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戦国ちょっといい話9
- 1 :人間七七四年:2009/04/23(木) 22:15:46 ID:Z/KNEkgD
- 戦国のホロリとくるエピソードを挙げていこう
戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
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書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください
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戦国ちょっといい話8
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戦国ちょっと悪い話8
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逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
- 708 :人間七七四年:2009/05/19(火) 16:56:49 ID:iUFjJjsM
- ただせさえ、影の薄いさえない長男坊こと毛利隆元の意外に偉大なお話
毛利元就には、ご存知の3兄弟がいる。オヤジの戦国謀略大王毛利元就の子は
次男:負け知らずの吉川元春、三男:調略王子の小早川隆景、そして・・・・・
影の薄さは日の本一の長男、毛利隆元
である。とにかくこの男は影が薄い。手柄は立てるもオヤジが偉大すぎる。
軍を指揮するにも元春の方が有名だ。調略やれば隆景の口には絶対に負ける。
さて、毛利の尼子攻めもついに佳境に入り、増援が必要になったので隆元が援兵を
率いて向かった途中で和智誠春の饗応を受けた後に
ぽっくり死んでしまった。(食中毒らしいが死因が未だはっきりとはわかっていない。)
本当に日の本一影の薄い男の最後はあっけなく「ぽっくり」である。
その死後に毛利家に大事が起きてしまった。
元就「尼子攻めを続行する。ついては、元春は徴兵を、隆景は調略を担当しろ。国人からの援軍
は宍戸の婿殿に交渉を頼もう。謀略と兵糧と金子はワシが担当しよう。隆元が死んだからワシが行うよ。
保証人の名義は全部ワシの名前で良い。隆元より信用はあると思う。隆元でも出来たんじゃ。
お前達でも大丈夫だろう。」
元春「わかりました。」(今まで兄者がやっていたから簡単じゃろう。)
隆景「わかりました。」(調略の金子は兄者がやっていたがオヤジでも出来るだろう。)
宍戸の婿殿「わかりました。」(国人の交渉は隆元義兄上がやっていたが、私でも大丈夫だろう。)
その見込みが甘かった事を思い知るのはすぐであった。
続く
- 709 :人間七七四年:2009/05/19(火) 17:31:11 ID:iUFjJjsM
- >>708続き
数日後
元就「あの頼んだ件はどうなった?うまくいったろう?」
元春「兵が思うように集まっていません。(大汗)」
隆景「調略は何とか進めておりますが、『保証交渉』で困難しています。(大汗)」
宍戸「国人の交渉が困難を極めております。出兵の出し惜しみが・・・(大汗)」
元就「なぜ?ワシの名を使ったろう?うまくいくはず・・・何じゃ?」
家臣「兵糧及び予算調達に関して商人から返答が来ました。」
つ『融資はご希望額の6割が限度です。兵糧は掛け売りではなく現金決済をお願いします。商人某より』
元_就
/⌒ ⌒\ ━━┓┃┃
/(  ̄) (_)\ ┃ ━━━━━━━━
/::::::⌒(__人__)⌒:::: \ ┃ ┃┃┃
| ゝ'゚ ≦ 三 ゚。 ゚ ┛
\ 。≧ 三 ==-
゙ヽ, ,__ ,. -ー"ヽヽ
元就「な!?何じゃこりゃー!ワシの名前はダメなのか?あそこは隆元の生きていた時はすぐに貸してくれたぞ!」
一同「実は・・・皆が言うのです。『隆元様が生きていたら何とかするのに。』と・・・・」
元就「ワシの方がネームバリューが上のはずではないか!?」
一同「あんたが三度のメシより謀略好きだから、一番信用無いっちゅうねん!」
『毛利隆元が死んだ』
たったこれだけの事なのに元就も生きているのに、世間では、思いも寄らない事が起こっていたのである
「毛利家に対する信用不安」
財政を得意としている人ならわかるかも知れないが、『信用』が重要である。
財政基盤がしっかりしているから税金が入り、投資(戦国期は軍事)、公共事業(石見銀山開発や中国との交易)
が出来るのである。そこに必要なのは財政を理解するトップとその信用である。
一気にそれが無くなった。そして毛利家には財政困難(信用崩壊)が来ていた。
金がなければ国人との交渉も戦費調達も調略も元就の老後の楽しみの謀略も何にも出来ない。
今までオヤジと他の兄弟が戦争を安心して出来たのも隆元のくれる「お金(予算)」の上でやっていたのである。
武士の価値観では絶対にはかれなかった隆元の価値だが、世間一般の商人や国人は隆元をこう見ていたのだ。
歩く信用手形(それもプラチナカード級の信用)=毛利隆元
その後毛利家は財政難に陥ったが、何とか立て直した。無理矢理でも何とかした。
よほど大変だったのだろう隆元死後に書かれた元就の手紙にはこう書いてあった。
「隆元が生きていた頃は心強かった(隆元候ツル時ハ世上ノオソレモスクナク候テ罷リ居リ候)」
ちなみにオヤジの元就は隆元が死んだとき三日三晩泣いたとか。
そりゃ泣くわな。
元就「隆元ぉぉぉぉぉぉ!誰がワシの隆元を殺したぁぁぁ!打ち出の小槌がいなくなったぁぁぁぁぁ!」
- 710 :人間七七四年:2009/05/19(火) 18:03:14 ID:cIJ7CrBB
- それにしてもなんで隆元にそれほどの力があったのか
と思ってしまうのもさえない地味キャラと言うイメージに毒されてるからなのかな
- 711 :人間七七四年:2009/05/19(火) 18:04:00 ID:cYzJX6yU
- ガチホモだったんじゃないか
- 712 :人間七七四年:2009/05/19(火) 18:47:44 ID:bCvD5d99
- 俺は隆元を過小評価していたようです
- 713 :人間七七四年:2009/05/19(火) 18:51:14 ID:ORR5l38L
- いつも親父から説教されてるせいでイジケちゃって、
「早く死んで楽になりたい」とか言ってたらしいけどな、降元さん。
- 714 :人間七七四年:2009/05/19(火) 19:01:36 ID:JUT0ojx1
- あの人たちにはついていけねーよとか我が身可愛い一般人達を影でフォローしてたんじゃないだろうか
ゴーイングマイウェイな人々と一般人の調整役として疲れ果てて楽になりたいと・・・
- 715 :人間七七四年:2009/05/19(火) 19:06:37 ID:f6Fit6pX
- 隆元は書状と実際が、かなり別人格。
- 716 :人間七七四年:2009/05/19(火) 19:09:58 ID:AHbW0ZFy
- 身内に宛てた手紙には普段他人には見せられない聞かせられない弱みやぼやきや
愚痴などが出てくるもんだ
- 717 :人間七七四年:2009/05/19(火) 19:19:07 ID:03EWVm0U
- >708-709うぃ、dクス
お兄ちゃんシリーズも、まとめスレかなりログが増えたなあ。
真田信之と(総領息子なのに地味な)お兄ちゃんシリーズ、
織田信忠や徳川秀忠と(先代が偉大すぎる)二代目シリーズで被ったり混ざって「雑談」カテゴリーに入ってるのが多いが)
……あと長生きネタなw
>715
早々と陶晴賢との対決を覚悟完了して元就までその気にさせたり、
毛利大友の紛争で幕府の調停を突っぱねたりね。
いい話/悪い話スレに来るようになって、よく知らんかった隆元ネタたくさん読んだわ
- 718 :人間七七四年:2009/05/19(火) 19:52:05 ID:pz6SPym7
- 隆元は平清盛の長男(こちらも結構な苦労人)に自分の姿を重ねていたらしいね。
偉大な親父を持った二代目ってのはいつの時代も…
- 719 :人間七七四年:2009/05/19(火) 20:00:15 ID:YP56sxRS
- 南蛮人にすげぇと言われた小早川隆景の治政も、隆景は「いや私など兄には(ry」だもんな。
毛利家真のラスボスだったのだろう。
- 720 :人間七七四年:2009/05/19(火) 20:15:51 ID:01mmRi2V
- >南蛮人にすげぇと言われた小早川隆景の治政
kwsk
- 721 :人間七七四年:2009/05/19(火) 20:51:55 ID:Po6rlctq
- >>720
フロイスの評では
- 722 :人間七七四年:2009/05/19(火) 21:02:03 ID:zkjG07/j
- なんだフロイスか
- 723 :人間七七四年:2009/05/19(火) 21:07:33 ID:vVPeLODU
- 隆元が死んだ時に「毛利はもうおしまいだ」
とうろたえまくったのは隆景だっけ
- 724 :人間七七四年:2009/05/19(火) 21:23:16 ID:f6Fit6pX
- >>723
そう。あの隆景が半狂乱になったらしい。
- 725 :人間七七四年:2009/05/19(火) 21:29:03 ID:1H+Vvhio
- >>695->>696
イワナガヒメだっけか、神話にもあるけど、昔の日本はブス=生命力、というような
呪術的な意味もあるから、武家にとっちゃブスはあげまんっちゅう考え方もあったらしい。
- 726 :人間七七四年:2009/05/19(火) 21:33:45 ID:JUT0ojx1
- 地味に王者の風格が漂ってそうだな
- 727 :人間七七四年:2009/05/19(火) 21:35:27 ID:11yUT6Te
- 元就の種のハズレ無し度はスゴイよな
- 728 :人間七七四年:2009/05/19(火) 21:44:36 ID:Po6rlctq
- >>722
がっかりすんなw
隆元つーか毛利家がらみで一つ
間接的に陶晴賢の謀反に手を貸していた毛利家だが、
謀叛で死んだ大内義隆の扱いは非常に心配りが利いていた
まず隆元が義隆の死を悼み、義隆と義隆に殉じた者を神と崇めるため
竜福寺を建て義隆の絵を描かせてその地に飾らせた
次に輝元が天正三年(1575年)に義隆の二十五回忌法要、
天正十一年には三十三回忌法要、
慶長五年(1600年・関ヶ原の戦いのあった年だ)に五十回忌の法要を行っている
そしてその後も律儀に律儀に法要を行った
元禄十三年(1700年)に百五十回忌、寛延三年(1750年)に二百回忌、
寛政十二年(1800年)に二百五十回忌、嘉永三年(1850年)に三百回忌…
明治時代になってからも毛利家による大内義隆追悼の念は変わらず、
明治二十二年(1889年)には古くなった寺を整備し新たに墓標を建て直した
最初は人気取りの意や周りに毛利こそが大内の後継者である事を知らしめるために始めたかもしれないが
ここまで来るとなかなかである
- 729 :人間七七四年:2009/05/19(火) 21:53:05 ID:FM4EK1Ux
- 毛利隆元が死んだときに一時期、毛利家の財政が悪化したのは事実で、
他の国人達との交渉も一気に難しくなったそうだ。
特に財政難はかなりひどかったようで、毛利元就が
「天下を狙わず家を残す事を第一にしろ」
という遺言を書いたのは、隆元が死んで財政が悪化した事で戦費調達が難しくなったため
何が何でも家を残す事を優先させざるを得なかったからとも言われている。
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