ。
秀吉の場合、鶴松誕生時、母親の淀殿は秀吉の主城ではなく淀城にあって
ねねのいる大阪城に住むことを拒んでいた。
しかし、秀吉は鶴松を天下人として育てるため自分の主城である大阪城に置こうと考え、
淀殿が大阪城にこないのでやむなくねねに鶴松を引き取らせた。
秀頼誕生の時、淀殿は秀吉の隠居城である伏見城にあった。
淀殿は最初の子鶴松が没したときに失意の余り思い出の詰まった淀城を出ていたため。
生母が秀吉の傍にいるのであればわざわざ子供を側室から取り上げる必要もない。
他の大名であってもたとえ子供が正室の養子にされても
実際には子供は実母である側室の手元で育つ例が多い。

477 :人間七七四年:2008/10/18(土) 21:27:08 ID:j3VI8zeN
濃姫に関しては、今のところ生存説に関しては、まだはっきり証明されていないし、早死や離縁という説は、そういう資料はまだ見つかっていない。それならば自分の好きなように想像するのが一番いいと思う。これからさき、信用できる資料が見つかる可能性は低い。

478 :人間七七四年:2008/10/18(土) 21:45:24 ID:kxPEH7i+
>>459
上でも色々考えが出てるけども、秀頼と淀殿、高台院の関係の方が
特殊だから、何でって言われてもねぇ



479 :人間七七四年:2008/10/18(土) 21:48:38 ID:SnTwVuNU
>>478
ここではそういう事を言ったら、信忠と濃姫、信忠生母の関係も特殊だったとも言えるのよ

480 :人間七七四年:2008/10/18(土) 23:03:25 ID:/K5juA8F
> ゲーム感覚世代には吉乃はもちろん実在だし信忠の母であることは
間違いないらしい。

でもそれ、別のスレでは「 信忠の生母が誰であるかを示したものは武功夜話だけなんでしょ?
」と言う疑問符付きのコメントがあったけど・・・
新参のくせに、難癖つけてすみません

481 :人間七七四年:2008/10/19(日) 10:10:59 ID:3bqYu6Ia
>480
生駒家宗の娘が信忠の母親だというのは武功夜話以外にも載ってるけどね。

482 :人間七七四年:2008/10/19(日) 10:26:30 ID:nphOnWLi
どこに載ってるねん?

483 :人間七七四年:2008/10/19(日) 10:33:16 ID:BkSC6Nf9
信雄系がかかわってる江戸期の史料にはあるけど、一次史料にはなかったような。

484 :人間七七四年:2008/10/19(日) 10:41:48 ID:nphOnWLi
それは信雄の事しか載ってないわボケ!!

485 :人間七七四年:2008/10/19(日) 11:05:24 ID:BkSC6Nf9
信雄系の史料には、正室の養子になった信忠と同母だから
信雄の方が信孝より上なんだよって史料があったりするんだよ。
江戸期の家系に関する史料なんて適当に作られてて信用はできないけど。
481の言う「武功夜話以外」が何かはわからないけど
少なくとも一次史料で信忠生母が書かれたものはないはず。

486 :人間七七四年:2008/10/19(日) 11:32:36 ID:3bqYu6Ia
>482
『塩尻拾遺』。一次史料ではないが、信雄系の史料でもない。

487 :人間七七四年:2008/10/19(日) 11:51:57 ID:BkSC6Nf9
>>486
よく知らない史料なんでぐぐってみたら、作者は尾張藩士のようだね。
尾張藩士と言えば、生駒家もそうじゃなかったか。

488 :人間七七四年:2008/10/19(日) 11:56:42 ID:nphOnWLi
>>486
江戸中期など問題外だな
講談の類と一緒

489 :人間七七四年:2008/10/19(日) 12:22:09 ID:BkSC6Nf9
生駒の方の位牌を新しくしたらしい生駒利勝と
塩尻拾遺の天野信景は同じ頃の尾張藩士みたいだ。
信雄・生駒系と全く無関係とも言い切れないような。

490 :人間七七四年:2008/10/19(日) 12:45:32 ID:CiHOEOel
>>488
講談と一緒扱いとは乱暴な話だな。一次史料でなければ信用できない、というわけではあるまいに。

491 :人間七七四年:2008/10/19(日) 13:23:29 ID:3bqYu6Ia
>489
生駒利勝:1629-1694
天野信景:1661-1733
らしいから、すでに生駒氏の手が加わった情報を得た可能性はある。

492 :人間七七四年:2008/10/19(日) 14:25:17 ID:nphOnWLi
>>491
そうなると史料としては対象外だな
話しにならん
ありふれた先祖礼賛の為の歴史歪曲だ


493 :人間七七四年:2008/10/19(日) 14:44:38 ID:BkSC6Nf9
天野はそれが事実だと思ってたかもしれないから
先祖礼賛の為の歴史歪曲なんて大層なもんでもないだろw
生駒の同僚が書いた史料なので、生駒家の影響は受けてるかなとは思うが。

494 :人間七七四年:2008/10/19(日) 20:30:53 ID:YyPK5nV4
>>493
>生駒家の影響は受けてるかなとは思うが
じゃアカンやん

495 :人間七七四年:2008/10/19(日) 21:05:15 ID:dAnmeaUT
>>481
「 生駒家宗の娘が信忠の母親だというのは」所詮、一級史料には載っていないことだけはわかりました、ありがとう


憶測邪推ですが、信雄産んでもそれほど出世しなかった腹いせであることないこと言ったらそれが長い年月を掛けて事実みたいに伝わって、それを現代の今でも信じてる人が居ると言うことも、よーくわかりました^^

496 :人間七七四年:2008/10/19(日) 22:12:16 ID:3bqYu6Ia
>495
「信雄産んでもそれほど出世しなかった腹いせ」というのも「あることないこと」だがなw

497 :人間七七四年:2008/10/19(日) 22:26:40 ID:BkSC6Nf9
しかし、これまで出てきた信忠生母は生駒氏って史料は
信雄・生駒系に影響受けてそうなのばかりだよな。
それも江戸中期以降の。
信忠生母ってそんなに周囲に知られてなかったんだろうか。
勢州軍記でも信忠生母だけ「妾」になってるし。

498 :人間七七四年:2008/10/19(日) 22:30:50 ID:nphOnWLi
もうええやないか信忠生母なんか
どうせ信長がその辺の身分の低い女中に一発はめただけの事だろうが

499 :人間七七四年:2008/10/20(月) 10:26:08 ID:aNnfOL8V
そういう微妙な女の子供だったからこそ、わざわざ濃姫の養子にしたのかもな。

500 :人間七七四年:2008/10/20(月) 10:49:35 ID:GkBM8N67
崇福寺に位牌をおさめてもらってるみたいだし、
元々崇福寺が菩提寺になってる稲葉氏辺りの縁続きじゃなきゃ、
身分の低い女で、織田家の嫡男生母の弔いとしての体面も
保てないような感じだったのかね?
側室なら、普通は実家の菩提寺に位牌おさめるだろ?
織田家の崇福寺だからなぁ。

501 :人間七七四年:2008/10/20(月) 12:48:43 ID:sxTnPA7A
濃姫の子供はいなかったのかな?
いないと記録にあるの?

502 :人間七七四年:2008/10/20(月) 13:55:04 ID:cIb9a5yS
>>501
そもそも濃姫の事は当時の一級史料には
道三の娘と信長が結婚した事しか載ってない


503 :人間七七四年:2008/10/20(月) 15:03:06 ID:f9pwtblZ
>>463 父親が死んだから実家に帰ったのではなく、
織田家と斉藤家が敵対関係になったら
実家に戻されたかもしれない、という話。
武家の姫なんて家同士の都合による婚姻関係が基盤だから。

>>476
お捨がねねの元におかれたのは、生まれながらに嫡男認定をされたため。
庶子であっても嫡男となれば側室の手元におかれることなく
早々に正室の後見を受けて養育されるほうがその子のためでもある。
嫡男であっても側室の手元で育つこともあったわけだから、
ねねの希望でそうなった可能性も考えられるが、
淀殿にとってはそのほうが御腹様としての権威も
よりいっそう確固たるものとなるわけで、屈辱的なことという認識は
なかったと思うがな。

お拾の時はすでに秀吉は秀次に関白職を譲り、形式上は豊臣の
後見者は秀次に決まっていたから、あえてねねが手元に置く必用が
なくなったために、淀の側におかれただけ。
つまり一般的な庶子扱いで養育されたってこと。
淀殿にとってはむしろ秀吉唯一の実子であるお拾が庶子扱いである
ことのほうが口惜しい思いで過ごしたはず。

504 :人間七七四年:2008/10/20(月) 15:43:12 ID:ayVQonBJ
>>503
「敵対関係になったから帰った」というのもそう確実性がある話でもないからなぁ。
勝頼夫人みたいに夫と運命を共にした人もいるし。
逸話の様に、義龍が自分は土岐の子だと思って道三を倒したのなら、道三の子である濃姫にはむしろ帰ってきてほしくなかったかもしれない。

505 :人間七七四年:2008/10/20(月) 17:09:47 ID:iaMCumW0
>>498-499
御妾衆の中で1番始めに男児を出産したのが信忠生母ってだけのことなんだろうけどな
他の妾より立場が低いとか高いとか。生まれがいいとか悪いとかは無関係だと思うよ。

506 :人間七七四年:2008/10/20(月) 17:12:46 ID:5rP+Dv0T
◆天誅4
Wii 10月23日(木)発売

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力丸 :声優 小山力也(ジャック・バウアーなど)


507 :人間七七四年:2008/10/20(月) 17:49:55 ID:f9pwtblZ
>>504 義龍も自分の実父が土岐氏とは思ってなかったと思うよ。
その大義名分なら一色氏ではなく土岐氏を名乗ったとんじゃないか?
道三の暴君ぶりを示す史料が残っていることから、
武家によくあるお家騒動だと思うがな。

戦国期のお家騒動にはあれこれもっともらしい理由を後付けしていくもんさ。
だいたいが、先代が暴君→人気者の嫡男が成敗、息子の謀反→実父が涙をのんで成敗、
実弟の謀反→当主が生母の懇願を振り切って成敗、
とそうばは決まってるけど、大抵家臣間の権力争いが背後にあって
勝ったほうの家臣が勢力をのばしていって、
その過程で勝利者に都合がいいように敗者にレッテルがはられていくだけ。

508 :人間七七四年:2008/10/20(月) 17:56:23 ID:GkBM8N67
>>504
お市だって、敵対関係になった後でお江を妊娠して生んでるし、
まして、斎藤家と敵対といっても、友好関係を築いていた道三を殺したのは義龍だし
濃姫がいれば、道三の敵討ちと称して美濃を狙うのにも、正当性を見いだせる。
斎藤家という括りだって、複合的なもんだよな。

509 :>>504:2008/10/20(月) 17:59:09 ID:/N3u+AqN
>>507
まあそれは「もし逸話と同じように・・・」っていう仮定での話ということで。
別にそういう理由が特に無くとも前述のように、夫婦仲がよければ帰らないこともあるし。

510 :人間七七四年:2008/10/20(月) 18:04:22 ID:cIb9a5yS
だから夫婦関係が醒めてたから帰ったんだろ
さすがに義龍の元には帰らなかったかも知れないが
兄弟姉妹或いは、叔父叔母の所へ帰った可能性はあるな

511 :人間七七四年:2008/10/20(月) 18:24:27 ID:zz14dsXV
そもそも帰ったかどうかすらわかってないのに
醒めてたから帰ったんだろと言われてもな。

512 :人間七七四年:2008/10/20(月) 18:53:36 ID:gT0EsUks
>>510
それは最低限「夫婦関係が冷めていた」か「離縁して美濃に帰った」のどちらかの証明が必要だな。

513 :人間七七四年:2008/10/20(月) 19:16:01 ID:f9pwtblZ
>>512 もしずっと織田家にいたとしても、
濃姫の供養すら織田家からスルーされてるという事実が信長生前の濃姫の立場そのもの。

実家がない、織田宗家が滅んだ、なんていうのは理由にならん。
同時代に信長の子供たちは埋葬されてるわけだし、信長との仲が良好で
北の方として権勢があったのなら不自然でしかない。
寵妾たちの墓もある総見院の織田家の菩提が濃姫の存在そのものの象徴だな。

514 :人間七七四年:2008/10/20(月) 20:01:27 ID:zz14dsXV
光秀は濃姫の親類で、濃姫の仲介で信長に仕えることになったって説があるけど
もしそれが本当だったら、濃姫が織田家没落の原因を作ったとも言える。
そんな場合は信長生存中がどうあれ、織田家子孫は濃姫を疎ましく思うんじゃないか。
スケートの織田信成の母親は、法事だかに桔梗の花を持って行ったらすごく怒られたらしいし
何百年たっても子孫は、坊主憎けりゃ…状態だったりするからね。

515 :人間七七四年:2008/10/20(月) 20:34:21 ID:cIb9a5yS
> 光秀は濃姫の親類で、濃姫の仲介で信長に仕えることになったって説があるけど

これは100%ウソ
そもそも光秀の前半生の事なんか全く分かってない
こんな珍説は無視してよい

516 :人間七七四年:2008/10/20(月) 20:56:07 ID:zz14dsXV
>>515
全くの嘘でも江戸時代にはいろんな創作物がでてたようだし、
そんなものの影響でそんな噂があったかもしれないぞ。
いつの間にか乱丸が美少年になっちゃったりもするんだし。
実際どうだったかわからなくなってしまった後の世の方が
根も葉もないことでも信じられてしまったりもするんじゃないか。

517 :人間七七四年:2008/10/20(月) 21:20:13 ID:ywygKrLm
濃姫=お市が現在の通説です。

518 :人間七七四年:2008/10/20(月) 21:22:48 ID:VqT7oBpx
>>515
光秀の前半生がまったく不明なら、濃姫の親類の可能性も否定しきれないじゃないか

光秀の前半生が明確なら、濃姫との親類関係の否定も可能

519 :人間七七四年:2008/10/20(月) 21:24:10 ID:kPQ5ph5q
>>514光秀が桔梗紋だった→光秀は土岐明智氏?→小見の方が土岐氏説あり→
濃姫と光秀親類かも…
という程度なんだよな、実際は。
不詳部分になってる家系図に無理やり光秀と濃姫を当てはめてるだけ。

いくら親戚でも濃姫が光秀に加担してるぐらいのことしてなきゃ、
そこまで後年粗雑に扱われるはずもないだろう。
それに濃姫が謀反に加担していたら、それこそ後年面白おかしく
庶民にそのネタが語りつがれただろうな。織田家でいくら隠蔽しても
庶民に広く知れ渡ってしまったら防ぎようがない。

>>516 森蘭丸が美少年認定を受けたのはそれなりの理由があるからだよ。
大名にとって賢くて、容姿のよい美少年を小姓にするのがステータスシンボルでも
あったから、お気に入りの小姓となれば当然見た目の相当良い美少年だろう、
となってもおかしくない。荒小姓とはいっても、それなりに整った顔立ちだった
からこそ、幼少から小姓として側にはべることが出来たと思う。
もっとも乳兄弟なども実母である乳母のコネで早くから小姓として仕えたりもするから
全員が見た目優先で選ばれたわけではないけどな。

520 :人間七七四年:2008/10/20(月) 21:42:28 ID:zz14dsXV
>>519
だから、真実がどうかは関係なく乱丸が美少年へと認定されていった過程のようなものが
濃姫にもあったのかもしれないだろ。
光秀と濃姫は親類では→じゃあ光秀謀反を濃姫も知ってたのでは→
もしかしたら濃姫も加担してたのではと。
実際今だって濃姫黒幕説なんてのもあるしね。

521 :人間七七四年:2008/10/20(月) 21:48:37 ID:cIb9a5yS
> 実際今だって濃姫黒幕説なんてのもあるしね。

そんなアホな説を信じてるのはキチガイのお前のみ


522 :人間七七四年:2008/10/20(月) 22:21:22 ID:zz14dsXV
>>521
信じてるなんて書いてないけど。
それにキチガイとか厨っぽい煽りじゃなく、もっとなるほどと思える反論を書いてくれ。

523 :人間七七四年:2008/10/20(月) 22:47:28 ID:CMI4i3NW
>>515
何の根拠もない珍説だし、無視してよいというのは同意だが
100%ウソと言い切ってしまうのはどうか。

524 :人間七七四年:2008/10/21(火) 01:38:57 ID:zw+YguUM
>>513
ま、男子を埋めなかった正室が肩身の狭い思いをした可能性はありうる。
だが、仮にそういう理由で信長が濃姫を軽く扱っていたとすると、あんな手紙を送られたねねと秀吉は「てめぇ何言ってんの?」と感じたかもしれんなw

525 :人間七七四年:2008/10/21(火) 01:41:32 ID:G52eTRQ7
>>520
妄想を連ねているだけ

526 :人間七七四年:2008/10/21(火) 08:32:21 ID:8tMrVcW+
>>520 濃姫黒幕ならむしろ濃姫の存在を確認できるものが本能寺の変当時の
史料に残されてるはずなんじゃないの?
織田家で抹殺したい存在であっても、光秀事件そのものは第三者の家の
史料にもたくさん残されてて、その当時は黒幕云々のことは
濃姫どころか誰のことも記されてない。黒幕云々は昭和になってから
歴史小説であれこれフィクションされたもんじゃないかと思うんだけど、
それ以前にもあったのかな?

だいたい濃姫が黒幕になって信長を殺すメリットって何もないと思うんだけど。
光秀が天下をとったら、濃姫は織田方の人間だから恩恵がなにもない。
信長を殺して織田家が引き続きトップに君臨し、
自分が織田家内で実権を握れるような立場にならないと意味がない。
信忠とともに、というならまだしも肝心の信忠もあの変で亡くなってる。

仮に光秀と濃姫が従兄妹同士だったとしても、それだけの理由で
濃姫が織田家から粗略に扱われる理由にはならんと思うよ。

527 :人間七七四年:2008/10/21(火) 08:39:42 ID:RdT11l7G
濃姫黒幕などキチガイの戯言に等しいからもう取り上げるな!!

528 :人間七七四年:2008/10/21(火) 08:42:18 ID:aeuUnzKV
八切止夫の言い出したトンデモ説だから、どうでもいいよ。

529 :人間七七四年:2008/10/21(火) 10:16:38 ID:XsdR/1Ji
仮に光秀と濃姫が親戚関係だったとして、本能寺の首謀者は黒幕云々関係なく光秀と言うことになっているのだから、
織田の人間としては光秀の縁者である濃姫を迫害に近い扱いにしても不思議ではないと思う
濃姫も、本能寺まで生きてたんなら信長の財産とかあったわけだから、織田とは縁を切って悠々自適に暮してそうな感じがします
あくまで推測に過ぎませんが

530 :人間七七四年:2008/10/21(火) 10:38:28 ID:RdT11l7G
そもそも光秀と濃姫が縁戚関係だという史料が何も残ってないんだがね
もういい加減にアホみたいな妄想はやめろよ

531 :人間七七四年:2008/10/21(火) 12:33:14 ID:VC1ts53+
>>529 織田家に迫害された濃姫には信長の財産などびた一文もらえなかったろうさ。
それにあの時代は女性は化粧料として与えらたもの以外は継承する権利はなかった。
家の財産を継承できたのは嫡男のみ。子供であっても嫡男以外はなんの権利もなし。

だいたい光秀縁者というだけで北の方の地位から引き摺り下ろされるぐらいなら
義龍と敵対関係になった時点ですでに北の方の地位を引き摺り下ろされたろうな。
道三亡き後あれこれちょっかいをだして織田軍を苦しめる敵の対象の実妹なんだから、
内通者の可能性だってあるわけで、とっくに追い出されてたろう。

532 :人間七七四年:2008/10/21(火) 12:52:25 ID:G52eTRQ7
お市はとくに迫害されたり追い出されたりはしてないなあ。
政宗母とか勝頼妻とか秀頼妻とかも

533 :人間七七四年:2008/10/21(火) 13:09:37 ID:2H3Z6R4e
ま、>>531みたいにある程度結論ありきで話さないと何もいえなくなるくらい濃姫に関しては情報がないからな。
個人的には、情報が残っていないだけで迫害されてた、って言うのは飛躍が過ぎる推論だと思う。
あの時代の女性の情報が残ってないのは良くあること。妻が出張って来ないのもよくあること。
ねね、まつみたいに妻が目立つのは寧ろレアパターンなんだよね。

534 :人間七七四年:2008/10/21(火) 14:05:42 ID:VC1ts53+
>>532 家康生母や信玄娘の黄梅院、長政の最初の妻らはとっとと離縁されて
おいだされてるがな。


535 :人間七七四年:2008/10/21(火) 15:53:33 ID:aeuUnzKV
追い出された事にしたい人が降臨してるのか

536 :人間七七四年:2008/10/21(火) 17:09:03 ID:XsdR/1Ji
ここは濃姫を叩く板ですか?

537 :人間七七四年:2008/10/21(火) 17:50:46 ID:RW7kvZmp
ここにいる人たちは濃姫黒幕説なんてものは信じてはないだろうし
実際に濃姫が本能寺に関わった可能性なんて皆無に近いだろうとは思う。
でも江戸時代の人たちがどう思ってたかはわからないし
その頃の織田家の子孫たちが濃姫についてどう思ってたかも不明。
濃姫生存中は濃姫は無関係だと知られていて普通に暮らしてても、
死後供養するのは子孫達。
直接の子孫のいない上に、妙な噂が横行し織田家子孫に逆恨みされる状況になってたら
信長生存中は丁重に扱われる存在であっても、供養が丁重になるとは限らないよ。
子孫による供養がスルーだから生前の扱いも低かったとは言い切れない。

538 :人間七七四年:2008/10/21(火) 19:03:44 ID:aVy71uhS
生前の扱いが丁重なものだったら、信長にすりよってた
諸侯や公家衆からの貢物などもあったはずだがな。
フロイスも王妃にも献上品をもってきただろうに。
仮にも安土城主夫人だというのに、誰からもスルー。
生前の足跡がまったくなく、織田家の法要などに同行したり、
戦勝祈願をするなどの奥方らしいことをなにもせず、
これで信長と仲睦まじい妻だったといくら力説しても信憑性がない。

539 :人間七七四年:2008/10/21(火) 19:28:47 ID:+HPzeq2e
織田家は信長に限らず女性が目立たないから、正室が出張るというか、女性主導で行事が行われるような家風が無かったんでないの?
目だったことをしてなかったからって仲が冷えていた、っていうのは邪推だと思われる。
現代の夫婦だって、傍目から見てラブラブで熱々じゃなきゃ仲が悪いって事も無かろうに。

540 :人間七七四年:2008/10/21(火) 19:48:47 ID:Zx8wOa63
女性というものは、昔はほとんど記録にないんだよ。橋田すが子も言っていた。あの秀吉の正室の寧々ですら、実際どうゆう女性か
、わからない、ほとんどが小説の中での話しだと。

541 :人間七七四年:2008/10/21(火) 19:57:11 ID:G52eTRQ7
お市や淀殿なんかも、小説講談ではよく語られるので記録が豊富にあるように思われるが、
実際にはほとんど人格を伝えるようなものはないしな。

542 :人間七七四年:2008/10/21(火) 20:03:39 ID:RW7kvZmp
信長と美濃衆が揉めて、その騒ぎの中心に斎藤家の存在があった壷事件の例もあるし
濃姫も自分がしゃしゃり出るとよくないと思ってたかもしれないしね。
織田家の家風だったとか、信長が女が表に出るのを嫌ったとか
可能性はいろいろ考えられるし。

543 :人間七七四年:2008/10/21(火) 20:17:40 ID:uayCxtwq
>>537
織田家の子孫が濃姫を供養していたという
確実な一次史料は何もないわけでしょう?
濃姫が織田家を出ていれば
織田家の子孫は濃姫を供養する義務を持たない。
一次史料で確実なのは美濃の斎藤道三の娘と
織田信長が政略結婚したということのみ。
濃姫は織田家を出ていた&墓は濃姫のものではない
というとすぐに怒り狂う濃姫厨がいるんだけど、
史料もないのに思い込みだけで論じてもなあ、というかんじ。
自分のも一つの「説」にすぎないんだから
そういう説もあるんだなあ、ぐらいに寛大に見とけばいいのに。
頭に血が上りすぎ。

544 :人間七七四年:2008/10/21(火) 20:36:00 ID:SaKjnbf5
ちと話が戻って悪いが、道三対面の記事でも日付なんかははっきりしない
んでしょ。
道三対面は確実ってことでいいの?美濃側の史料とかの裏づけとか。

545 :人間七七四年:2008/10/21(火) 20:43:54 ID:Zx8wOa63
469>
濃姫に関しては、生存説、早死説、離縁説、しっかりとした資料がないから自分で想像するしかない、そのさいwikipediaを信じようと、井沢を信じようと、遠藤周作を信じようと自由ではないか。

546 :人間七七四年:2008/10/21(火) 20:44:17 ID:XsdR/1Ji
>>543

アンチ濃姫だったら、他にスレ作って叩けば良いと思います
「濃姫厨」って言うけれど、ここはその濃姫のスレなんだから、彼女が好き(恋愛云々ではなく)と言う人だって集まってると思います
多少行き過ぎた私見もあるかもしれないけど、そう言うのはやんわり否定するのが礼儀じゃないですか?
頭ごなしに否定するばっかりだと、真実って見えないと思います
それこそ「武功夜話厨」って逆に言われてしまいますよ?
最近淀殿が見直され始め、徳川が捏造したであろう彼女の人物像も本来の姿を現し始めた昨今、あなたは「彼女こそ悪党」と言うのですか?

> 織田家の子孫が濃姫を供養していたという
>確実な一次史料は何もないわけでしょう?

では具体的に織田家の子孫は誰の墓を供養してるのでしょう?
信長以外の墓では、誰ですか?
大勢いたのだから、10人20人ではないですよね?

改易された自分の世話をしてくれていた淀殿ですら、信雄は何をしたでしょう
実際、信長の後の実権と言うか後継者と言うか、生き残ったから信雄がそこに納まったけれど、彼以外の誰かが信長の跡を継いだら伝わる話も違ったんじゃないかなと個人的に思ってます
ただ思うのは、他の家臣達、例えば美濃三人衆の誰かの日記にでも残っていたら、もっと反論できるのになと口惜しい気持ちでいっぱいです

頭に血が昇ったようなレスで、お目汚しすみません

547 :人間七七四年:2008/10/21(火) 20:56:02 ID:RW7kvZmp
>>543
>濃姫の供養すら織田家からスルーされてるという事実が信長生前の濃姫の立場そのもの。
この意見に対して、そうとも言い切れないんじゃないのというのが頭に血が上りすぎかな。
こうだったって史料がないんだから、どうとでも可能性はあるわけだし。

548 :人間七七四年:2008/10/21(火) 21:20:24 ID:uayCxtwq
>>546
少しは冷静になりましょう。
私はアンチ濃姫でもありませんし、武功夜話の引用もしていません。
ここでなぜ淀殿の話題が出てくるのか、あなたの頭の血の上り具合は
そうとうお悪いようです。

あなたが
織田家の子孫が濃姫の供養をしているというのならば
織田家の子孫が濃姫の供養をしているという
一次史料を出せばよろしい。
出せますか?

こういうと、この人はますます頭に血が上るのでしょうけれども、
史料を検証し、納得させるというのはそういうことです。

549 :人間七七四年:2008/10/21(火) 21:20:26 ID:RW7kvZmp
>>543
それから、史料が極端に少ない濃姫は思い込みと妄想なしでは語れないよw
妄想に妄想をぶつけ合いながら、濃姫について熱く語り合い楽しむスレなので
ここは日本史板ではなく趣味の戦国板にあるわけで。

550 :人間七七四年:2008/10/21(火) 21:34:49 ID:aVy71uhS
>>540-541
ねねの人柄を示す史料はけっこうあるよ。太閤と尾張弁丸出しで喧嘩をして
側近が困ったとか、信長や太閤の手紙からも人柄がわかるじゃん。
秀吉が秀次に関白職を譲った後すぐに、自分にもしものことがあっても
ねねが困らないようにと一万石以上の化粧料を与えてる記録もある。
夫婦仲が円満だった証拠。

淀殿も大坂形勢不利になりだすと、あちこちの寺社に寄進した記録があるし
確か総見寺のどこかの建物も寄進してる。
晩年は鬱病のようになって診察したと診察した医師の日記に記録がある。
太閤亡き後、信長の回忌供養の喪主もしてる。
伝承されるように威張りくさった女狐というよりは、心身弱っていって
神仏にすがるように生きた様子がわかる。

お市は少なくとも濃姫よりもたくさんの足跡を残してる。
同腹の娘が3人いたこと。(男子も一人いて僧籍に入ったという逸話あり)
勝家と再婚し、小谷ノ御方と呼ばれ、勝家とともに自害したこと。
辞世の句も残してる。
権勢を得た淀殿が後にお市と長政を供養が行っている。
有名なお市の肖像画は淀殿の依頼によってその時奉納された。
肖像画が保存状態もよくばっちり残ってるなんてかなり珍しい。
戦国一の美女を裏付ける確固たる証拠でもあるしな。

>>546
信長の子孫たちは、信長の供養は織田家諸藩が合同で節目節目にやってる記録は
ちゃんと総見院に残ってる。現代も毎年命日になると子孫たちが集まって
信長の供養をやってると、子孫の方のブログに書いてあったよ。
確か本堂に織田家縁の位牌を全部並べてもらって読経するとか書いてあったような?

551 :人間七七四年:2008/10/21(火) 23:21:02 ID:XsdR/1Ji
>>548
淀殿の話は、言葉のあやです
出すべき話ではありませんでしたね、すみません

>あなたの頭の血の上り具合はそうとうお悪いようです。

いえ、血の巡りが良いだけで、悪いのは頭です

> 織田家の子孫が濃姫の供養をしているというのならば
織田家の子孫が濃姫の供養をしているという
一次史料を出せばよろしい。
出せますか?

では逆に、織田のご子孫様方が供養されているお墓はどれだけあるんでしょうか
所謂「先祖代々」の一括りの墓でしょうか

なんて言えば良いのか、上手い言葉が見付からないんですが、史料がないから邪険にされてたとか、それも結局は現代人の憶測ですよね?
また全然関係ない人の名前出して申し訳ないんですけど、つい最近、井伊直弼の手紙が発見されましたよね
あの一枚で、井伊直弼の人間像が見直されたりして、わたしも「へえー」と驚きました
所詮わたしは、そう言ったものを期待してるだけなのかも知れないんですが、濃姫が織田に冷遇されてたという形跡も史料にはないですよね

> 史料を検証し、納得させるというのはそういうことです

わたしもそれを望んでいます
546末尾をもう一度読んでください、お願いします


>>550

ねねさんほどの人だからもっと逸話があってもおかしくないのに、あなたが書かれたのは有名すぎて話にもならないものばかりです
Wikiにも書かれてることですよね
最近では淀殿はただの側室ではなく、もう一人の正室、秀吉はそれくらいの扱いをしていたという仮説も立ってます
誰が立てたのかわからないので、ここでは単なる噂話程度の話かも知れませんが・・・
お市さんは嫁いだ先に恵まれていたとしか言いようがありません

それと、位牌は墓ではありません
数が多すぎて一々回ってられないだけでしょうが、それにしても織田の人間の冷たさと言うか、無情さと言うか、結末がどうあれ信長の奥方のことすら書き残せないとは、よほどの怨恨でもあったんでしょうかね・・・


また無駄なことを書いてしまいました
みなさん、すみません><

552 :人間七七四年:2008/10/21(火) 23:34:05 ID:LYRpSooP
でもさ、濃姫は織田家では元々微妙な立場だよね。
敵国で戦してた国から嫁いで、
兄によって父が殺されて美濃は尾張と、再度戦したわけだろ?
戦で死人も出てるだろうし、信長も美濃関係者の光秀に殺されてるから、
信長が濃姫をどう想っていたかはわからないけど、
他の織田家の者や家臣はあまりよく思わないだろうね。
だから余計記録も残ってないのかめね。

553 :人間七七四年:2008/10/21(火) 23:38:44 ID:SaKjnbf5
ループで悪いが信長の母、正室、長男の母、このあたりが全部
はっきりしないというのがなんかね。
これだけ研究されつくしてるのに。
ほぼこのスレでも考えうる可能性は出尽くしてるのかな。

554 :人間七七四年:2008/10/21(火) 23:56:32 ID:RdT11l7G
>信長も美濃関係者の光秀に殺されてるから、

だから光秀の前半生は史料が残ってないから、それも分からんって

555 :人間七七四年:2008/10/21(火) 23:58:01 ID:L812sPVL
>・・・なのでしょう? など、?で誤魔化しているけど
居丈高な約2名の方は、両名とも頭に血が昇っているようす。
少し穏便にやりとりしてね。

556 :人間七七四年:2008/10/22(水) 00:16:50 ID:zI792soj
>>553
出自が不明なんて、信長に限らず普通にある話だがね。

557 :人間七七四年:2008/10/22(水) 01:12:49 ID:8sDH7n3r
もちろんそうだけどね。
これだけの有名人と言うか研究がなされててなんか不思議。
まあ全部尾張時代での出来事だしその頃はまだ有名になるか
どうかもわからなかったわけだから不明でも当然、と先にいっておこ。

558 :人間七七四年:2008/10/22(水) 02:33:52 ID:oCYg0y9A
正直な話上杉氏や伊達氏など古くから動向が確認できるような
大名ですら正室の情報が全く残って無かったりするケースも
珍しくないからな。
史料が残ってない以上、どうとも言えない。

ただ、言継卿記の壺事件は、すくなくとも「信長本妻」に連なる
人々を信長が無視出来できず、「シウトメ」に挨拶に出向くなど
信長の妻の生存はべつとしても、正室の係累との関係が切れて
いなかった証左になるのではないかなと個人的には思う。
あとは『勢州軍記』あたりの記述がそれを補完する感じで。


559 :人間七七四年:2008/10/22(水) 05:29:58 ID:htmjzR4V
城が燃えてる上に織田家はバラバラになったからね。当時は記録があったとしても、残らなかったのだろうね。

560 :人間七七四年:2008/10/22(水) 08:01:55 ID:I0Ep/0bg
>>551 >>最近では淀殿はただの側室ではなく、
もう一人の正室、秀吉はそれくらいの扱いをしていたという仮説も立ってます

女流作家が勝手に書いたことで、学会でなんの認定もされてない話だよ。
武家ではどの時代においても正室は一人。
北政所と称されたということでねねがその地位だったことが
明確に証明されてる。淀殿のことは政宗の書状で「お袋様」と書かれているから
諸侯からも側室としかみなされてないことは確か。

位牌は墓ではないというけど、法要というものに参加したことないの?
本堂で位牌を前に読経をあげ、墓前にいって線香をあげる、その後親族で
食事会、というのがワンセット。>>550ではそのことを言ってるのだろうに。

Wikiレベルの浅い知識で必死に自論に執着しすぎ。
正室二人説をなんのことを恥ずかしくもなく書いてしまう程度の知識なら、
まずは室町あたりからの女性史でも勉強したら?

お市が嫁ぎ先に恵まれてたってw
長政は箔ダミにされ、勝家とは嫁いで半年もたたずしてともに自刃したんだけど、
どこでそう思えるのか不思議。

本当に無駄な書き込みだね。
わかってるんならもう二度と書かないでくれ。

561 :人間七七四年:2008/10/22(水) 08:20:52 ID:td06Nryf
>>558
『勢州軍記』など史料として価値がないよ
書かれた当時は『信長公記』がかなり出回っていて、それを参考に見て
しかも当時のうわさ話しもかなり取り入れたのだから話しにならない
他の資料の信忠養子も『勢州軍記』を見て書いたのだから
信忠養子の件はスルーしてよい

562 :人間七七四年:2008/10/22(水) 08:33:33 ID:PFE4uD/y
大橋記も勢州軍記より後だっけ?
大橋記に書かれてる、信長生母が小嶋氏って言うのは最近注目されてるが。

563 :人間七七四年:2008/10/22(水) 08:38:16 ID:I0Ep/0bg
濃姫の存在を光秀がらみの「怨恨」ゆえに織田家から抹殺された、
という説に固執してる人がいるが、怨恨ゆえに信長死後は縁切りにされたとしたら、
分限帳にある「安土殿」というのは誰なんだ?となる。
濃姫でないなら信長には濃姫がいながら、
「安土殿」と称されるほどの正室に等しいほど権威のあった
側室がいたのでは?と当然疑問がでてくる。

淀でさえ淀城を出た後は大阪城に入って西の丸殿、二の丸殿となり、
側室に相応しい呼称で呼ばれていたが、
安土殿となると安土城主夫人と同義語、
そう呼ばれるほど信長に寵愛されていた側室が安土城にいたというのか?
濃姫がいたのに。

つまり、信長生前中から濃姫は信長から厚遇されておらず、正室としての
権威も保てないほどの扱いを受けていた、となるけど、そういうこと?

安土殿は信長の姫、という解釈をしてる人もいるが、
嫁ぐ前の姫にあれだけ多い知行など与えない。
濃姫が生きていたのなら安土殿が濃姫で、信雄から厚遇されるほど
その時点では織田家から大事にされたか、もしくは
濃姫はとっくに死んだか、離縁したかで織田家とは無縁になっていた、
あるいは正室として織田家の誰からも相手にされず、
安土殿という正室なみに権威のある側室が奥を仕切り、
信雄が面倒をみることにメリットがあるほどの政治的な影響力をもった女性がいた、
となる。

光秀と従兄妹同士だから織田家から怨恨をかったという説は
どっちにしても矛盾してる。

564 :人間七七四年:2008/10/22(水) 08:39:39 ID:kjqoIhfs
>>555

はーい、少し頭冷やします

>>560

箔ダミにされることって、何か特別な意味があるんですか?
そもそも箔ダミって何?
金メッキでもされたことってことですか?
あなたもWikiに書かれていること以上のことが言えてないような気がしまーす^^
ここって、濃姫スレですよね?
だのに、濃姫が好きな人は来ちゃいけないって言ってるんですか?
だとしたら、ものすごい理不尽ですね

> 位牌は墓ではないというけど、法要というものに参加したことないの?

仏壇の前でお坊さんがお経唱えて、その後墓参りに行きましたけど、これは法要ではないのかな?
子供の頃の話しなので、記憶があやふやです><
なんか、「それは法要ではなく法事」って突っ込まれそう・・・
でも、その織田のご子孫様方が行なわれる法要の位牌の中に、濃姫らしき人の名前ってないんでしょうかね?
あまりにも通説過ぎて信憑性はないでしょうが、一応濃姫の戒名じゃないかって言う名前も浮かんでるのに


> お市が嫁ぎ先に恵まれてたってw

言葉の通りです
嫁ぎ先ではちゃんとされてたんでしょ?
だから名前とか史跡もしっかり残ってるんじゃないんですか?

>長政は箔ダミにされ、勝家とは嫁いで半年もたたずしてともに自刃したんだけど、
>どこでそう思えるのか不思議。

恵まれてないのは実家だと思います
女性を記録しないのは当時としては当たり前でも、ここまで徹底してスルーしてるってことは、織田にとって女性は正しく「子供を産む道具」(義元みたい・・・)としか考えてなかったって言う結果じゃないんですか?
もう少し文章読むか、読解力を養ってください^^


ここで濃姫の逸話の真相とか色々伺いたかったのですが、無理だということがわかりました・・・
史料云々以前の問題があるんですね
560みたいな「俺様主義」がいるし・・・
持論に執着じゃなくて、普通に疑問をぶつけてるだけなのに、それすら歪曲して受け取ることしかできないなんて可哀想
それはともかく、そんなにも史料がなくて、一部(の人間)じゃ否定すらされてるのにこうしてスレッドが立つなんて、やっぱり濃姫には人を惹き付ける魅力があるんですね
信長の他の女性関係でスレッド見たことないですから(妹は除外)
長々とすみませんでした^^

565 :人間七七四年:2008/10/22(水) 08:51:16 ID:I0Ep/0bg
>>564 おはなしになりませんねw

その手の軽いのりのお話合いがしたいのなら
既女あたりでスレをたてればよろしいかと。

566 :人間七七四年:2008/10/22(水) 09:09:58 ID:td06Nryf
>>565
激しく同意

>>564のミーハー的な気質には興ざめだ
既女にでも『濃姫ファン集ま〜れ!!』といったスレでも立ててやってくれ
ここには二度と来るな!

567 :人間七七四年:2008/10/22(水) 09:16:27 ID:t5lDN5pv
>>564 頭悪いんだね。
法要→死者の追善などのために行う仏教の儀式。法事。法会。法用。

あんたが逆に「頭悪いね、法要も法事も一緒だよ」とつっこまれるよ。

箔濃の意味もわからんの?金メッキなんて言ってるようじゃ
Wikiすらまともに理解できてないじゃん。

箔濃→漆塗りに金粉を施すこと

長政親子の頭蓋骨を箔濃にした、というのは
当時ではありえないほどの死者への冒涜を意味するの。
敵方の首級を丁重に扱うのは戦での礼儀で、首実検の作法書まである。
まぁ最近では箔濃にしたのは密教に由来するもので
けして首級を粗末に扱ったわけではない、なんていう説もあるけど
君にいってもどうせ理解できないだろうね。

568 :人間七七四年:2008/10/22(水) 09:44:24 ID:mCgqoIR1
本当は冒涜じゃなくて、敵への賞賛の意味があるんだよ
それを知らずに頭蓋骨を見世物にした野蛮な振る舞い=冒涜と勘違いされただけ

女性を資料に残さないのは、織田家には織田家の考えがあってのこと
生む機械とかひねくれ過ぎ

569 :人間七七四年:2008/10/22(水) 10:12:20 ID:td06Nryf
まあ信長の箔濃は裏切り者への見せしめとしてやった事だけども
本場中国はこんなもんじゃないのよ
何しろ敵の肉を食い、家来にも食わせるのだからね

570 :人間七七四年:2008/10/22(水) 10:16:18 ID:eLXMzbny
>>568 でも同盟関係にあったのに卑怯にも裏切った浅井親子を賞賛するわけないと
思うんだけど。彼らは賞賛に値するようなことしてないし。
しかもあの朝倉義景も一緒に箔濃にされてる。箔濃の首はいったん京に晒されてるし
晒し首にする程度の相手を賞賛するとは思えない。

当時は首級がくさり果ててうじ虫だらけでも、それをそのまま勝利の宴会の肴に
することはあった。だがきちんと台において、可能な限り死に化粧を施して
あげたもの。箔濃にするというのは、興味本位で見世物にした、とした
としか思えないな。そもそも箔濃はチベット密教から由来したもので、
頭蓋骨の一部を箔濃にして盃にし、儀式で用いたりしたもので
日常的にしていたことでもない。

571 :人間七七四年:2008/10/22(水) 13:35:00 ID:kjqoIhfs
ここがこんなにも大人気ない人間の集まりだなんて、知りませんでした
看板に偽りありですね・・・
「卑怯にも裏切った」ってあるけど、そもそも最初に約束破ったのは信長で、そんなの誰でも知ってることなのに・・・
わたし、頭悪いから「頭悪いです」ってちゃんと書いてるのに、それすら読めないなんて・・・

> 生む機械とかひねくれ過ぎ
はい、書き過ぎでした、反省してます

565-566-567の自作自演にも興醒めしました
失礼します

572 :人間七七四年:2008/10/22(水) 15:56:53 ID:uNObjp+P
>>571 で、法要と法事が同じ意味だということは理解できたの?
箔濃がなんたるかも理解できた?

いくら頭が悪くてもそのぐらいはしっかり理解してなw

573 :人間七七四年:2008/10/22(水) 17:37:36 ID:fSfKm6lU
煽りあいしたいだけの人達は、どこか別のところに行ってね。
知識自慢したい人は日本史板に行った方が気持ちよくなれるんじゃないか。

574 :人間七七四年:2008/10/22(水) 17:58:26 ID:fSfKm6lU
>>563
濃姫が生きていた間は織田家からどう思われてたかはわからないけど
冷遇はされてなかったと思う。
そりゃ信長の正室なんだから、離縁でもしてない限りそこそこの扱いはされるだろ。
問題になってるのは濃姫死後の供養について。
信長も濃姫も亡くなって彼らを直接知る人も死に絶えたぐらい後の
織田家の子孫達が濃姫の供養をしたいと思ってたのか。
供養をスルーしたとすると、その理由は生前の濃姫がその程度の立場だったのか
それとも何か別の理由があったのかってこと。

575 :人間七七四年:2008/10/22(水) 18:08:46 ID:htmjzR4V
>>570

え?箔濃って普段やらないんだ〜!
普通かとおもってた〜!

576 :人間七七四年:2008/10/22(水) 18:58:53 ID:uPeQ6Hj+
橋田スガ子はテレビでこう言った。
寧々のことだって、ほとんどわかっていないのですよ。わかっていることは、信長が寧々に出した手紙。
秀吉の浮気に嫉妬するなということと、秀吉が九州遠征のときに、寧々に茶々をよこしてくれと書いた手紙。これくらいで、寧々のことはほとんどわからないのですよと。これを見たとき、ああそうなのかと思ってしまった。

577 :人間七七四年:2008/10/22(水) 19:00:25 ID:kjqoIhfs
>>572
は、性格が悪いw

578 :人間七七四年:2008/10/22(水) 19:16:36 ID:uPeQ6Hj+
濃姫のことは、真実がわからない以上彼女が好きならば、信長を影から支え本能寺以後は悠々自適の生活を送った。
嫌いならば、死なせてもいいし、離縁させてもいい。最悪離縁させられて、苦界に実を落とし自殺。どうだろう。

579 :人間七七四年:2008/10/22(水) 19:16:39 ID:td06Nryf
>>577
それはあんた


580 :人間七七四年:2008/10/22(水) 20:22:55 ID:aqxN2qMD
>>576 ねねほどあちこちの史料から足跡をたどりやすい戦国女性も
珍しい。秀吉同様出自は不詳だけどな。
引退後も家康と秀頼の顔合わせに同席し、二人の上座に座るなど北政所の権威は
維持していたし、家康から化粧料をもらうなど悠悠自適な
人生だった。秀吉の墓も破壊されそうになったけど、将軍家が
ねねの嘆願を聞き入れ寸止めで辛うじて残してもらった。

信長、秀吉、家康、と時の権力者と直に接し、信頼を寄せられた稀有な女性。
濃姫がねねほどの器量をもっていたら、信長があのような不慮の死をとげても
織田宗家が惨めに断絶していくようなことにはならんかったろうに。

581 :人間七七四年:2008/10/22(水) 20:27:50 ID:JiwPHCRg
>>576
ねねは秀吉没後、出家して高台院となり京で秀吉の菩提を弔っていたことが史料で確認できる。
秀頼と家康の二条城対面のときにも、ねねが嫡母の特権で秀頼を呼び出し、
秀頼の保護者として同席したことが知られる。
夫の死後は前田家を守り息子のために家康の人質となって江戸へ行った芳春院(前田利家正室)。
(芳春院は長男没後前田家へ返され加賀で没)
夫の死後は仁和寺に入った養子のそばで暮したいと京に住んでいた見性院(山内一豊正室)。
夫の死後も生きながらえた正室の多くはその動向が史料から確認できる。
史料から何も確認できない濃姫はまったくもって奇異で
その時点ではすでに存在しなかったとみざるをえないのはどうしようもない。
>>578
好き嫌いで歴史を語るなよ。
濃姫厨は現実の濃姫がたとえ信長と離縁してようが早世していようが
濃姫が好きなんでしょ?
それとも史実の濃姫が信長と別居してたり
早世していたりしたのだったならば濃姫好きをやめるのか。

582 :人間七七四年:2008/10/22(水) 21:21:50 ID:fSfKm6lU
いいんじゃないの、好き嫌いで

583 :人間七七四年:2008/10/22(水) 21:46:00 ID:Ua6OdzcT
だな。専門家じゃあるまいし。
ただ、好き嫌い全開でしつこく粘着し続けるのは傍迷惑だけど。

584 :人間七七四年:2008/10/22(水) 22:22:04 ID:uPeQ6Hj+
まったくわからないのに、歴史をどう語ればいいのだ。

585 :人間七七四年:2008/10/22(水) 22:27:01 ID:UdCEVbe2
>>571
確かに最初に裏切ったのは、客観視してみれば信長ですけど、
当の信長本人は自分が裏切ったという自覚は恐らくないでしょうね。
なので信長視点から言えば「卑怯にも裏切った」になるのですよ。

あと、ここは一次史料が一通り読めるくらいの歴史通が多いスレなので
軽いノリで濃姫について語りたい人には向かないと思います。
どちらかというと、史板でやった方がいいんじゃないかという
内容の書き込みが多いですしね。
(そもそも昔は史板にもスレありましたし)
フランクな濃姫語りをしたいなら、毒女板とか、あとは適当なほかの掲示板を
お勧めします。

586 :人間七七四年:2008/10/22(水) 23:19:17 ID:fSfKm6lU
>>585
1を見ると、ここは自称歴史通のためのスレではないようだけど。

587 :人間七七四年:2008/10/22(水) 23:21:34 ID:UdCEVbe2
>>586
確かにその通りなんだけど、
実際ミーハー心で濃姫を語りたいって人は
ここでは着いていけないでしょ。
それどころか釣り扱いされる可能性すらある。
結局どんな話題からも、マジレス歴史通なネタに発展してしまうし。

588 :人間七七四年:2008/10/22(水) 23:34:59 ID:fSfKm6lU
もう史料に基づいての意見は出尽くして、話題がループしてる感があるし
例えミーハー心でも意外な視点や違う角度からの意見が出た方が面白いんじゃないか。
新史料の発見も期待できないわけだし。

589 :人間七七四年:2008/10/22(水) 23:42:01 ID:LrPlGsmd
>>588
それであまりにも下らない説ばっかり出てくるからこう殺伐としてるんじゃないか
例えミーハーでも、まともな資料を一通り当たってから自説を展開してもらいたいな

590 :人間七七四年:2008/10/22(水) 23:45:23 ID:td06Nryf
>>588
旧帝大同士で、量子力学の話しをしてるのに
幼稚園が両親の話しで割り込んで来るようなもの
今までの書き込みを見てたら、このスレにはもう相当な歴史通がいっぱいおるってのが分からんのか?


591 :人間七七四年:2008/10/23(木) 01:14:29 ID:/h2GiU9Y
いや、そんな大したスレでもないしw
所詮2ちゃんのスレなのに、自画自賛が激しすぎるって。
素人なら素人らしく謙虚にいこうよ。
本当に多くの知識を持ってる人も中にはいるんだろうけど
そんな人はこんなスレで知識をひけらかしたりせず
普通に書き込んでるんじゃないか。
知ったか素人ほど、史実がどうとかやたらとアピールしたがるけど。

592 :人間七七四年:2008/10/23(木) 01:36:45 ID:1tTmDLQ8
史実史実と言い始めたら濃姫の場合語れることが殆どないんだから、「もし〜だとしたら」の連発になるのはある程度しかたないよね。
だからこそ「どう考えても〜だよ」「〜に決まってるんだろ」という言い方はスレが荒れるから避けた方がいいと思うけど。

ちなみに俺は「濃姫=安土殿」派だな。
格別切れ者というわけではないけれど信長の活躍の陰で粛々と奥を取り仕切り続け、信長死後はひっそりと暮らした、というイメージ。

593 :人間七七四年:2008/10/23(木) 01:59:57 ID:9Rsq2fu7
濃姫が安土殿なら、鍋はなんて呼ばれてたんだろ?


594 :人間七七四年:2008/10/23(木) 02:05:51 ID:/h2GiU9Y
小倉殿?

595 :人間七七四年:2008/10/23(木) 02:07:40 ID:9p1LnrHV
>>561
少なくとも、寛永期にはもう信忠が正室斎藤氏の
養子として遇されたという話が存在したという指標にはなるだろう。

それに、信長の娘婿・蒲生氏の旧臣が残した記録をまとめたこと、
蒲生氏が絶家となった直後の寛永期にはすでに成立していたことなど
を勘案すると、全くない(話にならない)と断じてしまうのは早計だと
思うが。無論、甲陽軍鑑などと同じく、脚色や噂話のようなものも
混じっているので、他の史料との照合が必要ではあるが。


596 :人間七七四年:2008/10/23(木) 07:55:44 ID:A9GqS0zb
俺は安土殿=養華院=北畠氏と思ってるんだが。
安土殿が北畠氏なら信雄が信長の側室を庇護しても不自然じゃないし、
安土城の奥のトップの地位にいてもらうことのメリットも
あるから信雄も信長生前から後見もしたろうし、信雄との関係からも
養華院が織田家の菩提に埋葬されても不思議じゃない。

濃姫とは美濃攻略の前後に離縁したんじゃないかな。
織田家に濃姫が亡くなったことを示すものがないならそれ以外
考えられない。
他の大名家でも正室の墓もない、戒名も伝わらない、という例が
他にあるのならたんにそれだけのことかもしれないけど、
聞いたことないしな。

597 :人間七七四年:2008/10/23(木) 08:46:04 ID:Iy/U8TiT
離縁は無いんじゃないかと思う。
というのも、濃姫の夫であれば、義龍の父殺しを糾弾して自身の美濃攻めを正当化できるからね。
信長はこういったプロパガンダの効果をよく理解して行動しているから、わざわざ自分から大義名分を捨てることはしないと思う。
無くても攻めることに変わりは無いけど、大義名分があるのにこしたことは無い。
濃姫と義龍の仲がよかったのなら、また話は変わってくるのかもしれないけれど。

598 :人間七七四年:2008/10/23(木) 08:55:01 ID:Iy/U8TiT
あと離縁なら離縁でやっぱり記録なり逸話なりが残ると思うな。家康の母親であるお大の方みたいにね。
まあ、記録がろくに残っていない濃姫の事だから、離縁記録が残って無くてもそう不思議は無いか。

そういえば、お大の方は家同士の関係が悪くなったから離縁されたパターンだな。
もっとも、こっちは今川に配慮しての行動だと考えられるから、他家に配慮する必要が特に無い織田の場合と単純には比較できんけど。

599 :人間七七四年:2008/10/23(木) 10:09:10 ID:3NLgvINs
家同士の関係から離縁させられたといったら北条氏政夫人が
真っ先に思い浮かぶな。四人もの子供を残して、実家に戻され
半年後に亡くなったなんてかわいそすぎる。

濃姫がもし離縁となっていたとしたら、濃姫に戻るべき実家が
ちゃんとある時ってことになる。そうなると
離縁説の期間はけっこう限定されるんじゃないの?
道三生存中はないとして、義龍の時代じゃなかろうか。
龍興の時代となると甥だし、頼るにも心もとない。
道三の国譲状を盾に美濃侵略を始める夫に愛想をつかし
美濃侵略の大義名分をなくすために濃姫のほうから三行半をつきつけたとか、
あるいは義龍にそうするようにしむけられたか。
離縁というのも可能性としてはゼロじゃないと思うけど。

600 :人間七七四年:2008/10/23(木) 10:33:11 ID:HffHDYZt
濃姫が美濃にいた頃、道三とは仲が悪く
義龍と非常に仲が良かったと考えたらどうだろう
それだったら濃姫の方から離縁を申し出るのは理の当然だよね

601 :人間七七四年:2008/10/23(木) 10:38:26 ID:UAVeDxOe
自分は、濃姫=久庵慶珠じゃないかと思っている。

602 :人間七七四年:2008/10/23(木) 11:00:49 ID:9Rsq2fu7
安土に住んだのは晩年の数年だから、濃姫はそれまでの呼び名があっただろうから、
安土殿とは呼ばれていないんじゃないかな?
住居をよく変えた信長だから、場所の名前ではなく、単に御台様とか?

603 :人間七七四年:2008/10/23(木) 11:09:07 ID:3NLgvINs
>>600 道三は家臣からも民衆からも人気なかったからな。
それを利用して義龍がうまく立ち回った可能性はある。
濃姫も父の治世に疑問をもち、兄の考えに共感したら
父より兄、となったろうけど。

濃姫にしてみたら自分の祖国を戦に巻き込みたくないだろうし、
兄に嫁ぎ先を攻撃されるのも嫌だろうし、タイプで言えば政宗生母の
義姫みたいだったとしたら、離縁もやむを得ず、という手段をとったかも。
義姫は晩年最上に帰ったけど伊達家の女性として葬儀、法要されてるけどね。
壷事件の時に信長が姑のところに行ったけど、案外姑のところに
身を寄せている濃姫がいたのかもよ?

604 :人間七七四年:2008/10/23(木) 11:40:12 ID:lnvas/Nv
>>603
結構説得力がある流れだと思うだけれど、個人的に気になるのは、逸話レベルですら「濃姫離縁」という事を聞かないということだな。
道三死亡後で濃姫が顔を出す話はぼちぼちあるのに。

605 :人間七七四年:2008/10/23(木) 11:44:29 ID:UAVeDxOe
>>604
武功以降、武功がらみでは離縁はよく聞くようになったが、
江戸期などの逸話や二次三次史料で離縁は皆無だな。

606 :人間七七四年:2008/10/23(木) 12:40:11 ID:zGKN9aCl
>>605武功では濃姫は正室としてちゃんと生存している。
濃姫がいてくれないと吉乃の存在が際立たないからな。

濃姫は離縁どころか存在を確認することすら二次三次でも皆無。



607 :人間七七四年:2008/10/23(木) 13:16:22 ID:lnvas/Nv
美濃攻略後は逸話レベルの存在すら確認できなくなってくるからな。
一応、「安土殿」や「御台所」、「北の方」といういわゆる「これが濃姫であってもおかしくない人」は確認できるんだけど。
まあ、もともと織田家は濃姫に限らず女性の逸話が殆ど残っていないから、逸話が見当たらない事は特別不思議なことではないが。

608 :人間七七四年:2008/10/23(木) 13:17:55 ID:UAVeDxOe
>>605
武功で出てくるのは知ってる。
しかし、武功以降、武功がらみの話しを出す人たちは、
濃姫は離縁されたか、早く死んで吉乃が正室格(笑)に繰り上がったと
よく言うようになったから、そういう例を出したまで。

609 :人間七七四年:2008/10/23(木) 14:00:38 ID:zGKN9aCl
武功以前から桑田忠親なんかは濃姫は早世もしくは離縁したのではないかと書いてる。
歴史家にとってもなんの足跡のない濃姫のことはそう解釈せざるをなかったんだろう。



610 :人間七七四年:2008/10/23(木) 14:02:57 ID:HffHDYZt
武功云々言うのなら
国盗物語も出さないとおかしいのではないか?
どちらも歴史小説だから

611 :人間七七四年:2008/10/23(木) 15:20:07 ID:rTF0IH3G
美濃征服までは濃も存在感あったのだが、古女房にもなって
きてるし、上洛後はだんだん陰が薄くなってきた、みたいには
感じる。
なので記録、逸話のネタが少ないのもそうなのかな、と。
安土殿や大方様が誰を指すかはわからないけど、そこにしか
出てこないような陰の薄さは逆に濃かもしれないな、と
思ったり。

612 :人間七七四年:2008/10/23(木) 16:05:01 ID:CG1SHkRb
>>美濃征服までは濃も存在感あったのだが

どのへんで?

613 :人間七七四年:2008/10/23(木) 16:29:15 ID:lnvas/Nv
>>609
解釈というか、予想・仮説でしょう。
記録がないくらいで死んだことにするのが史学だというのなら話は別だが。

614 :人間七七四年:2008/10/23(木) 17:53:28 ID:UAVeDxOe
>>613
そんなの史学じゃないよ。
むしろ、ごく普通に考えれば、亡くなった記録がないから、
信長生前は亡くなっておらず、秀吉、家康と、情勢が変わって行って、
織田家が目立たない存在になった頃亡くなったと考える方が自然。

615 :人間七七四年:2008/10/23(木) 17:55:28 ID:/h2GiU9Y
濃姫で一番有名な逸話って、輿入れ前の道三との会話だよな。
信長でなく父を刺す刃になるかもってやつ。
内容自体は、誰が二人の会話を聞いてたんだよwって突っ込みたくなるけど。

616 :人間七七四年:2008/10/23(木) 18:36:26 ID:CG1SHkRb
>>614 じゃなんで墓が一族の中にないの?
織田家がどんなに弱小大名に成り下がっても一族の供養とそれは別もんだろう。
同時期の側室は二人も菩提に埋葬されてるというのに
肝心の正室はなんでそんな扱いうけてるの?


617 :人間七七四年:2008/10/23(木) 18:55:22 ID:/h2GiU9Y
信長死後からだけでも、織田一族は一体何人死んでいったんだろう。
全員の墓や位牌を管理するのも大変だよな。
総見寺の倉庫の奥深くにしまわれた箱の中にでも
直接の子孫が絶えてしまった一族の人の位牌が
たくさん眠ってたりして。

618 :人間七七四年:2008/10/23(木) 19:10:21 ID:u4tzSdZx
>>596
>他の大名家でも正室の墓もない、戒名も伝わらない、という例が
>他にあるのならたんにそれだけのことかもしれないけど、
>聞いたことないしな。

現に斉藤家の正室がそうじゃんw
斎藤家の菩提寺に道三とならんで義龍の墓はあるのに
正室の墓も戒名も伝わってないらしいよ
美濃国諸旧記にかかれた小見の方の没年が事実なら
斎藤家の菩提寺に墓なり位牌なりあってもよさそうなのに


619 :人間七七四年:2008/10/23(木) 19:24:08 ID:pJrD0TZ5
室の序列は実家の力次第。

濃姫の存在価値は道三の死と共に無くなり、変わって商家であり他国の情報も入ってくる生駒家の吉乃の価値が上がった。

620 :人間七七四年:2008/10/23(木) 19:39:45 ID:UAVeDxOe
>>619
だったら、当時は陸運より水運の方が盛んだったから
熱田とつながりの深い坂氏の価値の方が上じゃない。

621 :人間七七四年:2008/10/23(木) 19:55:25 ID:pJrD0TZ5
>>620
市や港の支配は信定、信秀の時代に終わってる。
だから信長の代に必要だったのは情報だったんだよ。

622 :人間七七四年:2008/10/23(木) 20:01:36 ID:/h2GiU9Y
その割には生駒家って信長に重用された気配がないよな

623 :人間七七四年:2008/10/23(木) 20:02:08 ID:UFqudscD
>>618
正室の位牌も法名も伝わらない=濃姫はある時点で織田家を出た、ってことじゃないかい?
織田家の正室として死ぬまで添い遂げたのならば
信長より先に死のうが後に死のうが、法名は残るし信長没後の動向も記録に残る。
しかし、別居や離縁した正室ならば織田家に位牌も法名も伝わらない。
同時代の大名の正室たちの法名や動向は分かっているのに濃姫だけが不明なのは
織田家を出ていたからだと考えればすんなりいく。

624 :人間七七四年:2008/10/23(木) 20:34:34 ID:UAVeDxOe
>>621
だから、その情報も、水運の方が手に入るでしょ?

625 :人間七七四年:2008/10/23(木) 20:35:34 ID:/h2GiU9Y
織田家の子孫に聞けないかな。
濃姫って離縁したのって。
自称子孫だと信憑性ないから、信雄系子孫あたりに。

626 :人間七七四年:2008/10/23(木) 20:59:13 ID:u4tzSdZx
>>625
子孫に聞いて解決する話ならここで議論することも
濃姫がらみの調査や論文が書かれることもないだろw

織田ご子息がいうには、織田家はもともと女性に関する記録はほとんど残さない
家だったので、自分達にもよくわかっていないことが多すぎて困るという話をしていたようだが

627 :人間七七四年:2008/10/23(木) 21:06:23 ID:pJrD0TZ5
>>624
生駒の場所を考慮に入れてください

628 :人間七七四年:2008/10/23(木) 21:42:18 ID:CG1SHkRb
>>618 この場合織田家のように戦国時代に名のある大名家で、
江戸期もずっと直系の本家筋が存続している家で、
信長と同時期あたりの有名大名の正室の墓も戒名も存在しない大名家
というのは存在するのか、で比較しないと意味ない。

光秀ですら本妻が亡くなったことなどが細川のほうの史料にあるし、
確か言継の日記にもあるし、墓もあるし、家が断絶しても多方面から
史料が残る場合もある。

629 :人間七七四年:2008/10/23(木) 21:56:10 ID:/h2GiU9Y
>>626
よくわかっていないことが多すぎるって結構アバウトな家だなw
それなら何百年も前に亡くなった自分達の直接な先祖でもない女性の記録が
はっきりしてなくても仕方ないわけだ。
几帳面に記録を管理してる家なのに濃姫だけ記録がないならおかしいけど。
養華院も正室と寵妾の両方の史料があるけど、織田家でも誰だかわからないんだよな。
別の女性の記録とごちゃ混ぜになってる可能性もありそう。

630 :人間七七四年:2008/10/23(木) 22:39:33 ID:UAVeDxOe
>>629
信長生母でさえ、一体どこの誰か分からないくらいだからな。
意外と、別の人物の法名が、実際は濃姫の可能性だってある。

生駒が記録にある程度残っているのは、信雄の家系が残ったのと、
生駒利勝の織田家すり寄りによるものだからな。

信高だって、小倉の子と言われているが、信吉が子であるのは法要記録などから分かっても
信高も子であると証明できるような、はっきりとした法要の記録もないし、一次史料にもないしな。
状況証拠的に、小倉の子と考えうる史料はあるが、それと同時に、そうではないと考えられる史料もある。
信高の家系も、結局は信雄の家系から養子をもらっているから、わけ分からなくなってるんだろう。

631 :人間七七四年:2008/10/24(金) 02:41:02 ID:QteVxo5a
甲斐の武田は、江戸時代に高家にとりたてられたといっても、
それはようやく綱吉の時代になってからのこと。
天正十年の武田瓦解時に自死した信玄次男の竜宝の子の信道(道快)と
その子の信正は大久保長安事件の連座で伊豆大島に流されてもいる。

関東に覇をとなえた後北条は、河内長野の小大名でしか残れなかった。

けれど高野山の過去帳に記述が残り、詳細がわかった夫人もいる。
位牌の存在が不明だとしても、菩提寺の法灯が途切れても、
どこかしらに受け継がれた過去帳ってもので存在がはっきりする場合もある。
濃姫の場合は、今さらだけど、今さらにほんとに不思議だと思う。

632 :人間七七四年:2008/10/24(金) 02:54:05 ID:4R9wQM9m
何かあって意図的にかくしたのかもね。

633 :人間七七四年:2008/10/24(金) 03:31:49 ID:8Ej67URT
>>631
北条氏の場合でも、つい最近まで人物の混同があったり、
氏康生母なんて正室なのに全く素性が判らないしな、
難しい所なんだよね。

とくに濃姫の場合、状況証拠自体少ないのに、そっからたぐり寄せなきゃ
ならない。

634 :人間七七四年:2008/10/24(金) 08:23:06 ID:3y1j7S0q
>>629 でも総見院の史料は一次史料、総見寺のは二次史料。
信憑性が全然違う。一次史料である寺の過去帳すらも疑い出したら、
それこそ信長公記だって言継日記だって信用できなくなる。

養華院は側室のだれかというのは間違いないと思うよ。
仮にも信長正室なら葬儀も取り仕切った総見院がそんな失礼な間違いを
するはずもない。菩提を見る限り織田家では信長の正室よりも
寵妾の養華院のほうが大事にされていた。

仮に養華院が信長正室だと推測するなら、なぜ寺に寄進までして寺側とも
入魂だったはずの正室が寵妾扱いで埋葬されたのか、織田家もクレームもせず
そこまで下におかれていたのはなぜか、信雄からあれだけの
知行を与えられ信雄が後見していた安土殿に一体なにがあったのか、
とそっちのほうで納得できる解釈がないとな。

本能寺の変後信雄の後見を受けていたとしたら、本能寺の変で濃姫には
なにもやましいことはなく、立場も安泰だったとなる。
その後濃姫が織田家を裏切るような表立ったなにかをしたかといえば
なにもない。信雄が改易になったのは時の権力者との軋轢にほかならないし、
その他の織田家は庶流に相応しい扱いをされてるだけ。

635 :人間七七四年:2008/10/24(金) 08:49:03 ID:agMh+DNo
あれ?
総見院の史料って一次史料だっけ?
江戸中期の火事で焼失後の復元史料の見方もされてたと思うけど。

636 :人間七七四年:2008/10/24(金) 10:15:48 ID:EXH13pKJ
現存する一次史料の多くは途中で何度か修復、書き直しをされて
家に伝わったものだよ。
オリジナルの紙がぼろぼろになって劣化して字が読めなくなる前にね。
大きな寺院では経典の保存と同時に、寄贈された遺品の手紙などを
コピーしていくのも弟子たちの仕事だったから。

総見院の過去帳が丸焼けしたらそんな史料が存在するわけもなく、
火や水で痛んだとしてもあれだけ詳細に養華院の葬儀の様子が書いてあるから
あの部分はかなり信憑性があると思う。
多少字が劣化して読めない場合はあえてその字をとばしてコピーしていくしな。

637 :人間七七四年:2008/10/24(金) 10:28:29 ID:agMh+DNo
>>636
確かに詳細だけど、肝心の住職の説話とか、親族側の出席者とかが載ってないんだよね。
寺側の出席者と、供物や準備品については詳細なんだけど。
書き写していってるとしたら、あの手の記録で一番重要な説話をごっそり削ってるのも不自然だし、
親族の出席者は、席すら記載されていないのはなんでだろうと思うんだよ。
たしか、復元史料といわれるのも、その部分からだったと聞いた気がするんだが。

638 :人間七七四年:2008/10/24(金) 10:40:30 ID:EXH13pKJ
>>637 その部分が解読不能となったってことじゃないの?
オリジナルの遜色がひどければもう復元しようがないし。

それでも信長寵妾の養華院の葬儀が総見院で行われて、かなり格式高く行われた、
ということだけは確認できるんじゃないの?
菩提に墓石があるのがその証拠だよ。
墓石も立派だから養華院は出自そのものも悪くないんじゃないだろうか。

639 :人間七七四年:2008/10/24(金) 10:48:07 ID:agMh+DNo
>>638
でも、図にも席が載ってなかったりするんだぞ?
解読不可能で図に描かれた席を削るか?
また、解読不可能だからって、説話そのものがなかったように書くかな?
詳細詳細というが、実際に読んでみると、七仏記としては一般的な共通事項だけが
書かれているだけであるというのもな。

あと、もし復元なら「信長寵妾」が最初から「信長寵妾」じゃなかった可能性もある。
「信長妻」「信長室」が書き写しの過程で「信長妾(妻と妾の解読間違いは
たまにある。有名どころでは言継卿記は「妻」と「妾」と2種類の写しがある。
室の書き写し間違いはあまりないから室ではないだろうが)」から
「信長寵妾」になった可能性だってある。

640 :人間七七四年:2008/10/24(金) 11:05:40 ID:EXH13pKJ
>>639 どう解釈しようと養華院の墓石が織田家の菩提にあるのだから
総見院が養華院の葬儀を行って埋葬したという事実は変えようがない。
墓石がないのに記録だけが残っていたら別人のものという可能性もあるけどね。

妻と妾の書き間違いはあるかもしれないけど、
オリジナルの過去帳には信長の正室を「信長妻」とは表記してないと思うけど。
いろんな過去帳みても大名正室なら「○○室」。
信長なら地位からいって「○○御台」あたりが妥当かと。

641 :人間七七四年:2008/10/24(金) 17:15:45 ID:ZDQ5Uumj
養華院が濃姫説はさすがにないんじゃないの?
寵妾と間違われて、その後織田家からなんの指摘がないほど
存在感ないというのも悲しすぎる。



642 :人間七七四年:2008/10/24(金) 18:19:36 ID:Bil/OS3Q
何でも適当な織田家ならありうるw

643 :人間七七四年:2008/10/24(金) 18:36:29 ID:Bil/OS3Q
火事で焼けちゃって読めなくなったから復元しなくちゃいけない。
何とか読める部分と別の史料を照らし合わせそれっぽく復元した。
寺の出席者は適当に出たであろう大物にしておいた。
親族側は誰が出たか見当が付かないのでスルー。

644 :人間七七四年:2008/10/24(金) 19:04:34 ID:agMh+DNo
総見院の養華院のは供養塔で、墓石じゃないはずだが。

645 :人間七七四年:2008/10/24(金) 19:41:10 ID:8umvzUIb
濃姫の名前だって、江戸時代の二次か三次資料でしょ。吉乃の名前は、
明治か昭和。五十歩百歩の気もするが、便宜上のことか。昔の女性のこと
など名前と死んだ年がわかっていれば、いいほうだと、聞いたことがある。

646 :631:2008/10/24(金) 22:02:42 ID:QteVxo5a
肝心の総見院がもっと様々な研究者に史料を公開して
研究依頼をする気があれば、それが望ましいのでしょうけどね。
寺社というのは、真贋関係なしに寺伝を標榜することも多いし
多数の研究者によって検証されていない説でも
わりと平気で「こうだった!]と主張するところがあるから。

ただの「京の冬の旅 特別拝観」などで公開されるさい、
「これが有名な濃姫の墓です。今まで濃姫の墓所はわからなかったのですが
近年の研究で、この墓が濃姫の墓と判明しました」と、
ボランティアガイドさんに解説させるのみに留まっている。

織田家墓域のぎりぎりまで、墓所を開発販売しているし
大寺院の塔頭といえど寺院経営も決して楽ではなかろうから
もう「ここが濃姫の墓」ということにしといたほうが観光的にも有利だし
その信憑性を検証しようなんて考えはもう無いのでしょう・・・
と、自分は思っています。


647 :人間七七四年:2008/10/24(金) 23:18:15 ID:r5Y6hpdL
検証して否定的な結果が出たら商売上がったりだからな。
彼らには彼らの生活がある以上、そういう考え方は否定できん。

648 :人間七七四年:2008/10/25(土) 10:59:26 ID:f02yhS0C
>>644 総見院で葬儀記録があるのに、なんで墓石じゃなくて供養搭なの?
遺体はどこにもってっちゃったの??

649 :人間七七四年:2008/10/25(土) 13:17:05 ID:W3L8yavz
>>641
養華院殿要津妙玄『大姉』だがらそれなりの家柄の娘か、織田家でもそれなりの地位に居た女性だと思われるけど、
それでも養華院殿要津妙玄大姉が誰に該当するのか書かれていない以上、「濃姫だろう」と大抵思われていることも否定できない。
だとしても、本能寺の後も前も「信長正妻」の記述が少ないことを考えれば、織田家に置ける女性の扱いがその程度だったか、
周囲の「織田家に対する扱い」そのものがこの程度だったかと言うのも考慮に入れるべきでは?
現に信雄生母ですら名前も残ってない。
養華院殿要津妙玄大姉が『妾』なら、その女性の片鱗すら残ってないのは何故だろう?
今の価値観で物事を捉えるより、当時の価値観で見た方が納得できないかな?
他の大名家でも女性の記述が残ってるのは少ないし、信長は精々『近畿』を落としただけで天下は取ってない。
今の「信長人気」があるから『奥方の記述が少ない』ことに疑問視されてるだけで、当時なら(記述等)残しておく習慣そのものがなかったんじゃないかな?

650 :人間七七四年:2008/10/25(土) 15:00:05 ID:gotrTjbb
織田一族とともに総見院に供養塔があって、火事で焼失したけれど総見院内に養華院を寄贈したという
養華院殿要津妙玄大姉だけど、妾だとしたら誰だか全然見当がつかない謎の人物なんだよな。
側室お鍋の供養塔らしき石は、後のお鍋子孫が総見院内に持ってきたものらしいし
信雄生母生駒は信雄系が生き残ってるのに総見院内に供養塔もない。
そう考えると、養華院の供養塔は立派で、かなりの立場だったと想像できる。
でもそんな養華院でも記録なんて全然残ってない。
織田家は何百年後でも女性の記録を残してる家ではないってことだな。

651 :人間七七四年:2008/10/25(土) 20:12:09 ID:L6a5aEtz
養華院は信長晩年の寵妾で、死後も総見院に寄進するほど信長や一族への
忠義心があったから菩提に入ることが認められたというのもあるんじゃないの?
何十年も前に亡くなった生駒は生駒家のほうできちんと供養してるわけだし、
それはそれでなにもおかしくないと思う。

奥方の記録がその家に残ってないのも不思議じゃないんだけど、
ある程度地位のある男性の側にいる女性の足跡って第三者の記録から
たどれるもんだじゃない?
例えばお鍋の方の記録は言継日記だったり、手紙を保管してくれていた寺だったり、
秀吉から知行をもらった記録だったり、淀殿からの化粧料の記録だったりと、
織田家とも小倉家とも関係のないところから足跡がたどれる。

いくら奥に入りっぱなしでも信長ほどの地位になった男性の奥方が
世間から無視されるってありえなんだよね。
公家、諸侯からあれこれ挨拶、貢物があって然るべきで、
言継なんかもあれだけ頻繁に出入りしてるなら、奥方への土産物を
届けたなんていう記録があってもいいのにそれもない。
今日はどっかの局と飯を食ったなんていう記録まで書いてるのに。

総見院の喪主を一度も濃姫がやったことがない、というのだから
養華院が濃姫ということはまずありえないと思う。

652 :人間七七四年:2008/10/25(土) 20:39:28 ID:qFtNGI5s
濃姫が葬儀をしたんだとしたら、総見院でやるとは思えん
あれは秀吉がむりやり建てた寺だから。
濃姫の兄がいたという妙覚寺なんかでやっていた可能性はあるが。
信長や信忠が生前に茶会を開いたりとか頻繁に利用していた寺だしね。
だけど、その肝心の妙覚寺が江戸中期以前の葬儀の記録が焼失しているのが痛い。
あと、これは尾張時代の話らしいけど、十輪山密巖寺の寺宝に濃姫から鏡を贈られているらしいね。
肝心の鏡は今ないらしいけど、信長公記に出て来る平田三位という人が和尚を努めていたらしい。
清洲付近とか尾張時代には割りと足跡らしきものはあるらしいけど
岐阜時代になってからぱったりとないんだよね。
案外、見つかってないだけで岐阜時代前には亡くなっていた可能性もあると思うね。

653 :人間七七四年:2008/10/25(土) 21:34:16 ID:gotrTjbb
>>651
じゃあ、そんな織田家にも認められた寵妾養華院にどこの誰とも記録が残ってないのはなぜ?
第三者からの記録でも辿れないし、存在自体も忘れたれてたわけだし。
お鍋の足跡が残ったのは、秀吉に仕えたからだとは思うけど
同じ時期に亡くなってるお鍋以上の待遇だった養華院なんだから
世間から無視されてたわけないよね。
公家や諸侯からも貢物のひとつも贈られたはずなのに。

654 :人間七七四年:2008/10/25(土) 21:58:14 ID:pQhOkbVg
>>614
信長より後に死んでも正室なら位牌と法名は残る。
高台院(豊臣秀吉室)、芳春院(前田利家室)、見性院(山内一豊室)
みな夫より後に死んだ正室で、かつ、その後の当主と直接の血縁関係を持たなかった女性たちだが
(芳春院は3代目以降血縁関係なし)それでも位牌と法名、墓が残っている。
濃姫が位牌も法名も残っていないのは、信長死後婚家が没落したからではなくて織田家を出たからだよ。
出た時期は美濃合戦の後かもしれないし、あるいは本能寺の変の後かもしれない。
とにかく織田家を出たために位牌も法名も織田家には伝わらなかった。
離縁アレルギーの人も本能寺の変で夫が死んだあと濃姫が織田家を出たとすれば
アレルギーは減るでしょ

655 :人間七七四年:2008/10/25(土) 22:11:31 ID:qFtNGI5s
ふと思ったんだけど信忠生母が生駒でないなら、
養華院は信忠生母の可能性もあるかなと。
濃姫が早世もしくは織田家を出たかなら信忠生母が正室の代わりをしていた
としてもおかしくはないし。
信忠生母についても何の出自をあきらかにするだけの記録もないしね。
身寄りもなかった人物なら、総見院に葬られたとしてもそのまま忘れ去られてしまったとか。

656 :人間七七四年:2008/10/25(土) 22:40:46 ID:gotrTjbb
>>655
養華院が信忠生母で信長の正室代わりだったんなら
651の理論によると、世間から無視されるなんてありえなく
諸侯から貢物や挨拶があって記録に残るはず。

657 :人間七七四年:2008/10/26(日) 00:07:14 ID:dMazXu41
思うんだけど、654の言う「 信長より後に死んでも正室なら位牌と法名は残る。」だったら、織田家以外の大名家で正室の位牌と法名がきちんと残ってる家の比率って、どんなもんだろう?
確か本格的な戸籍制度って秀吉が天下取ってから生まれたもんじゃなかったっけ。
そうだとしたら、秀吉以降の大名婦人のそう言った物が残ってても不思議ではないなぁと思ったんだけど、一人相撲だったら恥しいや・・・。
そもそも『濃姫』に関する(名前含めて)記述が結婚した当初の「斎藤女」だけってのが信長公記だけど、それ以外の家には何らかの形で記述とか残ってないのかな?
もしも周囲の大名が全員信長を嫌ってたんだったら、奥さんが子供生もうが死のうが離縁しようが、正直知ったこっちゃねーって感じではなかったのかな。
配偶者の存在そのもの軽視されてたとか。
信雄生母ですら無視するような家なんだから、元々敵である斎藤の娘を大事にするかなぁ
それと、ちょっと疑問に思ってたんだけど、こんなにも「史料がない」「史料がない」って言われてる割には、信長の他の配偶者(側室とか妾とか)に比べて逸話があるのは何故だろう・・・?
例えば信長が美濃を攻め落とした時、家臣達に感謝状を送った女性って誰。
これも逸話なんだろうけど、そもそもそんな逸話って何処から生まれたの?
小説かなんか?
最近、「濃姫=帰蝶なんで女性は、最初から存在しなかったんじゃないか?」と思うようになって来た・・・

658 :人間七七四年:2008/10/26(日) 01:38:47 ID:U2TrgXD/
信長が斉藤家から嫁をもらったのはほぼ確実でしょう。一級史料に記録があるし。
ただ、その「美濃の斉藤道三の娘」がいったいどのような人物でどのような生涯をたどったかが殆どわからないだけで。

659 :人間七七四年:2008/10/26(日) 08:57:12 ID:Jh2Rfl8v
ぶっちゃけ「濃姫」の確実な史料からわかる事は、
・斎藤道三の娘である
・尾張時代の織田信長に嫁した
これだけなんだよね。
母親も実際誰なんだかわからないし、
信長に嫁した以降の生活も謎。生きているのか死んでいるのか
仲睦まじかったのか、それとも離縁されていたのかすらわからない。
本当に「わからない」事が多すぎる。
つか上記2点以外で確実なことなんて、恐らくないんじゃない?
あとは全て「逸話」「小説」関係でしょ。

660 :人間七七四年:2008/10/26(日) 09:17:46 ID:dMazXu41
突き詰めたら、「信長の妻なのに史料がないのはおかしい」ってことなんだろうけど、それって信長の評価が上がった今の時代の話しで、当時は女性を記録する習慣そのものがなかったんじゃないの?
明智軍記だったかなんだったか忘れたけど、それを現代語訳してるサイトには義龍の娘を道三の養女にして織田信長に嫁がせたってものすごいこと書かれてるよ。
これ、捏造ってゆうよりなんか勘違いしてるんじゃないか?って思ったけど。(二人の年齢が計算合わない)
そう言うのも踏まえて、当為の人間が勘違いしたまま現在に至る。とか。
一人が間違ったらそのまま伝わってしまうし、時間が過ぎれば過ぎるほど実像も掴めなくなって来る。
後、可能性としては、「史料がない」んじゃなくて、まだ「誰も見付けてない」だけかもしんないよね。
自分の家にそう言うものがあれば家捜しするけど、所詮他人様の家のことだし、探しようなんてないのが現実だしさ。

661 :人間七七四年:2008/10/26(日) 09:34:56 ID:CHwlx5Ar
>>652 でも濃姫がそこまで秀吉を毛嫌いしないんじゃないの?
あの情勢をみたら、織田家のためにむしろ秀吉と懇意にする道を選ぶのが
器量ある女性のやること。だって三法師も信雄も秀吉のお情けがなければ
立場を維持できなかっただろう。
無理やりたてた寺だろうが、三法師も出席した葬儀なのだから、
宗家の後家としては出席して然るべきだと思うけどな。
総見院での信長の法会だって喪主をすべきだろうけど、記録にはない。
お鍋のことをあれだけ気を使っていた秀吉なのだから、
とりあえず濃姫のことは大事にしたと思うんだが、
後に淀殿を側室にしたのならその関係からも特に。
濃姫には政治的な利用価値はまったくないし、
政治的な権勢はもはやなにもないゆえに、抹殺するわけもないし。

662 :人間七七四年:2008/10/26(日) 09:45:28 ID:Kp4oGZT3
>>659
ま、確実だと言えるのはその二点のみだけど、それにプラスして逸話やら何やらからもうちょっとだけ妄想逞しくしてみよう、ってのがこのスレの趣旨ってことでw

信長って女がらみの逸話や醜聞が殆どないから(あっても、いかにも元ネタがありそうな話ばかり)、正室や側室に対してどう接していたのかイマイチわかりにくいよな。
その点、某大明神や某大権現は色々想像をめぐらせる事ができるw
ねねへの手紙なんかから、とりあえず女性への気配りはできる男だったのではないか、って想像はできるんだけど。

663 :人間七七四年:2008/10/26(日) 09:46:26 ID:VjxEZ9ZX
>>660
同時代の戦国大名の後家(夫と死に別れた正室)の動向はほぼ判明しているよ。
お前がこの時代の女性は史料に残らないのが当たり前だというのならば、
夫に死に別れた大名の正室が夫の没後消息不明になっている多くの例をあげなければ証明できない。
どんな大名の正室も、その後の消息は史料に残っているんだが。

664 :人間七七四年:2008/10/26(日) 10:02:10 ID:Kp4oGZT3
濃姫だって完全に歴史から消え去ったわけではなく、「濃姫っぽい人」が存在するわけだし。
本能寺の変に関しても同じような印象を受けるのだが、こういうのって確定に至らないのを良いことに、面白おかしくいじくりまわしているだけなのかもよ。

665 :人間七七四年:2008/10/26(日) 10:11:10 ID:0tzAxyG9
まあ、信長ってやつは
秀吉が大村由己に作らせた「天正記」の本能寺の変では信長は、
寝室に若い美女を何人も入れてご乱行プレイの真っ最中に明知軍に囲まれるんだよな。
多少脚色されてるかも知れないが、あれだけの権力者なら十分に考えられる事だよ
そこには仮に生きていてもその当時ではババアの範疇になる濃姫の入る隙間なんかないよ。


666 :人間七七四年:2008/10/26(日) 13:04:48 ID:Jh2Rfl8v
まぁ、安土殿にしても養華院にしても、
もしかしたら濃姫かも?という仮説はたつものの
ほぼ確定、というにはちょっと疑問が多いんだよね。
でもどこの正室でも、多少そういった事はあるんじゃないかとは思うけど
大体特に調べもせず「え、そうなんでしょ?」で終わっている事が多い気がする。
それだけ戦国時代の女性学について、重要性がないと思われているって事だろうけどさ。

667 :人間七七四年:2008/10/26(日) 13:05:26 ID:dMazXu41
>>663
じゃあ、一人一人名前書いてみろよ。
「大体」とか「大抵」で一括りすんな。
お前は他のスレでも大暴れしてる「自論」「論破」「自演」の某か?

それはさて置き、「自論」「論破」「自演」の663が必死になって濃姫否定説を唱えてるが、そう言うのには確たる証拠があってそう言ってるのだろうから、それを聞かせてもらいたいね。
寵妾ってのは誰だ?
妾ってのは側室にもなれなかった女のことだよな?
「寵」が付くくらいなんだから、織田にとっても特別な存在だろ?
それらしい人物は居るのか?
それに、当時の織田は「妾」を「御台」と呼ぶようなバカの一族だったのか?
もうちょっと掘り下げて物事見たら、面白いと思うだけどな。
逸話も残ってないって、どうよ。

> 秀吉が大村由己に作らせた「天正記」の本能寺の変
内容云々抜いては太閤記と変わらんな、創作性に置いては。
「夜行夜話では」って言ってるのと同じだぞ。

668 :人間七七四年:2008/10/26(日) 13:12:08 ID:XHlPLgxI
本能寺の事件そのものも謎が多いし
光秀の出自もはっきりしていないんじゃなかったっけ
光秀の奥さんもひろこさん以外の女性の影もちらほら見えるようだし
天下統一さえしていない信長の奥方についても記録がない以上なんとも言えないよ。
信長生母は複数の名前があがるし側室だって全員判明してないし、
子供達だって生母がわかってる方が少ないしね。
先ずは美濃にある信忠が位牌を設置した「久庵慶珠」なる人物が特定できればいいんだけどな。
これが中々難しいみたいだね。

669 :人間七七四年:2008/10/26(日) 13:36:24 ID:Jh2Rfl8v
>>667
>>663ではないけど、
側室=妾ではないけど、寵愛深かった側室を
寵妾と表現する事はあると思うけど・・・。

ってか濃姫に限らず、信長関係の女性は謎が多いな。
たまたま小倉鍋は信長の死後、色々と逸話が残っているけど
逆に言えば信長の生前は無名に等しいし。
信長の生母、正室、その他側室もほとんど謎のまま。
秀吉や家康など、のちに天下取った人はともかくとしても
その他の地方大名の奥方や側室、娘の方が
よっぽどエピソードとして残っている気がする。
って事を考えると、本当女性の事を残さない家だったんだろうなぁ。。。

670 :人間七七四年:2008/10/26(日) 13:51:13 ID:VmR16Gpj
安土殿や養華院が誰だかはっきりと特定されないかぎり
濃姫である可能性も否定できないよな。。
今のところ濃姫が早世したとか離縁したとわかる史料はないわけだし。
極端な話、側室小倉氏の名前が鍋だとわかってなかったら
崇福寺の手紙も普通に濃姫だと解釈されてたかもしれない。
濃姫の本名がなべだと推測されてたかも。
女性の史料の解釈なんてそんなもんじゃないか。

671 :人間七七四年:2008/10/26(日) 14:02:59 ID:qszSEx9R
>>670
ごめん、これは自分の意見だったわけでは無く(念のため)
過去の2ちゃんで、こういう流れがあったんじゃないかという記憶で、

濃姫スレが史板にあった頃、崇福寺の書状の主は濃姫で
実は濃姫の実名はなへ又はおなべだった可能性もアリでは?
・・・という流れがあったような。
理由の一つに、「側室がそのような指示を出せるか疑問、
正室ならばありうる」というものと、
書状の署名の崩し字の解釈からそう推測するスレ主さんが居た記憶。

記憶違いだったらすみませんだけど、
この流れを覚えている人はいませんかね。



672 :人間七七四年:2008/10/26(日) 14:09:45 ID:Jh2Rfl8v
>>671
信長を「上」と呼び捨てている事が
いかに寵愛深かったとは言え、側室が出来るものでもないし、
そもそもそんな指示を丹羽に出す権利があったのかって話だったね。
もしかしたら、濃姫(もしくは信長母、正室格の女性)の指示で
その書状を書いたのではないかという話もあったような・・・?

あとあの名前は「なへ」よりも「なや」と読めるって人もいたような気が。
崩し文字はその人のクセもあるから、解読が結構難しいらしくて
ぶっちゃけて言えば「ある程度の規則性はあるものの、あとはほぼ自分の決め付けで
決まってしまう事が多い」って感じだったかな。

673 :人間七七四年:2008/10/26(日) 18:12:23 ID:EYl5sJnN
>>667 >>妾ってのは側室にもなれなかった女のことだよな?

側室のことを寵妾と称することはあるよ。
言継の日記だかにお鍋の方のことも「妾」と書いてあったと思ったけど。
氏郷が伊藤半五郎宛てに書いた消息にも「信長公御目懸(妾)衆」を
二十人あまり日野に非難させた、と書いてる。側室と妾は同義語に近かった
んじゃないのかな。
それに当時は「妾」や「側室」に対して現代人が抱くような
蔑視する感覚はそんなに強くなかったんだと思うよ。
その家の中では側室は正室直属の家臣、というのに近いもんだしね。
明治期以降の「お妾さん」とは全然非なるもんだな。

674 :人間七七四年:2008/10/26(日) 18:45:15 ID:UOuYF1/O
側室なんてぶっちゃけ、きちんと奥を治められていれさえすれば何人いてもかまわんのだからね。
それを、一人をとにかく寵愛してあまつさえ正室さえ蔑ろにするような事をすると、奥の乱れ、というふうになるわけだ。
正室の実家を蔑ろにする行為でもあるしな。
あんだけ女好きだった秀吉ですら、手紙なんかで「正室が一番ですよ」っていうアピールを忘れないし。
無論、正室一筋で側室を持たない方が、夫婦仲がよいという印象を与えられただろうけれど。

675 :人間七七四年:2008/10/26(日) 18:46:58 ID:0tzAxyG9
>「信長公御目懸(妾)衆」を二十人あまり日野に避難させた

あっ、それなら妾ばっかりで本妻(正室)はいなかったわけだ
従って安土殿の本妻(正室)ではなかったって事だな

676 :人間七七四年:2008/10/26(日) 18:51:33 ID:VmR16Gpj
>>675
女衆全員が日野に避難したとも限らないでしょ。
自分の身内が安土にいれば、そこに合流した人もいただろうし。

677 :人間七七四年:2008/10/26(日) 20:07:38 ID:EYl5sJnN
日野に北の方も逃げたという話もあるけど、当の氏郷が「お妾衆」を
城に非難させたとあるから、実際は側室の一部だけで、親族達は
別のところに逃げたのかもね。
それがいつの間にか安土の女たちはみな日野に非難したと伝わってしまったとか。

678 :人間七七四年:2008/10/26(日) 20:40:25 ID:df1b1J4m
>>660
>捏造ってゆうよりなんか勘違いしてるんじゃないか?って思ったけど
それ勘違いだよ。
道三の事を秀龍と書いてあるので、義龍と間違えてるんじゃないかな?
同じ間違いしてた知り合いがいる。

679 :人間七七四年:2008/10/26(日) 21:05:34 ID:VmR16Gpj
お鍋とかは実家は安土に近いんじゃなかったっけ。
わざわざ日野に行かなくても、そっちに避難しそう。
避難する当てのない取り残された側室とその侍女たちが
蒲生に頼んで避難させてもらったんじゃ。

680 :人間七七四年:2008/10/27(月) 05:14:16 ID:mwChLqtc
今のところ出ている話だと、安土殿として考えられるのは「信長正室」か「北畠の前当主正室」ってとこ?
じゃ、どちらかをあてはめると、どちらかの消息が途絶えるということになるわけ?

681 :人間七七四年:2008/10/27(月) 06:30:47 ID:Q5soGHE2
>>680
あとは丹羽に嫁いだ娘も一応候補にはなる、かな。
可能性としての問題はともかくとして。

682 :人間七七四年:2008/10/27(月) 07:47:57 ID:U6jVYMfm
>>681 それは絶対ないだろうな。嫁いだ姫に親元が知行をだすことはない。
その代わり相当の化粧料を与える。

ところで濃姫が生きていたら年齢的にも信長死後すぐに出家したと思うんだけど、
その場合一般的な呼び名が法名になるんじゃないの?
出家して法名をもらった女性でも安土殿という名称で呼ばれるもんなの?
ねねなんかは高台院となってからは、手紙の署名も相手からの宛名も
高台院なんだけど。

683 :人間七七四年:2008/10/27(月) 08:19:14 ID:6mJkEM6t
だから安土殿は100%濃姫ではないって

684 :人間七七四年:2008/10/27(月) 10:29:58 ID:w3YRlhLk
分限帳に、法名で書かれてなくてもおかしくないよ。
大方殿様だって、法名で書かれてない。
当然大方殿様にも法名はあるはずだからな。

685 :人間七七四年:2008/10/27(月) 10:50:47 ID:AGa6pkog
でも信雄の視点から大方殿となると特定できるからいいけど、
安土殿となると信長の正室なのか、その時点で安土城にいた
三法師の生母なりの実権をにぎる女性なのか、特定できないよね。

あの時点では三法師は安土城にいたから、三法師を囲む上臈衆のトップが
一族の女性で、安土殿とよばれてたかもしれない。三法師の実母は
側室らしいけど、淀殿の例もあるから周囲からは安土殿と呼ばれていたかもしれない。

城としては機能していたから安土殿=信長正室が以外にも
該当する女性はいなくはないんだよ。

686 :人間七七四年:2008/10/27(月) 10:52:11 ID:w3YRlhLk
大方殿様 報春院
犬山殿 法名伝わらず。ただし、分限帳時には未亡人なので、法名はついていたと思われる。
岡崎殿 見星院は分限帳時にはついていなかったと思われる。

信長の母、姉、娘もこの書き方。

687 :人間七七四年:2008/10/27(月) 10:54:53 ID:w3YRlhLk
>>685
何で三法師の関係者に信雄が知行を出すんだ?
三法師の後見だからって、信雄が出す必要ないぞ。
仮に管理は信雄がしていたとしても、三法師の名義で出すものだ。

688 :人間七七四年:2008/10/27(月) 11:04:41 ID:AGa6pkog
>>687 でもそれなら濃姫の知行だって三法師が出すのが筋なんじゃないの?
信長の嫡孫だから後見者と認められたわけで、濃姫は嫡流に世話になるのが筋だと
思うけど。

689 :人間七七四年:2008/10/27(月) 11:07:26 ID:AGa6pkog
それからちょっとソースを忘れたけど、三法師が安土城に入った次期に
信雄も一時期安土城に入ってたという記録をどこかで読んだ。
幼少の若君の補佐として一時的に居住を安土城にした場合は
信雄サイドの女性も三法師の身近におかれるのはおかしくないと思うけど。

690 :人間七七四年:2008/10/27(月) 11:14:40 ID:w3YRlhLk
>>688
そうだよ。
ただし、出す側が複数でも問題ない。
大方殿様が濃姫ではなく、信長生母だとすれば、
当然信包からも出ていたと思われる。
信雄と信包の双方から出ていても、何らおかしくない訳だ。
濃姫も一緒で、信雄から見れば、信長正室なら御袋様ではないが母上様なので、
出すのはおかしくはない。

691 :人間七七四年:2008/10/27(月) 11:19:02 ID:w3YRlhLk
>>689
そういう話しになるなら、三法師の後見女性ではなく、
安土においた信雄の側室ではないか?
犬山殿の娘を、安土に信雄がいた時代に側室にした説があるんだろ?

692 :人間七七四年:2008/10/27(月) 14:16:14 ID:moRAaS1t
>>690 問題ないというけど、実際そういう例はあるの?
分限帳で数箇所から知行をもらっていたことが確認されてる女性の例。
嫁いだ時の化粧料+知行というなら信雄の内様がそのパターン。
お犬も信長が知行を与えた書状が残っているから、恐らく
化粧料+知行をもらっていただろう。
五徳あたりもそうだろうな、のちに徳川からも知行をもらってる。

だが知行を複数からもらう、というのはどうなの?
そんな例はよくあることなの?

感覚的にあっちこっちの領主から知行をもらう、というのは
とても不自然な感じなんだけど。いくら身内でも。

693 :人間七七四年:2008/10/27(月) 14:29:31 ID:2rF584Ud
>>689 信雄が安土に入ったのは天正10年ごろからじゃなかったか?
三法師の後見人は信雄一人になったわけだが、その頃すでに秀吉に
政権が移った後だから三法師マンセーということでもなかったろうが。

694 :人間七七四年:2008/10/27(月) 14:41:57 ID:2rF584Ud
>>690 そこまであっちこっちから厚遇されてた濃姫がなんで墓ひとつ
きちんとしてないんだ?
三法師最期が最期だから仕方ないが、信雄系はとりあえず
織田家筆頭になったのだから、せめて信雄系織田家が最後まで
濃姫の面倒をみて、信長夫妻をきちんと奉っても構わんじゃないか?

695 :人間七七四年:2008/10/27(月) 17:44:27 ID:urjJ5m7t
>>694
織田家は適当な家なんだよ

696 :人間七七四年:2008/10/27(月) 19:06:30 ID:pu3WutyS
信雄は改易くらってひーこら言ってた時期もあるし、血も繋がっていなければ織田家内でもはや何の重要性も持たない濃姫の面倒を、最後まできっちりみなかったのかも。
もしくは、そうやって家中がごたごたしてる信雄に世話になり続けるのは、濃姫自身気まずかったのかもしれん。

にしてもやっぱり墓一つくらい(ry

697 :人間七七四年:2008/10/27(月) 19:11:22 ID:urjJ5m7t
信雄は頑張って面倒見たかもしれない。
でもその頑張った記録も作った墓も現代まで残らなかっただけで。

698 :人間七七四年:2008/10/27(月) 20:14:35 ID:PCF+FF3M
>>697 なんで都合よく濃姫のところだけ葬儀の記録がぬけるんだ?
改易だなんだで仰々しく葬儀をする金がなくても、
総見院や総見寺にお願いすれば、戒名ぐらいつくってくれて
供養して、信長の位牌の横にでもおいてくれたんじゃないのか?
信雄は豊臣とも、徳川とも縁続きで、たいした仕事してないわりには
大名の中ではかなり恵まれているほうだし、
先代御台の位牌をつくることもできないほど困窮してるわけもないはずだが。

699 :人間七七四年:2008/10/27(月) 20:18:28 ID:vTn8LMeN
q

700 :人間七七四年:2008/10/27(月) 21:01:32 ID:urjJ5m7t
>>698
濃姫のだけとは限らないし。
濃姫以外の織田一族は記録が完璧に残ってるの?
位牌が現代まで伝わってない人は一族には誰もいないの?

701 :人間七七四年:2008/10/27(月) 23:15:09 ID:AXmj2UJX
信長の姉妹も消息がわからないとか、子供も行方不明になった娘とか
墓のありかが不明な息子とかいなかった?
まあ、子供の生母も不明なことが多いから仕方ないのかもしれないけど
濃姫についても直系の子孫はいないし、仕方ないのかもよ
なべにしたって、孫に当たる人が総見院に墓石を持ってくるまでは
どこに墓があったかまるで不明だし。


702 :人間七七四年:2008/10/28(火) 08:03:35 ID:FRh5xbZi
>>701 信長の姉妹や姫達の墓や法要は嫁ぎ先の責任だからな。
道三の側室になった信長の姉妹は不詳となってる。
信長の男子の子供たちはとりあえず全員あるよ、墓ぐらいは。


703 :人間七七四年:2008/10/28(火) 08:56:57 ID:VkFa0BwW
濃姫が自ら身を隠したと言うか隠遁生活を選んだって言うのも
考えられるよね。
勿論本能寺まで生きていたと思う。尾張の大名時代にしても正室の死が
何処にも記録がないなんておかしい。
信長は信忠を濃姫の養子にし美濃衆を信忠の側近にした。それ以外にも
美濃衆はいい位置にいたと思う。これは濃姫とは関係なく使えると
信長が判断したからだろうが、濃姫はやっぱり嬉しかったんじゃないかな。
それで本能寺。濃姫との血縁関係は疑問にしても明智って苗字じゃまぁ誰でも
美濃出身と思うし、そういう人物が信長を殺した。これはキツイよ濃姫にとって。
だから周りからどうこう言われなくても濃姫が世の中に顔向けできないなんて
思って身を隠し、信長たちの霊を慰めるという生活を選んだのじゃないかな?
信忠が一緒に亡くなったのも堪えただろうね。

704 :人間七七四年:2008/10/28(火) 09:25:53 ID:3GE0IplG
>>703
精神病患者もこんな酷い妄想はしないぜ(ゲラゲラ


705 :人間七七四年:2008/10/28(火) 11:47:30 ID:hdSl3Quz
>>704
女心が分からないのねぇ。可愛そうに・・・

どんな意見も濃姫に関しては想像なの。・・で本能寺の時点で生きてたら
濃姫の立場に立って考えてごらん。全てのことから身を引いて
読経三昧の生活を送る。大いにあると思うよ。

706 :人間七七四年:2008/10/28(火) 12:15:57 ID:FRh5xbZi
>>705 箔濃を金メッキと言い切ってた>>564の人?

もしかしてリサさん?
まったく同じ口調に絵文字つかっておまけに・・・ですぐわかるw

早くあの○チガイが妄想する歴史ブログにおかえり。

707 :人間七七四年:2008/10/28(火) 12:47:20 ID:9N6DRC3j
信長が織田家における権力闘争からは身を引いていた可能性はあるにしても、それにしたって無収入じゃ生きていけないからね。
その場合はどのツテを頼って生活していたのかが問題になる。

708 :人間七七四年:2008/10/28(火) 13:58:37 ID:Ow1IHqi+
>>703 濃姫と光秀が従兄妹同士というのはなんの史料に載ってるの?
勝手に親戚関係だと断定して妄想しないように。

だいたい光秀謀反後はあらかた関係者の粛清が終わったら
関係者に市民権は戻ってる。
妻子たちはともに亡くなっているもの以上の追討はされてない。
ガラシャに対してもどうこうしろという織田家からも豊臣からも沙汰はなし。
細川家の当主夫人として返り咲いた。
春日局も同様。光秀の重臣で罪人として処刑された娘が将軍後継者の乳母に
抜擢されてるくらいなのだから。
従兄妹説はもういいかげんうんざりだな。
自分達が理想とする濃姫像に固執すぎだ。

709 :人間七七四年:2008/10/28(火) 14:25:38 ID:3GE0IplG
光秀の出身については
『立入左京亮入道隆左記』には「美濃国ときの随分衆也」、
『濃陽諸士伝』には「明智十兵衛殿は土岐の支族にて、可児明智の庄に
住居あるによって在名なり」とある。
また、『兼見卿記』には美濃から光秀の親類が来て坂本に訪問した記事、
『西教寺文書』の光秀家臣の交名には美濃可児庄出身者の名前があるから、
光秀が土岐支族との確証はともかく、美濃出身ってのは事実とみてよいと思うが
逆に言えばこの程度の史料しかないので、信長の家臣らは誰も美濃出身であることを
知らなかったとみなされても仕方ない。
であるから、濃姫と従兄弟同士など問題外。


710 :人間七七四年:2008/10/28(火) 14:35:06 ID:Ow1IHqi+
光秀が美濃出身が事実だとしても、
濃姫の生母の出自が謎なのに、なんで従兄妹説が定着してるんだ?

美濃出身の家臣たちなど織田家にはたくさんいたぞ。
稲葉氏が道三正室という説もあるのに、稲葉氏と濃姫が
親族という話は絶対にでてこない。

711 :人間七七四年:2008/10/28(火) 14:53:23 ID:3GE0IplG
光秀と信長正室との関係だが、斎藤道三の伝説がいろいろ記された美濃国諸旧記という俗書に
道三の後妻小見の方は明智光継(光秀の祖父)の3女とある。
他に細川家記に足利義昭が越前にいたとき、当時朝倉家に仕えていた光秀が細川藤孝に向かって
「信長を頼るとよい。自分は信長の室家に縁があってしきりに招かれているが、大禄を与えようと言われたので
かえってためらっている」と言ったとある。

しかし、美濃国諸旧記は信頼のおけない書物だし(事実ウソが多い)細川家記は自家に都合よく書かれているので
信用できない。
もし従兄妹同士なら信長家臣らに噂が広まらないはずがなく、当時の史料にはそんな事全く書かれていない。
が、キチガイ司馬がこれを元に『国盗物語』を書いたので、一般にそのような認識がされるに至った。


712 :人間七七四年:2008/10/28(火) 17:33:37 ID:6iG/cg9C
女性主役の大河ドラマが受けてるし
これほど脚色しやすい人物は無いじゃないか?
国営TVよ、ぜひ、やってほしい。

713 :人間七七四年:2008/10/28(火) 17:40:16 ID:+cBb9MTn
>>702
嫁ぎ先の責任ってことは、これまで織田家一族に嫁いだ女性の墓や消息も
全部はっきりしてるってことですか?
100人以上はいるんじゃないかと思うけど。

714 :人間七七四年:2008/10/28(火) 18:14:27 ID:cD4TCYqC
濃姫のことは、こうだろうと言っても、裏ずけが取れないし、消去法でやったら全部消えてしまう。どこか、資料が残っていそうなところは、ないものか。

715 :人間七七四年:2008/10/28(火) 19:33:03 ID:XvCKQiKI
>>708さんへ
703です。ちゃんと読んでレスしてね。

>濃姫と光秀が従兄妹同士というのはなんの史料に載ってるの?
勝手に親戚関係だと断定して妄想しないように

私は濃姫と光秀の血縁関係は疑問と言ってるんですよ。従兄妹同士なんて
言ってないし思ってもいない。明智って苗字から美濃出身かって思うだけ。
それに

>だいたい光秀謀反後はあらかた関係者の粛清が終わったら
関係者に市民権は戻ってる。
妻子たちはともに亡くなっているもの以上の追討はされてない

分かってますよ。私は「周りからどうこう言われなくても濃姫が世の中に顔向けできないなんて
思って身を隠し、信長たちの霊を慰めるという生活を選んだのじゃないかな? 」
って書いてるの。たとえ濃姫はは関係ないと他人に言われようと
濃姫自身が嫌だったんじゃないかと書いたの。

妄想してるのはどっちかな?っていうより濃姫のことは妄想でいいじゃない
人の揚げ足取るより。





716 :人間七七四年:2008/10/28(火) 19:34:55 ID:XvCKQiKI
>>708さんへ
703です。ちゃんと読んでレスしてね。

>濃姫と光秀が従兄妹同士というのはなんの史料に載ってるの?
勝手に親戚関係だと断定して妄想しないように

私は濃姫と光秀の血縁関係は疑問と言ってるんですよ。従兄妹同士なんて
言ってないし思ってもいない。明智って苗字から美濃出身かって思うだけ。
それに

>だいたい光秀謀反後はあらかた関係者の粛清が終わったら
関係者に市民権は戻ってる。
妻子たちはともに亡くなっているもの以上の追討はされてない

分かってますよ。私は「周りからどうこう言われなくても濃姫が世の中に顔向けできないなんて
思って身を隠し、信長たちの霊を慰めるという生活を選んだのじゃないかな? 」
って書いてるの。たとえ濃姫は関係ないと他人に言われようと
濃姫自身が嫌だったんじゃないかと書いたの。

妄想してるのはどっちかな?っていうより濃姫のことは妄想でいいじゃない
人の揚げ足取るより。





717 :人間七七四年:2008/10/28(火) 19:36:09 ID:XvCKQiKI
↑すみませんダブりました。

718 :人間七七四年:2008/10/28(火) 19:52:07 ID:Ow1IHqi+
>>715 織田家には濃姫の婚姻時からと、美濃攻略時に寝返った
美濃衆が大勢いたんだが?

謀反人と同じ故郷だというだけでなにを恥じるのか?

その思考回路が理解できん。

そう妄想したいなら勝手にしてれば?

ただ>>1の定義では
『このように濃姫は謎の人物で、史実云々を語るよりも時代小説・大河ドラマなどで
脚色された新たな濃姫像を語る方が多いかもしれません。
色々な作品の濃姫を語ってもらっても全然おkです。もちろん史実の濃姫も大歓迎!』

とあるので、史実に忠実に語りたい連中もいる。
歴史小説の作品中にもないただの妄想ばかりを語られると
叩かれるからそのことを覚悟の上で。

もっとも前もずいぶん叩かれてたみたいだけどな。

719 :人間七七四年:2008/10/28(火) 20:28:29 ID:QmBQPTb3
>>703
>信長は信忠を濃姫の養子にし美濃衆を信忠の側近にした。それ以外にも
>美濃衆はいい位置にいたと思う。これは濃姫とは関係なく使えると
>信長が判断したからだろうが、濃姫はやっぱり嬉しかったんじゃないかな。

男子の側近には生母の実家筋のものが重用されてつけられるのが一般的だし、
信忠の嫡母が濃姫なら当たり前のことなんだけど。

>だから周りからどうこう言われなくても濃姫が世の中に顔向けできないなんて
>思って身を隠し、信長たちの霊を慰めるという生活を選んだのじゃないかな?

この妄想をするなら、斉藤家と対立した時に家臣に顔向けできない、と
ひっそり織田家を去った、というほうが自然かな。

あとは壷事件の時に信長の身内に対する理不尽な仕打ちに耐えかねて
ひっそり信長の元を去ったとか。

あとは、義弟であった長政の首級を箔濃にしちゃったり、
延暦寺の焼き討ち等の信長の異常性に絶えられず信長の元を去ったとか。

光秀と同郷という理由だけで世間に顔向けができないほどのデリケートな
神経の持ち主なら、信長の側になんて入れないと思うな。




720 :人間七七四年:2008/10/28(火) 21:07:04 ID:+cBb9MTn
明智方だった斎藤利三の前妻は道三の娘だったし
伊勢貞興の姉妹(母は道三娘)は濃姫の養女になって
池田元助に嫁いだという説もあるけど
彼らと濃姫はどの程度面識があったんだろう。

721 :人間七七四年:2008/10/28(火) 21:55:51 ID:4kBq9z9X

>>706
>早くあの○チガイが妄想する歴史ブログにおかえり。

あのブログって、ここの人たちにはそんな評価なんだ。
自分、山岡荘八の「織田信長」以来の濃姫ファンなんで、
結構あのブログは面白い。
美濃の茶器の話なんて、山岡ワールドそのものw

でも、ここ読んで濃姫って実在そのものも疑えるくらい
資料のない人なんだって知ってアゼンとしてる。
あの「妄想ブログ」の内容が部分的にも証明されたらいいな、とは
思うけど、自分、資料集めするほどの行動力ないしな・・・
斎藤家関係になんか残ってないのかな。

自分語り&流れ豚切りスマソ



722 :人間七七四年:2008/10/28(火) 22:20:10 ID:9bWivhsY
>>721
妄想で書かれた物を「証明」するのは不可能に近いのでは無いでしょうか?

723 :人間七七四年:2008/10/29(水) 08:05:39 ID:Q4jCKFIH
山岡作品の濃姫は確かにいい女だと思うけれど、あれは九割九分の部分が山岡の創作ってことを忘れちゃいけないよね。

724 :人間七七四年:2008/10/29(水) 09:13:24 ID:/Doq7vjU
九割九分ではなく信長に嫁した事以外は100%創作

725 :人間七七四年:2008/10/29(水) 10:01:27 ID:IKDTStLo
703です。
>>719
ここは>1にあるように色んな濃姫を語っていいとこじゃないの?
自分と違う意見は認められない???
濃姫ってみんな知ってる通り史料限られてるんだから好きなように
想像妄想するしかないと想うけど?

いちいち反論してくれてるので私も反論
>男子の側近には生母の実家筋のものが重用されてつけられるのが一般的だし、
信忠の嫡母が濃姫なら当たり前のことなんだけど

当たり前は分かっています。その前に信忠の養母にしてくれたのが
うれしいと思ったんじゃないですか。子供のいない正室の立場って
微妙じゃないですか?しかも道三はもういないのだし。

>この妄想をするなら、斉藤家と対立した時に家臣に顔向けできない、と
ひっそり織田家を去った、というほうが自然かな。

斉藤家と対立って美濃攻略の時?道三がいてた時に対立してたら
織田家を去る可能性もあったでしょうけどね。あの時の斉藤家は濃姫の実家じゃない

>あとは壷事件の時に信長の身内に対する理不尽な仕打ちに耐えかねて
ひっそり信長の元を去ったとか

あの壷事件は信長の言う通りになったの?違うでしょ、信長が
美濃衆に折れたのでしょ。美濃衆の顔を立ててくれて濃姫は
嬉しかったんじゃないかな。

>あとは、義弟であった長政の首級を箔濃にしちゃったり、
延暦寺の焼き討ち等の信長の異常性に絶えられず信長の元を去ったとか

箔濃は一種の死化粧でしょ、今の人の感覚とは違うかもしれない。
延暦寺の焼き討ちは滋賀の教育委員会の発掘調査でもそんな大規模な
物でなく山火事程度、それに当時の延暦寺の力も全盛を過ぎており
何千人も焼死ってことはないそうですよ。

>光秀と同郷という理由だけで世間に顔向けができないほどのデリケートな
神経の持ち主なら、信長の側になんて入れないと思うな。

それほどショックだったんでしょう。
濃姫のこころなんて誰も分からない想像するしかないでしょ。

想像以外に書くことありますか?

道三の娘でした。信長と結婚しました。絶対確かってこれくらい?

726 :人間七七四年:2008/10/29(水) 11:25:41 ID:T6mCP5rv
>>725 
>>子供のいない正室の立場って微妙じゃないですか?

微妙じゃありません。
道三が亡くなったことと子供がいないことは別問題。
家同士に問題がなければ正室に子供がいなくても地位は安泰。
そのための側室制度。
逆に嫡男を産んでも両家の仲が悪くなって子供をおいて離縁させられる
女性は大勢いた。濃姫が信忠を養子にしたところで、そういう状況に
なったら離縁は回避できない。

>>あの時の斉藤家は濃姫の実家じゃない

義龍はすでに道三から正式に家督を継承されており、斉藤家の
当主は濃姫の実兄である義龍。
濃姫の実家は義龍を当主とする斉藤家に間違いない。

>>信長が 美濃衆に折れたのでしょ。

すでに美濃攻略後数年経ってからの話だから、斉藤家と美濃国人衆とは
かつての連結はもうないよ。美濃衆だって多くが信長に下ってる状況。
ただ美濃国内で信長のことを快く思わないが、攻略されたために
従っていた国人が、斉藤家と信長のごたごたに乗じて参入してきたんだよ。

だいたい正室を大事に思うなら、実家である斉藤家に対してあのような態度を
とるはずもない。
美濃攻略後何年も経って、なおかつ家宝の壷を取り上げようというのだから、
その時点で斉藤家がどういう扱いであったかがよくわかるエピだ。

>>箔濃は一種の死化粧

むしろ今の感覚の方が信長の行為を肯定してる風潮なんだがな。
その時代に敵方大将首をそういう形で死に化粧した例は一件もない。
敵方の首は必要最小限の防腐処置をして、丁重に扱うという
ルールに反した暴挙。死化粧とは髪をととのえたり、鉄漿をしたり、
白粉を塗って見栄えよくしてあげる程度のことで、それは女どもの仕事。
それに箔濃を作るには特殊な階級にあずけて処理をするから、
そういう階級に大将首を預けるという行為も常軌を逸する。

>>延暦寺の焼き討ちは〜

死んだ人数の問題ではなく、寺を焼き討ちした行為そのものが問題。
それ以外にも一向一揆弾圧では何万人もの宗徒が信長の命令で殺されてる。
武田征伐の時には武田家の恵林寺を名僧快川ごと焼き討ちにしてる。

光秀と同郷だというだけで世間に顔向けができなくなるような
柔な女が、こういう男と夫婦をやっていけるか、と考えたら難しいだろうな。
仏教に熱心に帰依していた女性ならなおさら。

妄想もちょっとお粗末過ぎるな。
例のブログからきてるなら、そっちで相手してもらったら?
お望み通りの濃姫像を語ってくれてるようだし。
違うのならそのブログ紹介しておくよ。「歴史 泉」で検索してな。
ここで妄想語ってもストレスたまるだけだろうし。

727 :人間七七四年:2008/10/29(水) 11:54:08 ID:/Doq7vjU
> 妄想もちょっとお粗末過ぎるな。
> 例のブログからきてるなら、そっちで相手してもらったら?
> お望み通りの濃姫像を語ってくれてるようだし。
> 違うのならそのブログ紹介しておくよ。「歴史 泉」で検索してな。

そのブログ見たが
アホとしかいいようがないクソブログだな
さっさと精神病院へ行った方がいいな


728 :人間七七四年:2008/10/29(水) 13:20:04 ID:lKGgni93
>1も書いている
このように濃姫は謎の人物で、史実云々を語るよりも時代小説・大河ドラマなどで
脚色された新たな濃姫像を語る方が多いかもしれません。
色々な作品の濃姫を語ってもらっても全然おkです。もちろん史実の濃姫も大歓迎!

だから濃姫に関することは何を書いてもOKよ。

729 :人間七七四年:2008/10/29(水) 13:31:25 ID:uRHG6HmE
>>564>>703=>>725の馬鹿女はこいつか↓

31. Posted by まー 2008年10月26日 13:32
自省をして抑えられる部分など冷静に判断できる人なんですね。
濃姫にもイラッとくる信長への独占欲があったことになんか嬉しいですね(^^)
側室制度はお家存続には必要ですが女の気持ちは複雑ですよね。

41. Posted by りさ 2008年10月27日 21:53
濃姫は、その後供養し続けた程ですから、本当にショックだったのでしょうね。
お市の方は、彼女一人の意思ではなかったのですね。彼女の毅然とした態度を
表しているようで、好きな逸話だったのですが(^^;)。
以前のエントリーでも、秀吉が南朝・北朝の対立を利用したという話が
ありましたが、その話をはじめて読んだとき、秀吉のえげつなさというか、
容赦のなさに背筋が寒くなりました。
・・・敵に回したくない相手ですね(>_<)

こいつだな↑

ここにブログ主の回答をまんま書いてるしw

でもこのブログ主も2チャンの濃姫スレのぞいてると思うけどな。
書いてることが2チャンの推測とあまりに似すぎてる箇所がある。

730 :人間七七四年:2008/10/29(水) 13:52:54 ID:5V7i7L0W
もうネタ元割れちゃったから退散したほうがいいよ、
>>564>>703=>>725=>>728

霊能者のブログ主にすごい迷惑がかかる恐れがある。
2チャンは霊能系を目の仇にしてる連中も多いし、
大挙して押しかけて祭りになったらパンクするかもな。

731 :人間七七四年:2008/10/29(水) 16:43:32 ID:thb1tCQN
なんかちょっと嫌な雰囲気。

あの人とこの人は同人物って決め付けるのも恐いし、自分の意見と違う意見は受け付けないと
言うのも恐い。

もういいじゃない、2ちゃんなんだからムキにならずに軽く行こうよ。
濃姫スレなんだし、自分の好きな濃姫語ればいいじゃん。

732 :人間七七四年:2008/10/29(水) 17:25:09 ID:GnGcsJc+
>>731 歴史スレのしかも姫がらみはどこもこんなもんじゃん。
自分の意見と違う意見は受け付けないというのは、
>>725だって一緒だろうに。
濃姫が信長と中睦まじい夫婦で、織田家で大事にされ
信長死後自ら織田家から距離をおいた、という自分の主張に誰かが異を唱えると
反論してるんだから。

その主張に沿った濃姫語りに共感してくれるレスばかりで
盛り上がりたいのであれば自分で条件をあれこれつけて
相応しい新スレたてたら?

733 :人間七七四年:2008/10/29(水) 17:46:05 ID:rbXeX9Tk
オカルトネタは過剰に嫌う人がいるし、他のブログとかの話はここに持ってこない方がいいよ。
かなり前にも、濃姫ネタを書いてた創作系?のブログが叩かれてた事もあったし。
これだけ史料が少ないんだから、自分の好きなように妄想して書き込んでるのは
お互い様ではあるのに、やたらと上から目線で叩くのが好きな人がいるようだしね。

734 :人間七七四年:2008/10/29(水) 19:25:01 ID:bsknTOjA
叩いているのはID変えまくっている一人だけだから、スルーしとけばいいよ。

735 :人間七七四年:2008/10/29(水) 20:12:51 ID:/Doq7vjU
俺も叩いてるんだが…

736 :人間七七四年:2008/10/29(水) 21:06:48 ID:GnGcsJc+
>>731 >>あの人とこの人は同人物って決め付けるのも恐いし、

>>734も臆測でID変えまくっている一人だけだから、
なんて勝手に決め付けてますが?






737 :人間七七四年:2008/10/29(水) 21:44:50 ID:oQyFIEn0
どうでもいいけど、個人ブログやらHPネタ出すのはやめようよ。
他人の意見をどうこう言えるほど、濃姫の史蹟なんてあるわけじゃないしさ。

他人が勝手にやってるブログまでケチつけるの、気持ち悪い。

738 :人間七七四年:2008/10/30(木) 00:35:46 ID:IjyDSL8B
>>735>>736
こんな感じでスレの雰囲気を悪くしてます。

レス乞食の濃姫嫌いなので濃姫を良く書く人の所に現れます。
気にしないようにしましょう。


739 :人間七七四年:2008/10/30(木) 07:50:59 ID:rL2om7Gs
確かにここは、
>>色々な作品の濃姫を語ってもらっても全然おkです。もちろん史実の濃姫も大歓迎!
というスレだけど、だからといって他人を無視して自分の濃姫観を延々語る場所でもないよ。
あくまでスレ違いにはならないというだけであって、賛同が得られなかったら大人しくすべき。
少なくとも「ここは濃姫の事なら何だって語っていいんだろ!?だったら俺(私)の意見を黙って聞けよ!」というスレじゃないな。

740 :人間七七四年:2008/10/30(木) 08:04:46 ID:Ylh6Mf+C
妄想かそうでないかは、ある程度史料に基づいた一貫性のある主張か、
あるいは同時代で類似した事例を根拠にできるかできないか、
で判断してる。
自分と違う見解でも納得できる論理的思考があれば参考になるし面白いと思う。
反論されたからといってスレ住人を否定にかかるのはどうかとおもうよ。
まったく根拠の薄い、説得力もない意見に共感しろといわれても困しね。
濃姫に関してどんなことでも書いてもいい、と思ってるなら
他の住人がどんなことを書いたって自由なはず。
反論と「自分の意見と違う意見は受け付けない」というのは違うことだし、
反論されたら、相手を納得させるだけの史料や根拠をあげて反論すればいいじゃん。
そこでまた反論がでたらまた反論すればいいじゃん。
相手は揚げ足とりじゃなくて、矛盾をついてきてるだけなんだからさ。
「箔濃は一種の死化粧でしょ」と言い切るなら、類似するような例があれば
それを提示してくれないか?とても興味あるし、あの時代箔濃が死化粧でも
あったというのは歴史的な発見なんだけど。

741 :人間七七四年:2008/10/30(木) 08:24:24 ID:StFyWY5+
史板にあった時はIDが出なくて、自作自演っぽいアンチの書き込みが多かったが、
それでも史料を元にした話しは出来てたと思う。
ここは趣味板だし、妄想話しが出てくるのは仕方がない事だし、それを止める事も出来ない。
史料を元にした、史的な話しをしたいなら、もう一度史板にスレを立てるしかないのかもしれないな。

742 :人間七七四年:2008/10/30(木) 08:47:44 ID:R3FWT4lk
>>741に賛成
何と言っても趣味板の戦国時代ですから。
それに>>1でも
>>色々な作品の濃姫を語ってもらっても全然おkです。もちろん史実の濃姫も大歓迎!
なんだし。
私はこの小説の濃姫大好きってのりでいいじゃない?

私は坂口安吾の「信長」の濃姫がすき。

743 :人間七七四年:2008/10/30(木) 08:52:00 ID:rL2om7Gs
「箔濃は一種の死化粧」と断じるのは言いすぎだと思うが、信長がどこからこんな発想をしたのかは気になるところだな。
発想元によっては敬意とも侮蔑ともとれる行いだけに。

744 :人間七七四年:2008/10/30(木) 09:50:22 ID:rSYODMQ2
妄想で良いんなら実は濃姫は信長を殺し、その後は自分が信長と名乗って恋人光秀を呼んで二人で天下統一を目指した!!
だから濃姫に関する話もあまりないし墓も無い。最後は新しい愛人蘭丸に嫉妬した光秀の暴走って話を延々語っても良い事になるしな

745 :人間七七四年:2008/10/30(木) 10:13:07 ID:sbMZd1F/
>>743 敬意というのはどう解釈してもありえないんじゃないか?
死化粧は死者への敬意もあるが、首とってなんぼの戦で、
褒賞の高くもらえる身分の高い首にみせようと
戦にくっついてくる女ども(雑用兼売春兼戦闘要員)にさせてたわけで、
討ち取った首を首実検したあと、持ち帰り、加工して酒の肴にするなんて
ありえない話さ。

それに頭蓋骨の箔濃を作るに際して、肉片や脳髄をあらかたこそぎとり、
そのあとお湯でぐつぐつ煮て完璧に肉を分離さえ、そのあと
漆を何度も縫って、その後金粉をかけて装飾する。
それを職能民にやらせるわだかだから、死者へのこれほどの冒涜はない。

ただ、この箔濃の話も後年いかに信長が残虐な人物で蛮行をしていたか、
という話を誇張するために創作された噂の類なんじゃないかと思って。
蛮行といえば妊婦の腹割き、辻斬り、家臣の手打ち、がお約束のようにでてくるけど
その類で、中国の書物あたりから引用されたんじゃないかな、と思う。
道三がやったという牛割きの刑なんかも中国の極刑にあるし。

746 :人間七七四年:2008/10/30(木) 10:13:09 ID:StFyWY5+
史板に濃姫スレ立てるか?
たしか7スレ目だよな。
【第七巻】信長の正室濃姫・まむしの娘の謎
とかで。

747 :人間七七四年:2008/10/30(木) 10:26:06 ID:gL2gy28N
>>745
ところがどっこい、密教系には頭蓋を箔濃にするものがある。法具的な意味で。

748 :>>745:2008/10/30(木) 10:32:01 ID:gL2gy28N
送信しちゃった。

>>745と同じように中国を例にとれば、かの国には自分の息子を料理して振る舞うという「美談」が存在する。
現代人の感覚で「死者への敬意」「死者への冒涜」と単純に言ってしまうことは出来ないな。

749 :人間七七四年:2008/10/30(木) 10:34:12 ID:1WV8JrAi
箔濃・・・事実だったとしたら、これを当時の人はどう見てたか
残虐行為は信長だけでないし、残虐行為の基準っていうか感じ方が
今と大分違うのでしょうか?
「あおむ物語」の挿絵のように討ち取った首を平気な顔して手にとって化粧してる
のも不気味。打ち首にしたって見物人大勢がでるなんて・・・

箔濃を濃姫やお市の方はどう見ていたんだろう?そして茶々たち娘は?
平気だったことはないとしても今では考えられない反応だったりして。

750 :人間七七四年:2008/10/30(木) 10:34:14 ID:sbMZd1F/
>>747 頭蓋骨の一部をさらに加工して盃にして儀式の時に使うって奴だろ?
それも元々中国から伝わってるんだよ。
日本でも頭蓋骨信仰みたいな風潮やエロ教団みたいなのが頭蓋骨に精液を
塗りたくる、なんていう邪教もあったようだけどな。

だいたいなんで信長が密教式なことを浅井親子と朝倉の首に限りやるの?
信長が密教儀式に傾倒していたという痕跡はなにもない。
それに他の大名には誰にもやってない、武田親子にも。

751 :人間七七四年:2008/10/30(木) 10:42:09 ID:sbMZd1F/
>>748 そもそも中国と日本では文化が全然違うじゃないか?
中国で美徳なことでも、日本では許されないことだってある。
中国の歴史上人肉食が合法だった時代のほうがはるかに長い。
日本において人肉食が合法だった時代なんてない。
飢餓の極限状態の時に人肉食が行われた、と悲惨の極みを語る例に
なるぐらいだ。

752 :人間七七四年:2008/10/30(木) 11:40:11 ID:CFtsZmdx
>>747
他の人のレスにもあるように、天台、真言の表的な密教ではなく
日のあたらない特殊な密教教団によって、
そういう頭蓋骨(髑髏本尊)を作成しての儀式はあると読んだことはある。
著名な立川流では男女の交合したさいの精液を百回以上は塗布とか、
他にも作成法は諸説あるようだけど、まあ手間ヒマかかる感じだな。

けれど、やはり信長がそういう左道密教思想に入り込んでの意識で
骨を扱ったというのにはやはり疑問が残る。
まず丁重に扱わねばならぬ法具的な扱いもしているとも思えない。
法具としてなら祀るべきものだしね。

自分として髑髏盃の逸話は後世の創作話と思っています。
絵的にも展開にも、あまりにも芝居がかっている節を感じるので。

史的なことと外れるので、これはスルーしてもらって良いんだけど
そういう密教に傾倒して秘法に熱中する「魔王・信長」みたいな小説、
娯楽に徹した作風で書かれたものがあったら面白いかもね。
信長モノ小説の視点は多岐にわたるから、実はもうあったりして。


753 :人間七七四年:2008/10/30(木) 12:14:51 ID:IjyDSL8B
杯にしたというのは作り話だろうけど、
首を飾ったというのはギリギリ勝った時の戦利品と言う意味と、
親しかった相手だから敬意を表したという意味があるよ。
匈奴とかの風習を真似しただけだと思うよ。

754 :人間七七四年:2008/10/30(木) 12:20:30 ID:gL2gy28N
髑髏盃は流石に逸話かと。
信長公記なんかには、箔濃にしてそれを肴に宴会したとは書いてあっても髑髏盃とは書いていない。

あと、俺も別に信長が密教にハマっていたとは思わない。
そうやって頭蓋を箔濃にする価値観をよしとする文化があった、という例をあげただけ。
ついでに、日本で自分の子供を料理するのが美徳、と言われたことも多分ないと思う。
ただ、>>745みたいに現代の感覚で蛮行と言ってしまうのは乱暴だよ。
現代で頭蓋を箔濃にして飾ったら間違いなくドン引きだけど、もしかしたら当時は受けが良かったかもしれないし。
しかもそれを正月の酒宴の時に出したわけだから、少なくとも信長本人はめでたいことのつもりだったわけだ。
これに対する当時の人間のリアクションがわからない限り、侮蔑とも敬意とも言い難い。

755 :人間七七四年:2008/10/30(木) 12:34:07 ID:jK6rGmwp
めでたい席→憎い奴らの首を漆と金で飾りつけ→あぁ本当に今年の正月は
めでたい、めでたい、

というつもりだったってことでしょ?

別にめでたい席になにか気の効いた肴をだしたかったら
そんなものでなくてもいいわけで、
あえて仇敵3人の頭蓋を箔濃にしてだして肴にしたんだから。
死者への敬意を感じろといわれても無理っしょ。
それに遺体は穢れの象徴でもある。
骨なんてきれいに加工したところで穢らわしいものでしかない。
祝宴の席に相応しい趣向とは言い難いな。

信長は相当の悪趣味だったことには間違いない。

公記は秀吉の時代に編纂されたものだから、少なからず信長を
悪人に書いておかなきゃならない時代背景もあるんだよな。

756 :人間七七四年:2008/10/30(木) 12:43:23 ID:gL2gy28N
>>それに遺体は穢れの象徴でもある。
>>骨なんてきれいに加工したところで穢らわしいものでしかない。
>>祝宴の席に相応しい趣向とは言い難いな。

それこそ現代人の価値観。

それに、公記は「秀吉の命令で」編纂された書物。
政治的にまずい部分は誤魔化したかもしれないし、秀吉自身が信長をどう思っていたかわからないが、
少なくともかつての主君を辱めるために書いたものではない。
かつて信長の敵討ちをした人間がそんなもの書いたら非難轟々だろ。

757 :人間七七四年:2008/10/30(木) 12:50:26 ID:jK6rGmwp
>>756 穢れ思想は公家から派生したこの時代特有のものだろうに。
だから人馬の死体処理に関する特種職能階級が古くから存在してたわけで。

公記の時代背景が秀吉全盛期のものであるのなら、
秀吉をある程度正当化するような内容に手心が加わるのは仕方ない。
信長マンセーの内容では織田家からわずか1年足らずで政権を奪ってしまった
秀吉の立場がないだろうに。

その秀吉も徳川政権下ではボロクソ。
家康マンセーで編纂されてる。

これは仕方ないんだよ。

758 :人間七七四年:2008/10/30(木) 13:32:41 ID:gL2gy28N
そういう死体処理を専門とする階級である、いわゆる「道々の者」は確かに存在したが、
彼らが社会的に被差別階級となるのは江戸時代以後。
それ以前は、ただ単にそのような技術を受け継ぐ集団でしかない。個人的に差別意識を持つ人はいたかもしれんけどね。
彼らは死体処理が「穢れた仕事」だからではなく、「高度な技術を要する仕事」だから使われたわけ。
今でもエンバーミングとかあるでしょ。

あと、公記は特別に信長を辱めたものでもなければ、特別に賛美したものでもない。
そりゃ、人の書いたものだからそういうのを完全に排除することはできないだろうけれど。
だからこそ重要な一級史料扱いされているわけで。
そんな書物だから、小瀬甫庵なんかは「正直すぎてつまらん」と言っているわけだし。

759 :人間七七四年:2008/10/30(木) 13:54:02 ID:jK6rGmwp
>>758 江戸期に身分制度が確立したことによって被差別部落民の
世襲制が確定したってだけで、それ以前から被差別部落民はいたんだよ。
ただ中世までは被差別部落に生まれても身分が確定してなかったてだけ。

そもそも平安貴族が死や血の穢れが禁忌だったので、そのことが被差別民を
生み出したきっかけ。公家文化では被差別民はかなり下におかれたが、
身分制度が確定する以前の武士にとって皮革製造業は戦にかかせないものだったので
被差別民を庇護し厚遇してた。だが戦で負けた捕虜を奴隷としてその手の
職種に従事させるなど、やはり職業としては一般的ではない特種なものだろう。
穢れ思想があるから生理のある女性との交渉も限られ、戦の前は
女人に触れることもはばかったというぐらい戦国期の武家でも
その思想は根強かったわけだ。

信長公記が一級史料と言われているが、牛一が又聞きで書いた情報も
かなりの割合である。織田家に仕官する以前のことなどは
鵜呑みにするのは危険だし、甫庵に文句言われる筋合はないがな、
彼が書いた信長記はその公記をもとにさらに大衆受けするように
書き直した歴史小説だから、史料としての価値はゼロだし。

760 :人間七七四年:2008/10/30(木) 14:08:14 ID:rFlViaJK
戦国大名は呪術師を軍師として傍においている場合が多い。
島津義久には川田義朗のように。織田信長も井束法師という呪術師を
抱えていたらしい。
信長本人が密教の類に精通してたとは思えないが、そういう呪術師からのアドバイスがあったかもしれない。
あの時代護摩を焚いて敵を調伏しようとしてた時代だし。毛利と尼子なんか
真剣に呪術合戦してたし、前衛的とも言える信長もあの時代の人間だもありえる。
濃姫にしたって大名家に生まれ大名家に嫁いだ女性だったから案外平気だったかもしれない。

761 :人間七七四年:2008/10/30(木) 14:46:31 ID:0vUg2pvr
そりゃあ、戦が終わって持って帰って来た首を
首実検する為に、丁寧に洗う仕事が女性の仕事だもん

762 :人間七七四年:2008/10/30(木) 14:59:27 ID:8McKPnsN
>>761 
首洗いのアルバイトしてたのは農家の女とか、足軽の女房とかだよ。
大名家の姫がそんな仕事やるわけないだろ。
ねねなら若い頃はやったことあるかもな。

763 :人間七七四年:2008/10/30(木) 15:18:13 ID:0vUg2pvr
いやそうでもない
持ち帰ってる首は大量なので、到底そういうバイトなんかでは間にあわない

764 :人間七七四年:2008/10/30(木) 15:25:06 ID:pnSzo8DB
首実検して論功褒賞が終われば、
生首をずらっと並べて、それを肴に戦勝の酒宴でしょう。
主だった首は、城下や三条川原にさらされるし。
もともと生きてるのを、無理やり切り取って持ち帰った手柄の証拠品。
現代から見れば野蛮で残酷だけど。
信長にしても、特に死者を冒涜しているという意識はなかったと思う。
酒宴は謡と舞で盛り上がったという。誰も批判めいたことは言ってない。
牛一も、「珍奇な肴」と書いているだけ。

765 :人間七七四年:2008/10/30(木) 15:47:23 ID:8McKPnsN
>>764 箔濃にされた敵将の首は冒頭か否かの話なんだけど、流れ読んでる?




766 :人間七七四年:2008/10/30(木) 16:24:55 ID:OEyp4juy
>>765
それを記した信長公記で、「冒涜扱いされていない」って言っているんでしょ。

767 :人間七七四年:2008/10/30(木) 17:47:28 ID:UN2d8HsS
妄想話がどうしても嫌だという人は、日本史板にスレを立てればいい。
こっちと日本史板と両方にあった頃に戻るだけだし。
IDでないと自作自演しまくりにはなるけど、史料に基づかない妄想は排除できるし
濃姫と直接関係ない歴史薀蓄話が続いても大丈夫だろうから。

768 :人間七七四年:2008/10/30(木) 18:13:15 ID:8McKPnsN
>>766 「珍奇な」とは当時はかなり珍しいものということだから
箔濃が一般的ことではないということはわかるが、賞賛とも冒涜とも
それだけではわからんのでは?


769 :人間七七四年:2008/10/30(木) 18:14:23 ID:8McKPnsN
>>767 自作自演しまくりのほうが荒れるだけ。
妄想は相手にしたくなければスルーしてればいいだろ?

770 :人間七七四年:2008/10/30(木) 18:15:33 ID:cZH5Y0vV
日本サスペンス劇場での濃姫は綺麗だった。漢字忘れたけど、つき山殿も綺麗だったな。
人選は納得。

771 :人間七七四年:2008/10/30(木) 19:43:53 ID:bapHgbBk
>>762
「おあん物語」を読んだことがあるかい?
城に籠城した女性たちが味方の兵が打ち取ってきた敵兵の首を洗い、
身分ある兵を打ち取ったように思わせるために化粧とお歯黒をほどこす
記述がある、有名な文献。
ここでこの仕事に従事しているのは農民などではなく、
城に籠城することができるほどの武士の女房や娘たち。
「おあん」の父親の地位ははっきりとは分からないのだが、
おあんは母とともに城にこもっており、
半農の足軽の娘などでは主君の一大事と聞いて
家族ぐるみで籠城することはないと思う。

おあん物語(他の人のサイトですが参考までに)
http://www.konan-wu.ac.jp/~kikuchi/nihon/oan.htm

772 :人間七七四年:2008/10/30(木) 21:32:17 ID:8McKPnsN
>>771 兄貴は山に鉄砲打ちに行き、十三の時に手作したのはなぞめの帷子一ツしか着るものがなく、
それを十七の年まで着た、昼飯夕飯を食べるなんて夢のようなこと

なんていう貧乏生活を綴ってるのだから、半農足軽の生活そのものじゃん。
兄貴は山に鉄砲打ちに行って糊口をつないだ、なんて書いてあるし。

773 :人間七七四年:2008/10/30(木) 23:26:52 ID:kdZUZNVY
実際に信長が密教に詳しかったかどうかは知らんけど、
織田家ってそもそもは神道の家柄だし、
当時は宿曜などが合戦での吉兆を占う術だったとも言うし、
現代で考える以上に密教などの類が割と身近にあったのかもしれんね。

774 :人間七七四年:2008/10/31(金) 00:16:41 ID:rb1W38/T
最近は「おあむ物語」では無く、「おあん物語」と書くんですかね?




775 :人間七七四年:2008/10/31(金) 07:55:07 ID:Behfp82I
箔濃髑髏を作らせた信長は奇異の目で見られたことは確かなのだし、
あの場合は重臣たちへの見せしめだろう。
正月早々振舞い酒によばれ、かつての同胞が箔濃髑髏にされ
肴にされてるのを見れば信長への裏切りだけはやめようと思い知らされる。
だけどその席にいた光秀はやっちまって、最期は首を縫い合わせた磔姿で晒された。
武士にとって晒し首、などよりも、首のついたままの磔で晒されるほど
屈辱的なことはないから(武士扱いされてない)、
どっちにしてもあの時代裏切り者への制裁は悲惨だ。
箔濃にされた三人の首級がその後どうなったのか気になるのだけど、
3人の首塚もないし、どこかの寺で供養された、というような史料もないから
箔濃髑髏にしたのは単に3人を卑しめ、重臣への威圧効果のためと思うけどな。

776 :人間七七四年:2008/10/31(金) 11:24:58 ID:90N+IHLE
>>775
箔濃髑髏は、馬廻り衆との酒宴の時。
重臣に見せたとは書いてない。
牛一自身も見てない。
裏切りの見せしめというよりも、信頼する親衛隊とともに勝利の喜びを分かち合うための"肴"だろう。

777 :人間七七四年:2008/10/31(金) 12:05:23 ID:O1p5D8/F
生首好きの嫁のためのクリスマスプレゼントじゃね?

778 :人間七七四年:2008/10/31(金) 16:51:44 ID:cAa21pU3
しかし、戦国時代の女性は分からないことだらけだね。
まだ平安時代の女性のほうが具体的なエピソードが残ってる。

779 :人間七七四年:2008/10/31(金) 17:12:44 ID:8QRB4/ML
箔濃髑髏は冒涜と言うより呪術関係じゃないかな。
呪術 宿曜と聞いて「宿曜師濃姫と信長」って小説まえから
気になってたから読むことにします。
どなたか読まれて方います?

780 :人間七七四年:2008/10/31(金) 21:04:03 ID:O1p5D8/F
髑髏を飾るのはいいけど、どれが誰だかわからなくなってたりしてw

781 :人間七七四年:2008/10/31(金) 21:54:21 ID:ulaGtcUP
信長が密教に傾倒していたのなら、寺を創建したり、寄進したりも
しないだろう。
意外と残ってるんだよ、あちこちの寺への寄進の記録。
信長に限らずやってたが縁の寺には保護の禁制もたくさんだしてる。
総見寺もを安土城内に建ててるが、密教がらみのものはなにもないしな。


782 :人間七七四年:2008/10/31(金) 22:03:55 ID:a5FvXsY1
>>781
基本的に日本は多神教国家だし、
こっちの神さまとこっちの神さまを同一視にしちゃえとか
こっちの宗教のこれはこっちにくるとこうなる、みたいな
「何も否定せず、みんな仲良し大作戦」的なものが多いから
一概に「仏教を重んじたから密教に傾倒していない」とは言えないんだよね。
そもそも密教系も元を正せば仏教、神道が祖となっているものばかりだしね。

783 :人間七七四年:2008/10/31(金) 22:08:02 ID:KOMwKdCj
たとえ密教にも理解があったとして
だからと言って浅井親子と朝倉義景だけ箔濃にしたことへの理由には弱いけどね

784 :人間七七四年:2008/10/31(金) 22:39:58 ID:a5FvXsY1
>>783
まぁね。
自分はあれは単純に酒の肴というか・・・
下品な言い方だけど、現代で言うなら昔の女とのハメ動画を
飲み会の席で見せびらかしているような下卑た遊びというか・・・。
そういう「内輪だけで楽しんでいるもの」だと思う。
その内輪にすらドンビキするやつはするけど、みたいな。

785 :人間七七四年:2008/11/01(土) 01:14:59 ID:2uxN0lxv
例として、謙信や信玄の社寺への寄進や願文、宗教政策をみると
寺院においては多岐にわたる宗旨に行っていたりして
領主が自国内や占領地の領民懐柔のために寺院政策も含めて、自分の宗旨に
拘わらずに寄進や造営をすることは多々あることだね。

禅宗の寺(曹洞宗、臨済宗、黄檗宗)で学び、得度しながらも
密教(天台宗、真言宗)の仏を持仏堂に祀り、日々胡麻を炊く
国の一の宮に、己の産土神に、古来からの戦神に祈願文を捧げる・・・等
(ただ浄土真宗など戦国大名にとって敵対勢力となる教団もあったわけだが)
また京の有力な町衆には法華信徒が多かったので
洛中ではそれらの懐柔策と親和策も必要だったろう。

で、そういう戦国大名の宗教観を踏まえても
>783の言うように、信長の髑髏盃の件については
宗教的な意味合いはやはり少ないように自分は思うよ。
(あの逸話は創作性が高いものと考えていながらも・・・)

って、濃姫のことから外れた話題にのってしまっているけれど
濃姫、ごめん。

786 :人間七七四年:2008/11/01(土) 09:20:37 ID:SRhxQG9f
>って、濃姫のことから外れた話題にのってしまっているけれど
濃姫、ごめん

かまいませんよ。殿(信長公)の話題で盛り上がるのは私のとっても
嬉しいことです。毎日たくさんの方に書き込んでもらって喜んでいます。
でも、私がどうなったかは今は言えません。いずれ何らかの史料が
あるところから発見されます。それまで私を忘れないでね。

・・濃

787 :人間七七四年:2008/11/01(土) 15:30:25 ID:Sa4+H1Oc
牛一は「大かうさまくんきのうち」という太閤マンセー本も残してるから
どちらかというと太閤よりの人物だと思うな。


788 :人間七七四年:2008/11/01(土) 17:07:42 ID:sbxRibzy
>>787
信長の功績にいかに自分が貢献したか・・って書かせたかったりして。

>>786
濃姫もこのスレご覧になってなんですね。(感激)

789 :人間七七四年:2008/11/01(土) 18:52:44 ID:vu/RdVV4
信長公記では「他国衆退出の已後、御馬廻ばかりにて」とあるから
あえて側近だけになるのをまって披露してる。
浅井親子たちに敬意を表してるのならともに戦った家臣の他国衆にだって
見せるのでは?

ちなみに「信長記」では勝家らがいる時に披露して
佐々成政が遠まわしに信長を諫め、のちに夕庵も佐々のことを支持する
内容になってる。
「信長記」は内容そのものは信憑性が薄いが、同時代に書いた二人のものだし
佐々や夕庵の反応が当時の人たちの常識的な反応と解釈できるのではないかな?

790 :人間七七四年:2008/11/01(土) 19:32:03 ID:Rqwmtd0U
>>786

偽物偽物〜!

791 :人間七七四年:2008/11/01(土) 19:34:23 ID:Rqwmtd0U
>>789

さすがに日本じゃマズイと思ったんじゃね?

792 :人間七七四年:2008/11/02(日) 10:13:33 ID:OTpSgtLw
>>789
「さて、堅苦しい客も帰ったしお前達に面白いものをみせてやろう。
憎い浅野親子と朝倉の髑髏をしばらく城で鑑賞できるようにしてやったぞ♪」

〜箔濃髑髏登場〜

側近は逆らうと怖いからとりあえず「すごいすごい、御館様これは珍しい!」
と美辞麗句の嵐。

内心DONびき。(「うちの殿様やっべ〜」)

793 :人間七七四年:2008/11/02(日) 13:25:57 ID:osuV1/mK
どれが誰だかあててみて〜♪



794 :人間七七四年:2008/11/02(日) 17:19:41 ID:osuV1/mK
「土産は何がいい?」

「では敵の首を」

(みやげだからかわいくしょっと)

「ハイど〜ぞ」

「あらあら(笑)」(生がよかったのに…)

ってw

795 :人間七七四年:2008/11/02(日) 17:46:00 ID:0QHGmjCA
イラネーギャハハ〜

796 :人間七七四年:2008/11/02(日) 17:48:36 ID:osuV1/mK
首といったらやっぱり生だね!(*^^*)ナマ〜

797 :人間七七四年:2008/11/02(日) 18:06:40 ID:0QHGmjCA
いえいえ(笑)
干したやつです(笑)

798 :人間七七四年:2008/11/02(日) 18:12:39 ID:osuV1/mK
さて

799 :人間七七四年:2008/11/02(日) 21:42:44 ID:JQJZMrmx
生首って、死んでるのに、どうして生首って書くのだろう?
なまくびっていうことは、煮たのや焼いたのも有りなのだろうか?

800 :人間七七四年:2008/11/02(日) 22:51:55 ID:PpbQRVHE
生は生々しい、斬りたてと
いう意味です。

801 :人間七七四年:2008/11/03(月) 01:47:39 ID:65GIFLT4
>>794
泉鏡花の「天守物語」に登場する、姫路城の天守の主・富姫と
その妹分の亀姫の会話みたい。

血のしたたった男の生首が好きな富姫へのお土産にと、
猪苗代城主の生首を持参する亀姫・・・

802 :人間七七四年:2008/11/03(月) 08:18:31 ID:6CQrY68k
濃姫とは無関係の話題になってるなあ・・・

秀吉に宛てた手紙に「なへ」署名のものがあるそうだが
これも小倉だと解釈されてしまっているのだろうか??

803 :人間七七四年:2008/11/03(月) 08:45:35 ID:FAVmSt+p
もっと関係無くなってきたなw

秀吉に手紙出す位の人ならそうなんじゃね?

804 :人間七七四年:2008/11/03(月) 11:44:53 ID:jqNTTZR9
戦国期に限らず江戸期まで死体がそのへんにあるのって
日常的な光景だったから女子供だって生首にびびったりはしないよ。
死臭が生活臭ぐらい、戦じゃなくても行き倒れの死体なんかが
あちこちあったらしい。行き倒れの死体は知り合いが引き取りに繰るかもしれないと、
わざと目に付く所に放置されたんだって。
処刑後の晒し首や磔のまま放置した遺体の見物人がいて
当たり前のようにみていたわけだし、
処刑場の管理をする階層の人たちはその周辺に所帯もって住んでた。
もっとも高貴な身分の女性たちは外すらめったに出ないし、
輿に乗り、御簾越しだから腐乱死体を見慣れてるなんてことはないだろうけど。

戦に負けたら最後、殺される、奴隷として売り飛ばされる、というのが
当たり前の価値観で生きていたから、女どもも父親や夫が戦に負けて殺されても
達観してたんじゃないかな。嫁ぎ先を織田家に滅ぼされ、夫を箔濃にされても、
お市は織田家のために再婚したし、淀殿も総見寺に寄進するなど信長の菩提を
大事にしてるし、織田家を恨んでいるようには思えないしさ。

805 :人間七七四年:2008/11/03(月) 12:59:08 ID:QW21k/kk
>>802
秀吉に仕えてたわけだし小倉氏でも不思議じゃないけど
よくある名前だったらしいし、手紙の内容にもよるよね。
自分の主への手紙に、役職名とかじゃなく名前の署名が普通だったのかは
よく知らないけど、「なへ」という通り名で仕えてたのかもだし。

806 :人間七七四年:2008/11/03(月) 17:50:21 ID:hFdvZSxh
信長の側室ってほとんど、未亡人。
これは若い娘が好きだった秀吉、家康をはじめ
ほとんどの大名の側室達から見るとちょっと異様。

若い生娘を傍に置くのを濃姫に気遣ったか、単に信長の嗜好か・・・
でも子供を埋めなかった正室濃姫にとって側室とは子供を産む者。
子供を産んだことのある女性なら側室としての仕事はできる。
濃姫の意向が働いてたりして、なんて言うとまた妄想って言われるだろうけど。

807 :人間七七四年:2008/11/03(月) 18:05:25 ID:ICe6S3cQ
>>806 
信長の側室は素性が判明してるのは生駒含めてどく数人。
後家ばかりといわれるソースがあるなら知りたいぐらい。

808 :人間七七四年:2008/11/03(月) 18:28:42 ID:EzNN7/2L
ある程度第三者の記録から後家、または婚姻経験有り(離縁含)と分かるのは、
異父兄の小嶋氏が記録にある信孝の生母坂氏と、
やはり異父兄が分かっている信吉生母の小倉氏と、
信忠乳母から側室になった三の丸殿生母くらいじゃないのか?

信雄生母の生駒氏の場合は、第三者の史料からは、後家かどうかははっきりしないからな。

809 :人間七七四年:2008/11/03(月) 20:04:38 ID:ICe6S3cQ
>>808 そう、26人いたという信長の子供たちの生母の出自等がほとんどが不詳。
側室が後家が多いとは誰がいいだしたことなのだろう。

生駒、お鍋、のイメージのせいだとしか思えないのだけど。

810 :人間七七四年:2008/11/03(月) 21:52:02 ID:NSi2aiaX
>>809
まさに生駒、お鍋のイメージのせいじゃない?
あと信長が母親から疎まれていたという説に基づく
生駒寵愛はマザコン的なものからきていた!という後家好きイメージ。

811 :人間七七四年:2008/11/04(火) 08:05:49 ID:0ChNNwhz
お人よしで出戻り押し付けられてただけ。


812 :人間七七四年:2008/11/04(火) 09:29:38 ID:VOdW8AW1
武家でも実家が金持ちでもない限り出戻り娘や孫の面倒は大変。
出戻り女の仕事といえば奥仕えの侍女ぐらいしかないから、
実家をでて奥勤め。
そこで目をつけられ側室に、というパターンが多いからじゃない?
家康の初期の頃の側室も後家が多かった。
秀吉の寵愛してた京極殿は後家で子供もいた、なんていう説もあるし
淀殿も当時は若い範疇には入ってない。
家康や秀吉が若い娘が好き、というのもイメージでしかない話。

813 :人間七七四年:2008/11/04(火) 09:31:27 ID:s6D8sgte
信忠が生まれるのは斉藤道三の死の翌年。
濃姫と結婚してすでに9年。
やはり道三に遠慮して側室持たなかったのかな?
まぁ信忠の生母は道三の生前に身ごもっていたかもしれないけど
それにしても7〜8年は側室なしだった訳だ。
尾張統一もどうなるか?自分の立場も危うい時に跡継ぎなんて
二の次だったかも。

814 :人間七七四年:2008/11/04(火) 10:01:43 ID:VOdW8AW1
>>それにしても7〜8年は側室なしだった訳だ。

なしとは言い切れないのでは?
いても妊娠したものが誰もいなかった、もしくは
流産、死産、夭折などということもあったかもしれない。
跡継ぎ問題は尾張統一よりも優先すべきことじゃないの?
弟や親族が虎視眈々と跡目を狙ってるしさ。

815 :人間七七四年:2008/11/04(火) 10:14:15 ID:C554j3a3
当時は7歳までに亡くなった子供は、記録に残さない風習もあったというしな。

亀レスなんだが>>710にあるように、濃姫生母が稲葉氏だとしたら、
元々、崇福寺が稲葉氏の菩提寺という事を考えても、
久庵慶珠は稲葉氏縁者の可能性も出てくるのではないか?
やはり、久庵慶珠は、濃姫ではないのだろうか?

816 :人間七七四年:2008/11/04(火) 10:59:28 ID:WuyRqTh7
>>815
久庵慶珠は、濃姫というより、濃姫についてきた稲葉一族出身の
濃姫の侍女と考える方が妥当じゃない?
濃姫が久庵慶珠だったら正室が男児出産なんだからちゃんと記録に残るし。
久庵慶珠の葬儀のことも正室のって葬儀」ということになるからこれまた
正式に記録に残るでしょう。
最初の側室は濃姫の侍女の方がなんとなく収まりやすい?


817 :人間七七四年:2008/11/04(火) 14:03:28 ID:C554j3a3
久庵慶珠って、生母って確定してないからさ。
崇福寺の二つの制札から、喪主は信忠が奇妙時代にしたのだろうとは、推測出来る。
信忠は濃姫の養子だから、喪主になったというのはどうかな?
言継卿記の壷事件の記載よりもあとの死亡年月日だし。
ただ、正室が亡くなって、仮に信忠が喪主をつとめたのだとしたら、
何の記録にも残ってないってことが、おかしいとも考えられるから、
久庵慶珠は信忠の生母で、濃姫の侍女の稲葉氏縁者っていうのは、収まりがいいとは思う。

ただ、信長晩年に、公家衆の記録に正室の影がない事を考えると、
この辺りで亡くなっていれば、まだ、京で確固たる地位を築いていない時期だし、
記録が残ってないというのも、収まりがいい気がする。
少なくとも、織田家側の記録(崇福寺の史料)では、当時はきちんと葬儀等されて
位牌も管理されていたと考えられる訳だからね。

818 :人間七七四年:2008/11/04(火) 14:30:06 ID:jVVksOs6
信忠生母が濃姫だという説に固執してる人がいるけどいい加減あきらめたほうが
いいと思う。信忠が嫡子なら誰にはばかることなくそう記されたろう。

819 :人間七七四年:2008/11/04(火) 14:49:08 ID:C554j3a3
濃姫が信忠生母と書いてる人なんて、いないと思うが?

820 :人間七七四年:2008/11/04(火) 15:35:52 ID:SjeRwG07
>>818
> 信忠生母が濃姫だという説に固執してる人がいるけどいい加減あきらめたほうが
> いいと思う。信忠が嫡子なら誰にはばかることなくそう記されたろう。


821 :人間七七四年:2008/11/04(火) 18:26:09 ID:HDRBgV1a
俺様説

信長が光秀に本能寺で討たれた後、死んだと見せ掛け姿をくらました光秀は
濃姫となかむつまじく生活した。光秀は出家して天海となり
後に死去した時に息子が天海の名を引き継いだ。
我が家に代々伝わる書物から明らかである。

822 :人間七七四年:2008/11/05(水) 10:20:34 ID:cT3FkvsO
おいら説w

天海=信長説

東照宮のは桔梗紋ではなく実は…!

とかw
だから濃姫も江戸にいたんじゃね?


823 :人間七七四年:2008/11/05(水) 10:22:40 ID:SOdGOXtc
濃姫は本当に子供を産まなかったのか?
と言うより男児は産んでない、しかし・・・

近江國輿地志には娘を産んだとに記述もあるようだし
勢州軍記は濃姫が男児を産まなかったので信忠を養子にとある。
若君を産まなかったって書き方、娘は産んだけどって取れないこともない。


824 :人間七七四年:2008/11/05(水) 10:51:04 ID:Ab950Q+Z
地志とか軍記の殆どは妄想で書かれた極悪書
こんな物取り上げるな!

825 :人間七七四年:2008/11/05(水) 11:33:37 ID:LHYWDPgm
確実な史料だけしか認めないとなると、
濃姫について語ることはほとんどできなくなってしまうわな。

>>1 も、「色々な作品の濃姫を語ってもらっても全然おkです。もちろん史実の濃姫も大歓迎!」
と言っている。

捏造度90%でも10%の真実はあるわけで。
今後、研究が進んで新しい史料が出てくるかもしれず。

堅苦しく考えないで、楽しく濃姫について語り合うスレになっていけばいいと思う。

826 :人間七七四年:2008/11/05(水) 11:42:04 ID:cT3FkvsO
本能寺は濃姫の釣りとかw

827 :人間七七四年:2008/11/05(水) 19:39:02 ID:O+LPbVmB
もし娘を産んでいたとしたら?
やっぱり冬姫かな?
上手い事に本能寺の時は冬姫の舅が安土のお留守番。
しばらくは蒲生の世話になり、落ち着いた頃出家。

秀吉は信長と正室濃姫の間に生まれた冬姫に執着してあんな噂が流れた。

勢州軍記は蒲生の家臣が書いたそうだから、
「濃姫はわが主人の奥方は産んだけど若君は産まれなかったので信忠を養子に・・」
なんてつもりで書いたかもしれません・・・そんな事ないか?

828 :人間七七四年:2008/11/05(水) 22:24:03 ID:ueFxU4sM
>>827 それなら素直に「氏郷室の生母は信長公正室」と書くでしょ。
遠まわしに書く理由がない。

829 :人間七七四年:2008/11/05(水) 22:47:04 ID:MNnbg2FT
>>828
勢州軍記のどのあたりにそんな文章を入れるんだよ

830 :人間七七四年:2008/11/05(水) 22:51:49 ID:lOHaGRNi
>>827
濃姫がそのときも権力持っていたとかならともかく、
前権力者が正室との間に子供作ってようと、別にそこまで執着する理由はないと思うけどね。
何でも濃姫に絡めて考えすぎだし、濃姫を重く見すぎ。
単純に冬姫が美貌で、ブランドもの姫君大好きな秀吉のセンサーに引っかかっただけでしょ。


831 :人間七七四年:2008/11/05(水) 23:42:39 ID:JDTv7iLU
>>830
確かに執着する必要はないんだけど、生母が不明な勝長ですら
理由不明ながらいなかったことにしようとしている節が
強い秀吉だからね・・・。
だからといって冬姫は濃姫の子と言いたいわけじゃないんだけど。

832 :人間七七四年:2008/11/06(木) 07:41:57 ID:tcwZKLea
嫡子とはいえ別格扱いされたのは長男だけで、次男以下は庶子と
たいして変わらない扱いじゃん、どこの大名家も。
嫡子に男子が誕生したらただの家臣、後継者争いからも退く。
ましてや女子なんて嫡子だろうが、庶子だろうが
嫁にもらうほうが父親がだれかが問題なのであって、
母親がだれであろうと関係ないっしょ。養女だっていいわけで。

833 :人間七七四年:2008/11/06(木) 09:26:49 ID:uZ6RQCbo
まぁ一級史料に出番のほとんど無い濃姫だもの、地誌や軍記にも
頼らないと話もできない。

嫡男を産んでなかったから記録に残らない。だからひょっとしたら
女児をって可能性は否定できない。
>>832
>ましてや女子なんて嫡子だろうが、庶子だろうが
嫁にもらうほうが父親がだれかが問題なのであって、
母親がだれであろうと関係ないっしょ

ひょっとしたら信忠が跡継ぎと確定してから男児出産もありえる。
跡目争いは自分で懲りてるので信長は信忠を廃嫡しなかった。
だから濃姫が男児を産んでも生母の記録も残らなかった。


834 :人間七七四年:2008/11/06(木) 10:12:24 ID:tcwZKLea
生母の記録を残す残さないは後世のためのものであって、
リアルタイムに生きてた人たちには濃姫が男子を産んだら
ばればれなんだから意味ないじゃん。


835 :人間七七四年:2008/11/06(木) 10:17:57 ID:JpGeu+NO
ばれても、信忠を廃嫡してなきゃ、問題ないからなぁ。
早々に家督も譲っているから、その点でも問題はクリア出来ていた事になる。

836 :人間七七四年:2008/11/06(木) 12:59:57 ID:fR1YzZM+
つか嫡子に生まれて嫡子認定もされず、嫡子長男なのに庶子長男以下の
扱い、ということはどんだけ濃姫の扱いが下だったか、ということに
つながるのだけど。
北の方の意向って後継者問題にも大きく反映されるわけで
濃姫が信長に信頼され、大事にされてたということと大きく矛盾する。

837 :人間七七四年:2008/11/06(木) 13:24:32 ID:gFdSjMyo
濃姫が信長に愛されなかったのはブスだったから説もある
案外道三にそっくりだったかも
淀君もお市の方に全然似ず、長政に似たし


838 :人間七七四年:2008/11/06(木) 14:53:24 ID:wwVfZ4pC
信忠が嫡男認定をされた後に嫡子が生まれた場合は、
信長が嫡子を後継者に据えたかったらそうすればいいだけだろ。
当主の命令は絶対なんだから。
細川家でも嫡子長男を強引に廃嫡させてるが
跡目争いなんておきてない。
信長の場合信秀が早く亡くなってしまったために
弟が謀反をおこしやすくなってしまったんじゃないかな。
伊達家もそう。
信長がしっかり実権を握っていれば後継者争いは防げる。

839 :人間七七四年:2008/11/06(木) 16:16:41 ID:gFdSjMyo
そもそも筆頭家老の勝家でさえビクビクしてる大魔王の如き信長の言う事に
逆らう奴などいるのか?
嫡男認定だろうがどうかなど全然関係ない

840 :人間七七四年:2008/11/06(木) 16:24:35 ID:acRg7C3Q
>>837

へぇ〜淀殿って父親似なんだ!
でもなんで知ってんの?

841 :人間七七四年:2008/11/06(木) 16:38:30 ID:kkheczPZ
男児を産んだっていうのはちょっと無理っぽいけど
娘ならありえないことじゃない。
武功夜話を否定すれば五徳だって濃姫生母の可能性はある。

842 :人間七七四年:2008/11/06(木) 18:50:45 ID:JpGeu+NO
道三って美男子っていわれてるよね?

843 :人間七七四年:2008/11/06(木) 19:39:57 ID:k5v08Zsg
838の視点は大事だろうな。
信長は自分自身が兄弟間争いをしてるから、息子たちにはそういう
ことが起きないよう早めに確実に他家に養子に出したってのもあるだろうし。

柴田がビクビクしてたのはその頃にいったん裏切ってる負い目も強かったんじゃ
ないかね。佐久間たちの追放で、昔のことを信長がずっと根にもっていたというよりは
旧臣が邪魔になったのであろう、とかよく言われるけど、やっぱりネにもってチクチク言ってた
ようなこともあったかもしれない。

信長は兄弟間というよりも親族一同まきこんだドタバタで織田家統一したような
ものだから、そういうことが息子たちにはおきないように注意してたとは思うの
だけど、まさか拾ったサルに乗っ取られるとは夢にも思わなかったろうな。

844 :人間七七四年:2008/11/06(木) 21:44:14 ID:RCMcxC6v
>>840
残ってる肖像からじゃないかと。

ちなみに道三は、あの肖像から察するに
別にブサイクってわけではないと思う。
少なくとも今の価値観で言えば、の話だけどw
切れ長の涼やかな目元だし、当時でもブサイク認定ではなかったと思うけど。
まぁ当時のイケメンがどんなものかはわからないので、
なんともいえませんが。

845 :人間七七四年:2008/11/06(木) 22:04:44 ID:gFdSjMyo
斉藤道三はどこから見てもブサイク
http://saitoudousan.turigane.com/
それに比べ宇喜多秀家は今でもイケメンで通用する
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F:Ukita_Hideie.jpg

846 :人間七七四年:2008/11/06(木) 22:58:57 ID:tzr80a/i
イケメンで通用するのかもしれんが、ちょっとくどすぎて
見てたらきもちわるくなりそうな顔だね
肖像画、キモイヨ・・・

847 :人間七七四年:2008/11/06(木) 23:23:02 ID:7G8/OZfl
秀家は尾上菊之助とか尾上辰之助ぽい
ttp://info.yomiuri.co.jp/prize/engeki/img/12_sugimuraharuko.jpg
ttp://www.relnet.co.jp/relnet/brief/000423c.jpg

848 :人間七七四年:2008/11/07(金) 13:25:36 ID:k9KK4LNW
確かな史料がなければ他の史料を参考資料として語るしかないね。

信長が寧々に宛てた手紙は参考にならない?

寧々が倍も美しくなった、禿ねずみ(秀吉)には勿体無いって
持ち上げて最後は正室としての立場を説いている。
子供無いねねに暗に濃姫を見よといってるような・・・

もし信長が濃姫を大事にしてなかったら凄くしらける手紙じゃない?
濃姫が生きてたらとしてだが。


849 :人間七七四年:2008/11/07(金) 15:49:16 ID:VgPC4pIb
>>848

>>193 >>194 >>196




850 :人間七七四年:2008/11/07(金) 18:24:07 ID:xMuNk9pE
>>849

良く読んでから投稿します。848



851 :人間七七四年:2008/11/07(金) 21:02:13 ID:1kRcChGk
信長関係者の手紙でも見つかり、その中に濃姫のことが少しでも書いてあれば、いいのだが。
濃姫のことは、生存説、早死説、離縁説、そもそも結婚などしていないと言う説。このどれかだと思うが、生存説は全然記録に残らないのもおかしい。
早死説は、織田家の正妻が死んだのだから、葬式のひとつも、墓のひとつもあってもいいだろう。離縁説は、これだけのビッグカップルが離婚したとなれば、話題や記録に残ってもいいだろう。
結婚していないと言う説は、信長に正妻がいないとだが、上杉謙信じゃあるまいし、考えられない。こうなると四つとも可能性がほとんどなくなる。しかしこの中のひとつに間違いないのだが。

852 :人間七七四年:2008/11/07(金) 21:26:55 ID:DZqwiO1q
別のアプローチだけど、秀吉の妹の朝日は家康の正室になったけど
早々に京都に帰ってそこで亡くなったにも関わらず、家康はきちんと
菩提を弔って、朝日のいる寺に寄進をしたりしてるし、歴代将軍も
京都に行くときはそこに立ち寄って菩提に手を合わせたというよ。
徳川と敵対関係になった豊臣一族の女性であっても、
家康の正室として子孫からもきちんと敬われてる。
秀吉の墓なんてぶっ壊される寸前だったというのに。

濃姫が仮に明智一族で光秀と近い血縁関係にあったとしても
それを理由に織田家からスルーされるということはないんじゃないかな。
それに濃姫がどういう状況で亡くなっても子孫がスルーするということは
やはり考えられないよ。だって信長のことはずっと供養し続けてる子孫が
奥方のことを無視しないでしょ。奥方がどんなに存在感が薄くても
形式的にせよワンセットで供養するもんでしょ。
信長は一族きっての有名人なだから。
濃姫は信長が亡くなった時点ではすでにいなく、
亡くなったことが織田家に伝わってないようだから
離縁してしまっていたのだと思う。

853 :人間七七四年:2008/11/07(金) 21:37:01 ID:DLntxqQR
読本の今月の桐野の連載で濃姫のことが少しでてくるね。
谷口が、ちらっと出てくる明智の名を光秀に同定してるのを軽く疑問視して、
光秀ー濃姫縁者というのも疑問視してる。
ま、唐突に光秀が歴史に登場するのを説明するのにはうってつけなんだろね。

854 :人間七七四年:2008/11/08(土) 12:39:47 ID:thVlBEaW
>>852 それに引き換え築山殿の将軍家からの冷遇ぶりをみると
築山殿と名乗った段階ですでに徳川とは縁切り状態=家康と離縁してたのかもな。

855 :人間七七四年:2008/11/08(土) 13:00:10 ID:yWq2f9JZ
忌々しい女に対する仕打ちは築山殿の例が非常に参考になるね
あくまでも推測だけど義龍とは仲が良かったので濃姫が織田家の内部事情を
義龍に漏らしていたのではないか?
で、それがバレ、虎の尾を踏む結果となって離縁と
それなら織田家に濃姫の事が何も残ってないってのが納得いく

856 :人間七七四年:2008/11/08(土) 13:47:08 ID:jdbHIclJ
>>義龍と仲良かったってソースは?

857 :人間七七四年:2008/11/08(土) 14:06:56 ID:yWq2f9JZ
だからあくまでも推測って言ってるだろうが
そもそも一級史料には信長に嫁いだ事しかないのでは
後は皆推測になってしまうだろうが

858 :人間七七四年:2008/11/08(土) 18:30:54 ID:hdr6o+vj
道三の肖像画を寄贈したのは信長室だと言われてるから
濃姫は道三とは仲が良かったのかなとは思えるけど
義龍との関係は推測の手がかりになるものもない状態だよね。
道三と義龍二人の仲が悪いだけで、他の一族とは仲が良かったかもしれないし。

859 :人間七七四年:2008/11/08(土) 20:49:06 ID:REo1hO1I
弟達を殺したという話もあるし
義龍がもし自分は土岐氏だと思ってるなら道三関係者はみんな敵なんじゃないか?

860 :人間七七四年:2008/11/08(土) 23:05:40 ID:TqgLjClO
>>859 土岐氏と思ってるなら晴れて土岐氏を名乗ったろう、一色を名乗らずにな。

861 :人間七七四年:2008/11/08(土) 23:13:04 ID:5IDNA1sG
>>859
道三やらその近くにいた弟達は自分の政敵でも
妹は可愛いってパターンもあるしなぁ。
その妹は父親からも可愛がられていたっていうのにも矛盾はないし。
兄と父とのいさかいに、実は心を痛めていたとかね。

まぁ全部想像だけど。

862 :人間七七四年:2008/11/08(土) 23:47:33 ID:XQ2qq9aU
義龍の後家をかばったのが壷事件としたら(もちろん政治的な駆け引きもあるが)
そこまで仲違いしていなかったのかもしれないよな。

863 :人間七七四年:2008/11/09(日) 00:38:59 ID:5n4oRSov
壺事件は義龍の後家に濃姫の妹が味方して、一緒に自害するとか騒いだから、
濃姫が仲裁に入ったんじゃね?
さすがに妹が自害とか言い出したらしょうがないよね。

864 :人間七七四年:2008/11/09(日) 00:49:24 ID:nd1iQD/J
>>863
濃姫は仲裁に入ったというよりも、姉妹と一緒に騒いだ口じゃないかな?
仲裁したのは「しうとめ」。
で、数日後、姑のもとへお礼に行く信長の姿が目撃されたのであった。

865 :人間七七四年:2008/11/09(日) 03:15:21 ID:5n4oRSov
でも濃姫の両親は亡くなってたんじゃないの?
しうとめって誰?

866 :人間七七四年:2008/11/09(日) 10:49:05 ID:oV2bOOWl
>>865
濃姫の母親も実際どこの誰なんだかいまいち不明。

867 :人間七七四年:2008/11/09(日) 16:02:40 ID:lOJYwIH1
濃姫は庶子だったんだろうな。
だから生母が不詳なんだよ。

868 :人間七七四年:2008/11/09(日) 23:04:05 ID:qPP2BKqu
しうとめが道三の側室だったとしたら、美濃国衆を説得して仲裁することはできない。

869 :人間七七四年:2008/11/10(月) 00:55:17 ID:90VX+QPq
信長が美濃を取った時点で美濃の国主の系統が義龍系から道三系に戻ったという事だからできるんじゃない?

870 :人間七七四年:2008/11/10(月) 01:43:55 ID:Fc14M9Ad
868は、だからしうとめは道三の正室だろう、という意味で書いたのだが。

871 :人間七七四年:2008/11/10(月) 07:36:08 ID:f90p8y8s
>>869 美濃国主は竜興追放で、信長が乗っ取り信長系統になったんだろうに。
道山系統は義龍、義龍、龍興でそれぞれ正式に家督相続してるんだから。
義龍も龍興も道三系統。
信長と濃姫の関係が親密であったらしゅうとめさんの出番もあったろうけど、
そうでなければしゅとめのでてくる余地はないだろうから、
しゅうとめが仲裁したという話はどっちともいえないだろうな。
夫婦関係が親密で良かったら壷事件事態がおきなかったんじゃないかと思うけど。

872 :人間七七四年:2008/11/10(月) 08:46:48 ID:KUCS8B2q
>>871
>夫婦関係が親密で良かったら壷事件事態がおきなかったんじゃないかと思うけど。

そうかな?
濃姫の母に壷を出せって言うなら夫婦関係に疑問もあるが
義龍夫人だよ。濃姫にとっては義姉だが父親の仇の妻でもあるしね。

873 :人間七七四年:2008/11/10(月) 14:43:32 ID:rCuKDuef
出典の出所は私にはわからないけれど、濃姫の母親は一般に斎藤那々(小見の方)で、濃姫が嫁いだ2年後に死んでると本に書かれてました
義龍も肖像画を見る限りでは体格が大きくて、華奢と伝わる深吉野が生んだのかどうかも疑問視されており、道三の前妻が生んだんじゃないかとまで推測されていて、その義龍の正妻は浅井久政の娘で長政の姉
これって、どこか信用の置ける本とかに書かれてませんか?
最近、どれが本当のことでどれが小説・推測の類なのかわからなくなって来ました

874 :人間七七四年:2008/11/10(月) 17:21:25 ID:3Y5yvoAg
>>872 斉藤家に対する信長の態度が問題なんじゃないの?
どんないきさつがあったって、斉藤家は濃姫の実家。
現に斉藤家の当主夫人だった義龍の後家への信長の侮辱的な行為に
濃姫の兄弟姉妹は怒って一緒に死ぬのなんのと言ってるじゃん。
それに濃姫が道三よりで、信長も濃姫の意思をくんでいたというなら
濃姫の兄弟姉妹がみな義龍の見方だったということになる。
道三ってどれだけ子供達から憎まれてたんだよ。

875 :人間七七四年:2008/11/10(月) 17:36:24 ID:3Y5yvoAg
>>873 濃姫や義龍がらみのものは史料といっても地誌の類ばかりだから
信憑性が薄いものばかり。「翁草」「美濃明細記」「美濃国守護伝記」「美濃国諸旧記」
あたりに載ってるよ、その話。
道三の妻が稲葉氏だったとか、信長が龍興の妹を側室に差し出せといったとか、
そんな話も載ってる。桑田忠親は義龍の生母を稲葉氏と推測してた。
義龍と一鉄の絡みからも不自然な説ではないな。
ただどれもこれも後世編纂された伝承をつなげただけの
随筆風の地誌。戦国期から100年以上たってからの編纂だから参考程度のものだよ。
「美濃国諸旧記」じゃなかったかな、有名な「この脇差で父上を刺すかもしれません」
とかの歴史小説お約束の話が載ってたの。非情に芝居がかった眉唾のエピだ。

876 :人間七七四年:2008/11/10(月) 18:34:41 ID:gYL5bGh2
「美濃国諸旧記」なんか後世の手がかなり加わってるので対象外
そもそも道三が一代で油屋からのし上がったなどと書いてるし
ほんとんど歴史小説

877 :人間七七四年:2008/11/10(月) 21:36:22 ID:rCuKDuef
>>875

ありがとう
濃姫のエピソードはどれも二級三級の史料ばかりだから、推測の域を超えないものばかりなんですよね
脇差のエピソードも、私も眉唾ものだと思ってました

簡単な家系図を見ても、濃姫の弟二人は生き延びて寺の住職になってるのに、その辺りから何も伺えないのも不思議だなと思ってます
(私が知らないだけかもしれませんが)
867のコメントを読んで、私も前から思ってたことですが(あくまで私個人の推測です)、『濃姫』に当たる人は斎藤家の家臣の娘だったんじゃないかなぁと
でなければ、何で斎藤が正室の産んだ娘を、どれだけの器かわからない信長に嫁がせるのか首を捻っていた時に浮かんだんですが・・・
(現代語訳してる明智軍記には「義龍の娘を道三の養女にして信長に嫁がせた」って書かれてましたが、年齢的に計算が合いませんよね)
前例で有名なところで言えば浅井長政の最初の妻(六角家臣の平井の娘)とか、長宗我部元親の妻(斎藤利三の義妹とか、将軍義昭の家臣の娘とか諸説紛々)とか、真田信之の妻(忠勝の娘だけど、世間で見れば家臣の娘)とか
養女にしてしまえば生まれはどこであろうとその家の娘になってしまいますし、そうじゃなかったら何で道三が織田に娘を嫁にやるのかわかりません
信長の力量を見込んでだとか(これは聖徳寺の会見の後の印象らしいですが)、信秀の能力を見込んでだとか、それも後世になってからの評価論のような気がしまして、こんなとんでもない推測を立ててしまいました
支離滅裂な文章ですみません

878 :人間七七四年:2008/11/11(火) 00:34:47 ID:mTGT8H5d
そういや信長も養女を敵の所に嫁に出してるから、当時はよくあることだったのかな?

879 :人間七七四年:2008/11/11(火) 07:52:51 ID:AYCDY0Rw
>>877 住職になったから妻帯せず直系子孫もいなかったら
彼らから手繰るのは無理でしょ。

手駒がなくなったら一族の姫を養女(嫁がせる段階で養女にするだけの関係)にして
嫁がせるのであって、母親の出自や相手の重要度はたいして関係ない。
信長だって大事な武田との和平交渉に養女を勝頼に嫁がせてる。
ようは婚姻によって同盟が結ばれればいいのさ。
家康もずいぶんいろんな姫を養女ということで嫁にだしてるけど
もらったほうは将軍家と縁組した、ということにはかわりないし。

880 :人間七七四年:2008/11/11(火) 19:59:07 ID:KTQ3CpsN
津島神社の古文書にある
 「かつさ殿(信長)橋の上に御座候而御見物成られ
   女房達橋坊主のうらに桟敷を打、それに御座候」(弘治四年)

この女房達って濃姫や側室たちかな?
弘治四年は信忠の生まれた翌年。この年の3月に信雄と信孝が生まれてる。

ちょっと前に信忠が生まれるまで側室がいなかったというのはおかしい。
流産や夭折などは記録に残らないと言う人もいたが、
信忠が生まれてからは順調に子供達もうまれてる(側室の人数も増えたろうが)
信忠が生まれるまでは全然産まれないってのも疑問。いなかった可能性も否定できない。


881 :人間七七四年:2008/11/11(火) 20:41:35 ID:jGsgVgXh
>>880
女房たちは、原文では
「依清須公命、延式日渡十五日十六日、今茲上総介殿於大橋上覧祭、簾中方於橋守館構桟敷」

簾中自体が正室の意味を持つから、正室をはじめとした女性たちって事だろうな。
その場合、側室を指すか、正室の傍付き侍女を指すかは判断出来ない。

882 :人間七七四年:2008/11/12(水) 13:38:46 ID:r07Vg9sf
>>881
881です。ありがとうございました。

濃姫と侍女か側室が津島神社のお祭りを信長と見物したって事ですよね。
津島は織田家にとって財政的にも重要な土地。そこで一番のお祭りに
濃姫を伴ってと言うことは道三死後もちゃんと正室として信長が扱っていた
と言うことになると思いますが。
この史料の価値がどれくらいかは分かりませんがこの年までは濃姫は存在し
正室としての体面も保っていたと考えていいのではないでしょうか。

883 :人間七七四年:2008/11/12(水) 14:25:39 ID:NFz5JT/c
再び正室を貰う事もあるから断定できない

884 :人間七七四年:2008/11/12(水) 15:58:31 ID:UX06a+dZ
継室がいたなら、言継が信長本妻ではなく、信長前妻等、
継室がいる前提の書き方をするだろう。

言継卿記が書かれた永禄12年時点で、斎藤氏が本妻であり
継室を娶っていなかったと推測出来る。
斎藤氏が亡くなっていたら、言継卿記の他の箇所の記載などから
亡妻と書かれるとも考えられるが、そこは断定出来ないから、
生存に関しては謎が残りはするが。

885 :人間七七四年:2008/11/12(水) 19:07:13 ID:sakYFrFk
>>簾中自体が正室の意味を持つから

基本的には御簾の中にいるような高貴な身分の女性、という意味。
江戸期までは御簾中が正室のみを示したという史料はないはず。
高貴な女性(奥方かもしれないが限定できず)という例はあるけど。
江戸期以降も「御簾中」を名乗れたのは将軍家や御三家、御三卿の正室まで
と厳格に決められてて、それ以外の大名の正室は御簾中と名乗れない。

886 :人間七七四年:2008/11/12(水) 19:15:59 ID:hP9+SWdO
>>885
>江戸期以降も「御簾中」を名乗れたのは将軍家や御三家、御三卿の正室まで
 と厳格に決められてて、それ以外の大名の正室は御簾中と名乗れない。

戦国時代の尾張の神社の史料だものあの当時の尾張一の実力者の信長の正室で
いいのでは?




887 :人間七七四年:2008/11/12(水) 19:33:16 ID:sakYFrFk
信長の正室、生母、姉妹、姫(いなかったろうけど)、側室、
あたりだって御簾の中の生活してたろうから、そう称されてもおかしくない。
この場合は簾中といっても正室だけというよりも、
妻妾女房を含めた「信長の側にいる女たち」という意味にも解釈できる。

888 :人間七七四年:2008/11/12(水) 23:50:01 ID:oDE+vdtN
もし今後濃姫の日記などが発見され、
信長と不仲だったような記述があった場合
このスレの住人はそれを認められるんだろうか。

889 :人間七七四年:2008/11/13(木) 00:04:46 ID:IrK5zEiu
そんなもん絶対に見つからんから心配要りません。
発見されなくても築山殿のような事になったであろう事は
おおよその察しはつく

890 :人間七七四年:2008/11/13(木) 00:06:23 ID:TdIqHsYe
日記なんて発見されたら、そりゃ大喜びだろ。
日記でも手紙でもいいから発見されて欲しいもんだ。

891 :奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2008/11/13(木) 00:52:41 ID:btiliOLu
遅レス御免。
龍興はその名乗りも含めて庶子じゃなかったか。

892 :人間七七四年:2008/11/13(木) 08:44:55 ID:tpDELMjC
龍興は庶子なので後から出来た嫡子の弟に家督を継がせようという動きを
察知した龍興が先手を打った、というのが通説だけど。
嫡子でも先代と仲違いすれば廃嫡させられるケースもあるので、龍興は嫡子だけど
継室の間に嫡子の弟が誕生したかもしれないし、わからないね。

一色は母方の姓を名乗ったと言う説もあるけど、
男系社会で母方の姓を名乗る理由もないので、
斉藤家の先祖は一色の流れを組んでるよ、というアピじゃなかろうか?
斎藤というのは元の主君の名跡を継いだだけの姓だし、
下克上親父の悪いイメージを一新する目的と、
先祖は名門一色家だ、と勝手に一色の庶流を名乗っただけかも。

893 :人間七七四年:2008/11/13(木) 09:34:54 ID:RihsqcFV
>>877
遅レスだけど、濃姫の弟の新五郎の直系が岡山県に3家残っていた筈。
児島斎藤氏が備前の池田氏とのつながりもあり、本家みたいなものなのかな?
残念ながら、新五郎の子供の新五郎(濃姫甥)の代以前の史料は
ほとんどないそうだな。
江戸時代の池田家で領内の重要な史料をまとめたものには、
斎藤家に道三の遺言書等が残っていたとされているらしいが、
実際には現存はしていないので、よくわかっていないようだ。

894 :人間七七四年:2008/11/13(木) 10:10:01 ID:ualIch0e
茶人で堺の豪商今井宗久から三淵藤英宛に出された手紙に
『仍今度申入候前十河存知之塩合物過料銭之事、
従去年公方様并信長御台御料所拙者被仰付候ニ付て
早々可申付候処』(永禄十二年)

信長は濃姫に御料所を、つまり財産を与えていた。
これは信長死後も濃姫のものだったのかしら?
だったら誰の世話にもならず悠々と京都で過ごしてたっていうのも
充分考えられる。
子供のいない濃姫の先々まで考えてあげてたんじゃない?
戦に明け暮れる自分はいつ死んでもおかしくないと信長は思っていた。
そのとき濃姫が困らないようにって。




895 :人間七七四年:2008/11/13(木) 11:12:48 ID:tpDELMjC
>>894 
信長御台と訳したら、宗久が公方と信長御台から
御料地の管理を仰せつかったとなる。
信長の御料地だったかもしれないし、濃姫のものだったかもしれないし、
もし濃姫の御料地なら信長が濃姫に御料地を与えるのは不可能だから、
濃姫が宮廷から御料地を直接もらったことになって、これまた変なことになる。
これは公方と信長から御台御料所(御料所の台所入)の管理を
宗久が仰せつかったという解釈でしょう。

正妻の行く末を案じるのなら、秀吉のように生前自分の領地の一部を
妻に化粧料として与え、生涯困らないだけの個人財産を持てるようにしてあげたろうね。
ねねは秀吉から1万石以上の領地をもらって、上手に運営してる。
秀次に譲った後だから、やはり代が代わって後継者がねねの実子でないため
自分にもしものことがあったらというタイミングであげたんだろうけど。

896 :人間七七四年:2008/11/13(木) 11:49:51 ID:IrK5zEiu
>>894
まずはその当時の文献の読み方を勉強してからおいで
この馬鹿ほど自分の思い込みで解釈するアホも珍しい


897 :人間七七四年:2008/11/13(木) 13:21:14 ID:jv+I/7R1
>>895 >>896

『8月17日 今井宗久、三淵藤英(「三淵大和守」)へ十河存保(「十河殿」)知行分であった塩合物の過料銭は去年(永禄十一年)以来
       足利義昭(「公方様」)・織田信長室(「信長御台」)の「御料所」となり今井宗久が代官に任命されたが、使者を以て上申
       したが「京都之儀」は未定というので「遠慮」し、「岐阜」に於いて織田信長(「信長」)へ上申したところ代官就任及び職責
       遂行についての指示が下され、その件を再度足利義昭(「御公方様」)へ上申したところ去年(永禄11年)の「筋目」を収納
       すべき旨を通達されたことなどを通知。〔「今井宗久書札留」〕』

こういう風に読む人もいる。

これはあるブログから
『永禄十二年(1569年)8月17日に今井宗久が幕臣三淵藤英に宛てた書状案の解釈をめぐって、この「御料所」の存在地とその所有者について論考したものである。

この「御料所」を義昭と織田政権の直轄地であるとし、それが堺であるとするのが多くの見解であるが、「信長御台」という文言の解釈が分かれている。
奥野高広、脇田修、内田九州男、原田正記は「御台」=夫人と解釈して、「信長御台」は信長夫人(濃御前)としている。森山恒雄氏は「御台」=台所入と解釈して、「信長御台」は織田政権の台所入(直轄地)としている。
どちらにせよこの「直轄地」であると主張していることでは一致している。・・・』

信長御台御料所を信長夫人と解釈する人もいる。

馬鹿やアホはやめましょう。いろんな説があるのよ。



898 :人間七七四年:2008/11/13(木) 14:08:08 ID:/OYPYhH2
>>896
趣味板でこいつは何カリカリしてんだ?
じゃお前の読み方を披露してみろよw

899 :人間七七四年:2008/11/13(木) 14:16:31 ID:Tvz8lffi
個人的には、義昭(人)と信長の直轄地(土地)を「并」で並列に置くってのは文章としておかしいと思う。

並べて読めば「将軍の御料地&信長直轄領の御料地」となってしまう。

900 :人間七七四年:2008/11/13(木) 14:33:48 ID:jv+I/7R1
単純に
公方様并信長御台御料所拙者被仰付候ニ付ては

公方様ならびに信長御台御料所を拙者(今井)に仰せ付けられ
で良いんじゃないの?

901 :人間七七四年:2008/11/13(木) 15:14:07 ID:nqnkJtlT
>>897 都合のいいところだけ抜粋するのってブログ主さんに対して
失礼じゃないの?この人は「御台御料所」=「台所入」という
解釈のためにその部分を冒頭で書いただけじゃん。


『御台御料所がどこにあるのか。
今井宗久書札留にあと一点だけ、この「御台御料所」という文言が
使用されている文書が収録されている。

一五ヶ庄ニ相付、塩合物過料之事、五ヶ庄【御台御料所】へ相付ニよって、
去々年迄十河当知行候、其代官両人迄我等召置候、何時も罷出可申明事、
三淵大和守殿御構候、
前後の書状案から永禄十三年(1570)2月22日から
4月4日の間のものと思われる。
この条文から「御台御料所」イコール「五ヶ庄」であることが解る。
五ヶ庄とは堺五ヶ庄であり、堺庄の約2キロ東方に位置する。

以上、堺が信長夫人領であるとされてきたのは誤りであり、
事実は宗久が「御台御料所」イコール堺五ヶ庄の支配を仰付けられたことが確認できる。』

こう〆てるじゃんさ。

それに信長公記の原文(たぶん首巻)に台所入という意味で
【御台】という表記がされてたし、御台とあったから即濃姫というのは短絡すぎだな。

902 :人間七七四年:2008/11/13(木) 15:35:01 ID:sWYFw1rp
897です。
>>901

引用が長すぎると思ったからで他意はありません。
『奥野高広、脇田修、内田九州男、原田正記は「御台」=夫人と解釈して、「信長御台」は信長夫人(濃御前)としている。森山恒雄氏は「御台」=台所入と解釈して、
「信長御台」は織田政権の台所入(直轄地)としている』

ここを引用したかったの。
ブログ主さんは
『以上、堺が信長夫人領であるとされてきたのは誤りであり、
事実は宗久が「御台御料所」イコール堺五ヶ庄の支配を仰付けられたことが確認できる。』

としていますが、

「御台」=夫人と解釈する人もいるってことを言いたかったのです。

903 :人間七七四年:2008/11/13(木) 16:50:17 ID:nqnkJtlT
確かに人それぞれ解釈はあるだろうが、信長御台=台所入という
解釈についてはそれなりに納得のいく解説があるが、
信長御台が濃姫だ、いうことを主張する側からのそれに対する
反論はないよな。
まさか盲目的に自分に都合にいい見解だけを信じてるわけでもないだろうに。

だいたい
「塩合物の過料銭は去年(永禄十一年)以来
 足利義昭(「公方様」)・織田信長室(「信長御台」)の「御料所」となり」

という訳からしておかしい。
過料銭はいわゆる罰金のことだ。なんで罰金が御料所になるんだ?
宗久は信長や公方の御料所の代官をまかされ、そこで発生する塩合物の
過料銭→御台(台所入)の管理を仰せつかったとしか読めないだろうに。

904 :人間七七四年:2008/11/13(木) 18:18:06 ID:LfjspD/7
明日>>902
『公方様御台様御座所近辺寄宿停止之旨、被仰出候、万一兎角之族申仁在之者、
記校名急度可有注進候、為其如此候也、二月廿九日〜』

この御台様は濃姫よ、
濃姫をとても大事にしていたから信長は公方と同格の扱いで
わざわざ命令をだしたのよ、
濃姫を京都に連れて来るほど仲がよかったのよ、

と書いてくる悪寒。

905 :人間七七四年:2008/11/13(木) 19:37:00 ID:/OYPYhH2
信長公と濃姫が仲が良かったら都合でも悪いの?

906 :人間七七四年:2008/11/14(金) 09:38:49 ID:rDtnh/9h
>>904のせいで、常駐してる霊感ブログからのお客様が何もかけなくなったなw

907 :人間七七四年:2008/11/14(金) 09:42:56 ID:FJtTJ2/W
信長が、女性と仲良くしてるエピソードなんて、
真っ当な史料や、昔から伝わる逸話にもないから、
女性で道を踏み外すような人じゃなかったんだろうくらいしか分からんよな。
有名武将だと、女性がらみの逸話なんて、結構誰でもあるのにな。

908 :人間七七四年:2008/11/14(金) 09:47:05 ID:FJtTJ2/W
信憑性のある史料で、女性に執着したのが出てくるのは
御湯殿の上の日記に出てくる三条西氏くらいだろ?
あれだって、女性としての執着か、政治的な思惑か微妙な所だし。

909 :人間七七四年:2008/11/14(金) 10:13:58 ID:P2Bfe54a
またまた嫌な雰囲気ですね。
史料の少ない濃姫だから、みんななんとか史料らしき物でも
引っ張り出して楽しんでるんじゃないの?
私は今井宗久の史料なんて始めて見たから(そんなやつは素人だ、なんて言わないでね)
そうなんだ・・・そう言う風にも読めるんだって思いましたけどね。
反対の読み方もそうなんだって素直に思える。
いいじゃない、いろんな見かたがあって。
>>904>>906見たいな書きかたしたら
濃姫が本能寺まで生きていたとか信長と仲良かったって思ってる人は書けなくなる。
山岡荘八の「織田信長」の濃姫ファンだっているんだよ。



910 :人間七七四年:2008/11/14(金) 10:28:19 ID:afhVpPMf
>>904>>906は常駐同一アンチ濃姫だから、
濃姫が信長に大事にされたって話が出ると湧いてくるんだよw

こう書くと別人だがってまた来るけどなw

叩くだけの人より何か出して意見言える人のほうが、歴史にまったく素人には面白いよ。
それ見ていろんな意見も出るからロム組は楽しめるし。


911 :人間七七四年:2008/11/14(金) 11:05:54 ID:3uYxPZaG
確かに、史料の解釈だけやりたいんなら、
史板に行けばいいのにって話しだよな。
ここって趣味板だしなぁ。

信長は女性がらみの逸話も少ないし、織田家は女性の記録をほとんど残さない家ですって
直系子孫の人の話しもあるし、この先もあまり大した事は分からないんだろうな。
なのに、戦国期から江戸期を経て、現代に至るまで、
濃姫として存在を語り継がれてるというのは、そちらの意味でも興味深いけどね。
道三息女、信長正室、信憑性は薄いと今では言われているが光秀従姉妹という
周りを取り巻く人物からすると、もっと悪女に語り継がれててもいいだろうにな。

912 :人間七七四年:2008/11/14(金) 11:15:02 ID:l1foi0E0
>>911
確かにここは趣味板にはなっているが、史板から特に戦国期がらみのスレが多いってんで
独立した経緯があるので、趣味板だからと言ってなんでも書けば良いってもんではない
そういうお前にはメンヘル板にでもスレを立てるのが一番ふさわしい


913 :人間七七四年:2008/11/14(金) 11:49:41 ID:1Cc3XKGh
>>912

ここはこう言うスレです。
>>1
>このように濃姫は謎の人物で、史実云々を語るよりも時代小説・大河ドラマなどで
脚色された新たな濃姫像を語る方が多いかもしれません。
色々な作品の濃姫を語ってもらっても全然おkです。もちろん史実の濃姫も大歓迎!



914 :人間七七四年:2008/11/14(金) 12:41:24 ID:afhVpPMf
>>912
↑こいつ昨日からなぜ火病っているんだ?ww

>>911がメンヘルにも、スレ立てしたいようにも見えないが?



915 :人間七七四年:2008/11/14(金) 18:24:01 ID:CDsPEpt0
歴史小説の濃姫を語りたいなら中途半端に史料などもちださなければいいのだよ。
歴史小説家は基本的に自分のテーマにあった濃姫像を都合よく登場させてるだけ。
史実や史料との矛盾もフィクションだからそれも許される。

そもそも濃姫ネタで有名な歴史小説が書かれた時代は、今よりももっと
濃姫に関する関心は薄く、だからこそ自由な濃姫像を書くことができた。
本能寺の変でともに戦って亡くなったというのは、おのうさんという侍女が
落ち延びて亡くなった地に彼女の墓があって、地元ではそれが濃姫の墓と
伝承されてたのでそれをヒントをしたんだろう。

だけど妄想語りたがる連中は小説の濃姫は史料にも裏付けされてると
主張したがるからあっさり史料熟知派に一蹴されちまうんだよ。
ものすごく強引な解釈して、矛盾を指摘されると「足を引っ張る」
「2ちゃんなんだから何を語ってもいいはず」と逆ギレ。

矛盾をしてきされたら、自分もその反論に対して矛盾を指摘して
応戦してくればいいんだよ。
なんか自己弁護ばかりが目立つ不快なスレが目立つな。

916 :人間七七四年:2008/11/14(金) 18:58:30 ID:YABcLHLb
濃姫のことなら、何でも有りのスレでいいじゃない?

貴方はどの小説の濃姫が好きですか?
わたしはやっぱり「国取り物語」かな。

917 :人間七七四年:2008/11/14(金) 19:30:14 ID:l1foi0E0
で、大河ドラマみたいに光秀とW不倫をしてたのが信長にバレそうになったので
信長を殺したと?
そんなアホらしい無意味な議論して楽しいか?


918 :人間七七四年:2008/11/14(金) 20:43:20 ID:yV2w6aML
別に小説でも大河ドラマの話題でもいいだろ。
ここはそういう趣旨のスレなんだから。
史料の話だけしたいなら、日本史板へ行った方がいいと
これまで何度も言われてるだろうに。

919 :人間七七四年:2008/11/14(金) 23:42:19 ID:bZSYsQwY
>>917
自分は別に史実にのみとらわれた濃姫語りがしたいわけじゃないから
そういう「史実としてありえない」のでもいいけどね。

920 :人間七七四年:2008/11/15(土) 08:36:54 ID:yzAWAAEh
このところ二人ほど火病ってるのがいるけど、なんなんだ?
史板の時の武功厨とは違うみたいだし。

921 :人間七七四年:2008/11/15(土) 08:49:27 ID:vcAC+HMd
火病ってる?
火病はチョンコ特有の奇病
なんでも原因キムチの食いすぎらしい
チョンコには濃姫の事など関係ないから、ここにはそんな奴はおりません。
濃姫韓国人説を唱えるのなら話しは別だが

922 :人間七七四年:2008/11/15(土) 10:00:01 ID:Hm9jLcPj
>>911

スケーターの織田さんの話しですね
他のスレにも書かれてました(テレビの特集の時の零れ話みたいな)

>>915

私もそう思いますが、それを逸脱してしまうほど濃姫が好きな人が居るってことですね

>>921

恐らくYahooトピックで不要な知識を得た人でしょう
スルーに限りますよ

923 :人間七七四年:2008/11/15(土) 10:33:04 ID:yzAWAAEh
>>922
スケーターの織田さんの話しじゃないよ。
織田孝一さんって(本名は信孝)、信雄系統の現当主の話しですよ。

924 :人間七七四年:2008/11/15(土) 10:35:54 ID:L8yqMjvH
少ない史料の点と点をつなぐ臆測や推測にある程度当時の武家の慣習なんかに
のっとった妄想なら許容範囲だし、なるほど、という意見にも出くわすけど
妄想ありきで史実を強引に解釈してくるのは受け付けないな。


925 :人間七七四年:2008/11/15(土) 12:02:34 ID:aUgIIddd
>>924

>妄想ありきで史実を強引に解釈してくるのは受け付けないな。

と言うけど、今の話題の信長御台をどう解釈するかについても
最初の人は、一応プロと言える(本も出してるしね)
奥野高広、脇田修、内田九州男、原田正記も「御台」=夫人と解釈してるって書いてるだけで
妄想してるとは思えないけどな。
そう言う解釈もありってこと。
自分の解釈と違うと妄想っていうのはどうかな。

926 :人間七七四年:2008/11/15(土) 12:43:44 ID:oMG728TU
言継卿記の「信長本妻」にしても、濃姫がすでに死んでると思ってる人には
故「信長本妻」や濃姫以外の斉藤氏の「信長本妻」に解釈できたりするわけだし
誰もが自分の結論を元に、史料を解釈しようとするもんだ。
解釈は研究者にしろ素人にしろ妄想だろうと各自自由だし、
新史料の発見でそれまでの「史実」が変わったりもするんだし
こんな素人スレでまで、史実が史実がと気負ってみても仕方ないだろ。

そう言えば、何年も前の濃姫スレの最初の頃に、織田家で「おとな」だった家では
濃姫の本名は「おなべ」だと伝わってるとネットで見たってレスがあったけど
あれはホントにそう伝わってたんだろうか。
その時には、みんな「それはありえないだろw」って反応だったけど。

927 :人間七七四年:2008/11/15(土) 12:50:37 ID:vcAC+HMd
だから濃姫韓国人説が一番説得力があるのよ
元々道三自体が一介の旅人であるから、韓国から渡って来たって事も十分考えられるのよ
で、信長にそれがバレて冷たい仕打ちを受けて、いやいや出て行かざるを得なくなり
織田家の記録にも濃姫の婚姻以外は抹消と
それなら十分納得行くじゃない
ここでは何でも有りと言っておきなが

928 :人間七七四年:2008/11/15(土) 12:52:31 ID:SIMaQG3d
濃姫韓国人説のみスルーってのはおかしいじゃないの

929 :人間七七四年:2008/11/15(土) 13:09:03 ID:EywJI8oF
>>925 そういう意味じゃなくて、濃姫と信長は夫婦円満で仲がよくて〜という
固定観念を裏付けるために、史料をオーバーに解釈してくるレスが受け付けないんだよな。
御台が濃姫のことだとしても別に信長と濃姫が夫婦円満だった証拠でも
なんでもない。信雄だって妻に知行をだしてるし、
大名家ではそういう慣習があっただけなのかもしれないのに、
絶対そうは解釈してこない。どっちともとれる解釈を他の裏付けもなく
同じ結論にもっていこうとする魂胆がみえみえなのが興醒めするんだよな。

ちなみに信長公記には「『御台所』賄」という単語がでてくる。
これは間違いなく台所入という意味で使われてるけど、実際御台所という単語は
妻以外の意味もなすわけだから、そういう可能性を否定して
専門家が書いてるから、ということだけを根拠にするのもおかしい。
いくら専門家の書いたことだからといっても矛盾を指摘されれば
少しは自分なりに疑問とかわいてくるもんじゃないか?
武功だって歴史家が本物認定したまま彼らはその後否定はしてない。
武功に書いてあることも一つの可能性と主張できる勇気あるやつなんて
いるか?生駒が信長最愛の女性で結婚当初から濃姫なんて影のうす〜い存在だけど。

930 :人間七七四年:2008/11/15(土) 15:12:47 ID:vswsbjZH
>生駒が信長最愛の女性で結婚当初から濃姫なんて影のうす〜い存在だけど。


それを言いたかったのか。納得。ごくろうさん


931 :人間七七四年:2008/11/15(土) 18:04:19 ID:4L5LcCpC
「信長濃姫夫婦円満説」には資料的根拠がないというのはその通りなんだが

「不仲説」や「離縁説」は資料的根拠は絶無であることもお忘れなく

932 :人間七七四年:2008/11/15(土) 18:17:54 ID:Hm9jLcPj
>>879
>>877 住職になったから妻帯せず直系子孫もいなかったら
彼らから手繰るのは無理でしょ。

そう言う簡単なもんじゃなくて、住職になって生きてるわけだから、生きてる間に少しでもねーさん(だったらの話しだけど)のこと書き残してなかったのかって言いたかったの
日記なり覚書なり
無関係の人間の名前出すけど、石田三成の息子(出家して住職になった)だって親父のこと何かしら言い残してるんだしさ
少なくとも自分の兄弟が信忠の家臣になって二条城で一緒に死んでるんだし、「うちの家族」の逸話ぐらい残ってても不思議じゃないと思うんだよね

&遅スレでシラけさたらごめん

933 :人間七七四年:2008/11/15(土) 18:41:20 ID:qWrTfB8c
>>931 強いていえば織田家の菩提寺に濃姫の墓も位牌もないのが
状況証拠としての離縁説の根拠かな。

>>332あんだけ大勢いた兄弟姉妹からも濃姫の足跡を示すものが
なにもでてこないのだから、不思議でもなんでもないよ。

934 :人間七七四年:2008/11/15(土) 21:38:04 ID:WMSJYNV5
>>929
別に生駒云々の件とかはどうでもいいけど、
前半は同意かな。
結論ありきで史料を探しているというか・・・。

夫婦円満派にしても、離縁派にしても
その結論に持っていく為に、色んな史料から抜粋してきているように感じる。
史料があって「だからこうじゃないか?」って探し方ではなく
両者とも自分の結論の為に、史料を探しているような気が。

935 :人間七七四年:2008/11/15(土) 22:55:40 ID:oMG728TU
織田家の菩提寺に濃姫らしき墓や位牌がないというのも
じゃあ、濃姫以外は墓も位牌も全員あるのか?って疑問も出てくるしね。

936 :人間七七四年:2008/11/15(土) 23:11:41 ID:WMSJYNV5
>>935
まぁ濃姫以外だって墓・位牌ないじゃん!
だったら濃姫がなくっても別におかしくない!といわれれば
確かにそうなんだけどね。
ただ普段から夫婦仲円満派の言い分だと、当時の正室の地位の高さ云々とかの
主張が何故そこでは発揮されないのかな、と疑問。
大切にされ、奥御殿の主だとしたら
そこまで地位の高かった正室であった女性を、信長の死後とはいえ
墓なし・位牌なしの状況にするかなーと思う。
織田家が滅んだならともかく、細々と永らえていたわけだしさ。


別に自分は円満派でも離婚派ではないけど、
どっちにしてもなんか疑問が残るというか・・・
結果ありきの史料探しをしているので、他の疑問では
前肯定として使っていた事が足かせになっているイメージがあるな。

937 :人間七七四年:2008/11/16(日) 00:20:32 ID:wpEHx2UI
別に信長に愛されてようがいまいが、どうでもいいけど、
どんな生涯を送ってどんな人だったか知りたいなw

938 :人間七七四年:2008/11/16(日) 00:31:32 ID:xB7ZLxUF
>>935 信長の正室だから墓も位牌もないのがおかしいわけで、
側室たちの墓や位牌がないことにはそんなに不自然さは感じないよ。
同時期にいた信長ほどじゃないにしろ戦国時代の有名人の正室で
江戸期を通じてずっと子孫が残ったような大名家で、その正室の墓や戒名も
伝わらない、という例が複数件あればそういうこともありなんだろうと
納得できるけど、とりあえず知らないからな、そんな例。

939 :人間七七四年:2008/11/16(日) 00:51:25 ID:j8+zMWey
>>938
織田一族歴代の正室の墓や位牌は全員あるの?

940 :人間七七四年:2008/11/16(日) 01:09:57 ID:j8+zMWey
信雄の正室だった北畠の娘も結構興味あるんだよな。
旦那に親を殺されて家を乗っ取られたわけだし、なかなか壮絶な人生。
早死にしたとか言われてるけど、何歳ぐらいだったのかな。

941 :人間七七四年:2008/11/16(日) 01:24:36 ID:4qnunU/S
>>933
言葉足らずでごめん
あれだけ兄弟が居るのに、誰も書き残した形跡がないのが不思議って書きたかったの・・・
(女兄弟だって居るのに)

結局のところ、みんなが小説やゲームで知ってる一般的な『濃姫』と言う女性は居ないんじゃないかと言うのが、今のところ私の中では自然な結論になってる
それに該当する女性は居たかも知れないけど、その女性(つまり正妻ってことかな)が間違いなく『斎藤道三の娘』で、『斎藤道三の正妻の小見の方が唯一生んだ
女の子』なのか?ってことが引っ掛かりになってるのが一番の原因だけど、未だに『武功夜話』を真に受けてる人間も居るし、正妻=愛人(妾)説持ち出してる自由
論者も居るけど、それ以上に『濃姫は確かに存在するのか?』の方が私の中では現実味があるんだよねぇ
アンチ濃姫じゃなくて、寧ろ大好きな方なんだけど、そんな私が考えても元斎藤家家臣(例えば美濃三人衆とか)からも聞こえて来ないのはおかしいと思うし
斎藤家に関係する人間だったら普通に名前の一文字ぐらい残したって変じゃないと思うんだけど、そっち方面でも残ってないんでしょ?確たる名前とか、地位とか
だとしたら、論点は「信長に最も愛された女性」とかのレベルじゃなくて、「居たのか、居なかったのか」に絞れると思うんだけど、飛躍しすぎかなぁ・・・

>>938
935が言いたいのは、他の大名家と比べてとかじゃなくて、同じ時代の織田の家の中での話しだと思うよ
実際信長の側室だって、「大勢居た」とは言われていても、何かしらの形跡が残ってるのは「生駒氏」と「坂氏」と「お鍋の方」だけだし、それでも実名はさっぱりなわけだし
濃姫以外、他の3人は子孫だって残ってただろうにそれでも名前が残ってないのも変な話だよね

942 :人間七七四年:2008/11/16(日) 06:59:36 ID:4f5TIGZH
斎藤道三義龍は信長に負けた
上記の2人はうざい

943 :人間七七四年:2008/11/16(日) 07:02:19 ID:4f5TIGZH
明智は秀吉に依頼すればいい

944 :人間七七四年:2008/11/16(日) 09:07:05 ID:xB7ZLxUF
>>940 信雄正室の北畠氏は墓も戒名もあるよ。
分限帳の作成段階では生きていたこともはっきりしてるし、
信雄系織田家の開祖夫妻として節目節目で法要されてる。

>>941 女性名の実名はむしろ明確なほうが珍しいんだけど。
当時は実名なんて嫁にいったらもう対外的に必用ないわけだし、
位牌にすら残ってない(残す必用が無いから)ので不詳であたりまえ。
ねねやお鍋なんかも秀吉の手紙の署名でたまたま判明しただけ。
それと「生駒」と「お鍋」は実名は判明してる。
「生駒」は「類」、お鍋は「なへ(なべ)」。
坂氏は信孝切腹、坂氏と信孝の姫は処刑され男子がいなかったから
信孝系織田家は断絶、直系子孫はいません。

945 :人間七七四年:2008/11/16(日) 09:42:23 ID:4f5TIGZH
信長は斉藤道三義龍に勝ちました
道三義龍は美濃を圧制や混乱に導いた悪人です
信長は正義の人です
信長の美濃攻略は正義のために行われました
義龍道三=負け犬 悪人
信長=勝ち組 正義の人


946 :人間七七四年:2008/11/16(日) 10:23:26 ID:j8+zMWey
>>944
純粋な興味から、北畠氏っていくつで亡くなったのか聞きたいな。
北畠が乗っ取られてからもちゃんと正室のままだったんだよね。
継室といわれる木造氏の供養はどうなってるの。

947 :人間七七四年:2008/11/16(日) 10:30:40 ID:j8+zMWey
それと生駒氏の名前が「類」っていうのは確定したんだっけ?
生駒家ではそう伝わってるって話は聞いたことがあるけど
当時はRで始まる名前の例がないので疑問も持たれてたような。

948 :人間七七四年:2008/11/16(日) 10:49:37 ID:WTDfpSHX
>>938
毛利元就の正室。
墓がいまだわかってなかったはず。
あれだけ仲が良かったと言われ、江戸期も生き残ってる家柄。
さらに明治維新で大活躍。

949 :人間七七四年:2008/11/16(日) 11:20:19 ID:4qnunU/S
>>944
>「生駒」は「類」、お鍋は「なへ(なべ)」

『類』は後世の創作だって話しだし、当時は存在しない発音だと言う人も居るけど?
「なべ」は信長が付けた名前では?
それが実名だとする証拠(史料)を見付けてないので、私もなんとも言えないけど


個人的には>>948の話しも興味深い
探せばもっと出て来るかもね
実名も墓も位牌も行方不明の大名夫人が

950 :人間七七四年:2008/11/16(日) 12:38:18 ID:xB7ZLxUF
>>948 元就正室の戒名が「成室妙玖大姉」。
元就が子供達にあてた教訓状で「妙玖」の法要をきちんとしろと言明し、
子供たちは忠実に守ってる。
墓は現在確認されてないが、元就夫妻の位牌が宗光寺にあったことは
史料から確認され、子孫が回忌ごとに供養をしていたこともわかってる。
生前は寄進や手紙などから足跡がたどれるし、濃姫とは比較にならないほど
足跡を残してるよ。

>>949 「類」は創作じゃないよ。
生駒家の家系図に残ってる名前。
その「類」があの「生駒」と同一人物かどうかが
明確じゃないけど、時代的に恐らくそうだろうと
生駒家では類を信忠、信雄、五徳の生母と墓石に刻み、
戒名もつくって法要してきてる。
「類」じゃない別人の可能性もある、という意見があるだけで、
生駒氏が信長の側室になったのは明確な事実。

「なべ」は「小椋鍋」と秀吉が手紙に書いてるから名前は鍋なんだろ。
崇福寺にある手紙を書いた主がお鍋だとしたら、
間違いなく名前は「なべ(なへ、なえ)」。
本人の署名が残ってるから。

なへなんていう名前はかなりオーソドックスなものだから
崇福寺の手紙の主は小椋鍋じゃない可能性もあるが。



951 :人間七七四年:2008/11/16(日) 12:40:02 ID:j8+zMWey
生駒家の家系図っていつできたものなの?

952 :人間七七四年:2008/11/16(日) 12:55:11 ID:xB7ZLxUF
>>951 しらんよ、郷土資料館だかにおいてあったぞ。
それなりにふるいもののように見えたが。


953 :人間七七四年:2008/11/16(日) 13:07:13 ID:j8+zMWey
>>952
家系図なんて適当に作れるからな。
どの程度信用できそうな家系図なのかも不明?

954 :人間七七四年:2008/11/16(日) 13:21:14 ID:xB7ZLxUF
>>953 先祖を源氏か平氏、藤原に書き換えるための家系図つくりなら
わかるけど、「類」を書き加えるために家系図をつくりなおすことに
なんか意味あるの?

生駒家は本家も分家も大名家で生き残り、明治以降もどちらも家系が続いたのだから
当時からの家系図が残ってても不思議じゃない。
あの時代生駒氏から信長の側室になった女性がいて、信雄に関しては
絶対生母だったわけだし、類じゃないにしろ相当する女性がいたのは
確かなこと。類じゃなく、別の女性だった可能性もあるだろうが、
生駒家で類としているならそれでいいのでは?どっちにしろ生駒氏にはかわりない。

永姫生母も生駒氏(信雄生母とは別人だろうが)という説があって、
生母は金沢に墓があるな。

955 :人間七七四年:2008/11/16(日) 13:24:09 ID:xB7ZLxUF
失敬、生駒宗家は大名にはなってないな。

956 :人間七七四年:2008/11/16(日) 13:35:40 ID:j8+zMWey
>>953
意味あるとかないとかじゃなく、君が生駒の実名は判明してると断言したから
異論がでてるだけなんだけど。
生駒家が類だとするのは生駒家の自由だけど、それで類で判明したとは言えないだろ。
他の史料との照らし合わせもないわけだし。
生駒家では類だと伝わってるってだけの話。

957 :人間七七四年:2008/11/16(日) 13:50:34 ID:xB7ZLxUF
>>956 
生駒家でそう断言して故人の法要までしてるのなら、
部外者が異を唱えたってどうにもならんだろうに。
類だとなにか不都合でもあるのか?

生駒家が信雄生母は類だ、と家系図を根拠に言ってるのだから
それでいいだろ。
だいたい女性名なんてよほどの有名人でもない限り家系図に記されてるのすら
珍しいケースなんだから。
ねねですら名の確定はできてないぐらいなのだし、
類という名前が特定できただけ生駒はかなりましなほう。
それだけ生駒家の出世の糸口を作ってくれた生駒が生駒家から
大事にされてきたってことだろ。

958 :人間七七四年:2008/11/16(日) 14:13:01 ID:j8+zMWey
>>957
君は史料重視派なのかと思ったら、そうでもないんだな。
でもこれが濃姫のことなら、たかが家系図ぐらいで判定するなんておかしいって言いそうだけどw

959 :人間七七四年:2008/11/16(日) 14:35:39 ID:9yk0yAQN
負け犬の遠吠えを久しぶりに聞いた。

960 :人間七七四年:2008/11/16(日) 19:52:34 ID:WTDfpSHX
当時の女性の名前がはっきり残っている事が
稀といえば稀なのかもしれないね。
大体通称というか、そんな感じだし。
件の毛利元就夫人の名前も謎だし(法名から「妙」または「久」でないかと言われているらしいけど)
武田信玄夫人も「三条の方」で通称。


濃姫も結局通称でしかないわけだしなぁ。
帰蝶も信憑性的に?だし。

961 :人間七七四年:2008/11/16(日) 21:12:53 ID:/nJRa1AT
>>958すると畠山系図でしか確認できない畠山昭高室が濃姫の妹、信長の姪という
のも畠山家でしか確認できない家系図だから考察する価値もない。
伊勢系図にある、濃姫の妹を妻にした伊勢貞良の子が濃姫の養女になったという
のも伊勢家でしか確認できない家系図にのってることだからこっちも信憑性がない。
池田家では濃姫の養女を池田元助の嫁にもらったというが、嫁は伊勢家の姪のこと
ともいわれているが、家系図事態が信憑性がないし、池田家でしか確認できない
ことだからこっちも信憑性がない。

となるんだね。

まさか生駒家の家系図は頭ごなしに否定しても、↑は信じてるというのでは
あるまいw

962 :人間七七四年:2008/11/16(日) 21:37:18 ID:j8+zMWey
>>961
家系図だけとかでは当然断定はできないよ。
そういう説があるってだけで。
そんなの当たり前じゃないかな。

963 :人間七七四年:2008/11/16(日) 21:55:23 ID:/nJRa1AT
>>962おや?
「たかが」家系図、「適当につくれる」家系図なんでしょ?
そんな嘘臭い史料ともいえないしろものを根拠に「そういう説もある」
なんて素直に納得できるわけw

964 :人間七七四年:2008/11/16(日) 22:05:11 ID:j8+zMWey
>>963
家系図なんて適当に作れるのは君だって知ってるだろ。
「そういう説」が気に入らないなら、そう家では伝わってる話にしとこうか。
複数の史料と合致しないと、家系図ではそうなってるってだけで
判明してると断定なんて出来るもんじゃないだろ。
君みたいに断言できる方が不思議なんだけど。

965 :人間七七四年:2008/11/16(日) 22:37:44 ID:6YbYnE2Q
>>916
> わたしはやっぱり「国取り物語」かな。

大河ドラマは韓国人の松坂慶子が濃姫をやっていたんだよね
濃姫韓国人説もあるから正にぴったりの役だったわけよ
案外売国NHKはその伝で彼女を起用したのよ


966 :人間七七四年:2008/11/16(日) 23:12:16 ID:UKJPKOwp
>>964>>961、963のどの部分をどう断言してると言ってるの?
なんか全然>>964のいってる意味がわからないのだけど???

967 :人間七七四年:2008/11/17(月) 00:11:14 ID:+whHEi9f
>>961

畠山と伊勢の話は物凄く面白いんだけど、逆に言えば「なんで生駒だけは断言するほど確信があるんだ?」ってなっちゃうよね
この時代って名前のボキャなんてそんなになかっただろうから同姓同名の人物も結構居ると思うし、女の人は生まれた季節とかをそのまま名前にしちゃう傾向もあったみたいだから、「生駒氏」の実名が「類」なら
他の家にも同じ名前の女性が居ても不思議じゃないけど、それでも珍しい名前なんだよね?
武家とかじゃなく、普通の商家なんだろうからもっとオーソドックスって言うか、今で言えばダサい名前であってもおかしくなかっただろうに、それでも江戸時代でも珍しいってのが引っ掛かるんだよね
濃姫の実名ではないかとされる『帰蝶』だって、もしも信憑性の高い史料に残されていたとしても、同じように「本当に実名かどうか怪しい」ってされるだろうし
それにしても、『濃姫』の縁者って畠山とか伊勢にまで伸びてるのに、それでも逸話が残ってないって謎って言うより不自然だね
面白い話をありがとう
濃姫の姉妹なら(姉か妹かわからない)土岐にも伸びてるのに、そっちにも残ってないのかな

968 :人間七七四年:2008/11/17(月) 07:47:59 ID:P0QiTmAB
>>967 

もちろん生駒家の家系図同様北畠家や伊勢家の家系図も眉唾に決まってるよ。
みんな信長となんらかの姻戚関係をもちたくて家系図を捏造してる。
くぐったら北畠家に嫁いだ濃姫の妹は信長の縁者ということで
大事にされていたとうのに墓も法名も不詳だし、やっぱり捏造くさいね。
そうなると濃姫は道三の姫というのだって怪しくなってくる。
道三の養女としてとついできたのかもしれない。
そうなると離縁しても斉藤家には戻らず実父方に戻るだろうから斉藤家の菩提に
墓がないのも当然だし、兄弟姉妹ともかかわりが薄くなるから濃姫の存在を
確認できるものが親戚筋からもたどれないんだな。

969 :人間七七四年:2008/11/17(月) 09:50:41 ID:z4QwKgyu
「鍋」だと、森可成の娘のように、同時代に名前の判明している人物は
何人かいるから、本名は「鍋」なんだろうなと思えるけど、「類」はいないよね。
反対に、普通は名前が分からない女性なのに、「鍋」と判明している人が
複数人いるってことは、極々一般的な名前と推測出来て、
崇福寺の書状の「鍋」が小倉であると短絡的には決められない事にもなるけど。

970 :人間七七四年:2008/11/17(月) 10:16:19 ID:P0QiTmAB
>>969 

森可成の娘の名前は森家の史料のみが根拠?
それなら生駒家同様鵜呑みにはできんな。
森家でそう言ってるってだけなんだろうから。
逆に類という名がいないと断定できるのはなにが根拠?
戦国期の全部の大名家の娘たちの名前の調査でもしたのか?

971 :人間七七四年:2008/11/17(月) 17:42:29 ID:1U2ZwB9X
確か名前の研究家の説じゃなかったっけ。
類とかRで始まる名前が一般的になったのは江戸時代からだとか。
戦国時代に絶対「類」と言う名前がないとは言えないけど
今のところ他に類という名前の例は見つかってないらしい。

972 :人間七七四年:2008/11/17(月) 17:48:40 ID:Ses7DCXC
道三の出自は必ずしも韓国ではないと証明されてないわけですね?
そうすると濃姫韓国人説は意外と真実ではないのかと思いますよ。

973 :人間七七四年:2008/11/17(月) 21:34:06 ID:zFwv7khL
当時、韓国などという国は存在してないし、残念!

974 :人間七七四年:2008/11/17(月) 22:10:02 ID:Ses7DCXC
今の国名に直してるのですよ。
まあそう固い事いわずに
濃姫韓国人説を展開して行きましょうよ。

975 :人間七七四年:2008/11/17(月) 22:15:08 ID:XycfCc42
>>973
折角IDでるんだから、NGIDにしてスルーしましょう。

976 :人間七七四年:2008/11/18(火) 14:17:58 ID:Dg+Y1Omc
濃姫が韓国人説はまったく信じないけどw、養女説はまったくありえなくもないな。
ここまで「生きていた!」という痕跡のない超有名人の奥さんというのも珍しい。

そういえば道三のもとに織田家の姫がいったというのもずっと不思議なんだよね。
両家の和平交渉は濃姫が信長のもとに嫁ぐか、道三へ織田の姫を送り込むかの
どっちかだけで成立する。

このあたりで、濃姫が嫁いで早々に亡くなったので今度は織田家から
姫を差し出して同盟関係維持をはかったか、あるいは最初織田家から
姫を差し出して同盟成立したががその姫が亡くなったので
今度は濃姫が織田家に嫁いできたのかのどちらかじゃないかと思うのだけど、
可能性としては後者かな。一応濃姫が信忠を養子にした話が事実なら
道三死後までは織田家にいたことになるし。

977 :人間七七四年:2008/11/19(水) 09:35:07 ID:MnYZEOHv
>>948 http://www.robot.ne.jp/~manolito/soturon3th.html#3syou

毛利元就の正室と濃姫を同じレベルで語ってしまうなんて…

978 :人間七七四年:2008/11/19(水) 14:57:21 ID:/bfrKPO3
>>968
そっかぁ
結局昔の物ってどれも信憑性に欠けるってことだね
今みたいにはっきりとした戸籍とかがないから、誰でも好きなように家系図
いじれるわけで、中には悪戯で書いちゃったりしたのもあるかもね
それが年月経って本物みたいに言われるけど、書いた本人はそんなつもり
なかったとか、あるいは後世に利用されただけとか
941でも書いたんだけど、やっぱり『濃姫=道三の娘じゃないかも』って考え
た人、居るんだね
私だけかと思ってたから、即否定され(叩かれ)たらどうしようかと結構ビクビ
クしてた


後、調べてもわかんなかったことがあるんだけど、信長も自分の妹を道三の
側室に差し出したけど、これは『濃姫』が嫁いで来た後?
やっぱり理解できないのは、上下関係だけで見たらなんで格下の織田に道
三が自分の娘(正妻が生んだ子?)を嫁に出すのかがわかんない
普通で考えたら、向こうから嫁に出すべきところじゃないかなと思ったんだよね
政略結婚って言えば『嫁』は人質にもなるから、斎藤が織田に人質出す理由が
わかんない
逆ならわかるけど


お鍋の方の実名が『鍋』に関して言うなら、「信長がお鍋と名付けた」と言う逸話
は創作?
「類」は創作じゃないかなとやっぱり個人的には思う
一応生駒氏の生んだ子が本能寺の変の後で織田の当主になってるんだから、そ
の生母の名前を息子が残さなかったってのに不審点
ただし、「Rで始まる発音」は同じ時代に森乱丸(あるいは乱)が居たから、発音的
には存在してもおかしくないだろうけど、なんせ生駒家にしか存在しないものだから
その点で信憑性に欠けると唱える人が多いのでは?
創作だろうと捏造だろうと、実際に記載されてる史料の古い新しいだけで考えたら、
『帰蝶』の方が古いんだよね?


いつも私が書くのは長文で読みづらいから、今日はがんばって改行してみた

979 :人間七七四年:2008/11/19(水) 16:11:06 ID:C1C/jeYz
信長は生前格下の蒲生や松平、前田、信長は自分の姫を正室として嫁がせてる。
嫡男に嫁がせることで子供が生まれればその子の外祖父という立場も維持できるし、
格下であっても同盟の必要に迫られればあの手の縁談は普通にある話。
だいたいにおいて形勢有利なほうが嫁をおしつけて同盟関係に持ち込み、
事実上支配下においてる。蒲生や松平なんかはまさにそれ。
嫡男信忠も武田の松姫と婚約してた。家格はもちろん
形成的にも武田のほうが信長よりも勝ってた。

角田氏の本をよく読めば「R音で始る名は江戸期に良く見られるが、
戦国期の頃はあまり見られない」としてる。一般的ではないというだけのこと。
戦国期に「りり」という名の女性名の例が書いてあった。
信長の子供達だってまったく織田家特有の名前がつけられているが
そんなの主流・非主流にするのは個人の勝手。現にきみょう、ちゃせん、ごとく・
おおぼら・こぼら・しゃく・ひと…なんて
戦国期には他に例のない名だけど、実際そうであったのだから否定しようがない。

帰蝶の件は「美濃国諸旧記」だと帰蝶の方、鷲山殿とよばれていたとある。
この地誌は著者・成立は不祥だけど内容から一応寛永末〜正保のあたり成立と
言われてるから、濃姫誕生後100年以上経ってからの編纂だし、
確認するにも美濃斎藤家は断絶だし、地方に言い伝えられたことを
裏をとらずに書き記した地誌にすぎないだろうな。

お鍋の名の由来は、五徳や杓同様に「織田家雑録」に記されてたんだっけ?
まぁ五徳や杓の名の由来を信じられるのなら信じればいいし、嘘だと思うのなら
お鍋の名の由来を信じなければいいだけだな。

980 :人間七七四年:2008/11/19(水) 17:50:22 ID:IAKLmQYH
五徳って鍋とかやかんをのせる台のことだよね。
鍋の子だから鍋につきものの杓ってことなら、五徳も鍋から連想できる名前じゃないか。
小倉鍋だと年代的に合わないけど、「なべ」はありふれた名前らしいし
五徳の母の名が「なべ」だった可能性もあると妄想した。

981 :人間七七四年:2008/11/19(水) 19:32:31 ID:HQ3znrE/
>五徳の母の名が「なべ」だった可能性もあると妄想した。

鍋が側室に入った時期からして、これは妄想と断定できる。
ここのスレで珍しく断定できる。



982 :人間七七四年:2008/11/19(水) 19:53:33 ID:FkttHyoL
信康室はゴトク・トク・オゴトク、と3パターンが史料に載ってるので
ゴトクじゃなかったら「織田家雑録」は嘘となるけど。
徳川家でも名前は伝わってないみたい。
3本足のごとくの鼎の足のように、生駒同腹の3人で織田家を支えるように
「ゴトク」と名付けたというけど、その時点で三七もいたというのに…無視か。
徳川家康の生母も「お大」というのは後世の創作名。本名は不祥。
濃姫の本名がわからないのは当たり前だな。

>>980 火鉢の上で湯をわかすために鉄瓶を置く道具だから鍋はおかないだろ。
竈の火ももったいないようなものすごい貧乏な家ならそうやって火鉢で
煮炊きしたかもしれないけど。

983 :人間七七四年:2008/11/19(水) 20:45:00 ID:IAKLmQYH
>>981
だから、小倉鍋だと年代は合わないって書いてるだろ。
ありふれた名前なんだったら、別の「なべ」がいたかもしれないって妄想。

>>982
かまどでも五徳って使わなかったっけ。
あんまり詳しくないから、よくわからないけど。

984 :人間七七四年:2008/11/19(水) 21:02:41 ID:jY9CR9xD
>>982
「徳」が名前で「御徳」が「おとく」じゃなく「ごとく」となり「五徳」となったという説もあったと思う。

興雲院は織田の奥では「鍋」ではなく「小倉」と呼ばれていたという逸話もあるから、
他に「鍋」のいた可能性はあるだろうね。

985 :人間七七四年:2008/11/19(水) 21:28:57 ID:jY9CR9xD
何も理由もなく、呼び名が「小倉」になった可能性も、当然あるが、
既に「鍋」という呼び名の女性が、奥にいた可能性も当然出てくる訳で、
そうなると、言経卿記に出てくる妾(妻とするものもある)の「鍋」や
崇福寺の書状の「なへ」は、その「鍋」という呼び名で定着していた
別の女性の可能性も出てくる事になる。

秀吉の関係で、名前が「鍋」だと判明していた女性が、
信長側室で、庶子の生母であったから、「なへ」「鍋」がすべて興雲院と
解釈されてきた訳だが、他に「鍋」と呼ばれていた人物がいた事を証明するものは
何もないので、現在のところ仕方がない事だな。

>>979
「りり」って戦国期だっけ?
平安期だったように覚えていたが。

986 :人間七七四年:2008/11/19(水) 21:39:20 ID:W47/4B4W
>>984
信長死後に婿になる、丹羽長重の幼名が「鍋丸」だね。

987 :人間七七四年:2008/11/19(水) 21:39:20 ID:FkttHyoL
>>984 変形したかどうかはしらんが、とにかく複数の史料に
3パターンの名前がそれぞれ記されてる。
冬や永も確定じゃないだろ、たしか。
冬姫は蒲生家の史料に「冬輿入れ」だかとあったので、冬に輿入れしたのか、
冬姫が輿入れしたのか、と解釈が分かれることろで
それが冬姫の根拠だと思ったけど、どうだったかな。

鍋なんていう名前は侍女あたりだってごろごろいたんじゃないの?

988 :人間七七四年:2008/11/19(水) 21:41:49 ID:FkttHyoL
>>986 本能寺で亡くなった小姓の中に柏原鍋丸兄弟というのもいた。


989 :人間七七四年:2008/11/19(水) 21:50:42 ID:jY9CR9xD
>>987
信長が書いた(それも直筆と思われる)書状に、
「ふもじ」という宛名の書状があるんだっけ?
「ふ」という字で始まる名前の女性で、身内の若い女性宛のものらしい。

990 :人間七七四年:2008/11/19(水) 21:56:56 ID:FkttHyoL
>>989 そういえばあったな、その手紙。
信長のふもじへの返信だったな。
でも氏郷室あてかどうかは内容からはわからないけど
氏郷室が冬姫となってるから氏郷室あてとなってるんだった。
信康室はふもじとは絶対違うから、利長室かあるいは
養女にして何人か嫁がせてるからそっちあてとかかもしれないな。

991 :人間七七四年:2008/11/20(木) 00:57:18 ID:LIyidaYB
>>961
元助の嫁の出自については、元助の孫にあたる池田由成の墓碑に
祖妣斎藤山城守女先考諱由之号出羽守と彫られているのが
確認されているから家系図のみというわけじゃないぞw

992 :人間七七四年:2008/11/20(木) 07:45:22 ID:R/3FutTS
>>991 生駒だって戒名に信忠・信雄・五徳の生母と記されてるのに
信忠と五徳は生駒の子じゃない、と主張してやまない連中もいる。

ようするに生駒家や池田家が「そう言ってるだけ」ということの
証拠でしかないってこと。
まったく利害関係のからまない第三者的立場での史料と合致しないと
裏付けできる証拠といえるものではないらしい。

993 :人間七七四年:2008/11/20(木) 10:42:12 ID:D5qzMsvc
五徳の名の由来から信忠、信雄、五徳の生母が生駒だとした織田家雑録は
そのことで織田家が生駒家を配慮する利害関係なんてなにもないよな?
生駒の位牌の裏に書いてある通りだから織田家雑録にもそう
書いてあるってだけなんじゃ?
生駒がらみになるとことさら攻撃的で懐疑的になりすぎて
それはそれで偏りすぎてて変だ。
生駒の名にも異様にこだわる連中が沸いているのが理解不能。

994 :人間七七四年:2008/11/20(木) 11:07:31 ID:xv3oYBDX
>>992
その位牌は江戸中期に、織田家とのつながりを一生懸命画策した生駒利勝が
作り直したものだから、あてには出来ないんだよね。

生駒の墓も、武功以前にはなかったのに、いつの間にか出来てたって話しもあるし。

995 :人間七七四年:2008/11/20(木) 11:54:41 ID:D5qzMsvc
>>994 
生駒家と信雄はすでにがっちり繋がりができてたからそんな必要ないんじゃないの?
淀親子、秀忠夫人、3〜5代将軍と近い血縁関係にあった信雄こそ
生駒家にとって何より大事な拠り所なわけで、そこのパイプは
おさえてあったもの。

生駒の墓ってすんごい古いじゃん、写真で見る限り。
ttp://www.m-network.com/sengoku/haka/kitsuno450h.html
隣りの初代広政、二代豊政と墓の形態からも同時代の墓にしか見えないよ。
武功は1987年刊行だからそんな新しい墓じゃないのは確か。

996 :人間七七四年:2008/11/20(木) 13:14:29 ID:CazJuhmC
>>994みたいに、2チャンの書き込みをそのまんま信じちゃうやつが多くて
生駒家も大迷惑だろうな。
もしかしてこういう人って生駒家の史料をもとに武功夜話をつくったとかって
思ってたりしてなw


997 :人間七七四年:2008/11/20(木) 17:45:29 ID:Agg5nloi
まあ武功夜話の怪しさから、生駒家自体の史料の信用性も疑われるようになっちゃったんだよ。

998 :人間七七四年:2008/11/21(金) 08:17:00 ID:1q4FdkEk
怪しいのは前野家文書なのにな。
庄屋だった吉田家の先祖とする前野家の非公開で伝わってきたという、
なぜか現代の地名や当時では使われてない言い回しが入っている怪しげな家伝書。
生駒家はその史料に登場して、吉乃をはじめ生駒家が大活躍してるように
書かれていたから地元の郷土家たちがとびついて、地元の誉れと
ばかりに宣伝しちゃったからな。
「信長最愛の女性、吉乃」と信長の語が庶民に受け入れやすかったせいも
あるんだろうけどさ。(のちに同じ境遇のお鍋を寵愛する話につながるし)

999 :人間七七四年:2008/11/21(金) 09:33:35 ID:cntlM7pu
次スレです。
濃姫(帰蝶)総合スレ その4
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1227227491/

1000 :人間七七四年:2008/11/21(金) 09:34:24 ID:sCsAFt2q
1000で真実が明らかになる!

1001 :1001:Over 1000 Thread
      /    `ヽ、
      ー┬――─‐ァ
      / ̄ ̄ ̄ ̄,l,
    _/     ,、r'" _」
.    | ̄ ̄ ̄ ̄ ,、r:''゙ヽ、
   /`'''''''''''''''''''" ヽ::::::::::ヽ
   /  秀家    ゙ヽ:::::::::',   ごくろう。このスレはみごと統一された。
  ゙|゙゙゙'''   ‐‐''""'  ';:::;r==,、  さすればおぬしらには次スレの攻略を命ずる。
.  |エi> ,'  イiエ>  レ'゙,r .,l }  
  i.  /         Y./ノ   さあ泳いでゆけ、現代のもののふたちよ!
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